歌集読む

2019年10月05日

《歌集読む 215》原佳子『空ふたたび』  ~一文字に結んだ口もと、ほか

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歌集読む 215
原佳子『空ふたたび』。
ながらみ書房。2019年7月。第一歌集。



ちぐはぐな気持ちと一緒に抱え来し甘夏ひとつ転がりてゆく
/原佳子『空ふたたび』



看病が介護にかわり夫とわれ覚悟を決めて子を抱くなり
/原佳子『空ふたたび』

→小学生のお子さんが交通事故にあう。
詞書として「病院に泊まりこみして丸二年十か月たちわが家に戻る」とあるが、これも短歌になっている。形は短歌だが説明的なので詞書になっているのだろう。



蝋のいろに変わりてしまいたる吾子よ棺を閉ずるまでを抱きいて
/原佳子『空ふたたび』

{短歌の本読む 100} 「短歌生活」第8回角川全国短歌大賞作品集 https://t.co/CQSAnPEWfU

この歌は以前このブログで取り上げたことがある。『短歌生活』という、角川全国短歌大賞(新人賞ではない)の作品集で読んだのだった。
それから、2017年の上半期短歌大賞に選んだ。
#2017上半期短歌大賞 50首 - Togetter https://togetter.com/li/1126231



子は逝きぬ 部屋のベッドを片づけて虚ろというに呑みこまれゆく
/原佳子『空ふたたび』



一文字に結んだ口もと忘られず一年かけっこスタート前の
/原佳子『空ふたたび』

→お子さんは小学一年生で事故にあったとあとがきに書いてあるので、事故の直前のころか。走り出す前の集中した口もとだ。一年生ならば、人生だってスタートしたばかりでまだまだこれからというところだ。



ぬばたまの夜の川面がほの明し花びら揺れて君は笑まいて
/原佳子『空ふたたび』



庭先にバドミントンを打ち合いて娘(こ)との間合いを測りておりぬ
/原佳子『空ふたたび』

→実はこの歌もとりあつかったことがある。角川短歌2013年8月号の題詠「庭を詠う」に載っていた歌だ。
さっきは角川全国短歌大賞がでてきたけど、いろいろ投稿をしていた方なんですね。

「娘との間合い」というのが、バドミントンをうまく打つための間合いでありながら、親子関係の間合いのようでもある。



手に巻いた包帯やっと薄くなりペンをはさんで「ありがとう」と書く
/原佳子『空ふたたび』

→なんの怪我なのかは前後を読んでもわからなかった。
まだ完治しているわけではないけれども、ペンをなんとかとれる状態になって、お礼の手紙かなにかを書いている。人柄の良さがあらわれている。



朝採りの胡瓜のみどりみずみずし藤井四段の前傾姿勢
/原佳子『空ふたたび』

→藤井さん、一時はかなり短歌に詠まれていたような気がする。きゅうりがすごく新鮮そうなのがいいし、前傾姿勢をもってきたのもいい。




この歌集はここまでなんだけども、原さんの歌をオレはもう一首このブログで取り上げたことがある。この歌は歌集に収録されなかった。

ライン入りハイソックスの似合う脚 わが夢の野を駆けまわるなり
/原佳子『未来』2018年2月号

→この健康そうな足は亡くなった子の足なのだろうと、歌集を読んだ今は思う。




以上です。この本おわり。






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2019年09月28日

《歌集読む 214》相原かろ『浜竹』  ~あなたの椅子になるわけですね、ほか

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《歌集読む 214》
相原かろ『浜竹』。
2019年6月。青磁社。



吊り革を両手で握りうつむいて祈る姿で祈らずなにも
/相原かろ『浜竹』

→どんな状態なのか、図が浮かんでくる。祈っていないことを強調したことで、虚無がたちあがってくる。神はいないこと、祈る習慣がないこと、救いがないこと。



小便を仲立ちにしていま俺は便器の水とつながっている
/相原かろ『浜竹』

→前の歌では神とつながっていないことを書いたけど、ここでは便器の水とつながっている。なんとも無意味な仲立ちであり、つながりである。笑えるというよりは、発見にビビった。



椅子の背にタオルを一枚かけますとあなたの椅子になるわけですね
/相原かろ『浜竹』

→席をとっておくために私物を置くことがある。
ここでは丁寧語で、確認するように言ってくる。考えないでやっていたことを、見抜かれてしまう。
あるいは、ハンカチをつかった手品みたいだと思った。



サーカスを家族で見たという過去のだんだん作りものめいてくる
/相原かろ『浜竹』



運び去るバスのみいつも見ていたがみのり幼稚園ここにあるのか
/相原かろ『浜竹』

→幼稚園バスは見かけるけど幼稚園がどこにあるかはわからないということがある。
「みのり幼稚園」は実際にありそうな名前だ。あるでしょうこれは。こうした名前を出すと効果がある。



