ドストエフスキー
2012年04月05日
ドストエフスキー「地下生活者の手記」内容と感想
ドストエフスキー「地下生活者の手記」再読した。記憶していたのとだいぶ違った。記憶ってあやふやだなあ。今回は今回で非常に面白く読んだ。高慢だが一貫性がなく、実行力があるのかないのかわからないねじれた様子が面白い。
前半の哲学めいた部分では、人間の非合理的な部分の強さを訴える。後半は風俗嬢に説教する場面は覚えてたが、それ以前を忘れてた。背の高い男に一方的に侮辱を感じ、計画を立てて「対等にぶつかってやろう」とする話。招かれないパーティーに押しかける話。
背の高い男にぶつかっていく話は、主人公が小さなことをいちいち気に病む性質を描く。もっと実生活でいろいろ経験してれば、どうってこともなく我慢できると思うんだが、彼には一大事のようだ。いつも大男に道を譲ってしまう主人公が、ちょっと肩をぶつけて満足する。
呼ばれないパーティーに押しかけるエピソードは、意地になって引くに引けなくなる性質を描く。自分のプライドの満足を最優先にした結果、パーティーの雰囲気を壊し干される。嘘でも愛想よくしてれば良かったのに。自分が活躍する妄想をして、その通りにしようとして失敗する。
理由のない優越感があるんだろうな。オレは幼稚園のころに「自分は漢字が書けるからこいつらより絶対的に偉い」って思ってた。この主人公が「ひとかどの人物」っぽく振る舞おうとする気持ちはよくわかる。
「理由のない」というより「独りよがりな、思い込みによる」優越感。
そして風俗嬢に説教するクライマックスだ。事が済んでからこれだけしゃべってるのが不思議だが、ロシアはこうなのか?
妻も子供もないくせに、娼婦に家庭の幸せを説く。反応が気にいらず、次は、老けて独りで死ぬ娼婦のみじめな末路を見てきたように説く。
これが功を奏するのだから、主人公の弁舌もたいしたものだ。女に住所を渡す。しかしすぐに女が邪魔になる。
「今の仕事から足を洗いたい」と訪ねてきた女を襲って金を渡して帰らせる。女を追いかけようか迷うが、やめて帰宅。お疲れさまでした。
「毒をくらわば皿まで」の傾向が強い。悪い方にいくと、徹底的に落ちていこうとする。そして、自己承認欲求と自尊心がぶつかり合って行動がちぐはぐになる。一種の真面目系クズなんだろうが、現実離れした部分もあり、そんじょそこらのクズではない。
このヤケクソ感、後ろ向きに走る力のハンパなさがたまらない。異様な登場人物達にオレの中の何かが呼応する。ドストエフスキーは全集で全部読んだけど、主要な作品はまた読みたい。
前半の哲学めいた部分では、人間の非合理的な部分の強さを訴える。後半は風俗嬢に説教する場面は覚えてたが、それ以前を忘れてた。背の高い男に一方的に侮辱を感じ、計画を立てて「対等にぶつかってやろう」とする話。招かれないパーティーに押しかける話。
背の高い男にぶつかっていく話は、主人公が小さなことをいちいち気に病む性質を描く。もっと実生活でいろいろ経験してれば、どうってこともなく我慢できると思うんだが、彼には一大事のようだ。いつも大男に道を譲ってしまう主人公が、ちょっと肩をぶつけて満足する。
呼ばれないパーティーに押しかけるエピソードは、意地になって引くに引けなくなる性質を描く。自分のプライドの満足を最優先にした結果、パーティーの雰囲気を壊し干される。嘘でも愛想よくしてれば良かったのに。自分が活躍する妄想をして、その通りにしようとして失敗する。
理由のない優越感があるんだろうな。オレは幼稚園のころに「自分は漢字が書けるからこいつらより絶対的に偉い」って思ってた。この主人公が「ひとかどの人物」っぽく振る舞おうとする気持ちはよくわかる。
「理由のない」というより「独りよがりな、思い込みによる」優越感。
そして風俗嬢に説教するクライマックスだ。事が済んでからこれだけしゃべってるのが不思議だが、ロシアはこうなのか?
