角川

2017年08月29日

[総合誌読む 118] 角川「短歌」2017年7月号  ~観念して続けましょう、ほか

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今ごろですが、角川「短歌」2017年7月号やります。



特集「短歌再入門」があって、その時はちょっと悩んでいたから、読んではげましにした。
小島ゆかりさんが「やめたいと思うのは、いい歌が作りたいのにできないという気持ちがあるからこそ。やめたいと思う方、観念して続けましょう」と書いていた。



暗殺の利点を妻に説きゐたり掃除機を手の忙しなき背に/佐古良男「この星」
→「せわしない」を「忙しない」と書くんだね。下の句、特に助詞に注目した。



息あさく眠れる父のかたわらに死は総身に蜜あびて立つ/服部真里子「絶対青度」
→蜜をあびている死の姿が印象的だ。ちょっとこわい。ドラクエの「ドロヌーバ」をイメージしたが、もっと抽象的なことだろう。蜜の甘さは、苦しみからの解放か。



眠る子のひたいの眉をなぞりつつしずかな夜のひたいは広し/花山周子




「たずねびと」ラジオ聴き終へ畑にゆく父の寡黙は長くつづけり/陶久要

→角川歌壇から。
オレはラジオでたずねびとは聞いたことないんだけど、たぶんNHKあたりでやってるんだろう。絵や写真がないとなかなかきびしいだろうな。
ラジオの声からイメージされた「たずねびと」の姿が寡黙な父の脳裡をさまよっていたのだろう。



モナリザは美人ではないと姑言ひき遺影の真顔はその時の顔/石上令








オレの歌も角川歌壇に載った。次の歌が、安田純生さんの秀逸で香川ヒサさんの特選にえらばれた。

体重が身長を超えないかぎり大丈夫だよと君を励ます/工藤吉生





んじゃまた。




▼▼▼



#2017上半期短歌大賞 50首 Togetterまとめ https://togetter.com/li/1126231
今年の上半期に読んだすべての短歌から50首選んでまとめました





2017年7月に発表した/掲載されたオレの短歌まとめ|mk7911|note(ノート)
https://note.mu/mk7911/n/n3dc9e6680faa

2017年6月に発表した/掲載された短歌まとめ【25首】|mk7911|note(ノート)
https://note.mu/mk7911/n/n6a0753b5ac49

短歌パトロール日誌【最終回】|mk7911|note(ノート)
https://note.mu/mk7911/n/n41c835707189

2017年6月の出来事についてあれこれ言う【短歌編】|mk7911|note(ノート)
https://note.mu/mk7911/n/n2b8ea3aa7fd3

2017年6月の出来事についてあれこれ言う【短歌以外編】|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n68525cac4bfd

工藤の有料マガジン【500円】やってます。よろしくお願いいたします。


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2016年12月01日

[総合誌読む 109] 角川「短歌」2016年11月号  ●第62回角川短歌賞発表

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一か月おくれの角川「短歌」2016年11月号をやっていきます。
角川短歌賞の発表号です。



あの影は若者だろうがらがらの電車の中で立っているから/穂村弘「熱い犬」

たぶんもう海に入れぬ岡井氏の歌が最高得票となる/穂村弘「熱い犬」

→若さとは・老いとは、ということで二首抜いてみました。電車の中の影を見ているのは、電車の外でなおかつある程度距離のある場所にいる人なのでしょう。人の少ない空間に立つ影のような若者。

後の歌では、票を競う歌会に、海に入れるかどうかという別の物差しがあてがわれる。
海に入れるのか入れないのか、それはある日突然入れなくなるのではなく、長い間入らないでいるうちにだんだんそうなっていく。
オレはいまは入れる側にいるつもりだけど実際には全然入らないし、もしかしたら入らないまま終わってしまう。そう思うと、海って遠い。

食べ物、歌人、海、蝉、いくつかのテーマがくりかえし出てくる。なにもかもがおわりへ向かって動いてゆくようなさびしさがある。たとえば、蝉の歌だけ追いかけるなどしてみたときに。



大きな襟のジャケットゆゑかいつまでも女性議員に共感できず/梅内美華子「山羊カフェ小鳥カフェ」







角川短歌賞。


木の床を君のなみだが濡らした日 六十センチ水槽を買う/佐佐木定綱「魚は机を濡らす」

食ったことないけど作ってみるもののできているのかわからぬロコモコ/佐佐木定綱「魚は机を濡らす」

まずはこういう歌に丸した。思ったより楽しめた。オレより絶対うまいというのが読んでいてわかったので良かった。
なんかばっちいんだけどさ。ばっちくても読ませるなあと。
涙のために買ったかのような水槽。響きからして得体のしれないロコモコ。オレは食べたけど思い出せない。



アンコールでみんな出てくるこれまでに出会ったコンビニ店員たちが/竹中優子「輪をつくる」

音楽室ひとりで歌う順番が回って小柴くんのうら声/竹中優子「輪をつくる」

→一首目、「人生は劇場」みたいなことか。コンビニ店員の顔ってどれだけ思い出せるだろう。思い浮かべると不思議な図だ。
二首目、こういう歌は前にもツイートしたけど、また丸したってことは好きなシチュエーションなんだな。

ひな鳥が餌を欲しがるようにして歌う湧井のデカい学ラン/武田穂佳「見切られた桃」



佳作から。
レクイエム(それもフォーレのコルボ盤)かけて無人の酒場はないか/滝本賢太郎「蛸を洗ふ」
→よくわかってらっしゃる、という気持ちで丸つけた。落ち着いてよく見ると、みるみる条件が厳しくなり不可能に近づいていくのがわかる。それを求める心境を思う。

美学学会会場案内図の看板あまり喋らぬ女と運ぶ/滝本賢太郎「蛸を洗ふ」
→漢字の多さ、それも「学」と「会」の重複のくどさが喋らぬ女と対照的だ。「美学学会」を初句とすればわりとすんなり読める。



恵比寿駅のトイレの鏡に肩並べ隣の子より赤くなるリップ/カン・ハンナ「雲の中スピード出して」

ニッポンの朝はやさしい新聞を畳んで電車に読んでいる人/カン・ハンナ「雲の中スピード出して」

→小さなところにあらわれる日本と他の国の違いをおもしろく読んだ。一首目は「恵比寿駅」がいい。二首目はそれを「やさしい」と言い切ったのが新鮮だった。



座談会で引いてあるだけの作品からは取り上げない。
どれも面白そうだった。面白い人たちのなかにいるのだから、オレのも面白いのだろうと明るく思えた。

○がひとつで座談会で歌が引用されただけのオレとしては、
短歌研究みたいに、抜粋であってもページを割いてくれたらいいのにという思いはある。







なんだかもう七十歳の気分なり六十八歳と三日のわれは/馬場昭徳「六十八歳」
→初句「なんだかもう」がいい味だしている。老いの歌でもこういうのがあると面白いんじゃないか。
七十歳の気分と六十八歳と三日の気分の違いは、想像してみるのもむずかしい。似たようなものだろ、と思うがそれは今だからなのかも。

