短歌年鑑

2016年12月12日

「角川短歌年鑑」など七つの話題【2016.12.12】

話題は七つ。大きいほうからいこう。




▼1



角川短歌年鑑を読みに行った。オレの行動範囲には十件ほど本屋があるが、一件にしか置いてない本だ。

オレの歌は二首載ってる。題詠秀歌の「微笑み」「記憶」。
角川歌壇は特選をとれなかったので載らない。今年のオレの角川歌壇は佳作四首に終わった。毎月買ってたわけでもなく、四回しか買ってなかった。


角川歌壇は特選にならないと年鑑に載らない。題詠は採用されれば年鑑に載る。
倍率で考えると

・角川歌壇
応募約1500通のなかの24首が特選
ただし複数の選者が特選に選ぶ歌もあるので24首よりも少なくなる可能性がある。▽1500分の24-x
・題詠
応募?通のなかの33首が採用。題がある難しさや選者の人気を考えると1500よりも少なくなると予想できる。▽1500-x分の33
……というわけで、年鑑に一首でも載りたいという希望があるならば題詠のほうが門が広い。
ただし題詠は文字が小さく、角川歌壇にはベスト20として大きく載るチャンスがある。

ついそういう計算をしたくなるんだが、計算が好きなのであって、年鑑に載りたいという希望はオレのなかでそこまで大きくなかった。




角川短歌賞のあたらしい選考委員は永田和宏さんと伊藤一彦さんか。米川千嘉子さんと島田修三さんが抜けて、小池光さんと東直子さんは継続。刺激は薄まるがおだやかになるようなイメージがある。さてどうだろう。



歌人アンケートで選ばれた今年の歌集の一位が斉藤斎藤さんでも鳥居さんでもなく小島ゆかりさんだったのも印象的だった。二位が島田幸典さんだし、「派手さはなくても良いものを」という方向だろうか。



座談会おもしろかった。
その場にいない小池光さんの存在感が大きい。小池さんに直接語ってもらうとか聞くとかする企画があればいいのにと思った。「頑固親父を演じてるんですか」って。あるいは小池・服部対談とか。往復書簡みたいに何ヵ月もかけてやりとりするのもいいな。今度アンケートハガキに書こう。願うのはタダなので。

世代間の差に関して「話せばわかる」っていう意見が印象的だった。




▼2


12/5
日記によるとちょうど一年前に工藤さんが歌広場さんにフォローされて、翌日NHK短歌で一席をとって、しかもそれが後日年間大賞になって、あれは神ってましたよね!

と、きつね @001kitsune さんがツイートしていた。

オレもそう思う。

2014年に短歌研究新人賞候補からの新進気鋭の歌人たちがあって「あーこれがオレのピークだろうなー」って思ってたんだけど、2015年から今年にかけてもそういう山があった。
角川短歌賞を予選通過したが、山というほどにならなかった。作品を公開するタイミングや方法によっては山になったんだろうか。わからない。

来年もなにかあるといいわねえ。

このあと決まっているのは、ある雑誌に歌集評が載るのと、ある短歌大会の最終選考にのこったということ。



▼3



「tankaful」をチェックしていて、高木佳子さんの記事が印象的だった。

11月に思うこと・自分の文体を
http://seabottle.blog103.fc2.com/blog-entry-266.html?sp

喝を入れられた。ヒーッと思った。こういうことを言える人はツイッターにいない。あるいは、いても影響力を持たない。
「短歌をやめる可能性」発言のことだ。
オレは発言自体は特に問題視しないという立場で、Twitterでは特になにも言わなかったけど、読者の限られた有料マガジンでは記事にした。

角川短歌賞選考会での「短歌やめる可能性あるよね」発言、ほか|mk7911|note(ノート) https://note.mu/mk7911/n/n3757b2d42b40

あのときTwitterでさわいでた人たちは高木さんの記事を読んでどう思うかきいてみたい。



▼4



短歌をすこし作った。
オレはもう作れないんじゃないか、行き止まりじゃないか、といつもいつも思いながらなんとか作っている。



▼5


工藤吉生の短歌bot @mk7911_bot で流れる自分のむかしの歌をバッサリ切りたいが、ほめてもらってうれしかった記憶があって切りづらい。
今はほめられてもどうってことないけど、はじめのころはうれしかったし支えられた。

ひとつ削りふたつ削りしていくと自分にはなにも残らない気がしてくる。
それでも平均レベルが落ちるのはいやなので、削りたい。最初のほうの歌だけ読まれてつまらない歌人だと思われるのはいやだ。「はじめたばかりのころの作品です」なんて言い訳したくない。

そう思ってはじめの300首から5首を消して5首を直した。
どこかで選ばれたものには手をつけない。



▼6


糸井重里さん @itoi_shigesato
が、こんなツイートしてる。
https://twitter.com/itoi_shigesato/status/803667922170195969?s=09

「おれは、あんたが気に入らないんだ」という人に、「気に入ってくださいよ」とか苦労してるひまはない。「気に入らない」が、すべての前提なんだから、なにをしても無駄だと思ってる。
「気に入らない」とか言わない別の人たちと、やりたいことをやっていくだけで十分だ。


そういうことだわな。



▼7


水の門
http://blog.goo.ne.jp/bgmfact
という全然知らないブログにオレのブログがリンクされていた。本文では一言もオレやオレのブログのことは書いていないようだ。
リンクは歓迎。入り口は多いほうがいい。ただし、こちらからはトップページに他のサイトへのリンクを貼ったりはしない。つまり相互はしない。



▼宣伝


神明の巨眼|mk7911|note(ノート)
https://t.co/uyZobQzpsB

朝焼け・前編【1997年7月】|mk7911|note(ノート)
https://t.co/XSIUUVHgQT
有料マガジン更新。500円ですべての記事が読めるマガジン。
高校生のころにノートにボールペンで書いた文章。
今読むとちょっと甘酸っぱい。