妻も子供もないくせに、娼婦に家庭の幸せを説く。反応が気にいらず、次は、老けて独りで死ぬ娼婦のみじめな末路を見てきたように説く。
これが功を奏するのだから、主人公の弁舌もたいしたものだ。女に住所を渡す。しかしすぐに女が邪魔になる。
「今の仕事から足を洗いたい」と訪ねてきた女を襲って金を渡して帰らせる。女を追いかけようか迷うが、やめて帰宅。お疲れさまでした。
「毒をくらわば皿まで」の傾向が強い。悪い方にいくと、徹底的に落ちていこうとする。そして、自己承認欲求と自尊心がぶつかり合って行動がちぐはぐになる。一種の真面目系クズなんだろうが、現実離れした部分もあり、そんじょそこらのクズではない。
このヤケクソ感、後ろ向きに走る力のハンパなさがたまらない。異様な登場人物達にオレの中の何かが呼応する。ドストエフスキーは全集で全部読んだけど、主要な作品はまた読みたい。
mk7911 at 14:57|Permalink│Comments(0)
2011年06月26日
ドストエフスキー「虐げられた人びと」内容と感想[上]
ドストエフスキー「虐げられた人びと」[新潮文庫]
550ページある。長いので2回に分けてまとめる。4部まであるうちの第2部までを扱う。
この本を読むのは3回目。1回目は1998年、2回目は2003年に読んだ。
▼各章の内容と感想
いつも通り感想は茶色い文字で書く。
第1部
1章。
みじめきわまりない犬を連れた老人がいる。この老人は喫茶店で何も頼まず人の顔を凝視する。注意されるとまごつく。犬を連れて出ようとするが、犬は既に死んでいた。犬を置いて老人は店を出る。
主人公「私」は老人を追いかけた。老人はまもなく亡くなった。私は老人の葬式などの面倒をみた。
私はちょうど部屋を探していたから、老人のいた部屋を借りて住んだ。
→この老人と犬のことは覚えてた。今読んでもインパクトがある。あわれでぶざまなキャラを書かせたらドストエフスキーはピカイチだ。この後はあまり覚えてないから読むのが楽しみ。
2章。
私の育ての親イフメーネフとその娘ナターシャの紹介。ナターシャと一緒に本を読んだ思い出、つらい別れの回想。
→この章は2ページしかない。
3章。
私の育ての親イフメーネフについて。やり手のワルコフスキー公爵は土地の管理をイフメーネフに任せた。公爵は策略家で人心をつかむのもうまい。
4章。
公爵の来歴。公爵は金のために結婚するが、妻が気に入らず捨てた。公爵は息子アリョーシャの世話をイフメーネフに頼んだ。
突如、イフメーネフと公爵との間に裁判が起こる。イフメーネフが公爵の土地の管理で不正をした疑惑をもたれたのだ。イフメーネフは無実だが公爵は容赦しない。
5章。
私は文壇で成功する。しかしイフメーネフ夫妻は文士という職業に理解がない。
→当時は小説家は風当たりの強い職業だったんだな。
6章。
私はイフメーネフ夫妻と娘ナターシャに自分の作品を読んで聞かせた。みんな感動してくれた。
しかしいつまでも成功が続いたわけではない。
→小説をみんなの前で一気に朗読ってすごいな。
7章。
その日はナターシャの様子がおかしい。病的な様子で両親に別れを告げ、ナターシャは家をでる。
8章。
ナターシャはアリョーシャの所に行こうとする。ナターシャは彼を熱愛している。
しかし彼には金持ちの女との縁談があり、アリョーシャはその女を美しいと言う。だからナターシャには不安がある。
9章。
アリョーシャとナターシャと私での話。
アリョーシャは、ナターシャと結婚する・全てうまくいくと長広舌をふるう。
10章。
私のもとに、見知らぬみすぼらしい少女があらわれる。少女はこの部屋に住んでいたスミス老人を訪ねてきたのだ。老人の死を告げると少女は逃げるように帰った。
11章。
