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帰ってきました南回帰線
南回帰線を7年間クローズして、何をやっていたのか?
 オーナー由康はタンザニア産業省の1室に机を置いて仕事をしていました。周りはすべてタンザニア人。ここでアドバイザーとして産業開発計画を作ったり、外国企業のタンザニア進出を進めるにはどうしたらいいかをアドバイスするのが仕事でした。で、みなさん彼はどうやってタンザニア人の中でコミュニケートしてサバイブできたのかと心配されるでしょう。

タンザニアは公用語がスワヒリ語ですが、私も由康もほんの会話程度しかしゃべれません。だから英語となるわけですが、これだって自慢じゃないけどへたっぴです。発音は日本人英語そのものだし、私は聞き取りもだめです。でも彼らにとっても英語はネイティブじゃないので流暢じゃない。流暢じゃない者同士なのでなんとかコミュニケートできるんですね。

コミュニケーションについては「まず心ありき」かな、私の場合。

それでも由康は苦労しつつも英文で15ケ年の長期産業開発計画を書き上げて政府に提出したのですからGood Job!でした(大きな声じゃ言えないけど大統領にもホメられたんですよ)。でもその計画を具体的に実現できるようにしなければ絵に描いた餅です。計画書だけ机に積んであったって何の意味があるのでしょう。よし実行するまで手伝おう!となればあとはきりなく深みにはまりますねえ。

タンザニア経済の好況をみていくつかの日本企業が進出を画策してきました。日本人としてそういう企業、そういう人たちにどんどんアフリカに来ていただきたいとは願うところですが、これがまあやはり一筋縄ではいかない。
トラブルに次ぐトラブル。1歩前進2歩後退。それでも7%の経済成長が10年以上続き、おまけに大きな海底ガス田が見つかって将来性が見込めることは確実ですから先見の明ある企業は当然進出を考えます。このへんの由康の孤軍奮闘は、後半の「今だから話しちゃおう」コラムに今後も随時載せていく予定です。

MJには楽しく楽ちんな7年間でした。
ハウススタッフが掃除洗濯(お料理も)やってくれます。子供たちはすでに独立しているので夫婦2人だけです。その気になれば遊び暮らす?こともできたのですが、今回の赴任ではゴルフ・麻雀はしないと自分なりに規制して犬の散歩とヨガを暮しの中心に置きまし。また当初の「南回帰線ダルエスサラーム支店(週に1度の1組限定レストランUpepo)計画」は中途挫折しましたが、それに代わっての日本人・外国人に向けのお料理教室を始めました。これは自分でも勉強になり、南回帰線に戻ろうとする背中を押してくれることになりました。ほんの3か月でしたが青山にあるエミーズ料理学校に参加できたのも新鮮な経験でした。

スタッフの助けを借りながら、100回を超えるおもてなしパーティーをこなしたことが、再び南回帰線を始める原動力になったと思います。

傷心を抱えて帰国 寒い2月3月

2週間前からアレルギーで呼吸が荒くなっていた大事なうちのラブラドールのももちゃんが呼吸困難で息をひきとってしまいました。帰国前日のことでした。
この年ですから人が亡くなる時も何度も体験しましたが、自分の腕の中で愛する命が消えてゆくのは悲しい。「お願い!もも 戻ってきて!」と何度叫んだことか。
苦しかっただろうね。辛かったね。

帰国を1日遅らせて、母親のミナミが眠るお墓の隣に埋めてあげました。いっしょにお散歩行ったり、一緒にドライブしたり、一緒に海で遊んだね。私たちのアフリカ生活は常にももといっしょでした。私たちは明日日本に帰らなくてはならないけど、ミナミとももはこのアフリカの地で一緒に安らかに眠りについてね。ありがとうさようなら。 モモのことを思うと涙が出る。そんな傷心を抱えた身に2月の日本は寒かった・・・

  草刈り、お掃除要員としてタンザニア人のジョンさんが一緒に来日。モモとの思い出を共有しあうことができるのが嬉しい。ジョンさんのにっぽん体験談もいろいろあるけど、日本食も温泉も大好きになり、「ムズーリサナ(ベリーグッド)」を連発するジョンさんですが、最初に覚えた日本語は「さむいさむい」でした。
毎日、晴れれば草むしり、雨が降ったら汚れ落とし。ジョンさんはいつも黙々と働く。おかげで東山斜面に通路が開通しました。名付けてジョンさんロード。しかし帰国後3か月でジョンさんロードは再び草ぼうぼうになってしまいました。ジョンさんには見せられませんこの惨状。

南回帰線ing ただいま進行形

さて、とても大雑把ではありますが過去をふりかえってみました。この作業をしなくては前に進めなかったのです。過去はみな甘く美しく切なくて(ん?何の話じゃ?昔の恋バナ?)時に戻っていきたくなる。でもわかってるんです。人は常に新しいステージを切り開かなければならないことを。そして私たちはこの「南回帰線」の暮らしを選びました。

