MIYAZAKINGDOM

ミヤザキケンスケ オフィシャルブログ

カテゴリ: 好きなことだけして生きる

 いつの頃からか「Super Happy」をテーマに絵を描いていますが、もともと明るい絵ばかりを描いていた訳ではありません。むしろ昔は暗い攻撃的な絵を描いていました。駆け出しの頃、世の中を睨みつけながら、思うように認めてもらえない苛立ちをそのままキャンパスにぶつけている様は、思春期の不良のようでした。
 怒りの対象はなんだったか考えてみると、自分の絵を評価しない学校の先生であり公募展の審査員であり、そういった人たちをクソくらえと思いつつ、あえてシニカルに王道を踏みにじるような作品制作を続けていました。しかしそんな戦いの相手は、学校を卒業すると同時にいなくなりました。皮肉なことにまったくの自由の身になった途端、戦う相手を失い、同時に絵を描く目的を失いました。慌てて次の怒りの矛先を探しました。世の中の不条理、資本主義、政治、、しかし当時ロンドンに住み、自由を手にした僕は、嫌ならそこにいなければいい、世界中どこで住んでもいいじゃないかと考えており、もはや怒ることより、どうこの世界を楽しむかしか興味がありませんでした。
 そんな中、次第に人生をエンジョイする気持ちをポジティブに描くのもありじゃないか?と思うようになりました。抗う絵から楽しむ絵に変わり、少しずつ自分自身も変化していき、ついには「Super Happy」というキーワードにたどり着きました。とにかく僕の人生には「自由」が最重要事項であり、「楽しむこと」が行動原理になっています。自分の人生は全て自分自身が選択をした結果であり、全てが最高の選択だったと信じているのです。

宇宙

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 先日佐賀市の中学校で「働く人に学ぶ」という取り組みがあり、話をしてきました。警察官やパティシエ、看護師の方などが来られている中、画家という名目でお話をさせていただきました。
 僕の中の画家像とは、子供の頃見たキャプテン翼の「岬君のお父さん」の印象が強く、画家とは一カ所に定住しないで、旅をしながら絵を描く人のことだと思っていました。またそんな生き方がとても自由に見え、誰にも縛られていない姿がカッコ良くもあり、いつからか憧れていたような気がします。
 しかし実際に知った画家の世界は、派閥争いがあったり、美術関係社に気に入られるために奔走している、全然自由じゃない現実がありました。。。どうやったら岬君のお父さんのように生きれるか?いつの間にかこれが僕の絵描き人生の目標になっていたのかも知れません。
 岬君のお父さんがカッコいいのは、ただ自由気ままに生きているだけではなく、子供を育てながら自分の意志で生活をしているところだと思います。自分だけでなく、子供も抱えて好きなことを続ける大変さ、がんばれ元気のお父さんにも重なるけれど、子供はそんな父親の背中を見て育つのだと思います。僕はいまほとんどの時間を家で過ごしているけど、いずれは岬君のお父さんのように子供と世界を周りながら絵を描いてみたいなと思っています。




 



 今日は自宅のアトリエでインタビューを受けました。これまでのことを振り返りながらお話をさせていただいたのですが、話して気づくというか、自分が考えていたことが少しみえたような気がして、インタビュアーの方が帰られたあとも頭が興奮状態で、とても絵を描く気持ちになれずブログを書きながら自分の頭の中を整理しています。
 いまでこそ壁画という自分の活動スタイルを見つけましたが、これまでを振り返ると僕の人生はずっと迷いの繰り返しだったような気がします。そもそも絵を描き始めたきっかけも、その後絵を描き始めてからも、これだ!っと思えるものに出会えずに、絶えずもがいていた気がします。そこには認められたい、評価されたい、という焦りがあり、裏を返せば自分に自信がなかったのだと思います。
 壁画の活動を初めて、少しずつ思い描いていた活動に近づくにつれ、雑音が気にならなくなってきました。毎日更新していたブログもあまり書かなくなりました(笑)。本当は今こそ発信しなければならないのだけど、自分の中で表現したいことが完結できるようになったのかも知れません。

 インタビューでも答えましたが、今年で40になります。40歳が世間的に若いのかそうでないのか分かりませんが、僕にとってはようやくやりたいことができるようになり、これからの10年が楽しみでなりません。久しぶりに自分の言葉と向き合い、いい時間が過ごせました。素晴らしいインタビュアーの方の引き出し方でした(笑)。

公開されたら告知しますね!

