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ミヤザキケンスケ オフィシャルブログ

カテゴリ: 好きなことだけして生きる

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 先日中学校で講演したことで、改めて自分の人生を見つめ直すきっかけになりました。

 「好きなことだけして生きる」のはとても魅力的だけど、簡単ではない。じゃあどうやればそんな生き方ができるかというと、とことん考え抜くしかないのかもしれません。僕の場合、中学ぐらいからひたすら考え続けてようやく最近形が見えてきた程度だから、すでに25年以上かかっています。。。一生をかけて少しずつ失敗を繰り返しながら形作られていくものなのだと思います。

 僕にとっての優先順位は圧倒的に「誰にも縛られず自由に生きること」でした。その為に会社に就職する人生を捨て、絵の道に進みました。しかし絵の勉強をするにつれ、ギャラリーや美術界という新たな縛りが見えてきました。自由になりたい一心でそこからも外れ、フリーで人脈を広げて仕事を得る方法を実践してきました。ようやく絵で生活ができるようになってきたけど、絵の注文を受けて描くことは「本当の自由」ではないと気づき、自分が本当に描きたいものを描き、それが生活になければならないと思いました。
 誰に頼まれる訳でもなく、自分自身で何かを始め、それが共感を生み、生活に繋がる。それが究極の形なんだと思います。まだまだ道半ばですが、「好きなことだけして生きる」とは常にこの自問自答の上に成り立っているのではないかと思います。





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 今日はチャンハンとエクアドルの日程について話し合いました。彼とミヌクは今回もフルスケジュールで同行してくれることになっています。彼らと行った前回のウクライナの旅は本当に最高でした。すべてが新鮮で、刺激的で、信じられないぐらいドキドキした日々でした。この年でこんな経験ができるなんて、幸せな人生だなとつくづく思います。

 最高の旅には最高の仲間と最高のミッションが必要です。Over the Wallはプロジェクトごとに仲間との出会いがあり、プロジェクトそのものが冒険ドラマのようなものだと思っています。その世界観はドラゴンボールやドラゴンクエストのように、少年時代に憧れた冒険そのものです。そこには仕事とかお金とか関係なくて、社会的な意義とかも実はそんなに重要ではなくて、ただ「本気でワクワクできるか」が大切です。それが一番エネルギーを生むし、その価値観を共有できる仲間がいること自体が最高なのです。

 大人達が一ヶ月仕事もしないで見果てぬ地の壁に絵を描きにいく。最高に馬鹿げていて最高に素敵な人生の時間の使い方だと思います。
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 ロンドンにいた期間は2年間。僕にとってこの2年間は本当に大きなものでした。当時の僕はこの2年間で成功することばかり考えていて、手ぶらで帰国する自分がふがいなく、情けなく、大きな挫折を感じていました。
 しかし今考えてみると、この2年間で英語を学び、ライブペイントに挑戦し、ケニアに壁画まで残したのだから、自分の基礎は全てこの2年間で習得したといっても過言ありません。だけど26歳の僕はとにかく焦っていて、いま認められなければきっとこの先はないとかなり追い込まれていました。
 日本食レストランの内装の仕事、テイクアウトのシェフ、ギャラリースタッフ、ホテルの管理人、美術教師、ユニクロ、いろんな職を転々としながら何とか食いつなぐ極貧の生活。外食はフライドホテトだけという日も多く、おもわず道に捨てられた廃棄のサンドウィッチに手が出そうなこともありました。とにかく生きていくだけで必死の毎日だったと思います。
 底辺の生活をしながら、自分を支えたものはやはり夢でした。いつかきっとこの経験が報われる日が来ると、毎日欠かすことなく日記を書きました。夢に挑戦できている高揚感と、食べるものにも困る貧困の現実、揺れる気持ちを日記に記すことで何とか自分のモチベーションを保つことができました。
 ロンドン時代のことを思い出すと、うまくいかないことが多かったけどなぜか楽しい思い出も多くあります。パブで友人と一杯のパイントで永遠と話をしたこと、きれいな芝生の公園でサッカーをしていたこと、ダブルデッカーの2階席で読書をしていたこと、苦しい中にも楽しみがあり、日々は充実していました。
 この時期になると、ロンドンを思い出します。長い長い冬が終わり、太陽が沈むのがずいぶんと遅くなり、仕事上がりにパブの外でビールを飲む人たちであふれ出す季節。いまをこの瞬間を楽しむヨーロッパ人の心意気は、ロンドンで得れた一番大きなものかもしれません。
デコトラ

