文学

2016年10月23日

宮城県芸術祭の文芸祭に行ってがっかりした話

宮城県の文芸祭に行ってきた感想を書きます。

「宮城県芸術祭」というのがあって、これは今年で53回目をむかえるものなんだそうです。そのなかに文芸部門ができたのは最近のことのようで、文芸作品の公募は今回で第三回ということです。

仙台文学館のイベントに参加したときにチラシを手に取ったのがきっかけでこの公募を知りました。短歌の募集があったので、出してみたのです。

一組2首で応募に千円かかります。オレはこの千円、妥当な金額、出してよい金額だと思いました。2首で二千円という大会が多いので。

短歌一般部門の選者は佐久間晟さんという方で、お名前は今回はじめて知りました。

選者の作品を読んでから応募したかったのでネットで調べましたが、なかなか出てきません。やっとでてきたのはこのような歌です。

http://www.senkyo.co.jp/hokutokajin/hokuto14_14.html
世界一安全と豪語する原発ならば今後は日比谷か銀座に建てよ/佐久間晟

短歌をはじめて間もないころにこのような歌を見たのを思い出します。

さみだれにみだるるみどり 原子力発電所は首都の中心に置け/塚本邦雄








10/22 文芸部門の入選発表があるというので、出かけてきました。まあ、事前に通知がないということは良い結果ではないのかもしれないけど、せめて佳作にでも入ってればいいなと思って出かけました。

会議室はけっこう人がぎっしりで、前の方は学生さんたちがならんでいました。オレは、つまらなかったらすぐ出ようと思って一番うしろに座りました。

入選作品集を確認したら、オレは選外だったので、すぐにでも去りたくなりました。
しかしせっかく来たので、話を聞くだけ聞いて帰ることにしました。



詩、短歌、俳句、川柳、エッセイの順で選者から講評がありました。

覚悟はしていましたが、覚悟どおりに、出る人出る人みんなご高齢です。受け付けも司会も選者もジュニア部門の選者もみんなみんな。
どういう力がはたらくとこうなるのでしょう。



短歌一般の部の選者の佐久間さんは、ネットの情報が正しければ今年90歳だそうです。

講評では、「歌人は心美しい人でなければならない」「歌のまえにまず人間として立派であるべきだ」というお話をされました。
なるほど、そういうことならオレが落ちたのも納得がいきます。

短歌一般は52人の応募があり、うち10人が入選していました。
オレは「河北歌壇」など読んでいて、仙台で短歌をやっている人の名前をすこしは知っているつもりでしたが、参加者一覧に知っている名前はありませんでした。



ジュニア部門の短歌の選者もオレの知らないご高齢の方で、ふるえるカン高い声で精一ぱいお話をされていました。逃げ出したくなりました。



俳句の高野ムツオさんの話をちょっと楽しみにしていたのですが、欠席でした。代理の人が奇妙な抑揚をつけて講評を読み上げていました。
文芸部門のなかでは、俳句の上位作品だけが一定の水準を達成しているように感じられました。



川柳では、オレには納得いかない解釈が多かったです。瓢箪から駒、という印象でした。

ポケモンGOの出てくる川柳が優秀賞になってましたが、選者はポケモンGOがまったくどういうものか知らないということでした。
知らないならば、知らないなりにするべきことがあるのではないでしょうか。責任をもって選をしているのか、疑いたくなります。「いま」を詠む作品ならば、「いま」を知る人じゃないと読み解けませんし選べないでしょう。


エッセー部門は応募が9通ということでした。応募数一桁の公募って、初めて見ました。
困難なものを要求するのなら応募も減って当然ですが、ここで要求されているのは1200字以内のテーマ自由の文章です。



ずっとあきたりない思いで聞いていました。西村賢太の小説では「あきたりない」が「慊ない」などと難しい字で表記されることを思い出して、その漢字一字「慊」が頭のなかにありました。
授賞式になったので、出ました。これがオレの経験した一部始終です。



・応募数もなくて
・老人ばかりで
・作品の水準も低くて
・著名な俳人は欠席。
ここは田舎で後進なんだぞ、ということを見せつけられた思いです。

ああ、あと会場のマイクが常にキンキン鳴ってました。







オレはオレなりに自分の地域を愛しているつもりでして、ローカルなものにも参加してるんです。
オレが盛り上げてやるぜ! という気も少しはあるんですが、オレはこの通りに無力であります。どこをどうしたらこれが良くなるんだろうと考えると途方にくれます。
「こんなのは忘れてほかの楽しいことをする」以上のことは思いつきません。



こうした現実をこまかく書く人が少ないと思うのでここに記しておきます。
これは宮城県だけの現象ではないでしょう。



応募がすくないすくないと言っていますが、なぜすくないのでしょうか。
オレが思うのは、
・選者に魅力がないこと。まだ三年目のあたらしい公募なんだから、あたらしさを感じられるような人を置いたらいいのに。
・魅力的な賞品賞金がないこと。それなのに応募にお金がかかること。
・宣伝ももちろん足りない。
お金のかからない方法としては、宣伝用にツイッターアカウントをつくることを若い人ならすぐ思い付くのですが。
お金のかかる方法としては、過去の応募者に案内を送ることと、雑誌などに広告を載せること。これはもうやってるのかもしれませんね。



以上いろいろ書きましたが、オレはこの公募のために出詠料を払っているので、そのぶんは言わせてもらってもよいと思っています。いやむしろ、感想があればそれを言うことも含めて芸術祭への参加だとまで言ってもバチは当たらないでしょう。







そんなところに、良い知らせも入ってきました。


https://twitter.com/ikegami990/status/784971159511060480

▼11月26日(土)午後4時半より「せんだい文学塾」(仙台文学館)。講師は穂村弘氏(歌人・エッセイスト・評論家)「2016年短歌ノート」。大人2000円、学生半額。高校生以下無料。予約不要。https://t.co/sIzftiePjw 次回12月17日(土)の講師は野村進氏。

