角川短歌賞

2019年12月04日

▼現代短歌カレンダー▼角川短歌賞関連  ~2019年10月

2019年10月に書いたもののなかから。雑記のまとめ記事です。




▼穴埋めクイズ

「「む◯さ◯し◯ぶ」って誰のこと?人の名前で穴埋めクイズ!」7問中7問正解でした!満点です! 穴埋◯クイズはお得意のようで◯ね! https://t.co/vM6A0m9pHF #quiz @QuizKnockから


クイズで満点とってうれしかった。ほどよい難易度で楽しめた。





▼現代短歌カレンダー

東京四季出版の「現代短歌カレンダー2020」の8月に短歌を掲載していただきました。


なんとなくいちごアイスを買って食う しあわせですか おくびょうですよ
/工藤吉生


同じ8月に山田航さんの歌も載っていた。

暑い そば食いたい 昔よりちょっとピースボートが値上がりしてた
/山田航



二箇所の一字あけがあることと、買ったり食べたりする歌だというところは似ている。
ピースボートってタバコの銘柄かなと思ってたんだけど、今検索したら、国際交流を目的とする船舶旅行なのだそうだ。そうなると飛躍が大きくてなかなかいい。「そば食いたい」からも飛んでるし、そういう旅行の値上がりの「ちょっと」がどれくらいなのか計りかねるのも味だ。







それにしても、このカレンダーの参加歌人には知らない人が多い。7割くらい知らない。独自の選び方があるんだろう。

思ったよりも若い人がいる印象だ。山階さん小坂井さん越田さん山下さん大森さん定綱さんとかがいる。





▼角川短歌賞関連


10/25
角川短歌をKindleで買ってパラパラと読む。買いにいくのが面倒で、しかも電子版のほうが安いから。

40代50代が受賞ってめずらしい。選考委員が高齢だからこういうことは不思議じゃないはずなんだけど、ちゃんと起こった。
角川短歌賞とは、高齢の選考委員による新人賞、っていう捉え方ですねオレは。年齢の高い応募者にチャンスがひらかれているとも言える。

それに対して、
加藤・穂村の短歌研究新人賞、
吉川・水原の歌壇賞、
っていうざっくりしたイメージです。


短歌研究新人賞でも2012年に1970年生まれの受賞者がいたけど、その鈴木博太さんの「ハッピーアイランド」は、震災や原発というでかい特殊なテーマであるうえに、かなり表記でアクロバティックなことをしていた。オーソドックスな歌で40代以上が受賞することがなかなか出来ていなかった。
オレは38で受賞したけど、このあたりが年齢的にギリギリのところなんだと思っていた。
昭和34年生まれの受賞者が出たことで、何が起きるか。流れが変わるのかどうか。

と思っていたら、なんだか角川の選考委員はがらりと交代して若い選考委員も入るようで、流れは切られて次から新しくなる。




応募総数が700こえたのはすごいな。700は初めて見たかも。短歌研究の570よりもだいぶ多い。

角川短歌賞と短歌研究新人賞は応募する年齢層のバランスがちがうのかと思ったが、見たところ変わらない。






角川短歌のツイッターアカウントが落選ツイートをたくさんリツイートしていて、なんのためなのかよくわからないがちょっとおもしろい。
予選落ちでがっかりしてる人もいる。予選を通るのは5%以下だから、きびしい。オレは7回出して1回通っただけだ。


すぐネプリやnoteにして落選作を出す人たちもいくらか見えた。それもここ数年で風物詩みたいになりつつある。
そういうのはどうなのか、という声はあまり大きくならなくて、発表する動きが活発だ。なかには、受賞者がツイッター発表された段階で、雑誌の発売前から応募作をネット公開しようという人もいる。







第三滑走路さんのツイート。
https://twitter.com/3kassoro/status/1185712097901985793?s=19
「めちゃくちゃ好き」みたいなツイートが、シンプルにうれしい。








ミスタードーナツの「汁そば」を初めて食べた。おいしい。あっさりしている。ほかの味も食べたくなった。パスタもあるようだ。ドーナツ屋なのかなんなのかって感じでもあるが。



カルビーの「クランチポテト」という堅いポテトチップスをすすめられて食べたらおいしかった。サワークリームオニオン味。おいしいが、口がくさくなる。




▼無法松の一生


急に思い出したイントロがあって、それが村田英雄の「無法松の一生」だとわかり、YouTubeで聴いた。

島津亜矢って歌唱力あるなあと思った。

「無法松の一生」には元になった小説があるんだそうで、それが映画になったり歌になったりしている。それがまずちょっと特殊だ。
それから「度胸千両入り」っつって、歌の途中で別の歌が割り込んでくるバージョンがあって、割り込んでるけどなんの不自然もなくて、そっちのほうが有名っていうのも変な楽曲だ。

YouTubeのコメント欄を見ると「亡くなった父がよく歌ってました」「今の音楽よりずっといい」みたいなことばっかり書いてある。
「超難しい歌www」ってコメントがあって素晴らしかった。そうなんだよ。笑えるほどむずかしいんだよ。





▼ワイヤレスイヤホン

ワイヤレスイヤホンが気になってきて、勢いで買った。今はこういうのがあるんだなあと感心した。

このワイヤレスイヤホンはいわゆる「完全ワイヤレス」で、コードがなんにもないやつ。どうしてコードがつながってないのに音が届くのか謎なんだけど、ブルートゥースというのがそれを可能にすると理解した。

あまりにもなんにもなくて小さくて、耳からコロッと転がっていって失くしそうで心配だ。充電器も小さい。

っていうか、イヤホンに充電が必要になった。イヤホンを充電させる充電器にも充電が要る。便利になってるかもしれないが不便にもなっている。



これまでのスマホのイヤホン環境に不満があったんです。専用のものじゃないからか、ジャックを刺してもなかなか上手く接続しない。角度によって聴こえ方がかわり、ずれるとちゃんと音がでない。
その問題はワイヤレスで解決した。

それと、弟がワイヤレスイヤホンを使ってるのを見て生意気に見えたし、うらやましかったから。



10メートルくらいブルートゥースで電波が届くというから、スマホからけっこう離れても聴こえるのがちょっとおもしろい。別の部屋にいても聴こえる。
うまく使えば便利そう。


しかし、無くても普通にやってこれたので、必要な場面がなかなか思い浮かばない。

音が良くなったので普通に聴いてもそこそこたのしい。でもあんまりスマホですごく音楽を聴くってわけでもないんだよなあ。

ひとつ思い付くのは、草むしりのときに便利そう。
今までは草むしりしながら、そのへんに置いたスマホから音を聴いていて、かなりボリュームをあげる必要があったし、それでも車が通ると聞こえなくなるのだった。ワイヤレスイヤホンならしっかり聴きながら動き回れる。

草むしりグッズなのかこれは。と思うと狭いので、もっとなにか考えたい。自転車通勤だからそこではイヤホンいらない。散歩中に音楽聴きたいとは思わないし。うーむ。



連続ドラマ「おしん」をNHKのサイトで見るのにハマってたんだけど、地下鉄で「おしん」を見るのにイヤホンが役立った。ワイヤレスである必要はないんだけど。







10月はそんなふうでした。11月も近いうちに まとめたい。




▼▼▼



【合わせてどうぞ】

noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。




リニューアルした『現代短歌』と、BR賞と、現代短歌社賞で選考委員のみなさんから指摘を受けたことについて書いた5000字の記事
https://note.com/mk7911/n/na8a17541e80d


