写真家の美学

写真家として生きていく上での美学?を語っていきたい。 というのは嘘で、単なる日記になるでしょう。

カレー屋さん

においに運命を感じてカレー屋さんに入った。
結論としては、素質充分だけど普通のカレーだった。
しかしながら、においに対する私の決断は間違っていなかった。
何故ならルーは、ふんだんにあったし、味も熟していておいしかったからである。
問題はご飯で、そもそも普通のご飯としておいしいご飯はカレーに入れるとそこだけもっさりするように思える。
だから、ご飯単独で食べた時に個性的と思えるぐらいのほうがカレーライスとしてはおいしいのかもしれない。
ご飯として真面目であるということは、カレーとして不真面目であるということである。
それを合わせて 「誠実さ」 と言うことは可能であるが、 「物足りなさ」 ということも可能である。
私は後者を主張したい。

そうは言ってもルーはかなりおいしかった。
私はビーフカレーを注文したんだけど、隣の席のおっさんがカレーオムライスを注文していてめちゃくちゃおいしそうだった。
でも、この 「おいしそう」 は微妙である。
何故ならカレーにはカレー特有のご飯のテクニックが必要であるのと同じように、オムライスにもオムライス特有のご飯のテクニックが必要と思われ、カレー専門店なのにカレーライスでご飯のテクニックがやや残念なお店が、オムライスなら抜群のテクニックを持っている、という結末は想像しにくいからである。
同じようにもっさりしている可能性はそれなりに高いけど、また行ってみようと思う。

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翌日、カレーオムライスを食べに行った。
めちゃくちゃおいしかった。
ビーフカレーと同じご飯のもっさり感は少しあるものの全然マシで、しかも今回は大盛りを注文したせいか、ルーの量が多かった。
ご飯のもっさり感はルーの量の多さでかなりの部分、カバーできる。
ここのカレーオムライスは、絶品である。

お店を出てメニューを一通り見ると、オムライスにも4種類ぐらいあるようだ。
どれもおいしそうで、非常に楽しみである。
暫くは通うことになるだろう。

ピッコロ
http://www.mitsuya.co.jp/piccolo-s/walk/

モノクロ写真

最近モノクロ写真がとても好きだ。
何故かと言われると困るけど、即物感が無い分イメージを膨らませやすいから、かもしれない。

デジタルを使うようになってから、135は一時期、ほとんど使わなくなっていた。
何故ならデジタルは135の代用以上の役割をしてくれると思っていた時期が長かったからである。
機動性など、135の良さをほぼ引き継いだ上に、画質は135を遙かに上回っているように思え、逆に135はよく写らない写真を撮りたい時にしか使わなかった。
カラーで撮影したい場合や機動性を重視したい場合はデジタルを使い、モノクロを使いたい場合は645と大判を使うようになっていた。

しかし最近になって、135のカメラを猛烈に見直すようになった。
機動性のあるモノクロ写真、という観点から考えると135に勝る機材は存在しないと思うからである。
私の場合、使わなくなったカメラは全て処分することにしているんだけど、元々買った時の値段が安かったりボロ過ぎたりして、売りたくても売れないカメラもあって、そういう135のカメラが家に4,5台は転がっている(はずである)。
そう思って昨日探してみたら、2台見つかった。
ウルトロン40mm付きのニコンFE2とニッコール45mm付きのニコンFM10である。
埃が凄かったのでティッシュペーパーを何枚か濡らして拭くと、まともな見栄えになってきたので使ってみることにした。
あとは、ズマリット50mm付きのライカIIIfとカラースコパー50mm付きのベッサLが部屋の何処かに転がっているはずである。
それとは別に最近E-P1用にカラースコパー28mmを購入したので、135についてはカメラもレンズも新しく買わなくても、かなり豊富にラインナップが揃っている。

これらの機材をそのまま使うと過去の手つきを覚えているのが嫌で、集中すればするほど過去の自分の写真を何処かで追いかけそうな気がするので、いちいち我に返らなくても手つきを思い出さないカラクリを何処かで作らないと撮影には入れない気がするけど、それでも使い回しはできそうな気がする。
その為に、フィルムを今まで使ったことの無いトライXにすることにし、モノクロ用のフィルターも使ったことが無いので買ってみることにしようと思う。
ノーファインダーにはしないつもりなので、有効な手立てだと思う。

