万葉集

2019年09月26日

和田康子・天野慶『美しい字で和をいつくしむ万葉集』

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『美しい字で和をいつくしむ万葉集』買った。天野慶さんが解説している。書は和田康子さん。

よくある、なぞり書きの本だ。

「和をいつくしむ」ってなんかウットリしていてアレだけども。まあまあまあ。



オレはかつてユーキャンペン字講座を受けていて、二万円と半年をかけてやってて、すこしは字が良くなったんだが、最近また下手になっていると感じる。
こういうのって、なるべくやり続けたほうがいいんだろうな。それと、令和や万葉集のことを知っておいたほうがよいだろうということで、一石二鳥をねらった。天野さんだから買ってみたっていうのもある。天野さんとオレって、誕生日が15日しか離れていないんです。








さっそく1日分なぞってみた。初日から、「令和」の元になった一節を書ける。

なぞり書きっていいね。安心する。なぞっていたい。
きれいな字の感覚がよみがえってくる。普段も、字を書くときにはなぞり書きのお手本をイメージして、見えないそれをなぞるように書けばいいのではないか? お手本の字を目と手で覚えるための本と考えてみる。



お手本の字は書き下ろしだというが、きれいなもんだ。ユーキャンのお手本ともちょっとちがう。お手本の字だったら誰でもどこでも同じというわけではない。
こう書けたら楽しいだろうね。



糸偏の「糸」の下部が三つの点になってるのとか、
「薬」という字の下の方の「木」が「ホ」になってるのとか、
ところどころ伝統的な書き方になっている。
別に嫌ではないけど、伝統的じゃなくていいから実用的な文字を練習したいと思う。このくらいの変化は許容範囲。









天野さんの短歌の代表作として

この道は春に花降る道になるパラダイスとは変化するもの

が載っている。
「変化」がやや固い。「とは」「もの」も合わさって、理屈っぽくなる。「変わりゆくもの」「うつりゆくもの」とか言えばやわらかくなるんだけど、この固さを選んだのはどういう意図なのか。
ハ行を重ねた上の句のあとに「パラダイス」って言葉が出てくるからここに大きく段差がつく。「パラダイス」は「この道」のことのようだが、響きが大きく変わったわりには中身は切れていない。




オレが好きなのは、折り紙の歌。



ほしいのは勇気 たとえば金色のおりがみ折ってしまえる勇気
/天野慶




二句の途中で切る、思いきりのいい、宣言のような冒頭だ。例えによって勇気の中身が明かされる。それは子供のころのきらきらした記憶にさかのぼる。自分のなかに大事にしまってある、少しだけのきらきらしたものを、形にできる人は勇気のある人だ。


ツイッターで調べると、「ひとひら言葉帳」とか「短歌あつめました」のbotでは一字あけがなくなっている。本では空いている。ツイッターからコピペしてこようかと思ったが、そこで安易なほうに流れずに本(太陽の舟)をひらいて、一字あけを得た。







オレは毎日この本で字を練習している。
いま二十一日まできた。全部で六十二日ぶんある。



「令和」のもとになった梅花の歌がしっかり載っているほかに、万葉集の有名な歌が載っている。
数行の簡潔な解説が読みやすい。

続けられる本です。



そんなところです。
んじゃまた。




▼▼▼



【こっちもおすすめ】

noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。




依頼こなし日記 2019.6/4-7/10  ~思考ロックとメッセージ
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依頼こなし日記 2019.7/11-8/10  ~心が燃える時
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依頼こなし日記 2019.8/11-9/10  ~いざ、という時
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2019年3月のオレの短歌とその余談
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2019年4月のオレの短歌とその余談
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などなど、
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2015年07月25日

~歌書読む 34-5~ 上野誠『はじめて楽しむ万葉集』 第九章、第十章

第九章



筑波嶺(つくはね)の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも かなしけ妹ぞ 昼もかなしけ/大舎人部千文(じやうていおほとねりべのちふみ)

防人の歌。なまりがある。
二句までは「夜床」の「ゆ」をみちびくための序。百合と女性のイメージが重ね合わされている。
夜の床でもいとおしく、昼でもいとおしいと歌う。





白たへの 君が下紐 我さへに 今日結びては 逢はむ日のため/作者未詳

下紐=下着の紐
我さえに=わたしまでも一緒に
結びてな=結んであげましょう
あなたの下着の紐をわたしも手を添えて今日は結んであげましょう。また会う日のために。
紐を丁寧にむすぶことで愛情をしめした。また会うことができるように願いが込められたともいわれる。自然にほどけるときには、会うのが近いことを表す前触れとされた。





