2007年01月19日

魔性の女の『和泉式部日記』(22)

納豆ソバ 天ぷら揃え










今朝は久しぶりにめちゃ早く起きて出勤です。
朝は手抜きの納豆ソバ。

昼はメンチカツサンド他でしのぎ、夜はけっこう気合を入れて天ぷらを揚げました。
衣にはベーキングパウダーを入れてふわっと感を付けたし、天つゆにはむろん辛味大根をおろしました。
肝心のネタは、

タラノメ、
フキノトウ、
ウド、
ミョウガ、
タマネギ串、
シイタケ、
ナス、
エビ、
レンコンとゴボウとセリの掻き揚げ

と、そんなところだったと思います。
春の新緑がメインの、ほとんど精進揚げってとこで、ヘルシーでしょ?
味噌汁の出汁はシイタケの戻し汁と、経済的(ケチ臭い)。具はワカメとふだけと手抜きです。

《ゼンリン住宅地図》
今朝の朝日新聞に、地図で有名なゼンリンについて載ってました。
あの、住宅地図(各家屋の住人の名字まで載っているやつ)は、経費削減のために、中国で入力しているそうです。
どの範囲まで中国でやっているのかわかりませんが、国家安全上大丈夫なのでしょうかね。

《ムーミンのカノジョの名》
ムーミンのカノジョのように見えるあの生物の名前ですが、私の記憶では、昔は「ノンノ」、後に「フローラ」に変わった、と思い込んでいました。
「ノンノ」とはアイヌ語で「花」、「フローラ」はフランス語の「fleur」つまり「花」、だと思い込んで納得していたのです。

なんで名前が変わったのだろう、と生徒に話題を振ったら、

「原作では名前がなくて、アニメ化にあたって名前を付けたのだ」

という情報をもたらしてくれた生徒さんがいらっしゃいました。

Wikipedia で「ムーミン」を調べると、まこと生徒さんのおっしゃるとおりです。
が、私、名前に関しては、記憶違いしていました。
最初は「ノンノン」、後に「フローレン」でした。
姓は、「スノーク」です。

《ジャイ子の本名》
で、ついでに、そのすぐれた生徒さんに、かねてからの疑問、

「ドラえもんに出て来るジャイ子の本名は?」

をぶつけてみました。
大昔、ある生徒が「もた子だよ」と教えてくれたのですが、その情報の真偽を確認できなかったのです。
すると、明確な即答が返ってまいりました。

「ジャイ子の本名は設定されていない、もし、ジャイ子の本名と同じ名の子がいたらいじめられる可能性があるから。」

と、なんとも筋の通った回答!
なるほど、「源静」や「出木杉英才」のようなイカスキャラの名前は別としたら、まともな名前は「剛田武」ぐらいで、あとは「野比のび太」「骨川スネ夫」など、現実にはありそうもない名前で設定しています。

《おひれはひれ》
「話に尾ひれが付く」という言い回しがあります。
かつてg文のy氏が、「おひれはひれ」とおっしゃっていたのを記憶していたのですが、今日見たネットのニュースによると、お笑いのだいたひかるの夫・北本かつらが、離婚の発表に関して、

「週刊誌などで、おひれはひれがついて報道されるのもシャクなのでお先に報告させていただきます」

とブログに書いている、とあったので、グーグルで調べてみると、北関東ではよく使われ、「根掘り葉掘り」との混同だろう、との情報を見つけました

《天ぷら鍋が炎上したら》
むろん、水を掛けるのは論外。
濡れた毛布を掛ける、というのもありますね。
生徒さんに、マヨネーズを容器ごと放り込む、という方法を思い出させていただきました。
でもやっぱり、消火器を備えておくにこしたことはないでしょう。

TVで映画「クリムゾン・タイド」見てます。
潜水艦モノは息詰まる展開で、というか、閉所恐怖症なので、本当に息が詰まるし、暗い場面ばかりだし、男しかでてこないし、見ていると気持ちが沈むことが多い、潜水艦だけに。


