旅の記録のつづき

旅の記録・・・。
思いっきり更新を怠ってしまいました。

フランス旅行はその後、レンタカーをしての世界遺産やワイナリーめぐりへとつづき、紹介どころ目白押しなのですが、ネタがたくさんあり過ぎて書くのはまたゆっくり時間のとれるときにでも。

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フランス旅行の次は、サイパンに行きました。
サイパンに知り合いの社長さんがホテルをつくったと言うのです。
「ハヤちゃ〜ん、ついに私もホテルオーナーになっちゃったよー。ほら、ホテルオーナーって聞こえがいいじゃない?しかも外国。なんかすごい人って感じでしょう?ハヤちゃんもぜひ泊まりに来てよー」
その社長さんは、夫との出会いのきっかけをつくってくれた方でもあります。夫とも相談して、
「ぜひ行かせていただきます。」
とお返事したところ、
「ほんとー?ならスイートルームに滞在してよ。絶対スイートだよ。うちのホテルのスイートにはあのチェ・ジウが泊まったんだよ。チェ・ジウだよ。チェ・ジウ。だから通称チェ・ジウルームって言われてるんだよ。チェ・ジウルームに泊まりなよー。ゼッタイだよー。」
と強いオススメがありましたが、予算の関係で丁寧にお断りさせていただき、ワンランク下げた部屋に宿泊させていただきました。
「ホテルの良さを実感してもらうにはチェ・ジウルームに泊まるのがイチバンなのになー」
と、社長さんは最後までスイートルームを押していらっしゃいましたが、私たちが泊まった部屋も十分に豪華で美しい部屋でした。インテリアはやわらかいクリームホワイトで統一されていて、大きな窓からは海と空がどこまでも広がる絶景。なんとも居心地の良い空間で、日常のすべてが忘れ去られていくような時間を過ごすことができました。
HEAVEN 2 SCUBA AND RESORT

サイパン旅行の次に行ったのがアメリカ大陸。
一ヶ月間かけて、車でいろいろなところをめぐりました。当日や前日にモーテルを予約しながら、予定を立てずにめぐる旅。
アメリカ映画でこんなシーンあったなぁなんて回想しながら山の中にあるカントリー風のカフェで大きな手作りハンバーガーを食べたり、ビーチでは寒いのに水着でバレーボールするギャルたちを眺めたり・・・。
と、その最中に東日本の大震災が起こり、アメリカ旅行は途中からそれ一色になりました。
アメリカでも新聞もテレビも連日そのニュース。一週間はトップニュースとして取りあげられていました。現地でも、「ねえ、日本は大丈夫なの?」「大変だね」「がんばってね」と次々と声をかけてくださいます。わたしたちとしても状況がよくわからず、いろいろなことが心配で、部屋にいる間はNHKばかり観ていました。
そういったわけで、アメリカ旅行はアメリカの記憶と、日本への想いがない交ぜになっている不思議な思い出となっています。
guranndokyanionn


アメリカの次に行ったのが上海。
上海には高校時代からの友人がいるので、私個人としてはその友人との再会と、彼女のお店couturiershanghaiを訪れるのがメインイベントでありました。
そして夜にふたりでホテルのバーでお酒を飲んだことが一番の思い出。せっかくのバーなのにふたりともお酒をそんなに飲まなかったのは、しゃべるのに忙しかったのか、バーで飲むなんて慣れないことしてちょっと緊張してたのか、ホテルのバーは酒代がベラボウに高かったからか。
たぶん全部。状況に興奮して、うれしくて楽しくて、たまっていた話題が噴出して、盛り上がってとまらなくって。
それに考えてみれば、高校生だったかつての私たちは、お酒の力なんか借りなくったって十分に開放的に本音で語り合っていたのですから。

ああ、それと上海で忘れてはならないのは上海蟹。「上海蟹の一番美味しい時期に来てね」と数年前に言われた言葉を忘れてはいませんでした。オスの蟹ミソもだいぶふくらみ、メスの産卵期直前の10月下旬はオスもメスも両方美味しく愉しめる時期だそうで。
上海kani