命を 幸(さき)く良けむと 石走(いはばし)る 垂水の水を むすびて飲みつ/作者未詳

幸く良けむ=これから無事に
石走る=垂水への枕詞
垂水=滝
むすぶ=手で水をすくう様子

命の無事を祈ってほとばしる滝の水を手ですくってわたしは飲んだ





忘らむて 野行き山行き 我来れど我が父母は忘れせぬかも/商長麻呂

商長首麻呂(あきのをさのおびとまろ)。

忘れようとして野原を眺め山を眺めわたしはやって来たけれども、わが父母のことは忘れられない。




第十章



君により 言の繁きを 故郷の 明日香の川に みそぎしに行く/八代女王(やしろのおほきみ)

君=天皇
言=噂
故郷=遷都の歴史があることから、このころは明日香と藤原地域を指すとされる。
みそぎ=水をかぶって自らの汚れを除き去る行為

天皇のために人の噂が激しいので故郷の明日香の川にみそぎをしにゆく





日並べば 人知りぬべし 今日の日は 千年(ちとせ)のごとも ありこせぬかも/作者未詳

幾日も日数を重ねて会っていけば、人が知ってしまう……。今日という日一日の時間が千年も長くあってくれればよいのだが。





白玉は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 我(あれ)し知れらば 知らずともよし/作者未詳

白玉=真珠

真珠の素晴らしさは人にわかるものではない。人にわからなくても、自分でわかっていればよい。

それを人前で歌うのは、人に認めてもらいたいからではないか。




新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事/大友家持

しけ=重なれ
新年に降る雪は吉兆とされる。

年のはじめの歌が万葉集の最後にあるのは、万葉集を祝福する意味。




この本おわり。次からは角川ソフィア文庫「ビギナーズクラシック 日本の古典 百人一首」。


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2015年07月19日

~歌書読む 34-3~ 上野誠『はじめて楽しむ万葉集』 第七章、第八章

第七章




この花の 一(ひと)よの内に 百種(ももくさ)の 言(こと)ぞ隠(こも)れる 凡(おほ)ろかにすな/藤原広嗣(ひろつぐ)


一よ(ひとよ)=花びらの古語という説がある
百種の=たくさんの
凡らかにすな=粗末に扱ってくださいますな





忘るやと 物語して 心遣り 過ぐせど過ぎず なほ恋ひにけり/作者未詳

忘れることもあろうかと人と世間話などをして、気を紛らわせて、物思いを消し去ってしまおうとしましたが、一層恋心は募るばかりだった。





降る雪の 空に消(け)ぬべく 恋ふれども 逢ふよしなしに 月ぞ経にける/作者未詳

降る雪 空中で消えていってしまうような雪、そのように恋いしたうのだが会う方法もなく数ヵ月を経てしまった





大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに /舎人娘子(とねりのをとめ)

「大口の」は真神にかかる枕詞。
真神=オオカミ
真神の原は明日香の一帯を指す原っぱ。
たいそういたく降らないでくれ、家もないのだから。





我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後/天武天皇
夫人とのかけあいの歌。近くに住んでいるのに相手の住むところを悪く言って挑発している。





かにかくに 物は思はじ 朝露の 我が身一つは 君がまにまに/作者未詳

ああだこうだともう物思いはしますまい。朝露のようにはかないわたしの命は、あなた任せでございます。



第八章



高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香の良さ/作者未詳

笠立てて=キノコの笠が開いているようす。松茸と考えられる。





春は萌え 夏は緑に 紅の 斑に見ゆる 秋の山かも/作者未詳





秋の田の穂田の刈りばか か寄り合はば そこもか人の 我(わ)を言なさむ/草嬢(くさのをとめ)

