枡野浩一の感想

2015年12月25日

枡野浩一さんの「神様がくれたインポ」を読みました

人はみな心変わりを語らずに断捨離めいたサヨナラをする - messy|メッシー https://t.co/fwtEPUuOPj

これは枡野浩一さんの連載。


エゴサーチにかかったので読んでみたら、つづきものだったので最初から一気に読んだ。枡野さんが連載をしてるのは知っていたけど、オレは実は小説が苦手で、今まで読んでいなかった。小説っぽくなくて読みやすい。

コメント欄に書かれたことに反応していくのとか、描写が電子レンジであたためたものやコーヒーのことばかりなのとか、いろいろ面白い。
印象に残ったのは、たまに自分のが立つと記念撮影すること。

小説というよりは「小説」ってカッコに入れたくなる。

「小説」にオレの名前が出てくるのは珍しいことだ。
「工藤よしお」という中年男性の主人公が女子高生とエッチする書きかけの小説ならネットで見たけど。
「赤い糸の伝説」 http://mbbook.jp/akaiitondensetu/?in=ok


小説のタイトル書いてなかった。「神様がくれたインポ」、略して「神ンポ」。
なんとなく、オレは神様からそれをもらいたくないから読まなかったんだよね。小説だし。でも読んでよかったしこれからもチェックします。


切り売りというよりむしろ人生のまるごと売りをしているつもり |枡野浩一 https://t.co/DYm7tGmcjZ #tanka @utayomin https://t.co/qReIVs5vOG



枡野さんの、「人生のまるごと売り」にあらためて驚いた「小説」。そこまで書いちゃうのって思う。結婚離婚の話にしても、性の話にしても。
ある歌人の離婚歴の話は初めて聞いたかもしれない。秘密でないとしても、ご本人が自発的には言わないことだ。


これが小説ということは小説ってなんだろうとか、少数派で生きる大変さを思ったりしました。



んじゃまた。


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2014年07月26日

~歌書読む 30~ 枡野浩一『かんたん短歌の作り方』(文庫版)  ~本をハタッと閉じた気がする、ほか

枡野浩一『かんたん短歌の作り方』の文庫版を読んでの感想を、作品集を中心に書いていきます。

オレはこれの単行本を読んでブログ記事にした。それが2011年11月のことだった。 http://t.co/mvM8s8SIdp
だから、14年ぶりというブランクをオレは経験していなくて、二年ちょいぶりに読んだ。

五通りの言い方を考えるというのは、短歌を作るときにはいつも思い出している。一方、リズムを外すとダサいっていうのはあんまり守れていないなあ。などなどと、あれはできる、これはできない、と振り返りながら読んだ。

今回読んでいて気がついたのは34ページの注に「意味がわからない場合は、辞書をひいてみてください。」とあったこと。注に意味が書いてある本も多いが、この本には辞書をひくように書いてある。ほかの部分、たとえば243ページにも辞書のことが書いてある。辞書のことは書くけど、そこにどう書いてあるかは書かない。自分で調べるのが大事ということかな。


『とにかく短歌をつくりつづけていけば、そのうち自分の表現パターンに飽きてきて苦しむことになるはずです。そこで行き詰まったら、そこまでの才能です。』56ページ。


『本来なら「表現技術はあって当然。それ以上のものが歌から伝わってくるか」というのを見なくてはならないのでしょう。難しい。でも、難しいからこそ面白いのです。』88ページ。



作品集が面白かった。二年ちょいぶりに読んだと書いたけど、その二年ちょいでオレの短歌の読み方が変わったんだと思う。面白く感じた歌が違う。こんな歌あったのかという発見があった。

西尾綾さんとか梅本直志さんはとんと見なくなっちゃったなあ。活動もそうだけど、誰かが歌を引用してツイートしてるのもここ二年見たことがない。今回読んで、とても良かった。


欄干の青い空き缶 この街が海に沈めば流れてゆける/西尾綾
→街まるごと全てが犠牲になってはじめて得られる一本の空き缶の自由。
青は欄干の赤と対照的で、ビジュアル的にはあざやか。いつかこの街を沈めるかもしれない海の色だ。


きょうが最低できのうが最悪であした前進するしかない/梅本直志


ローソンでならべられてるものだけで作った原爆あんたにあげる/梅本直志

→オレの家のすぐ近くにローソンがある。
簡単に手に入るようなものだけで恐ろしい武器が作れてしまうようなことが、ないとも限らない。それが身近な人物から「あんたにあげる」と手渡されるようなことも。
なんでも便利に入手できるとはそういうことなんだなあ。


好きでもない人を傷つけてしまった スキップで近づいてごめんね/佐藤真由美
→スキップって、うれしい時にすることが多い。幸せをついつい表に出してしまったせいで、思いもよらない誰かが傷つく。触らなくても話さなくても、傷つけてしまうことがある。
好きでもないから簡単に謝れるけど、そんなに傷つきやすい人のことは、いつまでも好きにはなれなそう。


降らせてるみたいな雨に濡れながらどこか行きたくないところまで/佐藤真由美
→落ちたくなさそうに、やる気なさそうに降ってる雨なんだろうね。それは行きたくないところまで行こうとしているからそう見えるのかもしれない。
「どこか」がオレは気になっていて、これは仕事や学校や会いたくない人のところに行こうとしているんではないね。どこかってどこだろう。雨宿り?
雨もそうなんだろうね。落ちたくない「どこか」に落ちている。



脇川飛鳥が今回むちゃくちゃ面白かった。何度も読み返しちゃった。

自分のことを言われてるような気がしてつい本をハタッと閉じた気がする/脇川飛鳥
→本を読んでいたら自分のことらしい話が聞こえてきた。たぶん悪いことじゃないかな。それで本を閉じた。
「ハタッ」は本が閉じる音でもあり、「はたと気がつく」という言い回しからとられたようでもある。

でもこれ、最後に「気がする」って言ってるの。なんだよ「気がする」って。「ハタッ」はすごくはっきりした動作で、本の中の世界から外の世界に移ったはずなのに、それがなぜか確かなことではない。

連作のタイトルが「気がする私」で、この「気がする」はきっと大事なやつだという、気がする。
どこまでが気のせいなのかわからないのが面白い。すべて気のせいかもしれない。噂も本も。
時間がたつと記憶が混線してくるものだ。本をハタッと閉じたには閉じたが、それがこの時だったか定かではないと。


そんなことやんなくっても成り立つことをやっとこの秋信じれている/脇川飛鳥
→今回読んでて、指示代名詞が多いと思った。この歌では「そんな」「この」がそれにあたる。なんのことかをハッキリさせる気がない。わかってるのは本人だけ。完全に置き去りにされる。
「この秋」は今年の秋だろうとわかるが、「そんなこと」がわからないので、何が成り立つのかもわからない。「やっと」というから、本人的には紆余曲折あったんだろう。
具体的なのが「秋」という季節だけで、しかしこれだけではわかんないし、ただ漠然と秋がある。

「やんなくっても」「信じれて」といった、くだけにくだけた言葉が気持ちいい。口調で読ませる。「成り立つ」みたいな硬めの言葉がときどきはさまるから余計くだけたところが際立つ。
話し言葉を文字にするから変わった感じになるけれども、それがオレには新鮮だった。

日常の言葉の断片だなあと思う。なんのことを言ってるのかわからないしゃべり方の人って、いる。そういう人なりの率直な心情なのだろう。この言いまわしじゃないと借り物の言葉になってしまうんだろうね。「正しい」「美しい」「標準的な」 日本語でみんなが生きてるわけじゃないからね。「ら抜き言葉はよくない」としたときに失われるものだってある。
生きているなかでそういう言葉になって、そこに忠実なのであって、意外に真顔の歌ばかりなんじゃないか。