工藤吉生のさらなる情報はこちらから。

https://t.co/5exgnovT24


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mk7911 at 09:12|PermalinkComments(2)

2016年11月22日

「短歌研究」2017短歌年鑑  ~アンケートハガキとともに

「短歌研究」2016年12月号は2017短歌年鑑ということで分厚くなっている。
2016年を振り返るのが2017短歌年鑑なので少々ややこしいが、毎度のことだ。

昨日はその短歌研究年鑑の発売日だった。いつも置いてる本屋になくて四件もまわってしまった。
「こういう面倒を避けるためにこのあいだまでは定期購読してたんだよな」と思い出した。


2012年の暮れに短歌研究詠草で準特選になった。それからしばらくした2013年に短歌研究年鑑の名簿に載せてもいいかという郵便がきて、それから載せてもらっている。



▼年刊綜合歌集

年鑑のなかの「年刊綜合歌集」というのに毎年三首載っている。毎回「短歌研究」に載ったものから選ばれている。
今回は、新人賞予選通過の二首に、短歌研究詠草の準特選(四年ぶり)のときの一首がくっついて三首掲載となっている。こんな混ぜかたがあるかい、と思った。
何人がこのギッチギチに詰め込まれた一万首のなかのオレの短歌を読むのか。以前企画ですべて読んだことはあるけど、今はちょっと……。


▽2013年は短歌研究詠草の準特選の五首から抜粋された三首が載った。
▽2014年は短歌研究新人賞の候補作「仙台に雪が降る」からの三首。
▽2015年は特集「新進気鋭の歌人たち」の時の連作「魂の転落」十首からの三首。
▽そして2016年は短歌研究新人賞予選通過の二首と短歌研究詠草の準特選の五首からの一首の合わせて三首。

だからおそらくここに載る歌の優先順位は、
依頼作品・新人賞作品→
短歌研究詠草、
ということになっていると推測できる。他の本でしか作品を発表してなかったりすれば違ってくるんだろう。



▼短歌研究詠草

今年の短歌研究詠草は合計27点で、自己ベストを記録した。結果発表に小さく載った。総目次にも一ヶ所オレの名前があった。
さっき言ったように年刊綜合歌集と名簿にも載った。
合わせると、オレの名前はこの本に四回出ている。目立たない場所ばかりに。



▼歌人アンケート「今年度の短歌活動」

1b8af94b.jpg









事前に来ていた歌壇名簿のためのアンケートの「今年度の短歌活動」の項目の「賞を受賞」に丸をつけた。
この一年で受けた賞を書くところに「NHK短歌年間大賞」と書いたら、それが「NHK年間賞」と略されて載っていた。

以前、「うたう★クラブ賞」と半分冗談で書いた時には載らなかった。これだって賞だろうよ、と半分真面目に思っていた。



▼アンケート「愛誦される歌」

ところで、今回の年鑑のアンケートは「愛誦される歌」だった。
アンケートには毎回答えているんだが、回答が誌面に反映されたことが一度もない。今回も反映されなかった。少数意見だからだ。他の人が書きそうなことを書かないとこういうことになる。

愛誦される歌としてオレがアンケートに書いたのは

さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば/枡野浩一『歌 ロングロングショートソングロング』

という歌。口をついて出る歌、ということでこれにした。三票以上にならなかったので誌面には載らなかった。もしこれが載ったら、より良い年鑑になったのに。



▼変更事項

ハガキの変更事項に「変更なし」と書いてから、変更したことがあるのを思い出して修正した。
塔から未来に移ったのだ。
オレにとって2016年は「未来」の歌人として過ごした最初の年でもあった。


https://t.co/iaytpeDy3I
郵便物は送る前に撮影することがある。何を書いたか忘れると不安になるから。


来年も何か賞がもらえる、そしておもしろい年だといいなあ。まだ今年も一ヶ月以上あるけどさ。


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mk7911 at 09:18|PermalinkComments(0)

2016年07月02日

短歌研究年鑑に向けてアンケートハガキを書いた

今年も短歌研究の年鑑のアンケートハガキが届いた。

別に秘密にするものでもないので、ハガキに書いたことを転載する。

CAM00199













今年のアンケートは「愛誦される歌」だ。ふと口ずさむ一首を、ということだ。オレは枡野浩一さんの

さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば
(歌 ロングロングショートソングロング)

にした。

去年は少数意見すぎて誌面に反映されなかったんだが、これもそうなるのかなあ。1000首だったら残っても良さそうだがなあ。








自分の情報について一度「変更なし」と書いて、結社を変えたことに気づいて訂正した。

今年はどんな三首が短歌年鑑に載るのだろう。「短歌研究詠草」はさえない結果ばかりなんだが、そこから載るんだろうなあ。

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mk7911 at 18:51|PermalinkComments(0)

2016年01月13日

[総合誌読む 89-2] 「角川短歌年鑑 平成28年版」【後編】  ~私だってカーニヴァルだ、ほか

角川短歌年鑑 平成28年版。後半は、自選作品から。


以前、全部読もうとしたらとても眠くてつらかったので、上の方の年代の知らない人は飛ばしてよい自分ルールで読んだ。



ユーモアのある四月かな笑ひたる桜開花のあとで雪降る/疋田和男「四月かな」
→桜が咲いてから雪が降る。順番が前後している。それの何がユーモアなんだと思うけど、自然界的にはおもしろかったりするのかもしれない。


円盤形星雲は全速で回転したきはずもしわたしが星雲だつたら/松川洋子「オキシトシン」
→自分だったらこうしたいだろう、だから相手もこうしたいだろうという推測の歌。その相手が星雲というのだからおもしろい。はるかに遠いものに自分を重ねあわせた。


一点差ゆえの試合は面白し大ファールわれが打ちて湧きたり/浜田康敬「五首」
→オレは浜田康敬さん好きなんですよ。
自分がいる試合なのに客観的で、面白いとか湧いたとか言っている。
試合を決するヒットでも打って客を湧かせたなら得意にもなろうが、ファールで湧かせたことを言っている。それも草野球の雰囲気というものか。