行きます!!!
これを希望にしばらくは過ごします。

予約不要となっているけど、URLからサイトにとぶと予約のためのアドレスと電話番号が書いてある。定員もある。なので、問い合わせてみることにしました。
「予約不要」を真に受けて当日入れなかったら悲しいですからね。


んじゃまた。






有料記事の宣伝。
汚染歌人
|mk7911|note(ノート)
https://t.co/57jUdAW2xN


続・汚染歌人~スパムと和尚編~|mk7911|note(ノート) https://t.co/9eztqMJfIs
500円で全ての記事が読めるnoteのマガジンです。歌人としてはほかに例がないようなことを書きました。


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mk7911 at 06:08|PermalinkComments(0)

2016年10月20日

{短歌の本読む 87} 「We」第2号  ~ひかりは光の速さで、ほか

cf6eaadc.jpg












「We」2号。


短歌と俳句の文学誌『We』創刊号を読む  ~垂直なる湖水面、ほか : ▼存在しない何かへの憧れ
https://t.co/YOarjBEo74

「We」についての説明は上の記事を参照。つまり半年に一回でている「短歌と俳句の文学誌」です。
2号では前号評のページがつきまして、ボリュームが増えています。
短歌は「塔」と熊本県の方たちが中心でありまして、オレも「塔」にいた縁で参加しています。

じつはオレはここで、俳句の評のページを任されていまして、一ページを担当しています。その関係で、こちらでの紹介は短歌のみとします。



唇をためらいながら見る夜にひかりは光の速さで進む/鈴木晴香「電話をする時はいつもひとり」
「We」の短歌の部の目玉が鈴木晴香さんだと言っていいでしょう。「特別作品」として自選20首がどーんと掲載されています。
体の一部を指す言葉が多く使われている一連であります。
光の速さがでてくることで、ためらい動けずにいるさまが際立ってきます。光は光らしくしていられるけれど、自分はそうではない。漢字とひらがなの使い分けも効果的です。



地球儀の北極に積む埃あり地軸回せば軽やかに浮く/北辻千展「景色をつぶす」
→地球儀の歌があると、つい丸をつけます。実際の面積の大きさと地球儀での大きさの違いが、二重のイメージを生み出します。
こちらの意志で地軸を回したり止めたりもできるのが地球儀です。



特老は入れば戻れぬ処なり父の便りの文字の乱れき/弟子丸直美「永遠を慕い、家族を愛でる」



夜半ふれしジャングルジムは風の獣 歩くよ、みんな頬を濡らして/浅野大輝「garden」

→ジャングルジムというと昼間に子供がわーわー言って登って遊ぶんですが、もうそういう年ではなく、夜に触れています。その形状から動物に見立てられています。ジャングルジムという獣は、骨ばかりで風が吹き抜けていきます。
夜のジャングルジムを吹き抜ける風に、いわゆるポエジーを感じます。

「歩くよ、」でジャングルジムが歩き出すようでハッとしますが、これは「みんな」が歩くのです。頬が濡れているのは、子供にはもう戻れないことからくる悲しみの涙なのでしょうか。



あかるさが恐ろしいのだあの人の 五本指ソックス履いていそうな/小川ちとせ「Les amoureux au-dessus de la ville」
→オレは五本指ソックスを履いたことないので、どんな明るさなのかちょっと想像できないんですが、想像できないところにまた恐ろしさがあります。
こないだユニクロに靴下買いに行ったら五本指ソックスがあり、この歌を思い出しました。これを履けば明るく恐くなれるかなと。



以上です。


今回から、取り上げる本の表紙を画像としてアップすることにしました。画像があるほうがブログが楽しくなりますし、読者の方がこのブログで取り上げた本に興味をもったときに探しやすくなるかと思います。あるいは、表紙の画像で読んでみたくなることもあるでしょう。



んじゃまた。


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mk7911 at 19:11|PermalinkComments(0)

2016年09月21日

ドリヤス工場「有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。」を読んだ

ドリヤス工場「有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。」を読んだ。

ドリヤス工場さんという方は、水木しげるそっくりな絵を描くことが話題のようだ。それが最初気になってしょうがなかったが、そういうもんだと思ったら慣れた。

名前だけは聞いたことあるけどなかなか手が出せない文学作品をたくさん読めた。よくわかんないのもあったが、まあ、また読んでみよう。

水木しげる風のショボクレた(古い言葉だ)人物やさびれた風景が、文学によく合っている。

「三四郎」の美禰子だけはキラキラした目で描かれていたのが印象的だった。

次に読んでみたい作家を探すのにも役立ちそうだ。

それよりなにより、水木しげるそっくりな絵ってところがオレには一番のインパクトだった。
誰かの作品にそっくりなものを描き続けるってどんなだろう。どんなプレッシャーを感じながら生きているんだろうと思う。

プリティ長嶋や、アントキノ猪木とかのことを思い出したりした。この人たちの場合は芸名がひとつの芸をしめしていて、まるで縛りがかかっている。みずから退路を断っている。







絵だけじゃなくて、中身のことをもうすこし。


25作品あるうち、知ってるのが12。半分くらい。

ひさしぶりに読んで、記憶になかったのが「人間失格」「舞姫」「イワンのばか」。初めて見るように楽しんだ。

「モルグ街の殺人」は味わいがほかと違っていて、トリックにおおいに関心した。

ページがやや多い「ドグラ・マグラ」はずば抜けたヤバさがあって、これはとくに気になる。




漫画にした時に地味なのもある。
「墨東綺譚」「蒲団」「たけくらべ」「浮雲」は、さえない。このような漫画にならないものこそ原作を読んでみたく思う。

果たして、漫画でじゅうぶん読んだ気分になるのと、原作にあたってみようと思えるのでは、どちらがこの漫画が成功したといえるだろうか。両方があった。



このシリーズはもう一冊くらいでてるようなので、そちらも読んでみたい。


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2016年07月29日

坂口安吾をいろいろ読んでみた

六月のはじめから、一ヶ月半ほどかけて集英社の日本文学全集全88巻のなかの「坂口安吾集」を読んだ。時代ものはどうも受け付けなくてとばしてしまった。
それについて折々にメモしてきたことをここにまとめておく。



坂口安吾を少しずつ読んでいる。
「風博士」「村のひと騒ぎ」はドタバタした漫画みたいな話。



「木々の精、谷の精」を読んだ。これはもっと真面目で、美しい女性が何人も出てくる。かわった少年もでてきて、謎の死もあり、陰影がある。


「勉強記」は珍しい言語を学ぶ学生の話。主人公が変わり者だと思っていたらだんだんキャラが弱くなっていった。



「古都」は碁会所をひらく男たちの話。出てくる男が人間のクズばかりで、大変すがすがしい。よかった!



