色黒けれど麗し

東アフリカの内陸、マラウイに展開する「天来の輝き」をエピソードを交えながら「日記風」に。 また他のアフリカ各地に福音の種がまかれて・・・可愛い新芽が出て来た喜びを綴る。

ケニヤ山の麓4


涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
 
種の袋を背負い、
泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
 
( 詩篇 126篇 5, 6節 新共同訳 )



M1を南に向う



親しい友である牧師先生からの便り。 
アフリカに行って先週帰国された聖徒方のニュースと共に
大きいサイズのカラー写真が同封されていた。

 
その添え書きの一文・・・
アフリカ初穂の地、カラチナに
福音の種は根づき、芽が出てきている。
 
見ると、キクユの村里を背景にして
17、8人の青年たちが讃美歌を歌っている。
幼児の姿も一人。
背広にネクタイのイサク巡回はわかるが、
隣の青年は誰だろう?
イトンガ兄の息子が成長して、
こんなに背が伸びたのか・・・
 

カラチナ
そこはケニヤ山の麓、キクユ族の町
周辺の村里から持ち込まれた物産の集積地
エネルギッシュな市場と政治談義の盛んな町



ほぼ半世紀前
マウマウ団(〈隠れた人々〉の意)が結成され
ジョモ・ケニヤッタ(のちの初代大統領)の指導のもと
アフリカ・ケニヤにおける独立運動がはじまる。
指導者グループの一人にガカーラ・ワ・ワンジャウ氏、
彼のふるさとがカラチナである。



キクユ語によるマウマウ運動の追憶集
「Mwandiki wa Mau Mau  Ithaamirio-ini」
来日し講談社より「野間アフリカ出版賞」を受賞され、
1984年11月の中旬、
(地球規模の異常気象の為アフリカの
大干ばつが連日マスコミを賑わしたのが
この年であった。)
帰国の途中、パキスタンのカラチ空港で出会った。
この老紳士がわたしに話しかけてきた。



彼曰く、
自分の父親は英国国教会の牧師であった。
独立戦争の時、マウマウ団は
英国に立ち向かって戦ったので、
父親と戦うことになってしまった。
植民地支配に利用されたキリスト教会、
また牧師であった父親との葛藤から、
自分はイエス・キリストに対する
心からの信仰が持てないで今日を迎えている。



わたしは答えた、
真の自由を与えるのがキリストの福音である。
天地創造の真の神の聖名は『イエス』である。
預言の応じて日の出ずる国より
初代教会の復興がなされている。
イエス様の救いは「水と霊」による。



自分はペンテコステに見られた、
聖書どうりの「聖霊」を受けたい・・
では、ハレルヤ、ハレルヤ・・・と、共に祈る。
しばらくして彼の口からは
「異言」の祈りが出てきたので、
主の約束の聖霊が内住したのがわかった。
彼は喜びの表情を顕わし、大きく頷きながら、
別れ際に「私があなたのホストになりますよ、
ケニヤに来て下さい」と、
私書箱である連絡先を書いて渡してくれた。



こうしたガカーラ氏との出会いがあったことを、
12月(1984年)に帰国したわたしは
東京教会の応接間で
監督村井スワ先生にお話すると、
先生の目がキラキラと輝き
ハレルヤ・・・
いよいよ、来年、1985年から
アフリカ伝道が始まりますね
あたかも「待っていました」という語感が
こちらに伝わって来た。

 

アフリカの声5


わたしが彼らの軛(くびき)の棒を折り、
彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、
彼らはわたしが主であることを知るようになる 
(エゼキエル書 34章27節 新共同訳)



踊りの始まり


 

ケニヤ・ナイロビに程近い、マサイランド
キテンゲラの家の教会の夜の集会が終わった時
「先生にひとつ質問があります」と、
この町に住むケニヤの青年が真剣な表情で、
身を乗り出してきた。

 
「何故、こんなにもアフリカは悩み続けねばならないのでしょう?アフリカがどんな罪をおかしたというのですか?この苦しみの理由はなにですか?」
 

西欧列強がアフリカに植民地支配を確立する以前から
アラブ人による奴隷貿易は長い歴史を刻んできた。
働き盛りの青年達が手足の自由を奪われて家畜のように
奴隷としての生か、それとも死かの選択を迫られて、
ついに決断して乗った奴隷船、
その数、約一億人という話を聞いた事がある。
弱肉強食という論理が頭をかすめる。
 

