2011年10月から札幌赴任となり、北国生活を楽しんでおります。
北海道各地に出張することが多いので、各地のレポートを中心に、日々の生活の中で感じたこと、面白いと思ったこと、好きなことなど広く浅く雑多に書いてみたいと思っています。
好きなもの:海、ちょっと古いクルマ・自転車・オーディオ・カメラ、音楽(JAZZ,クラシック、ビートルズ中心)、酒(なんでも)、古い建造物、インテリア、おいしいもの、いい景色、映画(ホラー以外)、職人が作ったもの、1957年製の小物
苦手なもの:納豆、タバコの煙、カラオケ、料理作り、リアルな人形

マイ・ボディガード

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「マイ・ボディガード」は2004年公開のアメリカ・イギリス合作映画です。

BSで放映していたのですが、監督が「トップガン(1986)」や「クリムゾン・タイド(1995)」を監督したトニー・スコットで、デンゼル・ワシントンが主役というからにはきっと面白いだろうと…。

原題は「MAN ON FIRE」。

「炎の(ように怒った)男」ということですかね。

映画を観た後ではやはり原題の方が合っていると思います。


一応、ボディガードの映画ではあります。

全編メキシコが舞台となります。


退役軍人のデンゼル・ワシントンはメキシコで頻繁に起きている富裕層の子どもを狙った誘拐事件に備えてある金持ちの娘のボディガードを引き受けます。

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ところがPTSDが原因かアルコールが欠かせず、自殺も考えるほど心は病んでいる状態で、その娘とも最初はうまく行きません。

「僕は君と友達になるためにボディガードを引き受けたのじゃない」と。


でも、日がたつにつれ、徐々に心を通わせていきます。

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彼の心の扉を開いてしまう純な可愛さがその子にあったのです。

この子役のダコタ・ファニングがほんとうにキュートで上手だったですねえ!

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3年前に7歳で出演した「アイ・アム・サム」で新人賞を総なめにした子です。


「アイ・アム・サム」もまた観たくなりましたねえ!

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(ビートルズの曲がたくさん流れて最高の映画でした!)


で、やはり誘拐犯の襲撃を受けてしまいます。

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(ビートルは最後はメキシコで作られていましたからよく出ていました)


見事に彼女を守り抜くかと思ったら、何人かは殺害しますが結局は撃たれてしまい、女の子は誘拐されてしまいます。

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何発も撃たれましたが、なんとか一命はとりとめます。


しかし、病院で意識を取り戻したときに身代金の取引に失敗し、女の子が殺害されたことを知ります。


怒りに燃えた彼はまだ傷が治らないうちに「炎の鬼」となって誘拐犯の一味を探し出して一人ずつ殺していきます。

まるで、一人必殺仕置き人です。

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この人、お尻に時限爆弾を刺されています。


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どこから手に入れたのか、ロケットランチャーまで使って派手に制裁を加えていきます。

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軍隊ではテロ対策の部隊にいたようですから銃器の扱いには慣れていたのでしょうが…。

武器の入手先は不明でした。


犯人をすべてやっつけて終わるような単純なストーリーではなく、犯人を割り出していくと意外な犯人も浮かび上がってくる…という展開になります。


ラストどうなるかは書かないでおきますが、あれでよかったの?…とも思います。


色々なストーリーが考えられるラストシーンでした。



映像にもかなり凝った作品になっていて、全体的にコントラストがとても強い映像でメキシコの雑然とした市街を映し出し、あれ何というのか正式には知りませんが、フラッシュバックのような細切れの映像やわざとちらつかせたり揺らしたりするカットがよく使われていました。

あれは好き嫌いが分かれるところだと思います。


まあ、面白い作品でした!


トニー・スコット監督は最近作品を出していないなあ…と思ったら2012年に亡くなっていたのですね…。


残念です。





旧いクルマに自動車税を重課するのってどうよ!

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5月は自動車税(2019年10月から自動車税種別割というようですが…)の納付時期ですね。

私も先日納付はしたのですが、税額が上がっていました。

多くの方は若干下がっていたとお気づきだったでしょうが、私の場合は逆だったのです。

いったいどうして?


初回登録から13年以上経過したクルマには15%の上乗せをするというのです。(しかも値下げ前の税に対して)

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実際の金額はこういうことになります。

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ジャガ丸の場合、45000円から51700円になり、6700円の増税になったわけです。

ジャガ丸の初回登録は2007年3月なので、あと1ケ月登録があとだったら重課は来年からだったのですが…。


これ、どうなんでしょうね?

重課税ということはペナルティのようなものですよね?


旧いクルマは排ガス規制が緩いので環境によくない?