坂口安吾「白痴」を読んだ。初めて読んだつもりだったが、途中で知ってる感じになったので、たぶん再読だ。再読だとしたら15年ぶりくらい。
空襲の描写に圧倒された。



坂口安吾「女体」を読んだ。
性欲や嫉妬が充満していて、なかなかオレの好みだ。

半端な終わり方だと思ったら、次の小説に続いている。

その続きである坂口安吾の「恋をしに行く」を読んだ。
はじめは信子という女性の性格やふるまいを読んでいたんだけど、急にエロ小説になった。ころげまわったとか十の字になって重なったとか書いてあり、どんなセックスなんだろうと思った。うらやましくなる。
肉体のない魂の恋のことを書きたいようだが、肉体の生々しさばかり印象にのこった。




坂口安吾の「青鬼の褌を洗う女」を何日もかけて読んだ。長くないしわかりにくくもないんだけど、なんだかんだで時間がかかった。

ひとつの女性の性格とか愛情の形を示した作品、ととりあえずはメモしておく。




坂口安吾「桜の森の満開の下」読了。

桜の木の下に死体が埋まってるってやつかなと思ったら、それは梶井基次郎で全然関係なかった。

まんが日本昔話みたいな話だけど、異様に血なまぐさいし、でもなんだか美しいところもあって、不思議な読後感だ。
ものすごく美しいけどわがままで残忍な女が出てきて、この女はなんだったんだろうと思う。これも桜の魔力と関係あるのか。
相容れない二人の関係がなんだかさびしかった。



坂口安吾「日本文化私観」読了。
古いだけの伝統には無頓着だと言いたいのかもしれないが、いろんな知らないものの名前が出てきて、よく知ってるなあと思った。




坂口安吾「堕落論」再読。戦争が楽園だというのが印象的だった。「偉大な破壊」という言葉で空襲が肯定されていた。

全体的にはよくわからなかった。さまざまな制度や拘束によって人間はかろうじて支えられているが、人はつねに堕ちていこうとしている。そのあわれさを言いたいのかなと読んだ。全然ちがうのかもしれぬ。
解説を読むと、どうやらこれが書かれた時代背景が重要らしい。




「青春論」読みおわった。坂口安吾の本はこれでおわり。
二十歳で死んだ、表情も言葉もない姪の思い出。
宮本武蔵の剣術の話がおもしろかった。死を恐れ生に執着した結果としてうまれた、なにがなんでも勝つための剣術。遅刻したり、早く来たり、準備していない相手の隙を見て攻撃したりする。場に合わせた「変」の剣術。
「生きることが全部」という結論。







以上。
これは「日本の文豪に読んだことない人がたくさんいるから読んでおきたい」ということで読んだ本。田山花袋につづいて二人目となる。

ところが最近は、昔の本より現代のものに興味がでてきている。現代の作家もほぼ誰も知らない。文豪読んでみたシリーズの継続はあやういところにある。


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mk7911 at 22:16|PermalinkComments(0)

2016年04月16日

田山花袋『田舎教師』を読んだ

田山花袋『田舎教師』読み終わった。
田舎の教師が文学や音楽での活躍を夢見ながら、絵や植物にも親しむが、けっきょく田舎の教師以上の何にもなれずに貧しいまま病死する。

遊郭で借金してまで遊ぶところが一番どきどきした。経済があやうくなるし、孤立していくし、あれが続けば大変だった。はやくダメになったのは幸いではないか。ここだけ輝いていたようでもあるけど。

友人が終始いて、まわりはみんないい人ばかりだ。いい人ばかりだから余計に結末が悲惨に見えるのか。貧しさに負けた。


病気ではやく死んだのが惜しくて、これさえ乗り越えられれば、これ以外では彼は彼なりに幸せだったようにも思うが、どうだろ。

戦争で勝ってると国内がどんなふうに喜びに湧くのかがわかった。
昭和天皇の誕生など、その当時のことがよく描かれていた。
仲間で明星に熱狂したり、短歌をつくったりもしていた。
「音楽の友」が出てきたのに驚いた。そんな昔からある雑誌なのか。



まあねえ。オレの短歌もなかなか一進一退で、うだつがあがらないからねえ。こんなふうに花咲かず終わるのかもなあと思うと、他人事ではない。田舎だし、貧乏だしねえ。



んじゃまた。


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2016年04月11日

田山花袋『蒲団』内容と感想

田山花袋『蒲団』を読んだ。
集英社の日本文学全集で読んだ。








《記憶であらすじを書く》

主人公の時雄という男は文学者。弟子入りを志願する女がいて、断ったが断りきれず、弟子となる。それが美しい女で、時雄は心を動かされる。

その芳子という女の弟子が、時雄の姉の家に寝泊まりするようになる。のちに時雄の家の二階に住むようになる。時雄には妻子がいて、水面下でギスギスする。


芳子と恋仲の田中という男が芳子を追いかけて勝手にやってくる。そして芳子と会うようになる。時雄は嫉妬に苦しむ。酒を飲んで、そとで寝転がったりしている。
田中を追い返そうとしてみるがうまくいかない。時雄は芳子の父を召喚するなどし、二人に圧力をくわえてゆく。