大きな時代の曲り角に立って、わたしは今、
はるかなる高きところから、
つまり神のお立場に近いことろから
この人類の悲しみの歴史と今後を、
人類の精神世界の謎を凝視したい。
思うに、行き着くところは
「聖書はなんと言えるか」である・・・
愛なる神の御胸にある「逆転の発想」を思いをはせる。

 
「さいわいなるかな、悲しむ者、その人は慰められん」
 (マタイ伝5章4節 文語訳)

 
そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、
高い木を低くし、低い木を高くし、
また生き生きとした木を枯らし、
枯れた木を茂らせることを知るようになる、
主であるわたしがこれを語り、実行する。
 (エゼキエル書 17章24節 新共同訳)



足技の遊戯 - Canon IXY DIGITAL 900 IS


 
質問を受けた直後、
なぜか不思議にも『ギルガル』・・・と、思った。

 
時にエホバ、ヨシュアにむかひて 
我今日エジプトの羞辱(はづかしめ)を
汝らの上より転(まろ)ばし去れりと宣まへり
是(ここ)をもてその處の名を
今日までギルガル(転)と称ふ。
 (ヨシュア記 5章9節 文語訳)


 
新しい世紀を迎えアフリカを全世界の中で貴き存在にしようとの神の御意志をイザヤ書49章6〜7節の中に感じたのでこの青年に読んでもらった。

 
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
イスラエルを贖う聖なる神、主は
人に侮られ、国々に忌むべき者とされ
支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。
王たちは見て立ち上がり、君候はひれ伏す。
真実にいますイスラエルの聖なる神、主が
あなたを選ばれたのを見て。

 

ライオンのしっぽ4


自分が喜んで出来る仕事
ポレポレとゆっくりと
それがまた人々のお役に立つとしたら
よろこんでいただけるとしたら
それは素晴らしい
 


狭いながらも心安堵のマサイの家 - Sony DSC-W1



最初はほんとにわずかな動きでも
次第に目にみえるものとなり
ついには大きなうねりとなる


適材適所
この考え方は昔から言い継がれてきたこと
マサイの勇猛な気質はガードマンとして実にふさわしい
彼らをマサイ語で「アスカリ」とよぶ
夕方6時からふたりづつ組になって、警備につく

 
弓矢は確実に的をいる
放たれた矢、足跡、ふん、そこに残っているものを
ジッと見て、いつ、なにが、どこへゆき、
誰がここにきたかを推測する
そして、何のために・・・

 
サバンナの生活のなかで培われた智慧と力と技量
マサイ族にいまなお脈々と流れる彼らの生き方
固有の伝統と文化は貴いものだ



メグミスクールの子どもたち - Sony DSC-W1


 
男の子が育ちこの社会に一人前のマサイとして
受け入れられる為には通過儀礼がある
そのひとつに、日頃鍛えた狩猟の技量が測られる
凛々しいマサイ戦士となり
あの勇猛なライオンを仕留めることだ
仕留めた証拠にシッポを持ち帰る
 

我らの学びの園
スプリング・バレーのガードマン
このアスカリは誇らしくいう
オレは二つ、シッポをもっているぞ


 

人類こそ難民だ4


われこそ
我みづからの故によりて
なんぢの咎をけし
汝のつみを
心にとめざるなれ
(イザヤ書43章25節 文語訳)

 
アダムとエバが罪をおかしたその時、
サタンの誘惑に負けたその時、
主イエスさまの驚きと悲しみの大きさはどんなであったかと思う。
愛するゆえの衝撃の大きさ。


エデンを去りし アダム、エバに
思いは深し 贖いの道
アベルの羔羊 祝させたまい
犠牲なる主の しるしとなし給う
(霊讃歌71番「エデンの園より」2節)

 
神の愛の発動・・・「贖いの御計画」はそこからはじまった。
人類をすくい、滅亡をはかるサタンの業をこぼつ為に・・・
主イエスさまご自身が
「みづからの故によりて」
あがないのみ業を成就しようと決意され、約束され、
聖霊によりて処女より生まれ、罪なきご生涯を歩み、
福音を宣べ伝え、奇跡・不思議をもて己の神なることを顕わし、
遂に、十字架によって贖罪を全うして下さった。


キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることい固執しようとは思わず、
かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、へりくだって、
死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
(フィリピの信徒への手紙2章6〜8節 新共同訳)

 
息を引き取られる直前のお言葉は・・・
エリ、エリ、レマ、サバクタニ
(我が神、わが神、なんぞ我を見捨て給ひし)
ひとつも尊敬に値しないわたしの代わりに、死んで下さった。
なんと、ありがたいことではないか。


どんな被造物が尊敬に値するか。人類だ。
どんな人が尊敬に値するか。主を畏れる人だ。
どんな被造物が尊敬に値しないか。人類だ。
どんな人が尊敬に値しないか。掟を破る者だ。
(旧約外典シラ書10章19節)

一方、われらの祖先アダムとエバは
そうした神のご愛をほとんど悟ることなく、
神の前から離れ、エデンの東に住むようになった。
その時から
人類はみな額に汗し、生みの苦しみを味わう日々が続く。
その後、わずかながら神との交わりを大切にしていた人々がいた。
神の前に「壇」を築き犠牲を捧げる人々、
アベル、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ・・・
聖書で「義人」とはこういう人たちのことをいっている。


◯「人類の最大の謎は人類」
このことばを聞いた時、わたしはとっさに思った・・・
神のあがないのプランとその完成を知るならば「謎」はとけ、
神を忘れた人類の悲惨がはっきりと見えてくる。
かくなるは当然である・・・と。



難民キャンプ教会に集う人々



コンゴ難民のニャルグス・キャンプ(タンザニア)にて
彼らがいかにふるさとコンゴを愛し、慕っているかを見たが
ふるさとである「エデンの園」を忘却したまゝの
われら「人類」こそ、彼らよりもっともっと悲しい
「難民」そのものである。


 

南アフリカの伝道日記5

歓喜(よろこび)の音信(おとずれ)は予言のごとく
日いずる国より 昇り来て
地の極(はて)までも 光はさしぬ
來りて憩え 恩恵(めぐみ)の御座にて
(霊讃歌131番「栄光の王」3節)



2004/4/13(火)

昨日はマラウイからダーバンへと移動した。


ヨハネスブルグ空港
 


一時間はやく飛ぶ便に乗り込んでみると、ビジネス席を頂いていた。これはすごい。ごちそうがたっぷりと出てきた。我々を喜ばして下さる主イエスさまを感じた。ウィリアム兄が新しい姉妹の車で迎えにきた。荷物だけをホテルまで運んでくれた。われらはHOLIDAY INN の送迎バスでホテル入りした。21階の展望のよい部屋であった。


今日はAVISの車をレンタルして出発だ。ジョセフ・ヤエもムゼも加わり、ワーゲンのキャラバンに荷物を積み込み11時にBLOEMFONTEINに向かった。650キロの道のりである。


楽しい家族旅行である。霊讃歌のカセットを聞きながら大平原の海原を西に進んだ。夕日が雲を茜に染めて没してゆく。礼子先生もみんな元気になって会話が弾んでいる。わたしはハンドルをしっかりと握っていた。


マラウイの自然 - Canon IXY DIGITAL 900 IS



途中のべツレヘムで道を間違えて行き過ぎたが、道行く人に尋ねて引き返した。まっくらになったN1を進んで、遂に8時には到着。はたして今夜の宿はどこに導かれるであろうか?ゲストハウスの看板を見て尋ねたが、部屋は空いていないということで、結局町の中心に向かう。


HOTEL PRESIDENTの看板を見た。三ツ星のこのホテルの部屋はゆったりとして端正な家具のモノトーンが粋である。夕食はどこで・・・?意外なことにこのホテルのベースメントに大きなレストランがあって、この地方の伝統的な料理を提供していた。Tボーンビーフがお勧めのようであった。バランスをとる意味でベジタリアン用の大皿を注文すると、これがまた先生方には好評であった。主はこうして実に祝し楽しませて下さる。明日は8時半に朝食、そして9時出発と考えている。ここにさらに二日泊ることにする。



2004/4/14(水)

アメリアさんとの連絡がとれていなかった。
それで目指すボタベロの家に着いてからしばらくは無風状態の一時が過ぎた。ちょうど風が止まっている時の葦のように、わたしたちは車の中に動かない。ウイリアムたちが裏口からそっと覗き込む。ようやく歩き出した幼児が姿を見せた。玄関が開いて、弟のTEARS TUMELOがニコニコとして出てきた。ウイリアムが「どうぞ先生」と招いたので、それがGOサインであった。