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FISA
 思えば僕たちの世代は「ドリーマー世代」だったような気がします。親は団塊の世代で大半はサラリーマンの家庭、いわゆる24時間戦えますかの時代。自分たちが我慢して仕事一本に生きる代わりに、子供たちには好きなことをやらせてあげたい、そう思う親が多かったように思います。受験戦争から緩やかにゆとりへと向かっていたころ、週休二日制度が導入される過程で、毎週のように「週末は何をしましたか?」というアンケートを書かされました。そこに「一日中ゲームをしていた」などと書けるわけもなく、何かしら「自分が将来を見越して取り組んでいること」を書かなければなりませんでした。
 結果「自分がしたいことは何なんだ?」と自問自答を繰り返すことになり、なんとなく就職することに抵抗があり、気がつけば保留期間としてフリーターをしながら「自分探し」をしていた人が多かったような気がします。今考えれば就職をして社会を知ってから夢が出来るパターンもあるのに、その時は思いもよらないことでした。就職したら負け、どこかでそんな雰囲気もありながらも「好きなことで生きる」を本気で考えた世代だったと思います。

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 大学4年のころ、卒業制作の資金作りに土方のバイトをしていました。周りは年下のトッポイ兄ちゃんばかり、その中で僕はアートを勉強している大学生のというちょっと異色な存在でした。休憩時間に聞こえてくるのは「女、車、ギャンブル」の話ばかり。もっと夢のある話題はないのか!っと内心彼らを蔑んでいたところがありました。ところが卒業が近づくにつれて、いまは大学生という肩書きがあるけど、卒業してしまえば彼らと立場は変わらなくなり、むしろ年下よりも仕事のできない最弱の存存になってしまう。。。考えれば考えるほど怖くなりました。
 卒業したらアルバイトをしながら絵を描こうと思っていた僕は突然自信を失い、結局大学院への進学という「保留の道」を選択します。今思い返しても、この選択は僕の人生でもっとも消極的でもっとも自己逃避をした瞬間だったと思います。夢を語ることとそれを実践することは大きな隔たりがあり、結局のところその時の僕にはまだ覚悟が足りなかったのだと思います。
 大学院を3年で卒業をして、その後ロンドンへ渡りました。同じ底辺なら日本より海外の方がいい。3年かけてようやく覚悟を決めることができました。
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※写真は学生時代の作品



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 そもそも好きなことで生きていくというのは、これだけやって生きていけたら最高!っというものがある人の考え方かも知れません。誰もが追求したいものがあるわけではなく、ある程度割り切って仕事をして、好きなことは趣味でやればいいと考えている人も多いと思います。確かに仕事にすることで好きなことが好きでなくなってしまうこともあります。趣味程度に続ける方がある意味楽しく生きる方法かも知れません。
 でも僕は自分の時間をお金に換えるような仕事ではなく、好きなことで生活を成り立たせたい!という気持ちが強くありました。もしかしたら「絵描きになりたい」より、「好きなことで生きたい」というのが僕の本当の夢だったのかもしれません。
 
 そうなったきっかけは、おそらく高校生のときに初めて絵が売れた経験からだと思います。常連だった喫茶店のカウンターの様子を絵にしたのですが、喫茶店のママが気に入って絵を買い取ってくれたのです。初めて自分の絵でお金を稼げたことがとにかく嬉しく、いつか絵だけで生きていけるようになりたいと強く思ったのを覚えています。ちなみにそのお金を握りしめて僕はヨーロッパへスケッチ旅行へ出ました。
 自分の手で生み出したものを求められ、対価としてお金をもらえる。そしてそのお金でまた自分がやりたいことをする。なんて素晴らしいんだろう!僕はその時、最高の自由を手にしたような気がしました。
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※珈琲バカラに飾ってもらった作品