芳子と田中に肉体関係があったことがわかり、芳子は父に連れられ志なかばにして郷里に帰される。
時雄は芳子の使っていた蒲団を出して香りに包まれて泣く。おわり。






「ハイカラ」とか「惑溺」という言葉がよく出てきた。一部始終を「一伍一什」と書いたりする。

いろいろ古いと思ったよ。
文学の師弟のあり方がまず古い。弟子が当然のように師匠と一緒に住むというところ。今はなかなかそういうことはないでしょう。

女性の地位。妻の台詞があまりない。特別おとなしい性格というわけでもないようだし、妻は夫に意見しないのが一般的だったのか。とにかく妻子に存在感がない。芳子との仲をはばむ壁でしかない。

芳子のことにしても、女だから女だからという書き方が目だった。
手紙を勝手に見たりするのはどうなのか。いくら弟子でもそこは「引く」というか、軽蔑の感情が湧いても仕方ないところだと思うんだが、プライバシーについての考え方が違っているんだろう。

時雄のように感情的になって外で寝転ぶのは、ちょっと芝居がかって見えるが、普通だったんだろうか。

あとは肉体関係についてで、それがあるとかないとかが進路に決定的な影響を及ぼすというのが、古い物語だなと思う。






そういういろんな現代との違いを一旦受け入れたことにして読む(っていうかあんまり気にしてたら読めないので)と、人間関係が面白い。恋のかけひきが面白い。結ばれようとする者と、それを阻む者の力比べに興味をもった。田中や芳子の父の人物描写もよい。

最初から男女のいざこざが出てきて、最後までいざこざの話だった。
体言止めのせいか、スピード感があった。ぶっきらぼうな文だ。
おもしろかったなあ。
ピュアな話のようで、どす黒くって。


以上。


これで、以前まとめた「ネットでよく紹介されている日本文学の名作74」 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52162839.html
のうちの一つを消化した。74作品のうち29作品を読んだから、残り45作品になった。
せっかく田山花袋の本があるわけだから、ほかのも読んでおこう。


んじゃまた。


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2016年04月05日

【まとめ】ネットでよく紹介されている日本文学の名作74【定番】

ネットで調べてまとめた日本文学の名作
文豪36人による日本文学の名作74/定番中の定番44作


日本文学必読の100冊とか50冊みたいなリストがあるといいな、それを塗り潰しながらマラソン的に読みたいなと思った。そんな一覧がないか調べたけど、ネットのはどれがいいのかよくわからない。その人の好みも入っているだろう。
オレは複数のサイトで紹介されている作品ならば、名作である可能性は高まると考えて、該当する作品をまとめることにした。

以下の六つのページを参考にさせていただいた。


〈1〉
「あらすじ300文字」で味わう日本の名作文学 - NAVER まとめ
https://t.co/o3QQ52zNaC
40作くらいが紹介されている。

〈2〉
日本文学100選(現在58作品)【LITECO】 - NAVER まとめ
https://t.co/eja03gGuTo
投票で決めているのがおもしろい。しかし、未完成なうえ、半分くらいが「2票」だ。2票では不安だなあ。

〈3〉
日本文学50選
https://t.co/JwX3RBMN4V
紹介があっさりしている。古めかしいデザインのページ。

〈4〉
普段本を読まないひとのためにおすすめの日本文学 【日本文学入門】
https://t.co/k8mGDuvP2r
28作くらい紹介されている。

〈5〉
日本文学トップ80
https://t.co/ql5G2fApEs
思いも綴られていて、なかなか熱い。

〈6〉
DS文学全集 Wikipedia
https://t.co/XcOktDsvDj
ニンテンドーDSから出ている「DS文学全集」の収録作品一覧。



1.検索上位にでてくる
2.日本の明治から昭和の文学が中心
3.二十作以上紹介している

に該当するのがこれらのURL。
六つのまとめを貼ったけれども、そこで紹介されているなかで、二つ以上のまとめで登場した作品を「時代を越えて今も愛読されている日本文学の名作」と考えることにした。

そして登場回数をチェックする集計作業を行った。

それがちょうど50になれば「必読!日本文学50選」になるし、
それがちょうど100になれば「決定版!日本文学100選」になる。
だが実際は36人の作家による74作品がそれに該当する結果となった。半端だ。







検索して上のほうに出てくる六つの日本文学まとめのうち二つ以上のまとめに入っている、以下の36人の作家による74作品を、「今も読まれている日本文学の名作」と考える。そしてこれからの読書の参考とする。

