小高賢による新書館の短歌入門書

2014年09月29日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【16】文学者の短歌  ~萩原朔太郎、中原中也ほか

最後は「文学者の短歌」。8人の短歌以外の文学の人の短歌もあるのでそれを見ます。
11首ずつある。なんか半端だ。


我(われ)といふ大海の波汝(なれ)といふ動かぬ岸を打てども打てども/森鴎外


日一日けふも事なしこもりゐて何ともわかぬ壁の色見る/森鴎外

→この壁の色がその日をあらわす色みたい。



一人目が森鴎外だった。二人目の柳田国男はとばす。三人目は高村光太郎。



はだか身のやもりのからだ透きとほり窓のがらすに月かたぶきぬ/高村光太郎
→近いやもり、遠い月。裸であるのはどちらも同じだ。



次の萩原朔太郎は三つも丸ついた。よかった。



死なんとて踏切近く来しときに汽車の煙をみて逃げ出しき/萩原朔太郎
→汽車の煙は距離があっても見えるだろうね。思い止まった、ではなく、逃げ出した。自殺をやめる以上のなにかがありそうだ。汽車の煙に何かを見出だしたのだろうか。


行く春の淡き悲しみいそつぷの蛙のはらの破れたる音/萩原朔太郎
「いそつぷ」に傍点。


吉原のおはぐろ溝(どぶ)のほの暗き中に光れる櫛の片割(かたわれ)/萩原朔太郎
→「おはぐろどぶ」って語感がすごいなと思って調べた。

おはぐろどぶ [4] 【御▽歯黒溝▽】
〔遊女が御歯黒を捨てたことからとも,汚水が黒いための連想からとも〕
遊女の逃亡を防ぐため,江戸新吉原遊郭の周囲にめぐらした溝。おはぐろぼり。


逃亡しようとして落とした櫛なのか、果たして逃げおおせたのか、といったことを想像する。



職業なきをまことかなしく墓山の麦の騒ぎをじっと聞きゐたれ/宮沢賢治


物はみなさかだちをせよそらはかく曇りてわれの脳はいためる/宮沢賢治


十日あまり病みゐる妻に林檎を買ふ考へてまた子等に買ひ足す/加藤楸邨




残り二人。中原中也も三首。おもしろかった。

菓子くれと母のたもとにせがみつくその子供心にもなりてみたけれ/中原中也
→そうなんだよなあ。どんな感じだったのか、オレはもうおもいだせない。自分で勝手に買うのに慣れすぎてしまったし、ものをくれというのが恥ずかしい。

腹たちて紙三枚をさきてみぬ四枚目からが惜しく思はる/中原中也
→なんかかわいいと思ってしまう。気がすんできたんだろう。
啄木も怒るたびにものを叩き割る歌をつくっていたなあ。「ものにあたる歌」ってそういえば現代であまりみかけない気がした。


猫を抱きややに久しく撫(な)でやりぬすべての自信滅び行きし日/中原中也
丸つけた時には気づかなかったけど、啄木の妻に花を買う歌に近いな。猫のほうが平凡だが、オレもやるんで親近感がある。



この河馬にも機嫌不機嫌ありといへばおかしけれどもなにか笑へず/中島敦
→「河馬」でカバ。どんくさくて怒ってる感じがしない、そういう人間もいるからなあ。


象の足に太き鎖見つ春の日に心重きはわれのみならず/中島敦
→春なのにどこにも出掛けられない象。太い鎖は罪を連想させる。「われ」以外の心重い者とは、この象か。
さっきのカバの歌もそうだけど、動物に感情が入っている。



というわけで、小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』は終わり。長かった。これで『現代短歌の鑑賞101』『現代の歌人140』『近代短歌の鑑賞77』がすべておわった。


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2014年09月27日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【15】71-77  ~山口茂吉、渡辺直己ほか

ここまで5人ずつやったが、残り7人をここでやる。



71人目、稲森宗太郎。結核で亡くなった。歌集は遺歌集一冊のみ。

口あきてわらはまほしと思ひしを欠伸となしつ人のかたへに/稲森宗太郎『水枕』
→笑おうとしたらあくびになってしまったと。どうしてもつまらなかったんだね。

この歌から連想した歌があった。
また口をとがらせるきみ そのまんま口笛吹いてみたらどうかな/黒井いづみ
「どうかな」という親しげな提案の形がいいね。

ほかに
ため息を深く深く深く深く……ついてそのまま永眠したい/枡野浩一
あくびして頬に涙がたれたとき泣き叫びたい自分に気づく/枡野浩一
タバスコを振りかけすぎて咳きこんでそのまま風邪をひいてしまった/枡野浩一
と、枡野浩一さんにそういった内容の歌がある。


たたきわりし茶碗のかけら見つつ我れかなしきひとのまみを感ずる/稲森宗太郎『水枕』
→発散された怒り・ばらばらになった茶碗が、他人の目を通して悲しみや恥をかたちづくっていく。


煙草すひて疲れゐるなり世に生きてなさむと思ふ事なき如し/稲森宗太郎『水枕』


水まくらうれしくもあるか耳の下に氷のかけら音立てて游(およ)ぐ/稲森宗太郎『水枕』

→よほど水枕が気持ちよかったみたいで、ここだけで8首も水枕の歌がある。歌から感激ぶりがうかがわれる。



72人目、山口茂吉
斎藤茂吉と名前が同じで「小茂吉」と呼ばれたとある。斎藤茂吉に師事。


わが顔と知りてうなづく妹のいのちはすでに迫りたるらし/山口茂吉『杉原』
→残りわずかな命と思うと、その認識やうなづきが重みを増す。


この原に立つ砂ぼこりとほくより見つつ来(きた)りてわれ近づきぬ/山口茂吉『赤土』
→ほかに目的があってそちらへ近づいたんだろうが、これだと砂ぼこりをめざしてはるばる来たみたいだ。
「われ」とあるけど、近づいてくる「われ」を見ている別の「われ」がいそうだ。
「来りて」と「近づきぬ」の重複にも効果がある。