依頼こなし日記 2019.10/23-11/15  ~選歌欄評あれこれ!!! https://note.com/mk7911/n/n108676af0754


2019年5月のオレの短歌とその余談  ~ソヨソヨの風とか
https://t.co/LlzCT8xRAC



などなど、
500円ですべての記事(約120記事)が読めます。よろしければどうぞ。

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2019年01月30日

[総合誌読む 129] 角川「短歌」2018年11月号  ●角川短歌賞発表

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総合誌読む(第129回)。



角川短歌2018年11月号。 https://t.co/EMFzejj9U5
発売されてすぐ電子版を買ったんだけど、読むまでに時間がかかった。
数首だけ引きます。



笑ひ声どつと立つなか甲高きひとつがありぬ棘のごときが/桑原正紀「ビリケンさんの笑み」




角川短歌賞の発表号でした。


小刻みに前後左右へ動きつつ会釈を繰り返すショベルカー/山川築「オン・ザ・ロード」
→たしかにそういう動きだなと思った。動きが頭のなかで再生された。



腕時計くるひ始むるまひるまにゆるく人だかりに分け入りつ/山川築「オン・ザ・ロード」
→時計が狂い始めるときなんてわからないものだが、それは確かにおとずれる。人々にまでその「くるひ」が伝染していきそうだ。



静かなるひかりの脈を見おろした四十五階展望室に/平井俊「蝶の標本」
→高いところから見てそのように見えるのは、夜に走る自動車のライトだろう。光っていて、脈のように動いている。
「静かなる」がいい。ほんとは静かなものではないわけだが、高さがそれを静かなものにしている。



ここだろう落ち込むのならスリッパのままで湯舟におさまってみる/山階基「コーポみさき」
→いい初句だ。「ここだろう」といきなり言われたら、次が気になる。
住み始めるときにしかしないであろう動作を切り取っている。「おさまってみる」。普通に読めるけどよくみると変わった表現だ。(前にもこういうことを書いた気がする)



あれは君だっただろうか 逆光のジャングルジムに座る人影/渡邊新月「冬を越えて」
→映像というか、影がくっきりと目に浮かんできてインパクトがあった。




連作でどうというのでなしに、一首単位で引いてみました。







中川佐和子さんの「短歌月評」でオレの歌にふれていただきました。川谷ふじのさんの作品と同時にふれていただいたんですが、オレの部分を抜粋します。


ルーレット回して給料決めましょう人生ゲームの子持ちフリーター  工藤吉生
(略)
第六十一回短歌研究新人賞受賞後第一作三十首より。工藤作品は「人狼・ぼくは」(略)のタイトル。工藤作品は、日常を受け入れながらも感じる違和感や憤りを強く押し出して言葉にのせている。



ありがとうございました。





この本おわり。




▼▼▼

【こっちもおすすめ】

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一枚の年賀状を見て考えた
https://note.mu/mk7911/n/n5e11b36a2ce8

依頼こなし日記 2018.12/24-12/29
https://note.mu/mk7911/n/n4f9df883d21c

2018年8月のオレの短歌とその余談/連作の歌のつなぎ方
https://t.co/A139XJ2pSk





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2018年10月25日

角川短歌賞、さよなら!!!/掲載情報

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角川「短歌」2018年11月号を、日付が変わった瞬間にKindleで購入しました。

オレにとっては最後の角川短歌賞だったけど、予選落ちでした。

7回送って6回予選落ち、1回候補。ついに、50首載ることはありませんでした。

角川短歌賞、さよなら!!!


この50首の使い方は、考えてあるんです。やってみたいことがありましてね……。




そういえば歌壇賞にさよなら言ってなかったな。
6回出して一度も候補に残らなかったんですよ。

歌壇賞、さよなら!!!


この「!!!」は怒りや悔しさや、だけどもう済んだことなんだから何もかもこれで良かったのさ、落とされて誌面に出なくてもそのためにがんばった経験はオレの血となり肉になっているのさ、いやまじで無念だけどまあ元気でなっていうそういう気持ちが込められた「!!!」なんです
#知らんがな








あっちなみに。

角川「短歌」11月号の短歌月評で、短歌研究新人賞受賞第一作「人狼・ぼくは」から一首ご紹介いただきました。
中川佐和子さんありがとうございます。


そのほかの掲載情報です。

「歌壇」11月号の「作品評」で新人賞受賞作「この人を追う」から一首ご紹介いただきました。
小宮山久子さんありがとうございます。
それと「歌壇ニュース・クリップ」に短歌研究三賞の授賞式のときのオレの写真が出ています。なんでオレだけ横向いてるんだろう……。



「現代短歌」11月号の「作品時評」で受賞作から一首をご紹介いただきました。
大松達知さんありがとうございます。



「短歌研究」11月号では「作品10首+エッセイ」の「最近印象に残った歌」で受賞作からの一首をご紹介いただきました。
菊池哲也さんありがとうございます。



「うた新聞」10月号の「ライムライト」というエッセイのコーナーに「オレと「ドラえもん短歌」」という文章を書いています。
授賞式の写真もあります。



「現代短歌新聞」10月号にも授賞式の写真があります。




以上、あちこち出ています。よろしくお願いいたします。


んじゃまた。

▼▼▼


【こっちもおすすめ】
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角川「短歌」2018年9月号の荻原裕幸さんの歌壇時評の感想すこし
https://t.co/CzRqDYixti



「短歌研究」2018年9月号・短歌研究新人賞のことを思うぞんぶんに書く【1】
https://t.co/9LDZrsWmr0

【2】
https://t.co/lcoeLM1kt6

【3】
https://t.co/f993MV2JHS

【4】選考座談会・前編
https://note.mu/mk7911/n/ncbc826b3e18a

【5】選考座談会・後編

https://note.mu/mk7911/n/n44d84c9e74f6
2018年の短歌研究新人賞の自分のことについて、思うぞんぶんに書き尽くしました。また、選考座談会で言われたことへの応答。




などなど、
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2017年12月01日

[総合誌読む 121] 角川「短歌」2017年11月号  ●第63回角川短歌賞発表

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角川「短歌」2017年11月号。角川短歌賞発表号。


はじめてKindleで短歌の総合誌を読んだ。書店の開店時間を待てなくて発売日の真夜中1時ごろに買った。



スマートフォン握つて眠るをとめ子の手よりすべりつその全世界/香川ヒサ「漠たる哀愁」
→手からスマートフォンがすべり落ちたんでしょう。眠っても握っているスマートフォンが彼女の全世界で、全世界が手離されるところに危うさがある。



おそなつの瀑布に近づきゆく蝶の危うかりしを夜更けて思う/三井修「天幕」

寝る前になにか思い出してる歌ってたまに見るんだけど、そういうのは好き。見つけると丸にしたくなる。
寝る前でもいいし夜中に目覚めて思ってるんでもいいんだけどさ。夜にもの思う歌。夜の部屋から遠いことを考えているとなおよい。







角川短歌賞

天文台の昼しづかなるをめぐりをりひとり幽体離脱のやうに/睦月都「十七月の娘たち」

壺とわれ並びて佇てる回廊に西陽入りきてふたつ影伸ぶ/睦月都「十七月の娘たち」

煙草吸ふひとに火を貸す 天国はいかなる場所か考へながら/睦月都「十七月の娘たち」


角川短歌賞の受賞作で目にとまったのはそういう歌でした。
幽体離脱の歌、なるほどなあと思った。ああいうところって、宇宙の模型があったり宇宙のなりたちが書いてあったりして、時間も空間も大きく日常から離れた感じになる。ああいう施設は静かな時はほんとうにしずかでこの世ならぬ雰囲気になる。幽体は宇宙まで行けるのかなあ。

壺の歌は自分が置き物と化していくような・逆に壺が生き物になってくるような不思議な歌。



そのほかの上位の作品についてはここに引かない。
選考委員が半分入れ替わったのに上位の顔ぶれが似たりよったりというのはなんかなあ。それがほんとの強さってことなんだろうけどなあ。新鮮味もほしい。下読みの人は入れ替わっているんだろうか?