新しくなきゆえ古くならぬとは真理の如く居直りの如し/大下一真「桔梗開く」



歳月は黒きコートに包まれて風の中なる手の甲の列/内藤明「時間」

→見えないものと見えるものとが交互に出てくる。見えるものを通して見えないものが浮かびあがってきそうだ。



どの花も黴菌に塗(まみ)れてゐますね、と きれいに見えはしますが、と言ふ/松平修文「冬華」



昼寝してゐるうちにもう一人のぼくは行つたあの場所からもどつてくる/武藤雅治「そらみみに」

→「あの場所」とあえて書かれていない場所がある。夢を見ていてら現実と夢のふたつの人生があるのかと考えたが、そうじゃないような見方もできる。


私だってカーニヴァルだとプチトマト叫ぶかのようレジは近くて/大滝和子「鈴」
→総合誌で見た時は結句が読みきれなくてそのままにしたけど、仕事中に思い出すことがあった。トマトを扱っているから。赤い小さなプチトマトはクリスマスの飾りのようでもあるし、祭りの脇役ではある。


ねじをゆるめればくるくる立ちあがりたちあがりくるねじというもの/喜多昭夫「ねじ式」
→つげ義春みたいなタイトルだ。
なにも言ってないに等しいと言いたくなる歌だ。ゆるめれば立ちあがる、がなにか象徴的。


昨日居た場所から見れば夢としてポットにお湯を注ぐ私は/河野美砂子「白い蝉」
→一種のデジャヴだろうか。なにか日常的なことをしているときに、これは以前見た夢の中の光景ではないかと思い当たるような。
それは時間的なことだが「居た場所」とされていて、空間的なひろがりもある。


わすれるよ だけど だれかに失くされた眼鏡をかけて夜がみている/佐藤弓生「泣く」
→意味だけ追うなら、忘れることにしたとしても無意識の部分には残っているよ、といったところか。
眼鏡をなくした人、眼鏡をかけている「夜」、見られているもの。誰もいないようでいて、なにかの気配が濃厚だ。


王の「1」長嶋の「3」に憧れた僕は「135426995702」/穂村弘「ナンバー」
→2015年は12桁のマイナンバーができた年だった。
1と3が含まれたナンバーだから少しはうれしいかというと、んなことはないだろうね。かつての輝かしい番号に比べたら現代のこれはなんだろうと。

まさかこれがほんとの穂村さんのマイナンバーではないだろうけど、ほんとのこの番号の人がこの歌を読んでギョッとしたらいいなと思った。


AKB48が走り出す原子炉の爆発を止めるため/穂村弘「ナンバー」
→走り出さないけどね。走り出すことがあるとすれば、遠い未来の映画のなかだろうか??
軽いものを重く、重いものを軽く扱って同じ土俵にのせている。
芸能と社会は同じ「ニュース」なのに、大抵いつも無関係に遠く隔たっているものだ。


ちひさなるさくかくのれんぞくのごと畳の目あり麦秋いろの/渡辺松男
→前回は、めまいのようなあじさいの歌を引いたのだった。普通に有るものがほんとじゃないように見える歌。


白い雲まだまだ白い秋の暮 夜さんこんにちは 夜さん元気ないね/大松達知「夜さん」
→雲が白く見えるのならば、まだあまり暗くないのだろう。だから夜としては元気がない。元気な夜とは、真っ暗な夜か。
夜に「さん」をつけたり「こんにちは」と昼のような挨拶をするのがたのしい。


濃霧ひとりオリジン弁当に入りきてなすの辛みそ炒め弁当と言う/瑳峨直樹「濃霧」
→濃霧のよくわからなさの後ででてくる、店名や注文の具体的なのがおもしろい。通っぽい。


プリンカップを逆さにしたりパンドラの匣のただしき開けかたとして/光森裕樹
→一番底に希望があると言われるのがパンドラの匣だ。プリンのカラメルみたいに乗っかっている希望を想像してみる。
「匣」っておもしろい字だ。


おそらくは砂漠に君はいるだろう 舌に砂が。脚は。脚はもう無い。/吉川宏志「二〇二〇年の綿花」
→オレは最近「砂丘律」を読んだんだけど、それとも違う砂漠だ。兵士のゆく過酷な戦場としての砂漠だ。
「おそらくは」という想像から一字空けて肉体の感覚へと移る。味覚からくる。砂は入ってくるが、脚がないから抜けだせない絶望的な状況だ。



「自選作品」からは以上。






次は「現代歌壇事項」です。これを見ると、短歌大会やなんとか賞というのがいかにたくさんあるかがわかります。大会での大賞受賞作がいろいろ載っています。

なんだかここだけ雑なのか、誤植や重複が目立ちます。たとえば399ページには「第十二回さぬき市民文芸大会」の記事が二ヶ所にあります。同じ内容で。
411ページの「滋賀県歌人協会秋期短歌大会」の記事も。

いろんな大会の大賞作品を見ていると、みんなつつましく真面目に生きているなあと思います。
一首だけ引いて、この本を終わります。

津波にて海ただよひし裸婦像がホールに立てり傷跡ふかく/岡田紘子
第三十一回啄木祭短歌大会




んじゃまた。


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mk7911 at 09:38|PermalinkComments(0)

2015年12月17日

[総合誌読む 87] 「短歌研究」2015年12月号・短歌年鑑2016  ~人トシテ生キヨ! 、ほか

短歌研究2015年12月号。短歌年鑑2016




展望から。

ひそひそと誰もが言葉を呑みこんで月下の辻に影ばかり立つ/永田和宏
→本音を言わない人たちと、姿をあらわさない影が不気味だ。この影は何かを起こそうとしているようにも見える。