ビルヂングの間の路地を行くときに其処に住むらむ幼児(をさなご)のこゑ/山口茂吉『海日』
→ビルディングにある冷たいイメージを、ちいさな子供がうらぎる。


鉄塔を塗りかけしまま七日(なぬか)経(へ)てけふ来(きた)りつひに塗り終へむとす/山口茂吉『海日』
→ちょっとした言い方で印象がかわる。
「塗りかけしまま」。七日の間は塗りかけだった。とりかかると同時にやりかけになる。
「七日経てけふ来り」もちょっと変わった言い方。

面白かったが、それは斎藤茂吉のもつ面白さとも重なるんだろう。



73人目、吉野秀雄。総合誌の特集で見たことある。
そうしてみると、けっこう総合誌の歌人特集で知った歌人、総合誌を見てなかったら知らなかったかもしれない歌人はいる。


死にし子をまつたく忘れてゐる日あり百日忌日(ひやくにちきじつ)にそれをしぞ嘆く/吉野秀雄『苔径集』


夜をこめてトルストーイ伝読みつぐやこの湧ききたるものを信ぜむ/吉野秀雄『早梅集』

→本を読むとなにか心に湧いてくる感じのすることがある。それは一時的なものや思い込み・気のせいなのではないかと思うこともある。ここではそれを信じるという。


新しき仮名遣ひも時にむつかしく声あげて二階の子供に質(ただ)す/吉野秀雄『含紅集』



74人目、金田千鶴(かねだ ちづ)
アララギ。結核でなくなる。三十代半ばで亡くなっているのか。
生没年を西暦でも書いてもらえると何歳まで生きたかわかりやすいんだけど。明治大正昭和と三つの年号があると数えずらい。


いさぎよきこころと言はむ夕道に手もふれずして別れ来につつ/金田千鶴
→本当に心からいさぎよさを感じて清々しいわけではないよね。これでいいんだと思おうとしているんだと読んだ。


わが喀きし血の色なして曼珠沙華咲ける寂しさ人知れず見し/金田千鶴
→「わが喀きし血の色」に、病に苦しんでいたのがわかる。吐いたものと花が重ねられる。


見残ししものの一つと恋ひ念(おも)ふ水辺涼しく蓮咲くさまを/金田千鶴
→死を予感していたんだろうなあ。自分が何をやり残していたかを考えている。そしてそれを「恋ひ念ふ」。いつかできたらいいなあ、という段階ではないのだ。まだ三十そこそこなのに。

下の句はサ行が爽やかさを出している。



75人目、巽聖歌(たつみ せいか)
児童文学。童謡「たきび」はオレも歌ったことある。白秋の側近のひとりとある。


おのもおのも持つ性はかなし妻は妻の子は子の性にものを言ひ居り/巽聖歌


草むらに青き胡桃の実が落ちてその音だけが静かなる午後/巽聖歌

→「音だけが静か」がおもしろい。なにかの音が逆に静けさを感じさせるということがある。


あるときは吾(あ)をなせるものを憎みゐて死にたかりけり月夜こほろぎ/巽聖歌
→二句までA、四句までI、結句でU・O。
「あいうえお」になるように歌をつくるという人を思い出した。

「死にたかりけり」が強い。自分のなかに消えないいやなものがあると感じることはオレもあるなあ。


死ぬるときわれの指(および)に赤いんくなどつきをらばかなしからずや/巽聖歌
→指に赤インクがついていたら悲しいと。なぜ、と考えたくなる。
1.血液じゃないのに赤いものをつけているとドラマの中みたいな偽物の死に見える。
2.赤インクは修正を意味する。何かを取り消そうとする姿勢で死ぬとなると生きざまとしていかがか。

みたいなことを考えた。
単によごれた状態で最期を迎えたくないとか、いろいろに考えられるな。
特に気になる歌だった。



76人目、渡辺直己(わたなべ なおき)
この人の戦争の歌はオレも知ってる。ここに載ってる30首も多くが戦争の歌だ。

照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に/渡辺直己

涙拭ひて逆襲し来る敵兵は髪長き広西学生軍なりき/渡辺直己



銃丸が打ち貫きし手帳がそのままに行李の中に収められゐぬ/渡辺直己

腹部貫通の痛みを耐へてにじり寄る兵を抱きておろおろとゐき/渡辺直己

→貫通する歌二首に丸つけていた。貫通しても使える物ならばそのまま使うが、人だったらもうダメだろうな。しかしなんとかしたい気持ちがあるからおろおろする。


解説には、これは作者が経験した事実ではないのではないか、という内容のことが書かれている。いずれにしても強い印象を残す歌がいくつもある。



さて77人目は石川信夫。前川佐美雄の影響、モダニズム。


あやまちて野豚(ぶた)のむれに入りてよりいつぴきの豚にまだ追はれゐる/石川信夫『シネマ』
→変なグループやなんかに関わったら付きまとわれるようになる、そういうことはある。会わなくなって数年たってもオレのところに公明党のチラシよこすおじさんがいる。

でもあんまり現実に置き換えてしまいすぎるのもつまらない読みの方向かもしれない。


しろい山や飛行船が描(か)かれてある箱のシガレツトなど喫(す)ひてくらせる/石川信夫『シネマ』
→山や飛行船はひろびろとしていていいなあと思うけど、絵に描いた餅だ。タバコばかり吸って暮らしている。


ま夜なかのバス一つないくらやみが何故(なぜ)かどうしても突きぬけられぬ/石川信夫『シネマ』
→「バス一つない」がおもしろい。無いと言われて逆に暗闇を走る一台のバスを思い浮かべた。
野外の暗闇なんだろうなあ。