せっかく獲物が針に掛かっても、なかなか喉の奥まで呑み込んでくれないので、いまにもバレそうです。
宮の、和泉式部の男性関係、二股疑惑は、根深いものがあります。
次から次に悪い噂が耳に入ってくることが絶えないのです。


かくいうほどに七月になりぬ。七日、すきごとどもする人のもとより、たなばた、ひこぼしといふことどもあまたあれど、めもたたず。かかるをりに、みやのすごさずのたまはせしものを、げにおぼしめしわすれにけるかな、と思ふほどにぞ、御文ある。みれば、ただかくぞ。
  おもひきや七夕つめに身をなしてあまのかはらをながむべしとは
とあり。

(こんなやりとりをしているうちに、七月になった。七日七夕、風流なやり取りをしている男たちのもとから、「君は織女、僕は彦星、今宵逢いましょう」などという手紙がたくさん届くが、和泉式部の目にも留まらない。「こんな風流な時節には、宮が機会を見過ごさずにお手紙くださったものなのに、ほんとうに私のことなんか忘れてしまわれたのだなあ」と思っているときに、宮からのお手紙が届く。見ると、ただ歌だけ。
  我が身を織女の立場に置いて、逢いたい人に逢えずに天の河原をぼんやり眺めることになるだろうなどと思ったか、いや、思ったこともなかった。
とある。)


七夕(たなばた)って、当時でいえばクリスマスイブ。
ちゃんとした恋人同士なら「逢う」はずです。
自分が一番かどうかわかる試金石となりうる行事です。
現代、それに肩を並べるイベントは、バレンタインや誕生日でしょうが、私の友人で、そんな時期にはつねに「海外逃亡」を強いられているのがいました。

その七夕、他の男からの誘いを無視して、和泉式部はしおらしくひとりでいました。
さすがの「折節すぐし給はぬ宮」も見捨ててしまわれたか、と思っているところに手紙が届く。
宮は、自分を女性である織女の立場に置いて、女性だからこちらから逢いに行けないつらさを詠んでいます。
じゃあなんで宮は足を運ばないのでしょうか。
和泉式部と冷戦体制にあるのを憚っているのでしょうか?
いや、それならこの歌でふたりのわだかまりは瞬時に「氷解」して、和泉式部が、いらしてほしい、という歌を送り、宮が飛んでくる、というのがこれまでの展開です。


さはいへど、すごし給はざめるは、と思ふもをかしうて、
  ながむらん空をだにみず七夕に忌まるばかりの我が身と思へば
とあるを、御覧じても猶え思ひはなつまじうおぼす。

(「そうはいっても、宮は風流な時節を見過ごしなさらないようだよ」と思うとうれしくて、
  あなたが物思いにふけってながめていらっしゃるという空さえも、私は見ません、織女の立場にあるあなたに忌み嫌われているほどの我が身だと思うから。 と書いたのを、宮はご覧になるにつけても、やはり和泉式部を見離すことはできまい、とお思いになる。)


和泉式部は、やはり「折節すぐし給はぬ宮」でいらした、と笑みをもらし、「自分こそ宮に嫌われていると思っていました」と返す。
このやりとりから察すると、宮の方に何かの制約があって身動きが取れない、というのを和泉式部は納得していたようです。
すると、和泉式部は、はなから宮がこの日は来られない(宮廷行事でもある?)を知っていながら、他の男を迎え入れないでいる、というしおらしい態度を取っていた、ということになります。

