その他小説/書籍の感想

2019年09月26日

和田康子・天野慶『美しい字で和をいつくしむ万葉集』

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『美しい字で和をいつくしむ万葉集』買った。天野慶さんが解説している。書は和田康子さん。

よくある、なぞり書きの本だ。

「和をいつくしむ」ってなんかウットリしていてアレだけども。まあまあまあ。



オレはかつてユーキャンペン字講座を受けていて、二万円と半年をかけてやってて、すこしは字が良くなったんだが、最近また下手になっていると感じる。
こういうのって、なるべくやり続けたほうがいいんだろうな。それと、令和や万葉集のことを知っておいたほうがよいだろうということで、一石二鳥をねらった。天野さんだから買ってみたっていうのもある。天野さんとオレって、誕生日が15日しか離れていないんです。








さっそく1日分なぞってみた。初日から、「令和」の元になった一節を書ける。

なぞり書きっていいね。安心する。なぞっていたい。
きれいな字の感覚がよみがえってくる。普段も、字を書くときにはなぞり書きのお手本をイメージして、見えないそれをなぞるように書けばいいのではないか? お手本の字を目と手で覚えるための本と考えてみる。



お手本の字は書き下ろしだというが、きれいなもんだ。ユーキャンのお手本ともちょっとちがう。お手本の字だったら誰でもどこでも同じというわけではない。
こう書けたら楽しいだろうね。



糸偏の「糸」の下部が三つの点になってるのとか、
「薬」という字の下の方の「木」が「ホ」になってるのとか、
ところどころ伝統的な書き方になっている。
別に嫌ではないけど、伝統的じゃなくていいから実用的な文字を練習したいと思う。このくらいの変化は許容範囲。









天野さんの短歌の代表作として

この道は春に花降る道になるパラダイスとは変化するもの

が載っている。
「変化」がやや固い。「とは」「もの」も合わさって、理屈っぽくなる。「変わりゆくもの」「うつりゆくもの」とか言えばやわらかくなるんだけど、この固さを選んだのはどういう意図なのか。
ハ行を重ねた上の句のあとに「パラダイス」って言葉が出てくるからここに大きく段差がつく。「パラダイス」は「この道」のことのようだが、響きが大きく変わったわりには中身は切れていない。




オレが好きなのは、折り紙の歌。



ほしいのは勇気 たとえば金色のおりがみ折ってしまえる勇気
/天野慶




二句の途中で切る、思いきりのいい、宣言のような冒頭だ。例えによって勇気の中身が明かされる。それは子供のころのきらきらした記憶にさかのぼる。自分のなかに大事にしまってある、少しだけのきらきらしたものを、形にできる人は勇気のある人だ。


ツイッターで調べると、「ひとひら言葉帳」とか「短歌あつめました」のbotでは一字あけがなくなっている。本では空いている。ツイッターからコピペしてこようかと思ったが、そこで安易なほうに流れずに本(太陽の舟)をひらいて、一字あけを得た。







オレは毎日この本で字を練習している。
いま二十一日まできた。全部で六十二日ぶんある。



「令和」のもとになった梅花の歌がしっかり載っているほかに、万葉集の有名な歌が載っている。
数行の簡潔な解説が読みやすい。

続けられる本です。



そんなところです。
んじゃまた。




▼▼▼



【こっちもおすすめ】

noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。




依頼こなし日記 2019.6/4-7/10  ~思考ロックとメッセージ
https://t.co/MQXeJxDevv

依頼こなし日記 2019.7/11-8/10  ~心が燃える時
https://t.co/nejv0vc4NY

依頼こなし日記 2019.8/11-9/10  ~いざ、という時
https://t.co/qWCBlQMXrk


2019年3月のオレの短歌とその余談
https://t.co/GjAJRlbjWL

2019年4月のオレの短歌とその余談
https://t.co/a7jChVNp04



などなど、
500円ですべての記事(約120記事)が読めます。よろしければどうぞ。




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2019年09月20日

長嶋有『問いのない答え』読んだ  ~ツイッターが近い

長嶋有『問いのない答え』読んだ。
三日かけて読んだので、感想を三部にわける。









ツイッターと、大喜利みたいなそうでないような遊びと、震災がでてくる小説。

なかなかおもしろくなってこないが、読むのをやめたくなるほどではなかった。
半分すぎておもしろくなる小説もあるので、そこはじっくりやるようにしている。



ツイッターが出てくるんだけど「ツイッター」とか「タイムライン」とか「アイコン」にカギカッコがついている。ツイッターについて説明しながら話が進められる。

ツイッターだけど、けっこう人と人とのつながりが濃い。

ツイッターで遊ぶ人がそれを「言葉遊び」とは言わないんじゃないか。

ちょっとずつひっかかる。

それとも震災直後と今とで変化してるのか。そのころからツイッターやってたけど、雰囲気まではわからないなあ。









この小説ではツイッターの利用者たちがお互いを対等に見ている。そこがオレとちがう感覚なんだ。
オレだったら、相手が自分よりおもしろいかどうか、長く活動しているか、年齢はどうか、フォロワー数はどうか……などなどと考えて上に見たり下に見たりしやすい。

そうか「数字」の要素を排除してるんだ。だから対等なんだ。

そういうふうにやれればいいんだろうなあ。オレは数字を気にしながらツイッターやっている。

数字のないツイッターっていうのは記名式の掲示板に近いんじゃないの。みんなで大喜利しようっていう掲示板のスレッドみたい。
それでもやっぱりこれは掲示板じゃなくてツイッターなんだと感じる要素があって、それは言葉遊びだけじゃなくて日常的なことも同じ場所に書き込まれるということ。



でてくるツイッターがなんだか古い。みんなに挨拶していく人が人気者になったと書いてあるが、そんなのうっとうしいだけだろう。オレならブロックする。ミュートじゃなくてブロック。挨拶NOの意志を示したい。一人でいいかげんにやりたい。

ツイッターが、お題を出して答えるための場所になっているが、今でいうと坊主の選手権みたいなものを想像すればいいのか。この小説の多くの登場人物がそれに参加している。っていうか、参加してる人が描かれているのか。