私はイフメーネフ老人と会う。どこかの孤児を引き取りたいと老人は話す。
12・13章。
家を出て行てあやしげな男アリョーシャの元に行った娘ナターシャに対し、イフメーネフ夫妻は複雑な気持ちを持っている。特に父はナターシャへの愛情を抑えつけている。
→娘が悪い男についていくと親はこんなふうになるものか? ちょっと感情的すぎる。
14章。
アリョーシャは浮気者で、ナターシャはそれをいつも許す。
ワルコフスキー公爵はどうしても息子アリョーシャをナターシャではなく金持ちの伯爵夫人の娘とくっつけたい。
15章。
ナターシャは両親の自分への愛情を知る。ナターシャはアリョーシャと別れたいと口では言うが、心は揺れている。
→ダメ男アリョーシャと、彼から離れられない女ナターシャ、それを心配するイフメーネフ老夫婦。奔走する私。意外に少ない人物で話は動いている。あとは策略家ワルコフスキーがどう出るか、だな。
10章で登場した謎の少女もいたな。今のところ、この少女は主題と無関係だが、どう絡んでくるのか。全然覚えてないから楽しみ。
ワルコフスキーというと悪そうだが、本当に悪い役になってるのが面白い。
第2部
1章。
5日留守にしていたアリョーシャは、私とナターシャに対し長広舌をふるう。
K公爵夫人に取り入るため、愛犬に「お手」を覚えさせたこと。カチェリーナに結婚できないと断ってきたこと。
アリョーシャの話はすぐ自慢になり脇道にそれて長くなる。
2章。
そこへワルコフスキー公爵登場。公爵はアリョーシャとナターシャの結婚を認めた。私とナターシャはまだ疑念をいだいている。アリョーシャは有頂天。
3章。
再び謎の少女が私のもとを訪れる。本を取りにきたんだそうだ。私は好奇心にかられ、帰っていく少女のあとをつける。
4章。
少女のあとをつけると、少女は中年女(マダム・ブブノワ)にひどく罵られていた。ブブノワが少女を殴り始めたのを見て私は飛び出していくが、あまり効果はなかった。
少女の母はすでに亡くなっていて、ブブノワが引き取ったらしい。
5章。
私の旧友マスロボーエフと再会。
二人の男とすれ違う。それは金持ちだが浪費家の青年シゾブリューボフと、それにたかる太った中年男アルヒーポフだ。ミトローシカという男は、自分からシゾブリューボフを奪ったアルヒーポフを憎んでいる。
マスロボーエフは何かあやしい仕事をしていて、様々な人間についての情報に通じている。ブブノワやワルコフスキーについても何か知ってるようだ。
6章。
私はナターシャとアリョーシャの結婚話をナターシャの母アンナに報告した。大喜びする。
私は再びナターシャを訪ね二人で話す。ナターシャはワルコフスキーへの疑いで気持ちが不安定になっている。また、アリョーシャの気持ちについても時々わからなくなるようで悩んでいる。
7章。
私はマスロボーエフと一緒にブブノワの所に行った。そこはいかがわしい店だった。
飲んでしゃべってると悲鳴がしてエレーナが出てきた。ミトローシカがアルヒーポフをやっつけていた。
つまり小さなエレーナは売春させられていたのだ。それをマスロボーエフとミトローシカが救った。
8章。
私はエレーナを家に引き取ることにした。エレーナは心を閉ざしている。自分は働かなきゃいけないと思っている。
9章。
私はエレーナに服を買ってやる。少しずつエレーナは話をしてくれるようになる。
結婚が許されたばかりのアリョーシャは、3日もナターシャを放置している。
10章。
イフメーネフ老人はワルコフスキー公爵に訴訟で負けた。老人は公爵に決闘を挑みたいと言う。 私は止めに入る。
11章。
家に帰った私は神経の発作で倒れる。エレーナは私を看病してくれた。また、本当はネリーという名前だと明かしてくれた。ネリーは私に不幸な生い立ちを話した。家出し、哀れな最期を迎えたネリーの母、母を最期まで許さなかった祖父のこと。