その例外がたまったのが好きとかいう感覚になりえるから困った/脇川飛鳥


歩いても気持ちだけいつも道端にうずくまりそうになるから走った/柳澤真実


好きすぎて割れてしまった風船のしぼんだ残骸ひろげて見ている/柳澤真実

→手で広げても、膨らんだ状態そのものには及ばないから余計に喪失感がありそう。


ぴくるすはさびしくないか スパイスは自分に満足してるだろうか/佐藤真由美
→作品集二○一四のなかで丸つけたのはこの一首だった。

さびしさとか満足とか、人間らしい感情だ。だから、そういう役回りの人間(いつも厳しい人とか)のことを言っているように読める。



最後に教祖の歌を二首やって終わる。

「このネコをさがして」という貼り紙がノッポの俺の腰の高さに/枡野浩一
→つまり低い位置に貼られていた。ノッポの人の腰なら、子供の目の高さくらいか。「さがして」がひらがなになっているのも、子供の作った貼り紙なんだと思わせる。
貼り紙を作ったのも子供で、貼り付けたのも子供。大人に相談しなかったのかなあ。何らかの事情で。

大人に相談できないような子供(と決まったわけでもないが)が、ネコを失った。さびしいなあ。この子なりに精一杯のSOSを発している。
なんだかネコの見つかる可能性が低そうでかなしくなる。よく見えるところに貼らないと……。


書くことは呼吸だだからいつだってただただ呼吸困難だった/枡野浩一
→読んでいてそれこそ呼吸困難みたいに息苦しくなる。「た」「だ」が多いのがそうさせているらしい。

たとえば
「あなた方は浅はかな馬鹿な方々だ」赤坂まさか傘がバラバラ/松木秀
というA音の連続する短歌があるが、これもとても読むのがきつい。

音を操作するときって気持ちのよい方向に行きがちなんだけれども、そうでない方向もあるんだな。



ということでこの本を終わろうと思うんだけど、最後に、この本で一番好きなグミさんのイラストは、教祖がプリンをつついているイラストですと言っておきます。


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2013年05月25日

「枡野浩一のbot」を作った

しばらくぶりの更新。この間は歌人の枡野浩一さんのbotを作っていた。




(だれかセンスと頭のいいマメな人が上手に取捨選択してbot化してくれたらいいのに)(もうツイッターで知らない人に言いたいことなんてそんなにないんだ)(お金を払って来てくれるお客さんに笑われたいだけなんだ)

という枡野さんのつぶやきがきっかけ。
以下オレのつぶやき。5月17日から22日。



ますのさんの過去のツイートのbotを作ってみたい。っていうか、オレが早くそれに会いたいしフォローしたい。返事なんか待ってないで作ってしまおうか。修正は後からいくらでもできる。togatterにまとめられたものからコピーするならたいした手間ではない。

togetter だ。この程度の頭の良さで大丈夫なのかよ。

枡野浩一さんのbotを作ってみました。( @bot_masuno )思い立ったらじっとしていられず勝手に始めてしまいましたが、公認していただけるような良いbotにしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

これでいいんだろうか? とおびえながら作るbot。

プロフィールとかまだかなり空白にしてあるけど、ご本人の希望をお聞きして決めたいと思います。
勝手に作ったからまずいかなと思ったりもするんだけど、あったらいいのにと思っていたものが目覚めた時にできていたら素敵だと思う。オレだったら。

名言集みたいにしようとしている。

ますのさんのツイートを読むのが楽しい。それだけでもいい。

でも、面識のある人に作ってほしかっただろうなあ。

すげえ。ひっきりなしにふぁぼやRTの通知がくる。やまない! やまないよ! すごい影響力!

場所とwebページはますのさん本人と同じにした。口座を明記したいとは思っていた。お金に困っていることが多い方なので。

自動フォロー返し機能がONになってたのか。うっかりしてた。誰もフォローしないつもりだったのに。しょうがない。このままいこう。

botのアイコンをどうしようか迷っていた。
画像検索して最初の画像にしよう! と思って検索したが、少し小さいから別のやつにした。ブログの「公式プロフィール」の画像にしてみた。これなら妥当かなあと。

どんな画像にでも撮った人や描いた人がいるわけだから、そこは慎重な気持ちになる。

ふぁぼったーで人気のツイートを見てそこからいただいた。

すごい。はるかぜちゃんからふぁぼられた。

一晩ねたらすごいふぁぼやRTになってるんだろうな。それが毎晩。いただいたリプライは★をつけておくことにした。ますのさんの言葉への反響をまとめて保存する。

ますのさんbot、57577のつぶやきは別のbotに任せよう。それもオレが作るかもしれないけど、その可能性はあまり高くない。

もしオレが作るなら、著書、あるいは短歌集に入ってない歌ばかり集めた珍botにしたいな。つぶやきの間隔を6~8時間に一度にして。

2010年9月までのツイートは全て57577なのでbotツイートの対象外とする。そこから2010年10月末までのツイートを全て読みなおしいくつか選んだ。まだまだツイートは入力できるので探っていきたい。

そっか。Twitterに限らなくてもいいのか。

2011年5月以降についてはtogetterをますのさんの自選として尊重しよう。
容量がまだまだ余りそうだからかんたん短歌blogの言葉を入れよう。初期の方が高いモチベーションだったと記憶している。初期からいただこう。

エゴサーチして見つけた評判に★をつけておくことにした。ますのさんのbotらしくふるまいたい。

匿名批判については入れることにした。これを読んでオレは「くどう」から「くどうよしお」に変えた。影響を受けたツイート。

リプライの形のツイートにも重要と思われるものがあるが、それはもちろん@を外している。改変するみたいで好きじゃないんだが、やむをえない。

togetter 「プロフィールの補足として」
→ふぁぼったーの人気ツイート
→ツイログ2010.9~2011.4
→togetter 「匿名批判は卑怯? ずる? 脆弱?」

をまとめた。まだまだ入れられる。つぎは「かんたん短歌blog」を一番古い記事から読んでいく。



【アカウント凍結】

「枡野浩一のbot」アカウントが凍結されました。原因は自動フォロー返し機能が利用規約に反していたことによるものと思われます。Twitter側にアカウントの凍結解除を申請しています。

テキストはバックアップがあるし、アカウントももうひとつ取ってあるのですぐにアカウントを移して再開することが可能だが、問合せの結果を待つのが筋というものか。

と思ったけど、されるかどうかもわからない凍結解除を待てないので同じものをまた作りました。 ご迷惑おかけします。

今度はちゃんと自動フォローをOFFにします。っていうか、クリックひとつで簡単に規約違反ができちゃうのってどうなの。
あと、手動でも一日にたくさんフォローすると凍結の対象になるようだ。

オレは悪くないと思うよ。なんら良心にやましいところありません。

いつのまに自動フォロー返しがオンになってたんだろう。気をつけなきゃなあ。
だから、なんでうっかり押せちゃうようなところに自動フォロー返しオンオフの切り替えがあるの? オンにするとアカウントが止められるようなボタンがなんで無造作に設置されてるの? 部屋に落とし穴があるようなもんだ。

新しい「枡野浩一のbot」は @masunobot です。ID以外はツイート内容・プロフィール等全く同一のアカウントとなります。今後このようなことが起こらないよう努めて参ります。フォロワーの皆様におかれましては、お手数ですが再度フォローいただければ幸いです。


自動フォロー返し機能って、こんなに短時間に多くの人からフォローされるアカウントのことは想定してないんじゃないのか。スネ夫のネタbotがそういえば一日に10人までしかフォローを返さないんだった。

朝になったら全員に勝手にフォロー返してたり、また凍結してるんじゃないかと思って怖い。一度こういうことあるとこわくなる。
素晴らしいbotすぎてこわい。こんなすごいbotが日々動いていたら、世界が素晴らしくなってしまうんじゃないか。話がうますぎるぜ。

つぶやくことつぶやくことがRT されまくる、ふぁぼられまくる、フォロワー増えまくる、ってちょっと夢だったんだけど、こんな気持ちなんだね。昨日ははるかぜちゃんからもふぁぼられたりして、違うステージに突入した気分です。

こんなに求められるものが今までなかったことの方に驚く。
アカウントひとつ余分に持ってたのは、短歌の方のbotもいつか作るかもしれないと思っていたから。


オレは八百屋。八百屋は野菜や果物を一から育てたりしない。すでにできあがったものを仕入れて提供する。botもそう。すでにできてるものの魅力をいかに引き出しいかに提供するか、という課題。
自分が作った野菜じゃなくても、自分はただそれを棚に並べただけであったとしても、美味しいといって食べてもらえたら仕事に誇りを感じる。生み出すということだけがその物へのかかわりかたではない、ということを生み出すことに行き詰まってからよく考える。

