2017年02月12日

短歌誌「群山」「砂丘」「すずかけ」「天象」「サキクサ」「玉ゆら」を読んだ

仙台文学館に短歌の結社誌(+同人誌?)がいろいろあって、それをこのあいだ見てきた。確認できたものは、塔、短歌人、かりん、群山、玉ゆら、天象、サキクサ、砂丘、すずかけ。

それともう一つあったが、袋とじみたいな製本になってて手作り感・アットホーム感がすごくてちょっと近づけなかった。
これらのうちの、塔・かりん・短歌人以外の六誌のことを書いていく。






まずは宮城の三つの歌誌を見ていこう。


しばらく前の角川「短歌」に付録でついてきた全国結社地図によると、宮城県にはアララギ系の「群山」と白秋系の「北炎」という二つの結社がある。
だが「北炎」は年鑑によれば終刊したとのこと。120名が所属。

短歌研究や角川の短歌年鑑にはないが、「砂丘」「すずかけ」は宮城県内で発行されている雑誌。どちらも10人ほど。


「群山」(むらやま)
これについては何度か書いてるけど、今回初めて作品欄まで見た。
東北アララギ会。扇畑忠雄創刊。現在は徳山高明さんが代表。
2017年1月号は54ページ。
出詠者数をオレが数えたところ、
作品Ⅰが56人、
作品Ⅱが98人、
作品Ⅲが22人、
合計すると176人。
Ⅲだけはタイトルが付けられており、おそらくは特別な欄。タイトルの付け方を見ると、作者自身がつけたタイトルではない可能性がある。Ⅰ欄Ⅱ欄の良かった作品がⅢ欄にきているのか。そういう欄の仕組みが書かれていない結社誌は多い。

「群山」は全員旧仮名遣いと決められている。毎度のように編集後記などに仮名遣いへの注意が書いてある。


二割増しの商品券を求めむと震災の日のごとく並びぬ/皆川二郎

老いわれは注意を欠きて歌稿一便速達にして投函(とうかん)したり/海老原廣



「文明選歌に見る動物の歌」という佐藤嗣二さんの連載がある。アララギから動物の出てくる歌を取り上げている。語の解説がとても丁寧。犬や猫が多いのはもちろんだが、馬や牛も多く、生活がうかがわれる。

夜更けて夫は帰らず鼠捕りにかかりし鼠と吾とひそまる/内田友子

徳山高明さんの「短歌よもやま話」は愛国百人一首について書かれていた。戦争が終わるまではこれで熱心に遊んだという。
当時第一線の歌人らによる選で、国家的大事業であったとのこと。


子に悩み妻に戸惑ふ弟の多くを語らず帰りゆきたり/船間和子



〈感想〉
読み物がおもしろい。編集後記がいつも厳しそう。引き締まった印象だ。







「砂丘」
代表が相澤寿美子さん。昭和31年4月創刊とある。
22ページ。
作品Ⅰが5人、
作品Ⅱが6人
合計11人。一人15首ずつ掲載されている。

前に立つ若きをみなの耳たぶの陽に透き通り赤き血の色/根本正

ハンバーグ初めの一口かぶりつくこれが私の口の大きさ/庄子巌


相澤寿美子さんの「風と秀歌」という連載には扇畑忠雄さんのことが書かれている。

わらはざる仮面の如き日々ありてさむき畳にわが服をぬぐ/扇畑忠雄

一皿の苺に今宵寄り合へりわれら貧しさを隠すことなく/扇畑忠雄




〈感想〉
上にあげた男性歌人はなかなかよい歌をつくっている。
11人でも2つの欄に分かれるというのは、3人いれば2人と1人の派閥に分かれるというのを思い出させる。







「すずかけ」
年刊。2015年3月に第五十集をもって終刊。たまたまオレが手に取ったのが終刊号だった。
10人。「群山」の徳山高明さんが講師として迎えられている。谷津さんという方が亡くなったことが終刊につながったらしい。

第五十集の90ページのうち、終刊によせる「随想」などの散文がおよそ半分を占める。

おのづから足の赴く丘の上四阿あればベンチに憩ふ/徳山高明「遠き木枯し」



〈感想〉
散文の量に、この会への皆さんの思いが見てとれた。






「天象」「サキクサ」「玉ゆら」は関東の結社誌。この三つを見ていく。



まず「天象」から。2017年1月号は「91巻1066号」とある。
54ページ。
代表は宮原勉さん。巻頭に、今年は題詠に力を入れていきたいという宮原さんの言葉が書かれている。

