NHK

2018年02月20日

{短歌の本読む 110} 平成29年度NHK全国短歌大会入選作品集  ~メトロよ進め、ほか

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平成29年度NHK全国短歌大会入選作品集

何年か前からNHK全国短歌大会には応募してたんですが、そのたびに予選落ちで、それでも作品集は届いてました。「こんなに短歌がたくさん載っているのにオレのはないのか! ほへー!」と驚きつつくやしがっていました。

今回はじめて題詠「山」の佳作というのになりました。


おてごろな岩を見せたら中年のオレがヨイショと休むぞ山よ/工藤吉生


入選の知らせをいただいたときはうれしかったんですが、作品集をいただいて確認してみるといかにも小さくて、佳作ってまだまだなんだなあと感じました。




作品集を読んでおもしろかった歌を引いてみます。



亡き母は西瓜の端が好みだと大人になるまで思っていた我/梅木至子
→スイカの「端」って、皮に近いあたりを言ってるんだと読んだんですが、そのへんは子供は好んで食べないんですよね。オレの経験では。それをいつも母が食べる。好きなんだなと思っていた。大人になってそうではないと気づいた。
子供においしいところを食べさせて、親はそうじゃないところを食べる。親のそういうところにあとから気づく。それも、母が亡くなってから。感じるものがあったのでしょう。
オレの母もそういう人なんで、「もらって」しまった。



ふと聞きし「それで楽しい?」のひとことはわが胸貫き人混みに消ゆ/増田扶示子
→こういう歌、好きなんだよね。「小耳にはさんだ系」とでも言おうか。
見ず知らずの他人の言葉が爪痕をのこしてゆく。断片的であるだけに広がりをもつ。



山ひとつ描ききりたり白球は右翼手(ライト)のグラブをはつか掠めて/佐藤佳子
→斉藤斎藤さんだけが秀逸に選んでいる歌。
外野であるライトに球がいったってことは打球で、グラブにおさまってないんだからヒットになったんでしょう。っていうかエラーになるのか。
「描ききりたり」がいいな。山なりの軌道を追いかけている。球を捕ることは山を描ききれなくすることだったんだ。



降ろされしイエスのかたへに描かるる釘と釘抜き見つめてゐたり/印出美由紀



この人が降りれば座って親指に絆創膏巻くメトロよ進め/河野真南

→これは穂村さんが選んでいる。選者の色が出てるとおもしろい。ほんとに選んでるんだなーって。
誰かが降りれば席は空くが「この人」と一人を指定しているところに怖さがある。ちょうど目の前に座っている人なんだろうか。メトロは「この人」を降ろすために、自分の絆創膏を巻くために進む。自己中心的な気持ちがむきだしになっている。



反則と全然知らず思いきりダブルドリブルしたぞ思春期/原拓
→バスケの話かもしれないし、もっとほかの社会のルールのことを言っているとも読める。
二句と四句に濁音が多い。「ダブルドリブル」って短歌では初めて見たけど、音からしてバスケの球を床についてる感じだ。
結句の「ぞ」が妙だ。



ゆるされる こころのコップをさかさまにしてみづをぜんぶ捨てるみたいに/太田宣子「定める、定まる」
→近藤芳美賞から。タイトルもそうだけど、言葉の反復が多いのがひとつの特徴。「くちづけをくちづけで~」ではじまり「林檎には林檎の~」で終る。
コップの歌。溜まったものがなくなるイメージはよくわかるけど、コップに水を出してそれをそのまま捨てるのって変だ。わかるところと変なところが両方ある。このコップにはまた水がたまっていく気がする。許しってこういうことだったか。
そういう、どことない割りきれなさに立ち止まる。考えてみたくなる。

この本おわり。




▼▼▼



お読みいただきありがとうございました。
noteのほうでは、ブログでは読めない内容の記事をたくさんアップしています。

2018年1月の工藤吉生の短歌とその余談  ~未来賞第一作ほか
https://note.mu/mk7911/n/nffa8669c4b47

「未来」の新年会に行ってきたぞ【前編】
https://t.co/TmIGkTjzob

「未来」の新年会に行ってきたぞ【後編】
https://t.co/NlUofZGYMB

未来賞をいただいて、いま書きたいこと
https://note.mu/mk7911/n/n0b1f389aea2f

第57回短歌研究新人賞候補作「仙台に雪が降る」全30首
https://t.co/2qhYBXq6hv



などなど、
500円ですべての記事(約100記事)が読めます。よろしければどうぞ。



去年の角川短歌賞の予選通過作品 50首|note(ノート)
https://note.mu/mk7911/n/nd28a52e005c7
50首連作を200円で公開しています。


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2017年01月29日

{短歌の本読む 96} 「平成28年度NHK全国短歌大会入選作品集」

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「平成28年度NHK全国短歌大会入選作品集」を読んだ。いくつか短歌を引いていく。



百人がよせと言ひたるスマホ買ひつひに真(まこと)の人となりたり/河合正秀
→「百人」を文字通りにとる必要はないのかもしれないが、まあ大勢の人から止められて、それでも反対をおしきってスマホを買ったと。

「真の人」がマジで言ってるのか皮肉なのか、読みきれないところに怖さがあった。本気でスマホをもつことが真の人になることだと言ってるならあぶない。現代にまったく飲まれてしまって自分を失っている。皮肉だとしたら、それでも大勢の反対をおしきって買ったのはなんだったのか。