今回のbotの場合は「本人が見ている」というかつてない重圧がかかっている。気合いも入ろうというものだ。


かんたん短歌blog から言葉を集めているが、思ったよりも集まりが少ない。まだまだ入れられる。余ったら何を入れるかとを検討していた。

http://t.co/ujk9sLq25B 枡野浩一40000字インタビュー「穂村弘を遠く離れて」を切り取りながら読んだ。読むのは三回目。攻めてるなあという印象。これは良かった。この時のますのさんと今のオレが同じ年……。
次は保坂さんの掲示板に行ってみよう。

とりあえず完成。全650ツイート。
重複してる内容もありそうだし、少し減らすだろう。



内容

実際にどこから抜粋したのかを書いておく。これはそもそもそのための記事だ。

togetter 「プロフィールの補足として」
→ふぁぼったーの人気ツイート
→ツイログ2010.9~2011.4
→togetter 「匿名批判は卑怯? ずる? 脆弱?」
→かんたん短歌blog
→40000字インタビュー「穂村弘を遠く離れて」
→保坂和志さんの掲示板での「枡野浩一の短歌教室」
→mixi のコミュニティー「枡野浩一の短歌入門」
→ツイログ

以上から抜粋した。

アカウント @masunobot をよろしくお願いいたします。


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2013年01月31日

[歌集読む10] 枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ 枡野浩一短歌集Ⅱ』

『枡野浩一短歌集Ⅱ ドレミふぁんくしょんドロップ』を読む。



きょうはラの音でくしゃみをしたいから「ドレミふぁんくしょんドロップ」は青/枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』

→ドレミふぁんくしょんドロップがドラえもんのひみつ道具みたいという指摘をどこかで読んだが、その通りだと思う。
このドロップは、いろんな色があって、色によってくしゃみの音階が変わるらしい。

ファンクションを調べると、なんか難しい説明が出てきて余計わからない。それとくしゃみの「ハクション」を掛けている。そういう言葉の操りかたもドラえもんっぽい。

ところで、「ラの音でくしゃみをしたい」ってなんだろう。全く奇妙だ。奇妙な欲望短歌だ。くしゃみの音階がいつもと違うところで、いったい何がどうだというんだろう。面白い名前だけど、あまり実用的な道具ではなさそうだ。


ドラえもんっぽいといえば、『てのりくじら』の中にはこんな歌がある。

だれだって欲しいよ だけど本当はないものなんだ 「どこでもドア」は/枡野浩一『てのりくじら』

→えらい違いだ。ドレミふぁんくしょんドロップだって無いことにはかわりなさそうだが、どこでもドアはきつい言い方で否定されている。しつこくねだられて怒ったみたいな言い方だ。
もしかしてドラえもん本人が言ってたりして。ひみつ道具を全てなくした、もう1つの世界のドラえもんが。

どこでもドアはかなり現実ばなれしてるけど、ドレミふぁんくしょんドロップならそれほどでもない。笛の音が出るラムネとか、吸うと声が変わる気体は実際にある。駄菓子屋の隅にドレミふぁんくしょんドロップがあっても違和感少ない。昔はあやしいお菓子がいろいろあった。

そういう、不思議なのにどこかなつかしい感じもドラえもんなんだよ。タケコプターの中の竹とんぼ、タイムふろしきの中のふろしき、などなど。
ドロップなんて最後になめたのいつだろう。いろんな色のが入ってた。白が人気あるんだ確か。




遠ざかる紙ヒコーキの航跡をなぞるがごとく飛びおりた君/枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』

→ちょっと硬めの言葉でできた歌。「遠ざかる」もそうだし、「航跡」「ごとく」もそうだ。本当に飛びおりた「君」がいたんじゃないか。君への厳粛な気持ちがあって、だから重みがあるのではないか。

近い題材の歌がほかにも見られることからも、それに近いことはあったんじゃないかと思った。例えば次のような歌がある。

とりあえずひきとめている僕だって飛びたいような気分の夜だ/枡野浩一『てのりくじら』

「僕だって飛びたい」ってことは、君が飛ぼうとしていたんだ。

ひきとめたけど、ひきとめきれなかった。そういうふうにつなげるなら、つらい話だ。

さっきの歌に戻る。なぜ「紙飛行機」ではなく「紙ヒコーキ」なのか。カタカナだ。
紙飛行機は実際には飛行機とは違ってほとんど上昇しない。下降するばかりだ。紙飛行機は飛行機よりもパラグライダーに近い。だから名前に飛行機とつくけど、実際は飛行機じゃない。
「君」が飛べなかったこと、機械じゃないことなどからこの表記になったんだと思った。

飛びおりた君と紙ヒコーキの航跡を重ねてたってことは、飛び降りるのを直接見ていたってことだよね。主体は。飛び降りる君をおそらく後ろから。あるいは、おちていく君を上から。

紙ヒコーキは軽い。カタカナにしたから余計軽い。それに対するのは人の命の重さだ。

イラストのキャラクターも軌道とともに落下している。思ったんだけど、オカザキマリさんのこのイラストは、自殺を予感させるものが目立つ。首つりみたいだったり、ギロチンにかけられてるみたいだったり、飛び降りてるみたいだったり。可愛いキャラクターだから今まで気づかなかった。




赤ちゃんのうちに手相の矯正をするのにつかう銀製の型/枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』

→生まれてすぐにこの世の論理によって体をゆがめられてしまう。生まれたらもうこの世のルールに問答無用で従うことになる。それが本当の幸せにつながるならともかく、きわめて不確かな手相のためだという。

銀製というのは拷問用の道具のようなイメージかと思う。冷たく鋭い。

わー残酷ーってなるけど、うちの猫なんかはメスで、すぐに子どもができないように処置してもらった。子どもを産みたかったかもしれないし、それはわからない。手相よりはましな理由でそうしたつもりだけど、それも人間の側から言ってるだけのことだ。




セミくらい大きな声で鳴けたなら モラトリアムが長かったなら/枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』

→以前もこの歌について書いたかと思う。その時は、大人になったら声を出して思いきり泣けないからセミはうらやましい、という意味の歌と読んでた。今は別の読み方もありうると考えてる。

蝉っていうのは、短歌の世界だと、はかない夏の風物詩みたいな詠われ方になりやすいんじゃないですかね。ここではそれと違う捉え方をしてみせたのでは、というのが今のオレの読み方。

上の句ではセミをうるさいものとしてとらえている。そして下の句では、モラトリアム、つまり実際に社会に出ないで準備してるっていうか引きこもってる期間が長いと言ってる。セミってうるさいしヒキニートだし、という考え方。
それで自分ももっと奔放に生きていたらどうだっただろう、と言っている。




ため息を深く深く深く深く……ついてそのまま永眠したい/枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』

→これはよさそうな死に方だ。痛くも苦しくもなさそうだし、覚悟もいらないし。自分の中のやりきれないことやなんかを全部吐き出して、すっきりして息をひきとる。

逆に言えば、人はそういう不満ややりきれなさや吐き出せないものに生かされているのかもしれないね。




バイバイと鳴く動物がアフリカの砂漠で昨夜発見された/枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』

塚本邦雄の『日本人靈歌』に
酷寒の母の命日 アフリカであたらしき瀑布(たき)が發見されて
っていう歌を見つけたんだけど、これ
と関係あるんだろうか。
だってこの二つの歌、「アフリカ」と「発見され」の位置が一緒なんですよ。こんな偶然ってありますか。

オレの記憶が確かなら、枡野さんはどこかで「塚本の本歌取りをしたことがあるけど指摘されたことがない」というようなことを書いてたはずだ。なんだったかなあ。
と、あれこれひっかきまわして探した。そして見つけた。短歌ヴァーサス創刊号65ページだ。
『塚本邦雄の歌の「本歌どり」をしたことがあるが、それを指摘されたことは一度もない。』
これ読んだとき、オレは「だったらオレが見つけて指摘したい」と思ったのだった。だから覚えていた。
でもこれ2003年春の本じゃないですか。かれこれ10年にもなろうとしている。その間にほかの誰かが先に見つけたのかもしれないなあ。