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という訳で本日、テストがてら、ニコンFE2を持って家を出た。
まずはヨドバシカメラに行って、上記の予定通り、135のトライXとモノクロ用フィルター2枚とカメラ用に電池を2セット購入した。
ケンコーからY2フィルターやYA3フィルターがカタログ落ちして既に売っていないことにかなりビックリしたけど、気を取り直して他社製のを購入してお店を出た。

早速FE2に電池を入れてシャッターを半押ししてカメラを動かしてみる。
動かない。
フィルムが入っていないせいかと思って入れてみたけど、やっぱり駄目である。
長年バルブでしか使っていなかったので、オートが壊れていることに気付かなかったようだ。
今回135での撮影は、露出はオートを前提にリズムを考えていたので、この故障はイタい。
それに実際にカメラを動かしてみると、撮影で何年も外に放置していたせいか、巻き上げもピントリングもシャッターダイヤルもジャリジャリしてあまり心地よいとも言えず、FE2は使い物にならないと判断した。
だったらもう一台のFM10はどうなんだと思って急いで家に帰ってチェックしてみると同じようにジャリジャリしていたので、これも今回のテーマでは使い物にならないと判断し、急遽新しくカメラを買おうと思い立った。

となると話は早い。
前から欲しかったミノルタX700を買おうと思って再び大阪に戻り、本命のカメラ屋さんに行った。
すると、X700はモードラ付きしか置いていなかった。
モードラは全然欲しくないので、仕方なく2番目に本命のカメラ屋さんに行ったら思ったより安く売っていた。
見せてもらうことにしたけど、残念ながら故障していた。
故障していたから、安かったようだ。
なので、同じミノルタのXG-SとキヤノンA-1を見せてもらって暫く迷ったんだけど、結局ミノルタXG-Sを買うことにした。

XG-Sの標準レンズのフィルター径は、先にヨドバシカメラで購入したモノクロ用のフィルターとフィルター径が合わない。
なので、帰りにもう一度ヨドバシカメラに寄ってステップアップリングを買うはめになった。
最初にニコンFE2の故障に気付いていたら先にフィルターは買わなかっただろうけど、気付かずにウルトロン40mm用に52mmを購入してしまっていた。
間抜けな話であるが、仕方がない。

家に帰ってきてミノルタXG-Sを触っているけど、シャッターダイヤル周りと露出計周りが、昔使っていたミノルタCLEとそっくりである。
しかも、メーターの反応が悪い個体差までそっくりである。
CLEは反応が悪くなって暫くして壊れた。
嫌な予感がする。
本来XG-Sはシャッターボタンに触れるだけでメーターが動くはずなのに、私の個体は半押しというかそれなりに深押ししないとメーターが動かない。
初期不良だとお店に言おうかと一瞬思ったけど、でも標準レンズ付きで相当安く買えたので余程のことが無い限り返品は勿体ないというかあり得ないと思っているので、我慢出来る不具合であればこのまま使いたい。
ファインダーも滅茶苦茶見やすいし、ちゃんと写りさえすれば、かなり良さげなカメラである。

ステップアップリングを使っているせいで、レンズの前にねじ込み式の器具を3つも装着することになってしまった。
レンズの一番近くにステップアップリングを装着して、その次にモノクロ用のフィルターを装着して、一番外にねじ込み式のレンズキャップを装着している。
ステップアップリングは仕方ないし、フィルターも仕方ないし、レンズキャップがねじ込み式なのは、買った時にミノルタのレンズに付いていた49mmのレンズキャップがステップアップリングのせいで使えず、仕方なくウルトロン40mm用のレンズキャップを使う羽目になって、そのウルトロンのレンズキャップがねじ込み式なのである。
だから、レンズキャップを外そうとすると、レンズキャップ以外の3つのねじ込み式のどれか別のものが外れそうになる可能性が高そうで、面倒くさそうである。
うーん。

何はともあれ、シグマDP1とゼンザブロニカETRSiが、ミノルタXG-SとマミヤC330に、相入替になった感じである。
オリンパスPEN E-P1がどうなるかは、XG-S次第だと思う。

