寺山修司

2018年12月17日

▼時評▼身毒丸▼ドラゴンボール  ~2018年11月

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2018年11月に書いた断片。11/1-11/22



▼ひとりずもう



さくらももこ『ひとりずもう(下)』漫画版を読んだ。

たまちゃんとの別れが泣ける。

漫画への没頭ぶりがすごい。足が重くなるくらい落ち込んだり、立てなくなるくらいうれしくなったりしている。

両親の性格がはっきりしている。母は心配するほうで、父は適当だ。これがいいバランスになっている。

八百屋の部分がちゃんと描かれていた。



▼バカと付き合うな

キングコングの西野さんとホリエモンの『バカと付き合うな』読んだ。
失敗がこわくない、何を言われても平気、やりたいことがある、それを叶えるためのアイデアがある、っていうのはすごい長所だよ。



▼治郎さん

11/15
加藤治郎さんの誕生日ということで、ツイッターがちょっと盛り上がっていた。
オレはこの歌を引いた。


ナ…。マネキンの手がマネキンのまるい頭を押えている ナ…。/加藤治郎『マイ・ロマンサー』
#私の推す治郎の一首


この歌を引かれるのは初めてとリプライをいただいた。絶対いい歌だと思うよこれは。



▼時評

「歌壇」12月号の小島なおさんの時評で、短歌を二首引いていただきました。
ゴミの歌です。

マスタード、ケチャップ同時にかけられる便利パックも散乱のゴミ/工藤吉生

ヨーグルトを容器とフタとスプーンとスプーン袋にして食べ終える/工藤吉生

オレだけ二首引いていただきました。ありがとうございました。



▼身毒丸

11/17
"天井桟敷 - 身毒丸 1978"
https://t.co/GVDcHmrXYC
見た。

高評価つけた動画を振り返っていたら、「田園に死す」が消えていることに気づいた。でも天井桟敷の公演がひとつ見つかった。

特に強調もされてないけど「今日も電信柱に誰か隠れてる」みたいな言葉が印象に残った。

演劇でも映画に近いことをやってるのかと思って見てたけど、五音七音が多い。歌と台詞とナレーションがよく混ざっている。音楽も、琵琶とオペラ的な声楽やロックなどが混ざっている。






11/18
"天井桟敷 - 身毒丸 1978"
https://t.co/GVDcHmrXYC

昨日「身毒丸」見て、今日そのことを考えていて、やっぱり気になったのでまた見た。

逃げ道を帯の長さではかるなり

二回見ても場面と場面のつながりはそんなによくわからないんだけど、一回目よりはわかった気がする。
寺山修司にとって家とは、家族とは、なんだったんだろう。

一番耳に残るのは家族合わせの歌。不安になる。家族合わせっていうカードゲームがあるのを今回はじめて知った。
家族で「家族合わせ」をやって、母の札を独り占めしているプレーヤーがいるから家族が揃わないと。

父親が家の中でも軍服を着ている。軍服を着た父親がいる家庭ってどういうふうになるのか想像つかない。
軍服だけど父親に存在感がない。見世物小屋を捨てた女を妻として買う場面くらいか。「死んだ母さんよりいい女だろう」って。後のほうでは、みずから「遺失物」になって出てきたりしている。

ところどころ短歌や俳句が、寺山っぽい要素がでてくる舞台だ。寺山のなかでの演劇と短詩の関係と、中島みゆきの場合の「夜会」と個々の楽曲の関係をぼんやり思った。




▼ドラゴンボール

"1時間で分かるドラゴンボール強さ順"
https://t.co/ErTcyk3kta

見た。なつかしかった。フリーザあたりまでは真面目にテレビや原作を見てたなあ。魔神ブウあたりまでは原作でなんとなく見ていて、あとは知らない。

見てたらなかなかワクワクしたし、こういうバトルにワクワクできる自分がまだいると気づいた。

一種の、架空のスポーツを観戦してる感じだな。攻撃していい相手の体の部分は決まってるようだし。
飛んだり瞬間移動しながら、空中でドカバキドカバキと手足でパンチキックするか、手から何か光線を出して戦って勝負を決めると。

敵のほうはかんたんに強いあたらしいキャラが宇宙のどこかから登場するけど、味方はなかなか増えていかない。どこかで修業させて強くして、子供をつくって子供を強くして、怒りで髪の色変えて、それでも足りないから人と人を合体させるところまでいった。そうなっちゃうと見てるこっちも苦しい。



▼痴人の愛

谷崎潤一郎『痴人の愛』読みおわった。谷崎ははじめて読んだ。
あーなんかこの感触ってひさしぶりだなーと思った。以前はこういうのをもっと読んでた気がした。

つまり、わかっていながら情念にからめとられていく感じ。ある状況の人がどんなふうにぶざまであるかっていう話。



▼食べた記憶

今朝食べたものが思い出せない。
食後に栄養ドリンクを飲んだことは覚えている。

記憶に残らないということは、よく食べるものをいつものように食べたのだろうけど、ほんとにまったく記憶にない。もし満腹感がなかったら、食べたか食べてないかを判断できなくなるだろう。

台所やゴミ箱を見て「ふーむ、オレはこれを食べたらしいぞ」っていうことになる。

たぶんアレだろうというのはあるんだけど、どうしても一コマも記憶が戻ってこない。そのときにやりそうな動作とか見たはずのものをイメージしてみるが、ピンとこない。用意する、食べる、片付ける。いずれも空白だ。
昨夜のは覚えてる。

ドリンクを飲んだかどうかも記憶があやふやなんだが、ビンをガチャンと捨てたイメージが薄く残っていて、それだけがドリンクを飲んだ記憶があるというモトになっている。

ビンのフタを開けるのに力をいれたとか、ビンに口をつけた感じとか、味とか、完全に忘れている。



記憶って、こんなに早くあとかたもなく消えるものなのか。まあ確かに残しておくべき記憶ってわけじゃないけど。オレのスマホは類似の画像があると削除を勧めてくる。これは類似の記憶だ。




「笑っていいとも!」に「大阪ジンジンジン」っていうコーナーがあったんです。鶴瓶と鈴木紗理奈が司会で。
2チームに分かれて、大阪人によくあることをフリップに書いて発表する。ボタンを持った会場のお客さんは、それに共感したらボタンを押す。その人数の多いほうが勝ち。

それでタモリが、「大阪人はすぐ『これなんぼ?』ってきいてくる」って回答して、ウケて、高得点がでた。
それでなんと、その翌週の放送でもタモリがそのコーナーで同じ回答をフリップに書いて発表した。会場がシーンとなった。変な空気になった。

