2009年09月25日

今日中学生と話をした。

大した話はなくて
ゲームの話や年齢の話。

楽しそうに話す彼らの瞳には陰りがなかった。

中学生も色々あって大変で
辛いことも少し悪いこともしてると思う。

それなのに

あの輝きは何だろうか。

僕もあんな瞳を出来ているだろうか?


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2007年03月03日

どうしようもない空しさを感じた時。

それを忘れるために何か人に優しくできないかと考える。

小さなことで暗い感情に心を支配される自分がたまらなくキライになるから

誰かに何かしてあげることでそんな自分を少しでも好きになりたいのかもしれない。

あるいは、誰かが嬉しそうだと自分も嬉しくなるからかもしれない。

とにかく

この負の感情を少しでも誰かの笑顔に変えられるなら

例えエゴでも許してくれないかな。


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2007年02月05日

涙が心の雫なら
こみ上げる時の通り道を
また1つ君の胸に
作ってしまいそうな夜

ほんのきっかけが欲しいのに
その一言から戻れるのに

そう 君が言えば
僕も変われる
身勝手な言葉がよぎる

何時間君の胸に閉じこめたら
その言葉は微笑みになるの
これ以上僕の胸に閉じこめたら
この言葉はさよならになる

君を傷付けた僕だけが
君を癒せると気付いた時
めぐりめぐる愛は時に煩わしさのためにある
何故君と出会う その訳を
偶然のかけら拾うわけを
僕は遠い記憶の中に
君を捜していたかもしれない

何時間君の胸に閉じこめたら
その言葉は微笑みになるの
これ以上僕の胸に閉じこめたら
この言葉はさよならになる

何時間僕の胸に抱きしめたら
君は優しく目蓋を閉じるの
何時間君の胸にうずもれたら
君とはじめて出会えのだろう

好きな曲です。





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2007年01月28日

  NHKの世界遺産でサハラ砂漠の中にある「ムザブの谷」を放送していた。

谷というとどうしても「風の谷」が思い浮かぶ。身近に谷というものがないからか、憧れてしまう。単純。

ムザブの谷の外観は異様と言えるほどに美しかった。
ムザブ







ムザブ







↑中心にミナレットがあり、放射状に町が構成されている。
平等の精神に基づいてデザインが統一されているために、家の形、大きさは全て同じであり、石と漆喰で作られた直線的な箱のような外観の家が、パステルカラーに彩色され、ミナレットを中心にピラミッド状にひしめき合っている。


かのル・コルビジェが驚嘆したというのもうなずける。

近代建築の四大巨匠であるコルビジェがその後、自らの建築技法としてピュリズム(純粋主義・・・画家ピカソらが唱えたキュビズム(立体主義)をさらに徹底させ、余計な装飾性や個性的な要素を排除し、より簡明な造形表現をめざしたもの。)に取り入れたことなどから、この町が近代建築の土台となったと考える人もいるほどである。


その外観もさることながら、その暮らしぶりにも驚かされる。

「千年の間、変わらないまま」という。人々は敬虔なイスラム教徒であり、その生活は質素で穏やかなものである。

イスラムには「喜捨」と呼ばれる、相互扶助がある。
wikipediaの引用をすると

「たとえばある男が戦争に行き、そこで死亡したとする。その妻と子供は大黒柱を失うことになり、税金に基づく社会福祉が充実していないならば生活に困 窮する可能性がある。政府レベルの公的な仕組みとしてはザカートがあるが、これだけでは手が回らない可能性もある。そこで近所の人が声を掛け合い、金銭 (現代なら紙幣など)を集めて回り、該当家族に直接渡す、などの行動が見られる。

 政府による福祉と違い、常に顔を合わせているような間柄同士での互助システムと言える。イスラム共同体にはこういった仕組みがいくつも組み込まれている。

 また、商業などで成功した人物が、慈善団体に自由意志でもって喜捨をするのもサダカである。また、さらに富裕な人物は地域共同体に対して学校などの建物をまるごと寄付することも多い。これは西洋や日本でも、学校あるいは集会場、音楽ホールの寄付などで見られる(見られた)行動であるが、これらとサダカはある点において性格を異にする。