枡野さんはかならず「本歌どり」って書くね。「取り」と書かない理由があるにちがいない。

バイバイという鳴き声は、母を思う鳴き声なんだろうか。そんな動物が砂漠で今まで発見されずに瀑布のような涙を流していたとすれば悲しすぎる。と、二つの歌を合わせて鑑賞してみた。



以上です。


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[歌集読む9] 枡野浩一『てのりくじら 枡野浩一短歌集Ⅰ』

何冊か積んでる本がある。その中に枡野浩一さんの「てのりくじら」「ドレミふぁんくしょんドロップ」がある。実はオレはこの二冊は読んでなかったんです。「ハッピーロンリーウォーリーソング」と同じだろうと思って後回しになってた。それをつい先日読んだ。

オカザキマリさんのイラストと短歌が響き合っていてよかった。また、行の分けかたや歌と歌の距離なんかも違うから、そこにも新しさがあった。

ハッピーロンリーウォーリーソングについてツイートしてたのは2011年8月で、1年半ほど前になる。あれからいろいろ他の歌人の本や短歌を読んだり自分でも作ったりするようになり、歌の見方が変わった。そんなわけで、今この本の歌を読んで感じることや、イラストのことなど感想を書きたい。

ハッピーロンリーウォーリーソングのブログ記事を読み直したら、当時のオレは短歌をまだほとんど作ったことも読んだこともないのに、なかなかちゃんとしたことを書いてて、昔のオレってやるなあと思った。


▼存在しない何かへの憧れ : 枡野浩一「ハッピーロンリーウォーリーソング」内容と感想 http://t.co/VaeX6tus

やるなあとも思うけど、足りないなあと思うところもある。そのあたりを更新していきたい。

二冊を比べながら読んでいこうかと思う。まずは『てのりくじら』と『ハッピーロンリーウォーリーソング』の前半を比べながら見ていきましょう。

まず最初にデータ的なところをおさえる。『てのりくじら 枡野浩一短歌集Ⅰ』は実業之日本社、1997年9月23日発行。9月23日ってことは誕生日だ。

それと収録された短歌がほとんど同じ文庫本『ハッピーロンリーウォーリーソング』は角川文庫、2001年7月。



あしたには消えてる歌であるように冷たい音を響かせていた/枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』

→という歌は、『てのりくじら』には入っていないことが確認できた。そうなると急にありがたい歌のような感じがしてくる。

これどんな歌なんでしょう。なかなかつかみどころがない。よく響いて冷たい音ってなんでしょう。オレが最初に考えたのは、ヒールのカツンカツンという音。階段なんかだと特によく響く。別れ話の後、ヒールを履いた女性が、もう二度とこない男の部屋を出て階段を降りていく場面。

もう1つ考えた。水滴の音なんじゃないか。夜中に、閉めきってない蛇口からぽたぽたと水が垂れる。それは朝には生活音に紛れて消える。あのぽたぽたにはリズムがあるし、よくよく聴けば音階もある。

でも無理に具体化しなくても、雰囲気は出ているし、いいような気もした。




こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう/枡野浩一『てのりくじら』

→これが『てのりくじら』の一首目となる。短歌集Ⅰの冒頭の一首なんだから、重要な歌だ。
オレは実はこの歌はあまりピンときてなかったんだけど、一首目だし、特によく考えてみた。

迫力を感じる。なにか迫ってくる。それは硬めの言葉使いからきているんだろう。「以上」「ありうる」「だろう」。それからなんといっても「ふざけた」だ。
ふざけた今日に耐えた男の迫力だ。そしてもっとふざけてるかもしれない明日に向かう男の迫力だ。

濁音の効果もあるんだろうか。下の句のD音とA音の効果は。




真夜中の
電話に出ると
「もうぼくを
さがさないで」

ウォーリーの声
/枡野浩一『てのりくじら』


→『ハッピーロンリーウォーリーソング』では一行書きだったのが、こちらでは何行かに分けてある。こうしてその通りに改行しても、縦書きと横書きの違いがある。ネットで引用するとこういうことがある。
句ごとに改行してるかと思ったら「と」だけが違う。「と」で間合いを作っている。

それから魚のイラストがたくさんある。この中に、一匹だけ違うのがいて、それを探すのかと思って探してしまった。でもこの中にウォーリーはいない。

そもそもこの魚はなんだろう。『てのりくじら』とあるから鯨なのかと思ったが、鯨じゃないと言われれば鯨じゃない。抽象的な魚だ。『ドレミふぁんくしょんドロップ』のキャラクターもやはり抽象的でなんの動物だかわからない。

そしてこの魚、どうやらちょっと浮いている。空を飛んでいるのか。地についていたらそれはそれで少しおかしい。ここが水中だったら普通に泳いでいることになる。




とりかえしのつかないことをしたあとで
なおくりかえす
悪夢や夢や
/枡野浩一『てのりくじら』


→石川啄木っぽい行の分けかただ。その三行分かち書きに反応するように、イラストもつり革が三つ並んでいる。

とりかえしのつかないことをしたら、それだけで最悪だ。その上に、それを夢に見たりする。悪夢と夢が分けられてるのが特徴的だ。「悪夢」とは夢でもう一度とりかえしのつかないことをする夢で、「夢」はとりかえしのつかないことをせずにすむ夢で、覚めてから夢の通りではない現実を思い出して苦しむからやっぱり苦しいんだと読んだ。

「悪夢や夢や」ってことはまだ何かあるわけだ。苦しめる何かが。すぐ思い当たるのは、急に思い出すことだ。フラッシュバックっていうんですか。それです。




殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である/枡野浩一『てのりくじら』

→相田みつをの字体でこれ書いてトイレに貼ってある飲食店とかいやだなあ。

この歌がこわいのは、三句の「しばらくは」だ。しばらくしたら目標なくなっちゃうんですか。この歌で目標がなくなるって何を意味してるんですか。

「目標のある人生」っていうのが立派な前向きな人生みたいで、そこに皮肉がある。「ある」の繰り返しがその立派さを増幅させているのである。




なにごとにも向き不向きってものがあり不向き不向きな人間もいる/枡野浩一『てのりくじら』

→これは仕事してるときに思い出す歌。なんでオレがこんなことしなくちゃいけないんだ、とか、オレはなんてできないやつなんだ、とか考えてると、この歌が浮かんでくる。




いろいろと苦しいこともあるけれどむなしいこともいろいろとある/枡野浩一『てのりくじら』

→苦しいっていうのは、何かを達成させるために苦しむことが多い。むなしいっていうのは、達成させてもそこに喜びがないからむなしい。やってる最中は苦しくて、やり終わったらむなしい。それではよいことがなくてつらい。
「苦」だけ漢字で、そこに目がいく。

そしてそんな苦しさやむなしさが堂々巡りであることを示すかのように、イラストでは魚のキャラクターが無限回廊を泳いでいる。どこまで行っても同じ場所に、またきてしまうのだ。

「いろいろと」を2回繰り返している。10文字も空いてたら言いたくなりそうだけど、何が苦しくて何がむなしいのかは言わない。そこは「いろいろと」なのだ。いろいろあるんですよね。




口笛を吹けない人が増えたのは吹く必要がないからだろう/枡野浩一『てのりくじら』

→一見当たり前なことを言っている。でもじゃあ、口笛を吹く必要がある、ってどういう状態だろうと考えると、どこまでさかのぼっていいのかわからない。アルプスの少女ハイジの歌に、「口笛はなぜ遠くまで聞こえるの」とあるが、そんな疑問を持ったことがない。遠くからの口笛を聞いたことがないから。

口笛の用途があるとすれば、人を呼んだり合図することだろうか。そこで口笛使わないなあ。いらないなあ。オレも吹けないんです。
オレが口笛を聞く機会といえば、佐々木あららさんのポッドキャスト番組のテーマ曲くらいのものだ。