「いい?蟹のミソを口に入れたと思ったらすぐに紹興酒をクイッと飲むこと」
言われるままにクイッと・・・。
中国のお酒が、何故ワインでも日本酒でもなく紹興酒であるのか、すべては上海蟹のためだったのか。そんな風にさえ思える組み合わせでした。
トロケました。
なにもかもがトロケました。
一瞬、現実が遠のきました。
上海蟹を食べるためだけに、週末に上海に飛ぶグルメな人たちがいると聞いたことがありますが、非常に納得がいきました。

もちろん上海に行ったらショウロンポウも忘れてはなりません。
チェーン展開されている焼きショウロンポウ屋さん小揚生煎館もなかなかのお味です。ジューシーでモッチリ。上海っ子にも人気の一品だそうです。

・・・と、フランス以降の海外への旅はこのぐらい。
日本国内では、沖縄本島のほか、石垣、西表島、竹富島、黒島に行きました。
西表島ではとっても不思議な犬に出逢ったのですが・・・・、その話もまたの機会に。

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夏のパリ(7)。

国立近代美術館には、世界的にも貴重な20世紀前半の美術作品が展示されています。所蔵数は絵画、彫刻など、45、000点。その全てを展示しきれないので、年に何度か作品の入れ替えをしているのだそうです。

ここにもピカソの作品がたくさん展示されていましたが、わたしが今回パリで行った美術館およびアート展の中で、ここ国立近代美術館と、ピカソ美術館が、もっともワクワクした場所でした。
これまでの私と言えば、モネなど(ゴッホ、ルノアールほか)印象派一辺倒だったのですが、人の好みって、変わるものなんですね。

現代アート1


















現代アート4















現代アート6


















現代アート2

















さてと。美術作品鑑賞はひとまずこれまで。
明日からは、1日半しかパリに滞在できなかった夫(でも、その一日間の間で、主要な観光名所は、根性ですべて巡りました。おかげで、先ほどから足の爪が親指に食い込んで腫れています)とともに、ブルゴーニュの旅がはじまります。
ワインを飲む準備は万端。う〜ん、楽しみ〜♪♪♪

夏のパリ(6)。

凱旋門


















凱旋門、なんと美しいことか!とホクホクしながら昼ご飯をしに部屋に戻ろうとしたら、道中、なにやらパレードらしきものが…?

デモ隊















いやいや、これぞ、パリの名物(!?)デモ隊でした。
シャンゼリゼ通りの高級ブティック街をワイワイ歩きながら、うおーうおーとか言っています。(いえいえ、たんにフランス語を聞き取れなかっただけ)。

ヴィトンやアルマーニの店員なんかも、出入り口付近にたむろして、そんな様子を見物していました。

わたしも野次馬になってデモの後ろからついていったら、デモ隊先頭の方では、けっこうケンケン諤々の様相でしたよ。
それに、いろんな道も封鎖されていて、市民も観光客も通してもらえない。たまにパーン、パーン!と空砲の音がしたりして、日本でたまに見かけるデモ隊よりも、だいぶ本格的でした。

警備隊














デモ隊前方















どうやら北京でのオリンピック開会式に合わせて、「北京オリンピック反対!」とか、「チベット独立へ!」とか、そういうデモだったようです。
夜、宿でテレビを見ていたらデモの様子がニュースで流れていて、思わず、とっさに、自分の姿を探しましたが、もちろん、これっぽっちも映ってはおりませんでした。

夏のパリ(5)。

ルイの部屋


















ルイの部屋2


















豪華絢爛な部屋。ここはヴェルサイユ宮殿ではありません。ルーブル美術館の一角。かのナポレオン三世の居室です。
こんな部屋で食事をして、こんな部屋で寝て、こんな部屋で読書して、こんな部屋に友人を招いて……、しばしの妄想タイムとなりました。

ルーブル















翌日、パリ在住の友人&その友達に「みず紀ちゃん、ホテルリッツはスゴイと思うよ!レッツ、チャレンジ!ゴー、ゴー!!」と、リッツ内を案内してもらったのですが(というより、ほぼ侵入)、上記の妄想をかなり満たしてくれる内装にボワワワーン。

「ここまでくると、あまり落ち着かなさそうね」との友人談に、わたしも現実に引き戻され、「たしかに…」。
あのゴージャスさに囲まれても圧倒されないのは、王族ぐらいです。(ちなみに、リッツのロビーには、アラブの王族ファミリーらしき人たちがいました)。しかるべき所には、しかるべき人たちがいるべきなのです。