声なくし筆談の母は「ありがとう」三つも書きて吾を見送る/成島福子



鮭のこと蛙と書いたかも知れず頼む先生!おまけしてくれ/小島孝太郎

→テストのあとに焦る気持ち。わかるというか、懐かしい。これは見逃してもらえないだろうなあ。「!」にすがるような気持ちがこもっている。「鮭と書いてあってくれ!」ではないんだね。



名乗り出ぬ悪意のごとく冷やかにA3用紙が指を切り裂く/竹本賢治「オフィス・ポリティクス」

先ほどの会議の席へ立ち戻り罵声あびせたき冬のゆふぐれ/竹本賢治「オフィス・ポリティクス」

→近藤芳美賞のなかではこれが良かった。馬場あき子さんが「破滅的に暗い」と言っている。



一日を水にほどいて眠りとは絵筆を洗う静かな時間/飯坂友紀子「素描の日々」



以上です。
オレは三年連続で予選落ちしています。くうーっ。






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どこへ向かって表現するべきなのか|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n4fcb83c1b017
有料マガジンを更新。
有料では当然、無料で読めるこういう場所には書かないことを書いています。


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2016年07月21日

{短歌の本読む 83} NHK短歌テキスト 2016年7月号  ~枯葉の音を今も忘れず、ほか

NHK短歌テキスト 2016年7月号

これも一ヶ月遅れですがやっていきます。



せともののひびわれのごとくほそえだはさびしく白きそらをわかちぬ。/宮沢賢治
→さし絵のおかげもあって、とてもイメージしやすいです。
空も枝も、言ってしまえば世界が、こわれやすく傷ついたものに変わります。


わが帰省待ちわぶる母の居るごとくふる里へのバスに瞑(めつむ)りてゐる/開道彰
→「ごとく」で母の不在があきらかになります。バスのなかで目を閉じて、「母」のことを思っているのでしょう。



一度だけ行きしあなたのふるさとの枯れ葉の音を今も忘れず/熊谷純
→なんでもないものが、特別なシチュエーションにより特別なものに変わります。枯葉の音の聞こえるところで、なにか特別なことがあったのだろうと想像します。



木曜の午後の一限幾何学は春夏秋冬いつでも眠い/川崎和明
→時間、時期をあらわす言葉がとても多い歌です。それでいてわずらわしくないのはひとつの技だと思います。
「木曜の午後の一限」でせばまってゆき、「春夏秋冬いつでも」でひろがっていきます。



ひとり泣き暮れて ロボット掃除機がゆっくり帰ってくる夕まぐれ/雀來豆「夏の生活」
→ジセダイタンカから。
ルンバが家出したというのでしょう。しかし帰ってきます。泣いていますが、いったい何があったのでしょう。そこにドラマがあります。









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谷じゃこさんの、短歌で遊ぶフリーペーパー「バッテラ 05号」に、わたくし工藤吉生がゲストとして参加させていただいています。

テーマは「ゲーム」です。二人のいろいろなゲームの短歌が載っています。
また、ゲームと関係なしに連作もあります。


7/23の札幌文フリ(文学フリマ)、めためたドロップス(う-18)で配布するとのことです!
ほかにもいくつかのお店などで手に入ります。
どうぞよろしくお願いします。





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2016年07月11日

~歌書読む 43~ NHK短歌入門 岡井隆『歌を創るこころ』  ~カンガルは如何如何、ほか

NHK短歌入門 岡井隆『歌を創るこころ』を読みました。

主にテーマ別に古今の名歌秀歌を取り上げて解説する本ですが、はじめのほうには添削例もあります。



53ページ「結句の大切さ」にこんな文章があり、印をつけました。

わたしたちは、短歌を読んでいくときに、(もちろん、無意識のうちに、ではありますが)心の中のどこかを、はっきりと言い当てられたいと思っているようです。的をしぼって、ある一点を言ってほしいと欲求しているのではないかと思います。

言われてみるとそんな気がします。



自転車を押しつつ愉(たの)し星空へ立て掛けしごと冬の坂あり/久葉堯『海上銀河』



霜月の冬とふこのごろ只(ただ)曇り今日もくもれり思ふこと多し/伊藤左千夫「冬のくもり」



カンガルの大好きな少女が今日も来てカンガルは如何(いかが)如何(如何)かと聞く/前川佐美雄『植物祭』

→カンガルーをこの頃はカンガルと言っていたのでしょう。
いかがと言われても困りますね。「ぼく(わたし)も好きだよ」と言ってほしいのでしょうか。
「今日も来て」ってことは、たびたび来てカンガルのことを聞くんでしょうか。不思議な少女です。
「カンガル」と「いかがいかが」の音が重なり、呪文のようです。



あまのはら見る見るうちにかりがねの一(ひと)つら低くなり行きにけり/斎藤茂吉『白桃』
→「あまのはら」で広大なイメージを持たせてから低さを出すことで振り幅の大きい歌になっているのだと思います。



169ページに「夕占」という言葉が出てきました。
これは、人々の多く通る四辻なんかで、ふとききとめた言葉から未来を占ったり、願いごとを占ったりする一種の言霊信仰
なのだそうです。おもしろい占いがあるものです。