新メニュー

松屋の新メニューがなかなか新しくならない。




二眼レフ色々

ミノルタオートコードが欲しかったけど買わなかった。
使っていた有名な写真家が多く、過去の偉人の伝説の後追いという誘惑に負ける気がしたからである。
伝説は作るものである。
だから、マミヤC330を買うことにした。
というのはウソで、本当はミノルタオートコードが欲しかったけど、触ってみたら意外と壊れやすそうに感じたのでマミヤC330にしただけである。

写真から理屈を抜きたくなった。
私は理屈が大好きで、という訳でも無いけどここ数年は写真の世界では可能な限り理屈っぽくなるように自分を仕向けていた。
なので理屈っぽく撮影を開始したシグマDP1とゼンザブロニカETRSiでの撮影はどちらも終えて今はオリンパスE-P1のみで撮影を行っている。

最近の私はどうやら、同じようなことをするのにアナログとデジタルと両方を使わないと気がすまないらしい。
E-P1だけで撮影をしているとどうしてもアナログが恋しくて仕方が無かったし、アナログだけで撮影していてもおそらくデジタルが猛烈に恋しくて仕方が無かったと思う。
という訳で使わなくなったゼンザブロニカに代わるカメラとしてマミヤC330を購入したということである。

少し前に、私が通っている須田塾(写真の塾)のメンバと、今年何台カメラを買ったか? という話をして、私は2台(ナガオカ8×10とオリンパスE-P1)と言ったら、2台もカメラを買った人は私しかいなかった。
他の人は、もう年末も近いというのに、多くて1台、あとは0台である。
写真の塾は写真に凝る人は何人もいるけどカメラに凝る人は案外少ない気もする。
私は今年3台目のカメラを買ってしまった訳だから、もしかすると世間的に見ると考えられないぐらいカメラを買ってしまっているのかもしれない。
ただ一応言い訳をしておくと、今年はカメラを2台処分しているので差し引きで増えたカメラは1台だけである。

理屈を抜きたいということは、写真を短距離走的に捉えたくなったということのような気がする。
私は写真を短距離走的な写真と長距離走的な写真に分けて考えるのが好きで、だったらどっちがどういう写真なんだ? と言われるとニュアンスで考えてくださいとしか言えないんだけど、短距離走的な写真とは直感に近い写真で長距離走的な写真とは直感と少し距離を置いた写真、という説明が今の私にはもっとも 「まし」 な説明である。
「スバラシイ」 説明ではないのであしからず。

自分を信じるだけでは自分を広げることも深めることも出来ない。
だから自分を疑うことによって自分の知らないことに気付く過程がまずは必要で、次にそれに気付いた自分を信じて受け入れる過程が必要で、ワンセットで自分が少しだけ新しくなるような気がする。
写真をその繰り返しと考えるとするのなら、自分を疑う過程と信じる過程と、両方とも必要だということは言える。
疑う過程が長距離走的な写真で、信じる過程が短距離走的な写真である。
ちょっと 「よい」 説明になってきたかもしれない。
で、自分を信じるということはテーマの設定の必要が無いということである。
感じたままでは駄目だけど、それに近い落としどころで問題無いので、気持ちよく写真が撮れるかもしれない。
自分の好みだけでシャッターを切ってよいのなら嬉しいかもしれないけど、それはやり過ぎな気もして、その加減がまだよくわからない。

自分のキャラ

自分のキャラを褒められたことは無い。
でも嫌いではない。





魚のフライ

魚のフライにソースをかけるかしょうゆをかけるか迷って、結局どっちもかけない。





アンチウイルスソフト

アンチウイルスソフトはウイルスソフトではありません。
ウイルスソフトをインストールしないで下さい。
アンチウイルスソフトはウイルスソフトではありません。
ウイルスソフトをインストールしないで下さい。



