いまゝでハしよこためしとゆへあれど かんろふだいもなんの事やら    (三号 108
    にんけんをはじめかけたるしよこふに かんろふたいをすゑてをくぞや  (十七号 9

明治6年 教祖が飯降伊蔵に命じ、かんろだいの雛型をつくらせる。
  → これは高さ六尺、直径三寸の棒の上下に、直径約一尺二寸厚さ三寸の板をつけたもの。

    いまなるのかんろふだいとゆうのハな 一寸のしながたまでの事やで    (九号 45


明治8年 ぢば定め後、こかん身上のお願いづとめにあたり、初めてかんろだいが「ぢば」に据えられる。

    そふぢしたところをあるきたちとまり そのところよりかんろふだいを      (八号 83

明治14年5月 かんろだいの石普請が行われる。(二段までで石工がいなくなる。)

明治15年5月12日 奈良警察署長、上村行業が警官を率いてきて、二段出来ていたかんろだいを没収。

    こんな事はじめかけるとゆうのもな せかいぢううをたすけたいから    (十七号 37
    それをばななにもしらさるこ共にな とりはらハれたこのさねんわな    (十七号 38

    このみちハどふゆう事にをもうかな 月日ざんねんいちじよの事      (十七号 57
    このざねんなにの事やとをもうかな かんろふ大が一のざんねん     (十七号 58


・・・・・・そしてこの間、小石が積まれていた・・・・・・

明治21年 板張りの二段甘露台が据えられる。

昭和9年10月 現在の木製十三段の雛型かんろだいが据えられる。

何故、板張り二段甘露台から今の雛型かんろだいに替わったのだろうか・・・
その確かな真意は分からないが、以下、その時の「御鎮座祭文」である。

真座のまなか、ぢばにお鎮り頂きました親神様の御前に眞柱中山正善慎んで申上げます。只今仮の御座所で申上げました通り、立教百年祭を御迎へする仕度として親神様の御守護の下に神殿の改築と礼拝殿の増築をさせて頂きました。とり別(わ)け神殿は親神様の思召しに則(のっと)り、芯を土台に四方正面に形造り、ひながたではありますが、木製の甘露台をも造らせて頂きました。従って今後は陽気神楽のつとめを始め、一切の神事をお言葉に則り勤行(ごんぎょう)させて頂きたく存じて居りますが、然し成人への道すがら中で御座いますので、御思召にかなはぬ点も沢山ある事と存じます。何卒私共子供の心をおくみ下さいまして、今日からはこの甘露台にお鎮りの上、子供等がまごころこめて御願ひ申上げる事柄を御聞き取り下され、ろくぢにふみならす親神様の御心を畏(かしこ)み、尚も世界たすけの為に勇ましく働かせて頂く私共の堅い決心を御受け下さいまして、一列一体の道を早くおつけ下さいますよう一同に代って慎んで申上げます。」       (田川虎雄『祭文のてびき』30頁 参照)


この記事を読んで頂いて、思うモノがそれぞれあると思う。分からない部分があれば聞いて頂けたらと思う。
私が知るところの甘露台の主な歴史は以上である。

    このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに   (九号 59