ポニーテイルを揺らしつつ劇薬のラベル貼(は)り替へてゐる君の影/喜多昭夫『青夕焼』
→劇薬のラベルを張り替えるのはなんとも邪悪な行為ですが、ポニーテイルはそれを感じさせない髪型で、そのギャップにおもしろさがありそうです。「影」にフォーカスしたのもよいです。ポニーテイルはあくまでも影なのです。



風たかき白桃の園をぬけ出でてかうかうと我をいつはるのみぞ/坂井修一『ラビュリントスの日々』



頬(ほほ)の肉(しし)落ちぬと人の驚くに落ちけるかもとさすりても見し/長塚節

→驚かれるということは目に見えて落ちているんでしょうが、とぼけたような身ぶりがあります。



人間とて金と同じでさびしがりやですから集るところに集る/石田比呂志

それなりの帳じり合っているひと生(よ)今宵(こよい)の風呂に首出している/石田比呂志


石田比呂志の歌は、ワサビの効いた、ずばりと警句めいたことをいう歌として紹介されていました。




以上です。
んじゃまた。


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2016年06月29日

{短歌の本読む 81} NHK短歌テキスト2016年6月号  ~私の初恋はいま、ほか

「NHK短歌テキスト」2016年6月号。
だいぶ遅くなった。



わが生(せい)はかくのごとけむおのがため納豆(なつとう)買ひて帰るゆふぐれ/斎藤茂吉『つきかげ』

ファンファーレ響け深紅の緞帳(どんちょう)よ開け私の初恋はいま/玉川萌

→なんだか全然ちがう雰囲気の歌をつづけて引いた。ファンファーレの歌は「初恋」の二席。
いかにも輝かしい。引き込まれる。初恋っていいな。なんかうらやましい。


頑張りたいかなと思ひますなどと言ふなよ頑張ると言へよ卵よ/阿部功
→「卵」はいまの若い人の意味ととったが、ほんとの卵だったらそれはそれでおもしろい。「頑張る」っ臭い言葉で、思っててもなかなかストレートには言いづらい。


ゆで卵ふたつくらゐの寂しさを残して君はしづかに去りぬ/熊谷純
→つまりどれくらいさみしいのだろう、と思わせる。が、さみしさなんてそもそも計量できるものではないのだ。
真っ白いゆで卵は、そう思って見るとなんとなくさびしい。よく真っ二つになって切断面を見せて置かれていたりもする。


直球の応援だったガンバレと昆布で書いた母の弁当/姉野もね
→母の心を読み取ってしみじみすればよい歌なのかもしれないが、昆布の文字でありながら直球だというのを面白く読んだ。

オムライスふわとろのやつ作るから死にそうなんて言わず踏ん張れ/あんず
→これに感じたおもしろさも、たぶん昆布の歌と同じ種類のもの。



外塚喬さんが「結社誌・同人誌の現在」で結社誌の若手について書いている。
自分の所属以外の結社誌をいくつも熱心に読んでいて、すごいと思った。



会いたさはやがて遠退く人知れず森で朽ちゆく着物のような/立花開「三月の無題」
ジセダイタンカから。会いたい気持ちが森のなかの着物に例えられている。
森の中になぜ着物が放置されているのだろう。何があったのか。そこにドラマを感じた。



さびしさを忘れむためにくりかへしおむすび百円セールを叫ぶ/熊谷純
→また同じ人の歌だ。さっきはゆで卵ふたつくらいの寂しさだったが、こんどは忘れるためにおむすび百円セールを叫んでいる。
さびしさが身近な食べ物とつながっている。うるさい店員も、さびしさのあまりそうしていると思えば許す気になるが……。







オレの歌は一首載った。「短歌de胸キュン」の「もう少しで入選de賞」だった。

題「はげます」 栗木京子選
励ましのつもりで書いた便箋の二枚目の3分の2は愚痴/工藤吉生




んじゃまた。






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あやまちのbot|mk7911|note(ノート)https://note.mu/mk7911/n/n149e3d9ee772
noteの有料記事を更新しました。おかした過ちについてです。


noteで「工藤の有料マガジン」やってます。こちらは500円でさまざまな記事が読めます。例えばこんな内容です。

【第一回石井僚一短歌賞】に落選した連作 20首
https://t.co/jVQrn5C2Ln

第57回短歌研究新人賞候補作「仙台に雪が降る」全30首
https://t.co/2qhYBXq6hv

2ちゃんねるに書かれているオレに関する疑惑について答える
https://t.co/7bl0976ewb

どうしたら短歌の絵を描いてもらえるんですか問題について
https://t.co/x7uF5emd7k

「いいね」されない短歌/一人称のこと
https://t.co/VnGb7jdktI

オレに関する恥ずかしいツイートを見つけてしまった
https://t.co/mApcvnOrZ8

「文学じゃない」と言われたこと
https://t.co/4Vx9ROeMQ5

工藤、投稿サイトで短歌に厳しいコメントを書かれる
https://t.co/r1E65Zcwqr

16のサイト・アプリに短歌を投稿した結果を比較する
https://t.co/3tMyRK4lDP

歌合 大学短歌バトル2016のこと
https://t.co/WUnEo646fZ

ブログにきたひどいコメントシリーズ 
https://t.co/dMNri2dI2Y



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2016年01月19日

{短歌の本読む 72} NHK短歌テキスト 2016年1月号  ~はじめて1コ笑いを取った、ほか

NHK短歌テキスト 2016年1月号。



栗木京子さんの「変わりゆくゲーム」はコンピューターゲームをテーマにしている。
こういうのは年代がでるなあと思う。ゲームに関わる子どもを見つめる親や大人の立場からの歌が多い。
親から見るとゲームというのはこどもを夢中にさせるが、またダメにする道具なんでしょうね。そんなような歌が引かれている。
オレなんかはファミコンの時代を子供として過ごしてきたし、ゲームにはとてもお世話になった。悪いこともあるが楽しいことのほうが多かった。



