2016年09月04日
《歌集読む 76》 加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』 ~よろこびの星のごとくに、ほか
加藤美智子歌集『真珠のいろの陽を掲げ』から歌を引きます。
加藤さんは塔短歌会の方です。1964年に高安国世の新聞選歌欄に入選し、その11年後に塔に入会したとあります。
この本は第一歌集ですが、二冊セットになっていて、連作集『アーネジュウ』と同時に出ています。
1964年から2014年までの短歌が収録されています。はじめの方に丸を多くつけました。
青磁社。2016年7月。「序」を永田和宏さんが書いています。
よろこびの星のごとくに生まれ来し吾子よわが荒れの手の中にいる/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→命をさずかったよろこび。上の句は大きな比喩で、下の句には現実感があります。
指を舐めガラスに〈つまらない〉と書きし子はおたふく風邪に十日籠れる/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
足裏に畳の触るれば呼び水のごとく一日の疲れ湧き出づ/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→なるほどと思った。畳がはりつめていたものを開放する。
風邪癒えず厨に立てば乱れ置く物みな重たしわれが眼に/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→風邪のときの、けだるくて何もしたくないけどしなきゃいけないつらい感じがよく出ている。
発車して俄に窓に吹く風は汗ばみし髪分けて涼しき/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→今度は気分のよい歌。こういうことあるなあと思う。ちょっとした気持ちをスケッチした歌に惹かれる。
そは昭和一桁の答と吾娘は言い早やばや背(せな)を向けてしまえり/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→今だったら「昭和」といえばたちまち古い感じがするけど、ここでは、生まれが「昭和一桁」であることが古いこととされている。この娘さんは最初のほうで「よろこびの星のごとくに生まれ」て来た人だろう。
まっしぐら上る花火に師の顕ちぬ「われは真実を生きたかりけり」/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→
かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり/高安国世
という歌を下敷きにしているんだが、降る雪と上がる花火という対照がおもしろい。
白菜のザクザク入った鍋物をリクエストして吾娘帰り来ぬ/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→娘さんの歌をいくつか引いてるけど、生き生きとしたものが感じられる。
虫除けのスプレー鎧いて草取るに耳刺されたり 芳一われか/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
はじめのほうはけっこう丸がついてたんだけど、1988年以降のところからほとんど丸がなくなってきた。言葉の古めかしさが気になってしまって、入りこみづらい。
そんなわけで、234ページあるうちの70ページまでが楽しかった。
だが、最後の最後におどろくことがあった。
ぬばたまを押し分け今日を生まれたる茜横雲かがよいにけり/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
という歌が最後にあるんだけど、これはオレが搭の「選歌欄評」を担当したときに取り上げた歌だったのだ。
そうか、そういう縁でこの本はオレのところに!
選歌欄評に書いたことをここに写そうかと思ったけど、当時の文章がひどくてちょっと無理だ。
大意でいうと、この歌はとても美しくて格調高くてすばらしいよと書いたのだ。
今みても良い歌だと思う。ひとつの朝がかけがえのないいとおしいものに思えてくる。
もしかしたらこの歌はオレが選歌欄評に取り上げたことで歌集の最後に入ったのかもしれない、オレの書いたものがこの歌集の読後感のいくらかに影響しているのかもしれない。
などと考えるのはあつかましいのかしら。
自分の書いたことで、もう忘れかけていたようなことが何かのかたちで戻ってくる。それは面白いことだ。そのときは反響なしと思えても、なにもふてくされることはないのだ。時間がかかることもあるのだ。
もう一冊の「アーネジュウ」には丸をつけた歌はありませんでした。
以上です。
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短歌連作「人間感覚」10首、ほか|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n1e4f3198ef2a
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加藤さんは塔短歌会の方です。1964年に高安国世の新聞選歌欄に入選し、その11年後に塔に入会したとあります。
この本は第一歌集ですが、二冊セットになっていて、連作集『アーネジュウ』と同時に出ています。
1964年から2014年までの短歌が収録されています。はじめの方に丸を多くつけました。
青磁社。2016年7月。「序」を永田和宏さんが書いています。
よろこびの星のごとくに生まれ来し吾子よわが荒れの手の中にいる/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→命をさずかったよろこび。上の句は大きな比喩で、下の句には現実感があります。
指を舐めガラスに〈つまらない〉と書きし子はおたふく風邪に十日籠れる/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
足裏に畳の触るれば呼び水のごとく一日の疲れ湧き出づ/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→なるほどと思った。畳がはりつめていたものを開放する。
風邪癒えず厨に立てば乱れ置く物みな重たしわれが眼に/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→風邪のときの、けだるくて何もしたくないけどしなきゃいけないつらい感じがよく出ている。
発車して俄に窓に吹く風は汗ばみし髪分けて涼しき/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→今度は気分のよい歌。こういうことあるなあと思う。ちょっとした気持ちをスケッチした歌に惹かれる。
そは昭和一桁の答と吾娘は言い早やばや背(せな)を向けてしまえり/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→今だったら「昭和」といえばたちまち古い感じがするけど、ここでは、生まれが「昭和一桁」であることが古いこととされている。この娘さんは最初のほうで「よろこびの星のごとくに生まれ」て来た人だろう。
まっしぐら上る花火に師の顕ちぬ「われは真実を生きたかりけり」/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→
かきくらし雪ふりしきり降りしづみ我は真実を生きたかりけり/高安国世
という歌を下敷きにしているんだが、降る雪と上がる花火という対照がおもしろい。
白菜のザクザク入った鍋物をリクエストして吾娘帰り来ぬ/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
→娘さんの歌をいくつか引いてるけど、生き生きとしたものが感じられる。
虫除けのスプレー鎧いて草取るに耳刺されたり 芳一われか/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
はじめのほうはけっこう丸がついてたんだけど、1988年以降のところからほとんど丸がなくなってきた。言葉の古めかしさが気になってしまって、入りこみづらい。
そんなわけで、234ページあるうちの70ページまでが楽しかった。
だが、最後の最後におどろくことがあった。
ぬばたまを押し分け今日を生まれたる茜横雲かがよいにけり/加藤美智子『真珠のいろの陽を掲げ』
という歌が最後にあるんだけど、これはオレが搭の「選歌欄評」を担当したときに取り上げた歌だったのだ。
そうか、そういう縁でこの本はオレのところに!
選歌欄評に書いたことをここに写そうかと思ったけど、当時の文章がひどくてちょっと無理だ。
大意でいうと、この歌はとても美しくて格調高くてすばらしいよと書いたのだ。
今みても良い歌だと思う。ひとつの朝がかけがえのないいとおしいものに思えてくる。
もしかしたらこの歌はオレが選歌欄評に取り上げたことで歌集の最後に入ったのかもしれない、オレの書いたものがこの歌集の読後感のいくらかに影響しているのかもしれない。
などと考えるのはあつかましいのかしら。
自分の書いたことで、もう忘れかけていたようなことが何かのかたちで戻ってくる。それは面白いことだ。そのときは反響なしと思えても、なにもふてくされることはないのだ。時間がかかることもあるのだ。
もう一冊の「アーネジュウ」には丸をつけた歌はありませんでした。
以上です。
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mk7911 at 07:23│Comments(0)│歌集読む