第2部終わり。
→今度は物語の中心が少女に移ってきた。少女が徐々に心を開くのがいいね。
ワルコフスキーのたくらみがまだよく見えない。気になるところだ。
▼登場人物
ここで人間関係を整理しておくか。
「私」→そこそこ有名な文学者。ネリーを部屋に引き取った。イフメーネフ夫妻は育ての親にあたる。
ナターシャ→イフメーネフ夫妻の娘。アリョーシャと激しい恋におちる。
アリョーシャ→ワルコフスキー公爵の息子。無邪気で浮気者。
イフメーネフ老人→ナターシャの父。娘を愛しているが、愛情は表に出さない。アリョーシャとの結婚には反対の立場。ワルコフスキーと訴訟して敗訴。
イフメーネフの妻→アンナという。娘を愛している。アリョーシャとの結婚はナターシャが幸せなら賛成。
ワルコフスキー→策略家。金目当てで動くことが多い。アリョーシャとナターシャの結婚を認めるが、その裏に何があるかはまだわからない。
マスロボーエフ→私の友人。情報通でいかがわしい場所に出入りしている。
アルヒーポフ→太った中年男。金のあるシゾブリューボフにたかる。エレーナを買春しようとした。
シゾブリューボフ→金持ちの青年。浪費家。
ミトローシカ→シゾブリューボフにたかろうとしていたが、アルヒーポフに取られたためアルヒーポフを憎む。
ネリー→スミス老人の孫。エレーナと名乗っていたが、本当の名はネリー。
不幸に打ちのめされ心を閉ざしていたが、「私」の気持ちが通じ心を開き始めた。
ブブノワ→エレーナを引き取って育てていたが、ひどくエレーナを罵ったり手を上げたりする。いかがわしい店を持つ。
だいたいこんなところか。これを踏まえて続きを読んでいきたい。
文学関連の記事
今まで読んできた世界の文学をザックリとまとめる
ヘッセ「車輪の下」
ヘッセ「青春彷徨(ペーター・カーメンチント)」
ヘッセ「青春はうるわし 他三編」
550ページある。長いので2回に分けてまとめる。4部まであるうちの第2部までを扱う。
この本を読むのは3回目。1回目は1998年、2回目は2003年に読んだ。
▼各章の内容と感想
いつも通り感想は茶色い文字で書く。
第1部
1章。
みじめきわまりない犬を連れた老人がいる。この老人は喫茶店で何も頼まず人の顔を凝視する。注意されるとまごつく。犬を連れて出ようとするが、犬は既に死んでいた。犬を置いて老人は店を出る。
主人公「私」は老人を追いかけた。老人はまもなく亡くなった。私は老人の葬式などの面倒をみた。
私はちょうど部屋を探していたから、老人のいた部屋を借りて住んだ。
→この老人と犬のことは覚えてた。今読んでもインパクトがある。あわれでぶざまなキャラを書かせたらドストエフスキーはピカイチだ。この後はあまり覚えてないから読むのが楽しみ。
2章。
私の育ての親イフメーネフとその娘ナターシャの紹介。ナターシャと一緒に本を読んだ思い出、つらい別れの回想。
→この章は2ページしかない。
3章。
私の育ての親イフメーネフについて。やり手のワルコフスキー公爵は土地の管理をイフメーネフに任せた。公爵は策略家で人心をつかむのもうまい。
4章。
公爵の来歴。公爵は金のために結婚するが、妻が気に入らず捨てた。公爵は息子アリョーシャの世話をイフメーネフに頼んだ。
突如、イフメーネフと公爵との間に裁判が起こる。イフメーネフが公爵の土地の管理で不正をした疑惑をもたれたのだ。イフメーネフは無実だが公爵は容赦しない。
5章。
私は文壇で成功する。しかしイフメーネフ夫妻は文士という職業に理解がない。
→当時は小説家は風当たりの強い職業だったんだな。
6章。
私はイフメーネフ夫妻と娘ナターシャに自分の作品を読んで聞かせた。みんな感動してくれた。
しかしいつまでも成功が続いたわけではない。