昨年の9月と少しも変わらない客間。
わたしたち7名の椅子があったので各々がテーブルを囲んで座った。アメリアさんは町に働きに出ていて、夕方には帰ってくるという。お祈りが導かれて異言の祈りがしばらく続き、少しずつ霊の世界が開かれてゆく。


弟の顔は御霊の子の顔だちだ。
あの松葉杖のやるせなさはすっかりと消えて、穏やかな光が包んでいる。突然、どやどやと青年たちが戸口から入ってきた。きょうの天のスケジュールが始まるようだ。


みなさん、ご存じの讃美をしてください・・・と言うとスーツー語という現地語で歌い出した。いわゆる讃美歌の現地版である。
ジョセフ・ムゼは名簿を手にして戸口にいたので、弟からはじめて次々と名前を書いてもらうことにした。何曲も歌う中に青年達は戸口から奥に移動して、さらに人が加わってゆく。ちらっとアメリアの母であるマリアさんの顔が見えた。男たちの中でひときわ指導的な歌い方をする人がいてその名をきくとBENEDICT MOSOKEと言っていた。かれはいま宣教師の下で働いているという臭いがプンとする人であった。


ひとしきり讃美歌が続き、次に聖霊待望会へと進む。先生方にも兄弟がたにも手分けして働いて頂き、部屋中のみんなの受霊を願って祈るとたちまちにしてペンテコステの様相が出現した。それから聖書を開いていただく。英語とスーツー語でヨハネ伝3章を読んでもらう。それからまた讃美だが、霊讃歌となった。


ウイリアム、ヤエがアルファベットの霊讃歌を次々に選んで歌い出すと空気がパッと変わってきた。青年たちはこれを覗き込んでまねして歌っている。次々と女性達が加わって部屋はもういっぱいである。わたしはムゼに頼んだ。すでに聖霊と洗礼を受けているか・・・を聞いてほしい。讃美の中で彼がひとりひとりに尋ねてまわってくれた。


それでわかったことはここには昨年9月に洗礼を受けた人は来ていないことである。すぐにでも洗礼を受けたい人たちだということがわかって「それ!」ということになった。われわれとTEARSと9名の青年たちが乗り込んだ。17名が乗り込んでいつもの場所をめざす。もう正午をまわっていた。


行って見るとこのたびは多くの水があった。次々と水に入ってくるが大きな体をしていてもヒイヒイと大声を挙げているのは面白い。でもみんな何とか無事に終わり身代り洗礼も出来てハレルヤであった。そして「頌栄・祝祷」を捧げた。車に乗ると、かれらは「お腹がすいた」と何か食べるものをせがむのである。礼子先生がかばんから柔らかなトーストの包みをうしろに回すと、少年が手でグイときつく掴んだ為に大騒ぎとなっていた。この国の荒々しさを垣間見た思いがした。


先生方には残ってもらい、かれらを送り届けてみるともう他には希望者がいないとわかったので河に帰ってきた。着替えてから帰ろうとすると、そこに5人の子どもたちがやっきたので座り込み、ウイリアムとヤエが福音を語ると、みな「水と霊」を受けることとなった。そうしてこの子ども達に救いが及んだ。アメリアさんの家に帰ると、受洗しなかったあのBENEDICT MOSOKEが自分のところに一緒に行ってもらいたいといっています、とウイリアム兄が言うのでそれが主のお導きであろうと感じたので、あす10時にもういちど来ますと約束してマリアさんの家を辞した。


そしてBENEDICT MOSOKEの家にゆく。そこはテントの集会所をまん中にした一角であった。出発間もない伝道者の一族と見た。太陽が依然として強く照りつける中ではあったがテントの中は日陰でありとても楽だ。これはあの50年前のドンドンのテントを思い出させるそのものであった。


私たちには椅子を与えてくれたのでありがたい。こんなことは思いもしなかった。そこに御霊のお導きを感じて喜ぶのである。
スーツー語の讃美をして貰った。からだを揺すってかれらは歌う。だんだんと見えてくるのはかれらはこのボタベロの町のあちこちに伝道をしている家族であるのだ。いわゆるペンテコステの教会の流れである。なにしろ熱心の点はすごいものがあるが、われらの兄弟たちの輝きの前にはくすんで見える。それは不思議な現象である。