そしてこのページではキャラクターが口から音符が出かかっている。音符は出るのか、出ないのか。それとも、これで音が出てる状態なのか。いろいろと謎なオカザキマリさんのキャラクターだ。




平凡な意見の前に言いわけをしておくための前置詞「やっぱ」/枡野浩一『てのりくじら』

→確かに平凡かもしれないけど、この「やっぱ」によって遍歴を感じる。「やっぱ牛乳でしょ」と言う時、その人は牛乳だろうとは思ってたけど、ポカリスエットとか六甲のおいしい水とかいろいろ試したんでしょう。でも最後に再び牛乳に戻ってきた。巡ったことで確信を持った。そこで出てくるのが「やっぱ」。
オレも言いたい。やっぱ枡野さんだと。




文庫版「サンタフェ」二冊キヨスクで盗んで走れ 改札口へ!/枡野浩一『てのりくじら』

→『ハッピーロンリーウォーリーソング』では“「サンタフェ」二冊”に代わって“「てのりくじら」を“になっている。

サンタフェは宮沢りえの写真集だが、知らない人も増えてゆくのだろう。文庫化してたんだっけ。

一番気になるのは逃走経路だ。キヨスクで盗んだのなら、駅の外に逃げた方が捕まりづらいと考える。
改札口には駅員がいる。自動改札だろうと。猛烈に走ってきたらあやしい。それに、切符を買わないと改札は通過できない。他の通過方法をとるにしても足止めになり不利だ。

電車に飛び乗ってそのままどこかへ行ってしまえ、ということかもしれない。盗みというタブーをおかして新しい自分になり、新しい場所に行け、と。テンション高めの命令形なのを、それでなんとか説明できないか。

キヨスクは改札口の中にあるのではないかという指摘をいただいたので調べてみたんだが、両方のケースがあるようだ。オレは改札入ってから物を買うっていうのが最初から頭になかった。

イラストでは、羽根のついたキャラクターがたくさんいる。スピード感の表現か。左側のページにはブーツをはいた魚。こいつも逃げたいんだろう。足を黒くしたまま。

サンタフェ二冊なのはどういうことだろう。写真集は一冊あればいい。ヌイてよごすからもう一冊、と想像したが違うだろう。あえてくだらないものを無意味な数量で盗ませたんじゃないか。盗みという行為が重要であって、何をタダで得た、とかは関係ないのだと。

→文庫版のサンタフェが存在しないことがわかった。安心した。あるのだったら、犯罪を命令したことになってしまう。短歌通りに盗む読者がいたら、人として表現者としてどう責任をとるつもりなのかとヒヤヒヤしていた。
物を盗んで捕まるっていうのは場合によっては人生を踏み外すことになる。人様の人生を壊したらオレなら責任感じる。彼の自由意志により行われた行為だとしても。ちょっとしたきっかけにすぎなかったとしても。
中島みゆきの「愛よりも」という歌に「物を盗りなさい」という歌詞があってそのたびいやな居心地悪い気分になる。「みゆきさんダメー!」と思う。歌の中と現実をもっと切り離せればいいんだけど。ゲームの中では平気で殺したりするんだし。



『てのりくじら』はここまで。『ドレミふぁんくしょんドロップ』に続きます。


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2012年12月08日

さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば/枡野浩一「歌」

さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば/枡野浩一「歌」





→「な」「ら」が歌を貫いている。やわらかい「よ」の音は二句で消え、代わりに「ば」が入ってくる。この「ば」が引き止めるような効果を持っている。だから、最初はきれいな別れのようなのに、言葉を加えるほどに未練がましくなっている。結句では「さ」の音も消え、ぬるぬるねばねばとした響きになっている。別れたくないきもちが強まりこうなっているのだ。

「さらば」は二重の意味で使われている。別れの挨拶であると同時に「そうならば」の意味を持つちょっと古い言い回しとして。

三句が分岐点になっている。初句から三句までは別れの挨拶のバリエーションだ。三句から結句は仮定をあらわす言い回しのバリエーションだ。同じ種類の言葉を三つずつ並べてある。それが全体を通すと物語性を帯びる。

非常に技巧的な歌。技巧なのに技巧っぽく見せないという意味でも。

朝からこの歌が頭からはなれずそのことばかりを考えておった。


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2012年10月09日

枡野浩一「日本ゴロン」内容と感想

枡野さんの「日本ゴロン」買った。ジュンク堂書店1500円



日常使われる言葉への違和感や提言、短歌についてのあれこれ、書評などコラムがたっぷり250ページ。猫の写真集つき。2002年。




「カキコ」という言葉に関する違和感が書かれている。古いネットスラングだな。この頃はまだ「ワロスwww」とかなかったのかな。
説得力ある異論を読みたいから56ページのURLを打ち込んでみたがダメだった。インターネットは彗星のように過ぎ去る。




「四月の魚」って四月馬鹿の別名なの?! 知らなかった。正岡さんが初めて使った詩的な言葉だと思っていた。





2001年に「かんたん短歌コンテスト」なんてあったのか。入選作品は知らない人の知らない短歌ばかりだ。宇都宮さんは知ってる。

青空と同サイズの紙飛行機は飛ばせないから笑い飛ばして/宇都宮敦



ちょっとだけうそつかないとそのままじゃ私がやさしくないのがばれる/脇川飛鳥

すごくいいです。共感。




図書券2万円もらえるってすごくいいコンテストだと思う。




好きなものについては言葉少なに「好きだ」と言うだけで原稿は成立するが、嫌いなものについては自分の全人格を賭け、あらゆる言葉を尽くして「嫌いだ」と言わなければ面白い原稿にはならないと、常々考えている。
枡野浩一「日本ゴロン」漫画のけなし方






枡野さんが言葉を尽くして「とっとこハム太郎」を嫌いだと言っている。オレは大好きなんだけどなあ。感動して泣いたことあるもんね。
その嫌う理由っていうのが、ハムスターの名前が見た目そのまんまだから、みんな「くん」「ちゃん」づけだからだという。

確かにトラハムくんとトラハムちゃんは馴染めなかったなあ。トラハムくんが兄でトラハムちゃんは妹なんだよね。兄はチャラい性格で、区別のためかマラカスを持っている。

ハム太郎で、飼い主のロコちゃんっていう女の子が出てくるんだけど、本名はひろこだ。一文字削って「ロコちゃん」で、なぜかこの名前はひねってある。

アンパンマンの名前のストレートさもたいしたものだが、ジャムおじさんやバタコさんなんかを見ると、こだわってる感じがする。ハム太郎はこだわってないよね。その場の思いつきみたいな命名だ。





相田みつをについて詳しく書いてある。相田みつをって偉いんだな。馬鹿にする対象として間接的にしか知らなかった。なんかダメだと「○○だもの」って言い訳する、っていうイメージ、イメージだけ。「みつを」という語に「ヘナチョコ」みたいなレッテルが、かなりきつくへばりついてる。まるで読んだことないのに。






道端にツバ吐くような射精して「ごちそうさま」のある筈もなし/川上史津子『恋する肉体(karada)』





金子兜太の名前って「とうた」って読むのか。いつか調べるつもりで後回しになっていた。





「日本ゴロン」読み終わった。
引用されている短歌が面白いから、手紙魔まみを買う気になった。




 



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2012年09月22日

[短歌の本読む4] 「短歌ヴァーサス」創刊号 ●特集 枡野浩一の短歌ワールド/第1回歌葉新人賞発表

短歌ヴァーサス(風媒社)は、調べてもらえばわかるが11号で休刊となった短歌の季刊雑誌。若手が多く参加している。




短歌ヴァーサス創刊号は2003年5月に出ている。オレは2011年8月に短歌に興味をもったので、短歌ヴァーサスは過去の資料だ。「昔こんな本があって……」と伝説のように語られるのを聞いたことがあるのみだった。