タモリは会場が思ったような反応じゃないから不満そうだった。共感のボタンは多く押されて、タモリは得意になって喜んでいた。「ウケなかったが共感は得たぞ!」って。

それからまもなく、そのコーナーはなくなった。
動画とか、あるかと思ったらなかった。


それはつまり、タモリが自分のしたことを完全に忘れていたっていう話なんだけど、そんな昔のことをオレがこまかく覚えているっていう話でもある。






▼▼▼

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2018年8月のオレの短歌とその余談/連作の歌のつなぎ方
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「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【1】
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【2】
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【4】選考座談会・前編
https://note.mu/mk7911/n/ncbc826b3e18a

【5】選考座談会・後編

https://note.mu/mk7911/n/n44d84c9e74f6
2018年の短歌研究新人賞の自分のことについて、思うぞんぶんに書き尽くしました。また、選考座談会で言われたことへの応答。




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2018年11月06日

▼賞としめきり▼麒麟騎手▼ほか  ~2018年10月

2018年10月に書いた、さまざまな断片から。



▼麒麟騎手

穂村弘さんがすすめていた本、塚本邦雄『麒麟騎手』買った。1200円の本が古書店で2200円。それと桑原武夫『第二芸術』買った。 https://t.co/LB9WJMD0Ig

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この古書店は、レジがなくて算盤が置いてあった。

『麒麟騎手』は1974年の本で、寺山も塚本もまだまだ生きている。塚本から寺山への書簡が収録されている。あだ名で出てきて、誰だかよくわからない人もいる。二人は相当仲がいいようだが、厳しい言葉もある。あだ名をつけあい、言いたいことを言える、活発で強いつながり。短歌研究のことを「短研」って言ってる。

塚本はシャンソンや映画のことをよく書く。いろんな作品がぽんぽん出てきては、短くバッサリいく。厳しさと簡潔さが心地いい。ほめるときには、君にも見せたい、君にも聴かせたいという。とにかく夢中であれこれ見て聴いていて、楽しそう。自分もいっぱいいろんなものを見たいと思った。

くだけた文章で、塚本がちょっと近くなったように感じられる。





▼オール読物

オール読物が宮部みゆき特集だったので、宮部みゆき好きの母に買った。

オール読物新人賞っていうのが11月号に載ってたから見てたんだけど、厳しい世界だねえ。同じようなことを前にも書いたかもしれないけど、2000以上の作品から5作だけ候補になって、しかもどれもかなり厳しいことを言われていた。

それを、こわいなあこわいなあと思いつつ、楽しく読むわけです。こわいのは自分に置き換えようとしたからで、楽しいのはいじめの快楽みたいなアレなんだろうか。

松本清張賞のお知らせのページが目に入った。賞金500万ですって。ひえっ。





▼賞としめきり

10/15は笹井宏之賞の締め切りだった。

笹井 賞
でためしに検索してみるとたくさんの知らない人たちのツイートがでてくる。知らない人たちに頑張ってほしい。知らない人たちのなかにすごくおもしろい人がいてほしい。新しいムック本からでてきた賞だ。新しい人の新しい作品がとるべき賞だ。


何ヵ月も前から締め切りだとわかっていたのに、ギリギリにやっと並べかえをやって出したり、あるいは間に合わない人がけっこういるようだった。みんなそんなに忙しいのかな。
そういうところは作品にひびいてくる。余裕をもって大切につくらないとダメだろと、説教したくなる。

間に合うように作るのなんか当然で、それをどれだけ丁寧に磨きをかけることができるか、が勝負だと思う。



キングコングの西野さんが、はじめて絵本をつくるときのことを本に書いていた。素人がプロに勝つには、金と時間をかけることだと。プロはひとつの作品にいくらでも金と時間をかけるというわけにいかないが、素人はそれができる。勝てるとすればそこからだと。
だから、金はまあかけられないにしても時間はかけないと。

間に合うように応募できて満足っていうのがすでに全然ちがう。

もっと言えば、受賞したら満足というのもほんとは違うんだろうね。

歌集がだせる賞ならば、いい歌集を出して多くの読者を満足させることができて、そこではじめて一つのことが達成できたということになるだろう。





▼風

短歌BBS「風」。
https://t.co/nTwZeWRik2

オレが
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52220446.html
であれだけ真面目に書いたのに「怒ってたみたい」で片付けられてしまうのか。なにを読んでいるのか? 中身ではなく、顔色だけを読もうとしてるんだろう。そういう人のために書く文章はない。すくなくとも、中身をともなう文章は。





▼ゴールドベルク変装曲

"Bach, BWV 988 Goldberg Variations (complete)with sheet music/fingering バッハ, ゴルトベルク変奏曲 (全楽譜, 指使い)"
https://t.co/9ufue8nQu0

バッハのゴールドベルグ変奏曲を聴く時期というのがときどきくる。この演奏はあまり味がついてないのがいい。楽譜に書いてあることをなぞる。ここからがスタートだ。



不眠症の伯爵をなぐさめるためにバッハが作った~みたいなエピソードがあるけど、おもしろい曲だし刺激のある演奏が多い。



"J.S.バッハ 「ゴールドベルク変奏曲」 ロザリン・テューレック J.S.Bach Goldberg Variations"
https://t.co/kzuaYP9c9K
90分を超える、ゆったりした演奏。聴きながら寝るにはちょうどいい。




▼夢

夢。短歌の集まりだった。女性歌人にオレが飲み物をおごろうとするんだけど、いいですからと言われてその人は自分で買った。別の人からオレの言い方が強くてセクハラに近かったと指摘をうける。

オレははずかしくて居ても立ってもいられなくなって「帰ります」と言ってそのまま帰った。今から会が始まるっていうタイミングだった。そのあとは誰に話しかけられても何も言わず歩いた。

歩き続けて建物をどんどん離れていっても、建物のなかで歌人たちがたのしそうに話している声が耳に届いてくるのだった。これから始まるのに工藤はなぜ帰ったのかという声もしていた。もう人前にあらわれないことにしようと決めた。おわり。





▼純文学

小谷野敦『純文学とは何か』読みおわった。いろんな本がでてきてたのしかった。昔読んだ本もでてくれば、まったく知らない本もでてくる。文学のエレクトリカルパレードといった印象だ。ひとつひとつの段落が、豊富な読書量をあらわしている。

もっといろんな小説を読んでみたいなーと思った。



短歌のなかには純文学と通俗文学があるかなと考えた。
通俗なものはかつては「狂歌」だったが、だんだんそういう区別がなくなった。
純と通俗が、短歌ではひとつに溶け合っているのではないか。
茂吉は通俗だが佐太郎は純文学、みたいな分けかたをしても意味はないだろう。愛唱されるとそこが通俗になる。