新人賞をとって本を一冊だした、と当たり前のように書いてある。
短歌の世界では新人賞と本は直結しない。本を出せてる人はすごいと思う。



なんかつまんなくて読むのをやめようかと一瞬思ったが、読み進めたら秋葉原の殺傷事件を起こした加藤が掲示板に残した書き込みについて書かれていて、興味がもどってきた。

スズキとか佐藤という人物に混ざって急に「加藤」がでてくる。これも小説の登場人物なのかと思ったら、実在の犯罪者なので驚いた。



「生半可でない」という言葉が流行っている、という設定だ。「ハンパないって」が最近流行ったのを思い出した。この小説のなかの人たちは、こちら現実世界の人よりも性格がいいし頭もいいと感じる。




ここまで出てきた登場人物のなかでは、オレは加藤が一番感情移入できる。全体的に悪の要素がないのを物足りなく感じる。ツイッターによってつくられる「輪」というかコミュニティに対してみんな従順なのがオレには気に入らない。

実際には、とんちんかんな回答者が雰囲気をこわしたり、それを過剰に注意する人がでてきてギスギスするもんだよ。
どんなお題でもエロや犯罪やそのときの流行にひっかけてくる安易な回答者が実際にはいるはずなんだが、いないことになっている。

オレはその陳腐な書き込みが溢れるところ、ギスギスするところがほんとのツイッターだと思うから、それがないと綺麗事と感じる。

ツイッターで出されたお題に答える遊びに、みんなけっこう真剣なのがこちらとしては変に思う。もっとテキトーな参加者がいっぱいいるはずだ。ナメた感じにならないのは震災後という時期もすこしはあるのか。



一二三という女子高生がでてくるが、加藤一二三のイメージが邪魔をして、なかなか馴染めない。



ツイッターにみんなが自分の生活について書き込んでいるようだが、実際はそんなことしないと思う。あんまり書き込まないし、互いに知ろうともしないと思う。

ネムオによるツイッターの「言葉遊び」によって多くの人がそれぞれで会うようになったというのも、信じにくい話だ。
でもまあそれは今の感覚であって、当時はすこしちがうんだろう。
思い出してみると、たしかにツイッターで突発的に歌会が始まったりしてたことはあった。


登場人物が多いが、いちはやく言葉遊びに違和感をおぼえはじめた「サキ」に注目したい。それと岡山に急にとばされた「少佐」。
仙台がでてくるので興味がつづいている。

当時は今とはちがってたんだろう、と考えないと納得できないし、納得しないと読みすすめられない。



アイコンを変えたときに「みんなのTLを流れる公共の景色なんだから」とブーイングされるなんて、いい迷惑だ。勝手だろって話だ。公共と個人だと公共が優先されている。

「あうー」と書いたら複数のリプライがくるとかも、本当か? と思う。

要するに「近すぎる」んだ。

古いものって、人と人が近いと思う。人と人が近いから古いと感じる。すぐ返信されるのも、TLの互いのことをみんなよく知っているのも、人と人が近いんだ。

話しかけてくるおばあちゃんがでてくるけど、おばあちゃんはほんとうに近い。うかつに話しかけて、悪人だったらどうするのか。老人が人にかんたんに近寄る性質を利用したのがオレオレ詐欺だ。

以前はそうじゃなかったものがいまはハラスメントとされたりするけど、要するに距離をとっているんだ。変に近づくな、過剰に関わるな、ということだ。そういう流れなんだ。

この本がなかなか読み進められないのは、現代のことを書いているようで微妙に人と人が近いところが古くて、ひっかかってくるからだ。



どうしても「リツイート」という言葉を使いたくないのか「口づて」と書いてある。
これはいくらなんでも無理がある。リツイートはリツイートだ。口づてじゃない。口づてというと人が集まってしゃべっているみたいで、近すぎる。

ツイッターについてくわしく書いているわりには、リプライもハッシュタグもファボもリムーブもブロックも出てこないし、いろいろ不自然だ。
そうそう、この小説ではみんななかよしになってるけど、ほんとのツイッターは変な人や嫌な人がいてミュートやリムーブやブロックやスパム報告をすることがあるわけだよ。
ツイッターの嫌なところは書かないと、決めて書いてる小説なのか。



ツイッターがよくでてくる小説なのに、ツイッターを知らない人に向けて書いている。オレにはツイッターの説明はいらない。だから、こっちを見ていない本だ、と感じる。そう感じながら、もうだいぶ読み進めてしまったし、気になるところも出てきたので最後まで付き合おう。
オレはツイッターを9年やってるけど、この小説のなかの人たちはせいぜい数年だ。感覚がちがうところもあるだろう。











機種変したら画像が鮮明になり、よくわからなかったアイコンの意味がわかるという場面、良い。
たたまれたティッシュの箱と上の面の紙の蓋の話もいいと思う。

ところどころおもしろいポイントがある。

読みおわった。読みおわってみると、いい本だったと思えてくる。

ツイッターの外側を描いているところは違和感なく読める。こまかいところが生きている。

ツイッターについてはやはり違和感が大きい。主人公は、知りたいことがあっても検索せずにツイッターで誰かにきくのが好きだという。それで誰かがちゃんと教えてくれるあたり、フォロワー多いんだろうなと思う。

主人公は作家だからフォロワーが多いのもわかるとして、編集者のスズキもそんな感じらしい。途中で送信したつぶやきに「大勢に」一斉にツッコまれている。こういうのがひっかかるんだ。編集者でそんなにフォロワー多いのはなぜ?



ネムオという主人公に、スズキという人物がからむから、自動的に鈴木宗男を思い出すわけだが、べつにそれらしいことはなにも書かれていない。



ネムオがツイッターでお題を出している言葉遊びで知り合った二人が結婚するというエピソードがある。ツイッターからそこまで仲良くなるんだね。
でも、これが意外なことに、似たようなことはオレにも心当たりがある。ツイッターを通して、ちょっと手の込んだ方法で結婚のお祝いを伝えたことがある。
だからなのか、このあたりから違和感が薄くなってくる。

それでも、転勤するひとりにそのフォロワーがみんなで一人暮らしのための荷物を送る場面は変な感じがする。
閲覧が1000くらいあるネット配信者が「開封枠」とかいって視聴者から届いたものを開けてるけど、そのノリに近い。



漫画家のアシスタントのことが書いてあるのがおもしろい。漫画が描かれる現場なんて、なかなかわかんないからなあ。
二つの絵をパタパタさせてどちらの表情にするか検討する場面など。