夏のパリ(4)。

8月5日 059


















撮影はルーブル美術館内から。
8月のパリは空いていると聞いていたけれど、こういった観光名所には世界中からの観光客たちが集まり、ふだんのパリをずっと超える賑わい。さすが観光収入世界一を誇るフランスです。休み中の店が多いにもかかわらず、そんなのおかまいなしと、旅行者たちがわんさと押し寄せているのですから(わたしもそのひとり)。


ところで、わたしはパリの広い空がとっても好きで、よく空をながめながら歩きます(転ばぬのが不思議なぐらい)。
東京なら、「あ、これから夕立だ!」と思われる、どんよりと重たい雲が覆っても、パリの場合はそのまま持ちこたえたり、雲の切れ間からパーッと光が差し込んできたりして、なかなか雨がふらないおかげで、空の変化を存分に楽しめるのです。

曇り空















そしてまた、暗い空を背景にしたモニュメントたちは、青空のときとは、また違った表情をみせはじめます。
愛らしかった幼児の像は、無邪気なほほえみから妖艶な笑みへと、そして英雄の像は歓喜のポーズから、猛々しい出陣のポーズへと。街並みは、あっという間にアンニュイなムードに満たされます。

動かないパリの建造物らと、たえず変化し続ける空ーーー晴天の空、曇りの空、夏の空、秋の空、冬の空、春の空、朝の空、昼の空、夕方の空、夜空……。それらが重なって、パリの街並みは幾度も化粧直しをつづけます。
旅行者たちを、一度ならず何度も何度も呼び寄せる魅力は、そこらへんにも関係しているのかも。

parisの青い空

夏のパリ(3)。

パリで夫と合流するまでの約一週間、美術館や展示会に行きまくろうと、古典美術から現代アートと、ジャンルを問わず、たしかに行きまくっています。

今日はそのうち、ピカソをご紹介。
17世紀の館を改造したピカソ美術館は、16〜18世紀の貴族の館が建ち並ぶ、マレ地区の静かな場所にあります。

pikaso館






初期の作品から晩年までの千点をも超える品々は、ピカソの死後、相続税と引き替えに、フランス政府に寄贈されたものだとか。

わたしがもっとも心惹かれたのは、「青の時代」と呼ばれるピカソ初期の作品群。
アウトローな人々が、重く、暗いトーンで描かれているのですが、その人物たちの目差しが、口元が、わたしの心をグイグイと引き寄せるのです。
陰鬱なエロス、とでも表現すれば近いでしょうか…、どんなベテラン俳優にだって、おそらくあんな表情はつくれません。ピカソ19歳にしてあの表情を描くとは、まったく、どんな青年期を過ごしたのでしょう?いえ、体験や知識に関係なく、それが可能なのが、天才ゆえんなんですよね。

この作品群がある第1室は、カメラ撮影禁止の部屋でもありました。


そしてその6年後、いわゆるピカソらしい絵画、キュビスムのスタート。

ピカソ1














その後、たまに伝統的な手法に戻る時期があったり、陶芸に凝ってみたり、オブジェをつくったり。幾何学的だった絵画のほうも、徐々に、丸く、優しさや愛らしさを帯びたものに変わっていきました。

pikaso2

















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茶目っ気たっぷり、なのに、すでに19歳の時に描ききっていた人間の深奥も、たしかに息づいているピカソの作品群。

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ピカソ、1973年、91歳没。

夏のパリ(2)。

今日のパリは晴れ。東京の五月晴れのような陽気です。
街中のいたる処にあるモニュメントが、青空と白い雲を背景にして、いっそう輝きはじめます。

8月5日 061


















8月5日 060


















橋の女の子

















夏のパリ。

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Parisに来て、今日で三日目。曇り空がつづいています。
太陽が出ていないときのParisは、東京の10月ぐらいの涼しさで、薄手の長袖を羽織ったぐらいでは足りません。寒がりのわたしは、長袖二枚にストールにタイツという着込み具合でちょうどいいぐらい。これが晴天の日ともなると南国並みの日差しの強さというから、やはり日本とは気候が全く違います。

今回は、エッフェル塔そばのワンルームアパートを借りました。
朝と夜のゴハンは自炊。自炊をすることで大きな発見があったのですが、Parisは物価が高い高いと思っていたら、生活必需品においては日本よりも安い!(気がする)。

