小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【11】51-55  ~土屋文明、結城哀草果ほか「えんぴつで万葉集」をやってみた【4】19-24日目  ~我立ち待たむはや帰りませ、ほか

2014年09月22日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【12】56-60  ~小泉苳三、渡辺順三ほか

56人目、小泉苳三(こいずみ とうぞう)
「水甕」を経て「ポトナム」創刊とある。「現実的新叙情主義短歌」を提唱したとあるが、その言葉だけではよくわかんないなあ。歌を読んでみましょう。


かへりみて寂(さび)しきことの多かりき心つつましく寂しさに耐(た)ふ/小泉苳三「くさふじ」
→過去も寂しくて、現在も寂しさに耐えている。「つつましく」に矜持とでも言いましょうか、そういったものがあるように思います。


海の上に夕(ゆふべ)の雨の寂(さび)しく降(ふ)り石炭はこぶ船一(ひと)つをり/小泉苳三『くさふじ』


地の上に横たはる敵の屍(しかばね)に犬寄り来たり顔より食ひ初(そ)む/小泉苳三『山西前線』

→顔が特に露出しているからかなあ。どこから食い始めたとか、必ずしも重要でないことをクローズアップすることで立ち上がってくる現実感がある。


人生を苦しみの場と思ひ定めかつて一度も疑はざりき/小泉苳三『くさふじ以後』
→苦しく生きてきたんだろうが、それを過去形で言えるようになった。



57人目、橋本徳壽(はしもと とくじゅ)
古泉千樫に支持し「青垣」を創刊。


子供たちひそとしづまりたる見ればコンパスにて円をかきはじめたり/橋本徳壽『海峡』
→コンパスを使うときは子供は黙る、というのはひとつの小さな発見だ。集中を求められるからかな。
さわがしい遊びがいくつかの円に変化する。


芒穂のひかりみだるる廃道ありしづかなるかなやこの山中に/橋本徳壽『岑』


流刑といふ語の感じさながらにひとり歩み来(く)雪の荒磯(ありそ)を/橋本徳壽『岑』

→「語の感じ」だから、流刑そのものとは違うんだよね。下の句の光景がその感じに対応している。



58人目、渡辺順三
篠弘の短歌史の本で見た。といっても、戦中戦後の歌壇のどさくさの中にいた人だという程度の認識だけど。
三行書きや四行書きで作っている。


囚われてこの檻房の高窓に、
秋空あふぐ、
雲迅(はや)き夜の。
/渡辺順三『新らしき日』

→「秋空あふぐ」とくると、澄みわたった青い空を想像するが、夜だとわかる。こういう、あるかないかのささやかな裏切りというか意表をつくやりかたは評価したい。
雲が速く流れる夜ってあるなあ。雲が速いことと、囚われて不自由であることの対比があるか。


たのしげに
人らあゆめる街上を、
囚人自動車にのりてわれゆく。
/渡辺順三『新らしき日』

→同じ場所を移動しているだけに、孤独は強まる。



59人目、岡山厳(おかやま いわお)
「歌と観照」を創刊したという。批評家としても活躍したという。

地球引力の大き不思議は天ひたす水をしづめて斯(か)く円(まど)かなり/岡山厳『帝都の情熱』


ひそかなる物音きこゆ遠き部屋にわがかなしみをはばかる如く/岡山厳『體質』

→ひそかな音を、自分のかなしみを邪魔するものとしてとらえた。精神状態によって物音の意味は変化する。



60人目、土田耕平
アララギの人で、とても自然詠が多い。

山は暮れて海のおもてに暫(しば)らくのうす明かりあり遠き蜩(ひぐらし)/土田耕平『青杉』
→うす明かりが気になる。海だったら船のあかりか。あまり人がいるような感じがしない。
山から海に視線が動くが、ひぐらしにまたもどされる。
明かりはうす明かりだし、聞こえるヒグラシの声は遠いし、淡さがある。


帰り来てひとりし悲し灯のもとに着物をとけば砂こぼれけり/土田耕平『青杉』
→こぼれた砂が、唯一の自分の同行者であったようだ。それが孤独を深めて悲しいのだと読んだ。


変らざる山河(さんが)のさまをうち眺(なが)めわれのいのちもそこにあるべし/土田耕平『一塊』


土のいろを見つつなつかしこの土の一塊(ひとかたまり)を握りたきかな/土田耕平『一塊』

→色もいいものだが、握ったときの感じもよいと。
そうだなあ。土なんてずいぶん握ってないなあ。



つづく。


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