今日ありし事をその夜の夢にぞ見る現実(うつつ)より哀しくまた美しく/若山喜志子



一車線にくるまが収斂(しうれん)されてゆく道路の律をホテルより見つ/篠弘『至福の旅びと』



はじめて1コ笑いを取った、アルバイトはじめてちょうど一月目の日/永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

→「現代うたのアンソロジー」から。
「1コ」という数え方。笑いを「コ」で数えている。バイト先での人間関係のための笑いだ。
「はじめて」が二回でてくる。「初めて」と「始めて」だろうけど、ひらかれている。
「一月目の日」は不自然でちょっとひっかかる言い方だ。

「1コ」、「はじめて」、「一月目の日」、二句のあとの読点。そういうひっかかりポイントがあって、立ち止まらされる。

「一月目の日」って見てると、漢字パズルみたいに見えてくる。一と日を足すと「目」だな、一を月に足しても「目」だな、とか。関係ないかな。
「はじめて」にしても「1」「一」にしても、表記にこだわった作りになっている。

いや、「1コ」で数えられる笑いは道具としての笑いなんだなと思うね。とろうとしてとった笑いだし、仲間とうまくやるための笑いだ。
「ちょうど一月目」って、覚えているものなのか。一月の間笑いをとれなかったのを気にしていたんじゃないか? ピリピリと過ごしているなあ。



山沼に葉がびっしりと浮くように妻は笑えり顔でわらえり/吉川宏志『西行の肺』
→表面は葉でも、その下はぬめぬめとした沼だ。笑いの向こうに他のものがありそうで怖い。
顔で笑うのは当然だが、当然のことを言うことでそれは当然じゃなくなる。顔以外は笑っていないのではないか? と不安になる。

「笑えり」は二度目に「わらえり」とひらがなになる。
笑という文字自体が明るい印象をもたらす字だが、ひらがなにひらかれてしまう。



銀縁の眼鏡をクローズアップしてガン患者ドキュメント終われり/しばっち
→ドキュメント番組って半端な感じのまま終わることがある。ドラマや映画やバラエティーならばオチや結末をつけられるが、ドキュメントは無理にハッピーエンドにも死なせることもできない。
結果、物を大きく映して「終 NHK」なんてことになる。

そうすると「銀縁の眼鏡」が今後の患者の象徴のようになる。この眼鏡でも明日は見えないのだ、とでも言うように。


途中より引き返し来て玄関を確かめみれば施錠してあり/藤本雅子
→鍵かけたっけと思って家に戻ること、あるある。何でもないんだけどこうして短歌として読むと、自分が忘れ去ったもう一人の自分とドアをつうじてふれあったような感触がある。


バスの窓すっかり曇りだいだいの色の過ぎしはパン屋でありしか/中津昌子『むかれなかった林檎のために』








オレの歌が佳作で二つ載りました。

労働をしない日じゃなく、もっと、そう、全身全霊休みたいんだ/工藤吉生
(「休む」染野太朗選)

友達とむかし野球をした空き地こんなものかと小さくまわる/工藤吉生
(「友人」栗木京子選)


以上です。



https://note.mu/mk7911
noteに作品をまとめています。投げ銭方式なので無料ですべて読めます。応援よろしくお願いします



んじゃまた。


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2015年09月04日

NHK「音楽ファンタジー・ゆめ」を振り返る

NHKのテレビ番組「音楽ファンタジーゆめ」をYouTubeで全部見た。後半だけだけど。
昔毎週録画してたんだけど、二期の途中から見なくなったんだ。中島みゆきやラジオが面白くなったからだろう。
コンピューターグラフィックとクラシック音楽を合わせた5分番組。90年代に放送された。




オレも見なくなるわなあと思うようなつまらないやつが二期ではいくつか続いた。でもまた盛り返したように思う。

昔みたいに無心では見れないなあ。どういうCGアニメーションが面白くてどういうのが面白くないかとか、元のクラシック音楽との違いとか、20年経ったいま同じような番組をやったらどれだけいいものを作れるんだろうとか考えていた。


CGでは人間を作りづらそうだったな。人間を出すと浮いてしまう。動物にしたり、図形にしたほうがうまくいく。
抽象的なのが面白かった。図形が変化するようなの。透明人間というアイデアもあった。
物語性の強いやつは、普通のアニメでいいような気がする。それでもキャラクターが死んだりすると心が動いたりする。







いいなと思ったのは中川佳子さんという方のCGアニメーション。カノンとかモーツァルト交響曲第40番は前から好きだったけど、見てない作品を今回見れてよかった。
緑とか花とか、自然がよくでてくるのが特徴かな。