作品ごとに判断するしかない、というのはそうなんだろう。作家ごとでくくるとわかりやすいが。





▼▼▼


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2018年10月03日

寺山修司名言集『身捨つるほどの祖国はありや』を読んだ

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『寺山修司名言集 身捨つるほどの祖国はありや』(PARCO出版)読んだ。ほとんど衝動買いの本。ちょっとだけ引いてみます。




人は一生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。 だが、やがて「歌のわかれ」をして詩を捨てる。そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のままで年老いてゆくのである。



短歌というのは、ある種の類感呪術というか、こっちで一人の男の腹を五寸釘でどんと打つと、向こうの三人くらいの男がばたんと倒れる、ふしぎに呪術的な共同性があって、……怪異なものだという感じがしますね。



死をかかえこまない生に、どんな真剣さがあるだろう。明日死ぬとしたら、今日何をするか? その問いから出発しない限り、いかなる世界状態も生成されない。




寺山の多くの著作の言葉からできた一冊。
同じ日に買った半藤一利『歴史と戦争』もそういう本だった。
さっきの『オバマ・グーグル』だってコピー&ペーストが多いし、なんだかそういう本をつづけて読んでいる。


そんな感じだけど、それだけだと記事としてちょっと短いかな。引用ばっかりだしな。



類感呪術っていうのはいいね。オレは自分のことを詠んでるけど、自分にピンときてるってことは、自分以外の誰かにもピンとくるもんなんだと思ってるし期待するところだ。


死をかかえこむ生については正直わかってない。明日死ぬとか真剣に考えてない。考えてないけど、寺山がそこまで言うんなら、記憶には残しておきたい。





▼▼▼



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2017年03月22日

生きる歓び、しつけのよさとは何か、その他の話題【2017.3.22】

3/12~3/22の話題8つ。
盛りだくさんになった。



▼生きる歓び



保坂和志『生きる歓び』
を読んだ。

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『生きる歓び』は捨てられている子猫を拾う話。病気の猫を看病している。元気になったそうで、安心した。
「小実昌さんのこと」という作品も収録されている。作家の田中小実昌さんの追悼。カルチャーセンターの講師として招いたことなど。引用されている戦争の小説がおもしろそうだった。読みたい作家として覚えておく。


以下、印つけたところ。数字はページ数。


30
大げさにきこえるとは思うが、自分のことを何もせずに誰かのことだけをするというのは、じつは一番充実する。野球やサッカーの応援だってそうだ。


32
いい名前はやっぱり自然を指すもののような気がした。

(「いい名前」に傍点)



▼何をしても楽しくない



月とか週で見れば、「全然たのしくない月」や「全然たのしくない週」はないけど、日で見れば、「全然たのしくない日」はある。
憂鬱な日がある。

"【何をしても楽しくない時に聞く話】つまらない人生を楽しくする方法"
https://youtu.be/oHGZp3TvI-8
検索してて見つけたやつ。お坊さんのお話。

自分はなにが好きなのか、どう生きていきたいのか一人でじっと考えてみなさいという話だった。大好きな人や憧れの人がいるなら会いに行きなさいって言ってた。




▼ボクサー


"The Boxer (1977) - Shuji Terayama"
https://youtu.be/n2TmwyC_E6o


見た。
ボクシングにそれほど興味なかったんだけど寺山修司なので見た。
すべてを憎むと言ってボクシングしたり、じぶんの写真をサンドバッグに貼りつけて練習してるのがよかった。


古い映画なので特訓でウサギ跳びしたり、ぼろい部屋で酒を飲んだくれてバカヤローと言ったりしている。
古いもの見るたびに、ダサさってどこからくるんだろうなと思う。どういう力がはたらいているんだろう。インターネットだって15年たったらしっかりダサくなる。


振り返ると熱血と根性のボクサー成長物語なんだけど、見てるあいだはおもしろかった。こまかいところに寺山っぽさ、と言っていいのかわからないが面白味があった。
妙なタイミングでチンドン屋が通りかかったり、男女のシーンで子供の声がするとか、でかいホラを吹いて人々の関心を集める女とか。



▼オレのbotで最も伸びたツイート


https://twitter.com/bot_anton/status/838466474276593664
「しつけのよさというものは、テーブルクロースの上にソースをこぼさぬようにするなんてことじゃなく、かりにだれかがこぼしても気にもとめないという点にあるんですね。」   「中二階のある家」チェーホフ



というツイートが広がってて驚いた。このチェーホフのbotはオレが作ったのだ。

誰かすごい人が拡散してくれたんだろうか。
twiccaでリツイートしたユーザーを最初までさかのぼれた。やるじゃんtwicca。作家の方がリツイートしてくださっていた。
420RT・640いいね。


ツイッターは七年近くやってるので、一万リツイートされるツイートのひとつやふたつは欲しいところだ。


チェーホフの「しつけのよさ」という点では、オレの失言ばかりあげつらう人はしつけがなってないというわけだ。




▼どうやって所属欄を決めたか


未來のひとってどうやって所属欄を決めたんだろう……

というツイートがまわってきた。

所属欄は自分で決めたって感じじゃないなあ。塔をやめるのは自分で決めたって感じがしたけど。もともと加藤治郎さんのツイート見て結社に興味もったから。
あとは、自分に合ってると思ったからだな。自分から一番近そうだったから。
加藤治郎さんについては、
作品もよく見てたし、
入門書も早い段階で読んでたし、
ツイートも読んでたし、
投稿もしてたし、
自分のなかで馴染みがあった。

比較的に若い人が多くて勢いのある欄といえばほかに笹欄・黒瀬欄・大辻欄がある。
笹さんも黒瀬さんも大辻さんも文語メインでしょう。黒瀬さん大辻さんは旧かな。文語旧かなの選者のところで口語新かなでやるのは、別に問題はないんだけどオレはちょっとためらう。
笹さんみたいなオカルトや空想に興味があるかどうか。そう考えると加藤欄ひとつにしぼられてくる。
それと、欄の他のひとの作品を見れば、自分はここだなとかここじゃないなとか、なんとなくわかる。



