2014年09月27日
小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【15】71-77 ~山口茂吉、渡辺直己ほか
ここまで5人ずつやったが、残り7人をここでやる。
71人目、稲森宗太郎。結核で亡くなった。歌集は遺歌集一冊のみ。
口あきてわらはまほしと思ひしを欠伸となしつ人のかたへに/稲森宗太郎『水枕』
→笑おうとしたらあくびになってしまったと。どうしてもつまらなかったんだね。
この歌から連想した歌があった。
また口をとがらせるきみ そのまんま口笛吹いてみたらどうかな/黒井いづみ
「どうかな」という親しげな提案の形がいいね。
ほかに
ため息を深く深く深く深く……ついてそのまま永眠したい/枡野浩一
あくびして頬に涙がたれたとき泣き叫びたい自分に気づく/枡野浩一
タバスコを振りかけすぎて咳きこんでそのまま風邪をひいてしまった/枡野浩一
と、枡野浩一さんにそういった内容の歌がある。
たたきわりし茶碗のかけら見つつ我れかなしきひとのまみを感ずる/稲森宗太郎『水枕』
→発散された怒り・ばらばらになった茶碗が、他人の目を通して悲しみや恥をかたちづくっていく。
煙草すひて疲れゐるなり世に生きてなさむと思ふ事なき如し/稲森宗太郎『水枕』
水まくらうれしくもあるか耳の下に氷のかけら音立てて游(およ)ぐ/稲森宗太郎『水枕』
→よほど水枕が気持ちよかったみたいで、ここだけで8首も水枕の歌がある。歌から感激ぶりがうかがわれる。
72人目、山口茂吉。
斎藤茂吉と名前が同じで「小茂吉」と呼ばれたとある。斎藤茂吉に師事。
わが顔と知りてうなづく妹のいのちはすでに迫りたるらし/山口茂吉『杉原』
→残りわずかな命と思うと、その認識やうなづきが重みを増す。
この原に立つ砂ぼこりとほくより見つつ来(きた)りてわれ近づきぬ/山口茂吉『赤土』
→ほかに目的があってそちらへ近づいたんだろうが、これだと砂ぼこりをめざしてはるばる来たみたいだ。
「われ」とあるけど、近づいてくる「われ」を見ている別の「われ」がいそうだ。
「来りて」と「近づきぬ」の重複にも効果がある。
ビルヂングの間の路地を行くときに其処に住むらむ幼児(をさなご)のこゑ/山口茂吉『海日』
→ビルディングにある冷たいイメージを、ちいさな子供がうらぎる。
鉄塔を塗りかけしまま七日(なぬか)経(へ)てけふ来(きた)りつひに塗り終へむとす/山口茂吉『海日』
→ちょっとした言い方で印象がかわる。
「塗りかけしまま」。七日の間は塗りかけだった。とりかかると同時にやりかけになる。
「七日経てけふ来り」もちょっと変わった言い方。
面白かったが、それは斎藤茂吉のもつ面白さとも重なるんだろう。
73人目、吉野秀雄。総合誌の特集で見たことある。
そうしてみると、けっこう総合誌の歌人特集で知った歌人、総合誌を見てなかったら知らなかったかもしれない歌人はいる。
死にし子をまつたく忘れてゐる日あり百日忌日(ひやくにちきじつ)にそれをしぞ嘆く/吉野秀雄『苔径集』
夜をこめてトルストーイ伝読みつぐやこの湧ききたるものを信ぜむ/吉野秀雄『早梅集』
→本を読むとなにか心に湧いてくる感じのすることがある。それは一時的なものや思い込み・気のせいなのではないかと思うこともある。ここではそれを信じるという。
新しき仮名遣ひも時にむつかしく声あげて二階の子供に質(ただ)す/吉野秀雄『含紅集』
74人目、金田千鶴(かねだ ちづ)
アララギ。結核でなくなる。三十代半ばで亡くなっているのか。
生没年を西暦でも書いてもらえると何歳まで生きたかわかりやすいんだけど。明治大正昭和と三つの年号があると数えずらい。
いさぎよきこころと言はむ夕道に手もふれずして別れ来につつ/金田千鶴
→本当に心からいさぎよさを感じて清々しいわけではないよね。これでいいんだと思おうとしているんだと読んだ。
わが喀きし血の色なして曼珠沙華咲ける寂しさ人知れず見し/金田千鶴
→「わが喀きし血の色」に、病に苦しんでいたのがわかる。吐いたものと花が重ねられる。
