MIYAZAKINGDOM

ミヤザキケンスケ オフィシャルブログ

2018年01月

FISA
 思えば僕たちの世代は「ドリーマー世代」だったような気がします。親は団塊の世代で大半はサラリーマンの家庭、いわゆる24時間戦えますかの時代。自分たちが我慢して仕事一本に生きる代わりに、子供たちには好きなことをやらせてあげたい、そう思う親が多かったように思います。受験戦争から緩やかにゆとりへと向かっていたころ、週休二日制度が導入される過程で、毎週のように「週末は何をしましたか?」というアンケートを書かされました。そこに「一日中ゲームをしていた」などと書けるわけもなく、何かしら「自分が将来を見越して取り組んでいること」を書かなければなりませんでした。
 結果「自分がしたいことは何なんだ?」と自問自答を繰り返すことになり、なんとなく就職することに抵抗があり、気がつけば保留期間としてフリーターをしながら「自分探し」をしていた人が多かったような気がします。今考えれば就職をして社会を知ってから夢が出来るパターンもあるのに、その時は思いもよらないことでした。就職したら負け、どこかでそんな雰囲気もありながらも「好きなことで生きる」を本気で考えた世代だったと思います。

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 大学4年のころ、卒業制作の資金作りに土方のバイトをしていました。周りは年下のトッポイ兄ちゃんばかり、その中で僕はアートを勉強している大学生のというちょっと異色な存在でした。休憩時間に聞こえてくるのは「女、車、ギャンブル」の話ばかり。もっと夢のある話題はないのか!っと内心彼らを蔑んでいたところがありました。ところが卒業が近づくにつれて、いまは大学生という肩書きがあるけど、卒業してしまえば彼らと立場は変わらなくなり、むしろ年下よりも仕事のできない最弱の存存になってしまう。。。考えれば考えるほど怖くなりました。
 卒業したらアルバイトをしながら絵を描こうと思っていた僕は突然自信を失い、結局大学院への進学という「保留の道」を選択します。今思い返しても、この選択は僕の人生でもっとも消極的でもっとも自己逃避をした瞬間だったと思います。夢を語ることとそれを実践することは大きな隔たりがあり、結局のところその時の僕にはまだ覚悟が足りなかったのだと思います。
 大学院を3年で卒業をして、その後ロンドンへ渡りました。同じ底辺なら日本より海外の方がいい。3年かけてようやく覚悟を決めることができました。
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※写真は学生時代の作品



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 佐賀に帰省していました。次女が生まれて初めての帰省だったので、兄家族、姉家族も集まってとてもにぎやかな滞在になりました。韓国から義弟のチャンハンとミヌクも来たので総勢18名という大所帯!家族が多いって素晴らしいですね。

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 かもはら写真館で家族写真を撮り、佐賀神社でお宮参りをしました。こうやってみると佐賀はとても過ごしやすく、味もありいい町だなと改めて思いました。今回は日韓交流で帰ってきたのですが(その話はまた書きます)、その後呼子、武雄を旅行しました。日本の家族、韓国の家族、それぞれの家族の形とその融合がおもしろく、大人になるとこんな目線で家族を見るんだなとしみじみ思いました。最近は佐賀のこと、家族のこと、自分のルーツについてよく考えます。何気なく育って大人になりますが、全ては積み重ねであり歴史なんだなと、この年になってようやく理解できるようになりました。

 今年はゆっくりとしたスタートでしたが、そろそろ忙しくなりそうです。今年もがんばります!!

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テトリス

 今週末に佐賀で高校生の日韓交流プログラムに参加します。これは僕が高校の頃から行われているもので、30年近く続いています。隔年で美術を勉強している高校生が韓国に行く年と、韓国の高校生を受け入れる年があり、今年は受け入れる年のようです。今回僕は講師という立場で参加させていただくのですが、学生時代を思い出し、ちょっと懐かしい気持ちです。
 九州の佐賀という土地からは東京よりむしろ釜山の方が地理的に近く、韓国人の気質が九州男児のそれと似ている部分もあり、親近感がありました。高校の頃は言葉も通じないこの交流に意味はあるのか?と内心思っていたのですが、彼らを身近さに感じていたこと自体が大きな成果だったといまでは思っています。