短歌ヴァーサス創刊号は「枡野浩一の短歌ワールド」「第1回歌葉新人賞発表」を特集としている。

以下、Twitterで書いたことに補足しながら中身を見ていく。





表紙で枡野浩一さんが読んでるのはぐれいすの「東京ヌード学園」じゃないか!! これがいい漫画なんですよ。エロの実践授業で、目隠しした男子に女子達が1ストロークずつフェラして誰がイカせるか競争したりするんだよ。

よく見ると後ろに「東京モード学園」らしき看板が見える。凝ってる。パロディーをやる際には元ネタに自覚的な枡野さんだ。





作品30首

これからはオネエ言葉で生きてくわ 明るい方があたしの道よ/枡野浩一「愛について」

初めて読んだ頃には気づかなかったが、加藤千恵の短歌とオネエの違いが面白い。
まっピンクのカバンを持って走ってる楽しい方があたしの道だ/加藤千恵「ハッピーアイスクリーム」


この上の句の通りに、連作のここから仮名づかいが変わってるのもうまい。






飯田有子「ブスを殺すと雨が降る。」読んだ。やさぐれててすごくいい。これ、という引用したい歌はない。ブスの扱いはこれでいいのかな、と思った。




綾小路きみまろの無為むなしきと思いますます散文嫌い/藤原龍一郎「懶い恐れの昼と夜」

人名を読み込んだ連作。よく知らない人が多く、隔たりを感じた。

M音を重ねてる。きみまろは扇子持ってしゃべってるイメージしかない。口だけだから無為ってことか。

きみまろは散文なのか。
きみまろは朗読みたいにしゃべる。「あれから40年!」など決まり文句をリフレインみたいに使ってる。「昔は○○、今は○○」と構成が明快だ。韻を意識したようなしゃべり方もする。しゃべりまで韻文というのはひとつの散文嫌いかしら。
それとも、漫談の内容があまりにも詩的ではないから嫌い、という単純なことなのか。

これ以外には飯島愛の歌が良かった。





手になじむ鋏です(ではあなたから)(いえあなたから)ひかりはじいて/村上きわみ「かみさまの数え方」

鋏で何か断ち切ろうとしている。それは容易だが嫌な行為で、二人はひそひそ順を譲り合う。「あなたから」ってことはいずれ二人ともやらねばならないことだ。鋏は出番を光りながら待つ。

残酷なこと(解雇とか、癌とか)を言い渡す瞬間っぽいと思った。





枡野浩一の短歌ワールド

枡野浩一特集では、村井康司さんの文章が一番印象に残った。
枡野さんが「内輪の言語を公の場で羞恥なしに話すこと」「中途半端な詩的飛躍」を嫌うという話。『日本ゴロン』はまだ読んでない。読みたくなった。


穂村弘に憧れて、穂村弘そっくりの短歌を書いてしまうナイーブすぎる若者たちに、「君がそれをすることは無意味な自殺行為にしか過ぎない」と言える聡明さとバランス感覚を持つ枡野浩一は~
というのも印象的だ。




「極私的歌人辞典」面白い。ぜひとも長生きして「茂吉くん」書いてほしい。





作品20首


荻窪は来る度に雨 ほの暗きトイレの壁に「住ミタイ」の文字/石川美南「グッドマン、午後八時~」

オカルトな落書きは好きです。雨、暗いトイレ、カタコト。

こんなトイレに住みたいのか。住む場所のない外国人か。いやいやそれでも説明不能だ。女子トイレなら落書きの主も女か。




歌葉新人賞・発表


受賞作、増田静「ぴりんぱらん」読んだ。よい一連。ローカルなものを扱うと読者が置いてきぼりになりやすいんだが、これは沖縄っぽさを出し過ぎてなくていい。抽象と具体の合わせ方など、引き出しが多い印象。
これが好き。
揮発性ラッカーで書く火を吐くように書くテトラポットに「愛よ」





新人賞上位候補

伴風花「Fairy Light」読んだ。良かった。肉体感覚が徐々に失われ、視線は空へとのぼる。
キッチンにわたし一人が生きていてラップのしたのカレー冷えてく  



ほかのお二方はむずかしいしよくわからないが、なんだかすごい。




歌葉新人賞一次予選通過作品

まずは、尾崎淳「化身」。最後を「わたし」で統一している。不思議で面白い。これが好き。
屋上で回転しつつこの街の四角い風を感じるわたし
画が浮かんだ。




3人とばす。まったくむずかしい。この人達こそ穂村弘そっくりの短歌を書いてるように見える。




オレはこういう雑誌見るとき○をつけながら見るんだけど、松木秀さんの「はるのまゆ」は○が四つついた。

知ってるかい? 時には時の教習所あって現在時は仮免

どうりで。最近スピード違反気味なんじゃないかい、時よ。





作品15首

もういいのいいのいいのよいいんです目を閉じたってつづくパレード/天道なお「とわの恋人」

この三段跳びみたいな流れの歌がそれぞれ気持ちがよい響き・リズムになっている。

仙台弁には「ほです・ほでがす・ほでござりす」っていうのがある





河野麻沙希「母ちゃんと正義の味方」はダメ。正義の味方とか、女神様とか、表現が死んでる。出来事の大きさに寄りかかってる。
モンスターペアレントって言葉がない頃の話だ。担任が怒ってくれない、クラスはおびえてる。それでめでたしめでたしかよ。

小学生が作ったのかと思ったけど、プロフィールを見ても年齢はわからない。小学生だとすれば「いやなガキだ」と思うだけだ。





いつまでも裏返されぬぬばたまのオセロの駒のあぱるとへいと/黒瀬珂瀾「植民地(Ⅰ)」

短歌研究の連載が終わってから久しぶりにこの方の短歌を読んだ気がする。白人に挟まれる黒人。枕詞があるから黒だとわかる。(Ⅱ)も読みたくなった。







4ページにわたって紹介されてる玲はる名は甘い。甘いっていうか、かなり若い人なんでしょう。と思ったらオレよりだいぶ年上でびっくりした。いやあ、若々しいなあと。
ピュアメイプルシロップ、ホットミルクティ、キャンディ。
うたつかいの中に20人くらいいそうな感じだ。この頃はこういうのが新しかったりしたのかしら。

毎日のように手紙はくるけれどあなた以外の人からである/枡野浩一
に対し「読んでいると微笑ながらスズメの涙がこみ上げてくるような切ない歌」と言ってるのがインパクトある。スズメの涙って、量が少ないということ以外で使われるのは初めて見たかも。




川柳ヴァーサス

なかはられいこさんの川柳ヴァーサスが面白い。川柳ってそれこそサラリーマン川柳みたいなのを想像してた。まさしく。川柳の結社が600以上あるってすごい。挙げられてる作品も面白い。でも解説があるから楽しめてる感じもする。解釈こみの面白さか。

むこうから白線引きがやってくる/樋口由紀子
が一番好き。
あっ来た、よけなきゃ、ってなるけど、どっちによけるかが運命の分かれ道になりそうなイメージ。




 



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2012年03月21日

[歌集読む4] 枡野浩一/杉田協士『歌 ロングロングショートソングロング』日記をからめて

枡野浩一/杉田協士「歌 ロングロングショートソングロング」




はじめに

1680円。何ページあるんだろう。ページ数は書いてない。

枡野浩一さんの短歌と、杉田協士さんの写真による本。歌集であると同時に写真集でもある。
帯には
さよならをあなたの声で聞きたくてあなたと出会う必要がある
という短歌がある。

本屋の写真集のコーナーにあったというツイートも見たが、オレが見つけたのは丸善の短歌のコーナーだった。新刊のコーナーにはなかった。


どんと積まれてる感じではなく、ひっそりと並んでいた。発売日なのに、背表紙を向けて他の本と同じように片隅に並んでいた。それも一冊だけ。サイズが他の本と違うから飛び出していた。
俵万智さんの震災短歌の本は表紙を見せて堂々と置かれてるのに。不遇だ。世の中間違っとるよ。

そのただ一冊の「歌」を買った。10時11分くらい。開店直後だ。オレが最初の客かというくらいレジまわりは空いてた。

デートのついでで買った。いや、デートの方がついでか。いやどっちも大事です。(おろおろ)