教室で一緒だと仲良くなるのにバスで一緒でも同じようにならないのはどんな要素が足りないのか、という問いに考えこんだ。
考えたこともないような問いが、日常にひそんでいる。それをみつけて引っ張ってくる。


「ノノちゃん」の震災時の行動は、一方からはだらしないと思われ、別のほうからは人として当然と思われる。終盤に重い問いがあらわれた。

液晶の点と、電飾を体に巻いたデブの話は好きだな



この小説の特徴として、場面が急に変わることが挙げられるだろう。誰かが何か行動すると、同じ行動をしている別の誰かにバトンタッチされる。
それが終盤でいきてくる。山を登りながらの思考であったり、人だかりに囲まれた猫の死骸をのぞきながらの思考。



感想はそんなところ。もっと早く出会っていたら違和感がすくなかったんじゃないかと思った。インターネットの数年ってけっこうでかいので。
オレが読むのが遅かったんだ。



この本おわり。
んじゃまた。





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2019年09月11日

村田沙耶香『コンビニ人間』読んだ

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村田沙耶香『コンビニ人間』


読んだ。
長くなくて読みやすかった。ほとんど一気に読んだ。



この記事のタイトルはもっと工夫すればいいんだけど、今から書く感想はたいしたことではないような気がするので、それに見合ったタイトルとした。



オレはこの小説を、あんまり他人事とは思わなかった。オレはスコップで頭を叩いたりはしないけど。

白羽という男は醜いが、二割くらいはほんとのことを言ってると思った。村社会のことだ。役割があって、それを求められるのは今も昔も変わらない。多数派がいて、少数派を奇異な目で見る。


でも主人公にコンビニがあってよかったと思うよ。コンビニが少数である主人公を多数の側にひらいている。

コンビニができるならスーパーも100円ショップもできるし、ほかの種類の店でも求められるものはある程度は共通するだろうし、ほかにもやれることありそうだけどな。それが状況を変えるかというとアレだけど。

ほんとはやれることがもっとありそうだけど、他に広げていく気持ちがないんだね。ずっと低い地位で同じことを繰り返していて満足している。

仕事に関してはオレもわりとそうだな。でも趣味は他にあってそっちではいろいろやりたいから、そこが主人公とオレのちがうところ。
この主人公はコンビニしかない。


コンビニが宗教になりうるのがひとつの衝撃だ。生き甲斐と平安をもたらしている。
コンビニの「音」のことが何度も出てきた。



印象にのこったのは、人間は周りの人間によってつくられることに意識的なところ。誰かのしゃべり方が、ほかの誰かにうつる。そうして人はつくられていく。
主人公も周りの人間を取り入れながら変化していく。

でも、そうやっていくら周りの人間を取り入れていっても、変わるのは振る舞いだけだ。主人公が「治る」ことはない。学習できる部分とできない部分がある。いくら真似できても、コンビニ以外の場所では周りの人と溶け込めない。言い訳が必要になる。村社会が求めているのは、もっと別のことだ。振る舞いが似ている、以上のことだ。誰にも影響されない感覚をもっていることによって、主人公は男と住むことになる。

あんなに差別的なことを言われたら男に怒ってもいいと思うんだけど、主人公はまったく怒りを感じないらしい。

変な男から主人公を救ってくれたのもコンビニだ。
感動的なおわりかただった。この意識の高さが主人公を守り続けてくれることを願う。

こんなに一生懸命働いて生きている人が、認められない現代社会なんだぞという告発みたいにも読めた。


そのまんまじゃダメだろう、と周りから見えても本人にその気がなければ変わらないよなあ。それこそ白羽の矢みたいなものが運命的に飛んできても変わらない。

ほんとうにダメになるときに、自然と道がひらけるんじゃないかと思うんだけど、楽天的かなあ。そのときにならないと見えてこないものがあると思う。コンビニとの出会いも偶然だったけども、そうやってあらたな出会いもあるんじゃなかろうか。

そうだなあ、男や就職じゃなくても、感覚が近くて心を打ち明けられるような友人ができるだけでも変わってくるとおもうよ。

って、なんか余計なところまで踏み込んでいきたくなってしまうからもう終わろう。




オレに初めて彼女ができたときに母親が喜んでたなあ。そんなことも思い出した。



この本おわり。
んじゃまた。



▼▼▼




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2019年07月23日

『ちくま』2019年1月号ほか  ~自意識過剰の終焉

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『ちくま』っていう小さい本を何冊か読んだ。70ページくらいある、月に一度出ている本。筑摩書房の本の書評が多く載ってて、そのほかにいろいろ幅広く連載がある。

書評がみんなうまいなと思った。つかみがうまいんだよ。普通に書名と作者名を見たら「知らない人が書いた、オレには関係ない本だな」とスルーしそうな本でも、うまい人の書評は興味を引くようなところから書き出してせまってくる。



『ちくま』には最果タヒさんの連載があるんだけど、2019年1月号の「自意識過剰の終焉宣言」は興味ある内容だった。エゴサーチのこと。
「めっちゃエゴサしてる」崎山くんという人について書いている。
最後の方を引きます。
(崎山くんは)SNSでの態度が褒められたって意味はなくて、自分のライブや音源に興味を持ってもらえるかどうか、それだけのために動いている。アカウントはアカウントだ。自分自身ではない。

嫌われること好かれることが、現実世界より簡単に頻繁に起こる中で、「もういいや」ってそこに振り回されるのを放棄して、やりたいこと、したいことを優先できたひとから、ネットの自意識から逃れていくのかもしれない。

最果タヒ「最果からお届けします。」
『ちくま』2019年1月号




オレは自意識から自由になってない。こんなふうになれたらいいなと思った。






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2019年06月16日

20代女子じゃないが『Maybe!』vol.7「笑いが必要だ 」を読んだ感想10個書く

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6/13発売の『Maybe! 』(vol.7)という雑誌で穂村弘さんにオレ・工藤吉生の短歌を紹介していただきました。
この本を全然知らなくて検索したら、20代女子のためのファッションとかカルチャーの雑誌みたいです。小学館のムック本。

デジタル版で買いましたよ。750円。
笑いの特集号で、穂村さんは「銀杏を食べて鼻血が出ましたか」というコラムのなかで笑いに関する短歌をいくつか引いていて、その最後にオレの短歌が出てました。最後ってのはいいね。