空の上にもひとりのわれがいつもゐて野に来れば野の空あゆみゐる/石川信夫『シネマ』
→実にふしぎな歌。空の上の「われ」は空の下の「われ」についてくる。鏡みたい。


紅(あか)と白ふたいろに咲く桃の木あり向つて左の枝はくれなゐ/石川信夫『太白光』
→ということは、右は白なんだね。
……って、これはなんなんだろうと思うとじわじわと不思議だ。一本の木や花の色のイメージが頭の中に出来上がったけど、これはなんでしょう。意味を求めても得られない。それが美しいとか悲しいとか言えば既視感で落ち着くが。
主体と読者は同じほうを向いている。







これで77人の近代短歌を読んだ。次回、文豪8人の短歌をやってこの本は終わる。


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2014年09月25日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【14】66-70  ~筏井嘉一、明石海人ほか

66人目、中村正爾(なかむらしょうじ)
白秋系とある。当時としては新しい素材で歌を作った。


あらはなる駝鳥のくびのいただきに眼がありこちら見てゐたりけり/中村正爾「春の音階」未刊

つぎつぎに流れながらう昼の海の大き水母(くらげ)のうち歪(ゆが)む顔/中村正爾「春の音階」未刊

→たしかに、珍しい生き物の歌。
くびのいただきに眼があるとか、くらげの顔が歪んでいるとか、ちょっとした捉え方がある。


音なべてしづみ果てたる山の夜や聴けば聴かゆる地球自転の音/中村正爾「海港」未刊



67人目、高田浪吉。(たかた なみきち)
「川波」創刊。土屋文明との論争。


人ごゑも絶えはてにけり家(いへ)焼(や)くる炎(ほのほ)のなかに日は沈みつつ/高田浪吉『川波』
→関東大震災。炎のなかに日が沈むとは印象的だ。


わが父の釣(つり)する夢を見たりけり動かぬ鯉のいくつも釣れぬ/高田浪吉『砂浜』


檻(おり)の中に猿のうごくを面白がるわが子とをりて寒くてならず/高田浪吉『家竝』




68人目、筏井嘉一(いかだい かいち)
白秋に師事。「創生」主宰。『新風十人』参加。生活歌人、庶民の現実。

兵おくる万歳のこゑあがるまは悲壮に過ぎて息(いき)のくるしゑ/筏井嘉一『荒栲』


荒るるまま世界荒れよとつひにおもふ秩序といふも戦禍ありて後(のち)/筏井嘉一『荒栲』


家(うち)へ帰るただそれだけがたのしみにてまた一日(いちにち)の勤めをはれり/筏井嘉一『荒栲』

→オレもそういうところあるなあ。当たり前すぎるように思うけど、そうじゃない人もいるんだろうなあ。
職場では言えないことだ。


いまここにわれといふもの息づけりただそれだけとおもひけるかも/筏井嘉一『荒栲』

ほとんど自然や季節のことが出てこなくて、人間とその生き方に内容が集中している。



69人目、穂積忠(ほづみ きよし)
白秋と迢空の影響。

さびしくてひとりほほゑむ。子らをらぬ校庭にまりの ころがるみれば/穂積忠『叢』
→さびしくてほほえんでいるというのが独特だ。そのほほえみこそがさびしそうだ。
このころは学校でまりつきする子がいたんだね。今ならサッカーボールでも転がっていそうだが、まりの感じとは違うねやはり。


答なりてひとむきに手を挙げし子の背(せな)の陽炎をわれは観てをり/穂積忠『雪祭』



70人目、明石海人(あかし かいじん)。ハンセン病。
総合誌の特集で知ってた。


妻は母に母は父に言ふわが病襖へだててその声をきく/明石海人『白描』


鳴き交すこゑ聴きをれば雀らの一つ一つが別のこと言ふ/明石海人『白描』

→「別のこと言ふ」がいい。声が違うとか、鳴き方の調子が違うとかではない。内容にまで踏み込んでいる。


この空にいかなる太陽のかがやかばわが眼にひらく花々ならむ/明石海人『白描』
→という歌の少しあとに

この空にいかな太陽のかがやかけばわが眼(め)にひらく花花あらむ

というのもある。どっちか一つでいいと思った。



つづく。


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2014年09月24日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【13】61-65  ~松田常憲、松倉米吉ほか

61人目、松田常憲(まつだ つねのり)
「水甕」。
長歌が多くて、長歌集も出している。


開戦のニュース短くをはりたり大地きびしく霜おりにけり/松田常憲『凍天』
という歌は知っていた。
開戦と、大地の険しい表情。



現世(うつしよ)に命寂しく生きつぐや夢にも人とあらそひにけり/松田常憲『ひこばえ』


新しく建ちし野中のひとつ家にぴやのきこゆる月のふけなり/松田常憲『秋風抄』




62人目、松倉米吉。25歳で亡くなったとある。

貧し家に帰り来りて真裸のざこ寝の中に身をひそめ寝る/松倉米吉


しげしげと医師にこの顔見すゑられつつわが貧しさを明しけるかも/松倉米吉

→貧困が肉体にあらわれる。医師を相手に貧しさを明かすのは、必要なこととはいえ恥があるだろう。
必要なのは医療なのか、金銭なのか。



63人目、山下陸奥(やました むつ)。「心の花」を経て「一路」創刊。
「僕は参謀本部のような正確な歌を作る」という言葉が引いてある。


何がなしやさしき心わき出でてやさしくすれば妻の危ぶむ/山下陸奥『平雪』
→わけもなく優しい気分になることあるなあ。普段優しくない人に優しくされると疑いを感じるのもわかる。