草嬢には諸説ある。田舎の娘、という説。
刈りばか=刈りのノルマ
「はかどる」と関係ある。「はか」はひとつの区切られた場所をさす。

か寄り合はば=お互いに近寄ったら
そこもか=そんなことぐらいで

秋の田圃の穂田の刈り分担。お互いに近寄っていったらそんなことぐらいで他の人は、わたしたちのことを噂するでしょうね。





秋風は 涼しくなりぬ 馬並めて いざ野に行かな 萩の花見に/作者未詳

秋の花見として、萩を見にいくことがあった。





独り寝と 薦朽ちめやも 綾席(あやむしろ) 緒になるまでに君をし待たむ/作者未詳

綾席=花ござ。
緒=紐

一人で寝ているだけでは、床の敷物も傷むことはありますまい! その綾席を敷いて、紐になるまでらあなたをお待ち申し上げましょう。




これやこの=話を聞いて知っていたものを実際に見た感動をあらわす表現。


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2015年07月14日

~歌書読む 34-3~ 上野誠『はじめて楽しむ万葉集』 第五章、第六章

第五章




朝影に 我が身は成りぬ 韓衣(からころも) 裾のあはずて 久しくなれば/作者未詳

韓衣は中国風、大陸風の衣服で、裾があまりかさならない。そのように恋人に会わないでいる。
朝影は細いことから、痩せ細るの意。





我が恋は 千引きの石を 七ばかり 首に掛けむも 神のまにまに/大伴家持

千人が力を合わせない動かないような石を七つ首にかけたような恋。冗談か本気か?





笠なみと 人には言ひて 雨(あま)つつみ 留まりし君が 姿し思ほゆ/作者未詳

笠なみ=傘がないから(雨宿り)

笠がないのでと人には言って、雨宿りして泊まっていったあなたの姿が思い出されます。
(この本は訳のところで「あなた」をカタカナ表記したり、「……」を多用する)





言出(こちで)しは 誰が言なるか 小山田の 苗代水の 中淀にして/紀女郎(きのいらつめ)

言い出したのは誰でしたっけね。山の田圃の苗代水のように、お付き合いが途中で淀んだりして。

紀女郎は大伴家持の恋人の一人。会う時間がとれないという大伴家持の歌にこたえた歌。





誰ぞこの 我がやどに来呼(きよ)ぶ たらちねの 母にころはえ 物思ふ我を/作者未詳

ころはえ=叱責されている
母に男性関係のことで怒られているところへ男性が訪ねてきた。





春雨に 衣はいたく 通らめや 七日(なぬか)し降らば 七日来じとや/作者未詳

雨だから来れないという男性に、春雨はそんなに大雨ですか、七日降ったら七日来ないのですかと言う。





今日なれば 鼻の鼻ひし 眉(まよ)かゆみ 思ひしことは 君にしありけり/作者未詳

恋人に思われると眉がかゆくなるとかくしゃみがでるという俗信がある。









第6章



石(いわ)走る 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも/志貴皇子(しきのみこ)

人気ある歌。
「石走る」は「垂水」にかかる枕詞。
垂水=滝。

岩の上をほとばしり流れ出る滝のほとりの蕨が萌え出すように天に向かって伸びてゆく 春になった





熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな/額田王

済明天皇の作として記されていた。船団を率いて熟田津を出航する済明天皇の心を代弁したと考えられる。





冬過ぎて 春し来(きた)れば 年月は 新たなれども 人は古(ふ)り行く/作者未詳

一年経つと新しくなる円環的な時間と、年齢をかさねてゆく直線的な時間。





物皆は 新しき良し ただしくも 人は古(ふ)り行く 宜(よろ)しかるべし/作者未詳

四の歌と関連している。





酒杯(さかづき)に 梅の花浮かべ 思ふどち 飲みての後は 散りぬともよし/大伴坂上郎女


杯に梅の花をうかべ気心の知れた仲間たちと飲んだ後は花は散ってしまってもかまわない!

思ふどち=気心の知れた仲間たち
梅の花は外来種で、貴族の邸の庭に咲いていた花。貴族の誇り。





あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫(にほ)ふがごとく 今盛りなり/小野老

あをによし=奈良にかかる枕詞。青い土がよいと奈良を褒め称えている。

薫ふ、は照り輝く美しさで、嗅覚ではなく視覚。

都に家族を残して九州の太宰府に赴任していることから、望郷の思いが込められていると考えられる。





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2015年06月27日

~歌書読む 34-2~ 上野誠『はじめて楽しむ万葉集』 第三章、第四章

第三章



天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ/作者未詳





道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我(あ)が恋妻は/作者未詳

いちしの花=彼岸花
いちしろく=いちじるしく




君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く/額田王

「君」は女性が男性を呼ぶ、呼びかけの言葉。
「屋戸」は建物の出入り口。




我が妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて よに忘られず/若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)