七夕(たなばた)は、五節句のひとつです。
「七夕」にはナゾが多いです。
たとえば、

・なぜ「七夕」と書いて「たなばた」と読むのか。
・なぜ、短冊に願い事を書くと、情事に忙しいはずのふたりが叶えてくれるのか。

などなど。

とりあえず、七夕伝説のおさらいをしておきましょう。
もともとは中国の話です。


・天帝の娘織女(しょくじょ=織姫(おりひめ))は、機織りに夢中で、周りに男っ気がない。
・娘が「負け犬」になるのを心配した天帝が、まじめで有名な牽牛(けんぎゅう=彦星(ひこぼし))と引き合わせてみた。
・何事にも凝り性の織女は、こんどは牽牛に入れあげてしまって、ふたりとも仕事をしなくなってしまった。
・困った天帝が、天の川を作り、あるいは氾濫させ、二人を逢えないようにした。
・しかし、1年に一度、七月七日だけ、二人を逢わせてやることにした。


さて、そこで問題です。

問「七月七日に、ふたりはどうやって逢うのでしょう?」




正解は実はふたつあります。


《正解:1》カササギ(鵲)という鳥が橋を作って渡してやる。 カササギ画像→a b
《正解:2》氾濫した川が凪ぎ、舟で渡って行く。


カササギ方式を踏まえて詠んだのが、百人一首の6番:大伴家持の歌。

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける

ちなみに、


・「烏鵲(うじゃく)河を填(う)めて、橋を成して以て織女を渡す」(淮南子)
・「彦星の妻迎へ舟漕ぎ出らし天の川原に霧の立てるは」(万葉集・1527番・山上憶良七夕歌十二首)
・「久方の天の河原の渡し守君渡りなば楫隠してよ」(古今集・四・秋上・174番)


と、中国の話では、女が男の方に嫁ぎ、日本では男が女の方に通うという、結婚形態の違いが如実に現れています。

「五節句」は本来「五節供」で、季節の変わり目に神に供えた食物のことです。
中国では同じ数字が重なる月日を忌んで(重日思想)お祓いをしたといいます。
決して「陽数」である奇数が重なっているのを祝っているわけではないようです。
むしろ、祝うべき日が相乗的に不吉にならないように、と祓っているわけです。

そういうわけで、七月七日には、「乞巧奠(きこうでん)」といって、女子が手芸(裁縫や習字)に巧みであることを祈る行事が行われました。

一方、その時期は、農事を知る基準となる牽牛星(わし座のα星アルタイル)と、養蚕・裁縫をつかさどる織女(こと座のα星ベガ)とが、天の川をはさんで明るく見えたところから、織姫伝説が生まれ、乞巧奠とまぜあわされ、日本では奈良時代には、七月七日にこの2星を祀っていたそうです。

「七夕(しちせき)」と書いて「たなばた」と読むのは、古来日本では、神を迎えるのに(祖先神を迎える「お盆」にあたる)、水辺に棚(たな)を設けて機屋(はたや)を設けて、乙女が籠って一夜を過ごすという慣わしがあり、その女性を「棚機女(たなばたつめ=「つ」は「の」と同意)と呼んだところから、「織女」と「たなばたつめ」が同一視されたことによります。

笹に短冊をつるして願いを記すのは、寺子屋が興り始めての江戸時代からのことだそうです。
女子が、手芸(裁縫や習字や和歌)の上達を、織女星に祈るために・・・・というために。

笹/竹には隔絶した成長力さらに殺菌力があるので、神聖なものとされ、祖先神を迎える依代(よりしろ=神が降臨する目印)とされたのでしょう。

なお、「長恨歌」にも

七月七日長生殿 夜半無人私語時
在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
(七月七日の長生殿において、夜中だれもいなくて玄宗と楊貴妃とがひそひそ話をした時、「次に生まれ変わったのが空だったら、比翼の鳥となろうよ。地上に生まれ変わったら連理の枝となろうよ。)


という部分があり、七夕伝説が恋愛に関して引き合いに出されていたことを証しています。

『俊頼髄脳』には、七夕伝説と桃源郷伝説とがいっしょくたになった話が載っています。
七夕と天の河伝承


mizuho1582 at 00:01│Comments(0)TrackBack(1)和泉式部日記 | 

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1. 住宅地図  [ キーワードマーケティング実験室 ]   2007年01月20日 02:00
住宅地図に関連するブログを集めてみました....

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