欄は四つある。
自選作品、42人
第一作品、46人
第二作品、28人
第三作品、22人。
それに加えて「天象の十人」という人が選ばれていて、合わせて148人。

現代仮名遣いの人は名前の後に「※」印がついている。

四つある各欄から四名が特選に選ばれている。特選の詠草が欄の最初と最後に置かれるのは「塔」と同じだ。

いま書いたように、詠草からは「天象の十人」と「特選」が選ばれる。
54ページあるうちの10ページが題詠で、題詠から優秀作が選ばれる。
1月号は結社賞の発表号になっていた。賞は「該当者なし」だが、各欄から一人ずつが賞を受けている。年間題詠賞が三人。
宮原さんによるアンソロジーもある。

詠草は全員が六首掲載で固定。


夫のゐぬ吾に日差しのやはらかし今日は気張りて窓ガラス拭く
黒ずみし夫の表札下ろされて洗へば鮮明に名は甦る
/落合登美江


落ちてゆく夕日に染まるわが家に小さくそっと母を呼びたり/伊藤優子



〈感想〉
投稿欄の集まりみたいな結社だ。ピックアップが多い。つまり、作品が集まるところには選がはたらき、優秀作によく光があたる。「表彰型」とでも言おうか。
オレみたいな外部の通りすがりの読者が主な作品を見ていこうとする場合、特選作品がはっきりしていると読みやすい。どんな作品を良しとしている結社なのかがわかりやすい。






次は「サキクサ」。手にとったのは2016年12月号だった。代表の大塚布見子さんにかかる負担を考慮して来年から季刊になると書いてある。
50ページ。

欄は四つ。
作品・一、101人
サキクサ集、32人
風韻集、11人
作品・二、32人
欄についての説明は無いので、サキクサ集と風韻集がなんなのかはわからない。

大塚さんによる赤彦の連載がある。

「天象」のようなピックアップが無い。誰が特選とか優秀ということは一切なく、作品が並んでいる。

実り穂の風に揺るれば登校の子等の姿の見えつ隠れつ/安仲美和子「秋の田」

腰かがめ灯りのやうなる人参を掘る人ひとり山家の畑に/木村百合子「福原山荘の秋」



〈感想〉
「天象」のあとに見ると愛想がない。真面目な印象だ。しかしまあ、「天象」と比べられることなど想定してないにちがいない。読む順番の問題だ。
さっき書いたことの裏返しで、初めて見たオレには誰が実力者で、どの作品がこの集団のなかで良いとされているのかわからない。
パッと見たくらいでそれがわかる必要ない、というのも一つの考え方だ。主宰や選者が会員の作品に上下をつけることには良し悪しがあるから、オレには読みづらくとももちろんこれはこれで全く良いのだ。






「玉ゆら」
2017年1月号。季刊。
74ページ。
出詠は26人。
一人の作品が一ページまたは二ページにゆったりと掲載されている。

連載が多い。数えたら十五の連載がある。代表の秋山佐和子さんは、「釈迢空の歌」「原阿佐緒ノート」「三ヶ島葭子の歌」の三つを連載している。

評のページでは「塔」の川本千栄さんが「説明と描写」と題して書いていた。


君のゐぬこの世この町叫びたき声を押し込めバスに揺れをり/秋山佐和子

対向車地平線より浮かびきて見る間にトラックとなりてすぎゆく/松原淑子



〈感想〉
150人程度で50ページ程度、という短歌誌が続いていたが、ここにきて30人弱で70ページある短歌誌がでてきた。ゆったりした掲載が強い印象を残した。「玲瓏」もこのように1人2ページだったけど、たしか会費が高かった。季刊でも月刊誌と同じかそれ以上にかかる。ここも高いんだろうなと、勝手に想像している。

川本さんは厳しい評を書いていたが、確かに説明的な歌があり、なかなか拾えなかった。知らない結社誌のなかで知ってる人の名前を見るとちょっとうれしい。



▼▼▼



以上六誌を見た。
いろんな枠組みがあり仕組みがあるが、肝心なのは歌だ。歌がおもしろくなければまた読みたいとは思わない。
今回紹介した短歌誌をこれからも読むかというと、なかなか厳しいものがある。誌面に工夫がある雑誌であるほど、平凡な歌の集まりはむなしい印象をもたらす。

いろんな誌面を見られて面白かった。
一度見るだけならばどんな短歌誌でも面白いので、機会があればいろいろ読みたい。


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