言葉を発するとき

言葉を発するとき、言い過ぎるか言い足りないか、どちらかだと思う。
(って誰かが言っていたような気がする)
丁度いいのが望ましいけど、それはきっとありえない。
しかし丁度いいに近いところを目指そうと試みることは可能だと思う。
写真を撮るときも、作者にとって最も気持ちよいのは言い過ぎているときだと思う。
だから言い過ぎないように常に気をつけることはとても大切で、それを油断しているときとはシャッターを切る気持ちよさに浸っているときだと思う。
人間は気持ちよさに浸ると言い過ぎる。
だから心しかこもっていない写真は撮りたくない。
一流どころの人たちは皆その抑え方を知っているように見える。
知っていると言うと言いすぎかもしれないけど、少なくとも 「感じたまま」 ではどうにもならない事に真剣に悩んでいる形跡があるように思える。
というか、その悩んでいる形跡の 「感じたまま」 に心を打たれるのである。
理屈っぽくて申し訳ない。

平凡なこと

平凡は最大の不幸だ。
と思っていたけど、平凡が本人にとって幸福かどうかは、他人に対する信頼の度合いで決まるような気が、最近はする。
だとすると、非凡さを求めることが最大の不幸で、もし写真に非凡さが欲しいと思うのなら、そのパワーは幸福と引き換えにしか生まれないのかもしれない。
平凡さにパワーは存在するんだろうか。
「平凡さに潜む非凡さ」 という常套句があるけど、それは全然非凡では無いか、非凡さに憧れているか、どちらかである。
そういえば、幸福で非凡、というのは、あまりきいたことが無い。
不幸さに酔いしれるのは充分幸福だが、それは平凡である。
何故そんなことを書きたくなったのかというと、 『漸進快楽写真家』 (金村修著)という本を読んで、この本に出てくる先生や写真家達は皆、とても幸福に違いないと思ったからである。
金村氏はどうなんだ?

この歳になって(日曜日の晩御飯)

この歳になって変かもしれないけど、親が誕生日祝いとして晩御飯をご馳走すると朝に電話をくれたので久しぶりに実家に行くことにした。
18時頃に実家に到着出来る段取りで行こうと思ってほぼ予定通り17時半ぐらいに最寄りの駅に到着して駐車場に行って車のエンジンをかけようとすると、かからなかった。
暫く乗っていなかったのでバッテリーが上がってしまったんだろう。
JAFに電話すると1時間ぐらいかかるとのこと。
仕方なく1時間待ってJAFがやってきて更に対応に30分以上かかって、何やかんやで実家に到着したのは20時をまわっていた。
実家に行って何がビックリしたのかというと、パソコンがあったということである。
かなり最新のノートパソコンでOSはウィンドウズVISTAである。
実はこの文章は実家のパソコンから打っている。
実家でご馳走になるのはいつもお好み焼きである。
なぜなら私が必ずお好み焼きをリクエストするからである。
いつもは別の部屋で本を読みながらお好み焼きが出来上がるのを待っているんだけど今回はたまたま机に座っていたので目の前のプレートで親がお好み焼きを作り始めたのを観察することになった。
まずはプレートを最高温度にして、お好み焼きの具を色々混ぜた柔らかいかたまり?をプレートに乗せて、その上に豚肉を乗せて蓋をする。
お好み焼きのおもて面にお好み焼き本体が見えないぐらいに豚肉を乗せたのでちょっとビックリした。
いつもそうなんだろうか。
何となく焦げた感じの音がするけど全然気にせずにコンロの前で焼きそばを作っている。
そして忘れた頃にやってきてプレートの蓋を開けてお好み焼きをひっくり返した。
裏は真っ黒焦げに近い。
その後にプレートに蓋をしていたかどうかは記憶にない。
暫くして逆側が焼きあがった頃に再度裏返す。
そしてガスコンロで焼いた焼きそばプレートに一緒に乗せる。
お好み焼きにはマヨネーズととんかつソースとかけてかつおぶしと青のりをかけて、焼きそばにもかつおぶしと青のりをかける。
出来上がりである。
食べてみると、やっぱりめちゃくちゃおいしい。
このおいしさは、おそらく裏側の焼きすぎたパリパリ感と表側のやわらかさがあって、そのやわらかい側にとんかつソースとマヨネーズがほどよく染みた上に更に油が混ざって染みたせいだと思う。
火の通しかたのベテランっぷりをハッキリと見せつけられた感じである。
素晴らしい。
満腹である。