わたしの妻は、たいそうわたしを恋い慕っているらしい……。飲む水に影さえ見えて、どうしても忘れられない。





音に聞き 目にはいまだ見ぬ 吉野川 六田(むつた)の淀を 今日見つるかも/作者未詳

吉野川は壬申の乱で重要な役割を果たした土地で、聖地のような場所。歴代の天皇が行幸(天皇が旅すること)をした。その噂を聞いた人が吉野川を見たという歌。




石麻呂に 我物申す 夏痩せに 良しといふものぞ 鰻(むなぎ)捕り喫(め)せ/大伴家持

痩す痩すと 生けばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな/大伴家持


夏痩せに鰻が効くというのは万葉の昔からの生活の知恵。痩せている人へのからかいの歌。

石麻呂は痩せているんだから鰻を捕って食べなさい
ちょっと待てよ、痩せても痩せても生きていられるわけだから、鰻を捕ろうとして川に流されるなよ。








第四章


生ける者(ひと) 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな/大伴旅人

吉田兼好「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり」





銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も なにせむに 優れる宝 子に及(し)かもやも/山上憶良




我妹子は 衣にあらなむ 秋風の寒きこのころ 下に着ましを/作者未詳

自分の恋人は衣であってほしい、秋風が寒いこの頃は下に着たいので。

好きな男性に女性が自分の着ている下着を贈ることは、一般的な行為であった。





万葉集には食べ物のならぶ歌もある。





月立ちて ただ三日月の 眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも/大伴坂上郎女

眉が痒いと恋人がやってくるという俗信があった。痒くないが眉を描いていたら恋人がやってきたという歌。




我がやどに 植ゑ生(お)ほしたる 秋萩を 誰か標(しめ)刺す 我に知らえず/作者未詳

標とは、自分の土地であることを示すための目印。自分の家の庭に許可なく入って標を刺したやつがいるという意味。と同時に、大切な娘に手を出した男がいるという意味でもある。





石上(いそのかみ) 布留(ふる)の早稲田(わさだ)の 穂には出でず 心の中(うち)に 恋ふるこのころ/抜気大首(ゆきけのおほびと)

石上布留は奈良県の地名。早稲田は早稲が植えられている田圃。穂は頬でもあり炎でもある。
穂のように飛び出すことなく=頬の表情に出すことなく、心の中で恋をしている。


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2015年06月19日

~歌書読む 34-1~ 上野誠『はじめて楽しむ万葉集』 第一章、第二章

上野誠『はじめて楽しむ万葉集』

角川ソフィア文庫、税別705円。本文210ページほど。

気軽に読める感じの入門書。「序」には、飛鳥→藤原→奈良と都が移ったということが書いてある。


各章が7~9の部分からなる。



第一章


巻一の一、雄略天皇の歌からはじまる。

雄略天皇の即位が456年。万葉から見ても古いことだ。「この天皇の時代に、日本の国土は統一された」と考えられていたという。この歌を最初においたのは、万葉集を立派な書物であると権威づけるためだとある。
天皇の求婚は、大和に春を告げる年中行事だとある。「作物がたくさん採れますように」と祈る農耕儀礼であると。



釆女(うねめ)=全国から集められた地方豪族出身の女性たちのこと。天皇のそばに仕え、さまざまな仕事をしていた。




春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山/持統天皇

「らし」は非常に強い言い方。推量ではなく根拠のある推定を示す助動詞。
この衣はなんらかの祭りで使われた衣と考えられる。それを神聖な天の香具山に干されるのも年中行事。



舒明天皇の歌。

うまし=立派だ、素晴らしい

煙が立つ→炊事をする→飢えがない
鳥が飛び立つ→たくさんの魚がいる
→豊かな国

香具山は天から降ってきたという説がある。だから「天の」香具山であり、精霊が集まる神聖な場所であるとされる。




飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去(い)なば 君があたりは 見えずかもあらむ/元明天皇

「飛ぶ鳥の」は「明日香」にかかる枕詞。「飛鳥」であすかと読めるのはこれがあまりにもゆうめいになったから。




あをによし 奈良の大路は 行き良けど この山道は 行き悪しかりけり/中臣宅守

平城京には立派な広い道がある。朱雀大路は道幅七十メートル。柳の並木がある。平城京にすんでいた人の誇りだったとある。




春の日に 萌(は)れる柳を 取り持ちて 見れば都の 大路し思ほゆ/大伴家持

萌れる=芽吹いた




第二章



西の市に ただひとり出でて 目並べず 買ひてし絹の 商(あき)じこりかも/作者未詳

目並べず=見比べもせず
商じこり=買いそこない

絹の買い物を失敗したという表の意味、恋人えらびで失敗したという裏の意味。




憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ/山上憶良

途中退席の歌。子や妻が泣くから帰ると。憶良が六十歳を越えていることから笑わせ歌とされる。




験(しるし)なき 物を思はずは 一杯(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし/大伴旅人

悩んでもしょうがないことを思うより……、一杯の濁った酒を飲むほうがまし!