ひとしきり讃美があって、われわれが語る番になった。次々と人々が寄って来たので田原先生に立ってもらった。先生はヨハネ伝の3章を開けて読み、そして英語と現地のスーツー語の聖書も続いてみなさんに読んでいただいた。わたしが英語の通訳をすると、BENEDICT MOSOKEがスーツー語で話した。アメンアメンという反応は宣教師のそれである。決してこれは悪くない。


一段落して宮良先生と代わる。先生は「日の出るところ」ということから、印を押して回る天使のこと、そして印は約束の聖霊のこと、印しは異言である、という話をなさる。その後でわれらの兄弟たちに一言づつ語ってもらうと、「イエス之御霊教会」のことを紹介した。力強いものであった。


ことにヤエは使徒行伝の2章を開けて「兄弟たちよ、われらは何をなすべきか」と聞かれた時に、すぐさまペテロ先生は「水と霊」と答えている。それが初代教会の姿であり、まず「水と霊」から神の国に入ることが一番大切だ、と語る。教会に何ヶ月か通ってから「洗礼」とは言っていない。それに「イエスの名」と明言している。それにもアメンアメンと答える人々であった。


では、この中で聖書の勧めのように今日「水と霊」を受けたい人がいますか?と聞くと一番うしろにいた青年が手を挙げた。そうして再びわれらは河に行く。この青年の父親がもう他界しているので「身代り洗礼」も授けたわけである。BENEDICT MOSOKEにはウイリアム兄が色々と話をした。よく似ていても全然違うという世界がそこにあった。「頌栄・祝祷」を帰ってからテントの中で行った。そして「身代り洗礼」の聖書の箇所であるコリント前書15章とペテロ前書4章を開けて英語とスーツー語で読んでもらった。とにかく主イエスさまの御手に委ねてわれらは今日のご用を終えて帰るのである。


夕陽が沈んでゆく。BLOEMFONTEINまで50キロのみちのりである。気がつくと今日は昼ぬきであった。礼子先生はもうバッテリーが切れそうであった。田原先生や宮良先生は意外にお元気である。でもホテルに着くとすぐに昨夜の場所、MILWAUKEE SPURのステーキハウスにゆくのであった。兄弟がたもわれらと同じくステーキを楽しんだようである。ハレルヤ!


 

幸いを味わいつつ歩む4


イスラエルよ
今汝の神エホバの汝に
要(もと)めたまふ事は何ぞや
 
惟(ただ)是のみ、即ち
汝がその神エホバを畏れ
その一切(すべて)の道に歩み
之を愛し心を尽し精神を尽して
汝の神エホバに事(つか)へ
 
又我が今日汝らに命ずる
エホバの誡命(いましめ)と法度(のり)とを守りて
身に福祉(さいはひ)を得るの事のみ
 
(申命記 10章12〜13節 文語訳)



 
神と共に歩む、これ真のキリスト者です。
主イエスさまはあなたに・・・
「さいわいを味わいつつ歩ませてあげましょう」
とおっしゃってくださいます。

 
24年間、ケニヤ・マラウイを中心にした
東アフリカの方々との頻繁な交わりと語らいの中で、
かれらが一番に興味を示したのは
「日本人キリスト者」のことでした。

 
まず、日本にキリスト教会がある
ということ自体が彼らの驚きであったようです。
しかし、事実こうして長きにわたって、日本より
キリストの福音伝道が続けられて来ましたし、
彼らは真剣に私たちの語る「聖書」の真理、つまり
「水と霊」を理解しようとしました。

 
そして、2000年以来
大規模なキリスト者の群れの姿を、
実際に目にするようになったのです。
2001年は「アフリカ大聖会」が年の始めから
毎週毎週、はじまって参りました。
 


天地の王なる 我が主イエスは
世の成らざる前(さき)より 我を選びて
新婦(はなよめ)の備え なさせ給うなり
 
大瀑(おおだき)のひびきに 
渕渕(ふちぶち)呼びこたえ
猛浪(おおなみ)われを こえゆけり
 
(霊讃歌 132番「大聖会」1節)


 
いろいろな恩恵を主より頂いている神の器たちが
ナイロビを目指して行き来し、
多くの祈りがアフリカの地で捧げられてゆきました。

 
内海イエス之御霊教会の
クリスマス聖会に招かれて行った時のことです。
◯◯愛兄がわたしにその年「アフリカ大聖会」に
参加した時の不思議な体験を聞かせてくれました。