はるかなる旅の途中の風はいま馬上の人とすれちがひたり/小島ゆかり



床屋にて顔蒸されおり死んでから数ミリ伸びる髭われにあり/藤島秀憲

→顔を蒸されているのは死んでいる状態に似ている。肉体の死の先までいくと思うと、ヒゲが神秘的に感じられてくる。


人トシテ生キヨ!と落書きされている電柱のあり山谷交番前/谷岡亜紀『風のファド』
→落書きに詩を感じることってある。関係ないけど、2ちゃんねるのオカルト板の不気味な落書きスレがオレは好きだった。

漢字とカタカナなのが高得点だし、内容のほどよいわけわからなさもよい。いい落書き。「山谷」「交番」からも何か汲み取りたくなる。


まあそこの彼に見倣へ師匠から教はつた術(すべ)すべて忘れよ/岡井隆『暮れてゆくバッハ』
→長く積み上げてきたものが崩れる瞬間か。人が変わるのはむずかしいものだ。
「術すべて」がスベスベしている。教わったものが滑り落ちてゆくようだ。


町並のおぼろおぼろに見える朝われに父母(ちちはは)のつひになくなる/外塚喬『山鳩』



思はざる箇所に下線の引かれたる他人(ひと)の聖書を書棚に戻す/大口玲子『桜の木にのぼる人』

→キリスト教にもいろいろある。書いてあることは同じなのに、下線によって自分に受け入れられない聖書になってしまう。




「総合歌人団体──今年の収穫」に日本短歌協会がない。唯一オレに入会の誘いをかけてきて、なおかつ、よくわからない団体だったので気にしていたのに。



「戦後七十年を記憶する歌」から。

近づきてまた遠ざかるたましひのむらがるごとく雲はてしなし/島田修二『渚の日日』


満月があまねく幸(さち)をそそぎたり かつての屋根にいまの更地に/斉藤梢『遠浅』




いつものように、「綜合年刊歌集」からもやっていきます。
ためしに全部読んでいってみたら、何の罰ゲームかというくらいつまらなかったので、名前を知ってる人と4首以上載ってる人に限って読みました。


地を擦りて黒き落葉の吹き寄する警察署前に昼のバス待つ/秋山佐和子
→見たものそのまんまのような歌だけど、陰鬱な風景に魅力を感じた。


子のおらぬうちに食べたるスナックの匂いいつまでも残る指先/浅羽佐和子


ポケットにさびしき湿りを探り当つ鍵の尖りの奥のハンカチ/朝井さとる

→ポケットのなかで鍵とハンカチに触れた。これらはふつう見えないものだし、触覚がクローズアップされる。
ハンカチの湿りにさびしさがあるならば、鍵の尖りにも何かの感情がありそうだ。


「しんだことある?」って問いを曳きながら子供らが漕ぐ風のぶらんこ/大平千賀
→二人がブランコをしながら会話しているところと見た。この子達に死はどのように映っているんだろうなあ。問いも答えも風の中だ。


鯨とはこのようなもの 丘に立ち黒きジェット機を反り返り見て/岡崎裕美子
→陸上が海中に入れ替わる。鯨を見上げるような体験はないが、想像できる。

前にも書いたけど、知ってるものを通して知らないものが見える歌をおもしろく思う。


燃えつきるまへに小さき尾を振れり遊ぶごとしも炎の終り/春日真木子
→炎の尽きるさまが、子犬の死のようだ。ひっそりとした悲しみ。


句読点と漢字と仮名と余白とに分別をして捨てる恋文/神定克季
→これくらいゴミの分別が厳しくなったらいやだなあ。プライバシーは守られそうだが。恋心もバラバラになったのだろうか。


「はい」とのみ返信一語娘のメールすなほにあればかなしかりける/小池光



遠い夜の遠い扉が開いていてそこから戻ってくる声のこと/小林朗人



曇天にいよいよ青く映え渡る金融業の屋上看板/小林幹也

→けっこうあれはいろんな色があるよな。仲良く分担してるみたいに。
曇れば映える青い色は、生活に困れば存在感を増してくるようでいやらしい。


うすくなる影のようなる筆圧の訳を知りたき去年の日記/佐佐木定綱



「ビルヂング」の「ヂ」の字が少し気になって目をそらせてはまたちらと見る/清水良郎



自治会の祭りで綿菓子売りとなり次第に玄人らしくなりゆく/関口昌男

→なにごともだんだん慣れてくるもので、慣れてくる自分を感じることもある。綿菓子売りの玄人っていいね。どんなふうなのか微妙に思い描きづらいところも。


別件と告ぐるとき喉奥に立つベッケンバウアー皇帝なりき/辻聡之
→海外サッカーに興味ないような人にベッケンバウアーって通じるんだろうか。
まあシャレなんだけど、そのたび思いついて、そのたび飲み込むようなシャレがあるものだ。


白梅のかがやく畑に近づきて花に声なし鳥に声なし/戸田佳子
→「声なし」が重ねられて静寂がつくられる。そのなかでは白梅のかがやきがより強くなる、気がする。


一両の車両の床に飴玉が転がつてくる弟逝けり/中根誠
→電車やバスのなかでものを落とすと転がる。拾われることなく転がってゆくものもある。
飴玉は小さい子を連想させる。ものが転がるのは不意をつく現れ方であり、それ以前に手からものが落ちたわけだ。


泣き別れの朝のその後のそれぞれの社会のなかの八時間半/永田紅


冬の夜の雨がおぼえていてくれた母さんが泣いていたことなども/野樹かずみ

→どうして覚えていてくれたかどうかがわかったのだろう。もしかしたらこれは、冬の夜の雨によって、それ以前の冬の夜の雨の出来事を思い出したということか。


鴉ならからすでいいのだしおほいならおほくたつていいのだが/平井弘
→何か言いたいことや望みがありそうだが、それは言わない。たくさんの黒いからすばかりが見えて、その向こうが見えない。


棄てられぬモノのすべてが粘着し絡まって母はそのまま老いし/松平盟子
→体にいろんなものがくっついて取れなくなったようなグロテスクなイメージ。テレビゲームの「塊魂」を思い出したりもした。