でも、同年式のプリウスだと重課対象外なのですよね。

エコカーというジャンルに入っているだけで同じ排ガス規制のクルマでも差があるわけです。


ということで、エコカーに買い替えろという自動車産業隆盛のための方針を後押しする税制なわけです。

実際、昨年10月の消費税アップの時以降に購入したエコカーの自動車税は大幅な減税対象になっています。

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仮にジャガ丸が昨年10月以降に登録されたエコカーだったら同じ排気量でも11000円で済むのです。

その差、40700円です。

まあ、この軽減は1回きりですけどね。

40700円のためにクルマを買い替えるなんてナンセンスではあります。



ただ、旧いクルマに重課が起きるのは自動車税だけじゃなく、車検の時にかかる重量税もなのです。

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ジャガ丸は1620kgなので45600円で、12800円も増えることになります。


自動車税と合わせて2年間で26200円の税負担アップということになります。

5年後からはさらに…。

悔しいなあ…。

だからといって、これを理由には買い替えないぞ!!(笑)



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ヨーロッパの自動車先進国では旧いクルマは逆に減税対象になるのですよね…。(ジャガ丸はそんな対象にはなりませんが、逆に増税の対象にもなりません)

そこに文化の違いを感じます。


ドイツは燃費で税率が違うようですが、製造から30年以上のクルマは年間約200ユーロ(約24000円)で、車検費用も優遇処置があるようです。


フランスは自動車税は廃止して、Co2税の対象となります。
また新車に比べて旧い車は登録にかかる費用が安くなり、10年経ったクルマは新車の半分くらいになるようです。
2年に1度の車検はありますが、せいぜい50ユーロ(約6000円)程度ですみ、25年以上前のクルマは台数が多いほど割安になるようです。


イギリスにも自動車税はありますが、1973年以前に作られたクルマには自動車税はかかりません。


イタリアも自動車税はありますが、20年以上たったクルマは減税され、30年以上は免除となります。


オランダも25年以上のクルマは免税となります。


スウェーデンも25年以上のクルマは免税。


要は欧州は旧い車を「文化遺産」ととらえているということですよね!


日本では旧いクルマは税制的にはペナルティの対象、もしくはエコカーの新車を買わせるための減税による減収を埋め合わせる対象ということになります。


国がそういう姿勢ですからね…。

だから、クルマ文化が育たないのですよね…。




「海峡」

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「海峡」は1982年公開の東宝映画です。

BSで放映していたのを観ました。

青函トンネル工事に命を懸けて挑んだ男たちの物語でした。

映画の内容以前に青函トンネルの工事がどんなに困難で難工事だったのかを改めて知り、襟を正す思いになりました。


地元の人に「トンネルさん」と呼ばれるほどトンネルのことしか頭にない技術者を高倉健が演じていました。

トンネル掘りの職人の親父は森繁久彌が。

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この時、健さんは51歳。

役の中で30代から50代まで演じています。

森繁久彌はこの時69歳。



青函トンネルの構想自体は1923年(大正12年)あたりからすでにあり、戦前も戦後すぐの頃も調査はおこなわれていたようです。

本格的に調査が始まったのは洞爺丸事故が起きた翌年の1955年(昭和30年)です。

映画はこのあたりから始まります。


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日本で最初の海底トンネルは関門トンネルで1936年(昭和11年)建設開始、1942年(昭和17年)下り線、1944年(昭和19年)に上り線が開通しています。

関門トンネルは上り線と下り線が単独で別々に掘られています。

小倉で育った私は関門トンネルは割と身近な存在で鉄道だけでなく、1958年(昭和31年)に開通した国道用のトンネルをクルマではよく通り、歩道を歩いて渡ったこともあります。


津軽海峡は関門海峡よりもずっと長く、最短距離で17.5kmあります。(関門海峡は700m)


距離からいっても深さからいってもまったく規模が違うわけです。


トンネルを掘ると言ったら、両側からガーっと掘って開通してバンザイ!…と考えがちですが、海底トンネルを掘るためには、斜坑、先進導坑、作業抗、そして本坑といくつものトンネルを掘る必要があります。

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立体的に見ると、こんなことになっているようです。

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こんなにたくさんのトンネルを先が見えない状態で掘るのですから大変です。

素人には掘っている場所がどのあたりなのか、どうしてわかるのかさえ不明です。


海の下を掘るわけですから、水との戦いがどんなに大変だったかは想像くらいはできますが…。

34名の工事関係者の犠牲が出ています。


映画ではトンネル内のシーンが多いのですが、これが実によくできていましたね!

