受話器のむこうでは、
翌年の入社までにKBCで研修を受けることや
入社前に東京のテレビ朝日で
全国の系列局の新人アナウンサー研修が
あることなどを話していたが、
はい、はい、とメモを取りながらも
どこか他人事のような気持ちで聞いていた。
届くはずのない目標に
いつの間にか手が届いてしまった。
目指していた頂に、
気がつけばたどり着いていた。
そんな気分とでも言えばいいだろうか。
どうやら就職活動はこれで終わったと
言っていいようだ。
味わったことのない安堵が胸に広がった。
受話器を静かに戻したあと、
目を閉じて右手の拳を静かに握りしめた。
しかし、大事なことを忘れてはいないか。
そう、
無理やり押しかけて内定を頂いたA社には
なんとお詫びをすればよいのだろうか。

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大学生のころを今振り返ると
つくづくぜいたくな時代だったと思う。
お金はまったくなかったが
時間だけは捨てるほどにあった。
もっと大切に過ごしておけばよかった、
もっと真面目に勉強しておけばよかった、
などと思い返すのは私だけだろうか。
作家の吉田修一ではないが
「人生のダメな時期、万歳」である。
ただ、そのつけは社会人になって
しこたま払うことになるのだが、
まあ、それとて人生の大切な
ステップのひとつだと思うことにしている。

その日も何もすることがなく
ただ一人、六畳のアパートに寝転がり
窓から見える四角い空を見上げていた。
もう面接の予定はひとつもなかった。
そばには捨てきれない就職雑誌が山積みになり
壁には灰色のリクルートスーツが
ぶら下がっていた。

電話が鳴った。
携帯などない時代だ。
部屋のすみに置いてあるクリーム色をした
ダイヤル式の電話をそばに引き寄せ
重たい受話器を持ち上げた。
「…はい」
「私、長崎文化放送のHと申しますが」
「あ、はい…」
「あのぉ、ミゾタヒロシさん、ですよね?」
思いもかけない相手からの電話に思わず
正座して受話器を握り直した。
「先日は遅刻して大変ご迷惑をおかけしました」
「いえ、あのぉ最終面接の結果なんですが
内定いたしましたので…」

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長崎県高校野球大会の熱戦が続きます。
今年も「夢は甲子園」改め
「僕らの高校野球」を放送しました。
出場する全54チームの取材が始まったのは
代替大会が決まった5月下旬でした。
放課後のグラウンドを訪ねると
それぞれの学校の、チームの、
選手たちの素顔が見えてきます。
それは、
土まみれのスパイク。
使い古された練習用のボール。
グラウンドをならすトンボ。
背番号のない擦りきれた練習着。
素振りの数を記録した選手一覧…。
あまりテレビには映らないものばかりですが
そのひとつひとつは、まぎれもなく
夢を追いかけ努力してきた3年間の証です。
「インタビューだけど、考えてる?」
監督と相談して決めた選手にそう声をかけると、
彼らは一瞬だけ、はにかんだような表情を
見せたあとカメラをまっすぐに見つめるのです。

いま、ある島で出会った選手が
グラウンドを去りました。
汗なのか、涙なのか、
アンダーシャツで目もとをぬぐった彼は
応援の保護者にお礼の挨拶をすると
重たいバッグを背負い球場をあとにしました。
「進学を考えているんです」
インタビューの合間にそう話していた彼。
監督の背中を追って、いつの日か
指導者として島に帰って来るのかも知れません。
仲間たちと過ごした
忘れ得ぬこの夏の思い出を胸に。

きょうも夏空のもと高校球児たちが
白球を追いかけます。
かけがえのない今を抱きしめるように。 

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