 
彼は50年も前、公立高校の教員になる前に
「水と霊」のみ救いにあずかった方で、
若い日、主のお約束の御霊を受けた時は
天からえも言えぬ何かが降りてきて「あの異言の祈り」
ドッと聖霊を受けて、涙にむせんだそうです。

 
アフリカ到着寸前、
ナイロビに飛行機が次第に近づく頃のこと。
突然、お腹の下の方からグングンと込み上げてきて、
何だかわからぬ内に、嗚咽がはじまり、涙が溢れ・・・、
主イエス様の御霊が彼に迫ってきたそうです。

 
隣に座っている人に気付かれると恥ずかしい・・・と
思いながらも、声が嗚咽となって溢れ出る。
丁度、飛行機のエンジンの音で
それがかき消されて気付かれず・・・、
かつての「あの祈り」・・・、
主イエスさまとの深い交わりに入らせて頂き、
とても恵まれました、とのこと。


ほんと!よかったですね。 
いまや、アフリカに大雨のごとくに降る・・・、
「聖霊の働き」を体験させて頂いたということでした。

 

大地溝帯4


第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、
門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りに進んで行く
と、急に天使は離れた。ペトロは我に返って言った。
 
「今、初めて本当のことが分かった。
主が天使を遣わして、ヘロデの手から、
またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、
わたしを救い出してくださったのだ。」
 
(使徒言行録 12章10〜11節 新共同訳)
 


アフリカ大地溝帯・トムソン滝



アフリカ第二の山
ケニヤ山の頂きには夏でも残雪が見える。
その麓に広がるサバンナ地帯。
坦坦とした大草原と潅木が続いており、
また前方を遥かに見渡しても、
これといった変化は見られない一本道。
道はゆるやかにカーブして潅木の茂みを右手に見て、
我々は小川を渡った。
 

すると、標識が見えた。
それは「トムソン・フォール」と読めた。
長いこれといった変化のないドライブに
飽いてきた運転手のわたしは、
「このあたりで休憩・・・」と思い
右手の小道を辿ることにした。
 

ちょうどよい広さのパーキング場があったので
そこに車を止めて、ドアを開けると、
あたりに轟音が響きわたっている。
「あれは何の音か・・・?」

 
音のする方へ歩みを進めてゆくにつれ、
前方に見える川の流れ、先ほどの小川が
迂回しているのがわかった。
橋がこの小川に架けられて、
その橋の上がかっこうの眺望台というわけだ。
「滝」の姿が忽然と現れたのには、ビックリ。

 
ケニヤの中央部にこうした「地球の裂け目」が走って、
平凡な「小川」を「滝」に変身させている。
ちいさな橋の中央までゆくと「トムソン・フォール」とあり、
その「小川」のたたずまいが大きく変っているのが確認できた。

 
右手の流れは、橋のところまでは「ごくふつう」の流れであり、
いわゆる田舎の風景の中に流れる平凡な川の姿である。
だが一旦、目を左に転ずるとどうだろう。
急激な流れが始まり、それは川底をえぐり、
水しぶきを巻き上げて怒とうの様に前へ前へと突き進んでゆく。これがほんとうに同じ川の流れなのか・・・?
距離は二十メートルほどであろうか、
そこで水の流れは視界からかき消えている。
ただひたすらにゴウゴウという轟音が
あたりの空気を揺すぶりつづけている。

 
橋の手前のところで「滝の横顔」を見るための小道をみつけた。
潅木の茂みの中を分け入って、それらしくクネクネと曲がり、
足元に気をつけながら進むと、パッと視界が広がった。
真っ白な、太い水の帯が深い深い谷底に落ち込んでいた。
あたりは猛烈な水けむりに包まれて、ムンムンとした湿気。

 
遠く谷底は緑したたる原生林に覆われている。
人跡未踏とも思える不気味な谷底が広がっていた。
陽光は充分であるため、さまざまな野生動物が
生息していると聞いた。
鳥たちや、猿たちの動きが遠望できたが、
そこはまさに野生の王国である。
その切り立つ断層のすざましさと
瞬時として休まず鳴り響く轟音・・・。