映像で紹介される街の声三人きりなり三人の街
/相原かろ『浜竹』

→テレビやなんかで、街の声だといって街の人が出てきてしゃべるが、だいたい三人くらいなもんだ。この三人が街の代表なんだ、無名で偉くもない三人が代表なんだと考えてみると妙だ。



ふくらみのちょうどよいとこ指が押す枝豆みどりあらわれにけり
/相原かろ『浜竹』 ​



そのむかし赤ペン先生なる人へ将来の夢告げしことあり
/相原かろ『浜竹』

→オレも進研ゼミやってたなあ。「赤ペン先生」っていうと親しみがあるが、実際は何者なのかよくわからない人たちだ。
初句「そのむかし」がいい。そう言っていいくらい古いことだ。



電車から見えて見えなくなる町に中の見えない家々も過ぐ
/相原かろ『浜竹』

→「見えて見えなくなる」に、電車に乗ってるときの感じが出ている。見えたと思うと見えなくなる。
中が見えないのはべつに普通なんだけど、それをわざわざ言いたくなるのはわかる。中が気になるからだ。



連結部のきしむ音とは知りながらあえぎ声かと思ってしまう
/相原かろ『浜竹』

→「あるある」の要素があり、下ネタといえば下ネタだ。
あえぎ声というのは、あるいは連結部のきしみみたいなものなのかもしれない。



電車にて知らない子どもがこねている駄々がいよいよ人語を越える
/相原かろ『浜竹』

→電車の歌がつづく。自分もよく電車で短歌をつくるので、わかる。
「いよいよ人語を越える」が見どころ。ここからは人の言葉ではなく叫びか鳴き声みたいになる。子供のなかには人間じゃないものが住んでいて、本気になると姿をあらわす。



選ばねばドレッシングの三種からウエイトレスの見おろす下に
/相原かろ『浜竹』



玉入れの玉がくたりと地に落ちてとうとうじっと砂まみれなり
/相原かろ『浜竹』

→「くたり」が玉の質感を表現している。
「とうとうじっと砂まみれ」と、なぜか一つの玉を見つめつづけているのだ。



言えた気もしないでわれに使われる「閉塞感」はかわいそうなり
/相原かろ『浜竹』





元旦に遠くのサイレン近づいて来そうだったが来なかった
/相原かろ『浜竹』

→「元旦」に何か意味がありそうで、特にない。サイレンもべつになにもない。結句の字足らず。



クリームがあふれてあわててエクレアをあっけなき間に食べ終わりたり
/相原かろ『浜竹』

→こういうことあるなあ。「あっけなき間に」がいい。



手紙とは違う紙片も入れた気がしてきてポストを振り返りみる
/相原かろ『浜竹』

→振り返ってもわかんないし、わかっても取り出せない。それでも振り返ってしまうものだ。



ほとんどが工藤吉生だつぶやきの相原かろを検索すれば
/相原かろ『浜竹』

→という歌がある。オレを詠んでくださったのだ。
オレの名前を含む短歌はいくつか知っているが、歌集に収録されたものを見るのは初めてのことだ。うれしい。




以上です。この本おわり。



んじゃまた。

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2019年09月22日

《歌集読む 213》加藤治郎『Confusion』  ~声になるまできみは言う、ほか

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歌集読む 213



加藤治郎『Confusion』。書肆侃侃房。2018年5月。

縦書きや横書きや短歌や俳句や対談など、いろいろ同居している一冊。
全部に目を通しましたが、短歌にだけ少し丸をつけました。




くちびるのようなあなたの靴をみてちぎれちまったゆうぐれのゆめ
/加藤治郎『Confusion』

→靴をくちびるに重ねたのが新鮮でした。くちびるというと赤なので、赤系統の色の靴でしょうか。
靴でゆめがちぎれるというのはよくわかりませんが「ちぎれちまった」に苦味が感じられました。
四句と結句は、ち→ち、ゆ→ゆ、で音を重ねています。



消えたいと声になるまできみは言うそれはかすかな葉擦れのような
/加藤治郎『Confusion』

→「声になるまで」。声になるまでに、声にならない「消えたい」があったのです。声になった「消えたい」も、かすかな葉擦れのように小さい。
「葉擦れ」から、植物を連想します。まるで樹木の声を聞いているようです。



終電の次の電車で帰りなよ みかんの沸騰しそうなこたつ
/加藤治郎『Confusion』

→上の句、あたりまえのように言ってるけど、それって始発電車です。次がないから終電なのに。
それに応えるように下の句があります。こたつは暖かいものですが、みかんが沸騰するわけがない。ムチャに対してムチャで返しています。この沸騰は怒りなのか、なにかのエネルギーなのか。