記憶より消えたるわれと消えぬわれをりて消えざるわれのはづかし/馬場昭徳「六十八歳」



こんなにも涼しき九月肺活量少なきわれが吹くハーモニカ/花山周子

暴風雨を自転車にくぐりゆくときを後部座席の子が笑いやまず/花山周子



嬉しきことのふたつもありし夕暮れにのぞきたりけり土管の穴を/田上起一郎



元カレを見つけてしまった球場で2アウト3塁のチャンス来たり/田代春香

→題詠「恋」から。元カレも気になるが、試合も面白いところだ。チャンスってことは応援してるチームが攻撃している場面だろう。








以上。

そんなわけで、あらためて言うと、オレの連作「ピンクの壁」が角川短歌賞の予選を通り、東直子さんから○をいただき、選考座談会に取り上げられました。選考委員の方たちにいろいろ言われています。何度も読みました。
うれしいけど、まだまだだなという気持ちも大きいです。
また挑戦したいと思います。
んじゃまた。






仙台文学館の穂村弘さんの講座に参加しました|mk7911|note(ノート)
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オレの11月のこまかーいまとめ|mk7911|note(ノート)
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500円ですべての記事が読めます。


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2016年09月30日

[総合誌読む 106] 角川「短歌」2016年9月号  ~なれそめ語りはじむる母は、ほか

角川「短歌」2016年9月号。一ヶ月おくれでやっていく。


物かげに入りて人の名かきをへぬおもしろしひとりの名をかくところ/馬場あき子「曇りときどき晴れ」


安酒に酔ひて嫌ひなひとの歌つひにけなせりここより地獄/馬場あき子「曇りときどき晴れ」



汗の理由ああ嫉妬かと気付くとき一気に襲う川の反照/松平盟子「雨音の瀧」

→嫉妬で汗ってかくかな。オレの経験しない激しい嫉妬だ。川までがぎらぎらと反応する。


窓の外を鈍痛のようなもの過ぎり朝の机はとっさに暗む/江戸雪「夜にぶらさがる月」
→鳥かなにかなんだろうけど、はっきりそうは見ていなくて、机が暗くなったことでそれに気づいたのだ、と見た。
「鈍痛」がいい。鈍痛におそわれると目の前がはっと暗くなるような気がする。
「とっさに」の使い方もおもしろくないですか。机に意思があるようで。


神々の塗り絵のような原色の魚の群れが頭上を越える/伊波真人「夏の浮力」



特集は「次の一歩を踏み出すために」で、第一歌集を出した人を対象としたものだけど、読むとおもしろい。


自己模倣についての服部真里子さんの言葉が印象的。
「自己模倣をやり尽くした時にこそ、何かが極まって前に進むことがあると思うんです」
「人間は、生きている限り日々変わっているわけじゃないですか。どんなに自己模倣しているつもりでも、自然と変わっていくと思うんですね。」


オレは正直自分の歌に飽きかけているっていうか、いつまでこの感じでやってるんだろうって思うこともある。でもだからって本のページをめくるみたいに次に行けるわけじゃないし、どうしたものだろうって思ってたんだよね。
でもまあ色々読んでると、やりまくっていくしかないのかなと。

そのへんに関しては、少しまえに松村正直さんが「自分の歌に耐える」ということで書いていたのも心にのこっている。
https://t.co/eaiJ8P3Gx6



生きの日の母のやさしき声のごとゆふべの池に立てる小波(さざなみ)/林田恒浩「「茫々」とは」


鳩のようなきれいな顔があらわれてストレッチを一つおしえてくれる/永井祐「いろいろな7首」

→鳩というだけで公園にいる気がした。
こういうことはある気がする。妙に納得してしまう。ストレッチを教えてくれる人は平和なおだやかな人にちがいない。


ネカヂといふ言葉のこれり飢ゑのため眠られぬ夜の苦をいふ〈寝渇(ねかぢ)〉/柏崎驍二
→常に「厚切りバナナバームクーヘン」が部屋にあるオレからは想像できないことだ。言葉の響きからも厳しさを感じる。言葉があるということは、その背後にたくさんの飢えに眠れぬ人がいる。


落葉また落葉のひと日ゆふされば落葉のうへに降りしづむ闇/柏崎驍二



〈上田字豚小屋〉といふ地名改め〈緑が丘〉にわが陋居(ろうきょ)あり/柏崎驍二

→「陋居」とはみすぼらしい家、ぼろ家のことだという。だとすれば豚小屋のほうが近いが、豚小屋とはすごい地名で、変えられてしまうのもわかる。でもそれにしても「緑が丘」は平々凡々としている。大事なものが失われたような気がする。



墓石と竹藪照らししづかなり月を離れし月の光は/伊藤一彦



プロコフィエフきみの好める作曲家プロコフィエフはいかに覚えむ/西澤孝子

→題詠「記録」から。
クラシック音楽になじみがない方なのだろう。しかし「きみの好める」ものだから覚えようとしている。そこが健気でいい。


父の余命告げられ帰る車内にてなれそめ語りはじむる母は/石橋佳の子
→しみじみと、こういうことはありそうだと思った。
秋葉四郎さんは「人の機微を詠って精深」と評する。なるほどそう言えばいいのか。
歌もそうだけど、評の言葉にも「風格」みたいなのを感じることがある。
最近は佐藤佐太郎の「茂吉秀歌」を読んでるんだけど、褒め方にいちいち重々しさがある。







オレはこの本では題詠「記憶」に一首載っています。

「ああいうふうになっちゃだめだ」と十歳のころに言われた指をさされて/工藤吉生

中地俊夫さんから
「どんなに傷つけられたことか。これはもう苛めを越えている」
とコメントいただいていた。ありがとうございます。



んじゃまた。


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2016年05月29日

[総合誌読む 100] 角川「短歌」2016年5月号  ~防火扉の冷たかりしよ、ほか

すでに一ヶ月経過して6月号が発売されてしまったけど、角川「短歌」5月号をやっていきます。



吠えたつて落ちないといつてゐるけれどほんとにこの肉いいのかなあ/平井弘「キスケ」
→肉をくわえた犬が川に映った自分のくわえた肉を欲しがって吠えたら肉を川に落とした、という話(なんてタイトルなんだろうあれは)を下敷きにしているんだろう。
吠えたら口から肉が落ちるんだが、落ちないと誰かが犬をだまそうとしている。


さうかこの軍服がみえてゐないか王さまはうれしくなりました/平井弘「キスケ」
→これの前には「王さまの耳はロバの耳」をもじった歌もある。童話が現代の危機を映し出している。


沈んだところのふたつてまへまではみづ切りの石もその気だつた/平井弘「キスケ」
→その気だった石が、二回跳ねるあいだにみるみる勢いを失って沈んでしまった。
人もみるみる衰えて亡くなったり、挫折してしまうことがあると思うと、ふいに来る失速がこわくなる。


おとほしのちりめんじやこのちさきやま黒きてんてんの目があり悲し/坂井修一「ちらんほたる」
→目の部分に命を感じたのだろうか。「ちさきやま」にちりめんじゃこのちっぽけさがあり、お通しもメニューとしたはちんまりしたものだし、そのあたりも悲しいポイントか。