たとえば、水。ミネラルウォーター1.5リットル6本で、1、8ユーロ。
トイレットペーパー6個で1、8ユーロ。
ティッシュペーパー18個で1、2ユーロ。
オーガニックトマトソース瓶詰め500グラムが2ユーロ。
紅茶50パック入りで1ユーロ。

…と、上に並べたのは、昨日わたしが購入した品々。1ユーロ200円で計算したって、まだまだ日本よりも安い。他にも、歯磨き粉とか、シャンプーとか、スーパーでざっと見た限り、「日本よりも安いぞ」と思われる品々ばかりが目につきました。

ちなみに、有名店のめちゃくちゃ美味しいフランスパン(バケット)は1、1ユーロ。
(日本の高級パン屋のバケットもだいぶ美味しくなったけど、やはりフランスのを食べると「これが本物なのだ」と痛感します。出来たてを食べてももちろんですが、なんと言っても驚きは、二日経っても風味が落ちないこと!!)

とまぁ、感じたこと、思ったことを書き始めたら、いつまでたっても書き終わりません。
ひとまず、この辺で。

ワイナリー巡り。

オーストラリアのワイナリー巡りで、すっかりワインにはまっているわたし。
ワインは、どんなに保管に注意を払っていても、輸送の段階でどうしても繊細な風味が飛んでしまうのだそうで、なるほどワイナリーで飲んだワインは、ワインに心得のない私の舌と鼻にも、確実に、そして力強く、その違いと魅力を訴えかけてきました。

夏は、赤ワインの王様と言われる、フランスはブルゴーニュ地方のワイナリーを巡ろうと計画中。
計画に先立って、お仕事もひとつ増やしました。
ワインの勉強には元手も必要です。

また今週末には、所属してから8年、出席回数は5回にも満たない、とあるワイン会にも出席することにしました。(最初の1、2回だけ出席して挫折。そもそも、5〜6杯出されるティスティング用ワインを飲みきれないんだもの)
ワイナリーについてもいろいろと教えてもらって、夏のブルゴーニュ行きに備えるつもり。

2008年春、アデレード滞在。

オーストラリアのアデレードという街に、少しの間滞在してきました。
今回の旅は一カ所滞在型。
キッチン付きのアパートメントを借りました。


アデレード市街地
















ヨーロッパ調の街並みは、かつて自由移民たちがユートピアを夢見て築いたのだとか。
整然と区画された端正な街並みは、街路樹の緑とコロニアル調の建物によって、穏やかで爽やかな雰囲気に包まれていました。
オーストラリアの中で、日本人がもっとも気に入る街なのだそうです。


そして、今回のアデレード滞在のメインイベントは、なんと言ってもワイナリー巡り。
街から車で40分ほどにのバロッサバレーは、世界的にも有名なワインの名産地。赤ではシラーズ、白ではリースニングが特に優れているそうで。

生まれて初めてのワイナリー巡りでしたが、あえてツアーは選ばず体当たりでワインセラーに飛び込みました。
「どこでワインが試飲できるの?」
「どうやったらワインを注いでもらえるの?」
??だらけでドギマギしながら体験する初チャレンジは、海外旅行ならではの醍醐味です。


ワインセラー看板

ワイン試飲場「












カウンター越しに、物欲しげな瞳をしてお姉さんをじっとみつめていたら、ちゃんとワインを注いでくれました。

その後は、ワインのうんちくを色々聞きながら(聞いているふりをしながら)、次々に注がれるワインを飲む幸せったら、もう。用意されている豪華な前菜をつまみながら、もう一杯、もう一杯と…。

何軒か回ったあと、ワイナリーに併設さているレストランでさらにワインを飲み、至福の時を過ごしたのでした。


ふだん、そんなにお酒が強くない私ですが、最後までホロ酔い気分で進み、一切あとに残らなかったのは、ワインが良質だったのに加え、初チャレンジに気合いが入っていたからでしょうか…。


眺め




















そしてまとめ。
ワイナリーで飲むお酒は、最高な味わい。これはもう、たまらない。
ワイナリーの試飲場にいる人たちは、客も店員も皆、ワインについてなら何時間でも語れるといった風。まるでワイン通たちの社交場。
そして惜しげもなくワインが注がれ、オードブルもいっぱい出る。あの代金は、ふだん私が購入するワインに、保管費や輸送費に加え、さらに上乗せされているんだ、…と現実的な視点もひとつ。

それにしても…、オーストラリアワイン/シラーズの濃厚でフレッシュな味わい、忘れられません。

逃げ水 (モロッコ旅行記16)

モロッコ旅行記のつづきです。

砂漠で幻想的な一夜を過ごし、その帰りの道中。
運転手さんが不思議な場所に立ち寄ってくれました。


砂漠の蜃気楼

道なき道の向うに、湖があるように見えません?