見残ししものの一つと恋ひ念(おも)ふ水辺涼しく蓮咲くさまを/金田千鶴
→死を予感していたんだろうなあ。自分が何をやり残していたかを考えている。そしてそれを「恋ひ念ふ」。いつかできたらいいなあ、という段階ではないのだ。まだ三十そこそこなのに。
下の句はサ行が爽やかさを出している。
75人目、巽聖歌(たつみ せいか)。
児童文学。童謡「たきび」はオレも歌ったことある。白秋の側近のひとりとある。
おのもおのも持つ性はかなし妻は妻の子は子の性にものを言ひ居り/巽聖歌
草むらに青き胡桃の実が落ちてその音だけが静かなる午後/巽聖歌
→「音だけが静か」がおもしろい。なにかの音が逆に静けさを感じさせるということがある。
あるときは吾(あ)をなせるものを憎みゐて死にたかりけり月夜こほろぎ/巽聖歌
→二句までA、四句までI、結句でU・O。
「あいうえお」になるように歌をつくるという人を思い出した。
「死にたかりけり」が強い。自分のなかに消えないいやなものがあると感じることはオレもあるなあ。
死ぬるときわれの指(および)に赤いんくなどつきをらばかなしからずや/巽聖歌
→指に赤インクがついていたら悲しいと。なぜ、と考えたくなる。
1.血液じゃないのに赤いものをつけているとドラマの中みたいな偽物の死に見える。
2.赤インクは修正を意味する。何かを取り消そうとする姿勢で死ぬとなると生きざまとしていかがか。
みたいなことを考えた。
単によごれた状態で最期を迎えたくないとか、いろいろに考えられるな。
特に気になる歌だった。
76人目、渡辺直己(わたなべ なおき)
この人の戦争の歌はオレも知ってる。ここに載ってる30首も多くが戦争の歌だ。
照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に/渡辺直己
涙拭ひて逆襲し来る敵兵は髪長き広西学生軍なりき/渡辺直己
銃丸が打ち貫きし手帳がそのままに行李の中に収められゐぬ/渡辺直己
腹部貫通の痛みを耐へてにじり寄る兵を抱きておろおろとゐき/渡辺直己
→貫通する歌二首に丸つけていた。貫通しても使える物ならばそのまま使うが、人だったらもうダメだろうな。しかしなんとかしたい気持ちがあるからおろおろする。
解説には、これは作者が経験した事実ではないのではないか、という内容のことが書かれている。いずれにしても強い印象を残す歌がいくつもある。
さて77人目は石川信夫。前川佐美雄の影響、モダニズム。
あやまちて野豚(ぶた)のむれに入りてよりいつぴきの豚にまだ追はれゐる/石川信夫『シネマ』
→変なグループやなんかに関わったら付きまとわれるようになる、そういうことはある。会わなくなって数年たってもオレのところに公明党のチラシよこすおじさんがいる。
でもあんまり現実に置き換えてしまいすぎるのもつまらない読みの方向かもしれない。
しろい山や飛行船が描(か)かれてある箱のシガレツトなど喫(す)ひてくらせる/石川信夫『シネマ』
→山や飛行船はひろびろとしていていいなあと思うけど、絵に描いた餅だ。タバコばかり吸って暮らしている。
ま夜なかのバス一つないくらやみが何故(なぜ)かどうしても突きぬけられぬ/石川信夫『シネマ』
→「バス一つない」がおもしろい。無いと言われて逆に暗闇を走る一台のバスを思い浮かべた。
野外の暗闇なんだろうなあ。
空の上にもひとりのわれがいつもゐて野に来れば野の空あゆみゐる/石川信夫『シネマ』
→実にふしぎな歌。空の上の「われ」は空の下の「われ」についてくる。鏡みたい。
紅(あか)と白ふたいろに咲く桃の木あり向つて左の枝はくれなゐ/石川信夫『太白光』
→ということは、右は白なんだね。
……って、これはなんなんだろうと思うとじわじわと不思議だ。一本の木や花の色のイメージが頭の中に出来上がったけど、これはなんでしょう。意味を求めても得られない。それが美しいとか悲しいとか言えば既視感で落ち着くが。
主体と読者は同じほうを向いている。
▼
これで77人の近代短歌を読んだ。次回、文豪8人の短歌をやってこの本は終わる。