楓(かへるで)の葉はしづかなる日をうけて絶対信頼の中に伸びゆく/山下陸奥『純林』
→「絶対信頼」が言えない言葉だなあ。
しずかな日のなかに信頼感があるのか。


考へに考へゐしが三越の商品券もちて出でゆきし妻/山下陸奥『生滅』
→特別欲しいものがあるわけじゃないし……でもせっかくの商品券だし……といったことが頭の中をぐるぐるしていたんだろうなあ。
三越って昔からあるなあ。

あと、けっこう奥さんの歌が多い。奥さんをよく詠む旦那って、意外といないのでは。


夕ぐれをひとり入り来て墓石群が放つ温(ぬく)みの中に居りたり/山下陸奥『冬霞』
→墓石となると、霊的なものを予感する。でもあたたかい夕ぐれなんだね。特定の誰かの墓でもない。

山下陸奥、なかなか面白かった。



64人目は藤沢古実
恋愛事件がきっかけでアララギを離れたとある。「国土」創刊。

知らない人がどんどん出てくるようになってきた。
最初の10人が、直文・左千夫・子規・千亦・信綱・鉄幹・柴舟・薫園・水穂・赤彦なのと比べるとだいぶおとなしくなってきた。


たらちねの母をうづめし赤土に萱草(かんざう)ひとつ萌(も)えてありけり/藤沢古実『国原』


ぬかるみの山路(やまぢ)に足はすべらさじ父の棺(ひつぎ)をかつぎてぞ行く/藤沢古実『国原』

→実景なんだろうけど、萌える草やかつぐ棺がそれぞれ母親像・父親像に対応しているように見えた。



65人目、早川幾忠(はやかわ いくただ)
「高嶺」創刊、主宰。短歌以外にも書、画など多才であったとのこと。


風寒き畑の道をのぼり来て真冬の空の深きに対(むか)ふ/早川幾忠『紫塵集』
→オレは空の歌が好きなのかもしれないなあ。そんな気がする。

深い空が自分と対峙している。それがいいなあ。深淵をのぞきみる時、深淵もまたこちらをのぞいてる、みたいなのあるね。


ああさうかここにあつたかなど言ひてまた埓(らち)もなし老いといふものは/早川幾忠『八十有八年』



つづく。


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2014年09月22日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【12】56-60  ~小泉苳三、渡辺順三ほか

56人目、小泉苳三(こいずみ とうぞう)
「水甕」を経て「ポトナム」創刊とある。「現実的新叙情主義短歌」を提唱したとあるが、その言葉だけではよくわかんないなあ。歌を読んでみましょう。


かへりみて寂(さび)しきことの多かりき心つつましく寂しさに耐(た)ふ/小泉苳三「くさふじ」
→過去も寂しくて、現在も寂しさに耐えている。「つつましく」に矜持とでも言いましょうか、そういったものがあるように思います。


海の上に夕(ゆふべ)の雨の寂(さび)しく降(ふ)り石炭はこぶ船一(ひと)つをり/小泉苳三『くさふじ』


地の上に横たはる敵の屍(しかばね)に犬寄り来たり顔より食ひ初(そ)む/小泉苳三『山西前線』

→顔が特に露出しているからかなあ。どこから食い始めたとか、必ずしも重要でないことをクローズアップすることで立ち上がってくる現実感がある。


人生を苦しみの場と思ひ定めかつて一度も疑はざりき/小泉苳三『くさふじ以後』
→苦しく生きてきたんだろうが、それを過去形で言えるようになった。



57人目、橋本徳壽(はしもと とくじゅ)
古泉千樫に支持し「青垣」を創刊。


子供たちひそとしづまりたる見ればコンパスにて円をかきはじめたり/橋本徳壽『海峡』
→コンパスを使うときは子供は黙る、というのはひとつの小さな発見だ。集中を求められるからかな。
さわがしい遊びがいくつかの円に変化する。


芒穂のひかりみだるる廃道ありしづかなるかなやこの山中に/橋本徳壽『岑』


流刑といふ語の感じさながらにひとり歩み来(く)雪の荒磯(ありそ)を/橋本徳壽『岑』

→「語の感じ」だから、流刑そのものとは違うんだよね。下の句の光景がその感じに対応している。



58人目、渡辺順三
篠弘の短歌史の本で見た。といっても、戦中戦後の歌壇のどさくさの中にいた人だという程度の認識だけど。
三行書きや四行書きで作っている。


囚われてこの檻房の高窓に、
秋空あふぐ、
雲迅(はや)き夜の。
/渡辺順三『新らしき日』

→「秋空あふぐ」とくると、澄みわたった青い空を想像するが、夜だとわかる。こういう、あるかないかのささやかな裏切りというか意表をつくやりかたは評価したい。
雲が速く流れる夜ってあるなあ。雲が速いことと、囚われて不自由であることの対比があるか。


たのしげに
人らあゆめる街上を、
囚人自動車にのりてわれゆく。
/渡辺順三『新らしき日』

→同じ場所を移動しているだけに、孤独は強まる。



59人目、岡山厳(おかやま いわお)
「歌と観照」を創刊したという。批評家としても活躍したという。

地球引力の大き不思議は天ひたす水をしづめて斯(か)く円(まど)かなり/岡山厳『帝都の情熱』


ひそかなる物音きこゆ遠き部屋にわがかなしみをはばかる如く/岡山厳『體質』

→ひそかな音を、自分のかなしみを邪魔するものとしてとらえた。精神状態によって物音の意味は変化する。



60人目、土田耕平
アララギの人で、とても自然詠が多い。

山は暮れて海のおもてに暫(しば)らくのうす明かりあり遠き蜩(ひぐらし)/土田耕平『青杉』
→うす明かりが気になる。海だったら船のあかりか。あまり人がいるような感じがしない。
山から海に視線が動くが、ひぐらしにまたもどされる。
明かりはうす明かりだし、聞こえるヒグラシの声は遠いし、淡さがある。