"音楽ファンタジーゆめ カノン(パッヘルベル)" を YouTube で見る https://t.co/kO5VKYshh1






あと、昔何度見ても気づかなかったことに気づいたりもした。「愛の夢」で二匹いたキャラクターが途中で一匹になっていて、もう一匹の死を暗示していること。悲しい。

"MFD #36" https://t.co/OEGHiOhKbA リスト 愛の夢

セリフがないんだよな。クラシック音楽にかぶさっちゃうから。だから動きで説明したり、工夫されている。







ベートーベンの「運命」のボクシングの面白さも。一度両腕をブラーンとして油断させてからとどめをさしているところに気づいた。勝負がついても「タタカエ」「タタカエ」と言い続ける脳がグロいな。ここまでバラバラにされても脳だけは敗北を認識していないという。

"音楽ファンタジー・ゆめ 1-13 運命" https://youtu.be/CAqMJUG6D30






でも第一回のトルコ行進曲は何度見ても見事だ。第一回にしてほとんど最高に近いものを出してきたといえるのではないか。スピード感、色彩、音楽と映像の連携、中身が濃い。まったくすばらしい。

"音楽ファンタジーゆめ:トルコ行進曲(モーツァルト)" https://youtu.be/X5wUOezeeZc







でも一番繰り返し見たのは田中秀幸さんのこれかもしれない。
"MFD #30" https://t.co/zQkkF1ntfX

チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第一番」
建物が伸び縮みするとか、独特な世界だ。







調べてみると、トラウマになったという人の多さに驚く。これは出会った年齢によるのだろう。オレはもうそのころは中学生だったし、なんともなかった。
野菜のオーケストラのアニメが昔は面白かったけど今は恥ずかしい。後半だけでいい。


この番組でクラシック音楽に興味をもって、そこから「名曲アルバム」も録画したり見るようになった。それからFMラジオを録音して聴いた。クラシックはずいぶん聴いたし、「音楽ファンタジー・ゆめ」はオレの人生の数パーセントは動かした番組だ。


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2015年02月21日

{短歌の本読む 49} 「平成26年度 NHK全国短歌大会 入選作品集」  ~鎖に繋がれてない方の足、ほか

「平成26年度 NHK全国短歌大会 入選作品集」を読む。

この作品集は大会に作品をだした人がもらえる、はず。オレは予選落ちでなんにもいいところがなかったんだが、150ページくらいある立派な作品集だけは届いた。

21000首くらい投稿があり、4700首ほど予選を通って、のべ1200首くらいが佳作以上となる。420首ほどが秀逸以上、45首が特選、そこからさらにでかい賞がある。

この本には入選以上の歌が収録されているわけなんだけども、全部は読まなかった。多すぎる。佳作以上のものを読むことにした。


年を経て私の涙まっすぐに流れずなりしことの寂しさ/原紀美子
→シワのせいで涙がまっすぐ流れていかないという、老いの発見がある。それだけではなく、それ以外のなにかをあらわしているようでもある。


電話にて友は自らの癌を告ぐ「ホークス負けたね」と言いたる後に/古賀恵美子
→野球の話から癌の話になり、どんなにかショックだっただろう。福岡の方。


帽子深く被ればわたしではありません 屋台のたこ焼き立食ひうまし/後神千代子
→ちょっと悪いことをしているようだが、それが小さすぎるために人の良さが逆に引き立つ。
隠蔽の仕方が帽子を深くかぶることで、やってることはたこ焼きを食うことだ。


六年生十一人の卒業に一年生の四人みな泣く/近藤祥子
→数字の生きた歌。小島ゆかりさんの選だが、ほかにも小島さんは数字の入った歌を多く選んでいる。
11人から4人ということは、ただでさえ生徒がすくないのに、さらに減っている。少人数ならではの濃いつながりがあったのだろう。


だがしかしけれどもいいやだがしかし 山手線を一周回る/榎本麻央

→考えがぐるぐるまわっていて、電車もまわる。
「だがしかし」「けれどもいいや」という硬い言い回しがいいな。


子のこともあなたの事も遠からず忘れるでしょう 朝食は何/島田興三
→「いま食べたじゃありませんか」と言われそうだ。


コックリさん呼びて占う夜の宿舎「好き」と出たればワッと和みき/山岸小夜子
→コックリさんは懐かしい。年代が関係あるのかな。オレの頃はあった。
コックリさんは盛り上がるとともに、オカルトな恐ろしい性格もある。題詠「和」でコックリさんをもってくるのは絶妙。
「ワッと和みき」だけど、「和」が「ワ」と読むのと掛かってるようないないような。


爪を切り指輪はずしてみどり児のいのちしずしずと湯に入れゆけり/中山鈴子


馬場あき子さんは海外をあつかった歌を多く選び、道浦母都子さんは戦争や原発の歌を多めに選んでいる。


目薬を一つ外せば次々にはづれてしまふ一人の窓辺/石川徹
→目薬は涙に重なる。たくさん泣いているかのようだ。「一人の窓辺」が効いている。

穂村弘さんの佳作の歌におもしろいのがあった。日経やダ・ヴィンチとは投稿する層が違うわけだけど、それでもやはり穂村さんの選だと感じる。


一七七〇の献体番号付きました夕陽に柿はたわわに色付く/加賀谷盛子
→上の句に注意が向く。下の句はひっかかりがなく、流れている。
一七七〇というそれ自体に意味のない数字になにか力がある。食用で人の管理下に置かれているということか。「付きました」の「ました」は何でもないことのように穏やか。


