2007年06月07日
ハジカミ王子--宗教オバサンの『更級日記』(44)「つごもりに月の歌を詠むわけ」
今朝は、畑仕事の前に朝飯です。
炒飯と中華スープ、おかずはゆで卵。
いや、仕事はしてないわ(笑)。
畑に水遣りに行きましたが、それ以外に特筆することはありませんので。
アスパラガスに圧されてでしょうか、ディルが全滅しそうです。
ピクルスを作るのに使おうと楽しみにしていたのに・・・・。
全滅っても2株だけど。
朝からめちゃ暑いです。
開け放した自宅で二度寝したあとは、夕方食べるサンドイッチ作製。
冷製チキンを挟んだサンドイッチが新登場したわけですが(鶏胸肉の使い道が広がってうれしい)、ソースに悩みました。
棒棒鳥ソースを意識して、白ゴマを挽いてごま油と醤油、しかし酢の代りにマスタードを使い、 さらにケチャップとタルタルソースを混ぜました。
これが奇跡的に大成功!
練りゴマではなく擦りゴマを使ったので心配だったのですが、ゴマだれの味が再現されていて、我ながら驚きです。
これまでゴマは、冷やしうどんに入れるくらいの用途しか思いつかなかったのに、使用法の幅が広がって、嬉しい限りです。
昼飯は、暑気払いに、薬味たっぷりのうどんです。
冷たい汁に、暑いうどんを乗せて、大量のネギとミョウガと納豆と大葉とを乗っけて食べました。・・・・汁も熱い方がうまかっただろうな、と思いました。
右画像ですが、下半分はダイソーで買った「スプラウト栽培セット」。
これまでにもスプラウト栽培を考えたことはあったのですが、意外に割高になりそうなので実行しなかったのですが、このセットはいい!
105円で3種類のスプラウトを同時に育てられるんですから。
全部で5種類のセットがありますが、なぜかブロッコリーはすべてのセットに入っています。
・マスタード
・ブロッコリー
・ピンクケール
・アルファルファ
・レッドラディッシュ
・ルッコラ
・レッドキャベツ
・ケール
・だったんそば
・かいわれ大根
このうち、マスタードの入ったセットは2組買いました。マスタードを畑で育てようと思って。
右画像上半分は、ダイソーで、無料配布されていたリーフレット。
左の小さい版が、レシピ本。右が、園芸本です。
売れなくて、無料配布にしたのでしょうが、ありがたいことです。
ダイソーで買って芽が出てないミョウガとアスパラガスの件を赦してやってもいい気になります。
左画像は、今週後半の夕餉(ゆうげ)の材料。
右画像は今夜の夕飯。
刺身用スルメイカは、今夜は半分だけ刺身にして、明日残りを調理しようと思っていたのですが、半ばいではおなか一杯になりそうもないので、一ぱい全部お造りに引きましたが、皿一杯になりました。
肝と墨袋はうまく外して、塩辛にしているところです。
穂シソがあればカッコイイのですが、ないので、ハジカミを添えています。
味噌汁はホウレンソウ。
そうそう、かなり熟した南高梅1kg(980円)を購入しました。あさって漬ける予定です。
・と学会『とんでも年間 YELLOW』(楽工社)
これまだ買ってなかったよな・・・・。
今夜はさすがに畑に行けないので、乾燥が心配です。
玄関前に一株だけ富良野ラベンダーの鉢植えがあるのですが、元気だったり元気がなかったりの理由がわかりません。
水を遣りすぎるといけないので、控えめにしているのですが、そうするとしょんぼりして、だからといって水を遣れば元気なわけではなく、昼間しょんぼり夜しゃきんと、という場合もあって・・・・。
万寿二年五月二十九日(ユリウス暦1025年6月27日、グレゴリオ暦1025年7月3日)の記事です。
作者は、ひと月前から東山にいます。
このつごもりの日、谷の方(かた)なる木の上に、郭公、かしがましく鳴いたり。
都には待つらむ物を郭公けふ日ねもすに鳴きくらすかな