▼読者歌壇・特選



14日発売の「現代短歌」4月号の読者歌壇で二人の選者の方からそれぞれ別の歌に特選をいただいた。ありがとうございます。

ダブル特選はよかった。でも、うれしいとかおめでたいよりも「かろうじて面目を保った」くらいの感覚だ。これくらいはやらないと。

比較したくはないが、オレより若い人、後に始めたような人が作品を依頼されるなどして活躍している。
原稿料もらって丸一ページ・7首とか10首を載せてる若い人に比べたら、2首が特選でもしょぼすぎるくらいのものだ。越えられない壁がある。
比べるととてもみじめになるから、自分は自分のペースでやればいいんだと、うちはうち・よそはよそなんだと、そういうことにしている。

いつも特選でおもしろいから気になって作品を依頼したくなった、とか言わせるくらいまでいかないとオレのなかでは本当の成功ではない。成功とは、「これがなんらかの形で次のステップにつながる」ことだ。

どんな歌が載ったかは本屋さんで確認してみてください。雑誌に送って雑誌に載ったので、雑誌で見るのが本来の見方だ。



▼性格診断



性格診断をやってみた。


性格診断結果:周りの人達の真似をして生きている。自分に自信がなく信念もない。長所は、協調性に富む、妥協性が強い、いい子である。短所は、現実無視、計画性がない、考えがまとまらない。 http://shindan.matchalarm.net/ma_egogram/intro/2540568


ひどい言われようだ。すこし憂鬱になった。

自分よりひどい結果の人を探した。「ダメなところが多すぎる。人生を考え直した方がよい」っていうのがあった。それを見て少し気分が持ち直した。そういうことをする性格である。




▼短歌あつめました



短歌あつめました @tanka_atsume というbotにオレの短歌があった。ありがとうございます。

https://twitter.com/tanka_atsume/status/840856812559581184
ワンタンメン専門店の前を過ぎ唱えるわんたんめんせんもんてん/工藤吉生 #短歌 #tanka



これで、オレの短歌をつぶやくbotは六つになった。

うたらぼっと、
歌会たかまがはらbot、
海の短歌bot、
短歌あつめました、
短歌ぼっとだお、
〈短歌bot〉

まだまだ入りたいぜ。




▼▼▼



抜け出したいという話|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n3e29a2c9d9c3

成人病予防健診に行って、最悪だった話|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n825cec319cde

2017年2月の工藤吉生の短歌すべて見せます|mk7911|note(ノート)

https://t.co/e37EDuY9fQ
工藤の有料マガジン【500円】やってます。


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2017年03月19日

寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』を読んだ

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寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』読んだ。角川文庫。昭和50年。 312ページ。

どんな本とも言いがたい、雑居ビルみたいな本だ。
同名の映画の動画(後半しかなかったから後半だけ)を先に見ていたが、それの原作というわけではなかった。短い文章がたくさんある。詩もある。



速さ、男らしさ、無宿、パチンコ、ストリッパー、銃、トラック運転手、競馬、ボクシング、詩、一点豪華主義、自殺学、歌謡曲。
話題は多岐にわたる。どれもおもしろく読める。


上の世代に抵抗する序盤は、マルキ・ド・サドを思い出した。サドは読んでみると意外に理屈っぽいのだ。

歌詞がしばしばでてくるけど、このころは流行歌が人生をあらわしていたんだな。

競馬については長く書かれる。競馬に興味なくてもおもしろく読める。馬の性生活、競争馬の一生など興味深かった。

「ハイティーン詩集」はすばらしい。

自殺学入門は独特だ。生活苦によるような自殺は、自殺ではなく他殺だとして退けられる。





以下、印をつけたところ。数字はページ数。

49
「小さな穴から入ってきた山椒魚が、中で成長して大きくなってしまったら、もう同じ穴から出てゆくことは出来ないし、かといってもう一度、小さなからだに戻ることも出来ません。そこで、“こうなったら、俺にも覚悟がある”といって穴の中で居直る。この居直り方が問題なのです」



192
賭博が、しばしば人の生甲斐となりうるのは、それがじぶんの運命をもっとも短時間に「知る」方便になるからである。女はだれでも、運の悪い女は美しくないということを知っているし、男はだれでも必然性からの脱出をもくろんでいる。



209
私が娼婦になったら
アンドロメダを腕輪にする呪文を覚えよう

岡本阿魅「私が娼婦になったら」




以上。
寺山修司はこれまで現代歌人文庫の一冊しか読んでなかった。ほかの本もいろいろ出ているようなので読んでみたい。


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2017年02月27日

保坂和志『カンバセイション・ピース』、そのほかの話題【2017.2.27】

2/16から2/26までのいろいろな話題





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▼カンバセイション・ピース


2/16

保坂和志『カンバセイション・ピース』を読み始めた。

はじめの家の描写がむずかしくてちょっと飛ばしてしまった。間取りとかをいろいろ言われても、知ってる家をモデルに考えてしまうなあ。
人が多いのも少し困る。でも人物はつねに一度に大勢が動き回ってるわけじゃないので気になるのは最初だけだ。

野球を見に行く場面がおもしろかった。細かいファンと、ヤジを飛ばしてばかりのファン。テレビ観戦では見えない部分。
猫たちがいい。
会話の流れかたがいい。
小説のなかでもエッセイに書いてるのと同じことが書いてある。チェーホフの「大学生」のこととか山下清のこととか。地続きだな。


▽2/17

160ページまで読んだ。四割。
木登りの記憶とか、一人で家にいて耳をすますところとかが良かった。


▽2/18

読んでたら、「死んでからが人生だ」という言葉に出会った。
何ページにもわたって植物に水を撒いたりしていた。これを読んでる時間は豊かな時間だなあ。


▽2/21

50ページ進んだ。ものすごく読みごたえがあったので、それしか進んでないのが不思議なくらいだ。
読んだのは小説だが、野球を一試合観戦したみたいだった。

二回目の野球の場面。よく覚えてるなというくらい細かい。いや、架空の試合なのかもしれないけど、そうは思えないくらい。
聞こえなくても全力で応援し、歌い、ヤジを飛ばして、噂に振り回されたり、あれこれ分析し、負けてはくやしがる、そんな野球ファンの熱さ。


▽2/27

読みおわった。おもしろかった。
家が主人公みたいなもんだな。

一日中ギターをやってる浩介がなんだか印象にのこった。

猫三びきがいきいきとうごきまわっていた。見えないのに、なんだか愛着すらおぼえた。亡くなっているチャーちゃんも、それに劣らず小説のなかに存在感があった。



▼新鋭四期

新鋭短歌シリーズ四期が動き出すようで、これがオレを緊張させている。いや、関係ないんだけども。

関係ないんだけども、全力で走ったら乗れるかもしれない位置に止まっているバスだ。三期のときもざわざわして苦しかった。でもなあ。今じゃない気がするんだよなあ。今じゃないけど先のことはわからない。
これを逃して遅くなるとしても、それはもうしょうがない。