 
しかしこれはグレート・リフトバレー(大地溝帯)のごく片隅のことで、ここからしばらく車を走らせニャフルルの町を通り過ぎて、しばらく行くと、かつての地球の大地殻変動の現場にさしかかる。わたしはそのスケールの大きさに圧倒された。それは実に突然のことで、その意外性に驚きと衝撃を覚えたのであった。展望台に立って、はるかに霞む谷底に広がる大平原を眺望した時にこう思った。彼ら谷底の人々からは、われわれは山の上の人々と呼ばれるに違いない・・・。事実、「山の国」と「谷の国」との戦争物語がケニヤの遠い昔話にあるそうだ。



マラウイの日常

 

何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、
遠い国に旅立ち、そして放蕩の限りを尽して、
財産を無駄使いしてしまった。
 
何もかも使い果たしたとき、
その地方にひどい飢饉が起こって、
彼は食べるにも困り始めた。
 
それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、
その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹をみたしたかったが、
食べ物をくれる人はだれもいなかった。
そこで、彼は我に返って・・・・
 
(ルカによる福音書 15章13〜17節 新共同訳)

 

種を蒔く人4


涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、
泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

( 詩篇 126篇 5, 6節 新共同訳 )



礼子先生を慕うドリカちゃん



親しい友である牧師先生からの便りがあり
アフリカに行って帰国された聖徒方のニュースと共に
大きいサイズのカラー写真が同封されていた。
その添え書きの一文・・・

アフリカ初穂の地、カラチナに
福音の種は根づき、芽が出てきている。



見ると、キクユの村里を背景にして
17、8人の青年たちが讃美歌を歌っている。
幼児の姿も一人。

背広にネクタイのイサク巡回はわかるが、
隣の青年は誰だろう?
イトンガ兄の息子が成長して、
こんなに背が伸びたのか・・・



カラチナ
そこはケニヤ山の麓、キクユ族の町。
周辺の村里から持ち込まれた物産の集積地で、
エネルギッシュな市場と政治談義の盛んな町。

 
・・・・
ほぼ半世紀前、
マウマウ団(〈隠れた人々〉の意)が結成され、
ジョモ・ケニヤッタ(のちの初代大統領)の指導のもと、
アフリカ・ケニヤにおける独立運動がはじまる。
指導者グループの一人にガカーラ・ワ・ワンジャウ氏、
彼のふるさとがカラチナである。

 
・・・・
キクユ語によるマウマウ運動の追憶集
「Mwandiki wa Mau Mau  Ithaamirio-ini」
来日し講談社より「野間アフリカ出版賞」を受賞され、
1984年11月の中旬、(地球規模の異常気象の為アフリカの
大干ばつが連日マスコミを賑わしたのがこの年であった。)
帰国の途中、パキスタンのカラチ空港で出会った。
この老紳士がわたしに話しかけてきた。

 
・・・・
彼曰く、
自分の父親は英国国教会の牧師であった。
独立戦争の時、マウマウ団は
英国に立ち向かって戦ったので、
父親と戦うことになってしまった。
植民地支配に利用されたキリスト教会、
また牧師であった父親との葛藤から、
自分はイエス・キリストに対する
心からの信仰が持てないで今日を迎えている。

 
....
わたしは答えた、
真の自由を与えるのがキリストの福音である。
天地創造の真の神の聖名は『イエス』である。
預言の応じて日の出ずる国より
初代教会の復興がなされている。
イエス様の救いは「水と霊」による。

 
・・・・
自分はペンテコステに見られた、
聖書どうりの「聖霊」を受けたい・・
では、ハレルヤ、ハレルヤ・・・と、共に祈る。
しばらくして彼の口からは「異言」の祈りが出てきたので、
主の約束の聖霊が内住したのがわかった。
彼は喜びの表情を顕わし、大きく頷きながら、
別れ際に「私があなたのホストになりますよ、
ケニヤに来て下さい」と、それは私書箱であるが
彼の連絡先を紙片に書いて渡してくれた。

 
・・・・
こうしたガカーラ氏との出会いがあったことを、
12月に帰国したわたしは東京教会の応接間で
監督村井スワ先生にお話すると、
先生の目がキラキラと輝き・・・

 
ハレルヤ・・・
いよいよ、来年、1985年から
アフリカ伝道が始まりますね。


あたかも「待っていました」という語感が
こちらに伝わって来た。

 
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