→小説をみんなの前で一気に朗読ってすごいな。
7章。
その日はナターシャの様子がおかしい。病的な様子で両親に別れを告げ、ナターシャは家をでる。
8章。
ナターシャはアリョーシャの所に行こうとする。ナターシャは彼を熱愛している。
しかし彼には金持ちの女との縁談があり、アリョーシャはその女を美しいと言う。だからナターシャには不安がある。
9章。
アリョーシャとナターシャと私での話。
アリョーシャは、ナターシャと結婚する・全てうまくいくと長広舌をふるう。
10章。
私のもとに、見知らぬみすぼらしい少女があらわれる。少女はこの部屋に住んでいたスミス老人を訪ねてきたのだ。老人の死を告げると少女は逃げるように帰った。
11章。
私はイフメーネフ老人と会う。どこかの孤児を引き取りたいと老人は話す。
12・13章。
家を出て行てあやしげな男アリョーシャの元に行った娘ナターシャに対し、イフメーネフ夫妻は複雑な気持ちを持っている。特に父はナターシャへの愛情を抑えつけている。
→娘が悪い男についていくと親はこんなふうになるものか? ちょっと感情的すぎる。
14章。
アリョーシャは浮気者で、ナターシャはそれをいつも許す。
ワルコフスキー公爵はどうしても息子アリョーシャをナターシャではなく金持ちの伯爵夫人の娘とくっつけたい。
15章。
ナターシャは両親の自分への愛情を知る。ナターシャはアリョーシャと別れたいと口では言うが、心は揺れている。
→ダメ男アリョーシャと、彼から離れられない女ナターシャ、それを心配するイフメーネフ老夫婦。奔走する私。意外に少ない人物で話は動いている。あとは策略家ワルコフスキーがどう出るか、だな。
10章で登場した謎の少女もいたな。今のところ、この少女は主題と無関係だが、どう絡んでくるのか。全然覚えてないから楽しみ。
ワルコフスキーというと悪そうだが、本当に悪い役になってるのが面白い。
第2部
1章。
5日留守にしていたアリョーシャは、私とナターシャに対し長広舌をふるう。
K公爵夫人に取り入るため、愛犬に「お手」を覚えさせたこと。カチェリーナに結婚できないと断ってきたこと。
アリョーシャの話はすぐ自慢になり脇道にそれて長くなる。
2章。
そこへワルコフスキー公爵登場。公爵はアリョーシャとナターシャの結婚を認めた。私とナターシャはまだ疑念をいだいている。アリョーシャは有頂天。
3章。
再び謎の少女が私のもとを訪れる。本を取りにきたんだそうだ。私は好奇心にかられ、帰っていく少女のあとをつける。
4章。
少女のあとをつけると、少女は中年女(マダム・ブブノワ)にひどく罵られていた。ブブノワが少女を殴り始めたのを見て私は飛び出していくが、あまり効果はなかった。
少女の母はすでに亡くなっていて、ブブノワが引き取ったらしい。
5章。
私の旧友マスロボーエフと再会。
二人の男とすれ違う。それは金持ちだが浪費家の青年シゾブリューボフと、それにたかる太った中年男アルヒーポフだ。ミトローシカという男は、自分からシゾブリューボフを奪ったアルヒーポフを憎んでいる。
マスロボーエフは何かあやしい仕事をしていて、様々な人間についての情報に通じている。ブブノワやワルコフスキーについても何か知ってるようだ。
6章。
私はナターシャとアリョーシャの結婚話をナターシャの母アンナに報告した。大喜びする。
私は再びナターシャを訪ね二人で話す。ナターシャはワルコフスキーへの疑いで気持ちが不安定になっている。また、アリョーシャの気持ちについても時々わからなくなるようで悩んでいる。
7章。
私はマスロボーエフと一緒にブブノワの所に行った。そこはいかがわしい店だった。
飲んでしゃべってると悲鳴がしてエレーナが出てきた。ミトローシカがアルヒーポフをやっつけていた。
つまり小さなエレーナは売春させられていたのだ。それをマスロボーエフとミトローシカが救った。