実はこれ、まったくのまぼろし。
「逃げ水」とよばれる、晴れた暑い日にアスファルトの道路などで遠くに水があるように見える現象なのだそうです。ちなみに、どうして逃げ水とよばれているのかと言うと、近づいてもその場所にたどり着けず、水が逃げていくように見えるから、ですって。

そういえば、砂漠が舞台の小説や映画なんかで、たまに出てくるかも。主人公が、もうのどが渇いて限界に近づいているときなんかに、この逃げ水を見ちゃうの。
精神状態が朦とうとしているから見ちゃいけないものまで見ちゃうのかと思っていましたが、そうではないんですね。だれが勘違いしてもおかしくない。だって、こんなにはっきり見えるんですもの。


砂漠のオアシス


こちらは正真正銘の水溜り。砂漠地帯の小さな街でのひとコマです。

オアシスとはちょっと違って、数日前に降った恵みの雨で、たまたま水溜りができたのだとか。洗濯をする女性、水遊びをする子供、道路のため自転車や車も通りますが、みんなが水をありがたく感受しています。


砂漠からの帰り


そしてふたたび荒れた大地。

唇と肌もこの大地同様、乾燥でボロボロになった悲惨な状態を抱えながら、砂漠の地をあとにしたのでした。

サハラ砂漠の夜 (モロッコ旅行記14)

サハラで過ごした夜はちょうど満月の晩で、月は太陽のように大きく、煌々と輝いていました。


サハラ満月


サハラの夜……、

あのトキメキって、どう書けば表現できるんだろう?

少なくとも、あんなふうにドキドキして、ワクワクして、ソワソワする瞬間って、大人になってからはほとんどないかも。たんに嬉しいだけとも違う。感動とも違う。期待感ともちょっと違う。なんかこう、それらを全部足してクルクルに混ぜた感じ。ふだんお腹の奥の方でじっとしている子供の「ワタシ」がトキメキにじっとしていられなくてウズウズとしていました。

小学生の頃、NHK教育テレビでやっていた人形劇『プリンプリン物語』の大ファンだったですが、その始まりのテーマ曲が流れている間って、きっとあんな心境で目を輝かせていたんじゃないかしら?
(……余談ですが、わたしは連続ドラマが終わった後も、主役のプリンプリンのことが忘れられなくて、親に頼んで、NHKに飾られているというプリンプリンに逢いに行きました。で、人形となった動かないプリンプリンを見て、余計に寂しい心持ちになったのを覚えています。)

それから、そうそう、小学校や中学校の修学旅行の夜なんかも、あんなふうなドキドキ感に満たされたものです。就寝時間のあと、先生の監視の目を盗みながら、友だちと蒲団の中で告白大会。息漏れする小さな声で「えーうそ〜!!O君のこと好きだったの〜!?」なんて。

とにかく、そんなふうにドキドキしながら、『千夜一夜物語』に登場するシンドバッドやら盗賊やらをリアルに思い描きつつ、……というよりも、まるで自分も今まさに、物語に登場しているような気分で、砂漠の夜は過ぎていったのでした。

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翌朝は、早起きをして日の出を観賞。
昇る朝日は、強烈なオレンジ色で、まるで夕焼けの空を見ているようでした。


朝日2

砂漠を歩く彼 (モロッコ旅行記15)

サハラ3

砂漠を歩く彼

このサハラツアーを存分に楽しめた理由に、彼の存在は欠かせません。
名前は……、ちょっと忘れてしまいました。だって、聞きなおしたときはもう教えてくれなかったから。

「一回教えたでしょ。忘れちゃうなんて、ひどいよ、もう」。

ごもっともです。


彼


なわけで、ここでは「彼」と呼ぶことにします。

彼は、砂漠の入り口からテントまで、らくだをひいてテクテクと裸足で1時間半歩きつづけてくれた人。そしてアラビア語と英語を話し、簡単な日常会話なら6ヶ国語も話すことが出来た人。夜には砂漠でタジン(モロッコ料理)をつくり、美味しいミントティーを注いでくれた人。食後は、月明かりの中、それはそれは感動的な太鼓の演奏をしてくれた人。年は20歳。