ショーンK、いつも見事にキッパリと脚を開いていた。ショーンK
/加藤治郎『Confusion』

→加藤さんには
アラン・ドロンの眉間の皺はうつくしく眉間の皺のアラン・ドロンよ
という歌もあったのを思い出します。最初と最後に有名人の名前が出てきて、まんなかではその人の特徴的な一点を描写します。
アラン・ドロンの場合は眉間の皺でしたが、ショーンKはひらいた脚だったのです。

ショーンKの名前は最近きかないんですけど、学歴詐称のイメージが強いですし、この歌もそれを念頭においていたのではないでしょうか。詐称していたけど、テレビに出演したときには脚を開いていた。「見事にキッパリと」とまで脚のひらきかたを強調しているのがこの歌の見どころでしょう。



銀いろの回転寿司のレーンから離脱した皿、ひかりのなかに
/加藤治郎『Confusion』

→「離脱」の読みが確定しづらいんですが、誰かが食べたくて取ったんじゃなくて、誰も取らなかった鮮度の落ちた皿が客から見えないところへ消えていったのかと思いました。そして、そんな運命を人の運命に重ねている。



「ラジオ体操」
(タンタタタタタ)僕には愛がある(腕を前から上にあげて)銃殺
/加藤治郎『Confusion』

→最初の(タンタタタタタ)はタイトルによる先入観で、ラジオ体操の音楽の前奏かと思うわけです。実際、最初の運動のための掛け声(腕を前から上にあげて)がくるわけです。
しかし突然に銃殺にあう。腕を上げているってことは、万歳のまま死んだのです。

そうなってみると、(タンタタタタタ)は銃声だったと考え直します。「僕には愛がある」は恋する若者の声から、お国のための言葉へと変貌します。



それはもうみかんのような太陽だお尻に爪をずぶりと入れて
/加藤治郎『Confusion』

→みかんのヘタの部分を頭と考えると、お尻に爪を入れて割っていることになります。「ずぶり」がカンチョーされたみたいです。
しかし「みかんのような太陽だ」といってますから、みかんじゃありませんね。みかんのようですが、太陽です。太陽のお尻に爪を入れてると考えると、ありえないスケールの短歌です。



というわけでこの本おわり。工夫がある本なんですけど、ふつうに歌集として扱って、短歌を引いてみました。


んじゃまた。

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2019年09月13日

《歌集読む 212》戸田響子『煮汁』  ~カップの中は昨日、ほか

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歌集読む 212
戸田響子『煮汁』。書肆侃侃房。2019年4月。



まず表紙からして印象的ですね。男女が走っている後ろ姿です。
頭部が小さくて、何等身だろうって感じですね。星のような何かが斜めに降っています。戦火のなかを逃げているようにも見えますが、服装を見るとパーティーから二人で抜け出したと見たほうがよさそうです。
そしてそんな二人の右上に『煮汁』です。『煮汁』という言葉とこの絵の衝突。「煮」の字の斜めの線が落下してくるものの尾の部分になっています。




早朝のバスタブ朝日がつき刺さり音階のようなものが聞こえる
/戸田響子『煮汁』

→上の句はよくわかりますね。ふつうに朝の風呂場です。「つき刺さり」がややするどい描写です。
問題は下の句です。「音階のようなもの」ってことは、これは音階ではありません。そとで何かやってるんでしょうか。早朝なので、遠くの目覚まし時計という読みは可能です。

ここは自分としては、なにかもっと神秘的なものを感じたいですね。早朝、バスタブ、つき刺さる朝日。こうしたものが合わさって、この下の句。うーん上手く言えないんですが、朝の光が聴覚で感じとれるなにかに変換されたかのような。



駅前でポケットティッシュを受け取った目は合わないのに触れる指先
/戸田響子『煮汁』



複雑に動く唇見ていたいスリジャヤワルダナプラコッテ
/戸田響子『煮汁』

→下の句はスリランカの首都ってことでちょっとよく言われてたかと思います。オレの学校でもこれを得意気に早口で言ってるやつがいました。
これを言う必要性が普通はないわけで、単語としての長さとか、「意味」以外のところが大事にされているわけです。ここでは「複雑に動く唇」となってあらわれています。
字足らずで、かなり印象的な下の句です。



伏せてあるカップの中は昨日です雨音がずっと聞こえています
/戸田響子『煮汁』

→上の句からすでに不思議なことが出てきます。カップの中は昨日です、ということは、カップの外側は今日ですから、どんな時間の状態なのでしょうか。
下の句では音のことが出てきますが、これはカップの中から聞こえてくるように思えます。そうは書かれていないので、ここで読みが分かれそうですね。
昨日は雨で、昨日の雨の音が伏せてあるカップの中から聞こえてくる。「ずっと」っていつからでしょう。しばらく前からこの状態なのでしょうか。
カップを表にしたらどうなるのかがとても気になりますが、ずっとこの状態なのです。



