2006年06月21日

季節はずれの赤穂浪士の討ち入り

季節はずれですが、「赤穂浪士討ち入り」でぐぐってみました。
発生年月日を歌っているものを、上から順に抜き出すと、これがまあ、おもしろいくらいに食い違っています。


(1)1702(元禄15)年12月14日の寅の上刻(午前3時)頃のことです。
(2)元禄15年12月15日(1703年1月31日)未明・・・・なお、実際に襲撃したのは現在の感覚で言えば翌15日に入っての未明午前4時頃であったが、江戸時代の慣習では翌日の日の出までを1日の区切りとしたため、当時の感覚としては「14日の斬り込み」となる。
(3)1703年(元禄16年)1月31日(旧1702年12月15日、夜明け前なので当時の習慣で14日とされる)
(4)1702(元禄15)年・・・・12月14日寅の上刻(現在の暦法では15日午前3時ごろとなるが、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)


表記を統一すると次のような感じになります。

(1)元禄15(1702)年12月14日
(2)元禄15年12月15日(1703年1月31日)未明
(3)1703(元禄16)年1月31日(旧1702年12月15日)
(4)1702(元禄15)年12月14日


実は、この問題、釣洋一「世にも不思議な暦の物語」(別冊歴史読本『日本の暦と歳時記』新人物往来社)へのオマージュであることを宣言しておきます。

上の中で正しいのは(2)です。
リライトすると、

(2)日本の旧暦(和暦)の「元禄十五年十二月十五日」、グレゴリオ暦の「1703年1月31日」未明に起った事件。江戸時代の慣習として、夜明け前までは前日とするので、切り込みは、日本の旧暦(和暦)の「元禄十五年十二月十四日」、グレゴリオ暦の「1703年1月30日」とされる。

そういうわけで、旧暦で十四日か十五日かはささいな違いとして無視します。


(1)で「1702年」となっているのは、「元禄十五年正月元日〜十二月三十日」が、グレゴリオ暦の「1702年1月28日〜1703年2月15日」までであり、ほとんどががグレゴリオ暦の「1702年」でカバーされているところから、単純に和暦を換算して、月日はいじらなかったのでしょう。

(3)はおもしろい。上と同じ理由で、「元禄十五年十二月十五日」を、上記と同じように「旧1702年12月15日」と置き換え、さらにもういちど「換暦」などで換算すると、「元禄16年1月31日」となります。

(4)は、(1)と、見かけ上、元号・西暦の前後が逆であるにすぎないのですが、意味は大きく異なります。(1)の「和暦の元禄十五年十二月十五日が西暦の1703年云々」はまだしも、「西暦1702年12月15日が和暦の元禄十五年云々・・・・」をやると、(3)に近い結果になるわけです。


このように、いかにも確定的に掲載している年月日というものが、実はたよりないものだ、と理解いただけるでしょう。

年月日を、単なる前後関係を表す記号に過ぎない、と割り切るならそれでもよいでしょう。
しかし、夜討ちをするにも月明かりはあったほうがよいわけで(雪でも降れば雪明りがあってなおよし)、旧暦十五日前後に行うのが都合よいでしょう。
「1703年1月30日」では、時間の序列を伝え得ても、月明かりなどの事情はこの日付からはうかがい知れないでしょう。

mizuho1582 at 00:05│Comments(0)TrackBack(0) 

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