さらに!六つのまとめのうち三つ以上のまとめに入っている26人の44作品は定番中の定番として赤文字にする。


〈日本文学の名作74/日本文学の定番中の定番44



【1】夏目漱石
1.坊っちゃん
2.こころ
3.吾輩は猫である
4.夢十夜
5.草枕
6.三四郎
7.それから


【2】森鴎外
8.舞姫
9.高瀬舟
10.阿部一族

11.山椒太夫
12.最後の一句

【3】太宰治
13.人間失格
14.斜陽
15.女生徒

16.走れメロス
17.富獄百景

【4】芥川龍之介
18.蜘蛛の糸
19.杜子春
20.羅生門
21.鼻
22.河童
23.地獄変


【5】宮沢賢治
24.銀河鉄道の夜
25.注文の多い料理店

【6】谷崎潤一郎
26.春琴抄
27.細雪
28.刺青

【7】泉鏡花
29.高野聖
30.眉かくしの霊
31.婦系図

【8】横光利一
32.機械

【9】二葉亭四迷
33.浮雲

【10】樋口一葉
34.たけくらべ
35.にごりえ


【11】川端康成
36.雪国
37.伊豆の踊り子


【12】堀辰雄
38.風立ちぬ
39.美しい村

【13】梶井基次郎
40.檸檬

【14】遠藤周作
41.沈黙
42.海と毒薬


【15】井伏鱒二
43.山椒魚

【16】中島敦
44.山月記
45.李陵

【17】田山花袋
46.蒲団

【18】石川啄木
47.一握の砂

【19】有島武郎
48.生まれ出づる悩み
49.カインの末裔

【20】菊地寛
50.恩讐の彼方に
51.藤十郎の恋
52.父帰る

【21】志賀直哉
53.城の崎にて
54.清兵衛と瓢箪

【22】国木田独歩
55.武蔵野
56.牛肉と馬鈴薯

【23】三島由紀夫
57.金閣寺
58.潮騒


【24】島崎藤村
59.破戒
60.夜明け前

【25】高村光太郎
61.道程
62.智恵子抄

【26】開高健
63.裸の王様

【27】林芙美子
64.放浪記

【28】山本有三
65.路傍の石

【29】坂口安吾
66.桜の森の満開の下
67.堕落論

【30】安部公房
68.壁

【31】幸田露伴
69.五重塔

【32】尾崎紅葉
70.金色夜叉

【33】伊藤左千夫
71.野菊の墓

【34】倉田百三
72.出家とその弟子

【35】小林多喜二
73.蟹工船

【36】武者小路実篤
74.友情


ほかに、名前は複数回出たがひとつの作品が二回以上登場することのなかった作家に

井上靖
室生犀星
野間宏
夢野久作
大岡昇平

がいる。








集計を終えて。

なるほど聞いたことある作家やタイトルばかりで、そうそうたる顔ぶれだ。

さっき貼った六つのサイトのなかの「50選」は10作くらいが他の5サイトに含まれていない。けっこう独自なチョイスをしてるサイトだとわかった。
逆に「普段本を読まないひとのためにおすすめの~」 には、そこでしか出てこない作品がなかった。
「トップ80」は文章からして個人的な思い入れの強いのがわかるが、かなり広範囲に読んで選んでいることから信用できると踏んでいる。




ここへ来た方のなにかの参考になっただろうか?

自分が何冊読んだかを数えてみるのもおもしろいかもしれない。オレは今の時点で74作のうちの28作を読んでいる。達成率38%だ。これから上げていきたい。


ここは普段は短歌のことを書いているブログです。短歌もおもしろいですよ。

んじゃまた。


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2016年03月29日

トーマス・マン『魔の山』内容と感想

2/28

トーマス・マンの「魔の山」を読みはじめた。けっこう読んだがまだ5%。


主人公のカストルプは三週間だけの療養のために山のサナトリウムへ行く。そこにはいとこヨアヒムもいる。

だけどフラグというか、嫌な予感がいろいろとあって、すんなりとは出てこれなさそうだな。
いとこはいつまでもサナトリウムから出れないし、おぞましい咳は聞こえてくるし、医師は妙な態度で接してくる


二章の、祖父と洗礼のエピソードがよかった。
オレは祖父母には数えるほどしか会ってないし、曾祖父母のことになると文字通りなにひとつ知らないし、家系をさかのぼることができない。こうして何百年もさかのぼれるのをいいなと思う。



2/29


トーマス・マン『魔の山』10%ほど。
主人公カストルプはサナトリウムでの最初の夜を過ごした。隣の部屋で日夜猥褻な物音がすごくてカストルプはうんざりする。
食事のたびに食堂に人が集まる。そこで多くの登場人物の様子が描かれる。

医師ベーレンスと初めて会い挨拶する。ベーレンスはおしゃべりで、カストルプの貧血を指摘する。安静と、毎日の検温をカストルプに申し渡す。
「患者となるのにも才能を要しますからな」「検温はなんの副作用もありませんからな」「せいぜいご愉快にね」

山道で散歩しているとすれ違った女性からひゅうっと奇妙な音がしておどろく。これは肺からそういう音を出していて、人を驚かしている。
「片肺クラブ」と称する患者たちのグループがある。

アクの強いキャラがいろいろ出てきてにぎやかになる。
イタリア人紳士ゼテムブリーニはおしゃべりな文学者で毒舌。患者を退院させない医者のやり口の一部始終、婦長のうわさ。
気難しく無口で重病のブルーメンコール、言い間違いばかりしているシュテール婦人ほか。

主人公の様子がだんだん変化してくる。好きだった煙草が旨くなくなってきて、朝が起きられなくなり、舌がもつれ、心臓の鼓動に違和感がでてくる。寝ることが楽しみになってきている。

健康的で前途洋々といった主人公だったが、100ページでだいぶ変わってきた。まだ先は長い。

長い小説を読んでいて面白いのは、途中でなにかもかも解決してしまうときだ。まだまだページはあるのにここでうまくおさまってしまったら、この先どうするんだ? と変な心配をしてるのが楽しい。
こんな速いペースで悪化していくとカストルプ君は一体これからどうなってしまうのか、心配だが楽しみでもある。

逆に、いろいろ危ないまんまで最後の方まできちゃって、残りわずかなページでどう終わらせるのか心配するような面白さもあるか。


3/8


トーマス・マン『魔の山』30%。
患者らの集まる場所でナイフを見せたり銃を見せたりして死ぬ死ぬなどと言うアルビン氏の騒ぎ。
いとこのヨアヒムは「ああいうおしゃべりが大概の人には結構な気晴しとして歓迎されているんだよ」と冷静。

おしゃべりのイタリア人ゼテムブリーニはたびたび登場してカストルプに色々なことを教えたり議論する。
山の天気は不安定で夏にも雪が降る。

カストルプはショーシャ夫人という患者に好意をもちはじめる。かつて好意をよせていた少年・ヒッペと同じ目をしていることに気づく。ヒッペから鉛筆を借りたことが幸せだったという思い出。

同じ作者の『トニオ・クレーゲル』も『ヴェニスに死す』も主人公の男性が同性を愛するのだった。ここでもでてきた。

医師クロコフスキーは定期的に講演をしている。愛をテーマにした講演。
「病気の症状は、仮面をかぶった愛の活動であり、一切の病気は、変装した愛にほかならない」

こうした講演にもゼテムブリーニの話にも、カストルプは頭の中で慎重に考える性格。自分と異なる考えを知るために他者に近づくこともする。

院長ベーレンスの過去。ベーレンスがこの山で妻を亡くしている。自身も患者たちと同じ病の経験があるというエピソード。

カストルプはショーシャ夫人に好意をいだいていて、そのことが細かく書かれる。夫人にいいところを見せたがる。
いとこのヨアヒムはマルシャという女性が好きだが強くその気持ちを抑制している。