帰り来てひとりし悲し灯のもとに着物をとけば砂こぼれけり/土田耕平『青杉』
→こぼれた砂が、唯一の自分の同行者であったようだ。それが孤独を深めて悲しいのだと読んだ。


変らざる山河(さんが)のさまをうち眺(なが)めわれのいのちもそこにあるべし/土田耕平『一塊』


土のいろを見つつなつかしこの土の一塊(ひとかたまり)を握りたきかな/土田耕平『一塊』

→色もいいものだが、握ったときの感じもよいと。
そうだなあ。土なんてずいぶん握ってないなあ。



つづく。


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2014年09月21日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【11】51-55  ~土屋文明、結城哀草果ほか

51人目は今井邦子。三首ほど。

月光を素肌にあびつ蒼く白く湯気あげつゝも我人を思ひぬ/今井邦子『姿見日記』
→月の下で人を思うという歌。湯気がいい。温度をもって生きている人間がいる。


入日(いりひ)入日まつ赤(か)な入日何か言へ一言言ひて落ちもゆけかし/今井邦子『片々』


年を越えながき病に伏したれば頭も小さくなりし心地す/今井邦子『こぼれ梅』

→オレはこんな経験もなければ感覚もない。そんな感覚があるのかと驚いた。



52人目、土屋文明
平成まで生きたことに驚く。この本に載っているのは昔の人達だとばかり思っているわけだが、文明はいくらかオレと生きた時代が重なっている。その重なりだけでも、それがないよりは自分に近いように感じる。

土屋文明『新作歌入門 アララギ選歌後記』を読む【前編】  ~短歌作者の低能暴露ぶり、ほか : ▼存在しない何かへの憧れ http://t.co/vG0N9mkxPN
何も知らずにこの本を読んで、土屋文明への興味がとても高まったのだった。


家(いへ)うちに物なげうちていら立ちつ父を思ひ遺伝(ゐでん)といふことを思ふ/土屋文明『往還集』



安らかに月光(つきかげ)させる吾(わ)が体(からだ)おのづから感ず屍(しかばね)のごと/土屋文明『山谷集』

地下道を上(のぼ)り来(きた)りて雨の降る薄明(はくめい)の街に時(とき)の感じなし/土屋文明『山谷集』

→「感じ」の歌に丸つけた。五感にないようなものを感じとっている。


時代ことなる父と子なれば枯山(かれやま)に腰下(こしお)ろし向(むか)ふ一つ山脈(やまなみ)に/土屋文明『山下水』
→個人的に、父と一緒にアウトドアなことをやった昔を思い出した。
山の前ではジェネレーションギャップなんて小さなことだ。


吾(わ)がために君が買ふ朝(あさ)の海老(えび)五疋(ごひき)虹(にじ)のごとくに手の上(うへ)にあり/土屋文明『自流泉』
→透き通ってるエビを、虹みたいだと。手の上に置くと、手の上に朝の虹があるようなイメージがでてくる。



ここからは、知らない歌人が増えた。60首や90首が紹介される超大物がいなくなり、みんな30首にとどまる。



53人目、西村陽吉

この西村陽吉は三行書きから一行書きになっている。
こうしてこの本を見ていると、啄木以外にも三行など複数の行に分けて書いた歌人がけっこういるのがわかった。

また「口語短歌運動に参加した」とある。なるほど、昭和に入ってからは口語で書いている。

あと、どうも昔の口語って、自由律とくっつきがちだなあ。プロレタリアだのなんだのっていうのもくっついてきやすいようだ。


なまけもの、臆病、意気地無しと、
あるかぎりの名に呼びてみれど、
 安まらざりし。
/西村陽吉『都市居住者』


にぎやかな飾窓の前、
 人知れず、
しばらく怖い顔をしてゐる。
/西村陽吉『都市居住者』

→そういうのが好きだから丸つけたけど、なんか啄木っぽくなるねえ。

働かねばならず、
働けばいそがはし。
憤ほろしく仕事を見入る。
/西村陽吉『都市居住者』

なんて歌もあるが、かなり啄木に近い。働く→いそがしい→憤る→仕事を見る、では飛躍がない。「仕事に見入る」では、つまりは何を見ているのかわからない。
働く→でも暮らしが楽にならない→手を見る、だったら矢印の間に動きがある。


金があるために受けた尊敬だとそのときにふつと思つたことのさびしさ/西村陽吉『晴れた日』
→昭和になって三行書きをやめて句読点を入れなくなると同時に口語になっている。
店の接客なんかはそうだね。いつもは考えないようなことだけど、考えたらさびしいかもね。


この無數の大衆はそれぞれのいのちだ 個々の人格だ 見ろごみのやうだ/西村陽吉『舗道の歌』
※「いのち」に傍点。
→ムスカみたいなことを言っている。
傍点をつけるほどの「いのち」や人格を意識したうえで、なおもごみに見えてしまう。


わたしのあたまのなかになんにもあたらしいものがなくなつたとおもふとき家へかへる/西村陽吉『緑の旗』
→ひらがな表記になんにもなさを感じた。



54人目、大熊信行。最初のほうはメーデーがどうのこうのという政治的な内容の歌がつづく。
それから口語になる。一字空けがとても多い。定型になっていない。
『いわゆる「まるめら調」といわれる口語非定型の作品を発表するようになる。』


なさけない 人の仕打を かんがへて ひとりめしを かんでゐる/大熊信行『母の手』
自分で打ち込んだのを見て「うたのわ」かよと思った。


さびしいと思ふと なにか白い花が 木にたくさん さいてゐる/大熊信行『母の手』
→ものすごく素朴で、かえって新鮮だ。たくさんの白い花がさびしさと響き合う。


うぐいすが 自分の近くに ゐるといふ 感じがすると 眼(め)がさめました/大熊信行『母の手』
→なんともいえずいいなあ。眠りと現実のはざま。目が覚めるときにこんな美しい悲しみのようなものを感じることがある。