8章。
私はエレーナを家に引き取ることにした。エレーナは心を閉ざしている。自分は働かなきゃいけないと思っている。
9章。
私はエレーナに服を買ってやる。少しずつエレーナは話をしてくれるようになる。
結婚が許されたばかりのアリョーシャは、3日もナターシャを放置している。
10章。
イフメーネフ老人はワルコフスキー公爵に訴訟で負けた。老人は公爵に決闘を挑みたいと言う。 私は止めに入る。
11章。
家に帰った私は神経の発作で倒れる。エレーナは私を看病してくれた。また、本当はネリーという名前だと明かしてくれた。ネリーは私に不幸な生い立ちを話した。家出し、哀れな最期を迎えたネリーの母、母を最期まで許さなかった祖父のこと。
第2部終わり。
→今度は物語の中心が少女に移ってきた。少女が徐々に心を開くのがいいね。
ワルコフスキーのたくらみがまだよく見えない。気になるところだ。
▼登場人物
ここで人間関係を整理しておくか。
「私」→そこそこ有名な文学者。ネリーを部屋に引き取った。イフメーネフ夫妻は育ての親にあたる。
ナターシャ→イフメーネフ夫妻の娘。アリョーシャと激しい恋におちる。
アリョーシャ→ワルコフスキー公爵の息子。無邪気で浮気者。
イフメーネフ老人→ナターシャの父。娘を愛しているが、愛情は表に出さない。アリョーシャとの結婚には反対の立場。ワルコフスキーと訴訟して敗訴。
イフメーネフの妻→アンナという。娘を愛している。アリョーシャとの結婚はナターシャが幸せなら賛成。
ワルコフスキー→策略家。金目当てで動くことが多い。アリョーシャとナターシャの結婚を認めるが、その裏に何があるかはまだわからない。
マスロボーエフ→私の友人。情報通でいかがわしい場所に出入りしている。
アルヒーポフ→太った中年男。金のあるシゾブリューボフにたかる。エレーナを買春しようとした。
シゾブリューボフ→金持ちの青年。浪費家。
ミトローシカ→シゾブリューボフにたかろうとしていたが、アルヒーポフに取られたためアルヒーポフを憎む。
ネリー→スミス老人の孫。エレーナと名乗っていたが、本当の名はネリー。
不幸に打ちのめされ心を閉ざしていたが、「私」の気持ちが通じ心を開き始めた。
ブブノワ→エレーナを引き取って育てていたが、ひどくエレーナを罵ったり手を上げたりする。いかがわしい店を持つ。
だいたいこんなところか。これを踏まえて続きを読んでいきたい。
文学関連の記事
今まで読んできた世界の文学をザックリとまとめる
ヘッセ「車輪の下」
ヘッセ「青春彷徨(ペーター・カーメンチント)」
ヘッセ「青春はうるわし 他三編」
2009年10月15日
くどう、読書をおおいにおおいに語る
さて「おおいに語る」の4回目は読書です。
ちょっと重い話になってしまうんですが…
。高校3年の時でした。私は好きになった女の子にフられたのでした。それで、何もかもがいやになって、校舎の4階から飛び降りて自殺をはかったのです。幸い軽傷で済んで、その後も変わりなく高校に通ってました。
体の傷はすぐ治りましたが、心はその後も長く傷みました。
それからしばらくして、国語の授業で夏目漱石の「こころ」に出会いました。恋にやぶれ自殺する男が登場するんですが、これに興味を持ちました。教科書には抜粋しかなくて、全てを読みたくなりました。そして、私は図書室に行き夏目漱石を借りて夢中で読むようになりました。これが私が読書に目覚めたきっかけです。
「こころ」以外の漱石の作品も面白くて、片っ端から読んでました。一日一冊のペースで読んでました。もう時間さえあれば文庫本を開いてました。
夏目漱石の小説を読破してから、太宰やシェイクスピアやゲーテや星新一などをちょこっとずつ読みました。