木犀のかをりほのかにただよふと見まはせど秋の光のみなる/窪田空穂『鳥声集』



放課後の背をあづけたる階段の防火扉の冷たかりしよ/島田幸典「岸辺の声」

→防火扉。心に燃える火が壁を通過できないような満たされぬ感覚が学生時代にはあったなあ。


踏みしだくときのさぶしき音たててヘリコプターがゆく空の途(みち)/和嶋勝利「朝の舗道、空の途」
→ヘリコプターのたてる音を踏みしだく音と聞いたのがおもしろい。「さぶしき」で冬の道を想像した。


みずがめは叩き割られて砕けちる破片に遅れ傾(なだ)れする水/島田幸典『駅程』
→ふたつある時評の両方で引かれている。いい歌だなあ。下の句の細かさがすごいけど、「叩き割られて」ってことは、水の入ったみずがめを叩き割ってる人がいるのかな。
細かい、ともちょっとちがうのか。おそろしくリアルに割れる様子が浮かんできた。


花あまた咲かせて庭に立つ人の囲まれてをり花の名前に/香川ヒサ『ヤマト・アライバル』
→たとえば花屋さんだったら花の名前の書かれたプレートやなんかに囲まれているからその感じがあるかもしれないが、ここは庭だ。これらの名前は目には見えてはいない。見えないものが取り囲んでいる。

それでいくと、花に限らずあらゆる場面でものの名前に囲まれてみんな生きてるわけだな。
花は名前だけでも一種の花らしい感じを与える。花の名前に囲まれているだけでも、ひょっとするとうっとりできてしまうかもしれない。


川の辺に春の陽差しがあたためる座りごこちのよさそうな石/石川茂樹
→公募短歌館あらため角川歌壇から。作者が石川さんで歌は「川」ではじまり「石」で終わるから、なにか意図があるんだろうか。
自然を自分の都合よく見るのがおもしろい。

「公募短歌館」って変なゴタゴタした名前だけど、長くやっててそれに馴染んでいたので、「角川歌壇」と名をあらためすっきりしてみるとそれはそれで物足りなさがある。







オレは角川歌壇で佳作で三首載った。

赤い服を着ている犬が街灯の下で巨大なイモムシみたい/工藤吉生
外塚喬選

二曲目で寝て五曲目で目が覚めてそのまま八曲目までは聴いた/工藤吉生
田宮朋子選

新年は特にしずかな気がしますカラスの声も空気のそれも/工藤吉生
内藤明選


それに比べるとしょうもないことだが、「読者の声」に36歳・男性として意見が載った。
特集・新春62歌人大競詠に対して
「皆さん意外と笑わずに過ごしてらっしゃる」と書いたのが載った。たしか笑いをテーマにしていたんだけど、一年中笑わないと書いていた歌人が複数人いた。







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「工藤の有料マガジン」は500円でさまざまな記事が読めます。

【第一回石井僚一短歌賞】に落選した連作 20首 https://t.co/jVQrn5C2Ln

第57回短歌研究新人賞候補作「仙台に雪が降る」全30首 https://t.co/2qhYBXq6hv

2ちゃんねるに書かれているオレに関する疑惑について答える https://t.co/7bl0976ewb

どうしたら短歌の絵を描いてもらえるんですか問題について https://t.co/x7uF5emd7k

「いいね」されない短歌/一人称のこと https://t.co/VnGb7jdktI

オレに関する恥ずかしいツイートを見つけてしまった https://t.co/mApcvnOrZ8

「文学じゃない」と言われたこと https://t.co/4Vx9ROeMQ5

工藤、投稿サイトで短歌に厳しいコメントを書かれる https://t.co/r1E65Zcwqr

『短歌ください 君の抜け殻篇』について調べてみたこと https://t.co/JoYbFBjdzu

16のサイト・アプリに短歌を投稿した結果を比較する https://t.co/3tMyRK4lDP

歌合 大学短歌バトル2016のこと https://t.co/WUnEo646fZ

ブログにきたひどいコメントシリーズ その2 https://t.co/dMNri2dI2Y

ブログに嫌なコメントがきた https://t.co/9HhaanSenL


んじゃまた。


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2016年01月23日

[総合誌読む 91] 角川「短歌」2016年1月号  ~元旦がムイシュキンのやうに来てゐる、ほか

角川「短歌」2016年1月号。

特集の大競詠のテーマは「初笑い」。
高齢の方を見てると、あまり笑わずに過ごしている方もいるようだ。たとえば玉井さんは「男は歯を見せて笑うな」としつけられてきたという。考えられないなあ。



窓を開けコーヒーを淹れ想いたり文芸という非力な空を/三枝昴之「水を汲む」


極端に短くなりしを生命線と思ひをりしが頭脳線なり/花山多佳子「三角の影」


どんぶりの底のうどんはまだ光り羞恥の記憶そこより蘇(かえ)る/松平盟子「甘味」

→なんかわかるというか、そうだそうだという感じがするんだが、それをうまくは言えない。
一杯のうどんが人生で、人生の終わり近くになってもそれをわきまえないような言動をしていてそれが恥ずかしい……みたいにつなげられないこともないが、つじつまを合わせただけとももいう。


古タイヤ積みつぱなしのところにも元旦がムイシュキンのやうに来てゐる/渡辺松男「公爵」
→「ムイシュキンのやうに」はすごい比喩だな。ムイシュキンは公爵だっけ。
ドストエフスキーの「白痴」の主人公ムイシュキンはお人好しな性格なんだが、ロシアの社交界やらなにやらに揉まれて廃人になる、みたいな話だったと記憶している。
あらすじを確認した。当たらずとも遠からず、と自分ではおもう。

ムイシュキンがロシアに出てくる場面のように元旦が来ているのか。これからどんな一年になるのかを予言しているようでもある。


うさんくさき自分に気づくいついかなるときも真顔の猫と暮らせば/小島ゆかり「パリの黒犬」
→たしかに猫って真顔だ。オレとおなじことを考えている人がいてよかった。
小島さんはとくに笑顔の印象的な方だと思っていたが「いつも笑顔を心がけているわたし」とも書いてらっしゃり、日々の心がけなんだなと思った。


疎開した綾町(あやちよう)を母は絵に描(か)きぬうすやみのなか低き井戸あり/吉川宏志「鳥ふたつ」
→うすやみと低い井戸。なんだかおそろしい。戦争、疎開といったことがこの「うすやみ」を作り出したようにも感じられた。
調べると宮崎県のようだ。


読みゆけるコピー冊子にくりかえし睫毛のごとき汚れあらわる/吉川宏志「鳥ふたつ」
→これも薄気味わるい。こういうちょっとしたものが嫌な予感を引き起こす。睫毛自体にそれほど悪いイメージはないけど、知らない人の体の一部(のごときもの)につきまとわれるのは、いい気はしない。


その音はあるときにわが身に沁みぬ地下道電車の戸のしまる音/斎藤茂吉
座談会で小池さんが引いている歌。わかるわーと思ったけど、よく考えたらオレの乗る地下鉄は戸の音なんかしないのだった。プシューッというのがそれなのか。小池さんは「ドーンと音がして」と言っている。
昔の歌ってそういうのがある。そうだよなーと思ってから、オレの知ってるのとは違うだろと。