実際のトンネルを使ったりセットもあるのでしょうが、出水のシーンなど大迫力で、東宝の50周年記念映画ということで気合が入っているのがわかります。

今ならCGで作るのでしょうが…。

漏れ出てくる水の量は半端なく、昔の日本映画によくあるちゃちさはまったくありませんでした。

映画館の大画面で観たらさらに迫力があったのでしょう。


ほんとうにどれだけ難工事だったのか…。


男くさい、苦労の話しだけで映画的に単調になってしまうからなのか、吉永小百合が一輪の花のように出演しています。

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当時37歳。

映画の中では二人とも25年の歳月を演じています。

ストーリー的には吉永小百合の存在はほとんど意味のないものでしたが…。


健さんは仕事のことしか頭になく、結婚して子供もいるし病気の父親もいるのですがまったくそちらはほったらかしにしていますから、この映画を外国人が観たら「とんでもないダメ男」に映るのでしょうか…。

吉永小百合は健さんに思いを寄せながらも一言も想いを伝えず見せもせず…で、独身を通します。

これも日本女性ならではですかねえ…。

でも、ヘタにストーリーに恋愛を絡ませないでくれてよかったです。



森繁久彌が演じたトンネル職人は九州出身の設定で最初はバリバリ九州弁をしゃべっていましたが、後半はなぜか関東の下町言葉のようなべらんめえ調になっていました。(笑)

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映画の中盤、彼が歌っていた「流浪の旅」は渋かったですねえ…。



さすがのコブシでした。


そういえば、この映画、南こうせつが音楽を担当していましたが特に印象はなかったです。

逆に、合っていたのだと思いますが。


また血気盛んな若者役で三浦友和が出ていました。

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10代の頃も演じていますが、この時30歳でした。


他にも大谷直子、笠智衆、大滝秀治、小林捻侍など、懐かしい顔ぶれが出演していました。


そして、観終わって調べてからわかって驚いたのが…

映画の中で先進導坑の開通シーンがハイライトになっていて私も感動したのですが、この映画ができた1982年時点で実際の青函トンネルは実はまだ開通していなく、先進導坑の開通が映画公開の翌年の1983年、本坑の開通はさらに2年後の1985年なのです。

驚いたことに映画の方が先に開通しているのです!


映画の中で、「このトンネルを新幹線が通るのだ」と誰かが言うシーンがありますが、実際に北海道新幹線が開業したのはついこの間の2016年になります。


この映画で描かれた本格的な調査を始めた1955年から実に61年後のことになります。


工事に携わった方々はさぞ、感慨深かったのでしょうね。


この映画を観て、竜飛岬にあるという「青函トンネル記念館」にぜひ行ってみたいと思いました。

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「体験坑道」ということで、実際の坑道を見学できるようです。

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ここで工事関係者の苦労を少しでも実感できたら…と思います。



そんな気持ちにさせた映画でした。


青函トンネルは北海道新幹線で一度だけ通りました。

その時の記事はコチラ

グランクラスのワインを飲みながらいい気持ちで通ってしまったことにちょっと罪悪感も…。


ちょっとだけね…。




世界最速のベンツのトランスポーター

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これは1954年製(1955という記述もありますが…)のメルセデスのレースカー用トランスポーターの写真です。

載っているのは当時の花形マシン、300SLR。

前輪の位置が面白いのでちょっと調べてみたらこれは当時「世界最速のトランスポーター」としてかなり有名な車両だったのですね!


車体が青いので「BLUE WONDER」と呼ばれていたこのトランスポーターはメルセデスの工場からヨーロッパ各地のレース場へレーシングカーを運搬するために使われていました。

急な修理が必要になったり、換えの車両が必要になった時にも威力を発揮したようです。

エンジンは当時の最新スポーツカー、300SLと同じもの(直噴3.0リットル直列6気筒(215ps/5800rpm、28kgm/4600rpm))が使われていて、流線型のボディ形状もあいまって、後ろにレースカーを積んだ状態で170km/h出せたそうです。

いち早くレースカーを届けることはドライバーやメカニックにとって他のチームに対する大変なアドバンテージになっていたようです。

そして、観客にはレースカーとともに大人気だったそうです。



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F1マシンのW196Rを積載しています。

後述しますが、このオープンホイールのW196Rは1955年の後期型になります。

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一緒に写っているのはW196、300SL、300SLRの設計者のルドルフ・ウーレンハウトです。




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1955年、ホッケンハイムリンク。



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世界チャンピオンのファンマヌエルファンジオとW196R。


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モナコサーキットでのショット。



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300SLR (W196S)を載せています。

300SLRはW196Rをベースに2座化したレーシングカーです。




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レースカーなのにチェックのファブリックシート!


この300SLR、エアブレーキという変わったブレーキを持っていました。

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当時、ライバルだったジャガーはDタイプにディスクブレーキを装備していたのですが、この300SLRはドラムブレーキ。

300km/h近く出ていた最高スピードをドラムブレーキだけで制御するには無理があり、コクピットのすぐ後ろのパネルを跳ね上げて空気抵抗で制動したいたようです。

今の旅客機では普通に使われていますが、クルマでこんなのいきなりパカっと上げたら前輪が浮いてコントロール不能になりそうに感じますがそんなことはなかったのですかね?