我が背子が 着る衣薄し 佐保風は いたくな吹きそ 家に至るまで/大伴坂上郎女

大伴坂上郎女は旅人の異母妹。旅人の子である家持から見れば叔母。

甥を恋人を送り出すようにして見送る。




尾花=すすき




奴=使用人




夕されば 小倉の山に 伏す鹿し 今夜(こよひ)は泣かず 寝ねにけらしも/雄略天皇

夕されば=夕方になる

夕方になると小倉の山に来て伏す鹿が、今宵は鳴いていない……寝てしまったのかなあ──。

鹿は妻を求めて鳴くとされた。とすれば、「妻が見つかって、妻と共寝をしているんだろう、よかったね、結婚相手が見つかって」という歌になる。




皆人を 寝よとの鐘は 打つなれど 君をし思へば 寝ねかてぬかも/笠女郎(かさのいらつめ)

大伴家持との恋。
奈良時代の都に陰陽寮という役所があり、時刻によって鐘を打った。「寝よとの鐘」は午後七時から八時ごろとされる。




つづく。十章まであるので、五つの記事になる予定。


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2014年10月28日

「えんぴつで万葉集」をやってみた【10・最終回】55-60日目  ~今日降る雪のいやしけ吉事、ほか

えんぴつで万葉集、55日目。筑前の二。

大野山 霧立ち渡る 我が嘆く おきその風に 霧立ち渡る/山上憶良
「大野山に霧が立ち渡る、私が嘆くため息の風によって霧が立ち渡るよ。」
→二句と結句が同じ。
「立ち渡る」は今はあんまり言わないような言葉だ。
「おきそ」はため息。

ため息と霧を重ねるような歌、まえにも出てきたなあ。まえに出てきた時は面白いと書いたんだけど。


ますらをと 思へる我や 水茎(みずくき)の 水城(みずき)の上に 涙拭(なみだのご)はむ/大伴旅人
「立派な男と思う私が、水城の上で別れの涙を拭うなんて。」
→男の涙か。このころから「男は泣くもんじゃない」みたいなのがあったんだな。
「水茎」は「水城」の枕詞とのこと。響きが近い。







えんぴつで万葉集、56日目。まだ筑前、今の北九州のあたりにいる。

志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄(あらを)らが よすかの山と 見つつ偲はむ/山上憶良か
「志賀の山をひどく伐るな、荒雄の思い出の山と見て偲ぼうものを。」
→山上憶良に推定の「か」がついている。

この本によれば荒雄というのは船頭なんだね。船を出しているときに暴風雨により船が沈み、亡くなったと。
その亡くなった荒雄のことを、志賀の山を見て偲んでいると。








えんぴつで万葉集、57日目。今日のは難しかった。前提となる知識があって、それを追うのでいっぱいいっぱいで、味わうという感じではない。








えんぴつで万葉集、58日目。

百船(ももふね)の 泊(は)つる対馬の 浅茅山(あさぢやま) しぐれの雨に もみたひにけり/遣新羅使人
「たくさんの船が停泊する対馬の浅茅山、時雨に黄葉(もみち)してしまったよ。」

もうすぐこの本は終わるわけだが、わからないこと、初めて知ることがとても多い。ちょっとかじってみて、逆に難しさがわかった。








えんぴつで万葉集、59日目。なんか急に長いのがきた。いつもは三首なのに、倍くらいの量がある。

柿本人麻呂の長歌を書き写した。長い。石見の海の歌。
海を描写して、置いてきた妻に会いたいという内容。
五音と七音による効果なのか、たたみかけられる感じがある。



笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば/柿本人麻呂
「笹の葉で山がさやさや、さやぐ(鳴り騒ぐ)けれど、私は妻を思っているだけ、別れて来たのだから。」