『Maybe!』っていう雑誌は20代の女性向けのファッション・カルチャーの雑誌ということで、オレは40近い男なので関係ないんですが、読んでみたら面白いところがいくつもありました。感想10点ほど書きます。


【1】特集扉、ファッション
『Maybe!』7号の特集は「笑いが必要だ」です。
〈古い価値観に抑圧された世界をバージョンアップさせるためには、笑いが必要だ〉
〈革命的笑いを学んでみませんか?〉

とあり、迫力を感じました。

そのあと出てくるのが「ツッコミ待ちファッション」で、モデルさんが後ろ前逆に見えるような服とか奇妙な柄の服だとかを着ている写真が続きます。
ファッション雑誌かと思ったらファッションはここくらいでした。
オレは玉城ティナとか聞いてもわかんないんだけど、回転が早そうな世界ですね。



【2】ポカリの広告漫画
ポカリスエットの広告の漫画がありました。妄想に共感しました。
「駆け抜けろ、青春!」と書いてあります。一番うしろのほうでもポカリスエットの青春っぽい広告がありました。ポカリはこんなに青春を押し出してたのか。

ポカリとかアクエリアスのCMにくそ食らえって床で寝ている
/川谷ふじの「自習室出てゆけば夜」


っていう短歌を思い出します。



【3】笑いのセンス診断チャート
「編集部の独断による笑いのセンス診断チャート」をやってみたら、王道のセンスと言われました。質問に出てくるものをほぼ何も知りませんでした。二十代でも女性でもないし。
診断チャートって、なんか昔ながらのページですね。



【4】ツウを気取れるお笑い番組&芸人
「カルチャー女子に伝えたい!ツウを気取れるお笑い番組&芸人」は、どうかなーと思いながら読みました。
ツウを気取るってことは、自分は詳しいぞっていうことをわざわざアピールしてくるんでしょ。それでいて、よくよく聞けばそんなに詳しいってわけでもないんでしょう。

「ツウっぽくなるにはどうしたらいいですか?」と、お笑い通の匿名の人物に質問してるけど、おかしいよ。ツウとツウっぽいことは別でしょ。
たくさん見聞きすれば詳しくなって自然にツウになれるけど、そうしたくはないんだね。そこでラクをしようとするってことは、お笑いを好きじゃないってことなんじゃないかな。

質問されたお笑い通の人は、「構造を語ればツウっぽく見える」と回答していた。「ただし、僕のような人」相手には語ってほしくないという。この人が本当にお笑い好きだから言えることだと思います。



【5】ブラックユーモア復讐劇
「嶽本野ばらのブラックユーモア復讐劇」は不気味な面白さでした。妄想による、さまざまな嫌がらせ。
「嫌味は全面肯定しまくる」は実際に使えそう。実際に使えそう、という妄想だけど。



ここから漫画がつづきます。

【6】浮遊教室のあと
コナリミサト「浮遊教室のあと」は、炎上を恐れてびくびくしてる男の子と、炎上をおそれない大胆な女の子の物語。
「私に怒ってる人達、割と常に全方向にカジュアルに怒ってて」に、なるほど。常に怒ってる人、怒っていたい人の機嫌とってもしょうがないよね。

この女の子の名前が「裕木のあ」っていうんです。
オレが中学生のころに好きだった裕木奈江はなんか嫌われてたなあ。



【7】盆栽カップル
沖田×華「盆栽カップル」は性行為を盆栽で表現してるのがおもしろかったです。鉢に鉢が乗り上げている。それでも盆栽同士はまったく触れ合わないわけですよ。木と性行為って遠いなあ。



【8】双子のマトリョーシカ
今日マチ子「双子のマトリョーシカ」は女性の苦しみが強くあらわれた作品。
「ダーク・マタニティ・ファンタジー」とあるけどファンタジーの要素はわからなかった。双子?



【9】くすっと笑える女子エロカテゴライズ
「くすっと笑える女子エロカテゴライズ」は「射精占い」がよかったです。「フェラの時だけ熱血コーチになる」も。



【10】編集後記
編集後記に
〈Maybe!読者のみなさんは「変わってるね」と言われ慣れていそう〉
って書いてありました。どうなんでしょう。ほんとにヤバイ人は周りからそのように言われなくなるわけで、細いところを通してきましたね。



以上「Maybe!」7号の感想でした。最初に出てたような
〈古い価値観に抑圧された世界をバージョンアップさせる〉
〈革命的笑い〉

はそんなに感じないけど、女性の生きる苦しさが濃淡さまざまに出てるなって印象でした。
この本おわり。



関連
男だけど「an・an」のセ○クス特集号を読んで付録DVDを見た : ▼存在しない何かへの憧れ
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52197422.html


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2019年05月24日

太宰治(文春文庫 現代日本文学館)を読んだ

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文春文庫の現代日本文学館というシリーズで太宰治を読んだ。



まず『斜陽』。これは三回目くらい。




『人間失格』を再読。
1998年に読んだときと感想は同じ。モテてうらやましい。
それと、男しかいない病院に入れられたらいやだなっていうのと、悲劇名詞喜劇名詞の話。生死不明で終わるのは忘れていた。
ギャグ漫画家でありながら偉い絵描きになりたがっているところに、なんとも言えないものを感じる。





「ダス・ゲマイネ」読んだ。なかなかいい。「太宰治」という登場人物の立ち位置がおもしろいと思ったら、解説(臼井吉見)にもそのあたりが書いてある。



「満願」読んだ。これは高校生のころに読んで覚えてた。




「富獄百景」読んだ。高校のとき以来。カメラの場面だけ覚えてた。
くつろいでいて、よかった。悩んだりギスギスしていない。あちこちで富士山がさまざまな表情を見せる。



「葉桜と魔笛」読んだ。おもしろい。手紙をめぐる話。自分と自分で、男と文通しているかのように手紙を書いているってやばい。

姉が、妹と男との手紙を見てしまったかと思ったら、妹が自分で自分に書いていた。いない男を装って姉が妹に手紙を書く。
「世にも奇妙な物語」の「ネカマな男」みたいな話だ。