 日本と韓国は歴史問題もあり、一般的に近くて遠い国というイメージがあります。でもそのイメージは本州と九州でも大きく違っていて、とくに北部九州の人間は日常的に韓国人とふれあうため、少なくとも遠いという感覚は無いと思います。そういった同じ日本人でも認識が違っていることが面白く、もっと多くの人に知ってもらいたいと思います。
 今回はウクライナに一緒に行ったチャンハンとミヌクが駆けつけてくれます。僕にとっての韓国人は信頼ができる、人間味があってとても魅力的な人たちです。日本人の高校生と韓国人の高校生、それぞれがそれぞれにどんな印象を持つのか、とても興味があります。講師としてワークショップと講義を行いますが、その様子はまたここで書こうと思います!





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 そもそも好きなことで生きていくというのは、これだけやって生きていけたら最高!っというものがある人の考え方かも知れません。誰もが追求したいものがあるわけではなく、ある程度割り切って仕事をして、好きなことは趣味でやればいいと考えている人も多いと思います。確かに仕事にすることで好きなことが好きでなくなってしまうこともあります。趣味程度に続ける方がある意味楽しく生きる方法かも知れません。
 でも僕は自分の時間をお金に換えるような仕事ではなく、好きなことで生活を成り立たせたい!という気持ちが強くありました。もしかしたら「絵描きになりたい」より、「好きなことで生きたい」というのが僕の本当の夢だったのかもしれません。
 
 そうなったきっかけは、おそらく高校生のときに初めて絵が売れた経験からだと思います。常連だった喫茶店のカウンターの様子を絵にしたのですが、喫茶店のママが気に入って絵を買い取ってくれたのです。初めて自分の絵でお金を稼げたことがとにかく嬉しく、いつか絵だけで生きていけるようになりたいと強く思ったのを覚えています。ちなみにそのお金を握りしめて僕はヨーロッパへスケッチ旅行へ出ました。
 自分の手で生み出したものを求められ、対価としてお金をもらえる。そしてそのお金でまた自分がやりたいことをする。なんて素晴らしいんだろう!僕はその時、最高の自由を手にしたような気がしました。
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※珈琲バカラに飾ってもらった作品




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 週末を利用して仙台に行ってきました。目的は遠見塚小学校に絵を返すためだったのですが、仙台の友人達と久しぶりに集まりました。その数総勢19人!気付けば震災当初に出会ったみんなも、結婚し、子供ができ、この7年で家族が増えていました。大人は11人で子供8人!!凄いですね。
 遠見塚小学校は震災直後に訪問して、1週間で全校生徒と10mの絵画を制作した思い出の場所です。333人の全校生徒と、協力してくださった先生方、そして駆けつけてくれたボランティアの方々、いろんな人たちが力を合わせて行ったプロジェクトでした。
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 当時の子供たちは皆卒業をしていて、この絵がどのようにして描かれたかを知っている人は誰もいません。しかしいまも絵を大切にしてくれて、ずっとこの学校に残そうと考えてくださっています。当時の僕はまだ経験も浅く、勢いで物事を進めていたところがあり、その後のことなんて全く考えていませんでした。しかし今振り返ると、あのエネルギーがあったからこの絵が生まれ、この繫がりが生まれたんだと思います。時には後先を考えず、自分の思いに正直に進むことも大切なのかもしれません。自分の人生の中で、2011年にこの絵を残せたことはとても意味のあることだったと今更ながら思います。
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 年越しはうちで友人夫婦とウクライナからの留学生イェゴールと過ごしました。より日本的な年越しをしたいなと考え、紅白を見ながらおそばを食べ、年明けはお屠蘇をしておせちを食べました。初詣は柴又の帝釈天に参り、すごくいい正月でした。
 いよいよ2018年が始まります。仕事始めとして今年の繋ぎに描き初めをして、さっそくキャンバスづくりを始めています。昨年は年始には一年のスケジュールがギッシリだったのに比べ、今年は少しゆったりとしたスタートです。この機会に描きたかった絵を描きためておきたいと思っています。

 今年の目標は何と言ってもエクアドルの壁画プロジェクトです。ウクライナを上回る規模感で進んでいて、今から楽しみでしょうがありません。こうして毎年明確な目標を持って取り組めることにとても幸せを感じます。出会いを大切に、そのときそのときを楽しめる一年にしたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします!

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