工藤吉生の短歌まとめ・第三十五期【2020年1-4月】15首[結社誌読む 161] 『未来』2020年1月号  ~鴉のやり方、ほか

2020年05月25日

新人賞歌人に高卒はいない【2019.8/24→2020.5/25】

この記事は前半が2019年8月に書いた文章で、後半は2020年5月に書いた文章となる。






▼▼2019年8月に書いた文章▼▼





オレは高卒なんだが、歌人が大卒ばかりであることに気づいた。

新人賞を受賞した歌人で高卒はいないのか調べたが、ひとりも見つからなかった。

あたらしいほうから調べた。主に2000年までさかのぼった。

▽短歌研究新人賞だと2002年の受賞者は学歴がわからない。それ以外の受賞者は大学進学者であると確認した。大学中退が一人いた。

▽角川短歌賞だと2005年の人の学歴がわからないが、教師をしてるから大学行ってるだろう。2002年の人もわからない。大きな結社の選者をしている。それ以外の受賞者は大学進学者であると確認した。

▽歌壇賞は調べても出身校が出てこない歌人が多い。最新の人ですらわからない。




逆に、高卒の歌人をネットで検索して出てきたのは、稲葉京子、正岡豊、蝦名泰洋。



正岡さんが高卒なのが疑わしいので調べた。
証拠を得た。



2018年3月23日の正岡さんのツイート。
https://t.co/YoSgiP7oLH

“愛妻のサキが花粉症と風邪のダブルパンチで寝てるので、今日は静かに本読み日。「現代短歌」3月号、山田航の文章、

「特に学歴の分断は顕著で、日本では大卒と非大卒とで全く違う国に暮らしてるといっていいくらいコミュニティが分かれてしまってる。」

はリアル。私も高卒なんでよくわかるわこれ。 https://t.co/SDwvzRKczm






「高卒 短歌」「高卒 歌人」で検索して、高卒歌人を探したけど、有名なひとはあまりいない。それを調べるオレのコンプレックスよ。

一番調べやすいのは、ツイッターをやっている歌人であれば、「ツイッターID+大学」でツイート検索する方法だ。「大学」ででなければ「高卒」「高校」「学歴」などとずらしていけばよい。


「全く違う国に暮らしてる」か。そこまでは考えてなかった。

分断ということで言えば、オレは大卒と非大卒なら非大卒だし、中央と地方なら地方だ。
でも、そんなにスッパリ二つに割れるものじゃないと思うよ。オレのいる所は地方のなかでは人口が多い場所で、本とか手に入りやすいし、便利に暮らしているつもりだ。「つもり」以上のものではないが。







アンソロジー本も調べた。

山田航編著『桜前線開架宣言』で収録歌人の経歴を見たんだけど、数人が出身校を書いていない以外はみんな大学に行っている。笹井宏之さんは病気で高校中退とあったが。
この本に書いてあるんだけど、野口あや子さんがヤンキー寄りってほんとなの? ヤンキーと拒食症って近いの? 大学を出た人がヤンキーなわけないと思った。お会いしたときにもそういう印象は受けなかった。



千葉聡・佐藤弓生・東直子編著『短歌タイムカプセル』もおなじだ。



もしかして、オレが知らないだけで、高卒以下は学歴を書かないマナーがあったりするのか??

っていうか最終学歴を書くのってそもそもなんのためなんだ。そこで「程度」を見られているのか。出身県や職業が書かれていない場合でも、学歴は書いてあることが多いわけで、それだけ大事だってことなんでしょう。
プロフィールっていうのは、生年も出身地も受賞歴も、どれもみんな「階級」を提示させられているのか、とたったいま思った。



アンソロジー本のなかで、岡野大嗣さん木下龍也さん伊舎堂仁さんはプロフィールに学歴を書いていない。
「歌壇」にちかい人ほどプロフィールに出身校を書くような気がする。「壇」とは上と下があるもので、階級と相性がいいということか。そしてオレは、下のほうにいるわりには階級に興味あるかも。

さっき書いたやり方でツイート検索してみた結果、この三人のうち一人は大学時代のことをツイートしていた。
ほかの二人は大学時代のことを一切ツイートしていない。高校時代のことはツイートしている。







大学や短期大学への進学率の推移は?男女や現役、浪人での数字はどうなっている?
https://education-career.jp/magazine/data-report/2019/education-

大学に進学する人は日本人の6割以下なのに、有名な歌人はほとんどが大学に進学している。やっぱ短歌って頭をつかうし知識も要るってことなんですかね。

オレは今だって、短歌というのは57577ぐらいの文字数でなんか書くものだと思ってる。そこに学問とかあんまり関係ないだろと思ってる。

でもたしかに、頭のいい人のほうがおもしろいあたらしいことを考えつくことは多いと思うよ。
最近、東大のクイズ王の「クイズノック」の動画をよく見るんだけど、創造性があって楽しいよ。「知」が遊びを豊かにするんだと感じる今日このごろだ。
それはオレの最近の趣味の話なので、脱線だ。