ゼテムブリーニの祖父や父のことが書かれる。祖父は政治的な活動家だったという。常に喪服を着て過ごしたという。
カストルプの祖父も喪服を着て過ごしたという共通点があるが、その理由は異なっていた。

カストルプが山を下りる期限の三週間が迫ったが、彼はひどい風邪をひく。念のために診察を受けるが、これが入院の必要のある病気とわかる。
彼は山に残ることになる。

まあそれは大体予想できてたけど。1000分の240ページで彼は入院患者の仲間入りとなった。
院長「私は実はひと目で、あなたがそこの旅団長閣下以上に立派な患者さんで、病人としての才能があることを見抜いたのです。検温器の線が二、三本下るとすぐに帰りたがるひとよりもですな」

カストルプはべつに驚くこともなく、引き続きのんびりと山での生活をする。いい食事は出るし、音楽会などもあり、意中の人もいて、不満はなさそう。

ゼテムブリーニ「ご存じでしょうが、一度ここで暮したことのある者は、ここを『故郷』と呼びます」

時間感覚についての章があるが、ここは特殊な時間感覚だ。
時間の最小単位が「月」だと患者たちは言う。二時十五分はほとんど三時。カストルプもヨアヒムも、その日の正確な日付を知らない。演奏会があるとその日が日曜とわかるような生活。

レントゲンをとる描写がある。こまかい。その手順を見ると、今とあまり変わらない。
19世紀のものばかり読んできたし、世界文学全集でレントゲンを見るのが新鮮だ。

院長「板を抱いて。なんならそれを何か別のものと空想されても結構。そしてうっとりしたように胸をぴったりつける。そう、その通り。息を吸い込む。吸い込んだままださないように」

レントゲン写真を見て、驚いたり、科学の勝利だと言ってはしゃいだりしている。

ショーシャ夫人との話がこまかい。カストルプがショーシャ夫人にたいして聞こえよがしにしゃべったとか、ショーシャ夫人が眩しがってるからカーテンをしたとか、山道で挨拶したとか、すごくこまかいことにカストルプは有頂天になっている。
こういう恋をしたことがあるなあと思い出した。

ショーシャ夫人が院長の趣味の油絵のモデルになっているという噂に、カストルプはひどく動揺する。


3/10


「魔の山」の前半がおわった。世界文学全集2冊にまたがっている小説の、世界文学全集1冊を読んだ。

それにしてもこういう作品をひとつ読むのは膨大な時間をついやすことだ。その間に他のいろんなことができた、その可能性のなかからこれを選びとっているんだなあと。

たびたび出てくる文筆家ゼテムブリーニは長い台詞で主人公にからんでくる。
ゼテムブリーニは、自分の取り組む仕事をそっとうちあける。彼は「進歩達成国際連盟」がつくる『苦悩社会学』という叢書にかかわっている。考えられるかぎりの人類の苦悩をすべて列挙し分析する本。

ゼテムブリーニの、人類の苦悩を解消するための執筆は山のサナトリウムでもできるが、主人公カストルプがこころざす造船の仕事は低地でしかできない。君は山を降りるべきだ、と文筆家は忠告する。

「この泥沼、この魔女の島からお逃げ下さい。オデュッセウスではあるまいし、あなたがここで無事息災に安住できるはずはない。そのうちに四ん這いになって歩きだしますよ、もう前脚が地面につきそうだ、間もなくブウブウ鳴きだすでしょう。」
しかし、カストルプは病気を理由に拒否する。

カストルプは院長ベーレンスの描いたショーシャ夫人の絵を見たいがために、絵が好きだなどといって院長に近づく。院長は気をよくして彼を家に招き、絵を見せる。
ショーシャ夫人の絵はあまり似ていなかった。

カストルプは何百字ぶんもお世辞を言って院長からショーシャ夫人のことを聞き出そうとする。話は医学的な分野に流れていく。
彼は「生命とかなにか」といったことに関心をもち、読書する。その中身が長々と書いてあった(が、むずかしいから読みとばした)。

山にもクリスマスがきた。その後、なじみの患者の一人が亡くなる。
それをきっかけに、カストルプは重症患者や危篤患者に接近するようになる。匿名で花やメッセージを送ったり、時には見舞ったり世話をするようになった。

それらの行為は重症の患者たちやその家族を大変よろこばせた。
そのなかでカーレンという少女と仲良くなり、スポーツや映画の観戦などをした。墓地にも行った。

謝肉祭になると療養所のなかでも仮装や遊びでにぎわう。
院長が提案した、よそ見をしながら豚の絵を描くという遊びに患者たちが熱狂する。
熱狂のどさくさでカストルプはショーシャ夫人に話しかけることに成功する。

カストルプは夫人に想いを打ち明ける。夫人は軽やかにかわし、明日ここを出発すると告げる。前半おわり。

「ヴェニスに死す」は主人公が美少年にほぼ話しかけずに終わった。「魔の山」も、見かけたりすれ違ったりの恋愛だった。よく話せたな。
話しながら感情があふれだす様子が、とてもよかった。


3/24


春になると患者のなかに、無茶をして療養地を出ていく者があらわれる。
軍人として活動したい欲求のあるヨアヒムは、長引く入院生活に業を煮やし、山の療養所からの下山を計画する。
カストルプは植物学や天文学に興味を持つ。

ゼテムブリーニの論敵であるラテン語教師ナフタの登場。顔の醜さがしきりに描写されている。二人は常に議論している。議論が多くて読むのがしんどい。カストルプはナフタに興味を持ち議論に加わる。
ナフタはイエズス会士でゼテムブリーニはフリーメーソンであると明らかになってくる。