素朴な歌と、いかめしい顔や立派な経歴にギャップを感じた。
博士とか教授とか書いてあるのに、すごく簡単な言葉で歌をつくっている。



55人目、結城哀草果(ゆうき あいそうか)
アララギ。生涯のほとんどを山形県の農村で過ごしたとある。


貧しさはきはまりつひに歳(とし)ごろの娘ことごとく売られし村あり/結城哀草果『すだま』


大平洋に日は昇りつつ朝日嶽(あさひだけ)の大き影日本海のうへにさだまる/結城哀草果『おきなぐさ』

→大平洋から朝日嶽経由で日本海までを視野にいれた、スケールの大きな歌。



つづく。


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2014年09月20日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【10】46-50  ~岡本かの子、矢代東村、ほか

46人目、岡本かの子
すごい写真だ。迫力がありちょっとこわい。
桜ばな~の歌は知ってたけど、この人が岡本太郎を生んだというのは知らなかった。


裸にてわれは持ちたり紅(くれない)の林檎(りんご)もちたり朝風呂のなかに/岡本かの子『浴身』
→林檎が印象にのこる。あえて「紅」であると強調している。


狂人のわれが見にける十年(ととせ)まへの真赤きさくら真黒きさくら/岡本かの子『浴身』

さくらの歌も多いけど、色のでてくる歌が多い。それも、赤。



47人目、矢代東村(やしろ とうそん)
一行書きだったり何行にも分けて書いたりしている。


麦畑だ。
楢の林だ。
高圧線の大鉄塔だ。
六月だ。
野だ。
/矢代東村『溶鉱炉』

というのは以前読んで知ってた。角川の特集で。


人間のかなしき秘密ことごとくわれに知らしめし君と別るる/矢代東村『一隅より』


人生はもつと幸福であつていい
ある時は、さう考へて
その気にもなる。
/矢代東村『飛行船に騒ぐ人々』未刊

→まあ三行でやると啄木っぽくなりがちだよねえ。この人の場合は三行以外のやり方もやっている。

共感した。その気になってもそれは一時的で、そこからさらに幸福な人生にしていくわけでもない。


ただ一つ確かなことは、
行くさきに
待つてゐる死だけ、だと思ふ時。
/矢代東村『大衆と共に』未刊

→これも、一時的にそう思ったよという歌だね。そういうのに丸してしまうオレの傾向なのか、それがこの作者の傾向なのか。両方ありそう。



48人目、尾山篤二郎。いい笑顔だ。満面の笑みってやつだ。
『わが国最初の短歌総合雑誌「短歌雑誌」を企画、編集する』とある。


幻想は鋼鉄のごとし何も喰ふものもなければ風に吹かるる/尾山篤二郎『雪客』
→幻想も鋼鉄も食えないことでは同じってことか。
鋼鉄っていうのが工場とか労働をイメージさせて、それと幻想を結びつけたのが大胆なのか。


戦慄(ふるふ)ごとく晴れきはまりし一日をはや夕雲の色注(さ)しにけり/尾山篤二郎『雪客』



49人目、松村英一

素麺をゆでて食はするわが妻に今日のあつさを単純にいふ/松村英一『石に咲く花』
→ソーメン食って「今日は暑いな」なんて、平凡そのものだ。が、「単純にいふ」となると、そうじゃない複雑な言い方もあるような含みがでてくる。平凡な言葉も、選択されたものなのかなあと。常になにげなしにその選択をしていくのが日常なんだろうなあ。


夢といふ意識がありて見る夢のなかにて聞きぬ亡き妻のこゑ/松村英一『樹氷と氷壁以後』



50人目、植松壽樹(うえまつ ひさき)。ベレー帽。
「沃野」創刊主宰。


事ならずは寧ろ死なむと云ふ程の企てもなし飯うまく食ふ/植松壽樹 合同歌集『黎明』


よく見たら、オレが丸つけた三首はみんな食べる歌だった。


皮むきて物食ふ猿の手はかなし人間の手に似たるなりけり/植松壽樹『庭燎』
悲しいと言わずに悲しさを表現しろとはよく言うけど、悲しいって言っちゃってる歌で成功してる歌は、悲しみの内容に特徴があるように思う。

たとえばこの歌だと猿の手が人間に似てるからって、なにが悲しいのか。
そこで立ち止まらせる。

ひとつの読み方として、
……人間の知恵だの進歩なんてろくなもんじゃない、人間なんて悲しい生き物だ。ああ猿よ、お前まで人間の真似をしようとしているのか。……とかね。


昨夜の鰻完全に消化しつくされて吾は眼を開く薄明の中/植松壽樹『白玉の木』
→はらがへって朝目が覚めた。終わった食事を記憶に残しつつも、食べるためにその日を生きていく。




つづく。


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2014年09月19日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【9】41-45  ~原阿佐緒、中村憲吉ほか

41人目は九条武子
「高貴な秘園に棲む令嬢」だとか、「なみなみならぬ美貌」だとか書いてある。写真を見ると、昔のスターという感じがする。


たたけどもたたけどもわが心しらずピアノの鍵盤(きい)は氷の如し/九条武子『金鈴』
→オレはピアノやってたからピアノの歌には気持ちが入りやすい。
ちょっと啄木っぽいかな。労働の手の歌と比べるとだいぶ違いがある。


山たかみ空なほ高みつくづくと地の上のわれは悲しうなりぬ/九条武子『金鈴』
→「つくづくと」の「づく」は二文字ぶんの同音記号になっている。横書きでは再現できないやつだ。青空文庫では「/\」という表記になっているが、このように濁点があらたに入る場合はどうするんだ。「つく/゛\と」なんてやったら混乱しかない。