日本語が乱れとる!「年末ジャンボミニ」それをお前は買うのかと父
生きているときにくれよとボヤいている父に供えるバラと連番/山田未来穂「古びた音」



口笛をうまく吹ける子吹けない子並んで風のしっぽをつかむ
笹舟は橋をくぐって次の橋あともう少し聞き役でいる/里見佳保「風のしっぽ」

→やさしくていいなと思った。口笛の歌は、口笛を吹くときの仕草が浮かんでくる。オレは吹けない子だったし今でもうまく吹けないなあ。
笹舟の歌は笹舟を長く見守っているのがわかる。話もよく聞いていて。やさしい。



わからないことが多いからビニール袋しいて子供をそこに寝かせた/山崎聡子「秋の子供」



貯金箱の機関車トーマスの顔面の影が濃くなる秋の夕映え/花山周子

→「貯金箱の機関車トーマス」という物の選びがいいなあと思った。ほんとにそこにありそう感が高い。「顔面の影」もいいじゃないですか。トーマスの顔の立体感が思い浮かんでくる。あの顔の影が濃くなるとちょっとこわい。

人に生まれて鉛筆削る秋の日の尖りてゆける鉛筆の先/花山周子
→「人に生まれて」がなにやら深遠だ。鉛筆を削る生き物はたしかに人だけだ。やってることが鉛筆を削って鉛筆をとがらせてるだけなので、変にそれ以上は深まらず、そこがいい。



お願いはコンビニ店員になりたい児七夕飾りの下にはにかむ/天野美奈子
→角川歌壇から。さっき「夜にもの思う歌」が好きだと書いたけど、七夕の願いごとの短歌も好きなんだよね。変な願いごとしてるのを見ると丸にしちゃう。
コンビニ店員だって立派な職業なんだけど、それを星に願ってる子を見ると、大人としては思うものがある。大人は子供と同じようにコンビニ店員を見ることはできない。



脚細き新体操の女の子リボンを高く投げてあやうし/黒木直行
→「題詠 帯を詠う」から。リボンでもよかったのかー。
高く投げたところで歌の時間は止まっている。実際には一瞬のあやうさが、歌のなかでずっと生きている。「脚細き」があやうさを強めている。









オレも今回は角川歌壇に歌を出してたんですよ。

三井ゆき選 佳作
うながされ選んだカード一枚と再会果たす手品師の前/工藤吉生

加藤治郎選 秀逸
ふわわわと恥ずべき過去はあらわれてオレに小さく首を振らせた/工藤吉生



どんなもんでしょうか。
今回は電子版で買ったので、次の角川歌壇への応募はがきがついておらず、投稿できません。来年はあまり雑誌にオレの短歌が載らない年になるかと思います。

んじゃまた。



▼▼▼



noteでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。

「誰のために詠むのか」短歌投稿と選ばれるための歌 https://note.mu/mk7911/n/n58673caf4e12

第57回短歌研究新人賞候補作「仙台に雪が降る」全30首
https://t.co/2qhYBXq6hv

2017年10月のオレの短歌とその余談|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n19f14f84b358


500円ですべての記事(約100記事)が読めます。
よろしくお願いいたします。



去年の角川短歌賞の予選通過作品 50首|note(ノート)
https://note.mu/mk7911/n/nd28a52e005c7
50首連作を200円で公開しています。


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2017年11月06日

【ネットプリント読む 6】 ネプリやnote等で発表された「角川短歌賞」応募作品を読みつくす

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角川短歌賞の応募作をnoteやネプリなどで公開した人が、調べた限りでは五名いらっしゃいます。それら五つの50首連作を読んだので、それぞれに感想を書いていきます。



ネットプリントやnote等で発表された「短歌研究新人賞」応募作品を読みつくす : ▼存在しない何かへの憧れ http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52198423.html
これの姉妹記事、ということになりましょうか。
この時点では読み尽くせていたんですが、この記事を出したあとからも応募作がアップされたので結局は読み尽くせなかったんです。


では始めます。






宇野なずきさんの角川短歌賞応募作品「不可逆の卵」
https://t.co/sUOqR4OUBk
からいってみましょう。



からあげも床に落ちたらごみ 何のために死んだのか分からない/宇野なずき「不可逆の卵」
→拾ってでも食うオレには必ずしも共感できる内容ではないが、言ってることはわかる。
「何のために死んだのか分からない」は重いフレーズだ。


空欄に入る言葉を答えなさい空欄なんてどこにあるんだ/宇野なずき「不可逆の卵」
→答えろと言われている一方で、答えようがない。どうすればいいのか、出口のない押し潰されそうな状況だ。


昼休みスマホとパンで忙しい他に空いてる席があるだろ/宇野なずき「不可逆の卵」
→孤独そうな主人公だが、近づいてくる者に対してはこのような態度だ。「昼休みスマホとパン」は他人事じゃないなあ。オレのことかと思った。


カップ麺ねぎ塩とんこつしょうゆ味何も出来ない人もいるのに/宇野なずき「不可逆の卵」
→カップ麺にいろんな味があることを、いろんなことができる器用な人であるかのようにうらやましく見るのだ。
この歌はツイッターでつぶやいたら特に反応が大きかった。


短歌研究新人賞の応募作のときに、意外といじけてるんだなあということを書いたと思うけど、この連作もそうだ。みじめさを言いつつ、うまいことも言っている。
序盤が弱くて「これなら短歌研究のやつのほうがよかった」と思いながら読んだが、途中からだんだん迫力が出てきた。






https://tmblr.co/ZFKg8m2RQc8Ih
「774」さんの角川短歌賞応募作品「告解室より」を読んだ。こういう作者名というのは、あんまり印象がよろしくないが、ともかく読みました。


コンビニのそうめんのほぐし水は雨心の弱った所にしみる/774「告解室より」
→ほぐし水に注目したところがいい。そうめんをほぐしているはずが、そうめんじゃなくて自分の心になっている。


宇宙船切り離すように思い出を捨てよ手狭な棺桶のため/774「告解室より」


新宿の証明写真機の中で眠るあいつを救えるだろうか/774「告解室より」

→途中からドレミの歌の歌詞がかわる。「青い空」から「虚無感」につなげるのはうまい接続。


肉体を手放しそっと風になるさよならここもいずれ群青/774「告解室より」


体言止めで終わる歌が多いような気がして数えたが、ざっと27首くらいだ。多いのかよくわからない数字が出た。
ところどころ面白かった。







三つ目。田村穂隆さんの角川短歌賞応募作品「銀河系のマリー」を読みました。
https://t.co/vADyNRdbej


なんかね、宇宙のことがいっぱい出てくるんですよ。どういう世界の話なのかよくわからない。背中から翼が生えてたりもする。あっ、でもそれは比喩かもしれない。
「21エモン」みたいな世界なんじゃないかと想像しながら読んだ。惑星同士が簡単に行き来できるようになっている未来。

未来の世界のことというと暗い想像もありそうだけど、これは明るい。明るくてひらけた未来。読みながら「5000年後のリア充」とメモした。

変なオノマトペに頼りすぎていないか、「超」「愛」の使い方はどうか、といった疑問はあるけど、若い人にはウケそう。「石井僚一短歌賞」ならばいいところまでいくだろうと思いなから読んだ。
一首単位で引ける歌はありません。