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 先日つくばでケニアのイベントでライブペイントを行いました。マゴソスクールの早川千晶さんと大西匡哉さんとのコラボレーションでした。

 ケニアとの出会いは12年前。マゴソスクールに壁画を描きにいったことが全ての始まりでした。当時27歳、2年間のロンドンでの修業期間を終える前に何か成果を上げたい、このままじゃ日本に帰れない、、、そんな悲痛な気持ちもあったと思います。テレビで見ていたアフリカのスラム街の話と、アーティストとして成功するという自分の夢が、同じぐらい遠く感じて、「このままじゃ自分の世界は永遠に変わらない」、とにかく一度限界を超えよう!っとスラム街で壁画を描くことを決めました。かなりの飛躍でしたが決死の覚悟でした。

 そのときの僕は、もしかしたらアフリカのスラム街には同じ人間が住んでいるとは思っていなかったのかも知れません。変ないい方ですが、プロジェクトを終えたとき彼らも「同じ人間だ」と思えました。本当に当たり前のことだけど、その当たり前は言葉で言うのと体験で知るのとでは全然違う。炭酸を飲んだことがない人が「シュワシュワする」を想像するのと一緒で、何百回人に言われて知った気になってても、結局は自分で体験しないと何一つ理解できてないのだと知りました。

 本当はシンプルなのに、自分で勝手に難しくしてる。

 自分の想像が及ばないものは、とんでもなく難しいものだと思い込み、憧れも自分の夢も、勝手に遠い所に追いやってしまっている。気づけば挑戦もしないうちから諦める為のいい訳ばかり。「分からないからやってみる」。それ以来シンプルにこれでいいじゃないかと思うようになりました。
 
 ケニアから帰ってきてからは、挑戦することが怖くなくなりました。できないならやってみればいい。できるできないはやってみてからじゃないと分からない。自分に限界を決めず、シンプルにとことん突き詰めてみる。誰でもできるようなことでも、誰もやっていないことって意外にあるもので、僕がやっていることもそういったことの一つだなと思うのです。


 12年前の経験は、いまも大きな力となっています。

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 自分の人生に第何ステージまであるか分かりませんが、今自分は第三ステージにいる気がしています。最初のステージは学生時代で、目標を探してそれにむけて試行錯誤していた期間。第2ステージは大学を卒業して具体的にアーティストとして食べていけるまでの期間。そしていまいる第3ステージはこれまでに身につけた技術と経験を使って挑戦をする期間だと思っています。
 僕はこのステージこそが人生のハイライトだと思っています。そして心のどこかでこの挑戦は永遠に終わらないで欲しいと思います。試行錯誤しながら挑戦し続けることこそが生きる意味と意義だと考えるからです。そういう意味では早くもファイナルステージに来てしまっているのかもしれませんが(笑)。
 とはいえまだこのステージではスタートを切ったばかりです。先が全く見えません。もしかしたら思わぬところでゴールを迎えるかもしれないし、そこから第4ステージが始まる可能性もあります。しかし何れにしても今が人生における最高のステージにあることは間違いないと思います。成功してもしなくても、そのステージに立てていることが幸せだと思うのです。

 