しょうがないことなんで、早く過ぎ去ってもらいたい。オレのやってきたことなんて、まだ最初のピリオドを打つところにも至ってないのだ。オレをあせらせないでくれーっ



▼書を捨てよ町に出よう



"Throw Away Your Books Rally in the Streets (Full movie with English subtitles) PART 2" https://youtu.be/dpd5cdqcNXQ

寺山修司「書を捨てよ町へ出よう」後半を見た。前半はない。

後半だけだったが面白かった。すごいなあ。
三輪明宏をうんと若くしたような人が出演していると思ったら、本人だった。

もうひとつ動画がアップされてるけど、それも後半だけなんだよ。
古本屋でもあるね。上下巻の(下)だけ二冊あること。
しかもタイトルが英語でアップされてるから、しばらく「書を捨てよ町へ出よう」だとは気がつかなかった。

オレは東北の言葉聞いてると落ち着くよ。



▼グループ


「穂村・加藤・荻原」みたいなのに憧れる。御三家とか四天王とか六人組とか七人衆と呼ばれたい。
オレにあと何人かを足してグループにするとしたら、誰を足すとバランスがよくてなおかつ統一感がでるだろう。

オレの場合そのメンバーで特に何かしたいということではなくて。
一緒に活動とかはなくて、自分達もべつにグループになったつもりはなくて、周りが勝手に言うのがいいな。

で、三十年くらいたってから、なにかのきっかけで一緒になるの。「ついに全員が揃うときが来たか……!」ってなるのよ。それってアツい展開なんじゃないの。


いやね、木下龍也さんとオレと誰かで御三家、みたいなツイートを見たもんだから。鍵アカウントのツイートだから探しても出ないけど。
それに、「短歌道場」のチームのツイートを見たりなどしたのもあって、御三家やチームが気になる。

木下さんとオレと、誰なんだ。誰を加えてもオレがへこみになる気がする。つまり、オレが凹という漢字のへこんだ部分みたいになってしまう。
パッと思い付く人は三人くらいいるけど、みんな歌集を出している。
歌集がなくて新人賞もないような人たちとじゃないとバランスが悪い気がする。どうかなあ。

「フフフ…奴は四天王の中でも最弱…」
っていうのがあるけど、そういう最弱の位置がオレには似合うんじゃないかとも想像する。最弱でも、強い人のなかに入れてもらえたらうれしい。




▼地方の短歌結社

宮城の結社誌「群山」の二月号が文学館にきていた。
代表の徳山さんが入院して選歌できない状態にあるということで、詠草の一首目から五首目を採用作として掲載する、ということになっていた。
心配になる。「群山」は200人近い会員がいる宮城最大の結社だ。

「宮城最大」って書いたけど、角川「短歌」の日本結社地図によれば、宮城の結社はアララギ系の「群山」と白秋系の「北炎」のふたつだ。「北炎」は終刊したから、もう「群山」しか残っていない。
そのほかだと「砂丘」っていう11人のグループの歌誌があるのを確認している。

全国から人が集まるような結社は残って、地方のはだんだん無くなるんだろうな。新しく立ち上げられてるふうでもないし、結社自体が減っていくと。そこまではわかる。

「群山」になにかあってもオレに直接の影響はないけど、200人はどうなるんだろう。どこかに移るって簡単じゃないと思う。手続きは難しくないが、心理的に。



▼▼▼



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2017年01月15日

田園に死す、落語、プレーンソングなど話題いくつか【2017.1.15】

話題いくつか。最近見たYouTube動画と読んだ本について。
「くどうのぬらっ日記」に書いたものの転載だけども、順序は整理整頓し入れ替えているし、しぼりこんである。


▼ラジオドラマ「コメット・イケヤ」


"寺山修司ラジオドラマ「コメット・イケヤ」(1966年)"
https://youtu.be/5n7c5h75Ae8
っていうのを聴いた。録音状態が悪かったり、聴きながらウトウトしたりして、二回半聴いてもよくわからなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~hi2h-ikd/film/commetikeya.htm
文字になったものがあり、とても助かった。


はじめに盲目の少女が出てきて、この少女は「何かが見つかるときには何かが失われているのではないか」と考える。
池谷という人が彗星が発見したのと同じときに行方不明になった長谷川という男性がいる。
この長谷川を探す話と、盲目の少女の話と、彗星を見つけた池谷の話が混ざりあう。

こわくてさびしい感じがずっと続いていた。



▼映画「日本沈没」2006年

去年見た映画は「ダイハード2」だけだったのをちょっと気にしている。

YouTubeではじめて映画を見た。2006年の「日本沈没」。

おもしろい映像もあったけど、だんだんお約束な流れになってきて退屈した。
仙台の被災者だという人達が、オレの聞いたことないような訛り方ではげましあっていた。



▼朗読「日本以外全部沈没」


"≪AI朗読≫日本以外全部沈没≪筒井康隆≫"
https://youtu.be/0y1wiEv6d3w

タイトルだけは知っていた作品。面白かった。AI朗読がわりと聴きやすかった。句切りはときどきおかしいが、おおむね言ってることはわかる。スピードもちょうどいい。



▼映画「田園に死す」


"田園に死す Pastoral: To die in the country (1974) (English subs), Shuji Terayama"
https://youtu.be/MThQ8kQHEyg

今年の映画二本目。これで去年より見た映画が多くなったぞ。

短歌がいっぱい出てくるなーくらいの印象から始まって、柱時計とか赤い櫛とか寺山っぽいアイテムがいろいろ出てきて、不安になるようなわけわからなさがあふれていて、とにかくすごい。圧倒的にすごい。寺山修司すごい。
訛りがちゃんとしてたのもよかった。
時間をおいてまた見たい。



▼和歌のでてくる落語


"三遊亭楽太郎 「西行」"
https://youtu.be/pS4w-YN-4AE
落語も寝ながら聴けるからいいな。
どうしても落語っていうと笑点メンバーから入ってしまう。もう名前が変わったけど「楽太郎」っていう名前になじみがある。
西行はあんまり知らないんで、ということもあって聴いてみた。
考えてみれば笑点メンバーの落語さえもほとんど聴いたことないのだった。すごく口が達者で驚いた。プロだなあ。



"「西行」三遊亭円歌"
https://youtu.be/F4i-4mKb6t4
同じ「西行」なのに再生時間が倍も違うので気になって聴いた。同じ短歌が出てくるし同じ部分で終わるんだけど、印象がだいぶ変わる。