ところてんのおしだされゆくその先のこの世は自爆テロのテロップ/吉岡生夫
※吉は土に口
→たしかにそういうテロップあるな。あるニュースのテロップがぐーっと押し出されて次のニュースが出てくるタイプ。
そうやってあらわれた自爆テロの報道。テロップの出方がニュースの印象に左右することもありそうだ。


永遠はかつて遠泳の誤字であり、鯨がほら、陸を捨てたから/吉田竜宇
※吉は土に口
→生命は海からきたなんて言うけど、鯨が陸にいた時代もあったのか。真偽はともかく言葉の由来をたどるのはおもしろい。
でたらめかこじつけのようで、しかし太古のロマンのような味わいが魅力的だ。



以上です。






短歌年鑑についてはこちらの記事もどうぞ。オレがアンケートになんと答えたか、オレのどんな歌が載ったかなどはこちらに書いてある。

「短歌研究」2015年12月号【2016短歌年鑑】が届いたぞ : ▼存在しない何かへの憧れ http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52153194.html







ここまで書いたことにはあんまり関係ないけど、
https://note.mu/mk7911
noteに短歌作品をまとめています。投げ銭も受付中。応援よろしくお願いします。



んじゃまた。


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mk7911 at 18:26|PermalinkComments(0)

2015年12月15日

短歌研究の年鑑と角川短歌の年鑑では、結社・その他歌人団体の出詠者数の数字がけっこう違うという話

ただの数字の話をします。



短歌研究2015年12月号「短歌年鑑 2016」

角川短歌1月号増刊「短歌年鑑 平成28年版
を見ていてちょっと気になったんですけど、この二つの年鑑では、結社というか団体の人数(出詠者数)がだいぶ違うんですよ。くらべてみます。

150人以上の団体を中心に見ました。
数字に大きな違いがあるのは次の団体です。



【出詠者数】
短歌研究年鑑/角川短歌年鑑

花實 462/350
かばん 46/130
からたち 800/300
かりん 815/997
情脈 122/240
新アララギ 1100/1500
地中海 638/750
塔 900/800
ともしび 130/200
歩道 1200/1050
みぎわ 140/200
未来 800/600
沃野 430/310
林間 328/180


ほかに、
心の花 表記なし/520
(作風、樹海、星雲、青南、創作なども角川のみに表記あり)
といったこともあります。研究の年鑑には書いてなくて角川の年鑑には書いてあるといったケースがありました。逆はありません。



まとめている途中で思ったんですが、「出詠者数」というのは毎月変わるものですよね。何月の時点なのかで数字は変わるはずです。
それにしても波があるものですね。一年のうちに何百人も変化したりしますか。それに、短歌研究年鑑と角川短歌年鑑で出詠者数がピタリと一致している団体もたくさんあるのです。

短歌研究年鑑については、手元に去年のものと今年のものがありますが、なぜかその数値はほとんど変化していないのです。ほとんどの団体が去年と今年で同じ人数になっています。もちろん、本当にそうなのかもしれませんけども。

どれが本当の情報かはわかりませんが、正確な数字が出ているのが望ましいですね。


あと、びっくりしたんですけど「しきなみ」っていう結社があって、出詠者数が6022人いるんですよ。研究でも角川でも6022人。
誤植かと思ったんですが、どうやらそうではないようです。短歌研究年鑑によれば、去年は5436人、一昨年は5111人なんです。多いだけじゃなくて、すごい勢いで増えているんです。

後で聞くところによりますと、「しきなみ」は宗教関係の団体のようです。



こうした数字に興味のある方は、こちらもどうぞ。2014年の記事です。

「短歌年鑑」を見て、短歌結社の会員数とその増減をまとめた : ▼存在しない何かへの憧れ http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52115890.html


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mk7911 at 08:36|PermalinkComments(3)

2014年12月15日

[総合誌読む 60-3] 「短歌研究」2014年12月号【3】綜合年刊歌集  ~ブリーフの横からでろん、ほか

「短歌研究」2014年12月号、短歌年鑑の綜合年刊歌集からおもしろかった歌をご紹介していく。
作者名「さ」から。



さやさやと人ら動きぬ肉体の一部麻痺せしわたしをめぐり/さいとうなおこ
→さやさや、が植物を思わせる。


丁寧に悪口を言われ自分からさらに言い足す春一番立つ/佐藤夏子


教習所の教育ビデオのなかにある浅草の街賑はひを見す/佐藤モニカ


雨が去る おまえはアルミニウムだと転がる缶にざんざん告げて/佐藤弓生

→打ちつける音で材質が感じられることはある。しかし容赦のない雨だ。無力を思い知らされるかのよう。


いい女、されどメアドのakachan-minagoroshi@に警戒している西麻布の夜/笹公人
→「いい女」とか「西麻布」に雰囲気があるなあ。事情のありそうな女性だ。でも、ワケアリってレベルじゃないよこれは。


宇宙より眺めてあらばこの星の昏き部分の人ら眠れる/志垣澄幸


ゆふぐれに扉閉まれば観音はおのれの千手下ろし始めむ/島田暉

→下がってる状態を想像したことがなかったので、ちょっと新鮮だった。


スーパーの竹輪の穴は拡がりぬグローバリズムといはるるまでに/鈴木良明
→いや、ぜんぜんわかんないで○したんだけどね。


ぶるぶると指先震え胸元のポケットに煙草を探りている父/瀬川真由美
→ちょっとしたしぐさであり、それ以上の意味はなさそうだが、何か響いてくるものがある。ひとりの老いた男の姿。