「近々に」といわれ冷たく光りだす「近々」という言葉星みたい
/戸田響子『煮汁』

→星がまたたく様子を「ちかちか」ということがありますが「近々」からそれを感じ取っているということですね。
「冷たく光りだす」に、星のまたたきが表現されています。
「という言葉星みたい」というおさめかたが特徴的です。ぎこちないというか、舌足らずの一歩手前とでもいいましょうか。



乾杯でちょっと遠い人まぁいいかと思った瞬間目が合ったりする
/戸田響子『煮汁』

→この歌集には、不思議な歌と日常な歌と両方がありますが、これは後者ですね。「あるある」です。



時計のない部屋でそわそわしていたがやがてどうでもよくなってきた
/戸田響子『煮汁』

→考えてみたら時間がわからない場所に長時間いることってないなあ。
歌を見ると、漢字が途中でなくなってひらがなばかりになっています。これが時間の感じかたや心の変化をあらわすかのようです。



着信拒否をされている気がするんだと何度か言って帰っていった
/戸田響子『煮汁』

→着信拒否をされている気がするんだけど、実際に電話をかけて確かめたわけではないんですね。だから、気がするだけ。それを言うんだけど、言われたほうはハッキリした返事はできないでしょう。そんなの知らないから。
しかも複数回言って帰っていく。人には複数回しゃべるのに、自分では一度も確認しないわけです。
言うだけ言って帰っていく。そこにはなんの変化もない。また来たらまた言いそう。「謎」が行ったり来たりしているみたい。



着席と先生が言いその後の五秒の顔は餃子に似てた
/戸田響子『煮汁』

→それって先生が言うんですかね。日直が言わない? まあそういう学校とかクラスもあるでしょう。
みんな着席してから授業を始めるんですが、「着席」と号令がかかってから先生が話し始めるまでに五秒くらいある。そのあいだの先生の顔を見ていたというんですね。
その先生の顔が、よりによって餃子に似ていたという。比喩がおもしろいです。どんな顔でしょう。瞬間の表情を切り取った短歌です。



人形をつかみ上げれば死んでいるような角度でこうべをたれる
/戸田響子『煮汁』

→人形は生きていなくて、かといって死んでもいない。「死んでいるような角度で」が気味の悪いところで、これはまるで、死んでいるものをつかみ上げたことがあるかのような言い方なんです。そのしずかな気味の悪さを味わう短歌なのだと思います。



殺した虫をティッシュに包み屑かごへ捨てたらちょっと薄暗くなる
/戸田響子『煮汁』

→こういうことって普通にやりそうだけど、「ちょっと薄暗くなる」がポイント。「ちょっと」と「薄」が重なっているけど、それくらいわずかな変化なんですね。これが虫じゃなくてほかの動物とかだと、もっとしっかり暗くなるんだろうか。殺せば殺すほど暗くなっていく世界に、いつのまにか包まれている。
ティッシュに包んで捨てたところまで丁寧に言っている。ティッシュに包む行為も暗さに関係しているんだろうか。関係するとして、それは暗さを強くするのか、弱くするのか。



連写する笑顔の中に一瞬のまたたきの顔泣き顔に似る
/戸田響子『煮汁』

→さっき、先生の五秒だけの表情を切り取った短歌を紹介しましたが、これもわずかな表情の歌。
笑顔のなかに泣き顔のような顔が混ざるという発見。サブリミナル効果を思い出しました。



夏草がのびのび伸びて背をこえてねえフエラムネの音色聞かせて
/戸田響子『煮汁』

→響きやリズムで読ませる短歌です。「夏草」のN音から「のびのび伸びて」につながり、そこから「て」止めが三回出てきます。
フエラムネの音色というのは子供のころを思い出させます。背よりも高く伸びた草というのもそうです。草が背をこえていくのが、時間を巻き戻すような感覚を呼び起こします。



眠りから夢への連結部分にて大写しになるラーメンのなると
/戸田響子『煮汁』

→そんなことある? と思ったけど、なんかおもしろいから丸つけました。
「連結部分」ってこういう場合には使わない言い回しで、おもしろいです。電車の車両と車両みたいです。してみると、眠りや夢も車両のようなものなのでしょうか。
これはつまり夢の入り口なのかと思いましたが、よく見るとそうとも限らないようです。
なるとっていうのはぐるぐる渦を巻いていまして、そのあたり、謎めいています。大写しならば、なおさらです。