その男が歌人だというのがよかった。



「駆込み訴え」読んだ。キリスト教の話。



「走れメロス」読んだ。ふつうに面白かった。短くてプツプツした文章。すこし遅れてくれば許してやるという王の言葉が、たいしたもんだと思った。悪役がちゃんとしてるのがいい。ちょっと情けがあることで、悪者度がアップする。この王が人を信じられなくなった背景には、ひどい裏切りがあったんじゃないか。



「トカトントン」読んだ。金槌の音が聞こえてくると無気力になる話なのは覚えていた。読み直してみると、かなり鬱陶しい手紙だ。知らない人からこれが届くのかー。住んでる所が近いというだけで。

トカトントンで無気力になるより、この人が情熱家であることのほうが印象的だ。小説に恋にマラソンに、えらく情熱的だ。マラソンなんて、自分が走ってるわけでもないのにものすごい思い入れだ。

「どうせ田舎の駈けっくらべ、タイムも何も問題にならんことは、よく知っているでしょうし、家へ帰っても、その家族の者たちに手柄話などする気もなく、かえってお父さんに叱られはせぬかと心配して、けれども、それでも走りたいのです。いのちがけで、やってみたいのです。」

マラソン選手に影響されて、やってみたのがキャッチボールというのがズレていて、それでもかなりの充実ぶりだ。

それと、トカトントンの聞こえかたが毎回ちがうんだよね。恋愛のときだけやたらはっきり聞こえていて、あとは遠くからだったり、「聞こえたような気がして」と、おぼろげになっている。

恋愛といえば、郵便局員がふつうに業務をやっているだけで、片想いの女性から誘われるのが、なんだか太宰っぽい。妙にモテるところ。

最後に「むざんにも無学無思想の男」だという作家が返信する。無学無思想でも作家をやれるものなのかと思って読むと、この男は聖書の言葉を引いて「真の思想」について語っていた。「真の思想とは叡智よりも勇気を必要とするものです」と。




「ヴィヨンの妻」読んだ。これは初めて読んだ。
解説では、斜陽や人間失格と並べて、特に注目すべきものだと書いてある。オレにはそうでもなかった。

「傷つきやすい心をまって生まれたために、ゆえ知らぬ不安におびえて巷を彷徨する、のんだくれの薄汚れた詩人の身の上について、決して傷つくことのない、すべてを軽くさばいていくその妻の口を通して語る」と解説に書いてあるとおり。

うちの父も青森なんだけど(「工藤」は青森に多い名字)、主人公が父に似ていてなんだか他人事とは思えなかった。ろくでもない。
それより妻のほうを見る話なんだろう。妻は、支払いがたまってる話をきいても笑ってるし、困った状況も知恵で乗り越えている。

お金の感覚がいまと違うから、金額にピンとこない。百円といえば大金、って言われても。換算すればいいという話ではない。

しかしそれにしても、酒臭い話だ。「男には、不幸だけがあるのです」とか読むと、ムワーッとしたものを吐きかけられるようだよ。




「桜桃」読んだ。高校生のころに図書室で読んで以来だ。今世紀になってから初めて読んだ。

前世紀に読んだときには「涙の谷」という言葉にやらしい意味しか読み取らなかった。生活がつらくて泣いてるんですという意味だったんだね。
夫はこうして逃げられるが、妻はどうすんの。

「私は議論をして、勝ったためしがない。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである」






以上です。


関連

太宰治『グッド・バイ』(新潮文庫)を読んだ : ▼存在しない何かへの憧れ http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52225103.html


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2019年03月05日

『群像』2019年2月号の特集「文学にできることをⅡ〈短篇創作〉」すべて読んだ感想

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すこし前の本だけど群像2月号に載ってる短編を読んだ。

『群像』2月号の特集「文学にできることをⅡ〈短篇創作〉」すべて読んだ感想を書く。


群像ってはじめて買ったんですよ。穂村弘さんの「現代短歌ノート」に自分の短歌が載ったからなんだけど



佐伯一麦「ななかまど、ローワンツリー」読んだ。 https://t.co/JFIntcMLAA

この作家さんの作品を読むのは初めて。
っていうかオレは現代の日本の小説ってあんまり読んでなくて、有名な作家ほぼ読んでない。



さて佐伯一麦さんの小説。
出だしから「寝覚めしたおれは、」で始まっている。意味はわかるけど見慣れない言い回し。少し進むと「妻の寝息がしている」「居心地が萌してきた」もある。

作家ごとにこういうのってあるよね。
この小説を読んで一番感じるのは、時間の動かしかた。
寝覚めしたところからすぐ昨日の話に飛んで、なかなか戻ってこない。場所も移動していて、時間と場所がわからなくなる。
わからなくなる感じがやりたいんだと思いながら読んだが、オレがダメな読者だからわからなくなるだけかもしれない。

主人公が仙台の人ということですこし親近感。でも舞台はイギリスのほうだ。指揮者のバルビローリの話がでてきたりする。

どんな話かっていうのをまとめるのはむずかしい。時間がこまかい範囲内で前後するが、内容もあっちこっちする。ベンとリズという夫婦との交流と、そのなかで起こった震災が主なところか。

古いお金が使えなくなる場面とか、「木漏れ日」という言葉は直訳語がないとか、ペニーレスポーチとか、そういうのを読んでいると観光の感じになる。

あと、夫婦のありかた。共同でよくやっている。
ベンはリズの制作したタペストリーの展示のためにけっこう危険な作業をやろうとして、うまくいかなかったのを残念がっていた。

ベンとリズの夫婦は日本滞在中に震災にあう。
ベンの手記のなかで、震災の強烈な体験として、暗い場所での食事でわさびの塊を口に入れてしまったことが書かれていた。
オレは震災の夜にもらったおにぎりを食べたら赤飯でおどろいた体験を思い出した。震災あるある、なのかも。

古い感覚なんだろうけど、外国人と接触する場面になると緊張するよオレは。小説なのに、自分が話しかけられてるみたいに緊張する。

終盤にあたらしい人物を出すあたりにも、一直線でない筋書きを感じた。ラストがささやかで、別にこれが書きたくてここまでのことを書いたわけじゃないんだろうって感じがする。
ピントをひとつにしぼらせない感じ。