さあ、ここからは現在進行形となっています。過去は美しい。しかし現在というものは日々何かと闘っているものです。

その1 再出発前の闘い(ドタバタとも言う)

当初我々には目論見がありました。それはずっと続いていた「南回帰線」の名前(昔風なら看板でしょうか)がいい感じで続いていたのでそのプラスの遺産を引き継げると踏んでいたことです。私たちの留守を守ってくれた吉田夫妻も基本的な姿勢は同じでしたから「南回帰線」に来て下さった方はみな温かい想いを抱いて帰路についてくださったようで旅行予約サイトの評価もとてもよかったのです。ところが、その五つ星評価を引き継げないと予約サイトは言う。1年以上のブランクがあったので評価は0に戻るのだそうです。そんなあー! でしょう? つまり、伊豆高原で検索しても180軒もあるお宿の中で検索順位は一番下からのスタートだというのです。そんなあー?でしょう。
その2 電話が通じない、ネットが使えない。

それはアフリカでいーっぱい経験してきたことであって、文明国日本でなぜそうなっちゃうのよ!万全のWifi環境を作るべく光通信を計画したのが裏目に。コンクリート確かに山の斜面に建つ南回帰線はケータイの機種によっては電波の状況が悪いことは知っていました。けれど何度もNTTに来てもらったところ、わかったことは鉄筋コンクリートの堅牢な壁と館内を区切る防火用の鉄扉は電波を通さないということ。たったそれだけの事を確かめるために何人のフンディ(職人)と時間とお金を使ったことか!まるでアフリカみたい!今でも101号室(客室ではありませんからご心配なく)でネットをするには「Open sesame 開けゴマ」(鉄扉を開けること)が必要なのです。
その3 ネット予約は嫌い。

今の世の中、好むと好まざるにかかわらず、ネットなくしては始まらない。10年前に南回帰線を始めた時は、旅行雑誌「じゃらん」が幅を利かせてそれを見た人が電話で予約してくるというシステムでした。だから片時も電話とメモ帳を離しません。今は旅行サイトから自動的にFaxされてくる仕組み。でもそのサイト運営がなかなか大変で、こまめなプランニングやCMを出さなければ後発は(なんたってゼロ発進ですから・・・)ネットの海に溺れてしまう。

ネット予約は便利だけれど、私は直接電話でお客様の声を聴きながら応対するのが好き! 直接お話することで、お客様の年齢も暮らしぶりも、その方の今までの人生までもが垣間見えることもあり、気分はすでにお友達。いらっしゃった当日には心から「わあ、よくおいでくださいました、○○さん!」という気持ちになりますもの。

試練の2,3月乗り越えて、85歳のはまさんが名古屋から合流、家の中が急にきれいになりました。7年分みんな年を取りましたが、はまさんは健在ですよ!
タンザニアの荷物を運びいれ終わり、ジョンさんはにこにことタンザニアへ戻りました。
今頃みんなに日本のお土産話をしているかな?「さむい でも おんせん ムズーリサナ!」
サイト「仕事百貨」で人生を変えよう!   濱崎祐介くん 登場!!

そんなわけで、ニュー南回帰線の一番の要は頼りになる助っ人スタッフでした。ジョンさんのような外国人ではないネットからホールサービスからこれからの南回帰線の経営戦略までこなせる、オーナーの片腕・マネージャー業務ができる若者を求めていました。そんな時紹介されたのが求人サイト「自分を生かす仕事を探す・仕事百貨」です。 普通の求人誌と違って、わざわざ記者さんが1日ここにいらして取材してくれました。
だからただ単に時給がいくら、労働時間がどうの というインフォーメーションだけでない 私たちの人となりや生き方を好意的に描いた記事を書いてくださいました。そのかいあってすぐに11人の応募があったのです。このサイトからの応募者はどなたも新しい自分の人生を模索し、自分を生かす仕事として南回帰線をとらえてくれる人ばかりでした。

そんな中でなぜ彼だったのかといえば、なんのことはない、わざわざ訪ねてくれたのが運のつき? オーナー由康の「面接はともかくさー、明日満室で忙しいんだけどちょっと手伝ってくれないかなあ。」の一言であとは断る理由もないし、一緒にいてじゃまにならない(ひどいね)すぐにうちに溶け込む雰囲気だったから。  単なるバイトではない常駐スタッフとしての就職は彼にとっても、人生の大きな転換点であろうと思います。でも都会を離れ、地方で小さな起業の手伝い(共同経営者として)という選択をした彼も心に期するものがあったのでしょう。3年越しのおつきあいをしていた彼女とも正式に婚約し、ここ伊東に腰を落ち着ける覚悟もできたようです。。

若いスタッフを迎えるというのは将来性があっていいですね。 しっかし、問題は彼のお給料を出すだけお客様に来ていただかなくてはならない! ということ。6月のようにキドーゴキドーゴ(ぽつぽつ)の集客ではどうしましょ。浜崎君にも言ってあります「あなたの将来は南回帰線の収入次第なんだから、真剣に集客活動しなくっちゃね!」。

今だから言っちゃう 大統領との秘密会談!!

