2007年06月23日
メガオムライス--宗教オバサンの『更級日記』(60)「初出仕の感想」
朝起きたらまだ雨が降ってなかったので、畑に急ぎます。
昨夜たっぷり水を撒いたのに、そしてまだ8時台だし、日も照っていないのに、随所で乾燥しています。
フェンスの下に並べてあるポットのほとんどは乾いていて、なかんづく左端のポットは枯れていました。
おかしいなあ、昨夜も意識してポットにはいっぱい水を撒いているのに。
今にも雨が降りそうだったので、ポットに水をやっただけで、写真を撮って慌てて帰宅しました。
止んだり降ったりですが、今日は梅雨入り後初めて十分な降雨がありました。
そこそこに空腹だったので、きちんと朝食をとって二度寝しました。
月見とろろ納豆そばです。
ビジュアル重視で、納豆が写らないように、青海苔の下に隠しておきました。
一日を無駄にしないように、午前中には床を払いました。
昼は、20分かけて冷やし中華を作りました。
楽するために麺汁をベースにしましたが、かえって分量の調整が難しくなりました。
自作金糸卵、叉焼、もやし、キュウリ、トマト、紅しょうがです。・・・・あ、何か足りないと思ったら、カラシを忘れてた!
作るの20分、食うの10分。いまさらながら、どんなものかと思います。
ま、いいものができたから満足だけどね。
外を見るとかなり強い雨。
車で買い出しに出かけて帰宅すると、雨が止み方になっていたので、レッド・バロンにまたがって、散髪に行ってきました。
ふー、だいぶん涼しくなりました。
雨は降るし、気温は下がったし、夏至らしくないです。
右は、うちで咲いたペパーミントの花。
最後に漬けた梅に赤シソを施してから、晩飯です。
どうしてもオムライスが食いたくて作りました。
左画像が途中経過です。
ご飯は0.8合程度なのに、200gの鶏胸肉と、ニンジン一本まるまんま使ったせいで、チキンライスではなくて、ライスチキン状態です。
すべてを食いきることはできないと即座に悟り、減らすことにしたのですが、中途半端にしか減らさなかったので、とても卵3個で覆い尽くすことができなかったのが右画像です!
味はまあまあです。
大量のチキンライスに覆われて見えませんが、皿の底には、大量の、キャベツ千切りが敷いてあります。
ついに、キャベツを金を出して買ったのです、大玉105円!
大根とニンジンたっぷりの味噌汁もあって、食いすぎた感いっぱいです。
TVで映画「バーティカル・リミット」観ました。
私の好まない自然災害物に近いので、まじめに観ていなかったので、「お、意外と面白いじゃん!」と気付いた時にはストーリーが分からなくなってしまいました。
でも、私のせいだけではない気がします。なんか飛ばし過ぎ。気を抜くといつの間にかひとが姿を消している気が・・・・。
主人公が、両手にハーケンを持ってジャンプして、崖の対岸にハーケンを差し込んでぶらさがる、というシーンには鼻白みました。
・・・・慣性によって、顔も胴も崖面に激突してしまうことでしょう。
母は尼に、父は隠居して、一家の経営は作者の双肩に掛かります。
受領としての蓄財もあるし、荘園などもありましょうから、生活には困らないのですが、父の帰京時、二十九歳だった作者に出会いがありません。
そんな時、祐子内親王のもとからお召しがあります。
宮仕えする女性をはしたないものと考える父親は反対したのですが、親戚の説得で、出仕の許可が出ました。
祐子内親王は、当時の天皇・後朱雀天皇と中宮嫄子との間の娘。嫄子は、一条天皇と皇后定子との間に生まれた第一皇子敦康親王の娘で、藤原頼通の養女。
嫄子が長暦三年八月に崩じているので、それ以降の出仕、おそらく長暦三年中の、菊の御衣を着る季節(後述)です。
時に作者三十二歳。祐子内親王二歳。宮は頼通邸におわしまします。
まづ一夜まゐる。菊のこくうすき八つばかりに、こき掻練(かいねり)をうへに着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに行き通ふ類(るゐ)、親族(しぞく)などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかの事はなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、現(うつつ)ともおぼえで、暁にはまかでぬ。