「ハザマカンペイがサハラマラソンをしたとき、僕がガイドしたんだよ。あと、ヤマダハナコも会ったよ」

得意げな彼。

でも私は、彼がハザマカンペイやヤマダハナコの話しをするよりも、もっと興味深いことがありました。

「どうして日本語をしゃべれるの?どうやって勉強したの?先生でもいるの?」

「先生?そんなのいないよ」

彼は笑いました。

「じゃぁ、なんで……?」

そこでハッと、あることを思い出しました。それは、サハラの中をらくだに乗って歩いていたときのこと。30分ぐらい歩いた時点で、先頭を歩く彼は、夫が乗っている前のらくだと、私が乗っている後ろのらくだの前後を入れ替えたのです。らくだの背の上でペラペラしゃべりつづける私と、無言のままの夫。きっと彼は、私を自分の真後ろにおいたほうが、日本語がよく聞こえると思ったのではないでしょうか。きっとそう?そうよね?

しかも彼は、こんなにおしゃべりで日本語もよくわかるのに、サハラのテントに到着するまで、日本語はおろか英語も一切口にしなかったのです。最初の挨拶のときでさえ、頭をちょっと下げたぐらい。私ったら、彼が外国語が分かるだなんて全く思わなかったから、それはそれはさまざまな事をしゃべりまくってしまいました。サハラの感想からはじまって、モロッコ旅行のあれこれ、自分のやりかけている仕事のこと……etc。なにせ一時間半もあるんだもの。
でも、きっとそれも彼の作戦。自分は言葉が通じないんだ、と思わせていたほうが、お客はよくしゃべるってどこかの段階で気がついたんじゃない?きっとそう?そうよね?

そうやって彼は、来る日も来る日も外国人をらくだに乗せ、おしゃべりな客の会話をしっかりと聞きながらサハラの中を歩きつづけ、言葉を覚えていったのでしょう……。

やるじゃん。

しかも彼は客である私たちに、ジョークを飛ばし、笑わせ、そして演奏する太鼓はホンキで胸をうちました。本物の、エンターティナーでした。

きっと、今日もサハラの上を歩いています。ハダシで。

次にサハラに行ったら、ぜひまた逢いたいです。
名前、忘れちゃったけど。。。


らくだ

ジャジャジャーンッと、サハラ砂漠 (モロッコ旅行記13)

ジャジャジャーンッ!と、サハラ砂漠です


サハラ影

サハラ2


ラクダの上から見たこの景色、この感動を、どう伝えたらいいでしょう。

写真だと、美しすぎて、ちょっとCGみたい?
でももちろん本物。
とにかくわたしは、この黄金の砂と、青く抜ける空のほか、何一つ無いこの景色を、この目でじかに見てきたのです。


サハラ


それは感動というのを通り越して、まるで自分が幻想のなかに入り込んだような、いえ、もっと直接的。幻想にこの手で直にふれているような、そんな不思議な感覚でした。


サハラに沈んでいく夕日は、ひどく赤く、激しく、そして素朴で、大きかったです。

四駆に乗って。(モロッコ旅行記12)

舗装道路が終わってからは、サハラツアーなる一泊二日のツアーを利用しました。

…にしても、さすが砂漠地帯を数え切れないほど往復している車。すごいボロボロ…、いえ、貫禄があります。

四駆


四駆に乗るとき、ドライバーさんから頭にアラブ式ターバンを巻かれ、そんな自分の姿をサイドミラーから何度ものぞいたり……。

四駆窓 ちいさい

四駆まど おおきい


そうして車に乗ること40分ぐらい。そろそろ本格的な砂漠の入り口です。
そこにはラクダと、ラクダつかいが待っていました。
ここからラクダに乗り換えて、砂漠の中にあるテントにむかいます。


らくだとらくだつかい

砂漠への道 (モロッコ旅行記11)

ワルザザードをあとにして、いよいよ砂漠に向かいます。

だだっ広い大地と、大きな大きな空!!!