音そのものは違うにしろ、その奥にある、この場合は「身に沁み」ているものはそう変わってないんじゃないかと、大事なのはそっちなんじゃないかと、思うようにする。


秋空に顔を浮かべていたりけり飛行機が顔の上空を行く/花山周子
連載から。「顔を浮かべて」がなんとも独特だ。空を見ていて、広いなあとか、よく晴れていて気持ちがいいなあとか、そんなような思いが反映しているのかなあと。顔だけになって見ているような思いだろうか。



謝らうか歯をけづられる間に考へたのだからどうもあやしい/平井弘「鴉あるき」



猫に語るが返事はしないされどまた語ればちょっと頷く気配/浜田康敬「国歌「君が代」」

→そんな気配あるかなあと思い出したがよくわからない。気配はあっても、でもうなづかないよなあ。うなづかなくても、もしかしてこっちの言うことが猫は分かってるんじゃないかと思うことはある。


掃除機のコードひつぱり出す途中にてむなしくなりぬああ生きて何せむ/小池光『思川の岸辺』
→コードがのびているのを反映してか、字数も増えている。むなしさはふいにやってくる。これから掃除するぞという動作のときにもくる。

小池光さんの掃除機の歌を、オレは過去に二回ツイートしていた。

ぎやつといひて驚くさまや掃除機に眠れる猫の尻尾を
吸へる/小池光

掃除機に吸ひこまれたるくつしたは常闇の国へ行ってしまへり/(同)




「読者の声」はおもしろいというか、まあ、こういう人たちが読者だったんだなというのが見えて興味深かった。
六十代以上の方が多い。どうしてもツイッターにいるともっと下の年代の声ばかり入ってくるものだ。
(36歳・男性)というのがいつか出てきたら、それはオレです。

専用はがきってことは、「公募短歌館」あらため「角川歌壇」に出してるような人たちが中心ってことだわな。




角川歌壇
「公募短歌館」という名前が変更された。たしかに「公募短歌館」って変なタイトルだし、どんな館だよと思うけれども、長く触れて慣れたものが変わるとさみしい気もしないではない。

〈お遊戯会〉幼に一つ台詞あり「どうぞひとばんとめてください」/石倉香子
→こどもをほほえましく見ている歌。だけどこの台詞のチョイスがいいんだな。完全におとぎ話で。
幼いというけど、その後一生言うことも聞くこともないかもしれない言葉だ。この内容の言葉がかわいらしく見えるのはお遊戯会というこの場だけのことなんだろうな。




角川全国短歌大賞の発表がある。そこから少しやって終わりにしよう。

スマホとふ情報の海にぎりしめ母の病をどうにもできぬ/山川仁帆
→相変わらず母親の歌に弱いオレだ。
海をにぎりしめるというところに、母への気持ち、無力感があらわれているんじゃないでしょうか。


送りバントを決めるが如く前髪を右斜め向きにピンで止めおり/藤原靖子
→女性で送りバントを決めたことがある人というのはどれくらいいるものなんだろうな。オレ? オレはない。
とにかく意外でおもしろい。
考えてみたらオレは前髪をピンで止めたこともないんだ。どっちもやってなかった。そんなことはいいんです。


いつだって心は傍にいるという一行だけを繰り返し読む/風花雫
→手紙だと思った。歌詞とかかもしれないけど。
そこが特に響いたところなんだろうなあ。







オレの歌。

角川歌壇。
看板のうえにテープが貼られればテープの下は虚偽の看板/工藤吉生

松坂弘さんの佳作。今月は佳作1首のみ。
この歌は若い人たちの某歌会に出して、けっこう点が入った歌。



題詠「微笑み」
居酒屋の呼び込み人がほほえんだままでまたもや無視されている/工藤吉生

小林幸子さんの選。実は題詠に載るのは2013年の春以来で、かなり久しぶりなのだ。
短評がある。
「街頭で無視され続ける営業用の微笑みに目を留めた。」



角川全国短歌大賞の発表のページに特選で1首載った。
こじゃごじゃにからまってるがはじめからそんなつもりでいたか巨木よ/工藤吉生

馬場あき子選。これについては「短歌生活」という本のときにまたやります。



オレの歌を今少し紹介しましたが、もっと読んでやってもいいという方は
https://note.mu/mk7911
noteに作品をまとめていますのでご覧ください。投げ銭方式なので無料ですべて読めます。



んじゃまた。


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2016年01月09日

[総合誌読む 89-1] 「角川短歌年鑑 平成28年度版」【前編】  ~期待はづれの凡庸の顔、ほか

「角川短歌年鑑 平成28年版」を二回に分けて見ていきます。



まず報告。
公募短歌館・年間ベスト20首の、6位と17位にオレの歌が入りました!

ワーワー(歓声)

毎月、公募短歌館には約1500通が応募されています。1通に4首書かれて、1500×4=6000首。それが12ヶ月なので6000×12=72000首のなかの6位と17位であります。

ワーワー(歓声)

たぶん、何人の選者が特選・秀逸にしたかで選んでるんじゃないかと思います。二人が特選にした歌が6位、一人が特選で一人が秀逸にした歌が17位になっていました。

6位
針の穴を通った糸はそれまでの糸よりやる気を感じさせるぜ/工藤吉生


17位
座ってはならぬ規則があるように男がオレを影として立つ/工藤吉生


ワーワー(歓声)

一位ほしかったな。

でもまあ、2014年までは秀逸どまりだったんで、うれしいです。
2013年は題詠で二首載って、2014年はなんにもなしでした。2015年は調子よかったです。2016年は一位目指していきます。まあ厳しいですが、目指すのは勝手なので。
すでに1月号で題詠に入選しているので、次の年鑑に一首以上載るのは確定しています。一首と言わずバシバシいきます。

ワーワー(歓声)








さてここからが本題であります。
今回は「作品点描」を中心に。



さぞ阿修羅の顔なるらむと鏡みれば期待はづれの凡庸の顔/岩田正
→かなり怒ってるのに、自分の怒ってる顔を鏡で見てみる余裕があり、できればコワイ顔であってほしいという願望もある。ふたつの顔がある。


ウォシュレットのボタン一つを押し違え思わぬ処に水が温とし/浜田康敬
→本人にとっては意外であっても、そとから見れば、同じ男性のお尻のどこかという違いにすぎない。

オレはウォシュレットを使ったことがない。心を許していないというか。



火葬場へ行くバスの窓すぎゆけりいつぽんいつぽん寡黙なけやき/高野公彦
→寡黙であると感じられるのは、内側に言葉をもっていると感じられる、ということではないだろうか。


ひといきに地球の皮をはぐようにマンホールの蓋を開ける男は/沖ななも
→鳥肌が立つ。地球の皮は日々はがされたりくっつけられたりしていることになる。そう考えると地球はやられたい放題だなあ。


人絶えし家の扉をひらくとき淡くこの世を踏みはずしたり/佐伯裕子



ゆきの夜の炬燵に足を入れるときちよちよつと探りうーんと伸ばす/池田はるみ

→たしかにそんな感じだなあ。自分だけじゃないんだと思わされる。


「オモチカエリデスカ」「ピッ」と言ひつつ幼子は吾の背中に何か押し当つ/花山多佳子
→背中だから、何を押し当てられたのかよくわからない。
楽しいごっこ遊びでもあり、自分がお持ち帰りの商品として機械で処理されたようでもある。孫歌でありながら、現代の不安も映し出した、すごい歌だ。