"落語 千早ふる 小遊三"
https://youtu.be/S_VhMZrAGNc
在原業平の有名な短歌のでたらめな意味を長々と長々と説明する話。
小遊三さん好きなんだよねえ。好きなんだけど落語は初めて聞いた。



ここからは読書。
▼プレーンソング


保坂和志『プレーンソング』を読んだ。小説論は何冊か読んだけど実際に小説を読んだのは初めて。

おもしろく読んだ。以前のオレなら読めなかったんじゃないかと思った。

十代のころに小説を読むときにあらすじをまとめたり人物をメモしながら読んでたけど、その頃に出会ってもつまらなかっただろう。
保坂さんの小説論を三冊読んだけど、そこから得たものがあって、それによってカフカの読み方が変わったし今回おもしろく読めた。

猫の話や競馬の話や気になるような人物が出てくるけど、それが何かにつながるってわけでもない。半端といえばすべてが半端に終わる小説だ。以前ならそれは不満だったかもしれない。
結末がどう、伏線がどうというのではなくて、その場その場を楽しむ読み方っていうのがある。

まあ以前のこととかはいいんだ。今読んだものがおもしろかった。もっと読もう



▼いじわるな天使


穂村弘さんの『いじわるな天使』をまだ読んでなかったから読んだ。短い童話がいくつも入ってる。おもしろかった。楽しいお話もあり、不思議なお話もあり、悲しいお話もあった。



▼すーちゃん

益田ミリ『すーちゃん』読んだ。このサラッとした絵がいいんだよな。どこをめくってもハートをひっくり返したような髪型の「すーちゃん」がいて楽しい。
中身は軽いばっかりじゃないんだけども。よい人、よい生き方を目指して悩みながら前進しているすーちゃんを応援したくなる。

その前に読んだ「オレの宇宙はまだまだ遠い」につながってくるらしい。ほかのも読んでつなげたい。



▼宣伝


角川短歌賞予選通過作品「ピンクの壁」50首をnoteで公開しています。400円。
https://t.co/PDVrswIfmt


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2013年06月06日

[総合誌読む25] 「短歌研究」2013年6月号

短歌研究6月号からツイートしていきます。


巻頭作品


片付けし午後の食卓さかしまにホチキスの芯ありて尖れり/棚木恒寿「桜の周辺」



私より歌が大事かと叫ぶ汝(なれ)めちゃくちゃに抜く本棚の本/棚木恒寿「桜の周辺」


→奥さんとのことを詠んでいる一連。ホチキスの芯は波乱への伏線のように見えた。日常の中の痛々しいもの。
ホチキスは文房具だから食卓にあるのは少し変だ。家庭内に持ち込まれた仕事?



よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから/永井祐「雪の日々」

→なんとなく、雪かきしてるのかなと思った。雪かきって、体力使うわりには、そのために着替えるということをしない。雪かきウェアとかないでしょう。でもまあただの憶測。
もしかしてエッチなことかなあとも思った。これはもっと憶測。
「ジャケットがよれよれになる」なら普通の日本語だが語順を入れ換えている。これにより、二句三句四句と連続してジャケットが出てくる。



高校楽しくなかった人と高校すごく楽しかった人が10年後エアホッケーをするかもしれない/永井祐「雪の日々」

→エアホッケーって不思議なポジションにある。スポーツといえばスポーツだが学校の体育でやったりはしない。学校の体育とか嫌いでもエアホッケーならやりそう。
父と子がキャッチボールしながら話すみたいに、旧友同士でエアホッケーしながら学生の頃のこととか話すの。





作品連載の真中朋久さんの「わたくしは死者である」みたいな歌がよくわからないなりに気になった。





特集1は寺山修司で、いろんな歌人の方が寺山修司の歌を1首取り上げて文章を寄せている。

「海を知らぬ少女~」の歌に寺山修司が添えたエッセイが紹介されている。やすたけまりさんのところ。
「海辺の町で生まれたぼくが、自転車旅行で出会った山峡の少女に、海のひろさについて説明するために両手をひろげて見せていたのもいまでは、くやしい思い出になってしまった。」
こういうの読むと読みがついつい狭くなるなあ。これが正解とは限らないと仮に言われても。すっきりするんだけど、すっきりしちゃいけなかったような気になる。



一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき/寺山修司『空には本』

の所で、喜多昭夫さんと俵万智さんがお二人とも落書きの話をされている。寺山の短歌は落書きしたくなる短歌だったんだな。



冬怒濤汲みきてしずかなる桶にうつされ帰るただの一漁夫/寺山修司『空には本』

これは素通りしてた歌だったんだけど、この八木博信さんの文章を見て良さがわかったように思う。



マッチ擦る~はさすが人気のある歌で、何人もの方がこれを選んで書いている。
近藤健一さんの
「海の「きわ」は国の「きわ」でもあるという二重性」、という指摘、また韻律面での指摘になるほどと思った。

田宮朋子さんの「身捨つる」が「見捨つる」にも聞こえる、という指摘も鋭いと思った。

小笠原和幸さんの「ただ切実に寺山になりたかった。何分の一かでも寺山になる方途は短歌しかなかった。」も印象的。一番寺山への強い気持ちが感じられた文章だった。





特集の二つ目が近藤芳美生誕百年。この人よく知らなかった。或る楽章、バルコン、水銀とレインコートの歌は知ってた。
特集を読んで、戦後と安保の歌が印象に残った。あと、わりあい初期にピークがある。そういう人は歌人に限らず多い。



吾は吾一人の行きつきし解釈にこの戦ひの中に死ぬべし/近藤芳美『早春歌』



生き行くは楽しと歌ひ去りながら幕下りたれば湧く涙かも/近藤芳美『埃吹く街』



なべての生(せい)なべての流転のうちに滅ぶ人間の愚かは人間のもの/近藤芳美『聖夜の列』




島田修三さんの「誤らざる黒豹」を読んで、大変勉強になるとともに、当時を知らないと理解するのが難しいのではないかと思った。民衆とか権威とか、意味はとりあえずわかっても温度は共有できない。隔たりを感じる。



製図台に胸押しつけて線引けば幾度もゴムを床に落とせり/近藤芳美『早春歌』



妻の鬱なおいつまでか黙し合うのみの一と日の昏れなずむころ/近藤芳美『岐路以後』



いつの間に夜の省線にはられたる軍のガリ版を青年が剥ぐ/近藤芳美『埃吹く街』


→についての大島史洋さんの解説。
『「軍のガリ版」は八月十五日の敗戦を認めない軍の一部の者が徹底抗戦を訴えたビラである。』
そんなことがあったのか。青年が新しい時代をつくっていく感じか。