新人賞の受賞歌人に限ると、オレしか高卒がいない可能性がある。それなのに受賞したと思えば、オレは非常に珍しい歌人だ。
珍しいけど、それが歌壇のなかでどう活きるのかというと、なかなか難しいでしょうね。
例えば、自分だけ羽根が生えてて空が飛べるとか、珍しい職業の経験があるとかならそれを活かすこともできそうだが、学歴がないことなんかなんのメリットもないよ。



歌人とやりとりしていて、向こうはこちらの言うことがわかるようだけど、こちらは向こうの言ってることがわからないって場面はけっこうある。そうなったらやりとりを長引かせないようにしている。「もっと勉強します」みたいなことを書くなり言うなりして終わらせるようにしている。

ツイッター見てて、この人たちとオレは全然感覚がちがうんじゃないかと感じることは多い。そう感じさせるカタカナ語がいくつかある。「アポリア」とか。カタカナ語以外だと「構造」とか「再生産」が出てくる話は大体わからない。中身がわかんないから、怒ってるなーとか見下してるのかなーとか、雰囲気だけをつかむことになる。
意味がわかるかわからないかの問題もあるし、そういう言葉を知ってても使うかどうか、オレにそれを理解する気があるかどうかの問題でもある。政治や差別への関心のもちかたが、オレのまわりの人たちと違いすぎる。

画面の中と外のギャップにも、もう慣れてきたけども。ネットにはいろんな人がいるよね、って感じで。



大学関係のニュースに関心がない。不正入試のニュースとか聞いても全く心に響いてこない。駅伝まったく見ない。

すずちうさんにこういう短歌がある。
箱根駅伝が始まると無言でチャンネルを変える高卒の父
https://twitter.com/suzuchiu/status/19968841215909888?s=19
オレはこの「父」と同じだ。


オレの家族にも大学を出た人はいないんですよ。歌人のなかにいると、仲間外れで自分だけ劣ってるって感じはすこしある。

たぶん鳥居さんはもっとあるんだろうと想像してみるが、やっぱりオレの想像の範囲外であると思い直した。制服をずっと着てるとかになると、オレの感覚ではもう全然わからない。
学歴のない歌人というのは珍しかったんだが、その枠は鳥居さんが一気に埋めた感がある。







オレの頭がたりないのはしょうがないけど、それを見せつけるのはしのびないから、長い文章、とくに評論の依頼は断っている。オレは論文を書いたことがない。日記や歌集評や短いエッセイの場合は受ける。

オレの文章がもっと読みたければブログ読むか有料noteを買ってください。







▲▲ここまで2019年8月の文章▲▲

▼▼ここから2020年5月の文章▼▼






なんかアクセス増えてるので追加でちょっと書いてみる。



正岡豊さんのツイート。


タイトルの高卒云々より、工藤さんが「評論の依頼を断っている」というのにちょっと驚きました。篠弘の短歌史本とか全部読んでるのにね、工藤さん。 https://t.co/q6llt6Oz2A

https://twitter.com/haikuzara/status/1264594627690000384



篠弘『現代短歌史』は全部読んだんじゃなくて、読んだのはⅠとⅢだけなんだけどね。見つからなくて。Ⅱは前衛をあつかっている。

歴史にはすこし興味があるんだよね。ここまでくるのにどんな紆余曲折があったんだろうと。
いまは古代ローマの歴史を読んでいる。


実際にお断りした評論は一本。『未来』の「みらい・くりてぃーく・えせー」だけ。

最近、この「みらい・くりてぃーく・えせー」に書いてツイッターで数人から批判されてた人がいた。半分くらいエアリプで。
もし引き受けて執筆していたらオレがこうなったんじゃないかという気がした。批判されてた人はジェンダーについて書いてたし直接はオレと関係ないんだけどさ。

ああ、高卒だから評論を書かないみたいに読む人がいるかな。そうじゃなくて、評論への意欲もないし恥をかきたくないから書かないんです。やりたかったら常識も何もかも無視して実行しますんで。



この記事の前半部分を書いて九ヶ月経過した。
九ヶ月前には、書きながら「オレはこじらせてるなー」と思ってたわけだけど、今読んでもそう思う。こじらせてるなーとは思うが、でも考えは変わってない。

オレがやましいのは、実際にはそんなに高卒で苦しい思いをしてきたわけじゃないことだ。囲まれて、罵られながら棒の先で突っつかれたりしたわけではないんだよ。苦しめられていないのに、いじけている。窮屈さや、ちょっとした疎外感があるということを言おうとしている。
短歌を始めるまでは、学歴なんて気にしてなかったんだよ。

しんくわさんも高卒だという。https://twitter.com/newshinkuwa/status/1264597196751515649

正岡さんもしんくわさんも、べつに卑屈になったりいじけてはいないわけだ。それはオレの恥ずかしさが上乗せされる要素だ。







こういう話題のときにオレの脳裡に浮かぶのは堂園昌彦さんの「そんなところに短歌はない」だ。
https://twitter.com/dozonomasahiko/status/1259015772891869184

なんと短歌から遠い自分だろうか。短歌のおもしろさから遠い自分だ。

作品以外に向かってしまうのは、オレが短歌をそこまで楽しめていないんじゃないだろうか。
夢中になれる気持ち、好きな気持ちが大きいことは、うらやましい。



今日(2020年5月25日)発売の角川短歌6月号の梶原さい子さんのページを思い出しながら終わる。



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