 (基本的に。……原則から言えば必ず)サダカで寄付された学校などには寄進者の名前が刻まれることはない。それは、サダカが直接富裕者から寄付されるのではなく、観念的には神(アッラー) に寄進され、それを皆が使える状態にしているゆえである。イスラム共同体においては、こういった福祉の資金も神と人との1対1の関係(人→人ではなく、人 →神/神→人)のもとに動いている。「困った人のため」という水平的関係(という側面もあるにせよ)ではなく、神との垂直的関係であることは、上記のよう に困窮している隣人のために募金をつのるとき『神へ』という標語が用いられることからも分かる。」

というものだ。これが、このムザブにも生きていて、この地方の主食とされるナツメヤシの実をミナレットに寄付している。そして、困った人なら誰でもそれを貰うことができる。という。

ムザブのミナレット案内の人も、「お互いに助け合うことで」という人と人との繋がりを協調していて、WIKIにあるような「垂直的」という概念が窮屈なほどではない。

あくまで、人と人、そして宗教とバランスをとっているようだ。
他人を尊重し、お互いを生かしあうという精神が生きているようだった。

映し出される人々はとても生き生きしていて、自分のしていることに誇りを持っているようだった。

「自由からの逃走。」ないものねだりと分かりながらも、穏やかなみんなの幸せを求めてしまうのは虚しいだけだろうか・・・

一度、本当のムザブを見てみたい。

ところで、戦争が起きているところは、イスラム圏が多く、イスラム教徒のイメージはよくなかった。

しかし、宗教も1つの哲学であり、道具であるということを考えれば、彼らの身に降りかかる経済的な貧困こそが問題であり、ジハードという言葉は利用されているに過ぎない。

宗教とイデオロギーは分けて考えないといけない。

再認識した。





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2007年01月20日

ゆうぐれ








夕暮れ
時。
キーボードを打つ手元が暗くなって電気を付ける。
気付けばもう1日は終わろうとしている。
急に何とも言えない気持ちになって、二階から階段をどたどたと降りる。

二階から一階に下りる階段は勾配が急で、バランス感覚のない私はどうしても大きな音を立ててしまう。

平素、よく母に怒られることだ。
しかし、しまったと思いながら降りた階下は静かだった。

一階は人の気配のしない青く薄暗い空間だけが広がっている。
誰もいないのだ。

住み慣れた家の別の姿。
自分の期待を拒んだ青。

テレビではバラエティが流れ、それを笑いながら見ている母と父。
時には、東京から帰ってきた姉が加わり騒がしい笑い声が聞こえる

あまり話もしないし、人のことには興味が成さそうだが、1人で勉強しているとお茶やココアを持ってきてくれる父。寝る前には必ず声を掛けてくれる。
日頃はよくケンカするが、本当は心から心配してくれている姉。
忙しいけれど、常に明るい母。

そんないつか失うだろう風景。

影さえも飲み込む夕暮れに、僕は自分を見失った。




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2007年01月19日

突然俳優になると言った友人

昨日から何やら俳優の学校に行き始めたらしい。

俳優という職業に触れることがないから

面白い。

さてさて、彼はどういった男になるのか。

僕も負けてられないな。




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2006年06月05日

自分の中をのぞき込む。

そこには怖ろしいほどの混沌が渦巻いている。

もしくは何もない。

不安なんだ。自分が分からないのだ。

どうしたらいいか分からないのだ。

なぜだ。あれほど求め、苦しみ、辛かったその先に見つけたもののはずなのに。

最近、心に刺さったトゲが抜けない。

あれほど人を否定した発言はない。

切れてしまいたかった。

お前に何が分かるんだ。人はみな苦しんでいる。考えている辛いんだ。一生懸命生きているんだ。その人なりに。

あやまれ。命に謝れ、人の生きる限り存在する尊厳に謝れ。

謝って欲しいのか。謝れば全て終えるのか。

その人はそういう人だと認めてしまえばいいのか。

どうしたいのか。



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2005年08月29日

千の風

「私のお墓の前で泣かないでください
私はそこにいないし、眠ってもいません

私は吹き抜ける千の風
私は雪のダイヤモンドのきらめき
私は熟した作物へふりそそぐ太陽
私は秋の穏やかな雨

あなたが朝の静けさに目覚めるとき
私は駆け上がるツバメになり
静かに円を描いて空を飛ぶ
私は夜に輝くやわらかな星

私のお墓の前で泣かないでください
私はそこにいないし、死んでもいません」

それでも僕は泣く。

君を忘れないという儚い約束を

甘い傷として生きていく為に。

 