ある日、妹がドストエフスキーの「罪と罰」を読もうとしたが挫折した、と話していました。「自分なら読めるかもしれない」と思い「罪と罰」を借りてきました。
もう、面白いのなんのって! 夢中で読破しました。そして、次はこいつだとばかりにドストエフスキーを読みまくりました。
ドストエフスキーの面白さは「歪んだ人格」だと思います。人間の弱さや病的な部分が、共感できる形で物語に盛り込まれている。また、貧しさを描くのがうまかったと記憶しています。後期の大作には難解なものもありましたので、いつかまた読み返してみたいです。
ドストエフスキーを読破した私はそのまま他のロシア文学、すなわちトルストイやゴーゴリやチェーホフやゴーリキイやツルゲーネフへと進みました。近くの図書館にある19世紀ロシア文学はほぼ読破したと思います。
ドストエフスキー以外のロシア文学で良かったものを挙げるならば
▼短かくて読みやすくて深い トルストイの民話
▼精神病者達を描いた チェーホフ「六号室」
▼無気力なニートが主人公の ゴンチャロフ「オブローモフ」
ですかね。
プラトンなどの哲学書も読んでみましたが、本当に哲学は難しいと思います。
ロシア文学の次は…あっ、もう書けないので、すみませんが「続きを読む」をクリックして下さい。
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ちょっと重い話になってしまうんですが…
。高校3年の時でした。私は好きになった女の子にフられたのでした。それで、何もかもがいやになって、校舎の4階から飛び降りて自殺をはかったのです。幸い軽傷で済んで、その後も変わりなく高校に通ってました。
体の傷はすぐ治りましたが、心はその後も長く傷みました。
それからしばらくして、国語の授業で夏目漱石の「こころ」に出会いました。恋にやぶれ自殺する男が登場するんですが、これに興味を持ちました。教科書には抜粋しかなくて、全てを読みたくなりました。そして、私は図書室に行き夏目漱石を借りて夢中で読むようになりました。これが私が読書に目覚めたきっかけです。
「こころ」以外の漱石の作品も面白くて、片っ端から読んでました。一日一冊のペースで読んでました。もう時間さえあれば文庫本を開いてました。
夏目漱石の小説を読破してから、太宰やシェイクスピアやゲーテや星新一などをちょこっとずつ読みました。
ある日、妹がドストエフスキーの「罪と罰」を読もうとしたが挫折した、と話していました。「自分なら読めるかもしれない」と思い「罪と罰」を借りてきました。
もう、面白いのなんのって! 夢中で読破しました。そして、次はこいつだとばかりにドストエフスキーを読みまくりました。
ドストエフスキーの面白さは「歪んだ人格」だと思います。人間の弱さや病的な部分が、共感できる形で物語に盛り込まれている。また、貧しさを描くのがうまかったと記憶しています。後期の大作には難解なものもありましたので、いつかまた読み返してみたいです。
ドストエフスキーを読破した私はそのまま他のロシア文学、すなわちトルストイやゴーゴリやチェーホフやゴーリキイやツルゲーネフへと進みました。近くの図書館にある19世紀ロシア文学はほぼ読破したと思います。
ドストエフスキー以外のロシア文学で良かったものを挙げるならば
▼短かくて読みやすくて深い トルストイの民話
▼精神病者達を描いた チェーホフ「六号室」
▼無気力なニートが主人公の ゴンチャロフ「オブローモフ」
ですかね。
プラトンなどの哲学書も読んでみましたが、本当に哲学は難しいと思います。
ロシア文学の次は…あっ、もう書けないので、すみませんが「続きを読む」をクリックして下さい。
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