午後二時の仏間の灯り消せる時思わぬ方より薄明かり差す/三井修
→「思わぬ方より」。
さっきの浜田康敬さんの歌の四句が「思わぬ処に」で、よく似ている。比較すると、男性のお尻と、あの世を予感させるような光源で、これはえらい違いだ。


土俵、ノブ、指環、ボタンの謎めきて命にふれるそれぞれの円/大滝和子
→ひとつの円がつぎつぎに別のものに変化するイメージの面白さ。


うどん食ひてあたたまりゆくうつしみはどんぶりを両の掌にささげつつ/真中朋久
→うどんを食うことを、短歌は神聖な行為のように描き出すことができる。からだがあたたまるのがありがたく感じられることはある。


「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか/森山良太
→小池光さんの歌に出てくる佐野朋子、染野太朗さんの紺野、千葉聡さんのKなど、教員歌人が短歌に描く生徒に、オレの印象に残っている人物が何人かいる。

「今日は」に、それまで佐藤かおりを見てきた時間の厚みがある。



くうかんはうしやせんりやうくうかんはうしやせんりやうと鳴く鳥はあらずや/本田一弘
→インパクトで丸つけてしまったが、これはなんだろう。
「空間放射線量」という言葉が人間の言葉、自分に関係する言葉として受け入れられなくて、まるで鳥の鳴き声でも聴いているみたいだ、ということか。


いくたびもポスター剥がれて貼り直し五度目に剥がされたりしと気づく/大口玲子
→気に入らない内容だとしても、ポスターって勝手に剥がしたりするだろうか。その感覚が信じられないし、五度もそれを繰り返すのは、怖い。
五度くらい繰り返されてようやく思い当たることだ。
ポスターを通して見えない相手と無意識のうちに争っている。



体より心まぢかくあることに愕然とせり水仙をかぐ/大口玲子

スイセンの移り香たちぬ細くびの花瓶かたむけ捨つる水から/松本典子


が同じページにある。
服部真里子さんの水仙の歌

水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水 

がなにかと話題の一年だったが、それに関係があるようにも見える。



道徳のプリントとして刷られたる善き人の写真黒く潰るる/小川真理子
→本をコピーすると写真が黒くなってしまうのは、あるあるだ。ぐりぐりと塗り潰され落書きされたみたいになる。それによって「善き人」がそうじゃない印象になりかねない。
「善き人」もなんだか引っ掛かる表現だけども。


くらぐらと水落ちてゆく側溝に赦されてあるような黒い水/瑳峨直樹
→「くらぐら」は暗いということを強調しているんだと読んだ。水を人に置き換えて「水は低きに流れる」という言葉もある。


さみしさをうすめてくるるはずの子が西陽のなかに紙千切りおり/永田紅


なんと濃い夕陽だろうか教室でしずかにめくるエロ本の上(え)に/染野太朗

→夕日と紙の出てくる歌が二首つづいたが、これは偶然。
学生にとってはエロ本はやや背徳的なアイテムでもあり、見るのにしずかではいられないんじゃなかろうか。
しずかにめくっているし、夕陽のほうが存在感があるし、大人になるとはこういうことだ。

あと、「太郎」と誤植されていてげんなりした。全国の太朗さんは、さんざんこんな仕打ちにあっているのだろう。


君は冷たい記憶の花を摘むしぐさ摘むしぐさだけで僕に渡して/堂園昌彦
さっきから引いているのは年鑑の「作品点描」というページからなんだけど、藤原龍一郎さんのところだけは、筆者の評価、意見が前面に出ている。
堂園さんには「一つの言葉から次の言葉への連環が詩的バランスで保証されている」と書いている。

「しぐさ」だけで渡される記憶。摘んだり渡したりするフリはできても、所有することも共有することもできないのが儚い。できなくても、しようとする。しようとしたことだけは共有されている「記憶」。

作品点描からは以上。







詩情とは何かについての特集では、
見知ったはずのものがはじめてみるものに思えるような作用「未視感(ジャメヴュ)」というのを知った。


「詩情とはなにか」を歌人に訊くアンケートがあった。
訊かれてないけどオレもどう答えるかを考えた。
回答は15字以内という制限がある。

オレは
「存在しない何かへの憧れ」
とでも答えたい。これは、作曲家のフォーレが書簡のなかで音楽を定義した言葉。







おほきなるめまひのなかのちひさなるめまひかなこのあさがほのはな/渡辺松男
→全部ひらがなで旧かな、というのでもうメマイがしてきそうだ。「なる」「めまひ」が繰り返されて「なか」と「かな」が出てきたりするのもメマイポイント。
朝顔が小さなめまいなら、大きなめまいとは? めまいだらけの場所なのかも。


たましひに罅あまた有るにんげんが生きて瓦礫の街をさまよふ/高野公彦『流木』



今回はここまで。次回は「自選作品」を中心に見ていきましょう。



んじゃまた。


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2015年11月14日

[総合誌読む 86] 角川「短歌」2015年11月号  ~うつくしい銀河系のよりみち、ほか

角川「短歌」2015年11月号。


歯にて破る青葡萄の果(み)の弾力をふいに思へり夕かたまけて/尾崎左永子「時を刻む」


さて深い深い水辺(みづべ)の朝がある。無論笑(わらひ)を含んではゐるが/岡井隆「ぼくに似た人」

→水辺だったら水深は「深い深い」というほどではないんじゃないか。とすると、もっとちがう意味で深いんだろう。
なにが「無論」なのかわからないが、こう言われると、ずっとそれを知っているかのように思えてくる。
朝日に照らされた水が笑ってるように見えるのかなあとか考えた。


この丘は低い。しかれども百年の風を受けつつ物言ふ丘だ/岡井隆「ぼくに似た人」
→さっきのは最初から二番目の歌で、これは最後から二番目の歌。
「百年」は「深い深い」に、「物言ふ」は「笑」に対応してはいないか。


権力の声って静かなのだよ おだやかに砂食(は)み引きてまた波が寄る/三枝浩樹「二〇一五年夏物語」


バラの花あふるる家に住む人を見たいとは思はぬ 出て来るな/佐藤通雅「逆走」


賛成の方はご起立願ひます そのままいつまでも起つてをれ/佐藤通雅「逆走」

→そういえば国会のあれって、いっぺんに起立して、さっと座る。わずかな間しか起立していない。
「起つてをれ」は昔の教師が悪い生徒を一喝してるみたいだ。


センターを守る選手のごとく今日われはさびしい 人を離(か)れきて/三井修「馬頭星雲」
→「離れ」で「かれ」と読ませる。「枯れ」を連想してさびしくなる。



角川短歌賞の発表号となっている。

二階建ての数式が0へ着くまでのうつくしい銀河系のよりみち/鈴木加成太「革靴とスニーカー」
→分数の、分母と分子のある形が「二階建て」。答えは0になるがそれまでに経る過程が「よりみち」。
二階建て、よりみち、は現実世界にもある。数式や銀河系といったものと組み合わされて、現実とはるかなものがつながった。