四つ目。鈴木四季さんの角川短歌賞応募作「紺という紺」を読みました。
https://t.co/lu35Yi0Egc


自販機のお茶を手渡す誰も彼も死なないように生きているなり/鈴木四季「紺という紺」

濡髪の友が聴くピアノソナタなり月光を聴くことと見ること/鈴木四季「紺という紺」

君が来て揃うのを待つロビーにて壁の天使に凝視されおり/鈴木四季「紺という紺」

という三首を引いてみた。


なんか全体的にすごく「塔」っぽいんですよ。「塔」っぽさでお腹いっぱいになる。
っていうとおおざっぱだからもう少し詳しく言うと、吉川宏志、松村正直、永田淳、そのあたりに近いんじゃないか。
京都の地名が出てきて、こまかい観察と発見を交えながら、うすーく官能をまぶしている。

特徴といえば、飛躍が大きいこと。わかるようなわからないような丁度いい感じ、よりは少しわからない側に投げている。それが奥深さや巧さに見える。

「客観写生使いけるかも」
「文体与えらるるごとくに」
「一人称はここにながして」
「君は動詞の人にあらざり」
みたいなのが続くと臭みを感じてしまう。

弟の歌ではじまり弟の歌でおわる。途中で「君」がでてくるけど、みんな弟のこととして、男同士のこととして読んでみた。







最後五つめに、有無谷六次元さんのネプリの角川短歌賞応募作品「悪食の徒」を読んだ。
https://t.co/qoneeeGCtl
この人のことは全然知らなかった。

応募作品のほかに「おまけ」があるが、これがおもしろい。クーポンのくだりが特にいい。
(※ネットプリントは期間が終了している)


十二月八億五日 晴れときどきテャヌェ ところにより強いンマュペメ/有無谷六次元「悪食の徒」
→ただむちゃくちゃな変なことを言ってるだけ、ふざけただけという感じがして、よい。


窓際の唾液を溜めた水槽は素手でつぶしたマリモの緑/有無谷六次元「悪食の徒」


ほかになにもいない「ふれあいコーナー」でふれあいましょうびしょびしょのわたしと/有無谷六次元「悪食の徒」

→水槽の歌はわけもわからず汚くて暴力的だし、ふれあいコーナーの歌はわけもわからず不気味だ。全体的にわけわからない者達の連作だ。



三首目
手をつなぎ共に産道くぐろうと双子はどちらも生きながらえずに
四十九首目
見たことのない赤子の髪を撫ぜながら一歩踏み出した先の奈落へ
/有無谷六次元「悪食の徒」

→こういう歌があると、頭をからっぽにしてメチャクチャを楽しむことなんてできなくなる。ほかのところでどんなにふざけても、こういう歌のせいで笑えなくなる。ふざけてるように見えて、ほんとは深刻な意味があるんじゃないかとか、そういうふうに見えてしまう。ふざけるならふざけきってほしかったかなと思いました。
あと、一首にいろいろ盛り込もうとしすぎている。

でも今回読んだ五作のなかでは一番おもしろかったし、期待を持った。



以上です。
短歌研究新人賞のときよりは、落選作をアップする人が少なかった。50首ということもあるかもしれないし、落選作をネットに公開することの是非が話題になったからかもしれない。

んじゃまた。



▼▼▼



■工藤吉生(くどうよしお)の短歌・自選50首 +プロフィール
http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52107166.html

2017年7-9月の歌まとめ・20首
https://matome.naver.jp/m/odai/2150685074540729601




さっそく角川短歌賞のことを書こうじゃないか、または、オレと新人賞の六年間
https://note.mu/mk7911/n/n6b6c4aca0c22

第57回短歌研究新人賞候補作「仙台に雪が降る」全30首
https://t.co/2qhYBXq6hv

2017年9月のオレの短歌とその余談【前編】|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/nd4b539b8b11c

2017年9月のオレの短歌とその余談【後編】|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n1f14c362a021

二件のいやがらせについて|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n73db516286bb


「工藤の有料マガジン」は500円ですべての記事(約100記事)が読めます。
よろしくお願いいたします。



去年の角川短歌賞の予選通過作品「ピンクの壁」50首|note(ノート)
https://note.mu/mk7911/n/nd28a52e005c7
一年経ったので、400円だったのを200円に値下げしました。よろしくお願いします。


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2016年12月25日

角川短歌賞を予選通過した連作50首に関するお知らせです!!

お知らせです。




角川短歌賞予選通過作品「ピンクの壁」50首をnoteで有料公開しました。角川「短歌」11月号の選考座談会と合わせて読むと、より楽しめるかも?
400円。紙で縦書きで読めるネットプリントの番号付き。

https://note.mu/mk7911/n/nd28a52e005c7

よろしくお願いします。



関連記事

角川短歌賞で予選通過しましたよ : ▼存在しない何かへの憧れ http://blog.livedoor.jp/mk7911/archives/52178132.html


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2016年12月01日

[総合誌読む 109] 角川「短歌」2016年11月号  ●第62回角川短歌賞発表

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一か月おくれの角川「短歌」2016年11月号をやっていきます。
角川短歌賞の発表号です。



あの影は若者だろうがらがらの電車の中で立っているから/穂村弘「熱い犬」

たぶんもう海に入れぬ岡井氏の歌が最高得票となる/穂村弘「熱い犬」

→若さとは・老いとは、ということで二首抜いてみました。電車の中の影を見ているのは、電車の外でなおかつある程度距離のある場所にいる人なのでしょう。人の少ない空間に立つ影のような若者。

後の歌では、票を競う歌会に、海に入れるかどうかという別の物差しがあてがわれる。
海に入れるのか入れないのか、それはある日突然入れなくなるのではなく、長い間入らないでいるうちにだんだんそうなっていく。
オレはいまは入れる側にいるつもりだけど実際には全然入らないし、もしかしたら入らないまま終わってしまう。そう思うと、海って遠い。

食べ物、歌人、海、蝉、いくつかのテーマがくりかえし出てくる。なにもかもがおわりへ向かって動いてゆくようなさびしさがある。たとえば、蝉の歌だけ追いかけるなどしてみたときに。



大きな襟のジャケットゆゑかいつまでも女性議員に共感できず/梅内美華子「山羊カフェ小鳥カフェ」







角川短歌賞。


木の床を君のなみだが濡らした日 六十センチ水槽を買う/佐佐木定綱「魚は机を濡らす」

食ったことないけど作ってみるもののできているのかわからぬロコモコ/佐佐木定綱「魚は机を濡らす」

まずはこういう歌に丸した。思ったより楽しめた。オレより絶対うまいというのが読んでいてわかったので良かった。
なんかばっちいんだけどさ。ばっちくても読ませるなあと。
涙のために買ったかのような水槽。響きからして得体のしれないロコモコ。オレは食べたけど思い出せない。



アンコールでみんな出てくるこれまでに出会ったコンビニ店員たちが/竹中優子「輪をつくる」

音楽室ひとりで歌う順番が回って小柴くんのうら声/竹中優子「輪をつくる」

→一首目、「人生は劇場」みたいなことか。コンビニ店員の顔ってどれだけ思い出せるだろう。思い浮かべると不思議な図だ。
二首目、こういう歌は前にもツイートしたけど、また丸したってことは好きなシチュエーションなんだな。