わかりやすくて丸つけたけど、幼い印象の歌だ。令嬢というプロフィールにつられて、そんなのはヤワな悲しみだろうという気持ちがしてきてしまった。



42人目、岩谷莫哀(いわや ばくあい)
うーむ全然聞いたこともない人が出てきた。でも、意外にそういう人の歌が面白かったりするんだよね。
「水甕」の創刊に参加したとある。39歳で若くして亡くなったとも。

雲はみなとけてあとなき蒼空のそこより春のかなしみぞ湧く/岩谷莫哀『春の反逆』
→さっきの九条武子に続いて、また空を見て悲しむ歌に丸をつけていた。オレの好きなシチュエーションなのかね。時代を越えた題材ではある。
雲が「とけて」がいいな。確かにそういう雲ってある。その場所で縮んでなくなっていっちゃうの。よく見てるなと思う。

雲ひとつない空に春の悲しみがあると。春って別れの季節だし、そういう意味での悲しみはオレだって経験している。晴れていることによる悲しみの印象も。


ひきだしをなかば開きてばうぜんと机の前に物をおもへり/岩谷莫哀『春の反逆』
→「ばうぜん」は初めて見たかも。旧かなって、時々オヨッと思わせてくる。
ひきだしが心理面に対応している。


松風も絶えて音なき夜の室にひそかに死地を思ひ居しかな/岩谷莫哀『仰望』
→さっきの蒼空の歌は、雲がなくなり悲しくなっていたが、今度は音がなくなり死の場所を思っている。何かが無くなったところに何か浮かんでくる、という二つの歌。



43人目、若山喜志子
また知らない人かと思ったら、若山牧水と結婚したとある。
「きしこ」で一発で一番に変換できた。

はるかなる記憶の如く夕ぐれの空より雪のまひそめしかな/若山喜志子『無花果』


慣るるといふは浅ましきかも大活字の殲滅の文字に驚くとせぬ/若山喜志子『埴鈴集』

→『埴鈴集』は昭和15年の歌集。
新聞に大きく「殲滅」なんて文字のでて、それに驚いたり一喜一憂していた時代があったのだな。


あなあはれ怠けをる時わが耳に来てそそのかすラスコーリニコフ/若山喜志子『芽ぶき柳』


眉逆だち三角まなこ窪みたるこの面つくるに八十年かかりし/若山喜志子

→写真を見ると、なるほどそういう顔だ。
この顔をつくりたいがために生涯の大部分を費やしたかのようだ。



44人目、原阿佐緒
国語の授業でやったのを覚えている。宮城出身の歌人だ。美貌が伝えられている。
スキャンダルが赤彦の怒りにふれ「アララギ」を追われたとある。
オレは結社を追い出されるのに憧れる。いやほんとにそうなるのは困るけど。


うす闇に君が吸ふなる煙草の火わがかなしみをあつめて光る/原阿佐緒『白木槿』


丸をつけた歌が終盤に集中した。


馬車の馬鞭うたれつつ身じろがぬその馬の背に春日かなしも/原阿佐緒『死をみつめて』
→鞭にもそれほど動じないような背なら、春の日ざしに感じるものなどどれだけあるだろう。


ひそめゐしわれの心を示されしおどろきに読む自殺者の手記/原阿佐緒『うす雲』
→『若きウェルテルの悩み』を読んでそれが自分のことのように思えないのは不幸だ、と言ったのはゲーテ自身だったな。
「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」。



45人目、中村憲吉
中村憲吉というと、オレはほとんど知らないんだが、近藤芳美の『短歌入門』に書いてあった扇の話を思い出す。

http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52082183.html

街とほく消えゆく音をのこしつつ我が電車いまは暗くとまりぬ/中村憲吉 合同歌集『馬鈴薯の花』


大河口(おほかはぐち)の夕焼がたの船工場(ふなこうぢやう)音をやめたりその重きおとを/中村憲吉『林泉集』

→丸つけたのはどちらも音のでてくる歌だった。

重い音がやんで、しずかに夜がやってくるところだ。


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2014年09月16日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【8】36-40  ~釈迢空ほか

36人目は吉井勇。総合誌で連載やってるから名前はよく聞く。

丸つけた歌はなかった。今読み直しても、特にない。縁がありませんでした。



37人目、小田観螢(おだ かんけい)
パーティーグッズみたいな、丸メガネにチョビヒゲだ。
太田水穂からの影響があること。観螢の歌は手堅くて重量感があるという水穂の評。


亡き妻も影うつしけむこの朝の井の戸の水にみたる我が面/小田観螢『隠り沼』
→まちがっても妻の顔が映ることはないのだなあ。
「この朝の井の戸の水」って、「の」が多いな。


月もわれもいまだ柩(ひつぎ)を持たざれば幽魂冷ゆるごとくさすらふ/小田観螢『天象』


丘の木々おそろしきまで風に鳴るそのほかはなき闇を見て寝る/小田観螢『天象』




38人目、橋田東声(はしだ とうせい)
「覇王樹」を創刊し主宰をつとめたとある。

小夜床にいのち死にたる父の顔に揺れつゝうつる蝋燭の灯り/橋田東声『地懐』
→「いのち死にたる」。
揺れるろうそくの灯りが、生きているみたいだ。


木に花さき陽はうらゝ照る眼をあげよこの天地にかなしみはあらず/橋田東声『地懐』
→自然にここまでの明るさをみる歌は久しぶりに読んだように思う。


つぎつぎにみな死にゆきし家にかへり洋燈(らんぷ)をとぼす夕べ寂しも/橋田東声『地懐』



39人目、釈迢空


沢蟹をもてあそぶ子に 銭くれて、赤きたなそこを 我は見にけり/釈迢空『海やまのあひだ』
→「たなそこ」は手のひらだな。赤はカニの色と重なっているか。
浦島太郎にでてくるような子どもだなあ。