作者については調べずに読んだ。この佐伯さんという作家の立ち位置というかアレはわかんないけど、現代だなと思って読んだ。

これが15ページの短編小説、佐伯一麦「ななかまど、ローワンツリー」の感想。この調子で進める。







つづいて町田康「はなれて遠き」読んだ。

この作家さんも読んだことがない。ブックオフで「ほ」とか「ま」のあたりを見てると、この方の本が必ずある。だから名前だけは知っているし有名らしいこともわかる。こちらも作者情報なしでいく。それができるのは最初のうち。


はじめのほうはおもしろい言い回しがあって、印をつけながら読んだ。
「チャーハン色の革上衣」
「命を的に修羅場を駆け巡り、頑張って頑張ってきた」
「靴墨と眉墨を間違えるよりもまだ馬鹿らしい」
「ざっ風景」
「いかにも愛想笑い、みたいな、もう見るからに作り笑いみたいな笑いを笑った」
「鬼は外。福は内。こいつやはりただの鼠じゃねぇな」
「未来の乞食も宵の内」


わからない言葉が出てきて調べた。
ガタロ→河童
チボ→スリ

喉越しがいいというか、どんどん奥へ引っ張りこまれるような文章だった。

ふたりの男が楽屋で話し合っている場面が大半を占める。
二人はうだつのあがらない舞台人らしい。妙に観察眼がするどくて、互いの気持ちを探ったり、壁の落書きとか、ボトルのラベルについて考えて話し合っている。
ただの楽屋話ではないようだ。2人の洞察力の鋭さ・用心深さもそうだが、思想チェックがあるらしい噂とか、モニターがなくなっていてその代わりに集音マイクがつけられているとか、「密勅」とか。
なにかの象徴なのか。

「密勅」のくだりで思ったのは、小説では作者がその気になれば、何行も引き伸ばすことができる、秘密を秘密のままにして気をもたせることができるということ。「密勅」ってなんだと思って読み進んで、結局わからない。

わからないといえば、最後にでてくる舞台が圧倒的にわからない。漫才なのか芝居なのか。書かれ方が抽象的だ。
「二人は完全に受け入れられ、その場が一体化して全員が幸福感と高揚感、官能のよろこびに包まれた」

ひょうきんな話かと思って読み進んでいったが、気味の悪い話なんじゃないか。
この作品は、2人の男については細かく描かれているけどそれ以外はかなりぼかされている。巨大な力が2人を圧迫していて、それが特にぼかされている。






つづいて西村賢太「四冊めの『根津観現裏』」
この人の本は何冊か読んでいるから、「根津観現裏」ときけば「いつものやつだな」と察しがつく。変わってなくて安心した。
清造、土下座、慊い、ほき出す、没後弟子。

さっきブックオフのことを書いたけど、同じ古本でもまったく世界が違う。すごい情熱で同じ本を何冊も集めている。没後弟子への道は、なんとけわしいのだろう。
ソープランドの一件はおもしろい。

「文芸誌なんて好んで読んでる馬鹿な奴らは、馬鹿なだけに、何を言いたいのかまるで分からないやつのみを有難がる習性があるんだから、単純に分かり易く書いてるぼくの小説なんか、無条件に軽ろんじるだけで絶対に読みやしねえ」
に印をつけた。







つづいて、円城塔「わたしたちのてばなしたもの」
この人もすごく名前をよく見る人だけど作品は初めて読んだ。
読んで、最後のところで、まんまとやられた。

遠い遠い未来の人が言葉の変化について書き残した文章、ということになっている。
どれくらいの未来かというと、癌が制圧されているとか、生殖能力を含めた性転換が行えるようになっているとか書いてある。
そこでは「進化の歴史のどこかの時点で性別によって引き裂かれた言葉を一つに縫いあわせようという試み」が進んでいる。
言葉に性差がなくなり「彼」と「彼女」が同義語となっている。性別だけでなく「人種、国籍、年齢、信条など」もそのようになっている。

とっても難しい問題だ。
「モトカレ」はユーモアだろうし、「生産効率の上昇」もそうなのだろう。

読んでいると、自分が生きているのはなんて野蛮な世界だろうと思うと同時に、それを脱するために必要な見返りの大きさに、あぜんとする。



以上、『群像』2月号の特集「文学にできることをⅡ〈短篇創作〉」すべて読んだ感想でした。

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2018年11月01日

太宰治『グッド・バイ』(新潮文庫)を読んだ

小谷野敦さんの『純文学とは何か』を読んだ影響で、なにか文学っぽい小説を読んでみたくなった。

いろいろ迷って、太宰治と谷崎潤一郎を買った。谷崎はまったく読んだことがない。太宰は主なものだけ読んだことがあるけど、読むのは15年ぶりくらい。




新潮文庫の太宰治『グッド・バイ』から最初の短編「薄明」を読んでみた。
空襲から家族で疎開したり、攻撃から逃げ回る話。なさけない父親っていう要素があるけど、空襲がおそろしいっていうことのほうが印象的だった。

親戚の家に数人で世話になるとか、布団を持って妻と子供二人で逃げ回るとか、地面を掘ってものを埋めておくとか、塀をのこして家が焼けるとか、子供が失明しそうとか。

太宰治は39で死んだという。オレがもうすぐ39。
一日一篇くらいずつ読んでみる。







太宰治「苦悩の年鑑」読んだ。思想の話。


「十五年間」読んだ。
太宰はサロン的なものを嫌悪している。サロンとは。「半可通」、上品でキザな男。

「お上品なサロンは、人間の最も恐るべき堕落だ。しからば、どこの誰をまずまっさきに糾弾すべきか。自分である。」
「気が弱くてだらしない癖に、相当虚栄心も強くて、ひとにおだてられるとわくわくして何をやり出すかわかったもんじゃない男なのだから」


嘘をつく親にとことんつきあう息子の話と、そのような戦争への態度。先輩に苦しみをつづった手紙「ただちに破棄して下さい」がその通りにすぐに破られた話。空気抵抗があってはじめて鳩は飛べる、そのように自由思想は圧制と束縛へのリアクションであるという話。

オレは歌人なので、太宰のいう「サロン」を歌壇みたいなもんかと考えてみたが、オレのなかではあまりうまく重ならなかった。
オレは、自分は歌壇にふくまれていると思っている。境界は曖昧だが、その曖昧な境界の内側にいると。自分はその外側にいるから関係ないみたいな態度はできない。