ひな鳥が餌を欲しがるようにして歌う湧井のデカい学ラン/武田穂佳「見切られた桃」



佳作から。
レクイエム(それもフォーレのコルボ盤)かけて無人の酒場はないか/滝本賢太郎「蛸を洗ふ」
→よくわかってらっしゃる、という気持ちで丸つけた。落ち着いてよく見ると、みるみる条件が厳しくなり不可能に近づいていくのがわかる。それを求める心境を思う。

美学学会会場案内図の看板あまり喋らぬ女と運ぶ/滝本賢太郎「蛸を洗ふ」
→漢字の多さ、それも「学」と「会」の重複のくどさが喋らぬ女と対照的だ。「美学学会」を初句とすればわりとすんなり読める。



恵比寿駅のトイレの鏡に肩並べ隣の子より赤くなるリップ/カン・ハンナ「雲の中スピード出して」

ニッポンの朝はやさしい新聞を畳んで電車に読んでいる人/カン・ハンナ「雲の中スピード出して」

→小さなところにあらわれる日本と他の国の違いをおもしろく読んだ。一首目は「恵比寿駅」がいい。二首目はそれを「やさしい」と言い切ったのが新鮮だった。



座談会で引いてあるだけの作品からは取り上げない。
どれも面白そうだった。面白い人たちのなかにいるのだから、オレのも面白いのだろうと明るく思えた。

○がひとつで座談会で歌が引用されただけのオレとしては、
短歌研究みたいに、抜粋であってもページを割いてくれたらいいのにという思いはある。







なんだかもう七十歳の気分なり六十八歳と三日のわれは/馬場昭徳「六十八歳」
→初句「なんだかもう」がいい味だしている。老いの歌でもこういうのがあると面白いんじゃないか。
七十歳の気分と六十八歳と三日の気分の違いは、想像してみるのもむずかしい。似たようなものだろ、と思うがそれは今だからなのかも。

記憶より消えたるわれと消えぬわれをりて消えざるわれのはづかし/馬場昭徳「六十八歳」



こんなにも涼しき九月肺活量少なきわれが吹くハーモニカ/花山周子

暴風雨を自転車にくぐりゆくときを後部座席の子が笑いやまず/花山周子



嬉しきことのふたつもありし夕暮れにのぞきたりけり土管の穴を/田上起一郎



元カレを見つけてしまった球場で2アウト3塁のチャンス来たり/田代春香

→題詠「恋」から。元カレも気になるが、試合も面白いところだ。チャンスってことは応援してるチームが攻撃している場面だろう。








以上。

そんなわけで、あらためて言うと、オレの連作「ピンクの壁」が角川短歌賞の予選を通り、東直子さんから○をいただき、選考座談会に取り上げられました。選考委員の方たちにいろいろ言われています。何度も読みました。
うれしいけど、まだまだだなという気持ちも大きいです。
また挑戦したいと思います。
んじゃまた。






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2016年10月25日

角川短歌賞で予選通過しましたよ

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いやいやいやいやいや。
角川短歌賞ですよ。



順番に話す。


仕事はたまたま休みだった。朝からずっと角川のことを考えていた。風呂に入って身を清めてから9時50分に家を出た。
10時ちょいすぎに本屋に入った。

まだ角川「短歌」10月号があった。
がっかりするよ。なにがヒューモアだよ。なんにも笑えない。ほのぼのしない。オレがほしいのは11月号だ。
なんてこった。ぼうぜんとした。

うろうろしていたら、店員がこれからならべるらしい本を乗せたラックに11月号があった!
店員の男性はよそ見しながらおしゃべりしてチンタラやっていた。おいおい。
男性がよそ見している間に11月号をラックから取って立ち読みした。盗んだみたいでちょっと気持ちよかった。


この、新人賞発表号で自分の名前を探すときというのは、何回経験してもドキドキするものだ。おそるおそる、しかし急いでめくる。

そしたら! 
候補者一覧にオレの名前があった。○がひとつついていた。

わーっ。

ああもう、それだけでかなりうれしい。
2012、2013、2014、2015、ずっと角川では予選落ちだったのだ。合計200首をここへ沈めてきたオレだ。
新人賞ぜんぶ合わせれば700首くらい投じてきた。
20回近く新人賞に応募してきて、一昨年に一度短歌研究で候補になった以外はことごとく予選落ちしてきたのだ。編集部が予選するタイプの新人賞ではいままで全滅、予選通過率0%だった。

おお、ちょっと報われた気分。



さっそく本を買って、外へ出て座って、お知らせアカウントからツイートした。

本日発売の角川「短歌」11月号の角川短歌賞ですが、はじめてこの賞で予選を通過しました。そして東直子さんに○をいただきました。励みになる貴重な一票です。ありがとうございました。

なんと謙虚なツイート。幸せなときのオレは謙虚なのだ。


と、しみじみ本をながめていたら、オレの歌も選考座談会で議論されていた。びっくりした。
今まで言われたことないようなことを言われていた。これは時間をかけて考えていくことだ。

2014年の短歌研究新人賞候補のときにも経験したけど、こういうのはありがたいけど同時に重苦しいものだ。大きな宿題をいただいた。
2014年にはうれしさの割合がかなり高くて、喜び70、くやしさ10、重圧20くらいだったが、今回は重圧も大きい。
うれしいけど、作品は50首連作が14首抜粋されてバラバラに載っている。こういうのは「作品を発表した」とは言えないでしょう。とてもゴールにはなりえない。達成とは言いがたい。喜びは40、くやしさ20、重圧40。合計すると不満のほうが高い。
オレの歌についての座談は98~99ページで、ちょうど見開きになっている。そこばかり見ていた。そしたら肩がこった。まだこっている。


選考座談会では職業についての話が多かったな。短歌のテレビ番組に出ているタレントさんも予選に残った。おもしろいものが読めるなら歓迎だ。

そんな華やかな場でオレは「負け犬感」とか言われていて、あらためて自分の負け犬ぶりを思った。自分でなんとなくはわかってても人からは言われたことのないことというのがあり、それを言われる数少ない機会がこういう場所にはある。







辻井さんとか清水さんとか竹内さんとか、まだここに応募してくるんだな。もっと先にいる人かと思った。
歌集を出すと新人賞から遠ざかることが多い。歌集を出したら新人賞に出してはいけない、という規定はないが、なんとなくそうなっていて、そうなっていないのを見ると「あれ?」ってなる。
そのへんはうやむやで、オレにそれ以上言えることはない。オレは心のなかで「あれ?」と言うだけだ。







オレも50首載せたかったなあ。そんな量を一度に載せたことなんかないよ。
「佳作」が遠い。「佳作」がうらやましい。

ところで「佳作」の意味が短歌研究新人賞とはちがうな。


▼短歌研究新人賞の場合
予選通過(全体の8割は通過する) 2首掲載
→佳作(50作くらい) 5首掲載
→最終選考通過(10~15程度?) 10首掲載
→候補作(5~10程度?) 13首+α掲載
→次席(0~2) 30首掲載
→受賞(0~2) 30首掲載

って感じか。年によって違うけど。
オレが経験あるのは「候補作」。13首+5首掲載された。
+αっていうのは、選考座談会でだけ引用される歌もあるということ。


▼角川短歌賞の場合
予選通過(30前後?) 0首掲載
→予選通過で○あり(15前後?) 0首+α掲載
→佳作(5前後?) 50首掲載
→次席(0~2) 50首掲載
→受賞(0~2) 50首掲載

「予選通過」といっても、タイトルと作者名が小さく出るだけのやつと、○があって座談会で言及されるやつがある。どちらも同じ「予選通過」という名称なのはちょっとアレだな。○がある場合は「候補作」とか呼んで区別されてもいいのかも。