エルフードへの道


この、エルフードまで真っ直ぐつづく道は、本当に気持ちよかった!!
3〜4時間近くつづくドライブが全く苦にならない、どころか、身体がどんどんリラックスしていきます。全身で深呼吸をしている感じ。



エル らくだ


と、道沿いでらくだ集団を発見。
車を止めて撮影していたら、どこからともなく少年がチップを受け取りに参上。
そうです。このらくだは旅行者向けの撮影用らくだだったのです。1DHコイン(15円)を手渡すと、少年は満足そうに去っていきました。

モロッコでは、こういう場所がたくさんあって、ビューポイントでカメラを構えると、子どもや青年がスッと現れて、手のひらを差し出します。まるでその景色が、自分所有の景色であるかのように。

で、カメラは構えてみたけど撮影をしなかった場合。

わたしが滞在中にあった数少ない経験では、田舎の方の子どもは控えめで、「撮影はしないから払えないよ…」と言うと、チップをもらえなくてもニコニコして去っていき、マラケッシュなどの都会にいた子どもは、チップを払わないと大声で怒鳴り散らしたり、そばにいる親に言いつけに行ったりしてました。


メルズーガ道なき道


さー、いよいよ道がなくなってきました。

ここからは四駆に乗り換えて、道なき道を進みます。


ワルザザードの夜(モロッコ旅行記10)

モロッコの砂漠地帯の街でありオアシスでもある、ワルザザードに来ているわたしと夫。
砂漠地帯に到着してからというもの、胸苦しくってハーハーしていたのですが、それでも強い好奇心に引っ張られ、街中にはいっていきました。(人に言わせると、好奇心にかられているときのわたしの眼力はハンパじゃないそうです。)

ワルザザードの街は、ちょっと寂れた田舎町って感じ。でもやはり、建物の色や形に統一感があるんで雰囲気があるんですよね。

ワルザ1


ワルザ2


…と、急に胸の苦しさがない。
早くもこの乾燥に慣れたのかしら?
それとも陽がかげり始めたから?

どちらにせよ、よかったよかった。
夜のご飯をもりもり食べれそうよ♪

そう、旅行中の食事は、毎食が真剣勝負。いえ、だれと勝負するというわけでもないんですが、その土地の食べ物を存分に堪能したくて、できるかぎりお腹をすかせ、店を厳選し、メニューの狙いを定め、そうして、じっくりいっぱい食べる。一回の失敗も許されない。そんな心構えで臨みます。

そこまで食いしんぼというわけでもないと思うんですけど、もう二度と味わえないかもしれない料理だと思うと、ついつい力が入ってしまいます。食べ物の写真がほとんどないのは、食事時は、食べることに精一杯だから(笑)。写真を撮ってるうちに冷めちゃうのもヤだし、だいいち写真のことなんか忘れちゃう、というのがホントのところ。


ワルザ3


ところで、上の写真をみてみて。この白く丸い模様って何かしら?
このときに撮った写真の、すべての画像に写っていました。

夫曰く、「あまりに空気が乾燥していて、空気中に飛んでる土ぼこりにフラッシュが当たったのでは?」とのこと。
「なるほど」。
でもホント?
だれか写真に詳しい人がいたら教えて欲しいです〜。

世界遺産アイト・ベン・ハドゥ(モロッコ旅行記9)

風邪もすっかり治り、仕事もひと段落。
ということで、ふたたびモロッコ旅行記のつづきです。

空


マラケッシュをあとにしたわたしたちは、アトラス山脈を越え、砂漠の入り口の街、ワルザザードにやってきました。

ワルザザードは、そもそも1920年代にサハラ砂漠の最前線基地として建設されたそうなのですが、今では、サハラ砂漠の旅に出る人たちの中継地点として、また映画の撮影場所として有名な場所。

アラビアのローレンス、ロミオとジュリエット、グラディエーター、ハムナプトラ、ナイルの宝石、知りすぎていた男、キングダム・オブ・ヘブン、アレキサンダー……etc。

きっと誰もが、一作品ぐらいは観たことがあるはず。近くには映画スタジオもあったのですが、入場料がいるとわかって入るのを断念。はるかモロッコにまで行ってケチ過ぎるとお思いでしょうか?でもよく考えてみて。こんな広大な大自然を前にして、わざわざ人工的なセットを見る価値なんてある?