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2005年08月06日

8月6日の8時15分。
中学校のころから黙祷をしてる。
沈黙の一分間。
いつも蝉の声がする暑い時間帯だ。
今年も何時もとかわらない。

今年は祈りはどこに消えていくのだろう。
祈りはどこにとどくのだろう
祈ったものの思いを
いったい誰がすくい上げてくれるというのか

そんなニヒリズムに陥ってしまうほど
悲しい日々が続く

もう祈りは要らない
必要なのは・・・

分かっていてしないのと
分からなくてしないのと

どちらもいっしょか・・・

多弁な沈黙の一分間は静かに
青空に吸い込まれて

また僕の日常がくる。
たった一分間の偽善懺悔。



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2005年07月05日


最近、薄暗い家でほお杖をつき、ため息をつく母の姿をよく目にする。

 

いたたまれなくなっておどける僕の声はむなしい。

 

いつだったか?あれだけたくましかった父の背中が、何だか悲鳴をあげているように感じたのは。

 

背をのばして話をすると見下げてしまうのがいやで少しでも小さくなろうとしたのは。

 

いつからだろう?母の涙をよく目にするようになったのは。

 

人は小さい。こんなにも。

 

どんなに強そうな人もふるえながら必死に立っている。

 

どんな人だって心細い。不安だ。

 

人間誰しもそんなに違う物ではないのだから。

 

「手伝うよ」の一言で

 

涙を流してくれたがんばりやの女の子や

 

 

親の背中がそう僕の心に訴えかけてやまない。

 


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2005年06月06日

最近、息苦しくなってめまいがする時がある。 しなければいけないことと、したいこと。 完全無欠な不自由さに心はすさみきって。 何かを隠そうと自然に笑顔が増えた。 丁寧な言葉づかいは争いを避けるため。 何かと謝ってる気がする。 沈む沈む。 息ができない。 水泳は得意な方だったのにな。

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2005年05月28日

しばらく忙しくて彼女に会えなかった。
忙しいのは嫌いじゃない。
何も考えなくてもすむから。
一緒に苦しんでくれる仲間もいたから。
でも、何か心にぽっかり穴が空いちゃったみたい。
焦燥感とか孤独感とか愛おしさとか。
そんなのが混じってしまった。
存在する空虚。
知らなかったんだ。
こんなに彼女が大きな存在になっていて
こんなに僕が彼女を好きになっているなんて。
昔は知っていた感覚かも知れない。
「好き」という感情がこんなにも激しい感情だって事。

彼女をただ抱きしめたかった。

忙しさが一段落して彼女にあった。

彼女は会う時いつもコドモみたいに両手を広げて迎えてくれる
僕は抱きしめて「ただいま」とか言ってみる
そしたら、彼女はすこし吹き出しながら「ばか」っていう。

それだけの事なのに。
それだけのことでもう僕は何もいらなくなる。

「君がいてくれたらいいよ」

僕たちは初めてあった時全くの他人だった。
軽い会釈を交わすそれだけの関係。
それがいつからこんなにも贅沢な関係になったんだい?

まだまだ自分勝手な僕ですが
まだまだ未熟者な僕ですが
まだまだやれる僕です。
どうか末永い目でみてくれるとうれしいです。


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2005年05月19日


「ふみださなえければ前に進めない事は分かっていたんだ。
ただ、ぼくではそこに行き着けない事も分かっていた。

近づけば近づくほどに心はふるえて
遠ざかれば遠ざかるほど胸は焦がれた

僕は君無しではどうしようもないが
君は僕なしでも何もかわりはしない

いっそのこと僕が死ねば君は少しは悲しんでくれるだろうか?

君の心の闇に手を出しては距離をはかり
自分を偽っては君を突き放す

こんな事に意味は無いのに。
ただ必要とされたくて。
ただ一緒にいたくて。

君にのめり込む僕がいる。
苦しいけどこの激しく優しい痛みに溺れるのも
嫌いじゃなくなってきた。」

部屋の掃除をしていたら高校一年の時の雑記がでてきました。今でも思い出す感覚です。
文体が今とあまり変わってないのが面白かったwww

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2005年05月15日

ここにはみな仮装してやってくる
派手な装いでくるもの、普段着の中に狂った本能を孕んだもの。
その誰もが歌い、跳ね、叫び、躍る。
やがて彼らは一つの大きな波となる。
そしてなにか大きな渦にその身を任せたまま
絶頂感を得て眩暈しながら茫然と帰路に就く
本当は
人が仮装するのはここを出てからかも知れない。
みな本当の自分をさらしにここにやってくるのだから。
本当に生きているか分からない人たちが。