上品やキザは嫌いだが、自分がそう見えてない保障はない。太宰は自分自身を糾弾した。自分のなかのサロン的なものを。







太宰治「たずねびと」読んだ。
北へ逃れていく家族。飢え。おにぎりが糸をひいてにちゃにちゃするというくだり、読んでいてつらい。ここにでてくる桃やトマトはおいしそう。







太宰治「男女同権」読んだ。
詩人だという妙な老人が、いかに女性に虐げられてきたかを講演するという内容。
なかなかたいした自虐ぶり、たいした滑稽さで、ドストエフスキーの作品世界に迷いこんでも立派にやっていけそうだ。

「東北の寒村などに生れた者には高貴優雅な詩など書けるわけは絶対に無いこと、あの顔を見よ、どだい詩人の顔ではない、生活のだらしなさ、きたならしさ、卑怯未練、このような無学のルンペン詩人のうろついているうちは
日本は決して文明国とは言えない」


太宰は老人になる前に亡くなっているが、東北の寒村というのは太宰自身が反映されているんだろう。
読んでると自分のことのようで、なんだかうれしくなってくるよオレは。

オレは高校教科書に載ってた夏目漱石の『こころ』で読書のおもしろさを知ったんだけど、小説のなかに自分に似たみじめな男がいると面白く感じていたものだ。本のなかに自分を探していた。そのころの感覚を思い出した。

でもどんなぶざまな人物でも、オレよりは立派に思える。この老詩人は、随分いろんな仕事を経験して、苦しい生活に耐えて生きているんだから。







太宰治「冬の花火」読んだ。
戯曲なんて久しぶりに読んだ。戦争のなかで生きてゆく数枝という女性に厳しい現実がおそいかかる。
父の無理解、夫の戦死の報、出刃包丁を手にして言い寄ってくる清蔵、母の病気。

東京から電車を乗り継いで苦労して青森まで帰ってくる描写が、この作品にもある。







太宰治「春の枯葉」読んだ。
これも戯曲。人物の性格がよく分かれている。堅実な人とあやしい人とで。男と女、田舎と都会、金持ちと貧乏、いろいろぶつかる。酔っぱらいの台詞まわしがよかった。

戯曲を読むたびに舞台のこまごました説明がどうしても気になる。あと、ご親切に人物について説明してくれる長い台詞。あると助かるけど「説明だなあ」と思う。

終盤に議論があるけど、これが言いたいことなんだろうか。
「罪多き者は、その愛深し」
「人間がもし自分の周囲に絶えず行われている自分に対する裏切りの実相を一つ残らず全部知ったならば、その人間は発狂するだろう」
「人間は現実よりも、その現実にからまる空想のために悩まされている」
「倫理には、正しい事と正しくない事と、それからもう一つ何かあるんじゃないでしょうかね」








太宰治「フォスフォレッセンス」「朝」読んだ。
「フォスフォレッセンス」はいいな。夢のなかに出てきた名前の響きの感じ、する。







太宰治「饗応夫人」読んだ。「饗応」が変換できておどろいた。ポンコツなスマホなのに。
女中(これは変換できなかった)の視点から、気前のよすぎる奥様が破滅してゆくさまが描かれる。






太宰治「美男子と煙草」「眉山」「女類」「渡り鳥」「グッド・バイ」読んだ。



「眉山」はなんとも苦いなあ。死んでしまうとなにもかも真面目で厳粛なものに変わってしまうというのは。



「女類」は女性蔑視の激しい笠井というキャラが強烈だ。これも女性が亡くなる。

「渡り鳥」すばらしかった。読み終わってから冒頭のダンテの言葉を読み直すとまた味わいがある。
目上にはへつらい、下と見ると素っ気なく、態度がころころ変わり、流されやすい男の話。心の中が書いてあるのがとてもいい。

「やった、やったんだ。よくあるやつさ。トイレットの中か、または横丁の電柱のかげで酔っていながら、残金を一枚二枚と数えて、溜息ついて、思い煩うな空飛ぶ鳥を見よ、なんて力無く呟いてさ、いじらしいものだよ。実は、僕にも覚えがあらあ。」

「馬鹿者はね、ふざける事は真面目でないと信じているんです。また、洒落は返答でないと思ってるらしい。そうして、いやに率直なんて態度を要求する。しかし、率直なんてものはね、他人にさながら神経のないもののように振舞う事です。他人の神経をみとめない。」




「グッド・バイ」は、なんだか漫画みたいな話だった。これも強烈なキャラがでてくる。未完だけど、あちこちでキャラをいかして事態を解決して「グッド・バイ」とささやいて回る話になるんだろう。




以上です。
んじゃまた。



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2018年10月13日

ジェームズ・クラベル『23分間の奇跡』を読んだ

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以前、ドラマ「世にも奇妙な物語」で「23分間の奇跡」というのを見た。



"世にも奇妙な物語 23分間の奇跡"
https://t.co/xQVzON6swK


──小学校の新任教師(賀来千香子)は生徒たちを前もって調査して把握している。ほめたりお菓子を配って子供の心を掌握する。反抗的な生徒をクラス委員にし、前の教師がかけた額を捨てさせる。──

なんかいつもの「世にも奇妙な物語」じゃないみたいで、あれ? と思いながら見た。ぐいぐいくる先生だなあと思って見ていたが、じわじわとこわくなってくる。途中で終わったような印象もあるが、あの時点ですでに「(将棋でいえば)詰み」だ。

教室の外側で大きなことが起こったはずなんだが、それがトシユキくんのもってる新聞の切れはしでしかわからなくて気になった。はっきりわからないから普遍性のある話になったんだろう。

これを「奇跡」と呼ぶところにセンスを感じた。完成されたマニュアルを正確におこなった結果だ。トシユキくんをまるめこむやりかたも実にスムーズだった。








それから、ジェームズ・クラベルの『23分間の奇跡』を読んだ。集英社文庫。短くて、子供向けっぼく書かれていた。
「世にも奇妙な物語」で見たときに印象的だったので原作も見てみたくなって、それがたまたま見つかった。
海外の文芸作品と日本のドラマだけど、違いは少なくて、ドラマは原作に忠実につくられたのだとわかった。