愚痴蒙昧の民として 我を哭かしめよ。あまりに惨(ムゴ)く 死にしわが子ぞ/釈迢空『倭をぐな』
→「愚痴蒙昧」で調べると「無知蒙昧」が最初にでてくるが、愚痴蒙昧という言葉もある。


よき恋をせよ と言ひしが 処女子のなげくを見れば 悲しかるらし/釈迢空『倭をぐな』



40人目、半田良平

死にし子は病み臥してより草花をいたく愛(め)でにきと妻のいふかも/半田良平『幸木』


三人の子供をつぎつぎに亡くしたと解説にある。


人ならば吾をさいなむ『運命』にをどりかかりて咽喉締めましを/半田良平『幸木』



つづく。


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2014年09月14日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【7】31-35  ~牧水、啄木ほか

31人目、若山牧水

みな人にそむきてひとりわれゆかむわが悲しみはひとにゆるさじ/若山牧水『海の声』
→「みな人」っていうのは「ほかの誰も」というようなことなんだろう。


飽くなき自己虐待者に続(つ)ぎ来たる、朝、朝のいかに悲しき/若山牧水『みなかみ』
→「飽くなき自己虐待者」ってなんかすごい言葉。自虐、という言葉なら親しみがあるが、自虐より重そう。いくらネガティブになっても満足することはない人。
そんな人にも毎日朝がくる。


足音を忍ばせてゆけば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる/若山牧水『黒松』
→ツイッターでは反響の大きかった歌。


『人は自ら歌ふことによりて自ら慰み、自ら歌ふ声を聴きて自ら励む』
といった牧水の短歌観も書いてあった。



32人目、木下利玄
オレが丸つけた歌は亡くなった子についての歌だった。


鼻の上に少し皺よせわが妻のいとしみし子は死ににけるかも/木下利玄『紅玉』
→鼻の上の皺、という細部。苦悩の表情ともとれるシワだ。
「わが妻のいとしみし子」。自分がいとしんでるとは言わないんだな。子供好きと解説にはある。


これやこの三人の吾子の墓どころ土のしめりに身をかがめけり/木下利玄『紅玉』
→これも土の「しめり」という、ちょっとしたところがいい。そこに子供はいなくても、しめりにかすかに何かがありそうだ。



33人目は石川啄木
一応『一握の砂』『悲しき玩具』ひととおり読んだんだけど、これ見てたらあらたに丸がついた。


剽軽の性なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり
/石川啄木『一握の砂』



石ひとつ
坂をくだるがごとくにも
我けふの日に到り着きたる
/石川啄木『一握の砂』



よごれたる足袋穿く時の
気味わるき思ひに似たる
思出もあり
/石川啄木『一握の砂』


靴下のたるみをなおす要領で俺を肯定したい日もある/枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』
→この二首、つながってるかなと思ったり、いいやそうでもないかなと思ったりしながら並べてみた。

ちなみに今オレの部屋には脱いだ靴下が二足あって、オレはあまり気にせずその時近くにあった方をはく。臭くなったら代える感じ。

足に履くものって歩くことが暗示されて、歩くことが「人生を歩んでいく」みたいなことを予感させる。
よごれてるのは過去、たるみをなおすのは未来に向かう現在。



脉をとる看護婦の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅き日もあり。
/石川啄木『悲しき玩具』



ある日、ふと、やまひを忘れ、
牛の啼く真似をしてみぬ、──
 妻子の留守に。
/石川啄木『悲しき玩具』

→石川啄木のこういうところ、好きなんだよなあ。

『悲しき玩具』では句読点のほかに「──」っていうのも使っている。読むときの間合いやなんかをこまかく記したかったのかなあ。ごちゃごちゃしてしまっている。



34人目、三ヶ島葭子(みかじま よしこ)
アララギ、病弱、夫の浮気など。



君を得しよろこびなれど新しくおのれを得たる驚きぞする/三ヶ島葭子

恋ふるをもわがまたそれを恥ずるをもあはせて高くあざわらふべき/三ヶ島葭子

→という二首が隣り合っている。恋に喜びや驚きを感じる歌と、嘲笑する歌。


物干の日向に靴を磨きゐる向かひの妻はもの思はざらむ/三ヶ島葭子
→見える範囲内での生活の断片から、他者の内面を推し測っている。
こんなことを気にするということは、思い悩んでいるんだろう。


明日よりはよそにおきふしするといふ夫の心をしづかに思へり/三ヶ島葭子



35人目、古泉千樫
アララギの人だが後に絶縁すること、典雅な作風であることなどが解説に書かれている。


ふる里の雨しづかなり母も吾(あ)も悲しきことは今日はかたらず/古泉千樫『屋上の土』
→しずかな雨の音が引き立つ。


おもてにて遊ぶ子どもの声きかば夕かたまけてすずしかるらし/古泉千樫『青牛集』
→自分の体感ではなく子供の声によって温度を知る。


ぬばたまの夜ふかき水にあはあはし白く浮き咲く睡蓮の花/古泉千樫『屋上の土』
→暗い水に浮いて、ぼんやりと白く見える睡蓮。
句のおわりの母音を、次の句のはじまりで引き継ぐというやり方がある。

少し似た歌で、こういうのもある、

ぬばたまの夜の海走る船の上に白きひつぎをいだきわが居り/古泉千樫『屋上の土』

この歌も一ヶ所をのぞき、句の終わりの母音を次の句が受けている状態になっている。

これは、さっきの歌と同じ「ぬばたまの夜」で始まっている。そして水が出てきてそのうえに白いものがあるところまで共通している。




つづきます、


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