くろぐろとゆきはおちくる四十年病み来し窓の空の奥より/関政明


原発は遠くにありてデパ地下の行列の先っぽひとくち餃子/曽我玲子

→さっきのチクワの歌に似た感じかなあ。
暮らしのなかのものと、ニュースにでてくる遠くのものとが「て」で強引に接着される。


仏前に読経しおれば泛かびくる自販機の釣取忘れしこと/ 井忠明


わが家への目じるしなるは閉鎖せし産院のビルの桃いろの壁/辰巳安英


人生の目的といふ本がありいつまでもあり読まざるままに/津村秀夫


平均律クラヴィア曲集第一巻第一曲きく一月一日/富樫涼子

→これだけ一をそろえるのは勇気があるなあと思って。


「礼!」誰か言ひたり白雲のくつきり映る川の向かうより/鳥山順子
→「礼!」で初句なのかな。余韻が三文字ぶん。
きっちりした景色も合わせて、すがすがしい。


改憲を彼らは叫ぶブリーフの横からでろんと本心を出し/中沢直人
→ぎょっとするような比喩だ。おぞましい本心、というくらいの意味ととった。


空想の巨大キャップをおつかぶせここに埒なき会議終はらす/野一色容子


上役の持ち歌は三曲なれど六通りある歌う順番/久松洋一

→123,132,213,231,312,321、の六通り。数学の時間みたい。いかにその三曲ばかり聞かされてきたかがわかる。


犬の目に非情の雨と映りたり「空と君との間に」降るは/笛木智恵美
→ほかの二首に「悪女」「旅人のうた」が詠み込まれているところからすると、中島みゆきに関する連作だったんだろう。
この犬はドラマ「家なき子」のリュウっていう犬のことだね。きっとそう見えただろうと思う。犬視点でつくられた歌だと聞いたことがある。

しかしだ。この短歌には「空と君との間に」とあるけど歌の正確なタイトルは「空と君のあいだに」だ。歌詞でも「間」は「あいだ」と平仮名表記になっている。正確に表記してほしい。オレは20年前からの中島みゆきファンよ。そういうところは細かいよ。


楽しいと思ふべきなりすつと伸ぶ夫の手握り歩み支ふを/本渡真木子
→楽しくないという気持ちと、楽しいと思えずにいることへの気持ちがある。「べき」で考えると苦しいなあ。


むかし、むかしの戦争とおもひゐるらしき若きらと食む五色弁当/松川洋子
→日の丸弁当との対比としての五色弁当だろうな。食べ物が豊かになり国への意識も変わった。


半透明の傘から少しはみ出した肩が光って別れのときだ/村上秀夫


会ふことと別るることの交差する冬雲みるみるちぎれてゆきぬ/森妙子

→ありそうな見立てだが、冬という季節を入れたことと、「みるみるちぎれて」に寂しさが感じられた。


きょうぶ の せっかい の こと が あたま を よぎる わが じんせい の しゅうまつ なる か/山ヶ城一石
→年鑑によれば「ひらがなたんか」には10名が出詠している。そのうちの一名。ほかにこのような表記の方はこの「綜合年刊歌集」にはいなかった。
会津八一みたいなこういう表記で歌を作っている人がいるのだなあ。
「胸部の切開の事が頭をよぎる我が人生の終末なるか」と書いた場合との違いを考える。


ヌイグルミひとつひとつに名もあろう、ゴミに捨てられ微笑んでいる。/山口利春
→こちらは句読点を使う方。三首とも三句の終わりで読点を打ち、最後は句点で終わる。
捨てられたのを喜んでいるかのような書き方だ。ぬいぐるみはどんな時でも同じ顔だ。その笑顔がかなしい。


「殺したのはあなたでせう」問ひつめる眼玉がこはい二時間ドラマ/若松輝峰
→言うことも、言われることもなさそうなセリフだなあ。そして、眼でも問いつめる。


以上。







オレの話。オレの歌も3首載った。短歌研究新人賞の候補作になった「仙台に雪が降る」という連作のなかの歌。

打ち出され釘に転がる銀玉の特にあっさり消えたものへの

震災にヤマザキ春のパン祭り景品皿に傷ひとつなし

そこここに空を見ている人がいて青さを喜び合っている夢



今年のオレの短歌での大きな出来事といえばこれだったなあ。
んじゃまた。


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mk7911 at 17:52|PermalinkComments(0)

[総合誌読む 60-2] 「短歌研究」2014年12月号【2】綜合年刊歌集  ~人生ここにきはまる思ひ、ほか

短歌研究年鑑。つづいて「綜合年刊歌集」から。

これを読むのは三回目。
最初に見たのが2011年の年鑑。その時は全部読んだ。なかなか苦しかった。どんなもんかわからないからできたことだ。

2012年の年鑑は、自分となんの関係もない感じがしたし高かったから買わず。

2013年の年鑑は、自分なりにルールを作って読んだ。
▽知ってる歌人の歌は読む
▽4首以上載ってる人の歌は読む
▽そのほか気になったら読む

今年はそれとも違うやり方にした。

名前の横に結社の名前が書いてあったり、雑誌の名前が書いてある。オレの場合は「短歌研究」とある。これらの歌は短歌研究に載ったものだということを指す。
オレは短歌研究と角川短歌は読んでるわけだから、それ以外を中心に見ることにした。
▽全員の歌を一首ずつ読む、気になったらほかの歌も読む
▽名前を知ってる人、四首以上載ってる人の歌はみんな読む
▽ただし名前の横の表記が「短歌研究」「角川短歌」だったら飛ばしてもよい
というルールにした。

面白かった歌を引きながら、ときどき何か言っていきます。あいうえお順。




虹じゃないところで虹をほめている わたしは妙な医院を見つけた/伊舎堂仁
→上の句では、ただでさえフワッとしか見えない虹を、想像のなかで見て評価している。
下の句では得体のしれないものを、しかしはっきりと見つける。
入ると体がどうなってしまうかわからないのが面白いようなこわいような。


クレーンに吊り上げられし鉄骨が澄みきし秋の空かき回す/飯谷宏代


感謝とか今日の生命を生きるとかのことば増えゆく友の手紙に/石原安藝子

→それ自体はよい言葉だが、つくりものめいていて心配になる。


学童が悔しみて蹴る石もなし鋪装路あゆむ犬と老人/今井陽子


長所欄に〈なし〉と書きたる履歴書を師は〈明朗〉と直し給ひき/入谷幸江

→いい先生だと思う。自分では気がつかない長所を、ちゃんと見てくれている。


病院の前はこの世の花ざかり薬をもらいし母あかるめり/岩尾淳子
→「この世の」というからあの世も見えてしまう。あの世の花畑ではもっと明るいだろう。薬はいらなくなって。