青島幸男が翻訳している。テレビ司会者で政治家で作詞もする人っていうイメージだったが、直木賞作家だと知った。
https://t.co/NXBOJv3240



ドラマと原作で一番ちがうのは、国旗の扱いだ。原作では国旗をちぎることになっているが、ドラマでは自由とか平等とかが書かれた額を投げ捨てている。

ドラマを見たときは、新しい教師が言葉たくみに子供を悪い方向へ動かす話に見えたんだけど、原作や解説を読むと、古い教師のほうが悪にも思えてくる。善悪つけがたい話になっている。





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2018年10月09日

山田亮太『オバマ・グーグル』を読む

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短歌研究2018年9月号に掲載されたオレの短歌

公園の禁止事項の九つにすべて納得して歩き出す/工藤吉生

について、加藤治郎さんがこのようにおっしゃっていました。

「山田亮太さんの詩集『オバマ・グーグル』にある「みんなの宮下公園」という詩を意識しているのではないかと思いました」

意識してないし知らなかったのですが、「関係ありません」で済ませるわけにもいきませんし気になったので、山田亮太さんの『オバマ・グーグル』っていう詩集を買いました。

詩のコーナーの本なんて滅多に買わない。110ページ2200円を高く感じたけど、読み終わるとその感じはなくなった。


読んだ感じだと、コラージュっていうか、引用で作品を作っているんですね。
「みんなの宮下公園」はなるほど治郎さんの言うとおり
「宮下公園というフィールドに出ていって言葉を収集して、それを構成するだけで詩にしている」
読むと、禁止事項も書いてある。

読みすすむと落書きとか複数の思いがからみあっていて、迫力がある。この声の重なりの力はオレの短歌にはないものだ。

オレの歌の「納得して歩き出す」に相当する部分、つまり自分はどう思って何をしたか、というのは山田さんの詩にはなくてオレの歌にある部分だな。



この「みんなの宮下公園」を読んで思い出したのは、斉藤斎藤さんの作品。

残響音があるうちは新たに鐘をつかないで下さい 広島市/斉藤斎藤

【引用元】
短歌時評 第82回 錦見映理子 « 詩客SHIKAKU

http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_tanka/2012-12-21-12517.html

オレの公園の歌と斉藤斎藤さんの広島市の歌は直接は似ていないが、山田亮太さんの詩は両方にそれぞれ別の意味で似ている。








そのほかの詩についても書いていく。





山田亮太さんの詩集『オバマ・グーグル』のなかの

最初の詩「登山」
メロディがついてもおかしくないような形をしている。漢字がないところから「一年生になったら」みたいな子供の歌を想像する。このような「歌」っぽい形の詩は、この詩集にはほかにない。

子供らしく見える詩だが、「いちばんうえ」に「さいしょにつこう」とか「さいごにいよう」とか、策略がある。
ヤッホーが増えてこみあってゆく。「いちばんたかいやま」の「いちばんうえ」に大勢がのぼっていて、われもわれもと叫んでいるのだ。



「現代詩ウィキペディアパレード」は、リンクの貼りめぐらされたウィキペディアの文章と、そのリンクをたどって読んでゆくのを紙の上でやろうとしている。どんどん脱線してゆき、「現代詩」は予想外のところにつながる。
この前も書いたけど、ネットでやってることを紙の上でやると異様だ。



表題作「オバマ・グーグル」読んだ。すごいもの見た。オバマをググって、そこに書いてあったもので構成した詩。
ウィキペディアで始まって、演説の全文、小浜市の熱狂、ファンページ、ニコ動のコメントまでが入り乱れる。

ニコニコ動画のオバマ就任演説を見たくなって探してみたが、うまく見つけられなかった。オレが見たやつはコメントが少なかった。

「オバマ・グーグル」を読み通して思ったのは、オバマや彼の訴えていることを真面目に考えようとしている人が、日本のインターネットにはおどろくほど少ない、ってこと。
それと、本のなかで縦書きの文字で見るネットの言葉の味わい。

切り取りかたに偏りがあって、そこが「作品」なんだけども。

これを見る感じだと、オバマのブームに乗っておもしろい記事を書いてやろうとか、商売してやろうという気持ちがネットに満ちているような印象で、そこからうっすらと気味悪さが漂う。

検索結果上位100件それぞれから言葉を拾うっていうアイデアがおもしろい。公園を歩き回って言葉を集めることと、発想がつながっているのだろう。

(これを応用するなら、匿名掲示板のオレに関する書き込みをバラしたり組み合わせたりして短歌連作をつくれそうだな)



「戦意高揚詩」。とりとめのない言葉がつぎはぎになっている。出てくるたびに組み合わせが変わっている。
なにも言ってないみたいでもあるが、ひとつのドアを叩き続けているようでもある。いざとなったら、こういうことをこういうふうに考えそうな気がした。

とぎれとぎれに、「おはよう」とか「さようなら」がでてきて、居心地よさそうな家のことがでてくる。それ以外は抽象的な言葉が多い。
もしかするとJ-POPによくでる言葉を組み合わせてるのかもしれないな。



ナイス害さんの歌集『フラッシュバックに勝つる』の最後のほうにブレイクビーツっていう章があるけど、この詩集はそれを何度もやってるんだな。詩は長いから、詩の前半にでてきたものを後半でブレイクビーツさせるようなことができる。

最初の「登山」では「ヤッホーヤッホー」が「ヤヤヤヤッホヤヤッヤホホ」になるけど、ここからすでにはじまっている。解体と結合。



「みどりの家」は、奇妙な男が一方的に語りかけてくる。人間というよりロボットみたい。わたしと結婚してくださいと言いながら、数々の偏見をあらわにして「あなたは覚えていないかもしれませんが」と記憶力のマウントをかけてくる。

彼が一方的にまくしたてて、女性である「あなた」は読者と一体になってゆく。これを読むことが彼に決めつけられ責められていることと同じになってきて、読んでるあいだ読者は彼につかまっている。



「弟1」っていう最後の詩もそれとつながっているのか、命令形が多くでてくる。ああしなさいこうしなさいと書かれていて、それをしているのを想像すると、自分が詩の登場人物になる。まきこまれている。

花嫁をやらされていると思うと、いつのまにか応援団をやらされている。
このへんのことについて語るための言葉や言い回しがありそうだけど、オレはそれを知らない。



この本おわり。






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「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【3】
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