サの音の繰り返しがひとつのポイントで、訳にもサのところに傍点がある。








えんぴつで万葉集、最終日。新年の歌は知ってたけど、これが万葉集の最後の歌というのははじめて知った。


新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事/大伴家持
「新しい年の始めの初春・正月の、今日降る雪が降り積むように、ますます積もれ、良い事よ。」

総合誌の、新年の特集で読んだことがあって知っていた。




これで「えんぴつで万葉集」を終わる。なんとか片付いたって感じだ。
いくらかわかったこともあるけど、まだまだわからないことが多そう。しばらくしたら、普通の入門書も読みたい。


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2014年10月21日

「えんぴつで万葉集」をやってみた【9】49-54日目  ~月読(つくよみ)の 光を清み、ほか

えんぴつで万葉集、49日目。播磨。兵庫のあたりにいる。今日の三首はどれも島がでてくる。

やっぱり奈良京都のあたりがこの時代の中心なんだなと思う。そこから離れると歌にアウェイ感がでてくるというか、帰りたいという内容の歌になってくる。


玉藻刈る 辛荷の島に 島廻(しまみ)する 鵜にもあれや 家思はざらむ/山部赤人
「玉藻刈る辛荷の島の、島をめぐる鵜であったならば、家を思わずにいられるだろうに。」


室の浦の 瀬戸の崎なる 鳴島の 磯越す波に 濡れにけるかも/作者未詳
「室の浦の瀬戸の崎にある鳴島の、磯を越す波に濡れてしまったことよ。」
→何も言ってなさがすごいなと思った。波に濡れたことしか言ってない。三句までは、ひたすら場所を特定している。
でももしかしたら「鳴島」に泣くという意味が含まれていて、涙に濡れているのを暗示しているのかもしれない。








えんぴつで万葉集は50日目。岡山のあたりにいる。


月読(つくよみ)の 光を清み 神島の 磯廻(いそみ)の浦ゆ 船出す我は/遣新羅使人
「月光が清らかなので、神島の磯辺の浦から船出するよ、いま我々は。」
→ツクヨミというゲームのキャラがいたのを懐かしく思い出すが、意味は初めて知った。「月、あるいは月の神」とのこと。


「えんぴつで万葉集」があと十日となった。つぎは「ビギナーズクラシック 日本の古典 万葉集」っていう文庫本を読むのを考えている。






えんぴつで万葉集、51日目。広島のあたりにいる。

君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ/遣新羅使人(けんしらぎしじん)
「あなたが旅をされる海辺の宿に霧が立ったなら、私が家で立って嘆く吐息と思ってくださいな。」
→使人の名前になっているが、下の解説によると妻の作品らしい。

霧と息を重ねたのがいいなと思った。

ああそうか、新羅に旅立つひとのことを遣新羅使人というので、これはべつに人名ではないんだ。








えんぴつで万葉集、52日目。周防、いまの山口県のあたりにいる。

筑紫道(つくしぢ)の 可太(かだ)の大島 しましくも 見ねば恋しき 妹を置きて来ぬ/遣新羅使人
「筑紫道の可太の大島ではないが、しましく(少し)でもら見なければ恋しいよ、妻を家に置いて来たから。」
→「しましく」を言うために「大島」をもってきている。

日本のいろんな場所の歌があるけど、京都奈良以外では、置いて来た妻のことを歌にしているのが多い。








えんぴつで万葉集、53日目。四国。万葉集に四国の歌は少ないとのこと。


眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも/船王(ふなのおほきみ)
「眉のように細く雲の奥に見える阿波の山めざして漕ぐ船よ、今夜の泊まりはどこだろうか。」
→雲が眉のようなのかと思ったら、山の形が眉みたいなんだね。調べてみたら、なるほどそんな形にみえる。


熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな/額田王
→これ有名な歌だ。
でも熟田津って知らなかった。四国のほうなんだね。








えんぴつで万葉集、54日目。筑前。大伴旅人、山上憶良を読んで書いた。


春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ/山上憶良
「春になればまず咲く我が家の梅の花、ひとり見ながら春の日を暮らそうか。」
→いやあ、のどかでいいね。万葉集は意外と、家に一人でいるのを楽しむような歌は少ないんじゃないか。
なんかいつもそばにいない恋人を詠んだり、旅してるような印象がある。


我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を 見ずかなりなむ/大伴旅人
「私の盛んな頃に、また若返ることがあるだろうか、奈良の都を見ないままになるのだろうか。」
→「ほとほとに」が訳されてないようだからネットで調べたら「ほとんど」といった意味らしい。