71人目、稲森宗太郎。結核で亡くなった。歌集は遺歌集一冊のみ。
口あきてわらはまほしと思ひしを欠伸となしつ人のかたへに/稲森宗太郎『水枕』
→笑おうとしたらあくびになってしまったと。どうしてもつまらなかったんだね。
この歌から連想した歌があった。
また口をとがらせるきみ そのまんま口笛吹いてみたらどうかな/黒井いづみ
「どうかな」という親しげな提案の形がいいね。
ほかに
ため息を深く深く深く深く……ついてそのまま永眠したい/枡野浩一
あくびして頬に涙がたれたとき泣き叫びたい自分に気づく/枡野浩一
タバスコを振りかけすぎて咳きこんでそのまま風邪をひいてしまった/枡野浩一
と、枡野浩一さんにそういった内容の歌がある。
たたきわりし茶碗のかけら見つつ我れかなしきひとのまみを感ずる/稲森宗太郎『水枕』
→発散された怒り・ばらばらになった茶碗が、他人の目を通して悲しみや恥をかたちづくっていく。
煙草すひて疲れゐるなり世に生きてなさむと思ふ事なき如し/稲森宗太郎『水枕』
水まくらうれしくもあるか耳の下に氷のかけら音立てて游(およ)ぐ/稲森宗太郎『水枕』
→よほど水枕が気持ちよかったみたいで、ここだけで8首も水枕の歌がある。歌から感激ぶりがうかがわれる。
72人目、山口茂吉。
斎藤茂吉と名前が同じで「小茂吉」と呼ばれたとある。斎藤茂吉に師事。
わが顔と知りてうなづく妹のいのちはすでに迫りたるらし/山口茂吉『杉原』
→残りわずかな命と思うと、その認識やうなづきが重みを増す。
この原に立つ砂ぼこりとほくより見つつ来(きた)りてわれ近づきぬ/山口茂吉『赤土』
→ほかに目的があってそちらへ近づいたんだろうが、これだと砂ぼこりをめざしてはるばる来たみたいだ。
「われ」とあるけど、近づいてくる「われ」を見ている別の「われ」がいそうだ。
「来りて」と「近づきぬ」の重複にも効果がある。
ビルヂングの間の路地を行くときに其処に住むらむ幼児(をさなご)のこゑ/山口茂吉『海日』
→ビルディングにある冷たいイメージを、ちいさな子供がうらぎる。
鉄塔を塗りかけしまま七日(なぬか)経(へ)てけふ来(きた)りつひに塗り終へむとす/山口茂吉『海日』
→ちょっとした言い方で印象がかわる。
「塗りかけしまま」。七日の間は塗りかけだった。とりかかると同時にやりかけになる。
「七日経てけふ来り」もちょっと変わった言い方。
面白かったが、それは斎藤茂吉のもつ面白さとも重なるんだろう。
73人目、吉野秀雄。総合誌の特集で見たことある。
そうしてみると、けっこう総合誌の歌人特集で知った歌人、総合誌を見てなかったら知らなかったかもしれない歌人はいる。
死にし子をまつたく忘れてゐる日あり百日忌日(ひやくにちきじつ)にそれをしぞ嘆く/吉野秀雄『苔径集』
夜をこめてトルストーイ伝読みつぐやこの湧ききたるものを信ぜむ/吉野秀雄『早梅集』
→本を読むとなにか心に湧いてくる感じのすることがある。それは一時的なものや思い込み・気のせいなのではないかと思うこともある。ここではそれを信じるという。
新しき仮名遣ひも時にむつかしく声あげて二階の子供に質(ただ)す/吉野秀雄『含紅集』
74人目、金田千鶴(かねだ ちづ)
アララギ。結核でなくなる。三十代半ばで亡くなっているのか。
生没年を西暦でも書いてもらえると何歳まで生きたかわかりやすいんだけど。明治大正昭和と三つの年号があると数えずらい。
いさぎよきこころと言はむ夕道に手もふれずして別れ来につつ/金田千鶴
→本当に心からいさぎよさを感じて清々しいわけではないよね。これでいいんだと思おうとしているんだと読んだ。
わが喀きし血の色なして曼珠沙華咲ける寂しさ人知れず見し/金田千鶴
→「わが喀きし血の色」に、病に苦しんでいたのがわかる。吐いたものと花が重ねられる。
見残ししものの一つと恋ひ念(おも)ふ水辺涼しく蓮咲くさまを/金田千鶴
→死を予感していたんだろうなあ。自分が何をやり残していたかを考えている。そしてそれを「恋ひ念ふ」。いつかできたらいいなあ、という段階ではないのだ。まだ三十そこそこなのに。