短歌研究の「予選通過」は全体の8割を超えるからショボいが、角川の「予選通過」は全体の数%だから狭き門だ。
短歌研究の「佳作」は数十人いるが、角川の「佳作」は数人だ。5首掲載と50首掲載なのも、えらくちがう。


短歌研究新人賞みたいな、ほとんどの応募者の作品が少しずつ載る新人賞は特殊で、「歌壇賞」もオレの知ってる「塔」とかの結社賞も後者の角川短歌賞に近いしぼり方をする。
つまり、20作とか30作程度にまずしぼる。そこから漏れると「さようなら 残念でした またどうぞ」だ。全部掲載されるかそれとも掲載されないかがハッキリしている。

オレは今回いいところまではいったが、掲載されない側という結果だ。あれを掲載というなら掲載されたとも言えるが。でも、タイトル「ピンクの壁」を含む歌も載っていないんだぞ。







ああ、こういうときについてくるのが「中途半端に掲載された連作はその後どうするのか問題」だ。

2014年の短歌研究もそうだったが、掲載されぬ36首をどうしようか。この50首連作をどうしようか。通して読んでみると自分ではおもしろくて、なんとかしたくなる。


2014年夏に短歌研究新人賞候補になった「仙台に雪が降る」30首は、2015年二月に印刷した「工藤吉生短歌集」に完全版30首を載せた。発表まで半年あけたわけだ。
有料マガジンには今年五月に載せた。すなわちネット公開まで1年9ヶ月かけたわけだ。

第57回短歌研究新人賞候補作「仙台に雪が降る」全30首 https://note.mu/mk7911/n/n58e5f4337568
500円ですべて読めるnoteのマガジン。


今回はどうしよう。何かの機会にあたためておこう。すくなくとも簡単に無料で公開したりはしない。
「このツイートが20いいねされたら有料マガジンで公開します。100いいねされたらブログで無料公開します」
なんてのを考えたが、考えただけだ。人を使って試すようなことはしない。自分で決めることだ。






どうでもいいけど、25年後とか30年後の新人賞は誰が審査するんだろうって考えてたよ。妄想の遊戯だけども。治郎さんも穂村さんも亡くなってるかもしれないと思うと、歌壇がえらくさびしく感じる。

考えの発端は「選考委員が応募者の職業を知りたがるけれども、たとえば斉藤斎藤さんが選考委員でもそういうことを求めてくるだろうか」ってところからだった。



オレが妄想した2040年の新人賞選考委員

というのを書こうかと思ったが、いやいや、ここには書かないよ。サブのブログに書くから、物好きな人が探してください。



いろいろ書いたけど、あなたの知りたいことをオレはちゃんと書いたんでしょうか。


んじゃまた。






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2015年11月14日

[総合誌読む 86] 角川「短歌」2015年11月号  ~うつくしい銀河系のよりみち、ほか

角川「短歌」2015年11月号。


歯にて破る青葡萄の果(み)の弾力をふいに思へり夕かたまけて/尾崎左永子「時を刻む」


さて深い深い水辺(みづべ)の朝がある。無論笑(わらひ)を含んではゐるが/岡井隆「ぼくに似た人」

→水辺だったら水深は「深い深い」というほどではないんじゃないか。とすると、もっとちがう意味で深いんだろう。
なにが「無論」なのかわからないが、こう言われると、ずっとそれを知っているかのように思えてくる。
朝日に照らされた水が笑ってるように見えるのかなあとか考えた。


この丘は低い。しかれども百年の風を受けつつ物言ふ丘だ/岡井隆「ぼくに似た人」
→さっきのは最初から二番目の歌で、これは最後から二番目の歌。
「百年」は「深い深い」に、「物言ふ」は「笑」に対応してはいないか。


権力の声って静かなのだよ おだやかに砂食(は)み引きてまた波が寄る/三枝浩樹「二〇一五年夏物語」


バラの花あふるる家に住む人を見たいとは思はぬ 出て来るな/佐藤通雅「逆走」


賛成の方はご起立願ひます そのままいつまでも起つてをれ/佐藤通雅「逆走」

→そういえば国会のあれって、いっぺんに起立して、さっと座る。わずかな間しか起立していない。
「起つてをれ」は昔の教師が悪い生徒を一喝してるみたいだ。


センターを守る選手のごとく今日われはさびしい 人を離(か)れきて/三井修「馬頭星雲」
→「離れ」で「かれ」と読ませる。「枯れ」を連想してさびしくなる。



角川短歌賞の発表号となっている。

二階建ての数式が0へ着くまでのうつくしい銀河系のよりみち/鈴木加成太「革靴とスニーカー」
→分数の、分母と分子のある形が「二階建て」。答えは0になるがそれまでに経る過程が「よりみち」。
二階建て、よりみち、は現実世界にもある。数式や銀河系といったものと組み合わされて、現実とはるかなものがつながった。


凸の部分押して凹にし月の夜のバニラシェイクの蓋をいじめる/鈴木加成太「革靴とスニーカー」
→凸が凹になるような形の変化は、月にもある。バニラシェイクの蓋はたしかにそういう押せばへこむような素材でできていると思い出す。「いじめる」に感情のやり場のなさを感じた。



次席、佳作で一番しるしがついたのは滝本さんの連作だった。

この人はツイッターでは今年六月に「はつむかし」という名前のアカンベーをした画像アイコンのアカウント @hatsumukashi
で大木はちさんの企画した「#たんばな3」のタグを荒らしていた印象しかなかったので第一印象は悪かった。(現在はアイコン画像も名前も変更した模様)
だが、作品はこのなかでは良いと思った。

二十五時過ぎて帰れる隣人のハミングがまた転調に入る/滝本賢太郎「恋ふるのは火」
→ハミングが転調って、なかなかないことだ。日本の音楽だと「雪の降る町を」は転調の多い曲として有名だが、例外的だ。
ドイツは音楽の歴史のある国だが、それと関係あるのか。
どんな隣人だろうと思わせる。


枯れゐたる薔薇さしたままこの部屋をどぎつき自我の暗室と思(も)へ/滝本賢太郎「恋ふるのは火」
→ナルシシズムとでも言うべきものが含まれている。醜さと陶酔の絶妙な線上にある。 枯れたら新しい花に取り替えましょう、暗かったら部屋に明かりをつけましょう、などという健康的な考えは拒絶するのだ。
「どぎつき自我」の濁音攻撃もいい。


布袋に詰めれぱ鈍器となるほどの本携えて教授と会ひぬ/滝本賢太郎「恋ふるのは火」
→学問が積み重なって、野蛮な武器になるという逆転。それを振り回して教授を攻撃するような予感が、かすかにある。


船乗りになりたかったな。コピー機が灯台のようにひかりを送る/ユキノ進「中本さん」
→職場の歌の連作だけども、ところどころに自然がでてくるところがいい。詩もある。
「船乗り」は漁師ともちがい、あまり現実的ではない職業かもしれないね。コピー機の光りかたは、言われれば灯台みたいだ。うまい比喩だ。

ちょっと言い方を変えれば現実の職業につながりそうなんだがなあ、「船乗り」は。この言い方でしか出てこない詩情がある。


座談会でそのほかの候補作の歌が太字
で引かれていて、それがけっこう面白くて丸をつけたが、ここではやめておこう。つまみ食いのつまみ食いには、これでも多少は抵抗があるのよ。
これらの連作はそれぞれの方が何らかの方法でまとまった形で発表していくのだろう。