この本もあと六日となる。一日3首×60日で180首ほど。万葉集は全部で4500首とかいうから、4パーセントにすぎないんだな。

そして、ブログ記事としては次回の【10】がこの本の最終回となる。


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mk7911 at 15:49|PermalinkComments(0)

2014年10月17日

「えんぴつで万葉集」をやってみた【8】43-48日目  ~漕ぎ別れなむ家のあたり見ず、ほか

えんぴつで万葉集、43日目。越前に流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と、都にのこる狭野弟上娘子(さののおとがみのをとめ)の歌のやりとり。

塵泥(ちりひじ)の 数(かず)にもあらぬ 我故(われゆゑ)に 思ひわぶらむ 妹(いも)がかなしさ/中臣宅守
「塵や泥の数も入らない私のため、悲しみ落胆しているお前が愛しいよ。」
→地名がでてこない歌は少ない。自虐も珍しいかなと。

妹は恋人・妻のことで、かなしいは愛しいの意味で使われることが多いな。全国をめぐるような歌を集めているから地名の歌が多く載っているのかもしれないな。
歌もすくなく訳も丁寧じゃないので、次はもうすこしちゃんとした万葉集の本を読みたい。








えんぴつで万葉集、44日目。この日は長歌と旋頭歌だった。

長歌(巻一六-三八八○)はしただみという貝をとって調理して出す過程を言っている。レシピみたいだ。

鹿島嶺(かしまね)の 机(つくえ)の島の しただみを
い拾(ひり)ひ持ちきて 石もち つつき破り
早川に洗ひ濯(すす)ぎ 辛塩(からしほ)に こごと揉(も)み
高坏(たかつき)に盛り 机に立てて
母にあへつや 目豆児(めづこ)の刀自(とじ)
父にあへつや 身女児(みめこ)の刀自


ブログからコピペしてきた。作者未詳。
やっぱそのへんのブログのほうが訳も丁寧に書いてある。

○目豆児(めづこ)、身女児(みめこ) : 可愛い。いとしい。
○刀自(とじ):一家の主婦。ここでは幼女を主婦に見立てたもの
             ( 語句解説は万葉集釋注 伊藤博 集英社単行本による)


などと丁寧に解説がある。しかも貝の写真までついている。完璧だ。

http://t.co/MbviTTTUo5








えんぴつで万葉集、45日目。大伴家持の三首を読んで書いた。

玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり/大伴家持

玉くしげとは
「玉匣ーたまくしげー玉櫛笥ー枕詞。「たま」は美称。櫛を入れる箱。ふた・はこ・ひらく・おおう・あく・おく・み、などにかかる。」
とのこと。「蓋」から「二上山」にかかる。








えんぴつで万葉集、46日目。昨日に引き続いて大伴家持の歌三首。昨日と違うのは、みんな名詞でおわっていることだ。

朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱ふ船人/大伴家持
「朝の寝床で聞くとずっと遠いようだ、射水川を朝漕ぎながら唱っている船人の声は。」

家族でも恋愛でもなく、何か偉い人を讃えるでもなく、見えるもの聞こえるものを歌にしている。今日のはおだやかでよかった。







えんぴつで万葉集、47日目。第四部に入る。昨日までは北上していたが、今日からは、摂津から南下してゆく流れとなる。


葦屋(あしのや)の 菟原処女(うなひをとめ)の 奥つ城を 行き来と見れば 音のみし泣かゆ/高橋虫麻呂

ラクしようとしてネットのをコピペしたら、漢字表記がまったく違っていた。

菟原処女というのは、ひとつの言い伝えで、二人に求婚されて耐えられなくて自殺した女性らしい。二人の男も後を追って死ぬ。
このまえの「手児名」もそんな感じだったな。そういうエピソードに心動かされる人がいたんだな。

ふたりのうちひとりの男が菟原処女の夢を見るんだが「夢に見ることは相手の想いが届いた証拠」なんだそうだ。夢の捉え方も今とは違う。恋愛沙汰で何人も人が死ぬことも。これに関しては、やることなすこと古いと思う。








えんぴつで万葉集、48日目。今日は海の歌だった。


燈火(ともしび)の 明石大門(あかしおほと)に 入(い)らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず/柿本人麻呂

枕詞ってたくさんあるんだなあと思う。地名にかかるのが多い。
燈火は明石にかかる。
「燈火」→「あか」→「明石」




つづきます。


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mk7911 at 10:21|PermalinkComments(0)