思い出させてあげようじゃない次々と粉砕してゆくルマンドのくず
/戸田響子『煮汁』

→強そうなことを言って始まるんだけど、結句の「ルマンドのくず」で迫力の方向がかわります。そもそも壊れやすいものを壊している。でもそこをあえて壊すのも普通じゃないので、やっぱりなんか迫力がある。
いったい何を思い出すことになるのでしょう。



はさみを握る指美しくしょきしょきと白い切れ端うなだれてゆく
/戸田響子『煮汁』

→「しょきしょき」に工夫が見られます。
美しい指とうなだれてゆく紙のあいだにドラマがありそうです。



巻き上げるパスタにやはりツボがあり間違えると一本はみ出す
/戸田響子『煮汁』

→パスタがうまく巻き上がらない感覚を詠んでいます。巻けるか巻けないか、それを決めるものを「ツボ」と呼んでいます。
下の句の句またがりの苦しさと字足らずが「間違える」につながってくるんでしょう。



以上です。けっこう書きました。
この本おわり。
んじゃまた。



▼▼▼



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2019年09月08日

《歌集読む 211》小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』  ~泣いたら強いんですよ、ほか

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歌集読む211



小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』
書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズ48。2019年4月。

よくわからない絵の表紙だ。パーの人と、その影のようなグーの人がいる。グーの人は胴体も指で出来ているように見える。じゃんけんならばパーの人が勝ちだけど、二人とも手前にあるどんぶりやコップを見ているようだ。
どんぶりは五つで、コップ四つで瓶一本。それにしては箸の本数が多い。それらが床にじかに置かれているのもよくわからないし、じゃんけんの二人はこれらの容器に何を見出だしたというのだろうか。

裏表紙はもっとわからない絵だ。
この黒いのはさっきのグーになってる影の人だろうか。なぜかぐにゃぐにゃになって窓のような場所にはさまっている。窓の向こうへいくところなのか、それともこっちへくるところなのか。そもそも窓なのかどうか。ビルがあって屋根が映っているようにみれば窓だ。



父の切る爪がぱちんと飛んできた箱根の5区の坂の途中で
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→一緒にテレビで駅伝を見ていると考えてみた。そうは言ってないけど。ランナー目線にも見えるところが面白味。



目を閉じて片足でゆらゆらしてるあいだに孤独がすごい集まる
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→そういうことしてると不安定になってくる。それは体勢もそうだけど気持ちにも響いている。孤独が集まるというのがいい。

結句に「すごい」をつけるのがこの人の手癖なのか、8ページ、28ページ、44ページ、46ページ、79ページにも見られる。



柔道の受け身練習目を閉じて音だけ聞いていたら海です
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→あーたしかにそんなふうに聞こえるかもしれない。バタンバタンと受け身をとる音が、だんだん波の音になる。
「海です」は、海にいるみたいに思えてきますという意味にもとれるけど、周囲が海になっていましたということだったら楽しい。



目を覚ますたびに神社の境内にいます彼女の膝で眠ると
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→目を閉じる歌が続いたが、こんどは目を開けたら場所がかわっている歌だ。なぜ神社の境内なのか。彼女は霊的な存在である、とでもいうのだろうか……。



たまに頬に生ハムのっけてみたくなることもあるでしょ人間だもの
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→これも体が横になってるっぽい歌だ。
奇妙な欲望を、奇妙に説得しようとしてくる。「人間」という括りのでかさ。



甥っ子に五十メートル何秒と聞かれた喪服ばかりの部屋で
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→喪服ばかりの部屋と言われて、甥っ子の質問が生き生きした内容だと気づく。少しでもより速く走ることに甥っ子は熱中しているのだろう。



嘘をつきすぎると神から警告の意味でこけしが代引きで来る
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→閻魔様に舌を抜かれると昔は言われていた。代引きってところがいい。都市伝説みたい。っていうか警告が分かりづらいよ神様。



ささやかな抵抗としてえいえいおう利き手ではない方でやってる
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→これも、意味が伝わりにくいことをする歌。この場合は伝わらなくていいわけだ。
オレもやろうかなと思った。



ママチャリでロードバイクを抜き返す泣いたら強いんですよわたしは
/小坂井大輔『平和園へ帰ろうよ』

→なんの競争なんだ。こんな条件のレース競技があると思えないし、道路で同じ方向に走っていた二人がなんとなく競争しはじめちゃったのかと思った。それなのにむちゃくちゃ必死で泣いて漕いでいる。なんの涙なんだ。
「抜き返す」ってなかなか短歌で見かけない言葉だ。デッドヒートですよ。
「強いんですよわたしは」って口調からすると、いい年した大人同士と思われる。



おいでおいでの動きキモいと妹に言われる即刻猫ブーム去れ
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→山川藍さんの『いらっしゃい』に出てきそうで絶対に出てこない、兄の目線の猫の歌。