角川短歌賞のことはおわり。



一夜漬けされたあなたの世界史のなかのみじかいみじかい私/笹井宏之『てんとろり』

という歌を、高野公彦さんが「特集 歌を味わう」のなかで、難解な歌としている。
一夜漬けとは言うまでもなく、試験の前夜にまとめてする勉強だ。試験が終わればすぐ忘れられる。
世界史のなかには人物がいて、一夜漬けの人からみればごくみじかい出会いと別れだ。

問題は「私」。世界史のなかに出てくるのは外国の歴史上の人物ばかりだ。そのなかにいて出会った「私」は何者なのかということになる。
きっとこれは、何者でもあり、何者でもないんだろう。
笹井さんの「私」のありかたが不思議でおもしろいなと思うのは、その前の歌を見ても思う。

おんがくの波の中からあらわれた私をひとり抱きしめてやる/笹井宏之『てんとろり』

というのが、その前に引かれた歌。
高野さんが難解だとした笹井さんの歌のどれもに「私」「あなた」がいて、
「魅力を感じている」歌のどれもに「私」「あなた」がいないことをオレは気にしている。


吉川宏志さんは「なまなまとしたものを聴く」のなかで
「鑑賞文を書くことには、自分の直観を、別の自分の眼によって再確認する意味合いがある。」
「可能なかぎり、自分がなぜ良いと思うのかを考えてみることが必要だろう。」

と書いている。
こう言われると、自分のやっていることは無意味でないと思える。
無意味かもしれないし間違っているかもしれないというおそれのなかで、いつもいつもやっていることだ。


五年間服むことになる錠剤のはじめの一つを指に押し出す/中津昌子『むかれなかった林檎のために』
→薬をもらうところでもなく、飲むところでもなく、「指に押し出す」ところ。ここから五年がスタートしたような感じを受ける。


兵隊が匍匐前進のままに伏すとき黒蟻が見えたとおもふ/中野昭子「熊 のかほ」
作品7首から。「見えたとおもふ」と兵隊の視界を想像している。黒蟻は兵隊になにを感じさせただろう。
関係ないけど「匍匐」って「葡萄」みたいだなあ。


悪疫で国がほろびる小説の挿し絵でずっと燃えている町/堂園昌彦「硬水と軟水」
→悪い病気が蔓延することと、火事になることは、よくわからないがどこかでつながっているんだろう。
絵は文章より印象として強く入ってくる。絵のなかに時間はないから、ずっとずっと燃えている。記憶のなかでも燃え続けるだろう。



永井祐さんが時評で引いてる歌がおもしろかった。

母さんがふとんを叩く「母さんがふとんを叩くと感じるのですね」/斉藤斎藤『渡辺のわたし』
→あきらかに目の前で行われていることも、ある状況になったら他人と見解が異なったり、立証の必要がでてきたり、あるいはそれに困難が生じたりするものだ。

自分のなかでの当たり前も「それはあなたがそう思い込んでるだけでしょ」なんて言われて、ものすごくダルくなったりする。

母さんがふとんを叩くと感じられない人には、それは一体何に見えるというのだろうか。

「母さんがふとんを叩く」と書かれていれば、読んでるこちらは簡単にそれを受け入れてしまうという一面もある。



書評からちょっとやっておわります。

青空 よくよく嵌めておかないとこのまま抜けてゆきそうな首/佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』
→「青空」のあとの一字あけにも、一種の「抜け」がある。
「抜けるような青空」と確かに言うけれども……。嵌め込むなんて、人形みたいな首だ。「このまま」ってことはもう抜けが始まっているのか。


召されゆく天にて逢はば目をほそめまづは聞きゐむ母の繰り言/内藤明『虚空の橋』



投稿欄からはとくになし。いや、読んでるんですよ。オレも投稿するわけだし。








公募短歌館に載ったオレの歌。

仕事場のかなり苦手な一名の顔がしきりによぎる壁だな/工藤吉生
(志垣澄幸選 佳作)
(香川ヒサ選 佳作)


かわいそう 窓全開の車から大ボリュームで流された歌/工藤吉生
(加藤治郎選 秀逸)
[評]
「かわいそう」なのは何かわからない。ここには迸った思いだけがある。全開の窓も大ボリュームも過剰であり、思いを受け止めきれない苛立ちを感じる。



ということで、角川短歌をおわります。

んじゃまた。


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2014年12月11日

{短歌の本読む 42-4} 角川短歌賞受賞作品集【4】46-57回  ~ひどい雨 おおひどい雨、ほか

角川「短歌」2014年10月号の付録「角川短歌賞受賞作品集」を読む。





第46回

訃報とはたとへば吾を追ひ抜いて遠離りゆく無灯自転車/佐々木六戈「百回忌」


わたくしが主人公である筋書も古き流行のごとく過ぎにき/佐々木六戈「百回忌」



かなりいろんな教養が下敷きになっているらしい一連。わからないところが多かった。







星はすばる 質の異なるかなしみに犇(ひし)めく改札口の向かうに/松本典子「いびつな果実」


ひつたりと吸ひつくやうな孤独から型抜きされて今朝も目覚めつ/松本典子「いびつな果実」








第47回。

もう西がどちらかわからなくなってつめたい海が 海がはじまる/佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」
→海に何かもかも飲み込まれるようで圧倒的だ。


ひどい雨 おおひどい雨 ましろなる瞑目をいま街はよろこぶ/佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」
→雨がひどくなると白っぽくなる。街がはっきり見えなくなるのを街自身がよろこんでいる。
「おおひどい」に演技がある。表向きは喜んでいない。この喜びはかくされている。


風たちの会議ひねもす上天に愛のことなどなにも決まらぬ/佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」
→そうかあ、風は愛について話し合っていたんだね。
ぶつかりあう風のなかに、愛がある。


生きのびよ と呼ぶ声聞こえニ短調噛みつぶしたるショスタコーヴィチ/佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」
→「目覚めよと呼ぶ声聞こえ」というバッハの曲がある。
ショスタコのニ短調ってなんだろと思ったら、普通に交響曲5番のことだった。いまでもこの曲は「革命」って呼ばれるんだろうか。






第48回

NHK歌壇の鳥毛立女なる栗木京子の降りてさびしゑ/田宮朋子「星の供花」
→オレはあんまりわからない言葉を調べる方じゃないんだけど、鳥毛立女を調べた。

この連作も教養を求められる。仏教とかそっち方面の。


火の鳥のかたちに光る東雲(しののめ)を見たりき吾子の葬りの朝に

火の鳥を見し朝(あした)より火の鳥となりて翔びゆくまでの生はや/田宮朋子「星の供花」



寺に生れ寺を離れし姉とわれ会ふをりをりに寺をかなしむ/田宮朋子「星の供花」

→寺が繰り返されるので、ここには複数の意味があるんじゃないかと考える。
はじめのほうに、地球と書いて「テラ」とルビのふられた歌がある。






第49回

スリッパで歩く音だけおなじなり家族四人でなにをひきずる/駒田晶子「夏の読点」
→「だけおなじ」というところに家族間の距離がある。


この人の中に居たのか 縞馬のしま溶けるように昼寝する母/駒田晶子「夏の読点」
→えっ、何のなかに何がいたの? ってなる。
寝ている母のなかに、普段の母にないなにかを見たのだろう。シマウマのシマが溶けたらシマウマだかなんだかわからなくなるが、母もとけだすかのように変わっていたんだろう。
そしてその中のものには見覚えがあるんだね。探していたなにかのよう。


あたらしき星座のはなし作りたし幽かな六等星の光で/駒田晶子「夏の読点」





2004年、第50回の受賞は小島なおさん「乱反射」

足長象と燃えるキリンを描きたるサルバドール・ダリはマザコンなりき/小島なお「乱反射」
→人間としてのダリに迫る。
偉大な作品を残すと、その人間性まで見られる。足長象と燃えるキリンがマザコンに直結するかのようだ。