約500ページある下巻の100ページでヨアヒムが下山する。一方でカストルプは山を降りてもよいと言われるが、慎重を期し入院生活を続ける。

カストルプの故郷から叔父ティーナッペルが彼を迎えにくる。連れ戻しにきたのだ。ティーナッペルはみるみる療養所の雰囲気に飲まれてしまい、カストルプを連れ帰るどころか院長に「高度の貧血」を宣告されてしまう。来てから一週間後にティーナッペルは帰った。

雪。カストルプは療養所の患者に本来は禁止されているスキーを楽しむ。
ある時無茶をして遠くに行き、悪天候にあい帰れなくなる。小屋で居眠りし、そこで美しい夢を見る。夢からさめると天候が回復していて、なんとかカストルプは帰ることができた。
このあたりはハラハラしておもしろかった。スキー板が「長々しいスリッパ」と描写されている。

下山していたヨアヒムが療養所に戻ってきた。よく「むせる」ようになり、徐々に悪化していき、ついにヨアヒムは亡くなる。無神経な看護婦、不気味な葬儀屋。

ここまでで下巻250ページ。4分の3おわり。


3/29


年配のオランダ人、メネール・ペーペルコルンという人物が登場する。帰ってきたショーシャ夫人と一緒にきた。
ペーペルコルンは王者的な人物で、話がたどたどしくて無内容でも、これといった行動がなくても、周囲を感動させたり、コントロールすることができてしまう。

カストルプは、ショーシャ夫人が男を連れていたことにショックを受けながらも、ペーペルコルンの「人物」に魅了される。宴会のエピソード。
(このあたりは読んでいて退屈だった。)

論敵同士のゼテムブリーニとナフタであったが、ペーペルコルンが居合わせると議論が盛り上がらなくなる。周囲も議論への興味を失う。

ショーシャ夫人とカストルプは話す機会が増え、キスするに至る。
ショーシャ夫人のことについてカストルプとペーペルコルンが話し合いをもち、握手と乾杯に終わる。

後日、数人での馬車での外出。同じくショーシャ夫人に恋するヴェーザルという男がカストルプに苦悩を滔々と話す。
ペーペルコルンの意向により、滝で食事をする。滝の音で聞こえないなかでペーペルコルンはなにか話をする。
その夜、ペーペルコルンは自殺した。

カストルプは無感覚な日々を過ごした。
療養所では写真が流行り、切手の収集が流行り、眼をつぶって絵を描く遊戯が流行る。
パラヴァント検事は円周率の計算にのめりこむ。

円陣を作って、その中のひとりが隣りの者に英語で「あなたはナイト・キャップをかぶった悪魔を見たことがありますか」ときくと、きかれた者は「いいえ、私はまだナイト・キャップをかぶった悪魔を見たことがありません」と英語で答えて、同じ問いをまた次ぎの者に繰り返し、こうしてこの問答が際限もなくぐるぐる回るという遊戯である

カストルプはワクチン療法やトランプ占いをやりだすが、療養所に蓄音機が来てからは蓄音機の管理や再生をする係となる。
カストルプはアイーダ、カルメン、菩提樹などを好んだ。



エレン・ブラントという霊感のつよい少女がいる。医師クロコフスキーはこの少女の霊的能力を引き出そうとする。
エレンにはホルガーという青年の霊がついている。

これに興味のある何人かがエレンを中心に「こっくりさん」をする。これによりホルガーのことがあきらかになってゆく。ホルガーが詩人であることや、その詩など。
この時、参加していたカストルプも、部屋に置いておいたはずの写真が膝に乗っているという不思議な体験をした。

ゼテムブリーニの注意もあり、しばらくカストルプはエレン達から距離をおく。
だが、エレンが死者を呼び出すことができると聞いてカストルプは再び集まりに加わる。彼はいとこのヨアヒムに会いたかったのだ。

降霊の儀式のなかで、カストルプはエリーの体を押さえておく役目になる。エリーは体を痙攣させるなどして青年ホルガーを呼び出す。
二時間かけて、ついにヨアヒムが現れた。カストルプは電灯をつける。ヨアヒムはいない。そのままカストルプは部屋を去った。



療養所の人々は喧嘩癖がついてきた。
軽い症状の女性患者が喧嘩をきっかけに悪化し亡くなる。
おとなしかった学生が食事に激しい悪態をつく。
ユダヤ人否定に人生をかけているヴェーデマンという男はユダヤ人ゾンネンシャインと恐ろしい取っ組み合いをする。
ポーランド人たちが名誉毀損で訴訟をする。
ナフタとゼテムブリーニの言い合いは激しさを増す。

ナフタ「進歩? いや進歩などというものは、しょっちゅう寝床を変えてみて、それで病気が軽くなると考えているあの病人どもの考えることである」

ナフタのおしゃべりをゼテムブリーニがやめさせようとしたのがきっかけでピストルでの決闘に発展する。カストルプは立会人となる。
ゼテムブリーニは空に向け撃ち、ナフタは自分のこめかみに撃ち、決闘は終わる。


カストルプは療養所に七年いた。

世界大戦が起こり、療養所は混乱する。カストルプは低地への列車に乗った。

森の中で、「菩提樹」を口ずさみながら戦友と進軍するカストルプがあらわれ、走り去ってゆき、物語は終わる。

退屈しながら少しずつ読んだ本だったが、最後の10%は素晴らしかった。


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mk7911 at 13:44|PermalinkComments(0)

2014年09月29日

小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』を読む【16】文学者の短歌  ~萩原朔太郎、中原中也ほか