下の句はサ行が爽やかさを出している。
75人目、巽聖歌(たつみ せいか)。
児童文学。童謡「たきび」はオレも歌ったことある。白秋の側近のひとりとある。
おのもおのも持つ性はかなし妻は妻の子は子の性にものを言ひ居り/巽聖歌
草むらに青き胡桃の実が落ちてその音だけが静かなる午後/巽聖歌
→「音だけが静か」がおもしろい。なにかの音が逆に静けさを感じさせるということがある。
あるときは吾(あ)をなせるものを憎みゐて死にたかりけり月夜こほろぎ/巽聖歌
→二句までA、四句までI、結句でU・O。
「あいうえお」になるように歌をつくるという人を思い出した。
「死にたかりけり」が強い。自分のなかに消えないいやなものがあると感じることはオレもあるなあ。
死ぬるときわれの指(および)に赤いんくなどつきをらばかなしからずや/巽聖歌
→指に赤インクがついていたら悲しいと。なぜ、と考えたくなる。
1.血液じゃないのに赤いものをつけているとドラマの中みたいな偽物の死に見える。
2.赤インクは修正を意味する。何かを取り消そうとする姿勢で死ぬとなると生きざまとしていかがか。
みたいなことを考えた。
単によごれた状態で最期を迎えたくないとか、いろいろに考えられるな。
特に気になる歌だった。
76人目、渡辺直己(わたなべ なおき)
この人の戦争の歌はオレも知ってる。ここに載ってる30首も多くが戦争の歌だ。
照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に/渡辺直己
涙拭ひて逆襲し来る敵兵は髪長き広西学生軍なりき/渡辺直己
銃丸が打ち貫きし手帳がそのままに行李の中に収められゐぬ/渡辺直己
腹部貫通の痛みを耐へてにじり寄る兵を抱きておろおろとゐき/渡辺直己
→貫通する歌二首に丸つけていた。貫通しても使える物ならばそのまま使うが、人だったらもうダメだろうな。しかしなんとかしたい気持ちがあるからおろおろする。
解説には、これは作者が経験した事実ではないのではないか、という内容のことが書かれている。いずれにしても強い印象を残す歌がいくつもある。
さて77人目は石川信夫。前川佐美雄の影響、モダニズム。
あやまちて野豚(ぶた)のむれに入りてよりいつぴきの豚にまだ追はれゐる/石川信夫『シネマ』
→変なグループやなんかに関わったら付きまとわれるようになる、そういうことはある。会わなくなって数年たってもオレのところに公明党のチラシよこすおじさんがいる。
でもあんまり現実に置き換えてしまいすぎるのもつまらない読みの方向かもしれない。
しろい山や飛行船が描(か)かれてある箱のシガレツトなど喫(す)ひてくらせる/石川信夫『シネマ』
→山や飛行船はひろびろとしていていいなあと思うけど、絵に描いた餅だ。タバコばかり吸って暮らしている。
ま夜なかのバス一つないくらやみが何故(なぜ)かどうしても突きぬけられぬ/石川信夫『シネマ』
→「バス一つない」がおもしろい。無いと言われて逆に暗闇を走る一台のバスを思い浮かべた。
野外の暗闇なんだろうなあ。
空の上にもひとりのわれがいつもゐて野に来れば野の空あゆみゐる/石川信夫『シネマ』
→実にふしぎな歌。空の上の「われ」は空の下の「われ」についてくる。鏡みたい。
紅(あか)と白ふたいろに咲く桃の木あり向つて左の枝はくれなゐ/石川信夫『太白光』
→ということは、右は白なんだね。
……って、これはなんなんだろうと思うとじわじわと不思議だ。一本の木や花の色のイメージが頭の中に出来上がったけど、これはなんでしょう。意味を求めても得られない。それが美しいとか悲しいとか言えば既視感で落ち着くが。
主体と読者は同じほうを向いている。
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これで77人の近代短歌を読んだ。次回、文豪8人の短歌をやってこの本は終わる。
mk7911 at 09:55│Comments(0)│小高賢による新書館の短歌入門書