彼女がわかってくれない編


彼女と雑貨屋に並びながら二人で見た。
オレは彼女に枡野さんや短歌の話をすることがあるけど、何回言っても俳句と川柳と短歌を区別できるようになってくれないし、短歌の良さも通じないようだ。

初めて枡野さんの話をした時、「その人はどんな短歌つくるの? きかせて」と言うからオレが一番好きな
「気づくとは傷つくことだ 刺青のごとく言葉を胸に刻んで」
を彼女(英文科卒)に教えたが、全然わからないようだった。
何回もゆっくり言ったけどダメで、結局説明してしまった。
「気づくっていう言葉と傷つくっていう言葉は響きが似てるでしょ? そんで何かに気づくってことで傷つくこともあるわけで、それがイレズミみたいに刻みこまれたのよ、胸に。イレズミってあれだよヤクザの」
「くどうくんは難しいの読んでるんだねすごいね」
がっくし。

この歌は「歌」には入ってない。ただエピソードを紹介したかっただけです。



雑貨屋の開店を待ちながら二人で「歌」を見たり見なかったりした。

「歌」の最初にはこんな短歌が入っている。
さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば
面白い響きとせつない意味が合わさって見事だ。
あんまり面白いから思わず朗読したが、彼女はちんぷんかんぷんだった。わからない人にはわからないんだなあ。

同じく「我々とあなたが言った~」もちんぷんかんぷんだった。


そんな彼女に捧げるのにピッタリな短歌がこの本には収録されている。

川柳と俳句と短歌の区別などつかない人がモテる人です
これを見せたらウケてた。モテると言われて喜んでるわけだ。

でもその次と、さらにその次の短歌は見せなかった。怒られそうだったから。


彼女はリラックマが好きだから、リラックマの写ったページを見せたら喜んでた。でもその上の短歌見たらギョッとしていた。


彼女関連はこれで終わりにする。この人は短歌に選ばれた人ではないんだろう。それでも「わたしへの気持ちを短歌にして」と言うからオレはベタベタな恋の短歌を作って奉仕している。




内容と感想

こっからはいつも通りにやります。ここぞという時以外は短歌全文は書きません。




消しゴムでこすったせいで~
オレの好きな短歌。
やったこと、あったことを消そうとしても消せるものではない、という内容の短歌がいくつかある。消しても消えない上、消したという行為が重なっていく。やったことはやったこととして引き受けていかなければいけない。





本のタイトルが書かれたページに、まぶしい光の中の道路の写真がある。標識はまだいいが、右上の「ザ・リーヴ リーヴライフ21」はひどく景観を損ねる。しかも検索を促している。何の会社か宣伝かわからないのに検索するかよ。

きれいな写真を撮ろうとすると、こういうのが無い場所を撮りたくなりそうだが、この本の杉田さんの写真はこれら広告や看板から目を背けない。
このような看板に取り囲まれた街でみんな生きてるわけだ。
清濁合わせ飲む、みたいな写真が目立つ。




かなしみにひたるのはまだ~
の写真なんか、隅に指が入っちゃってる。
くつろいでる人々はバラバラで、狙ってる感がない。自然でありのままな今・ここを撮ってる印象。
この前「もう頬づえをついてもいいですか?」で八二一さんの写真を見たけど、一番違うのは人を撮るか撮らないか、だ。



家を出て稼いだことのない人は~
の写真の少年がオレの弟に似ている。服もこんなのを着てる。アゴのあたりが違うしサッカーしないけど、あとはそっくりだ。なんでお前がここに写ってんだ、と一瞬思った。

その次のページでは、おしゃれなポーズなのに膝を擦りむいてる足を前に出しちゃってる女の子より、右の人がカラーコーンを持って歩いてるみたいに見えるのが面白い。


宛先も差出人もわかる言葉で
ビニール袋に書かれた文字が印象的だ。果物や飲み物をテーブルに配置するセザンヌの静物画みたい。




~えらいのかしら
何かの打ち合わせだろうか。みんな集中している。いすとテーブルがないからこうなるんだな。




~愛したこともない者だろう
そういえばジュリエットの短歌もあったなあ。

このおじいさんの背中が孤独だ。オレの父もこういうハゲ方だ。父は浮気で家を捨て、別れてから失業し生活に困りウチの近所に住んでる。オレや妹は父に軽蔑の気持ちがあるし、もう話す気も会う気もない。父は孤独なのか、今でも憎んだり愛したりするのか、考えてもわからないし深くは考えない。





忘れてた自分の歌を遠くからそっと歌って教えてくれた
オレは自分がすっかり忘れてる短歌を突然ツイートされてびっくりしたことがある。タイムラインに自分の名前が流れてくるのに慣れない。でも悪くはないものだ。


オレは枡野浩一さんのツイートを全て読んだ。ツイログは便利だ。その中で見た短歌をツイートしたら枡野さんが忘れてた歌だった、ってことがあった。
2万ツイート読むのって大変なんだな。2ヶ月くらいかかった。
全部読んで一番驚いたのは、「くじけな」の全ての文章がツイートでできてるのを知ったことだ。
詩がTwitterからなのはわかるが、途中の文章や著者プロフィール、おすすめの書籍紹介に至るまでツイートから取られていたなんてびっくり。すごい徹底度だ。


文字が薄くなっていかなくて良かった。
メールの文字が薄くなっていくサービスがあったな。今あるのかは知らない。




ものすごいGがかかると聞いている どこでもドアをくぐる瞬間
伝聞になってるけど、ほんとに伝聞かな

原作にもアニメにもドラえもんやのび太にGがかかってる描写はないが、それは問題じゃない。
どんな重力がかかるのか想像することで、ほんとうはないはずのどこでもドアを疑似体験できる。



ファンである君にがっかりしましたとプロは言わないようにしている

ファンに言われてもプロは言い返さない、という不文律はネットが出てきて覆りつつある。
オレは中島みゆきのファン始めて長いけど、一言だって反応が返ってくるとは考えない。でももうそういう有名人ばっかりじゃない。

がっかりされてもオレはついてく。


ついこの間松尾スズキ監督の「恋の門」を見た。その中にサガラという女が出てくる。同人誌の作者に「あんたの信者やめるや!」「萎え~萎え~!」などと上から目線で思いっきり罵倒する。
ウザいファンを具現化した人物なのだろう。あまりに強烈だった。知らない間に自分がこうなっていはしなかったか? とドキッとした。
だが名前も顔も出して作者の目の前であれだけ言えたらたいしたもんだ。ネットだけならよくいるよな。特にお笑いを論じる人はどういう立場でしゃべってるんだと思う。はてなの人に限らず。





私など生きていたって世界には利益もないし弊害もない
こういうことを言ったら、利益になってると否定してくれる人もいるだろう。利益になるために頑張れと言う人もいるだろう。

利益も弊害もない、それは生を否定することにはならない。プラスとかマイナスのために生きているわけじゃない。




短歌の後には枡野さんと杉田さんの文章がある。

杉田さんの文章を読んでると撮影風景が浮かび上がってくるようだ。一番印象に残るのは「枡野さんが演じてくれたその役は、駅のホームに荷物も持たずに佇む男でした」というところ。荷物のおかげで見送れる通過電車もある。荷物なしで駅のホームにいる、というのが妙に胸にせまってきた。

そんな場面のある映画「ひとつの歌」は夏に公開されるそうだ。







枡野浩一さんの本の感想の記事
「枡野浩一選 ドラえもん短歌」
「ショートソング」
「結婚失格」(上)
「結婚失格」(下)
「ハッピーロンリーウォーリーソング」
「石川くん」
「一人で始める短歌入門」内容と感想(上)
「一人で始める短歌入門」内容と感想(中)
「一人で始める短歌入門」内容と感想(下)
(続)「一人で始める短歌入門」
「かんたん短歌の作り方」
「すれちがうとき聴いた歌」
もう頬づえをついてもいいですか? 映画と短歌とAtoZ
57577 Go city,go city,city!
枡野浩一 河井克夫「金紙&銀紙の似ているだけじゃダメかしら?」
くじけな
淋しいのはお前だけじゃな
あるきかたがただしくない
ぼくは運動おんち