震災に親を亡くしし少年は映さるるなり涙流すまで/岩 秀子


手を膝にあてて咏へてしばしあり人生ここにきはまる思ひ/岩田正

→オレはしゃがんでて立つとめまいというか立ちくらみしてウワーッてなる。あとはどっかすごく痛いときに必死な気分になる。あの感じだろうなと想像する。それを「人生ここにきはまる」としたのを面白いと思う。


腕時計ふと触れあって金属音かすかに立てり夏の新宿/遠藤由季
→新宿にはすごくたくさん音があるだろうけど、腕時計のふれあうかすかな音をここでは聞いている。
それは人と人のふれあう音で、人の生きる時間と時間のふれあう音だ。


青春をこじらせし我ら青春を終はらせるため出くはしにけむ/小川真理子


向い合う店壊されて夕映えの光まぶしく永く暮れざり/小河原晶子


もうわれが婚を成さぬと思ふ人親族の中にもあらはれはじむ/大木恵理子


遺伝子の集まりて来るバザールにトランプを買う男ありけり/大滝和子


いくつもの絵に描かれし満月は今宵わが家の窓に浮かべり/大平芽衣子

→前の歌がエル・グレコで、次の歌がフェルメールだ。この歌ももしかしたら想定している何人かの画家がいるのかもしれない。
絵から月が抜け出して家まできたと。


東京にこんなに谷があるのかとヒールの靴で君を追いたり/岡崎裕美子
→ちょっとした段差や傾斜がヒールの足には谷のように感じられたか。山がなくて谷ばかり。けっこう長く追いかけているねこれは。追うってことは「君」は去っているのだと読んだ。


ひそやかに月の光と日の光まじり合ひつつ夜となりゆく/荻山数


かぞへつつ登りて来たる階段のその数忘る登り尽くして/奥田戸世子


ゆっくりと筆を下してサインする眉濃き男 永田和宏/加藤三知乎

→筆と眉が重なるのね。


麻薬犬災害救助犬警察犬帰りに一杯やることもなし/香川ヒサ


間違つて押したる自販機が吐き出せりこんなに赤いカシスのボトル/香山静子

→間違いが色や形を持ってあらわれたかのようだ。


思ひ出に苺のやうに傷ついて八十歳の母泣いてゐるなり/笠井朱実


「大丈夫」と墨で描けば三人のをの子のやうに四肢をひろげて/梶原さい子

→墨とか筆っていうのは文字に力を持たせるなあ。さっきの「永田和宏」の歌もそうだし、このあいだの大口さんの「ペーテル」の歌もそう。


この話したと途中で気づけども息子がふうんと聞けば続ける/勝倉美智子
→息子はまだ気づいてないかもしれないね。
オレはけっこう「それ聞いたよ」ってさえぎるんだけど、出だしが似ているだけで別の話ってこともある。さえぎるのが早すぎるんだなあ……。


何かひとつ終るがごとくシャボン玉吹きてさびしき男となりにけり/川合正次
→大人の男の吹くシャボン玉ですかね。いいんじゃないでしょうか。結句字余りの感じも。


雲ひとつないとの声に青空の涯まで雲のひとひらさがす/木下のりみ



「か」行がおわりました。続きは次の記事で。


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mk7911 at 17:14|PermalinkComments(0)

2014年12月14日

[総合誌読む 60-1] 「短歌研究」2014年12月号【1】作品展望  ~雨の言葉のやうに、ほか

短歌研究、2015短歌年鑑。


「2015短歌年鑑」って、背表紙には書いてあるけどそのほかのどこにも書かれていないし、中身は「2014○○」で統一されている。2014年のことばかり載っている。
時々まぎらわしい。



あとはやっぱり4690円、この値段が凶暴だ。
これは安く済ます方法が、ないわけではない。
オレは1000円程度で入手している。

短歌研究を定期購読すると1年12冊が12075円で済むんですよ。これは毎号に書いてあることだから裏技でもなんでもない。12冊に年鑑も含まれるんで、毎月買う人は得になる。毎月買わない人は得にならない。

それと、わざわざ本屋に行かなくていいというメリットもる。オレのところからは本屋まで距離がある。
あと、申し込んだら、ポストカード5枚もらった。

あんまり言うとオレが短歌研究の回し者みたいだけど。


名簿100ページ、「綜合年刊歌集」200ページ、本誌150ページ。合わせて450ページ。
本を出すような人じゃなければ名簿はいらないし、広告もけっこうあるし、何ページ読むのか考えるとやっぱり4690円はつらいなあ。

あとは資料としての側面が強いんですねやっぱり。読むものというよりは。
総目次であったり特集や評論の展望であったり。



載っている歌についてここでは見ていきます。
まず「作品展望」からいきます。ここには、各総合誌の作品から選ばれています。巻頭作品や大きな連作からが多いようです。
短歌研究と角川「短歌」はオレは一度はみんな目を通していますんで、「歌壇」「現代短歌」「短歌往来」を見ました。


橋越えてすこし歩めばまた橋あり「己」のかたちの道の戻り路/宮英子



いつしんにいちじくを食べ、食べつくしやがてひつそりと悲哀す母は/日高堯子


くろぐろとコードの絡む床を見るそのようにどうしようもない夜/加藤治郎

→カ行・ラ行の重なりからヤ行・伸ばす音の重なりへ。からまっていたり、長くのびていたりするコード。


行方不明者が手放したさまざまな雨の記憶が全部降る、雨/米川千嘉子



次は「歌集・歌書展望」から。良さそうな歌集と思っても、全部注文して買うわけにもいかないからね。広く浅く読めるところで読んでいる。

夜のでんしやに「もうだめだな」といふ人あり雨の言葉のやうに沁みくる/馬場あき子「あかゑあをゑ」
→「でんしや」がやわらかいなあ。電車と違う乗り物みたい。
さりげないものが深いところまでとどく。