蛇を首にかけた写真があるといい母は自分の部屋に戻った
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→これから蛇を首にかけた写真をもった母がくるわけだけど、母が自分の部屋に戻ったところで歌がおわるという切り口。母は見せたそうだけど、こちらは見なくてもよさそう。その温度差が、切り口から感じられた。



限界になるまで行きたくない歯医者 うどん やさしい うどん さみしい
/小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』

→虫歯によって食べれるものが制限されてくる。うどんそのものは変化しないが、それを食べる気持ちは変化する。一字あけと形容詞で表現されている。



おもしろかった歌はそういう感じでした。

「神様」が軽い感じで出てくるのがなんか嫌でした。いや、おもしろくて取り上げた神様の歌もあるけども。




この本おわり。
んじゃまた。




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2019年08月29日

《歌集読む 210》近藤芳美『埃吹く街』  ~半ばまで行きて死ぬ、ほか

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歌集読む 210

近藤芳美『埃吹く街』1948年。



淡あはとなべてに落つる夕光橋にむかひて人は乏しき
/近藤芳美『埃吹く街』



焼あとの空は黄色くにごりつつしばらく塀に添ふ道があり
/近藤芳美『埃吹く街』



幾度かに地平の雲の色移り実験衣脱ぐ一人なる部屋
/近藤芳美『埃吹く街』



くすりまきし部屋を這ふ虫灯の下の畳の半ばまで行きて死ぬ
/近藤芳美『埃吹く街』

→こういうことは日常にあるけど、もしかすると、苦しく生きて死んだ人が重ねられているのか。



酒吐きて歩み行くときポケットに手触れて居たり鋼の巻尺
/近藤芳美『埃吹く街』
→巻き尺は仕事道具か。飲み過ぎて吐くというのは自分の計測を誤っている。さっきの、色が変化する雲と実験衣のときも思ったけど、出てきた二つのものが響きあっている。



階段をすべり背中を打ちし男しばし歩みて人にまぎるる
/近藤芳美『埃吹く街』

→男が滑稽で目を引くんだけど、どんなものでもまぎれてわからなくさせてしまう街の雑踏のほうが心にのこる。



互ひに言ひつくしつつ理解せず雨滴は青し窓を流れて
/近藤芳美『埃吹く街』



諍ひしあとを互ひに寝る家族小さき地震を弟は言ふ
/近藤芳美『埃吹く街』



通ひ合ふもの無き事も知らむとし若き批判の中に交じりぬ
/近藤芳美『埃吹く街』

→昔の歌だからというわけではないんだろうけど、他人との距離が近い。言い合いをするし、批判したりする。



ほとんどのことはわからないか、わかってるやつと同じかどうかがわからない。だから風景の歌か抽象的な歌に丸が集中する。
コミュニストとかインテリゲンチャとか民衆とかが、オレの想像できるものとどれだけ重なってるかって話。わかりそうな「喫茶」だって「自動車」だって何だって、今とは違うでしょう。
読んでて感じる雰囲気は好き。

この本おわり。



んじゃまた。



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2019年08月21日

《歌集読む 209》小川佳世子『ゆきふる』  ~ナイフかと思う角度に、ほか

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歌集読む 209

小川佳世子『ゆきふる』。2015年の第二歌集。

砂子屋書房の「現代短歌文庫」から。



ナイフかと思う角度にケイタイを持ってこちらへ来る中学生
/小川佳世子『ゆきふる』

→ケイタイがナイフっていうのがいいし、角度っていうのがいい。刺されるような恐怖を感じているんだろう。



時々は滝もベッドに横たわりたいと思いはしないだろうか
/小川佳世子『ゆきふる』

→横たわったら滝じゃないんだけど、滝の気持ちはわからない。「ベッドに」がいい。夢でも見そうだ。
打たれて修業する人がいたり、厳しいイメージがついてくるのが滝だ。そのイメージをひっくりかえす。



便せんの罫線の間が広すぎてさむい 夏には気付かなかったが
/小川佳世子『ゆきふる』

→狭くなると文字と文字が身を寄せ合うかたちになってあたたかさが出てくる、その逆ということかな。下の句から、一年のあいだによく手紙を書く方なのかと想像した。



おとなしい人やと噂されしのち落ち込んでいるということになる
/小川佳世子『ゆきふる』

→人の噂には尾ひれがつくものだ。おとなしいのと落ち込んでいるのは、似ているようでだいぶ違う。なにか悪いことがあったことになった。



手術室の中で聞こえる器具の音は気まずい家庭の食卓に似る
/小川佳世子『ゆきふる』

→器具のふれあう感じで家庭の雰囲気もわかるかもしれないね。
手術を受けている様子だけど、そうなると、自分の体が医師たちに食べられているかのようで、おもしろいようなこわいような。