来客と門をはさんで話をすかまきりの子は取っ手に動かず/小林登喜恵


午後八時家庭訪問リビングで犬に眉描く少女が一人/河内香苗

→午後八時は、家庭訪問にしては遅い。日中は両親のいない家庭か。
犬に眉描く、は本物の犬と読むと衝撃が強い。両親とあまり一緒にいられない子が奇妙な一人遊びをしているのを教師である自分が垣間見た、と読んだ。


ツアーバスと並走長き護送車の開かぬ窓のカーテン揺るる/福地公子
→道浦母都子さんの特選。
あと道浦さんの選の歌をふたつツイートする。


空爆より逃れ来しとうアラブ人電器修理の眼するどし/金谷治美
→空爆から逃れたとか眼がするどいという情報はあるが、電器がなんなのかは書かれていない。
書かれていないところを書かれたことから想像で補いたくなる。この電器とは、暮らしが便利に快適になるという性質のものとは違うのではないかと。日本人には便利道具なのかもしれないけど、でもこのアラブ人にとってはそういうものではない、生死を分けるような道具なのかもな、ってこと。


和光とは葬儀社の名にて秋晴れの日の電柱によく映ゆるなり/大和昭彦
→電柱に広告がくっついていることはよくある。でもそこに美を見出だすのは並大抵ではない視線だなあと。


米川千嘉子さんの選から二首やる。どちらも動物の歌。

冬至の日象のメリーが南瓜割る鎖に繋がれてない方の足で/高原晴子
→特選歌。
冬至といえばカボチャだ。冬至は人間の風習だが、イベントかなにかで象に割らせたんだろう。メリーというネーミング、片足につながった鎖。かなり人間にコントロールされているゾウだ。悲しくなる。


「猿だけは撃たれる時に目をつむる」駆除する人は深き眼に/岡本留音紗
→猿だけは銃を向けられた時に、これから自分がどうなるかがわかるのか。「深き眼」が駆除する人の胸のうちをあらわしている。猿のつむられた目と駆除する人の眼が重なる。



佳作以上の歌はおわり。「入選作品」はすごい量なので、自分の県のひとの作品と、名前を知ってるひとの作品を読んだ。
丸はひとつもつかなかった。考えてみれば「入選作品」は、15人いる選者のうち一人も佳作以上に選ばなかった歌の集まりだ。







近藤芳美賞が収録されている。15首連作で、出詠料五千円。岡井隆、篠弘、馬場あき子の審査による。
435組の応募があったとのこと。近藤芳美賞1、選者賞3、奨励賞6、入選(2首のみ掲載)47。


真静かな闇夜に香る金木犀さいごの記憶はにおいと思う/大西淳子「さみしい檸檬」

近藤芳美賞は大西淳子さんの「さみしい檸檬」。

そうでなくてもさみしい秋の送別に夕焼けいろの花束なんて/大西淳子「さみしい檸檬」
→花束の夕焼け色にさみしさをつのらせている。夕焼けは、言うまでもないが一日が終わっていくさまを思わせ寂しい。秋は夕暮れと昔から言う。


青春はさみしい檸檬あのころの理想に遠い今
をいとしむ/大西淳子「さみしい檸檬」
→青春の理想をなつかしみながらも、いまを大切にしている。
「檸檬」の効き具合はどうか、月並みでないかと考えた。


わが顔はどこまで変はる醜さの基準を少しづつ下げてゆく/三田村正彦「街」


誰とでも仲よくと朝子に言いて関わるなとも夕方に言う/重松美智加「ぽわん」

→朝と夕で気分が変わることはあるが、まったく逆のことを言っている自分を発見している。「関わるな」は強い言葉。


馬場あき子さんの選者賞、北川けいさんの「密源植物」は特によかった。

落花生割りてほろほろ雪ふらす君の手のうちに世界は若い/北川けい「密源植物」
→落花生を割るとたしかに粉がとぶ。それを「ほろほろ雪ふらす」と表現している。
落花生を割るのには力がいる。割る力に若さを感じたのだろう。


歳月のひとときわれの掌にタマゴッチ何度も生き返らせて/北川けい「密源植物」
→たまごっちはけっこう前のオモチャだ。オレが高校生だったから、まだ20世紀のころだ。それを「歳月のひととき」と振り返っている。
たまごっちは育てるゲームであって、失敗すると死んでしまう。だけどこの歌は、育てるのでも死なせるのでもなく「生き返らせ」るところに焦点をあてている。


人間も護られて喰わるる生きものであった健やかさ 木洩れ陽白い/北川けい「密源植物」



最後に「文部科学大臣賞候補作品」というところからひとつ引いておわります。

妹がそれは恋だと断言しゆっくり回り始める風車/松田梨子
→すっげーいいなと思った。
回りはじめたのは風車だが、恋のようでもある。恋だと意識したことが風となり、恋の次の段階がはじまる。
恋とかそういう話を姉妹でしているというシチュエーションもいい。