花見るは大人のみにてみどりごは眠りつつ花の間(あい)を運ばる/三井修『海図』
→「みどりご」が人と花の中間あたりのもののように感じられた。


透明もて此のせろふぁんは隔てをる花束のうちと花束のそとと/川 あんな『あんなろいど』
→この「せろふぁん」も一種のアレがあるなあ。平仮名化に反応しているオレだ。
花束の、セロファンの部分を歌にしている。珍しい題材。


この世界創造したのが神ならばテーブルにそぼろ撒いたのは母/望月裕二郎『あそこ』
→「おかみさん」っていう言い回しがある。
そぼろみたいに神も星を宇宙にばらまいたのか。
のが~ならば~のは、の接続で、創造とそぼろを撒く行為に因果関係をつけている。
もし世界が神の創造でないとしたら、このそぼろは誰が撒いたのだろう。


カレンダーと大感謝祭のチラシ持ちスズキ電機の社長来たれり/助川とし子『菩提樹のアルト』


「クリーンでグリーンで美(は)しき福島に!」そんなんぢやないほしい言葉は/坂井修一『亀のピカソ』

→韻にもいやらしいのがあるよなあ。踏んでるのを見せつけるような韻だ。
じゃあ「がんばっぺ!東北」はいいのかとか、なんか考え込んでしまう。


つまさき立ちのエノキ無音に叫びをり「わが従順を侮るなかれ」/古志香『光へ靡く』



次回は同じく短歌研究の年鑑の、「綜合年刊歌集」を見ます。


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mk7911 at 16:41|PermalinkComments(0)

2014年12月04日

「短歌年鑑」を見て、短歌結社の会員数とその増減をまとめた【2014】

※この記事は2014年末までの情報です。新しい情報はこちらでご覧ください。↓
「短歌年鑑」を見て、短歌結社の会員数とその増減をまとめた 【2018】 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52213710.html



▼▼▼



去年、2013年の短歌年鑑を見ながら、どの結社がどれくらい大きいのかを調べたことがある。

「短歌21世紀」500人
「地中海」750人
「歩道」1100人
「水甕」1100人
「潮音」1200人
「新アララギ」1500人。

「かりん」802人
「心の花」502人
「コスモス」2200人
「短歌人」484人
「塔」790人
「ポトナム」365人
「まひる野」500人
「未来」600人
「りとむ」250人
「玲瓏」180人。

結社とは違うが「かばん」は120名とある。
これらは会員の数でなく、「出詠者」ということになっている。


じゃあ今年は人数はどうなっているんだろう? と思い2014年にでた短歌研究の短歌年鑑を見てみた。増減も書いておく。

「短歌21世紀」400人 -100
「地中海」638人 -112
「歩道」1200人 +100
「水甕」1100人 0
「潮音」1000人 -200
「新アララギ」1100人 -400

「かりん」815人 +13
「心の花」人数記載なし
「コスモス」2300人 +100
「短歌人」466人 -18
「塔」900人 +110
「ポトナム」345人 -20
「まひる野」547人 +47
「未来」800人 +200
「りとむ」300人 +50
「玲瓏」160人 -20

「かばん」46人 -74


比べたら、増えてるところもあれば減ってるところもある。百人も二百人も増減しているところもある。
「かばん」の人数がえらく減っているが、何かの間違いか、数えかたが変わったのだろうか。今年も「かばん」は存在感があった。

結社の群れをふたつに分けたけど、前半の「短歌21世紀」~「新アララギ」のほうは、人が多い(500人以上)わりにはあんまり知らない結社なんだが、こちらは6団体であわせて700人減っている。
「かりん」~「玲瓏」のほうはオレが名前を比較的聞く方なんだが、こっちは9団体あわせて500人ほど増えている。
「玲瓏」をいれたのはごく個人的な縁による。
500人以上の結社はすべて入れている。

オレが名前を聞くか聞かないかという、勝手な分けかたをしたわけだが、ツイッターをやってて名前を聞くか聞かないかは、若い層の動きを左右する。実際にオレはツイッターの影響で結社「塔」に入った。

ツイッターでよく話題になる結社というと、個人的な感覚になるが、

未来→塔→短歌人・(かばん)→コスモス・まひる野・かりん→その他

といったような順になる。未来の人がとにかく情報の発信に積極的だ。ツイッターを活用している選者もいる。「未来」が問答無用で一番大きいんだと思っていた。数字を見て意外に思った。
だが、そういった情報発信の効果があってか、「未来」は+200人。これはほかの結社にない大幅な増加だ。



前回これをやった時に反響があったのは、数字うんぬんよりも、オレが「地中海」とか「歩道」とか「潮音」について「あまり評判を聞いたことがない」と書いたことへの反響だった。
それは今もそうだなあ。誰がいるどんな結社なのか、きかれてすぐに言えないのも変わってない。総合誌で名前を見ることはある。
あ、最近は佐藤佐太郎を読むので「歩道」は少し見慣れてきた。でも現在の「歩道」についてはやはり全然わからない。


「塔事典」に塔の会員の増減のグラフがあったけど、まっすぐ増えているわけではなく上下してるのがわかる。
だから、人がちょっと減ったからってそのまま減って無くなるということではないんだろうと思う。
前にもチラッと書いたけど、もっとデータがあれば見えてくるものもあるだろう。





これの一年後に書かれた、続きの記事。

短歌研究の年鑑と角川短歌の年鑑では、結社・その他歌人団体の出詠者数の数字がけっこう違うという話
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52154742.html


このあと2018年版もつくりました。新しい情報はこちらでご覧ください。
「短歌年鑑」を見て、短歌結社の会員数とその増減をまとめた 【2018】 http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52213710.html


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mk7911 at 11:12|PermalinkComments(0)