などのみ、ながめつつ、もろともにある人、「ただいま、京にも聞きたらむ人あらむや。かくてながむらむと思ひおこする人あらむや」などいひて、
山深く誰か思ひはおこすべき月見る人は多からめども
といへば、
ふかき夜に月見る折は知らねどもまづ山里ぞ思ひやらるる
(万寿二年五月二十九日、谷の方にある木の上で、時鳥(ほととぎす)がやかましいほど鳴いている。
都では時鳥の初音を待っているだろうに、この山里では、時鳥が、今日一日中、日が暮れるまで鳴いていたなあ。
などとぼんやり思うことばかり繰り返していると、一緒に眺めている友人か親類が、「ただいま現在、京でも時鳥の声を聞いている人がいるでしょうか。こうして京のことを思いながら物思いにふけっている私たちのことを思い起こしている人が果たしているでしょうか」などといって、
月の出てない今夜、山深くにいる私たちのことは、いったいだれが思い起こしてくれましょう、いえ、だれも思い起こしてはくれるはずはないでしょう、望月の頃は、東山から出る月を見ている人はたくさんいるでしょうし、その中で私たちのことを思い出してくれる人はいるでしょうけれども。
というので、私が、
山深く、とおっしゃるその「深い」じゃないですが、まだ夜が深いうちに、朔月の月を東に見る機械があるかどうか知らないけれど、都から、朔日の月が見られないかと思って誰かが東方を見たら、その方々は、真っ先に東山にいる私たちに思いを馳せずに入られませんよ。)
「つごもり(晦日)の日」は「月籠りの日」で、翌日「ついたち(朔日)の日」つまり「月立ちの日」です。
「新月」の日には月が見えません。
友人(あるいは親類)の歌は、日が西に沈むとほぼ同じころ東から昇る月が見られる十五夜なら、東方を眺めるついでに東山の私たちを思い起こしてくれるかもしれないが、月が出ないからには、東の方を見てもくれないから我々を思い起こしてさえくれない、と詠んでいます。
ところで、月が観測できるのは、ふつうには「三日月」からですが、うまくすれば「二日月」から観測することもできるようです。(参照:二日月のある風景)
もっとも、その三日月も、日没時にはすでに西山に傾いていて、まもなく沈みますが。
実際の月の運行に従って暦を決めた太陰暦では、三日月を実際に観測し得てから、遡って「朔日」を決めたそうです(だから「朔日」。現代でもイスラム教圏で用いられているヒジュラ暦では、実際に月を観測して暦を定めています)。
《2007年6月:東京、中央標準時》
日にち-日の出-月の出-日の入-月の入
15日---04:25-03:52--18:58-19:27 ← 朔
16日---04:25-04:56--18:59-20:25
17日---04:25-06:04--18:59-21:12
18日---04:25-07:14--18:59-21:49
*太陽の挙動は1日単位ではあまり違わないのに、月は1日ごとにダイナミックに変化します。
以上を踏まえて、作者の返歌を考察すると、友人(あるいは親類)の、「山深く」に異を唱え、我々がいるのは「山里」であり、「深い」といえば「夜深く」つまり「夜明け前のまだ夜が深い時間」だから、月を見られるかどうかわからないにしろ、東の方を見てみるわけで、そうした人々は東山にいる私たちのことも自然と思い出しますよ、と楽観的に返しています。
この日を、「万寿二年五月二十九日」に決め打ちしてしまいましたが、もしかしてこういう発想はよくないのかもしれません。
次の「暁になりやしぬらむ」で始まる記事は、明らかに初秋七月の記事なので、五月末日から連続しているわけではないですが、「夏の月の終りの日が明けると秋であった」という気持ちのつながりだと受け止めるべきなのでしょう。