以上が「平成26年度 NHK全国短歌大会入選作品集」でありました。
んじゃまた。


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mk7911 at 20:57|PermalinkComments(0)

2015年01月09日

{短歌の本読む 46} 「NHK短歌」2015年1月号  ~われも生き生き生きおりたりし、ほか

NHK短歌テキスト2015年1月号。


小島ゆかりさんの良寛の話がよかった。18世紀のひとの短歌なんてほぼ知らないなあ。
巻頭秀歌にでてきた「もとの木網(もくあみ)」という名前の江戸後期の狂歌師も気になる。


いみしんのあやふき会話もしなくなり老いたりや言葉は言葉だけの意味/馬場あき子『あかゑあをゑ』
→「いみしん」。意味深長を略して意味深。ひらがなでまず書かれない言葉だし、「の」で接続するのも見たことない。
意味にふくみのある会話は年をとるとしなくなるものなのか。


笑ひ声絶えざる家といふものがこの世にあるとテレビが言ひぬ/小池光『日々の思い出』



佐藤佐太郎の『歩道』について5ページが割かれている。佐太郎の写真が二枚あるけど、どちらも手に持ってるのはタバコか。着てるものを見ても時代を感じる。


街川(まちかは)のむかうの橋にかがやきて霊柩車(れいきうしや)いま過ぎて行きたり/佐藤佐太郎『歩道』
→遠くて、光ってて、橋を渡っている。そして霊柩車。普通にありうる風景でありながら、亡くなった人があの世に行くところのようでもある。


わが心なにかにこだはれる如く暫(しばら)くをりて朝床(あさどこ)をいづ/佐藤佐太郎『歩道』


壁塗(かべぬり)に用ゐるらしき泥土(どろつち)を鋪道のうへに置きて人ゐず/佐藤佐太郎『歩道』

ここでは当時の佐太郎をとりまく状況などいろいろ書いてある。他人の出てこない歌が多いんだね。
この歌では泥土にわずかな他者の気配がある。



「現代詞華集」は面白いコーナーだなあ。植物とか家族とかでテーマ分けして短歌を紹介する本は見かけるが、「格闘技・筋トレ」だもんなあ。
浜田康敬のガッツ石松の歌は、以前ツイートしたことある、好きな歌。

ガッツ石松かつてボクサーたりし頃われも生き生き生きおりたりし/浜田康敬『旅人われは』
→「生き」三連発や、「たりし」からの「おりたりし」とか、そのへんの気持ち良さ。

現役をやめてもテレビに出続けている人は、現役時代のファンにこうしたことを回想させるのかもしれないなあ。
オレにもそういう有名人がいるような気がしたが特に思いつかなかった。
なゆかさんがAVに出ていた頃は……とはちょっと思った。



「わたしの第一歌集」は花山多佳子さん。この歌集は現代歌人文庫で読んだ。夢の歌が印象的だった。ここに引いてある20首のなかにも夢の歌が3首ある。


空間に半開きの扉(と)のある夢を怖れて時に現実(うつつ)に見たり/花山多佳子『樹の下の椅子』


この歌集ではないが、

炎天の見知らぬ道をゆく夢のとある家吾子の靴干してある/花山多佳子『楕円の実』

という歌も花山さんの夢の歌として強く印象に残っている。

子供がいなくなる・自分の子じゃなくなるような内容の歌が気になっていたんだが、「生まれるはずの子どもを断念せざるを得なかった」というのが関係しているのかもしれないし、していないのかもしれない。



入選歌・佳作歌にうつる。

雨やどりの少年の腹ふくらみぬTシャツの下に本を庇(かば)いて/吉友寿恵
※吉は土に口
→少年らしいしぐさだ。お腹のふくらみは妊婦を思わせる。大事なものとして、服は濡れてもこれは濡らすまいとして本をかばっている。


「延命拒否」赤鉛筆で撥(はね)強く書かれし父の手帳黴(か)びゐる/村松正敏


書初めの「大きな夢」の「大」の字の右払ひまた半紙を出でぬ/平岩佐知子

→どんどんズームしていくんだね。大きな夢という途方もないものから、右払いのはみ出たところまで。
夢が大きいのはいいね。




ジセダイタンカ

自転車の塗装は剥がれ偽物の青を海岸沿いに散らして/ショージサキ「思い出作りみたいだね、って」
→自転車の塗装の青は偽物。とすれば、本物とは海の青か。塗装が散るとは、自転車は海辺で長い時間を過ごしているのだろう。朽ちていく自転車を表現した歌と読んだ。

「散らして」に特徴があるんじゃないか。実際は塗装っていつのまにか少しずつはがれてるんだが、この歌では桜の花びらみたいだ。海岸沿いに散る青に、はかないもの、あわれを感じる。








オレは斉藤斎藤さんの佳作になった。

もうすでに少し歪んだ空き缶の蹴られ慣れてる下腹部ですな/工藤吉生



んじゃまた。


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mk7911 at 22:31|PermalinkComments(0)

2014年10月12日

{短歌の本読む 34} 「NHK短歌」2014年10月号  ~ぼくがてまきずしのぐ、ほか

NHK短歌。2014年10月号。



地(ち)はまたく暮れてかぐはし秋の雲はだらに朱(あけ)をながすなりけり/尾山篤二郎『明る妙』


少し笑みしスーツのわれを思ひ出す不採用通知を前に私は/澤村斉美『夏鴉』




近代短歌の連載がいつのまにか変わっている。名前もよく知らないような歌人を二ヶ月かけて紹介するページだった。それが歌集を紹介するページになったようだ。
今回は前川佐美雄『植物祭』。おもしろかったなあ。