アイト


そしてここ、アイト・ベン・ハドゥ。ベルベル人たちの住処で(現在も在住中)、ここも世界遺産のひとつです。もちろん見学は無料(笑。

近くから見るとこんな感じ↓

アイト2


日干しのレンガ造りの家、すごいわ!素敵だな!!……なんて、その時の私は、感動ばかりもしていられなくなっていました。というのも、初めて経験するあまりの空気の乾燥に、ちょっと呼吸がつらくなっていたから。脈拍も微妙に早くなっています。

「ああ、明日はサハラよ。今日のうちに、この砂漠地帯の環境にカラダを慣れさせておかなくっちゃっ。」……

アトラス越え(モロッコ旅行記8)

ということで、サハラ砂漠に向かってマラケッシュをあとにしたわたしたち。


アトラスくるま


砂漠に行くためには、モロッコを北と南に分ける山々、アトラス山脈を超えなくてはなりません。ダイナミックな地形、荒涼とした景色、美しくも険しい自然と、これまでに見たことのない眺めがつづきます。


アトラスくるま

アトラス岩山


ね?みて、アフリカって感じでしょ?
羊飼いや、岩塩売りのおじさん、それからそのへんで遊ぶ子ども達を見かけたりしたんだけど、あの人たちって、どんな生活を送っているのでしょ?ほんと興味深かったなー。

モロッコには、電気のとおっていない家もたっくさんあるって聞いたんだけど、このへんも家もそうかしら?、


アトラス家


関係ないけれど、わたしはこの旅の間ずっと、林真理子の『美女入門』シリーズを読みふけってました。夫には「美女に入門してどう?なにか変わった?」と横からチャチャを入れられながら。

でも、この本を読んでると、エルメスとか、ヴァレンチノとか、ジルサンダーとか、高級ブランドを着てみたくなっちゃうの。そういうのもバシッと着れないぐらいでは大人の美女になれない、みたいな。
日本の景気ぜっ不調の時期、数年間におよんで『anan』でこのエッセイを毎週発信しつづけていたというのは(いまも連載中)、女の子の消費活動に影響がなかったとは言えないよなー、としみじみ感じつつ。

最近、とみに物価があがってる。
一昨日恵比寿ではいったイタリアンの店は、カジュアルな雰囲気の店内なのに、1000円以下のメニューなんてない。アスパラ6本の炭火焼がなんと1890円だった。おどろき。


エッサウィラの大砲(モロッコ旅行記7)

エッさ大砲

エッさ大砲ビック


エッサウィラの北側には、大砲が配置された見張り台があります。200メートルの砲床にズラリ並んだ大砲の数々。要塞が築かれたのは16世紀はじめ。海軍基地として大砲が設置されたのは1764年というから、フランス革命よりも20年以上も前のこと。
(※写真、大砲の上に座る男性はたぶん地元の人。鉄の筒を、椅子代わりにして海を眺めるモロッコ人男性ちらほら)


エッサビラカフェ


歩いて10分たらずの広場に出れば、お洒落なオープンカフェの数々。欧米人の観光客でいっぱいです。

今ではご覧の通り、古い時代の戦況など微塵も感じさせない、ここ、のどかな街エッサウィラ。もっともっと味わいたい、もっとここに居たい、と言う思いを残しながら、そろそろ過酷な自然環境の地、そしてこのモロッコ旅行の最大のクライマックス、サハラ砂漠に向かう日も近づいています。

プロフィール
◆早田みず紀◆

エッセイスト/
フォーチュンカウンセラー


発売中の書籍
◆『コイノウタ』(駒草出版)
◆『幸運メッセージ』(王様文庫 王様文庫)
◆『運命を変えるちょっとしたコツ』(三笠書房 王様文庫)
◆『Be Happy!』(ソニーマガジンズ)
◆『占いを活用して自分らしく生きる70の方法』(マガジンハウス)
◆『数秘術の世界』(駒草出版)
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◆『貴方が出逢う異性』◆ 配信中。

どうして良い出逢いがないのだろう?この出逢いを運命の愛に成就させるには?この別れの意味は?…そんなお悩みにお答えします。占いと同時に、恋愛エッセイと啓発のメッセージ集も掲載。あなたもきっと満足できるはず。
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