産業省に着任して1ケ月が経った日の午後、次官から「ミズノ、大統領からお呼びだ」との連絡。この日は定時にオフィスを切り上げて何を話そうか作戦を練る。わが家の山の神(シェフとも言う)に伺いを立てると、「あなたの話は固いから、明日はちょっと柔らか話から入ってみたら」、「柔らか話って何???」と僕、「あれはどうかな・・・」と山の神。

翌朝大臣の車に同乗して大統領府に行くと控えの間には先に日本大使がおいでになっておられ、そして通されたState Roomではコの字型に並ぶ椅子の向こうに3人の大統領顧問と見たことのない偉そうな人たち、こっち側には大臣、副大臣、次官に局長と産業省幹部が並ぶ。そしてその手前にはテレビカメラの列と記者団が・・。やがてカウンダスーツを着た大統領が登場、カメラフラッシュの中で握手を交わす。難しい外交交渉ではないので気楽なものだが、それでもなかなか緊張しますなぁ。

このあと報道陣は締め出されて会談の始まり。「よくいらっしゃいました、10年ぶりのタンザニアはいかがですか・・」とお定まりの会話のあと、やってみました遠隔操作の柔らか話、「大統領は先回来日された折にインタビューしたNHKの若い女性記者を覚えておられますか、ここに来る前に会う機会があったのですが、これまでに取材した首脳の中で一番キュートで素敵だったと言ってましたよ」、意外な切り口にちょっと照れた風で「それは秘密にしといてくれ、家内の耳に入って次に日本に行くのが難しくなったら困るから・・」と。こんな柔らか話で始まった後はぐっとリラックスして、港や経済特区の新設、肥料プラントに鉄道リハビリと思うところをお話させていただきました。

わが家ではこんな風に重要なイベントの前には先ず山の神に伺いをたてるのがならわしです。

厨房からこんにちは!

 5,6月のメニュー 

5月1日リニューアルオープンした「南回帰線」のメニューは毎日少しづつ違いはありますが、以下のようなものでした。本当のことを言えば もっとアフリカ色を出したかった。テーマは「ジャンボ! ここはアフリカ」のつもりでした。

しかし材料の調達が難しいこと、私に技術がないこと、そもそもあまり見栄え口映えのするものではないこと(タンザニアの人から怒られるね) などの理由で、ミーティングで振り落されることが多かったのです。結局7年前の定番だった、ソフトシェルや金目鯛の登場と相成りました。シェフとしてはあれもこれもチャレンジしたい気持ちはやまやまなれど、由康・浜ちゃんのお目付けコンビから「メニュー多過ぎだよ」とか「これじゃお客さん食べきれない」などのチェックが入り、「へいへい、わかりやした。

ただ慣れるに従い、メニューは毎月全とっかえもありかな?とシェフMJは虎視眈々と新規メニュー考案中であります。6月には梅雨・紫陽花・鮎解禁 をキーワードにヴィンテージの梅酒ゼリーや鮎のミルフィーユ、紫陽花の和菓子などチャレンジしています。

<6月のメニューの一例>
1. はまこさんの薬膳梅酒 (10年以上の古酒です、はまこさんに感謝)
2. 三点ピンチョス
3. 谷中生姜の豚肉巻き
4. ジャンボ椎茸のファルス グラタンスープ仕立て
5. 白身魚の昆布絞めカルパッチョ
6. 米なすの白みそグラタン
7. 自家製あつあつ豆腐 ゆず塩を添えて
8. ソフトシェルクラブと小さな野菜のバーニャカウダ
9. 駿河湾の釜揚げ桜えびのごはん 自家製ラー油を添えて
10. 伊豆の岩海苔の赤だし味噌汁
11. パッションフルーツのムース (沖縄直送パッションを使用)
12. キリマンジャロ・コーヒー

これからお客様が増えてくる7,8月は定番を中心に、「海辺の夏休み」をテーマにブルー系の涼しげなメニューを勘案中です。

後記 お忙しいにも拘らず、私の独り言をここまで読んでくださったあなたに 多大な感謝を! 開業間もない南回帰線は夏の広告も間に合わずこの8月のピーク時もまだ空きがあります。8月予約に出遅れたあなた、否、日程の詰まったあなたも「南回帰線」のページを覗いてみてください。

南回帰線シェフMJ