いますぐに君はこの街に放火せよその焔(ひ)の何とうつくしからむ/前川佐美雄『植物祭』


ねむられぬ夜半(よは)に思へばいつしかに我は影となりかげに生きゐる/前川佐美雄『植物祭』


雨のふるいんきな日なり壁にあるにんげんの指紋のいかにかなしき/前川佐美雄『植物祭』

いま打ってはじめて気づいたんだが、けっこう歌が平仮名にひらかれているんだな。
人間の指紋の悲しさ、なんともいえない悲しさだなあ。




現代詞華集「卵」からふたつほど。

卵立てと卵の息が合っているしあわせってそんなものかも知れない/杉 恒夫『パン屋のパンセ』


仰向きの卵の殻にたまる雨冷々として日本の秋/富小路禎子『未明のしらべ』

→「日本の秋」。特に日本固有の風景とも思わないんだがなあ。どうなのかなあ。その一方、結句としての座りのよさもある。気になる歌。


このページにはない、オレの好きなたまごの歌があるので、ここでひとつ。

いつまでもおぼえていよう 君にゆで玉子の殻をむいてもらった/宇都宮敦「東京がどんな街かいつかだれかに訊かれることがあったら、夏になると毎週末かならずどこかの水辺で花火大会のある街だと答えよう」



入選歌・佳作歌。まず「黒または白」。

コーヒーの渦巻く白をじっと見る君は何かを誤解している/山田立美
→江戸雪さんの「のの字のロールケーキ」の歌を思いだしたりもするが、ちょっと置いといて。

渦を巻いて回っているミルクみたいに疑いのなかに入り込んでいっているんだろう。


低気圧幾つも迫りラーメンのやうな天気図ほどく予報士/後藤進
→「ラーメン」で丸つけたのこれだけだったな。これも似て非なるものを重ねている歌だ。



永田さんの「汗」は5首くらい。うわあ汗臭いなあと思いながら読んだが、おもしろかった。

汗拭きふき産院にきて先づ夫は三島由紀夫の割腹を告げぬ/永井真穂
→産院で割腹の話するかよ。他に言うこともあるだろうが、それどころじゃないくらい衝撃だったんだろう。


額の汗眉毛に添ひて流れおつ眉毛は汗の関所なるべし/高橋澄子
→確かに眉毛にはそういう機能がある。わりと当たり前なことなんだが、それを関所に例えたり「べし」を使って堅苦しく言っている。それも、汗をかきながら。


汗なのか涙なのかはわからぬが流れ続ける試合終了/今枝将尚
→勝ったのか負けたのか。負けたんじゃないかなあ。観ているのかやっているのか。選手なんじゃないかなあ。というのがオレの読みたい方向。
なんなのかわからないくらいのものが流れる、それは誰にでもできるものではない貴重な体験だ。


汗をかくこともなからむ500ccの点滴だけで母ひと日生く/三上昇


ポストまで歩いて行けるうれしさに汗ぬぐふのも忘れてゐたり/薦田キミカ

→読者である自分とはまったく違う年齢や境遇の人、またその気持ちに接することができるのが短歌だ。
なんの活動もできなくなってそれでも生きている親を見つめる子であったり、歩くことが困難な人の喜びであったり。


熱いから気つけてねの一言でバーベキューより君が気になる/かのん
急に若くなった。胸キュンの「アウトドア」から2首やる。
→ちょっとした一言、大事だよねえ。オレも言ってみようかと思ったり思わなかったりする。


ねぶくろではじめてねたよファスナーをしめるとぼくがてまきずしのぐ/間野竜伍
→若いっていうか、これは小学生の歌だ。
初句と二句で状況がわかり、三句から動作がついて、結句に比喩。



ジセダイタンカから。
いずれ夢から引き戻される街がある 生命線をなぞる海岸/松尾唯花「海鳴りとなれ」
→時間や空間のねじれというか歪みというか、そこを面白く読んだ。
街ごと眠りに落ちていて、それがこれから目覚めるのか。海岸線と生命線が重なるのも不思議でいい。



「文芸選評」からひとつ。

文庫本読むをためらふ席譲りくれたる人の降りゆくまでは/阿部啓子
→「感謝する心もち」を詠んだ歌だという篠さんの評。オレはもっと意地悪な歌に読んで丸つけた。
つまり、座れたのはいいけど、譲ってくれた人がいるせいで読みたい文庫本が読みづらい、早く降りないかなと。


錦見映理子さんの「えり子日記」のおかげで見忘れていた堂園食堂を見れたことを最後に書いて今回の「NHK短歌」は終わりにします。








番外編でオレの歌を。今回は斉藤さんと永田さんの佳作になった。

「ラーメン」斉藤斎藤選
君が笑うたんびにオレのラーメンに息がかかって不味くなるんで/工藤吉生

「汗」永田和宏選
妹が弟が母が暑いと言う言わないオレも汗だくである/工藤吉生



んじゃまた。


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mk7911 at 18:01|PermalinkComments(0)