そういうふうに意味がわかれば少しずつ面白いんだけど、それは短歌を楽しんでるのかなんだかよくわからない。短歌が時代を記録するということはあるな。



鶴嘴を己れの影に打ちつづくきびしき西日となりたる中に/近藤芳美『早春歌』



あー遠い、時代が遠い、と思っているところで、黒瀬珂瀾さんの文章。大状況と小状況という考え方はわかりやすい。時代や思想の大状況が共有できなくても小状況は現代にも届いてくる。救われる。





作品十首は年齢層が高い。冒頭の作品二十首がわりと若いのとバランスをとったのか。

わが形にくぼむベッドに寝かさるるさくらはなびらひとひらこぼし/関政明「海を残して」

→介護を受ける側からの歌です。車椅子で桜の下を通ったんでしょう。その花びらが体のどこかについていて、寝かされる時にこぼれたと。なんかせつないです。
下の句は調べがよいです。「ら」の位置。






藤島秀憲さんの「短歌と笑い ときに寄り道」は長い連載だなあ。落語の話はいつも飛ばしながら読んでる。
今回は二首ほど。

下の歯が抜ければ屋根へ放ること 余計なことをするのが文化/大松達知『アスタリスク』



ひとつきりの身体を濡らし走り抜きコンリンザイが胸に鳴りだす/東直子『十階』


→「濡らし走り抜き」は音がいい。NRS-HSR-NK
雨に濡れるとイライラする。もう二度と嫌だと思う。金輪際と漢字にすると宗教っぽい意味がついてきてしまう。片仮名になって「もう二度と」というような意味だけになると共に響きの面白さが強調される。

その「もう二度と」というのが初句の「ひとつきり」に掛かっている。
胸に鳴りだす、はコンリンザイこんなことはごめんだと心で強く思うということと、コンリンザイの特徴的な響きが関係しているのではないか。
n音が気になる。コンリンザイをnが挟んでいる。





書評のページからいってみます。

森の上を鯨のやうな雲がゆくさうだよ夢はまだ続くのだ/時田則雄『オペリペリケプ百姓譚』

→森と鯨と雲と夢の組み合わせ。でかいなあ。短歌って小さい方、さみしい方に行きやすいと思うんだけど、この人はでかい方、明るい方へ行く。
「さうだよ」は今月の角川の巻頭31首詠にも出てきた。

雨の象(かたち)は今日もさうだよ未来形 老いの歌など湧いてはこない/時田則雄「春は足の裏から」

二首並べるとなんとなく似ている。希望がある。
自然の中にいるからといって誰でもこう詠めるわけではないだろう。



媼三人足先見つめ石段を一段、一段くだりて来たり/辻豊子『白きタンポポ』



誰かが厳しくしないとおはようをもらうことすらできないでしょう/中島裕介『oval/untitleds』


→いるんだよ。世の中には挨拶に厳しい人が。昔働いていた場所にそういう人がいた。挨拶の声が小さいってだけで「もう来なくてもいい」とか言うの。なんなの。でもそういう人が挨拶の世界を支えてる。
で、世の中には挨拶でもされない限り一日誰からも何も言葉をもらえない人もいる。





短歌研究詠草からは1首だけいこう。
この欄への投稿をやめたら、関心が薄くなってしまった。三首以上載った人のだけ読んだ。
一枚の葉書に縦書きで5首書くのってバランスとかでけっこう神経使うし、連作みたいなのが苦手で書くのに疲れてしまった。


抹茶ラテ木匙にまぜつつおもふなり因果的行為論目的的行為論など/岡本康江



オレのが1首載った。こういうの。

四種類小袋つけば面倒なカップ麺だと嘆きたくなる/工藤吉生





うたう★クラブでは今回オレは斉藤斎藤コーチとメールのやりとりをした。

前になみの亜子さんにコーチしてもらったことはあったんだけど、その時はゆるい感じで、「漫画」を「ドカベン」にしたら決定稿になったんだった。
斉藤コーチは思った通り丁寧で粘り強い印象。ここに載ってないやりとりもあったんだけど、それでも完成はしなかったのだった。

実際にあったことに近いことを歌にしたんだけど、改作するとどんどん離れていって面白がりの歌、ネタ、大喜利みたいになった。歌をみがくって難しいと思った。

一番勉強になったと思ってるのは「コント『コンビニ』」のくだり。
初句のところで助詞を不用意に抜いてしまう癖がオレにはある。それに気づけたのはよかった。


自分以外のところでは「誤変換の神様は存在する」という話が面白い。


佳作に自分のがないと変な感じ。北大路さん(か木下さん)と九螺さんの間にいつもはオレがいるんだけど。


佳作で良かったのは2首。どっちも星がついていない。

愛ではないものにしがみついたわかってるこれはビニールの傘/オカザキヨーコ

→定型になりそうだけどしていない。そしてそれでいいように見える。
ビニール傘にしがみつくのは台風でもきているのか。じゃあ愛にしがみつくのはどんな状態だろう。



「る」で終わるしりとりばかり交わしつつトランポリンを跳ぶ始業前/さとうはな

→上の句だけならあるあるみたい。ルール! ルノワール! とか言うの。
トランポリンがいい。トランポリンという言葉自体が跳び跳ねるような面白い響きを持っている。二人で交互に跳ねながら言ってるのかな。
また、ンがついてるからしりとり的にはNGだ。目の前にあっても言っちゃいけない。
ラ行の音が多い。しりとりをする二人の言い合う言葉にリンクしている。
始業前、でややつまずく。どういう場所、どういう二人なんだろう。でも何かが始まる前のしずかな時間、午前中の明るさを感じとった。



という感じで終わり。
投稿作品なんかでも面白いのやすごいのがあったらもっと話題になったり騒然としていいと思うんだけど、そうならない。各総合誌を評するページなんかでも無視されてる。
読まれてないのか、実際たいしたことないのか。たいしたものを作りたいなあ。


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2013年05月28日

[歌集読む16] 寺山修司『田園に死す』『テーブルの上の荒野』

現代歌人文庫の寺山修司を読んでいる。



『田園に死す』
ここにあるのは青春の歌ではなく、オカルトやジャパニーズホラーといったような世界です。



新しき仏壇買ひ行きしまま行方不明のおとうとと鳥/寺山修司『田園に死す』

→行方不明ということは生死も不明ということか。そういう場合は仏壇が必要なのかどうか。
鳥はなんだろう。鳥も行方不明なのか。鳥は仏壇買いに行かないだろうけど、「行方不明」にはかかっているだろう。突然鳥が出てくるのが不思議な感じ。