制動時は荷重が前にいくので大丈夫だったのですかね? 大丈夫だったのでしょう。(笑)


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1955年のスウェーデンでのショット。

後ろにある2台のトラックもメルセデスのトランスポーターです。



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1955年8月1日、クリスティアンスタッドグランプリ(スウェーデン)でのショット。


300SLRは1955年6月のルマンで83名が死亡(180名が負傷)するという大事故を起こします。

直接の原因は300SLRではないのですが…。

事故の後もレースは続けられ、その時点で300SLRはトップと2位を走っていたのですが、メルセデスはそのレース途中から撤退し、その後も1955年12月以降のすべてのレース活動からの撤退をしています。

結果、このブルーワンダー号もその役目を終えることになりました。






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この写真は190SLを載せています。

現役引退後は市販モデルの試作モデルの運搬に使われたりしていたということなので、その時のショットなのかもしれません。


その後アメリカに渡り、各地でのイベントなどに使われていたようですが、1967年に解体されています。




そして、30年後の1997年にダイムラー社によりブルーワンダーは復刻されています。

これから下の写真はそのレプリカモデルの写真になります。

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全長6750mm、全幅2000mm

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積載されているのは前期型のW196Rです。

サイドから出ているエキパイからはもの凄い音が出るのでしょうね!

W196Rは1954年にデビューした時はこのようなタイヤをフェンダーで覆ったタイプで作られましたが、整備性の悪さから1955年にオープンホイールに変更されています。

後ろ姿は独特ですね!

単座の車両ということがわかります。

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ブルーワンダーのこのテールレンズは何を流用しているのでしょうね?


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この時代にサイドマーカーレンズというのは斬新ですね!

ウインカー自体がようやく普及し始めた時代です。


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最高速度105m.p.h(170km/h)と誇らしげにリアフェンダーに書かれています。


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スペアタイヤが荷台中央下のスペースに置かれています。

上に載っているのはランウェイ用の支柱でしょう。

この二つは一体になっているようです。




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エンジンは300SL用の直6、3リッターエンジンを搭載しています。

ドアパネルや運転席内部は180(W180ではありません)のものが流用されているそうです。

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チェックのファブリックシートがかわいいですね!

こちらが1954年型180.

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ブルーワンダーは三角窓が廃止され、サイドウインドーはスライド式になっているようです。


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ヘッドライトやウインカーも180のものが使われている感じですね。

このブルーワンダーのレプリカは現在はシュトゥットガルトのメルセデスミュージアムで展示保管されているようです。

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一度現物を見てみたいものですねえ!



人気の高いトランスポーターなので、ミニカーも製作されていて、CMC社の1/18や1/43があるようです。

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車両を載せたり降ろしたりするときのランウェイも精密に再現されています。

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ホイールキャップごと外して使うようですね。

ホイールキャップ自体が固定具になているというのは素晴らしいアイデアです!



300SLRかW196Rを載せるのがお約束のようです。

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運転席もとても精密に再現されています。

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チェックのシートまで…。

見事です!


で、最初に書いたどうして前輪があんなに後ろの方にあるのだろう…という疑問ですが、ミニカーのこの写真を見てわかりました。

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300SLを流用したのはエンジンだけでなく、プラットフォームもそのまま流用しているからなのです。

それでも前輪を前に出してホイールベースは少し伸ばしていると思いますが…。

要は、300SLのシャシーにトラックのボディを載せたというわけです。

ステアリングギアは複雑なリンクになっていたのでしょうね。




このモデル、絶版になっているのですが、今ヤフオクで新品が出品されているのですよね…。

しかも300SLRとセットで。

合わせて10万円は今の相場では決して高くないのですが、とても手が出ません…。


きっと、やまみさんはお持ちなんでしょうね!





ライカで撮ってみた納沙布岬

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4月に納沙布岬に立ち寄った時に偶然ラッコを目にしたのですが、灯台の手前に3隻の廃船があり、ライカに入っていた残りのフィルムを使って撮ってみました。(その時ラッコの記事はコチラ


練習、練習と思って同じ題材でいろいろ撮ってみたわけで、似たような写真ばかりで申し訳ありません…。

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今回、現像をお願いした写真スタジオ。

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「札幌菊水写真現像所」という名前ですが、前は「マッキナフォト」という名前だったようです。


お店の前には自転車用のスタンドがあり、アラヤのマウンテンバイクがかけてありましたので、店主は自転車も好きなのかな?

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自宅からクルマで10分もかからないところにあり、まさに灯台下暗しでした。




こちらは灯台元暮らし…?

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