靴の白 自転車の銀 傘の赤 生なきものはあざやかである/小島なお「乱反射」
→「生なきもの」とはいうが、いずれも人体との接触が多いものだ。生のすぐ近くにある、生なきもの。自身のあざやかでなさを思っているか。


特急の電車ぐわんとすぎるとき頭の中でワニが口開(あ)く/小島なお「乱反射」
→ワニと特急の組み合わせは突飛なようだが、この「ぐわん」が特急電車とワニの両者をむすびつける。ワニもいきなり口を開けたら「ぐわん」って感じだ。







第51回

かなしみの夜はアクセル踏みこんで島五周せり白みゆく空/森山良太「闘牛の島」
→離島で教師として暮らす様子をえがいた連作。
島でなければ遠くまで一直線に走っていけただろうが、島だから同じところを回る。思いも堂々巡りになりそう。
一晩に五周できるというところに、島がどれほど小さいかがわかる。


死をまへに女陰(ほと)繰りかへし描きけるピカソのアトリエ海に向かへり/森山良太「闘牛の島」






第52回

ベランダに鴉の赤い口腔が見えたりけふは休みの上司/澤村斉美「黙秘の庭」
→もしかして、「赤い口腔」アカイコーコーがカラスの鳴き声をあらわしているのか。
それを見て連想されるような上司がいる。上司が休んで、代わりにこのカラスが来ているみたい。


いくつもの場所で生きたりいづれにも寡黙とされる私がゐる/澤村斉美「黙秘の庭」
→それはそれで一本芯が通っていていいなと思う。
ネットでだけうるさいオレみたいなのもいる。


「一つずつ」と決められて書く志望書の長所と短所縦長の文字/澤村斉美「黙秘の庭」





第53回

てんてんと四角い光をはりつけてふるさとのビルは倒れそうなり/齋藤芳生「桃花水(とうかすい)を待つ」
→都会のビルならばぎっしりと灯っていてしっかり建っているだろう。でもこれは貧相なビル。「倒れそう」なほど弱々しい。


店頭に並ぶブーツは職業を捨てたる我の背中に尖る/齋藤芳生「桃花水(とうかすい)を待つ」
→無職だなって思うと丸つけちゃうんだよねえ。
ブーツに踏みつけられるような思い。このブーツはオシャレができるほど金に余裕ある人に向けられたもので、ささってくる。


「ヒキコモリ」ついに新種の怪獣か何かのように囁かれおり/齋藤芳生「桃花水(とうかすい)を待つ」


電球の点かぬ厨に地吹雪を恋しがる祖母が何か煮ている/齋藤芳生「桃花水(とうかすい)を待つ」

→寒く激しい「地吹雪」と、じっくりと熱する「煮る」が同居している。暗い場所であることが過去を照らしだす。





第54回

吾ひとりフロアにくしやみをする時も空を飛びかふ万の旅客機/光森裕樹「空の壁紙」
→そのくしゃみで飛行機がみんな吹き飛んでしまう気がする。
一首のなかに複数のものをいれると、それが読者というかオレの頭の中で勝手につながってしまう。


友の名で予約したれば友の名を名告りてひとり座る長椅子/光森裕樹「空の壁紙」


音のなきテレビのなかに審判が吹くホイッスルふたりは見上げ/光森裕樹「空の壁紙」

→テレビというだけで遠いのに、ますます遠い。
一方でこのふたりは、ささやくような声でもお互いに話が聞き取れるだろう。


齧りゆく紅き林檎もなかばより歯形を喰べてゐるここちする/光森裕樹「空の壁紙」





第55回

楽器庫の隅に打ち捨てられてゐるタクトが沈む陽の方を指す/山田航「夏の曲馬団」
→時々言われることだけど、指揮者っていうのはオーケストラのなかで唯一といっていいほど、音を出さない人間だ。楽器庫のなかでも、音を出さない指揮棒だけは仲間外れの感があるのではないか。
世界を指揮であやつるようなイメージは少しあとの歌にもでてくる。


やはらかくなりしゆびさき断弦の日よりギターをひどく怖れて/山田航「夏の曲馬団」
→オレは弦楽器の部活動をやっていたんで、若い頃がよみがえるなあ。しみじみ。
弦楽器をやってると指は硬くなる。やわらかくなるということは、やってない期間が続いたということだ。弦が切れてやめてしまったのか。
そういったことを恐れる傷つきやすさ。
ギターじゃないことでもそうだけど、やらないでいると、やれない肉体になってくる。


帰らうかここにゐようか這ふ蛇のやうに伸びゆく双頭の影/山田航「夏の曲馬団」





第56回

もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く/大森静佳「硝子の駒」
→電飾の向こう側に死を見ているのかなあ。蛍にもそういう死の感じがあるけどね。
もうそんな季節だなあ。


指先をひたしていれば晩年にこんなに近い噴水のみず/大森静佳「硝子の駒」
→さっきの歌はもみの木の一生というか行く末を視野に入れていたが、こちらは水の一生だ。


プリンタが白紙を垂らす睡蓮の絵をともに見た日の遠ざかり/大森静佳「硝子の駒」
→睡蓮の絵の記憶が遠くなり、どんどん記憶が遠くなってついに白紙になってしまった……かのようだ。
関係ないけどオレは部屋にモネの睡蓮の絵を飾っているので、毎日見ている。






最後は立花開さんの「一人、教室」。それ以後の受賞作品についてはすでに書いた。


下の名を呼ぶ練習をするまでに言葉を忘れたけだものとなり/立花開「一人、教室」


深海に部屋ごと引きずりこまれてく耳がふさがる孤独にひとり/立花開「一人、教室」

→深海に部屋ごと引きずりこまれてく、は「のっぴきならない」感がある。「孤独にひとり」はちょっとどうかと思ったけど。


でもなーんか文句言いたくなる歌が多いなあ。 急に水準が下がったような感じがする。

天使とか人魚とか「君がすきだよ」とか「私はいま美しい」とか「座席は「青春」」とか、ちょっと勘弁してほしいなあ。きつい。もちろん歌は31文字ぜんぶ見なきゃいけないんだが、ちょっとしたところで萎えてしまうことがある。

人食いの鬼にすら似て百鬼夜行のごとく夜道を唸らすデコトラ/立花開「一人、教室」
死を背負い夜をさらに濃くする猫の腹ためらわず撫でる母の手/(同)

デコトラの歌はオレを乱暴な気分にさせる。つまり、「下手すぎる」の一言で投げてしまいたくなる。「夜」と「鬼」がかぶっていて無駄がある。「似て」と「ごとく」も同じことでしょう。二回言うほどのことか。
その次の猫の歌は、ただ猫の腹を母が撫でているだけなのに、もったいつけすぎだ。死とか夜とか言えば雰囲気が出るわけではない。「死を背負い夜をさらに濃くする」のは、猫の腹がそうしてるってこと? なんで? どこが? 納得できない。「腹」なのに「背負」っているの? おかしくないですか。


たまたまこの作品が賞をとったときの角川「短歌」があったので座談会を読んでみたら、納得するところ、良さが伝わるところがあった。オレの読み方の偏りを感じるところもあった。
オレは一首一首で見るけど、作者を想像しながら読むとか、もっと全体の流れ・つながりを重視して見ると違って見える。




というわけで、角川短歌賞受賞作品集を終わります。

んじゃまた。


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mk7911 at 09:47|PermalinkComments(1)