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 いまの自分の現状に満足することは決してないけど、絵を描き始めた頃の夢はとにかく「絵を描いて生きる」だったので、ある意味夢を叶えたことになると思います。世の中には絵を描いて生活したい人がたくさんいることを考えると、本当に自分はラッキーだったと思います。じゃあ自分はなぜ絵描きになれたかを考えると、きっと才能とか技術ではなく、かといって運だけでもなく、「浮力」があったからだと考えています。
 「浮力」とは水面に浮かび上がる力です。水底からよーいドンで一斉に水面を目指すの姿を想像するとき、人生に似ているなと感じます。みな最初は勢いよく上がっていきますが、しばらくするといろんな障害物にぶつかり、なかなか水面までたどり着くことができません。同じ場所に何度もぶつかり動きを止めてしまうものもあれば、ぶつかるたびに方向を変えながら上へ上へと上っていくのもあります。水面までたどり着けるものはわずか、障害物にぶつかることなく上るものもあれば、とにかくぶつかりまくりながらも上ることをやめないものもあります。僕にはこのガムシャラに上ってく「浮力」があったと思います。どんな壁に打ち当たろうとも、絶対に絵描きになってやるという強い意志だけは強く持っていました。
 自分よりも才能があり、能力を持ちつつも挫折していく人をたくさん見てきたからこそ、この「浮力」が何よりも大切だと考えるようになりました。100回やってだめでも101回目はいけると信じて挑戦するメンタリティ。そんなあきらめの悪さと図太さが、夢を叶える為に一番必要な能力かも知れません。



 いつの頃からか「Super Happy」をテーマに絵を描いていますが、もともと明るい絵ばかりを描いていた訳ではありません。むしろ昔は暗い攻撃的な絵を描いていました。駆け出しの頃、世の中を睨みつけながら、思うように認めてもらえない苛立ちをそのままキャンパスにぶつけている様は、思春期の不良のようでした。
 怒りの対象はなんだったか考えてみると、自分の絵を評価しない学校の先生であり公募展の審査員であり、そういった人たちをクソくらえと思いつつ、あえてシニカルに王道を踏みにじるような作品制作を続けていました。しかしそんな戦いの相手は、学校を卒業すると同時にいなくなりました。皮肉なことにまったくの自由の身になった途端、戦う相手を失い、同時に絵を描く目的を失いました。慌てて次の怒りの矛先を探しました。世の中の不条理、資本主義、政治、、しかし当時ロンドンに住み、自由を手にした僕は、嫌ならそこにいなければいい、世界中どこで住んでもいいじゃないかと考えており、もはや怒ることより、どうこの世界を楽しむかしか興味がありませんでした。
 そんな中、次第に人生をエンジョイする気持ちをポジティブに描くのもありじゃないか?と思うようになりました。抗う絵から楽しむ絵に変わり、少しずつ自分自身も変化していき、ついには「Super Happy」というキーワードにたどり着きました。とにかく僕の人生には「自由」が最重要事項であり、「楽しむこと」が行動原理になっています。自分の人生は全て自分自身が選択をした結果であり、全てが最高の選択だったと信じているのです。

宇宙

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 先日佐賀市の中学校で「働く人に学ぶ」という取り組みがあり、話をしてきました。警察官やパティシエ、看護師の方などが来られている中、画家という名目でお話をさせていただきました。
 僕の中の画家像とは、子供の頃見たキャプテン翼の「岬君のお父さん」の印象が強く、画家とは一カ所に定住しないで、旅をしながら絵を描く人のことだと思っていました。またそんな生き方がとても自由に見え、誰にも縛られていない姿がカッコ良くもあり、いつからか憧れていたような気がします。
 しかし実際に知った画家の世界は、派閥争いがあったり、美術関係社に気に入られるために奔走している、全然自由じゃない現実がありました。。。どうやったら岬君のお父さんのように生きれるか?いつの間にかこれが僕の絵描き人生の目標になっていたのかも知れません。
 岬君のお父さんがカッコいいのは、ただ自由気ままに生きているだけではなく、子供を育てながら自分の意志で生活をしているところだと思います。自分だけでなく、子供も抱えて好きなことを続ける大変さ、がんばれ元気のお父さんにも重なるけれど、子供はそんな父親の背中を見て育つのだと思います。僕はいまほとんどの時間を家で過ごしているけど、いずれは岬君のお父さんのように子供と世界を周りながら絵を描いてみたいなと思っています。