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2012年03月17日

[歌書読む6] 枡野浩一『もう頬づえをついてもいいですか? 映画と短歌とAtoZ』

枡野浩一「もう頬づえをついてもいいですか? 映画と短歌とAtoZ」




▼はじめに

購入に迷ってる人が情報を探しに来て読んでいると仮定して書くと、この本は短歌と映画に関する文章と写真で構成されている。

実業之日本社文庫って初めて買った。社名もあまり馴染みがない。

280ページくらいで650円。枡野さんの本にしては厚い印象。割安に感じたけど、その考え方は逆の考えも生み出しうる。
割安に感じたなら喜んで買い、割高に感じたら値段相当の喜びを得るべく集中して繰り返し読むまでだ。



この本の魅力はいくつかある。
1.短歌
2.文章
3.八二一さんの写真
4.渋谷展子さんのシネマ文字

短歌と文章はあとで触れるとして、先に写真と文字について書く。




写真の魅力

この本は割と厚いと書いたけど、真っ白なページや真っ黒なページが多いし写真も多い。サクサク進めるし、立ち止まってゆっくりしていくのもいい。

オレは写真については詳しくもないし特別に愛好してるわけでもない。
ここにある写真は特別なものを撮ったものではなさそうだ。風景が多い。自然もあれば建物もある。猫もいる。人はほとんどいない。日常的な被写体だが、写真にインパクトある。


これらを見ながら、写真って面白いなあー! って考えてた。
写真ってニュアンスがあるんだね。四角い建物があるとして、それをどう写すかで悲しく見えたり、味があって見えたり、無機質だったり、威圧的だったり、美しかったりするわけだ。
その違いは角度であったり距離であったり光の加減だったりブレだったりするんだろう。

比較的多いのは、打ち捨てられた人工物だろう。造られて放置された人工物に、哀愁みたいなものをカメラはとらえる。
何もかも古くて懐かしいように見える。

一方で自然は大写しにされる。花に迫力が宿り、木は精密な葉をつけている。これが生命力か。

写真はありのままを写しているようで、しかし人間の目が見ているものと違う「モノの表情」が写る。そこが面白い。





シネマ文字

短歌がシネマ文字で書かれているのもこの本の魅力だ。

洋画の昔ながらの字幕を見るように短歌を読むのも面白い。
まるで短歌が映画の名ゼリフのようだ。

この本の短歌は例外はあるが、愛をテーマにしている。

映画を意識した「――」という記号が使われている。セリフの途中で間をおくような、特別なニュアンスがこめられる。
「、」とも「……」とも違う独特な間がうまれる。




映画では内容を把握するのに夢中でシネマ文字そのものをじっくりとは見なかったが、このように本に印刷されるとじっくりと見ることができる。
見るほどに面白い文字だ。
丸くは囲まれるが四角く囲まれることはない。そういう仕組みになっている。ちょこっと検索してみたが、「シネマ文字」で検索したら八二一さんのサイトが一番上にヒットした。

オレは通信講座でボールペン字を習っている。楷書というのは普段目にする活字とは微妙に異なり、面白い。文字にはいろいろあるものだ。

それに最近オレはTwitterで #手描き短歌 というのに参加している。短歌をペンで書いて画像をアップするタグだ。文字に人柄が出たり、相乗効果で短歌作品にさらなる味わいが出たりして面白いタグになっている。
字体により短歌の印象が変わるのは面白い。






短歌と文章

ここでようやく短歌と文章になる。以前のオレならばひとつひとつ細かく書きそうだが、今回は読んでて特に書きたくなった数点に絞って書く。
アルファベットごとに短歌と文章がある。扱われる映画のタイトルがアルファベットに関係し、なんと短歌の頭文字もアルファベットに関係している。凝ってる。

オレは映画はあまり見ないけど、これらの文章は楽しく読めた。
「映画の本だからなあ……映画見ないから買ってもしょうがないかなあ……」と購入をためらってる人は、そこは心配しなくていいです。


ここから感想。




C

茶を愛(め)でて生きてるような――透明っぽい名前を名のる人が嫌いだ

これは枡野さんが時々言ってる、「月」という字を名前に使うなら室井佑月くらいでないと、という話なんだろう。

オレもそのテの名前の人が苦手だからよくわかる。
「流」「水」「氷」「聖」「雫」
もっとあるかな。漢字とは限らないか。

その類の名前が「透明っぽい」という発見に膝をポンと叩きたくなるし、「茶を愛でて生きてる」、っていう表現の選択がいいじゃないですか。茶なんかグイグイ飲めばいいのに、愛でてる。それで生きてる。





E

「土にかえりたいって、自然な願望だと思う」っていう話。
どうなんだろ。考えたことないや。年とると考えるようになるんだろか。

弟がまだ小さい時に「人はなにからできてる?」ときいたら「土」と答えたのを思い出す。

人は何からできてるんだろ。海からきたって話もきくけど。

すごく家庭が不安定で失恋も重なって悩んでた頃、オレはカウンセラーに「お母さんのおなかにかえりたい」って言ったことある。弱ってるなあ。参ってるなあ。お母さんにかえれないなら、どこへかえるんだろう。地面かなあ。土に触らないし(手が汚れるからイヤ)、土に愛着ないんだよなあ。




F

松尾スズキさんのギリギリデイズ、オレも読んだ。つい最近読んだ。感想は書かなかったけど、面白かった。松尾さんはエネルギッシュですごい。酒の勢いで適当に書いてるようだけど、どこ読んでも(よくわからないなりに)面白い。松尾さんの本に枡野さんが出てくることがあるから、そっちもチェックしなきゃな。「ニャ夢ウェイ」も読みました。


腕力が欲しいと書いてある。おやじの胸を小突くための腕力なのかなと思うとかわいい。息子を抱える腕力とも読める。





J

ジュリエット、はんぱな愛の夢をみて――片方の目がさめないみたい

ロミオとジュリエットのストーリーを考えて読んだら面白く感じた。
ジュリエットはロミオのために仮死状態になったんだよね確か。はんぱな愛の夢はきっと他の男の夢なんだろうね。目覚めればロミオがいるのに、半分は覚めたくないわけだ。

この読みでいいのかしら。関係ないところに面白がってたら恥ずかしい。短歌は作るときも読むときもそういう誤解と隣り合わせだ。





O

「オー・ブラザー!」っていう映画が紹介されてるけど面白そう。
予言はほとんど抽象的だ。唯一具体的なのが小屋の上にいる乳牛を見ることだ。そこはどうでもいいだろ……。予言というより激励みたいだ。「いい人生を過ごした」と感じられるなんて、すごく幸福な映画体験な気がする。タイトル覚えとこ。



Z
ザジという映画の紹介。「おすすめできない」「この映画を好きな自分はちょっと駄目」というのは逆に見たい気分にさせる。
この短い文章でもザジの輪郭は浮かぶ。カリスマ性はあるのに何か足りないんだろうな。いや、なんだこの感じは……。これも覚えとこ。





おわりに

オレは映画を見る習慣がない。TSUTAYAのカードも持ってないし作る気力もない。遠いんだもん。

たまにブックオフでホラー映画のDVD買ったりする。見たことないのを2000円とかで。変わってるかもなあ。

この本にある映画は金曜ロードショーとかテレビでやらなそうなやつばかりだ。やりそうなのは「ジュラシックパーク」くらいか。でもこの書かれ方だと見たくないわ。

話が収集つかなくなった。

ともかく、いろんな映画の話(離婚と子供に会えない話つき)、短歌、写真、それぞれ良い本でありました。




枡野浩一さんの本の感想の記事
「枡野浩一選 ドラえもん短歌」
「ショートソング」
「結婚失格」(上)
「結婚失格」(下)
「ハッピーロンリーウォーリーソング」
「石川くん」
「一人で始める短歌入門」内容と感想(上)
「一人で始める短歌入門」内容と感想(中)
「一人で始める短歌入門」内容と感想(下)
(続)「一人で始める短歌入門」 「かんたん短歌の作り方」
「すれちがうとき聴いた歌」



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mk7911 at 23:18|PermalinkComments(0)