最後は「文学者の短歌」。8人の短歌以外の文学の人の短歌もあるのでそれを見ます。
11首ずつある。なんか半端だ。


我(われ)といふ大海の波汝(なれ)といふ動かぬ岸を打てども打てども/森鴎外


日一日けふも事なしこもりゐて何ともわかぬ壁の色見る/森鴎外

→この壁の色がその日をあらわす色みたい。



一人目が森鴎外だった。二人目の柳田国男はとばす。三人目は高村光太郎。



はだか身のやもりのからだ透きとほり窓のがらすに月かたぶきぬ/高村光太郎
→近いやもり、遠い月。裸であるのはどちらも同じだ。



次の萩原朔太郎は三つも丸ついた。よかった。



死なんとて踏切近く来しときに汽車の煙をみて逃げ出しき/萩原朔太郎
→汽車の煙は距離があっても見えるだろうね。思い止まった、ではなく、逃げ出した。自殺をやめる以上のなにかがありそうだ。汽車の煙に何かを見出だしたのだろうか。


行く春の淡き悲しみいそつぷの蛙のはらの破れたる音/萩原朔太郎
「いそつぷ」に傍点。


吉原のおはぐろ溝(どぶ)のほの暗き中に光れる櫛の片割(かたわれ)/萩原朔太郎
→「おはぐろどぶ」って語感がすごいなと思って調べた。

おはぐろどぶ [4] 【御▽歯黒溝▽】
〔遊女が御歯黒を捨てたことからとも,汚水が黒いための連想からとも〕
遊女の逃亡を防ぐため,江戸新吉原遊郭の周囲にめぐらした溝。おはぐろぼり。


逃亡しようとして落とした櫛なのか、果たして逃げおおせたのか、といったことを想像する。



職業なきをまことかなしく墓山の麦の騒ぎをじっと聞きゐたれ/宮沢賢治


物はみなさかだちをせよそらはかく曇りてわれの脳はいためる/宮沢賢治


十日あまり病みゐる妻に林檎を買ふ考へてまた子等に買ひ足す/加藤楸邨




残り二人。中原中也も三首。おもしろかった。

菓子くれと母のたもとにせがみつくその子供心にもなりてみたけれ/中原中也
→そうなんだよなあ。どんな感じだったのか、オレはもうおもいだせない。自分で勝手に買うのに慣れすぎてしまったし、ものをくれというのが恥ずかしい。

腹たちて紙三枚をさきてみぬ四枚目からが惜しく思はる/中原中也
→なんかかわいいと思ってしまう。気がすんできたんだろう。
啄木も怒るたびにものを叩き割る歌をつくっていたなあ。「ものにあたる歌」ってそういえば現代であまりみかけない気がした。


猫を抱きややに久しく撫(な)でやりぬすべての自信滅び行きし日/中原中也
丸つけた時には気づかなかったけど、啄木の妻に花を買う歌に近いな。猫のほうが平凡だが、オレもやるんで親近感がある。



この河馬にも機嫌不機嫌ありといへばおかしけれどもなにか笑へず/中島敦
→「河馬」でカバ。どんくさくて怒ってる感じがしない、そういう人間もいるからなあ。


象の足に太き鎖見つ春の日に心重きはわれのみならず/中島敦
→春なのにどこにも出掛けられない象。太い鎖は罪を連想させる。「われ」以外の心重い者とは、この象か。
さっきのカバの歌もそうだけど、動物に感情が入っている。



というわけで、小高賢編著『近代短歌の鑑賞77』は終わり。長かった。これで『現代短歌の鑑賞101』『現代の歌人140』『近代短歌の鑑賞77』がすべておわった。


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mk7911 at 06:48|PermalinkComments(2)

2012年04月05日

ドストエフスキー「地下生活者の手記」内容と感想

ドストエフスキー「地下生活者の手記」再読した。記憶していたのとだいぶ違った。記憶ってあやふやだなあ。今回は今回で非常に面白く読んだ。高慢だが一貫性がなく、実行力があるのかないのかわからないねじれた様子が面白い。




前半の哲学めいた部分では、人間の非合理的な部分の強さを訴える。後半は風俗嬢に説教する場面は覚えてたが、それ以前を忘れてた。背の高い男に一方的に侮辱を感じ、計画を立てて「対等にぶつかってやろう」とする話。招かれないパーティーに押しかける話。



背の高い男にぶつかっていく話は、主人公が小さなことをいちいち気に病む性質を描く。もっと実生活でいろいろ経験してれば、どうってこともなく我慢できると思うんだが、彼には一大事のようだ。いつも大男に道を譲ってしまう主人公が、ちょっと肩をぶつけて満足する。


呼ばれないパーティーに押しかけるエピソードは、意地になって引くに引けなくなる性質を描く。自分のプライドの満足を最優先にした結果、パーティーの雰囲気を壊し干される。嘘でも愛想よくしてれば良かったのに。自分が活躍する妄想をして、その通りにしようとして失敗する。



理由のない優越感があるんだろうな。オレは幼稚園のころに「自分は漢字が書けるからこいつらより絶対的に偉い」って思ってた。この主人公が「ひとかどの人物」っぽく振る舞おうとする気持ちはよくわかる。



「理由のない」というより「独りよがりな、思い込みによる」優越感。






そして風俗嬢に説教するクライマックスだ。事が済んでからこれだけしゃべってるのが不思議だが、ロシアはこうなのか?

妻も子供もないくせに、娼婦に家庭の幸せを説く。反応が気にいらず、次は、老けて独りで死ぬ娼婦のみじめな末路を見てきたように説く。



これが功を奏するのだから、主人公の弁舌もたいしたものだ。女に住所を渡す。しかしすぐに女が邪魔になる。
「今の仕事から足を洗いたい」と訪ねてきた女を襲って金を渡して帰らせる。女を追いかけようか迷うが、やめて帰宅。お疲れさまでした。



「毒をくらわば皿まで」の傾向が強い。悪い方にいくと、徹底的に落ちていこうとする。そして、自己承認欲求と自尊心がぶつかり合って行動がちぐはぐになる。一種の真面目系クズなんだろうが、現実離れした部分もあり、そんじょそこらのクズではない。



このヤケクソ感、後ろ向きに走る力のハンパなさがたまらない。異様な登場人物達にオレの中の何かが呼応する。ドストエフスキーは全集で全部読んだけど、主要な作品はまた読みたい。





 



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mk7911 at 14:57|PermalinkComments(0)