2014年10月12日

「えんぴつで万葉集」をやってみた【7】37-42日目  ~寝もと我は思ふ 汝はあどか思ふ、ほか

えんぴつで万葉集、37日目。今日は三首とも「葛飾の真間」という言葉を含んでいた。そして、伝説の美女である「手児名」を詠んでいる。この手児名という人は「男たちの妻争いに耐えられないで自殺した」と言われている、とのこと。







えんぴつで万葉集、38日目。「常陸」。東国の防人の歌をやった。

筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも かなしけ妹(いも)そ 昼もかなしけ/防人、那賀郡(なかのこほり)の上丁大舎人部千文(じやうていおおとねりべのちふみ)
「筑波の嶺に咲くさ百合のように、夜床にも愛しい妻だよ、まして昼も愛しいよ。」
→なんて長い名前だ。住所や職業も混ざっていたりするのか。

妻と別れて旅立つ防人の歌。
「夜床」が大胆だ。33日目には「寝を先立たね(共寝を先にしようよ)」という歌もあった。東歌はそういうものらしい。
夜がいいんだよと言って、あわてて昼も愛しいんだと付け加えたように読めてしまった。


筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも かなしき児ろが 布(にの)干さるかも/東歌、常陸国の歌
「筑波嶺に雪が降ったのかも、いいえ、違うかも、愛しい娘たちが布を干しているのかも。」
※「かも」に傍点。
→この「かも」は「かもしれない」の「かも」であるという訳だ。

布を「にの(ぬの)」、「ふらる(ふれる)」、「ほさる(ほせる)」はお国言葉だとある。普通の古文もよくわからないのに、そのうえ地域の言葉がでてくる。







えんぴつで万葉集、第39日目。信濃。今の長野だ。
ここにきて、地域がよく動くようになってきた。変化があってよい。


信濃(しなぬ)なる 千曲(ちぐま)の川の 小石(さざれし)も 君し踏みてば 玉と拾(ひり)はむ/東歌、信濃国の歌
「信濃の千曲川の小石でさえも、あなたが踏まれたなら、私は玉と思って拾いましょう。」
→卒業する先輩の第2ボタンとか、「モノ」に向かう恋もあるよねえ。踏まれた小石というのは、彼との接点がごくわずかだし、それだけに思いが強いなあと思う。ほんのわずかなつながりでもいいというのだからね。
「さざれし」っていうのは君が代にでてくる「さざれいし」かな。






えんぴつで万葉集、40日目。上野、下野。

子持山 若かへるての もみつまで 寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ 汝(な)はあどか思ふ/東歌
「子持山のかえでの若葉が、紅葉となるまで一緒に寝ようと俺は思うが、お前はどう思うかな。」

やっぱり東歌にはあんまり作者名がない。都の人、天皇につながりのある人じゃないからかなあ。

「あど」は方言とのこと。そういえば初めてでてきた。

その下に「一昔前、万葉集をならったばかりの男子学生が、恋文に歌の番号を書いて求婚したこともあったと言われる。」と書いてあった。
学生が求婚、のほうが気になる。

果てしなき彼方に向ひて手旗うつ万葉集をうち止まぬかも/近藤芳美
という歌を思い出す。恋文にしても手旗にしても、万葉集が人々の共通の知識だということだろう。








えんぴつで万葉集、41日目、陸奥(みちのく)。

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね/東歌、陸奥国の歌
「会津嶺の国が遠くなり、逢えなくなったら、お前を偲ぶことができるように(下着の)紐を結んでおくれ。」

「旅立つ前や男が女の家から帰る前に、夫婦は下着の紐を互いに結び、それを二心のない誓いとした。」
とある。

みちのくといっても福島、宮城に限られる。明日から北陸のほうへいき、南下してゆく。








えんぴつで万葉集、42日目。北陸のほうにきた。

かにかくに人は言ふとも若狭道(わかさぢ)の 後瀬(のちせ)の山の 後(のち)も逢はむ君/大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおほいらつめ)
「あれこれ人が言うとしても、若狭道の後瀬の山ではないが後にも逢いましょうよ、あなた」

「ではないが」が珍しい。この本はそういう時は「のように」なんだけど。「のように」を入れても別に間違ってない気がする。

「後も」を言いたくて「後瀬の山」を出してくる。その感覚。




つづく。


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mk7911 at 10:08|PermalinkComments(0)