(まず一夜だけ出仕する。私は、菊の御衣の濃いのから薄いのまで袿(うちぎ)八枚ほどの上に、濃い掻練を上にきていた。あんなにも物語に没頭して、それを読む以外に、他に付き合っている仲間や親類などでさえひとりもおらず、古風な両親の後ろに隠れてばかりいて、月や花など風流なものを見る以外のことはしない生活に慣れ切っていた私が、出仕する時の気持ちが、誰のものかわからないほど茫然自失して、現実とも思われないままあっというまに時間が経ち、夜明け前には退出した。)
清少納言が定子に初出仕した時も、讃岐典侍が鳥羽天皇に初出仕した時ももそうでしたから、初出仕は夜にする習慣があったようです。
「菊のこくうすき八つ」は、菊の御衣(おんぞ)のことらしく、「蘇芳匂ひ(すはうにほひ)」(濃蘇芳1、蘇芳2、薄蘇芳2と、ワインレッドの袿のグラデーション)に白い袿(うちぎ)2枚。
それの上に、濃い「掻練(かいねり)」明るい紅の練絹の表着(うはぎ)を着ての初出仕です。
「菊の御衣」は、十月から五節(十一月中旬の新嘗祭の一環)までの服装らしいですから、作者の初出仕もその頃だったのでしょう。。
物語に入れ揚げていた作者ですから、宮廷生活に関しての知識はおてのもの、「マニュアル」で得た知識を存分に振るえる舞台が来た、と勇み立つ・・・・と思ったら、「あれかにもあらず」という気持ち。
「あれかにもあらず」は「吾・彼にもあらず」で、自分が自分なのか他人なのかわからない、つまり茫然自失として何がなんだかわからない状態です。
どうやら、作者は、物語を「女房としての目」で読むことなく、「姫君としての目」でしか読んだことがないようです。
里から宮の邸に参上するのが「まゐる」、宮の邸から里に下がるのが「まかづ」です。
局から宮のお近くに上がるのが「のぼる」、宮のお近くから局に下がるのが「おる」です。
すると、作者は「まづ一夜まゐる」と夜通しお仕えして、「暁にはまかでぬ」ですから、作者は局に下がらず、自宅から出勤して自宅に退勤したわけです。
次の「師走になりてまゐる」時には局をいただいて数日過ごしますから、今日は試用期間というか面接みたいなものだったようです。
里びたる心地には、なかなか定まりたらむ里住みよりは、をかしき事をも見聞きて、心も慰みやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれと思へど、いかがせむ。
(自宅暮らしが染み付いた私の気持ちでは、「かえって刺激のない引きこもり生活よりは、刺激的なことを見たり聞いたりして心慰められることもあるのではなかろうか」と思う日々もあったけれど、実際に宮仕えすると、たいそうきまりわるくつらい目に合わざるをえないのは間違いないように思われるが、いったん受諾したからにはどうしようもない。)
「里」にはさまざまな意味がありますが、ここの「里びたる心地」、「里住み」は、「宮」の反対語として用いられており、「自宅、自邸、実家」の意味。「宮」とは関係のない生活を送ってきた自分には、宮仕えが新鮮に思われると思ったが、そうでもなさそうだ、という気持ち。
「姫君としての宮の生活」でない「女房としての宮の生活」にも少しは期待していたのかもしれませんが、一夜にして幻滅したようです。
「いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれ」と、「べき」「べか(る)」「めれ」と、推量の助動詞を三段重ねにしているのは、宮の人々が、新参の作者を、下にも置かぬ扱いをしたにも関わらず、糊塗しきれなかった点を、作者が見抜いて、将来に対する不安を表現しているのでしょう。
そもそも「宮仕へ」というくらいですから、「宮」すなわち皇族にお仕えしたのですが、摂関家など、上流の貴族も有能な女房を使うようになり、人材が払底してくるようになります。
女房としての教育をする機関も視覚を検定する機関もありませんから、口コミで探した女房が有能である保障はありません。
作者は、田舎育ちではありますが、十分な教養があるのは、後世の我々が知るがごとく、当時から噂になっていたのでしょう。
未婚・未出産の作者は、数えで二歳の乳児である祐子内親王の女房たる資格がなさそうに見えますが、作者には、姉の遺児を育てた経験があります!
こんなすばらしい人材をみすみす見逃すわけにはいかないでしょうから、作者に対するリクルートが執拗だったのは当然として、やっとのことで親を説き伏せて、お試しとして来てもらった作者を鄭重に扱ったことはいうまでもありません。
それでもなお、作者は、宮仕えのつらさを嗅ぎ取っています。
下画像は、散髪後の我が額。・・・・マジでヤベ。
あえてもっとも広く写る角度で写したので、実際はここまで悲惨でないことを、生徒さんたちに実見いただきたいです。