凸の部分押して凹にし月の夜のバニラシェイクの蓋をいじめる/鈴木加成太「革靴とスニーカー」
→凸が凹になるような形の変化は、月にもある。バニラシェイクの蓋はたしかにそういう押せばへこむような素材でできていると思い出す。「いじめる」に感情のやり場のなさを感じた。



次席、佳作で一番しるしがついたのは滝本さんの連作だった。

この人はツイッターでは今年六月に「はつむかし」という名前のアカンベーをした画像アイコンのアカウント @hatsumukashi
で大木はちさんの企画した「#たんばな3」のタグを荒らしていた印象しかなかったので第一印象は悪かった。(現在はアイコン画像も名前も変更した模様)
だが、作品はこのなかでは良いと思った。

二十五時過ぎて帰れる隣人のハミングがまた転調に入る/滝本賢太郎「恋ふるのは火」
→ハミングが転調って、なかなかないことだ。日本の音楽だと「雪の降る町を」は転調の多い曲として有名だが、例外的だ。
ドイツは音楽の歴史のある国だが、それと関係あるのか。
どんな隣人だろうと思わせる。


枯れゐたる薔薇さしたままこの部屋をどぎつき自我の暗室と思(も)へ/滝本賢太郎「恋ふるのは火」
→ナルシシズムとでも言うべきものが含まれている。醜さと陶酔の絶妙な線上にある。 枯れたら新しい花に取り替えましょう、暗かったら部屋に明かりをつけましょう、などという健康的な考えは拒絶するのだ。
「どぎつき自我」の濁音攻撃もいい。


布袋に詰めれぱ鈍器となるほどの本携えて教授と会ひぬ/滝本賢太郎「恋ふるのは火」
→学問が積み重なって、野蛮な武器になるという逆転。それを振り回して教授を攻撃するような予感が、かすかにある。


船乗りになりたかったな。コピー機が灯台のようにひかりを送る/ユキノ進「中本さん」
→職場の歌の連作だけども、ところどころに自然がでてくるところがいい。詩もある。
「船乗り」は漁師ともちがい、あまり現実的ではない職業かもしれないね。コピー機の光りかたは、言われれば灯台みたいだ。うまい比喩だ。

ちょっと言い方を変えれば現実の職業につながりそうなんだがなあ、「船乗り」は。この言い方でしか出てこない詩情がある。


座談会でそのほかの候補作の歌が太字
で引かれていて、それがけっこう面白くて丸をつけたが、ここではやめておこう。つまみ食いのつまみ食いには、これでも多少は抵抗があるのよ。
これらの連作はそれぞれの方が何らかの方法でまとまった形で発表していくのだろう。

角川短歌賞のことはおわり。



一夜漬けされたあなたの世界史のなかのみじかいみじかい私/笹井宏之『てんとろり』

という歌を、高野公彦さんが「特集 歌を味わう」のなかで、難解な歌としている。
一夜漬けとは言うまでもなく、試験の前夜にまとめてする勉強だ。試験が終わればすぐ忘れられる。
世界史のなかには人物がいて、一夜漬けの人からみればごくみじかい出会いと別れだ。

問題は「私」。世界史のなかに出てくるのは外国の歴史上の人物ばかりだ。そのなかにいて出会った「私」は何者なのかということになる。
きっとこれは、何者でもあり、何者でもないんだろう。
笹井さんの「私」のありかたが不思議でおもしろいなと思うのは、その前の歌を見ても思う。

おんがくの波の中からあらわれた私をひとり抱きしめてやる/笹井宏之『てんとろり』

というのが、その前に引かれた歌。
高野さんが難解だとした笹井さんの歌のどれもに「私」「あなた」がいて、
「魅力を感じている」歌のどれもに「私」「あなた」がいないことをオレは気にしている。


吉川宏志さんは「なまなまとしたものを聴く」のなかで
「鑑賞文を書くことには、自分の直観を、別の自分の眼によって再確認する意味合いがある。」
「可能なかぎり、自分がなぜ良いと思うのかを考えてみることが必要だろう。」

と書いている。
こう言われると、自分のやっていることは無意味でないと思える。
無意味かもしれないし間違っているかもしれないというおそれのなかで、いつもいつもやっていることだ。


五年間服むことになる錠剤のはじめの一つを指に押し出す/中津昌子『むかれなかった林檎のために』
→薬をもらうところでもなく、飲むところでもなく、「指に押し出す」ところ。ここから五年がスタートしたような感じを受ける。


兵隊が匍匐前進のままに伏すとき黒蟻が見えたとおもふ/中野昭子「熊 のかほ」
作品7首から。「見えたとおもふ」と兵隊の視界を想像している。黒蟻は兵隊になにを感じさせただろう。
関係ないけど「匍匐」って「葡萄」みたいだなあ。


悪疫で国がほろびる小説の挿し絵でずっと燃えている町/堂園昌彦「硬水と軟水」
→悪い病気が蔓延することと、火事になることは、よくわからないがどこかでつながっているんだろう。
絵は文章より印象として強く入ってくる。絵のなかに時間はないから、ずっとずっと燃えている。記憶のなかでも燃え続けるだろう。



永井祐さんが時評で引いてる歌がおもしろかった。

母さんがふとんを叩く「母さんがふとんを叩くと感じるのですね」/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
→あきらかに目の前で行われていることも、ある状況になったら他人と見解が異なったり、立証の必要がでてきたり、あるいはそれに困難が生じたりするものだ。

自分のなかでの当たり前も「それはあなたがそう思い込んでるだけでしょ」なんて言われて、ものすごくダルくなったりする。

母さんがふとんを叩くと感じられない人には、それは一体何に見えるというのだろうか。

「母さんがふとんを叩く」と書かれていれば、読んでるこちらは簡単にそれを受け入れてしまうという一面もある。



書評からちょっとやっておわります。

青空 よくよく嵌めておかないとこのまま抜けてゆきそうな首/佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』
→「青空」のあとの一字あけにも、一種の「抜け」がある。
「抜けるような青空」と確かに言うけれども……。嵌め込むなんて、人形みたいな首だ。「このまま」ってことはもう抜けが始まっているのか。


召されゆく天にて逢はば目をほそめまづは聞きゐむ母の繰り言/内藤明『虚空の橋』



投稿欄からはとくになし。いや、読んでるんですよ。オレも投稿するわけだし。








公募短歌館に載ったオレの歌。

仕事場のかなり苦手な一名の顔がしきりによぎる壁だな/工藤吉生
(志垣澄幸選 佳作)
(香川ヒサ選 佳作)


かわいそう 窓全開の車から大ボリュームで流された歌/工藤吉生
(加藤治郎選 秀逸)
[評]
「かわいそう」なのは何かわからない。ここには迸った思いだけがある。全開の窓も大ボリュームも過剰であり、思いを受け止めきれない苛立ちを感じる。