 



 今日は自宅のアトリエでインタビューを受けました。これまでのことを振り返りながらお話をさせていただいたのですが、話して気づくというか、自分が考えていたことが少しみえたような気がして、インタビュアーの方が帰られたあとも頭が興奮状態で、とても絵を描く気持ちになれずブログを書きながら自分の頭の中を整理しています。
 いまでこそ壁画という自分の活動スタイルを見つけましたが、これまでを振り返ると僕の人生はずっと迷いの繰り返しだったような気がします。そもそも絵を描き始めたきっかけも、その後絵を描き始めてからも、これだ!っと思えるものに出会えずに、絶えずもがいていた気がします。そこには認められたい、評価されたい、という焦りがあり、裏を返せば自分に自信がなかったのだと思います。
 壁画の活動を初めて、少しずつ思い描いていた活動に近づくにつれ、雑音が気にならなくなってきました。毎日更新していたブログもあまり書かなくなりました(笑)。本当は今こそ発信しなければならないのだけど、自分の中で表現したいことが完結できるようになったのかも知れません。

 インタビューでも答えましたが、今年で40になります。40歳が世間的に若いのかそうでないのか分かりませんが、僕にとってはようやくやりたいことができるようになり、これからの10年が楽しみでなりません。久しぶりに自分の言葉と向き合い、いい時間が過ごせました。素晴らしいインタビュアーの方の引き出し方でした(笑)。

公開されたら告知しますね!

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FISA
 思えば僕たちの世代は「ドリーマー世代」だったような気がします。親は団塊の世代で大半はサラリーマンの家庭、いわゆる24時間戦えますかの時代。自分たちが我慢して仕事一本に生きる代わりに、子供たちには好きなことをやらせてあげたい、そう思う親が多かったように思います。受験戦争から緩やかにゆとりへと向かっていたころ、週休二日制度が導入される過程で、毎週のように「週末は何をしましたか?」というアンケートを書かされました。そこに「一日中ゲームをしていた」などと書けるわけもなく、何かしら「自分が将来を見越して取り組んでいること」を書かなければなりませんでした。
 結果「自分がしたいことは何なんだ?」と自問自答を繰り返すことになり、なんとなく就職することに抵抗があり、気がつけば保留期間としてフリーターをしながら「自分探し」をしていた人が多かったような気がします。今考えれば就職をして社会を知ってから夢が出来るパターンもあるのに、その時は思いもよらないことでした。就職したら負け、どこかでそんな雰囲気もありながらも「好きなことで生きる」を本気で考えた世代だったと思います。

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 大学4年のころ、卒業制作の資金作りに土方のバイトをしていました。周りは年下のトッポイ兄ちゃんばかり、その中で僕はアートを勉強している大学生のというちょっと異色な存在でした。休憩時間に聞こえてくるのは「女、車、ギャンブル」の話ばかり。もっと夢のある話題はないのか!っと内心彼らを蔑んでいたところがありました。ところが卒業が近づくにつれて、いまは大学生という肩書きがあるけど、卒業してしまえば彼らと立場は変わらなくなり、むしろ年下よりも仕事のできない最弱の存存になってしまう。。。考えれば考えるほど怖くなりました。
 卒業したらアルバイトをしながら絵を描こうと思っていた僕は突然自信を失い、結局大学院への進学という「保留の道」を選択します。今思い返しても、この選択は僕の人生でもっとも消極的でもっとも自己逃避をした瞬間だったと思います。夢を語ることとそれを実践することは大きな隔たりがあり、結局のところその時の僕にはまだ覚悟が足りなかったのだと思います。
 大学院を3年で卒業をして、その後ロンドンへ渡りました。同じ底辺なら日本より海外の方がいい。3年かけてようやく覚悟を決めることができました。
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※写真は学生時代の作品



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