ワイパーに押し潰される雨滴かな 大きな水玉に戻りたい
/小川佳世子『ゆきふる』

→さっきの滝がベッドに寝る歌みたいに、声のない者の願いを聞いている。



丸をつけたのはそういう歌でした。
この歌集おわり。
んじゃまた。




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2019年08月15日

《歌集読む 208》永田紅『春の顕微鏡』  ~しゃるしゃるとペダルを、ほか

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歌集読む 208

永田紅『春の顕微鏡』。
青磁社。2018年9月。第四歌集。



論文に説明されたる症状の痛ましとコーヒーを淹れに立ちたり
/永田紅『春の顕微鏡』



当たり障りなき発言に失望さるるを怖れつつ空調の音を聞きおり
/永田紅『春の顕微鏡』

→「空調の音を聞きおり」。発言しているのか、発言した直後なのか。誰もなにも音をたてず声も出していない。空調の音にしずけさがあらわれている。



アメリカのスペースシャトルの墜ちし日に教室で女性教師は泣きぬ
/永田紅『春の顕微鏡』

→ここだけ引いてもわかりにくいな。「十歳のころ」という、アメリカでの生活の一連。星条旗や愛国心の歌があり、この歌がある。
「泣きぬ」って普通にあるけど、日本の教師は泣かない気がする。



横顔に親しみてただ見ていしがふいに振り向き時間を問えり
/永田紅『春の顕微鏡』



学振(がくしん)が苦心、科研費書けん日、と言葉に遊ぶを息抜きとして
/永田紅『春の顕微鏡』

→『塔』の編集後記で、こういう遊びで盛り上がったって書いてある号があったよね。二つあるがどちらも略語から始まる。
言葉遊びの裏になにやら張りつめたものがある。



まだ居たきこの家なれば花の種かさかさ振って庭を歩くよ
/永田紅『春の顕微鏡』

しゃるしゃるとペダルを逆に漕ぐときの力の抜き様(よう) 歳を重ねて
/永田紅『春の顕微鏡』

→「かさかさ」の歌と「しゃるしゃる」の歌を引いた。
自転車のペダルを逆に漕ぐとたしかにやたら軽い。力の抜き様というなら、かなり力が抜けている。「しゃるしゃる」がうまい。



書いたものぜんぶ消すとき破らぬよう別の力も必要だった
/永田紅『春の顕微鏡』





丸つけた歌はそんな感じ。

2006年から2011年までの作品を収めたということで、「母」の死の歌がある。永田家とか植物とか研究とか、そういうことが主なテーマなんだろうけど、そこに興味が持てなくて想像することも難しい。オレとは生活や心のステージが違いすぎるというか。

この本おわり。
んじゃまた。


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2019年08月13日

《歌集読む 207》髙橋みずほ『白い田』  ~しとしと 雨 しとしと 雨、ほか

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歌集読む 207
髙橋みずほ『白い田』。
六花書林。2018年2月。




本のなかには作者の情報があまりないんだけど、Wikipediaにくわしい。「夫は歌人の吉野裕之」とあった。仙台生まれの方なんですね。歌集がたくさん出ている。

パラフィン紙っていうんですかね。カサカサしてて白く曇った紙が歌集をカバーしている。オレはこういうのは取りたくなっちゃうんだけど、接着されていた。



子守唄やさしきおとのつらなりにねむる赤子らふたつ耳たぶ
/髙橋みずほ『白い田』



屋根を打つ音のしばらく雨の粒に消えゆくおもいでのある
/髙橋みずほ『白い田』

→57577とは異なる短歌が多く見られる。この歌の場合は「雨の」が三句と読める。この前か後かに空白ができる。前かな。



天井に影のびていて見守っているようなり 淡さ
/髙橋みずほ『白い田』



しとしと 雨 しとしと 雨 ひとつ雷ありてひと日のおわり
/髙橋みずほ『白い田』

→なんとぽっかりした歌だろう。天気とのその音だけだ。生き物の気配がまったくない。
「しと」か「ひと」が間隔を置いてずっと出てくる。ひらがなと漢字も間隔をおきながら繰り返される。



にくしみがふつふつとあることをつかれてしぼむ紙の風船
/髙橋みずほ『白い田』

→ぽんぽんとはじかれている紙風船だが、ついたらまずいところを突かれてしまったようだ。図星をつかれた人の心のようでもある。人の心はもろいということか。
結句ではじめて漢字が出てきて、これがしわくちゃの紙みたいだ。