ということで、角川短歌をおわります。

んじゃまた。


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2015年10月16日

[総合誌読む 83] 角川「短歌」2015年10月号  ~ゆりかもめ全裸専用車両にて、ほか

角川「短歌」2015年10月号。


真盛りのおしろい花の群落に淡い記憶の母しやがみをり/馬場あき子「生きつぐやなほ」


生肌(なまはだ)にいちぶ毛のある醜悪なニンゲンわれらカフェでくつろぐ/小島ゆかり「鈴の鳴るドア」

→人間が醜悪っていうのを感じることはあるかもしれないが、カフェでくつろいでいる場面で感じることではない気がする。他の動物や自然との関わり方とかトラブルのときには感じるかもしれないけれども。そこが意外かなと。
生肌って言葉があるのか。見ればわかるけど、使うことのない言葉だなあ。


ゆりかもめ全裸専用車両にてしゃぼん玉吹きながら戦死す/穂村弘「ふりかけの町」
→全裸専用車両、は衝撃的。女性専用車両に似ていながら、家畜の運搬車のようでもある。
昔のあるあるみたいな歌のなかに時々ありえないような内容の歌がある。

アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹸剥いている夜
という歌も穂村さんにはあった。戦争だし、裸だし、石鹸とシャボン玉だ。


保健室の先生百貫でぶにしてこんなに大きな白衣があるんだなあ/穂村弘「ふりかけの町」
→太ってる人を見てるとこういうおどろきってある。「百貫でぶ」もしばらく聞かない言葉だなあ。


特集「写生がすべて」で紹介された歌から。
森深く鳥鳴きやみてたそがるる木の間の水のほの明かりかも/島木赤彦『馬鈴薯の花』


十階の窓より見える六階の空家の中の青い引き出し/東直子『十階』

→歌集タイトルになってるってことは有名な歌なのか。不勉強で知らなかったけど。
引き出しって何か出てくる気配がする。でも空き家だから開くはずがないんで、でも見えてると気になる。青という色もひっかかってくる。


水槽の砂が澄むまでゆっくりとあなたの影が部屋を漂う/中家奈津子『うずく、まる』
→す、す、すで始まる。
砂が澄んでないということは中に何かいるんだろうが、推測から出られない。「あなた」も影だけだ。いるようないないようものの、動きだけがある。


真夜中の三井住友銀行の前ではしゃいだどうしてだっけ/谷川電話「顔と青」
特別作品40首から。
三井住友銀行、が生きてるんじゃないでしょうか。はしゃぐことから遠そうなものをもってきた。


傘の中の小さき宇宙のまんなかにわが頭あり星したがへて/矢島るみ子「見知らぬ街」
作品7首
傘の中の宇宙というのは、プラネタリウムで見る宇宙みたいなイメージかなあと。頭も星のひとつで、それも宇宙の中心の星。


脚二本腕二本胴一本の投げ出されをり畳のうへに/斎藤寛『アルゴン』
書評
人のひとりが寝転がったようにも、バラバラにされた人体のようにも見える。


思ひあたること一つあり一つとは九十九よりおそろしきこと/大塚純子『花の処方箋』



毎日と決めた日記に走り書きして消えてゆく一日がある/飯坂友紀子

題詠から。


ニャアとしか鳴けない仔猫は懸命にニャア、ニャア、ニャアと鳴いて果てたり/浅利瑞穂
公募短歌館から。猫の歌に弱い。



以上です。オレの歌は、これの前の記事に載せたから省略。
題詠は相変わらず載らない。2013春からボツが続いている。


んじゃまた。


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2015年09月11日

[総合誌読む 81] 角川「短歌」2015年9月号  ~ヘンデル盲目バッハ盲目、ほか

角川「短歌」2015年9月号。


命絶たるる朝ならなくに判決の主文のごとく響く雨音/水原紫苑「ドグラ・マグラ」
→旧字がこちらでは出せないが、旧字で書いてある。


きしめんは即ち平たきうどんにて食ひたるわれを横たはらしむ/小池光『日々の思い出』




特集は『「私」をどう歌うか』

松村さんと内山さんのおっしゃることはつながっているんだろう。自分を客観的に見る自分のこと。

読んでて線を引きたくなったのは内山晶太さんの文章。
「客観的に自分を見ることが、短歌でなんとなく重視されがちな傾向なのは、そうすることで一首が重層化しうるから、という理由もある」
「過去のこと、未来のことを思うやいなや、よっぽどのことがない限り客観視が成立する」

佐太郎は「肉体と精神の置き場所を異にすることで(略)歌に客観をもたらす」、と内山さんは言う。「肉体的眼球と精神的眼球の位置が違う」とも。

夏の日のながく寂しき昼すぎに玉蜀黍(たうもろこし)の花が散りゐる/佐藤佐太郎



放心してわが佇(た)ちつくす冬野路(じ)に目的不明の杭一つたてり/岡部桂一郎『緑の墓』

→自分がその杭みたいだな。だいぶ前に見た河野裕子の次のような歌を思い出す。

言ひ負けて呆とゐる午後人ら来てたちまち空地に杭打ち始む/河野裕子『はやりを』

似た歌と思って引いてみたが、「たちまち」「来て」「打ち始む」はずいぶん動きを感じさせる。 岡部さんの歌は杭と自分がよく似たもののように見えたが、河野さんの歌の杭は今まさに立てられるところだ。はっきりした目的をもって立てられるのだろう。



杖ついてゆっくりあゆむ老人の片手の荷物はよく回りおり/井川京子「青空」



「オチンチンマックロケ」などと鳴いてゐた分教場の裏山の鳩/安江茂「聞きなし」

四十雀を「貯金、貯金」と聞く人と「キッス、キッス」と聞く人と あはれ/(同)

作品12首から。鳥の声が言葉に聞こえるというだけで12首ができている。おもしろいけど12首すべてに鍵カッコがつくとわずらわしさもある。


やたら太った両性具有のタレントが人生を説く熱帯夜なり/小塩卓哉「空と雲」
→マツコ・デラックスを見慣れてしまうと、ただのマツコ・デラックスにしか見えなくなってくる。こうして要素を分解するとあらためて感じるものがある。強烈だなあと。熱帯夜に見るにはあつくるしい画面だ。

鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい/木下龍也
分解(とらえなおし、と言ってもいい)の歌といえばすぐこれを思い出す。



長き髪ひきずるごとく貨車ゆきぬ渡橋をくぐりなほもゆくべし/葛原妙子『飛行』

郭公の啼く聲きこえ 晩年のヘンデル盲目バッハ盲目/葛原妙子『鷹の井戸』

人物特集「葛原妙子」から引いている。
ヘンデルを盲目にした眼科医とバッハを盲目にした眼科医が同じ人物なのはちょっとだけ知られたトリビアだ。
カッコウの鳴き声は特徴があり、音楽のモチーフとして使われることがある。また、カッコウといえば巣に関しての習性にも特徴がある。


球体、盲目、のっぺらぼう、色彩、字足らずなど、葛原妙子の歌のキーワードをいくつか見ることができた。
とくに「色彩らしいものがなく」「赤や黄の黴さへめづらしく」感じる環境のことが印象に残った。