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2005年04月29日

今日は庭に出てスケッチをした
課題がでたから

めんどくさいなんて言えるほど冷めてなくて
実はこの気持ちの良い季節にスケッチできることを
柄にもなく喜んでいた

花が所狭しと咲き誇っていた
ハナミズキやタンポポ、ツツジやユリ
花びらの輪郭の有機的な線は
とても艶めかしい
強い日差しを受けてとても鮮やかだった

木の葉をスケッチする
幼い葉は柔らかくて美味しそう
アラカシ、イロハモミジ、モミジバフウ
地面は木漏れ日に満たされていた
スケッチをしながらぼーとしていたら
少し眠っていた

春になった。
桜が咲いた。
ピンク色に染まった空を
桜吹雪を
花びらを集めて空を舞わして
桜まみれになった日々は次第に
過去という河に浸食され
思い出となったようだ

目が覚めて

木の葉に隙間から見えた空には
もう夏がやってきていた


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「十一にもなって、親の飯を食うておれんわい」
と養子にでた主人公。

司馬遼太郎は源氏物語と三国志とならんで僕が読むのを避けていた作家。(封神演義は読んだ)

21になったし、花見の旦那さんと来年までに読むという約束をしたから読んでみる事にしよう。

そうすると少し楽しみ。


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2005年04月21日

僕は岡本太郎が好きだ。
彼に教えて貰った生き方がある。
彼に教えて貰った感情がある。
彼に教えて貰った僕がいる。

彼に会わなければ僕は夢を抱く事も生きる事も
とうに諦めていたかも知れない。

残念ながら僕が彼を愛した時彼はもう無くなっていた。

彼に直接会う事は出来なかった。

ただ、彼の作品や彼の残した本が彼の人となりと彼の生き方を教えてくれた。


岡本太郎が多くの人にリスペクトされている今、太郎の死後そのすばらしさを伝えたづけた、敏子さんの功績は大きかった。

人間としても大きく、明るく、魅力的で太郎の伝道師として最適だった。

岡本太郎展ー永遠の挑戦ーが松山に来た時、岡本敏子さんが来ていた。
僕はすぐにも飛んでいきたかった。
しかし、水泳教室のバイトのため行く事が出来なかった。
悔しかった。

母と姉が僕のために岡本敏子さんの本のサインを貰って帰ってくれた。達筆で力強い字で書かれたその字は太郎の作品と同じように力を与えてくれてた。

悲しいです。
あなたがいなくなったという事が
もういないという事が
太郎誰よりも愛し伝えるあなたがいなくなった事が
あなたがいなければ太郎に会う事もなかったかも知れない。

歩いていて涙が滲みました。

ありがとうございました。
心からご冥福をお祈り致します。

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2005年04月20日

桜が散ってしまった。
桜バイトももうおわり。
次第に薄れゆく熱気と暖かくなる気候に
この春最大のイベントの終焉を感じていていた。
それは人間のなんという名の感情なのだろうか。
それは祭りのあとの空しさに似ていた。

僕はこの果てなく続くような、それでいて振り返ってみると一瞬の眩暈のような日々がただ楽しかった。
バイトの友達と心の底から笑って、自分が最近本当に笑ってなかったんだなって気づいて、馬鹿やって、嫌になるほど焼き肉食べたり、酔っぱらいに絡まれてキレそうになったり、友達が殴られて宙を舞ったり、本物のやくざとやらをおがませてもらったり

花見とは祭りだ

桜という偶像を拝みたてて皆ただ騒ぎたいだけなんだ。

馬鹿ばっかりいるのさ。

実は俯瞰する風景のなかで誰よりもこの狂った祭りを楽しんでいたのは、僕だったのだ。

春は短い

過ぎゆく日々が戻らないのなら
また巡る季節に出会えばいい
この春よりもすばらしい春が
必ず巡る

そんな日々中にいつかまた僕の知らない僕に
また出会える事もあるだろう
それまでのあいだ少し休むとしよう
バイトの最後の挨拶のみたいに

「それではまた桜の咲くころまで」



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2005年04月03日

花見のバイト中です。
今日酔っぱらいに絡まれて殴りそうになったのを友人に止めて貰いました。
仕事をするとは大変な事ですね
視界が赤くなるという経験をしました
殺す気でした
僕は危ない人かも知れない

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ほっとけない 世界のまずしさ
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