生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘/寺山修司『田園に死す』

これ思い出した。

赤ちゃんのうちに手相の矯正をするのにつかう銀製の型/枡野浩一『ドレミふぁんくしょんドロップ』

それぞれにニュアンスがある。ここでは寺山修司の歌について書く。
自分の引き出しにあるということは、自分が自分に「ひそかに」使うのだろうか。一人ひそかに釘を自分の掌に突き刺して手相を変える男。おそろしい。



地平線揺るる視野なり子守唄うたへる母の背にありし日以後/寺山修司『田園に死す』



かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭/寺山修司『田園に死す』



漫才の声を必死につかまむと荒野農家のテレビアンテナ/寺山修司『田園に死す』


→笑えることが何もない地で、漫才の笑いを必死に求めているみたいで切実。助けを求めているみたい。



炉の灰にこぼれおちたる花札を箸でひろひて恩讐家族/寺山修司『田園に死す』



死の日より逆さに時をきざみつつつひに今には至らぬ時計/寺山修司『田園に死す』




短歌だけでなく文章もある。怪奇もののようだが、その中になにか訴えてくるものもある。寓話っていうのかなこういうの。







つづいて「テーブルの上の荒野」もやっておく。



空罐を蹴りはこびつつきみのゐる刑務所の前通りすぎたり/寺山修司『田園に死す』



今日も閉ぢてある木の窓よマラソンの最後尾にて角まがるとき/寺山修司『テーブルの上の荒野』


→普段は通学路か何かでよく通る道なんだろう。マラソン大会でそこを走って通ると、いつもの道でも違った感じがするのだろう。閉鎖的な窓と、マラソンの最後尾の孤独。



もの言へば囀りとなる会計の男よ羞づかしき翼出せ/寺山修司『テーブルの上の荒野』

→オレはレジ打ったことあるけど、ひとつひとつの接客用語に独特の音階がついちゃったりする。女性ならまだサマになるが、男がやると少しアレかもしれない。さえずってるなら翼も持ってるだろうと。



福島泰樹さんの解説があるけど、これは寺山修司本人に読ませたいんだろうなあと思った。とても深い仲なのはわかった。


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2013年05月12日

[歌集読む14] 寺山修司『空には本』

ぼそぼそと寺山修司の『空には本』の歌を引きながらなんか言います。



草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ/寺山修司『空には本』

はじめの方は青春っぽい歌が多くて、あれっこんな人だったっけと思った。だがこれは変化してくる。



滅びつつ秋の地平に照る雲よ涙は愛のためのみにあり/寺山修司『空には本』



「チエホフ祭」の一連と、オレがよく読むチェーホフとの関連性はいまひとつわからなかった。チェーホフで祭のようなイベントができるということは、今よりチェーホフが流行ってたのか。それとも架空の祭なのか。


チエホフが出てくる歌より、むしろ

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

がチェーホフ的だと感じる。ほんのわずかな希望が見えて終わっていくような話がチェーホフには多いから。


さむきわが望遠鏡がとらえたる鳶遠ければかすかなる飢え/寺山修司『空には本』



嘘まとめつつ来し冬田のほそき畦ふいに巨きな牛にふさがる/寺山修司『空には本』


→牛は鈍重で愚直で、嘘の小賢しさとは対照的。


外套のまま墓石を抱きおこす枯野の男かかわりもなし/寺山修司『空には本』

→この結句好きだなあ。
外套っていうのはよそ行きな服ということだろうね。他人行儀。胸襟を開いていない。
墓には帽子をかける釘がないというような歌を塚本邦雄は詠んでたな。



誰か死ねり口笛吹いて炎天の街をころがしゆく樽一つ/寺山修司『空には本』

→「死」って本当に強い言葉で、引きずられてしまう。口笛は死者への鎮魂に関わりある気がするし、ころがされる樽に死者が入ってるような気もする。



向日葵の顔いっぱいの種子かわき地平に逃げてゆく男あり/寺山修司『空には本』

→のっぺらぼうから逃げるみたいに種だらけのヒマワリから逃げてるんだろうか?
「地平」がいい。遠くから逃げる男を見てる感じだ。どこまでもずっと逃げてるみたい。



下向きの髭もつ農夫通るたび「神」と思えりかかわりもなし/寺山修司『空には本』

→キリストが馬小屋で生まれたりしてるし、農夫の姿で神が出てくることもありえなくはない。
「かかわりもなし」がまた出てきた。神と自分が関わりないというのか。かかわり「も」なし。この「も」のくたびれたような感じ。



葡萄熟れし夜をあこがれてまっくらな鏡のなかに墜ちゆくロミオ/寺山修司『空には本』

→「夜」「まっくら」「墜ち」があって暗い。
鏡はナルシスティックになこととらえたけど、「どうしてあなたはロミオなの」から転じた「どうして自分は自分なのか」みたいな問いもあるのかな。



わけもなく海を厭える少年と実験室にいるをさびしむ/寺山修司『空には本』



ひとの不幸をむしろたのしむミイの音の鳴らぬハモニカ海辺に吹きて/寺山修司『空には本』


→少し前に、北原白秋の歌に「ハモニカ」が出てきて、「ハーモニカ」より雰囲気ある言葉だなあってことをツイートした。寺山の時代もまだ「ハモニカ」だったか。
ハーモニカを吹くのは楽しいだろうし、少し悲しい音色の楽器だ。

「ミ」が「ミイ」なのも気になる。これは音階の「ミ」であると同時に「me」ではないだろうか。me =自分自身 をかえりみない。自分に引き付けて考えないからひとの不幸を楽しめる。



鼠の死蹴とばしてきし靴先を冬の群衆のなかにまぎれしむ/寺山修司『空には本』

→まとめて読んで、寺山修司は同じことを何度も詠む人だという印象を持った。
このような、うしろめたいもの、なまぐさいものを密かに隠し持っているような内容の歌がいくつかある。



非力なりし諷刺漫画の夕刊に尿まりて去りき港の男/寺山修司『空には本』

→新聞の1コマしかないような漫画は諷刺が強い。だけど影響力はそれほどないだろう。子供のころは「よくわからない漫画だなあ」と思ってたけど、大人になってから読んでも別に特別面白いとも思わないよオレは。
海の男は潔いから、そういうおちょくりやほのめかしに価値を認めないだろうね。



一本の骨をかくしにゆく犬のうしろよりわれ枯草をゆく/寺山修司『空には本』



『空には本』からは以上。


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