ひと粒をつまんで子供口にする信じるものを舌にてさぐる
/髙橋みずほ『白い田』

→子供が知らないものをはじめて食べている様子か。「信じるものを」がいい。うまいのか不味いのか中に種があるのか。食べ物のこととは限らないようにも見えた。



吐く息のゆきさきわからずおしだされくらりねっと
/髙橋みずほ『白い田』

→「ゆきさきわからず」は息の視点。楽器の歌だが、音ではなく息のことだけ言っている。
短歌としてはだいぶ短いようだが、結句にクラリネットの音があると想像してみたくなる。



ふとふいになんともならなくなりてしずくのかずをかぞえておれば
/髙橋みずほ『白い田』

→しばしば三句が欠けるんですね。まるごと欠けることもあれば、三文字だったりする。はじめはとまどうが、歌集の後半になるとだんだん読んでてノッてくる。
ふ→ふ、な→な→な→な、しず→かず→かぞ。こうしたところも「ノッてくる」につながっているかも。



しずかにうたをうたおう木の葉の下でなにかが変わってしまうから
/髙橋みずほ『白い田』



もういいかいもういいかい返事なく空のかぎりへ声かける鬼の子
/髙橋みずほ『白い田』

というような歌を単独で引いてもしょうがないといえばしょうがないのかもしれない。歌集の終盤では父の死後の空白が詠まれる。



屋根雪おちて今ふとおもう音なり
/髙橋みずほ『白い田』

最後の歌を引いた。
一ページ三首だったものが二首になり、一首になる。どこか欠けがちだった一首の歌が、さらに短くなってゆく。それがまるで死者を雪がしずかに覆ってゆくようで、感銘を受けた。

あらためて表紙のパラフィン紙を思うわけです。歌集自体を雪が覆っているようだと。短くて画数も少ないタイトルも効いている。




この本おわり。
んじゃまた。



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2019年08月10日

《歌集読む 206》 川野里子『歓待』  ~混濁の母、ほか

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歌集読む 206

川野里子『歓待』
砂子屋書房。2019年4月。第六歌集。

前回につづいて川野里子さんの歌集を見ていきます。
「現代三十六歌仙」というシリーズの一冊。このあいだ「令和三十六歌仙」というシリーズの歌集の一冊をとりあげたけど、そういう歌集のシリーズはいっぱいありすぎてよくわからない。



ひと匙を食べて目瞑りふた匙を呑みて苦しむ命見てをり
/川野里子『歓待』

宇宙から見れば今死ぬ吾の手が今死ぬ母の手を握りをり
/川野里子『歓待』

母の母その母の母あつまりてさやさやと愛づ老衰の母
/川野里子『歓待』

ここまで、冒頭の「Place to be」という連作から引いた。この一連は今年の短歌研究賞に選ばれていて、高く評価された連作といえる。
第五歌集の最後のところで徘徊している歌を引いたけど、その母が亡くなった一連。
ところどころに詞書がある。断片的な言葉だ。〈宇宙から~〉の歌には「もう帰ろう」、〈母の母~〉の歌には「また 会おうな」とある。母の言葉なのだろう。ぽつりぽつりとしている。



ヘラクレスオホカブト闇を動きをり大きな虫は大き怯えに
/川野里子『歓待』



「絆」とは何だったのか人間の繋がりをけふ「共謀」と呼ぶ
/川野里子『歓待』

→そういえば最近、社長が社員たちを「家族」と言ってる会見を見たな……と思っていたら、次に丸をつけたのはこんな歌だった。
笑ふことなきままお笑ひみてをりぬ松本人志あはく汚るる
/川野里子『歓待』





帰宅せし闇に微かに震へつつウヅラの卵を抱く冷蔵庫
/川野里子『歓待』

→こうしてみると冷蔵庫が親鳥みたいだ。暗かったり震えたりしていて、厳しい環境であるかのようだ。
さまざまな家電製品について詠んだこの連作のタイトルが「家電ツァ」。音楽用語のカデンツァにひっかけている。



一匹、二匹、三匹、家族はさぐりあひまたたきてをり停電の闇
/川野里子『歓待』



青空のひとところわづか震へをりプールの水面に蟻は溺るる
/川野里子『歓待』





知床の岬の歌かところどころ虫喰ふやうに老人歌ふ

「はまなすが咲く頃」「はまなすが咲く頃」そこから先のあらぬ知床

酸素マスクの中に歌われ知床の岬は深き霧の中なり
/川野里子『歓待』





スリッパ、窓、便器、吸ひ飲み もろともに漂流してをり混濁の母と
/川野里子『歓待』

最後にまた母の歌を引く。歌集の冒頭の一連で母の死が歌われるが、末尾のほうに生きている母の歌がある。
病室の物が四つ並んでいるが、順序や選択にまとまりがなく、これが混濁を表現しているものと見た。どこへ辿り着く漂流なのか、すでに読者は知っている。

最後の状況が繰り返し出てきて、つらいものがありました。
この本おわり。



んじゃまた。


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