紙屑をひろへるわれはしろたへの紙屑とともにかろくなりたり/葛原妙子『鷹の井戸』


「葛原妙子一首評」を10人が寄せている。10読むと、一首評の仕方がおぼろげながら見えてくる。

一首評
まず出典をしめす。その頃の作者の状況をしめす。
→必要と思われれば語句の説明をし、おおよその内容を述べる。
→鑑賞。魅力を語る。

というのが多いかなと思ったが、例外も多い。筆者本人のことを入れるような書き方もある。
作者の状況云々は、昔の歌の場合が多いでしょうね。戦前か戦後か、結婚前か後か、誰を亡くしたとか、知ってるのと知らないのとで歌の理解に変化がでる場合がある。




自販機の冷えたる缶を手に む初めて武器を持ちたるごとく/中村達「文明の負」
作品7首から。初めて武器を持ったときの気持ちとはどんなものだろうと想像する。これが「あったか~い」の方だったらこの感覚はなかったのだろう。


譲られて「お席ちょうだいします」と言う母の言葉を忘れじ一生(ひとよ)/久山倫代『星芒体』


砂浜に燃やす火 どこから眺めても正面となる裸形のほのほ/伊藤一彦「青葉木菟」

「短歌月評」から。
火ってむき出しだなあと感じる。砂浜がいい。原始的なエネルギーがある。



最後は公募短歌館からいくつか。

にぎやかな夢であつたな麻雀を打ちたる二人はあの世から来し/小手川治夫
→麻雀だから四人でやったんだろう。そのうち二人は今は亡き人であると。
年を重ねるとこういうことは増えそうだなあ。


あんさんは幸せでっかそうだんなそないに思う時もおまんな/前田 夫
→関西でもいくつか言葉の違いはあるのだろう。このタイプの言葉はあまりみかけない。方言がすごく前に出ている歌。
親しい二人が幸せについて語っているという図だな。


長髪のイスラエル人「どの国も大変」と語りて我の眼をみる/山田泉
→日本も大変じゃないわけではないが、じっと見られるとどれだけその大変さを背負っているかを問われるようだ。


日本を旅客機としてその暗き操縦室を想ひ絶句す/島村福助


息絶えし夫の傍にわれの椅子用意されおり間に合わざりし/齋藤洋子


次に借りる本も決めたり図書館を出でたる道に卯の花匂ふ/田中君枝

→ああ。本を読むのが楽しくなりはじめたころの感覚だな。こういう時期があったなあ。


なぜか今回は伊藤一彦さんの選の歌に多く丸がついた。
以上で角川短歌9月号をおわります。んじゃまた。


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2015年08月24日

[総合誌読む 79] 角川「短歌」2015年8月号  ~まひまひの国の音、ほか

角川「短歌」2015年8月号。


トンネルを走行中のごとき音ひまはり咲けば蕊よりきこゆ/渡辺松男「まぶたと息と桑の実のジャム」
→以前、短歌を穴埋め問題にした本がありましたが、「ひまはり咲けば蕊」のところを伏せて穴埋め問題にしたら、かなりの難問になるでしょうね。
オレなんかにはとても聞こえそうにはないものを聞いています。


旅僧にわれはあらねどまひまひの国の音するあぢさゐのはな/渡辺松男「まぶたと息と桑の実のジャム」
→これも植物から音がする歌。偶然丸をつけたけど、やっぱりオレは音のする歌が好きみたいです。
トンネルを走行中のごとき音なら想像できますが、「まひまひの国の音」となるとそれも難しくなります。ずるずる引きずるような音?
旅僧とは? 「まひまひの国」をこの僧は旅してるのでしょうか。
僧と音といえば、お経の長く引き伸ばされる声を思います。それがかたつむりのノソノソとしたイメージに重なってくるのかなあ。



特集は「河野裕子の魅力」

紙袋に手をさし入れて感じをりもやもやとせる袋の睡気(ねむけ)/河野裕子『家』



「私はここよ吊り橋ぢやない」の歌は知ってたけど、詞書は知らなかった。短いし何気ないけど、あるとないとではちがう。
アンソロジーに入るときや一首単位で引かれるときは詞書きはよく省かれるが、あったほうがいい。



光源はどこなのだらう壁づたひに踏み外さぬやうに歩いてゐるが/河野裕子『庭』
→野外にしろ室内にしろ、光源がわからないことってあるだろうか。そんなにないように思う。なんだか夢のなかみたいだ。
踏み外さぬように歩くのもそうだ。踏み外すと落っこちてしまいそうなあやうさがある。



いつのまにか、ですます体じゃなくなっちゃったけど、オレの書くものはネットではいつもこんな感じ。おそるおそる丁寧語で書きはじめて、ほぐれるとこれになる。紙媒体の場合は一方にそろえるけれども。



ゆつくりと空を渡りてゆく月に月の匂いあり向き合うて吸ふ/河野裕子『母系』
→さっきは植物から音がする歌を引いたけど、こちらは月に匂いがしている。そういう、普通じゃない感覚がおもしろいと思う。言われてみると、花に音があり月に匂いもあるような気がしてくる。
「向き合うて」のような月との位置関係にも特徴がある。






さういへばゆふべの夢の亡き夫はきのふ会ひし息子のシャツ着てをりし/藤井幸子「梔子の頃」
作品12首から。「梔子」はくちなしと読む。そういうの読めないんだよねえ。
記憶が毎日書き換えられていってしまうような、おかしみのようなさみしさ。



特別企画「戦争の肉声」。岩田正さんが軍隊の嘘についてくりかえし語っておられるのが印象的だった。







夕闇に手を振りていし吾のこと手帳に書きぬ或る日の母は/大島史洋『ふくろう』

自分史を書くとパソコン始めたる夫の少年期こそ待ち遠し/木村博子『宇宙の粒子』

書評から2首。
複数の時間が一首のなかに流れている。
手を振ったり振られたりしている時間・それを手帳に書く時間・それを知って思い返す時間。
パソコンを始めた時間・いつか少年期を書き上げる時間・少年でいた時間。



みづからを売るにあらずや静かなる婦人座しをり教会バザーに/たなかみち『具体』


「言わなくちゃ伝わらないよ」を繰り返し繰り返し決して生まれぬ言葉/山口文子『その言葉は減価償却されました』


教育とは教はりしことおしなべて忘れし後に残るものをいふ/清水芳洞『六花』


警官に土下座しながら泣くぼくの顔に押し潰されるタンポポ/加部洋祐『亞天使』







最後に公募短歌館から。

火曜日の暦千切れば森歯科とおほきくおほきく記してをりぬ/今野浮儚
→最近投稿欄でよく名前を見る方だ。浮いて、儚い。特徴あるお名前だ。
「森歯科」。どんだけ大きく書いてあるんだろう。書いたときと現在の意識の違いが感じられる。


薬局でビタミン剤を見比べて箱のきれいな物を選んだ/小橋辰矢
→この方もよく見かける方。
相談して買ったほうがいいんだけど、なんとなくしないで買うこともある。成分を見てもよくわからないからデザインで買ってしまう。しずかに危ない歌だ。




オレも投稿したけど今回はだめだった。トリプル特選+佳作のあとのボツなので、ちょっとがっかりした。でも出した歌を読み直すと仕方ないと思える。



以上です。んじゃまた。


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