※前回からの続きです
http://blog.livedoor.jp/miyazaking/archives/51965532.html

 中学校の部活を引退して、2学期も終わろうとするころ三者面談がありました。僕が行こうとしていたのは県内で中の上クラスの普通校。当然親も先生もそこを受けるのだろうと思っていたところ、突然「芸術コースを受けたい」と宣言しました。何の相談もない中、自分で勝手に進路を決めてしまったのです。
 これは同級生の影響が大きかったと思います。あるものはサッカーをやるために、あるものは留学のために、あるものは農業を勉強するために高校へ進学しようとしていました。僕は何のために高校に行くんだろう?進学しないことも含めて真剣に考えました。真剣に考えたあげく、初めて自分で選択できる人生のチャンスなんだと思い至りました。みんなと同じ道を行くだけではなく、全く知らない世界に行く権利と自由を僕は持ってる、それを最大限に生かしたい!そう思い、あらゆる進路を考えていきました。そんな中県内に一つしかない公立の芸術コースに出会います。美術の定員は僅か20名、そこに県内から腕に覚えのある生徒達が受験してきます。しかしここは音楽やスポーツのように子供の頃からの積み重ねや実績を重視せず、将来性で合否を決めるという噂でした。全く絵を描いてこなかった僕でも可能性はゼロではありません。
 サッカーの時に人より早く始めることの優位さを学び、ミュージシャンの友人を見て、やるからには全身全霊で打ち込まなければならないということを学んでいた僕は、その日から狂ったように毎日デッサンをしました。今が人生で一番大切なタイミングで、ここで変わらなければ一生変われない。なぜだかそう思いました。
 結果は合格で、芸術コースの7期生として無事に入学を果たします。このまま好きなことにまっしぐらになれたらいいのですが、そううまくは行きません。また続きを書きます!

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 自分の人生を振り返ると、常に考えていたことがあります。それはどうやったら好きなことだけやって生きれるだろう?ということでした。

 こう考え始めたのには原因がありました。それはスポーツもできて、成績優秀、女の子にもモテていた小学校時代から、スポーツ中くらい、成績中くらい、当然女の子にもモテない中学時代の転落劇があり、人生とははかなくいい時代は永遠には続かない、と悟ったのでした。当時の僕の夢はプロサッカー選手でしたが、中学で早々に夢は打ち砕かれ、置いてきぼりにしていた学業が突如目の前に現れました。。
 スポーツの夢が破れ、かといって好きでもない勉強にこれから打ち込むのは嫌だ、「好きなことをやって生きたい!」初めてそう強く思いました。14歳であろうとも勉強以外の方法で成功できる可能性は驚くほど残っておらず、とにかく知恵を絞って毎日毎日考えました。その中で考えついたのがなんとミュージシャンという選択肢でした。音楽の成績は決して良くなかったけど、クラシックではないロックミュージシャンなら今からでもまだ間に合うはず!そう思いました。すぐに家に眠っていたギターを引っ張り出し、ようやくある程度演奏ができるようになったころ、またショックなことが起こります。学校一の悪が音楽に目覚め、あっという間にものすごいテクニックを身につけ、学校のスターになったのです。授業に出ないで鬼のように練習する彼の覚悟と演奏の上達ぶりは凄まじいものがあり、とてもかなわないと思いました。
 好きなことで生きていく、これがどれほど難しいか思い知らされた瞬間でした。プロスポーツ選手も、プロミュージシャンも、プロ棋士も、プロゲーマーも、F1レーサーも、その世界のトップにならなければ生き残ることはできません、そんな一握りにいまからの挑戦で間に合うのだろうか?不安一杯のなか、高校の進路相談を受けることになります。

続きはまた書きます!





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