一昨日の夕づとめ前、かんろだいの事情があったのは、すでに周知であろう。
聞くところによれば、東?か西?の方から人が甘露台へ向けて駆け込み、倒れたのだという。前にも倒れた事情があったが、以前まではすぐ建て直せていたところ、今回は倒れた台の破損がひどく修復が困難であるらしい。前代未聞の大ふしだといえよう。(情報が交錯しているため、これ以上の真相は不明である。)

また、それにより今は二段になってあるとも聞く。
二段というのは、これまでのかんろだい思い起こさせる

以前、「甘露台の歴史」という記事で書かせて貰ったが、明治15年のかんろだいのふしんが二段までであり、その後明治21年に示された板張り二段かんろだいも二段までであった。それから昭和9年までの46年間、この甘露台が据えられていた。

板張りの二段かんろだいが据えられる時の「おさしづ」としては、以下のものが見られる。

明治21年11月11日
教会本部開筵式に付伺い(陰暦十月二十六日開筵式執行)
第二、かんろだいの雛型の願

さあ/\かんろだい一條、これもさあ/\今までに世界の處には埋れてある。さあさあ今までに一二という。雛形々々、さあ/\雛形は雛形、さあ/\尋ねたら理を諭す。諭したら大層になる/\。さあ/\雛形は雛形だけの事だけ。さあ/\大層な事を理を諭した處が、ふん/\と言うばかり。大層な事すれば、心うっとしいようなものや。さあ/\一日二日三日、さあ/\あっさりと/\/\/\。」

また、このおさしづの解釈を述べると、
さあさあ、かんろだいそのものについても、この際ちょっと諭しておこう。かんろだいも今まで一、二と二段までできていたのであるが、それが没収され、いわば埋もれたままになっていて、世界にこれと言って明らかに示すことができるような形にはなっていない。そこで、かんろだいの雛型を建てたいと願い出ているのであるが、あくまでも雛形としてなら許そう。そして更に、かんろだいの理を尋ねるのなら、その理も諭しもしよう。けれども、一旦理を諭すとすれば、事は容易なことではなくなる。さあさあ、雛形かんろだいを建てたいというのなら、雛形だけにとどめておくがよい。事実、これについて重大な理を諭してみたところで、お前たちは、ただ「なるほど」と言っているだけであろう。・・・以下略」(山本久二夫・中島秀夫著 『おさしづ研究』上 157~158頁より)

「埋もれてある」とは、これまでに小石が積まれてあった事であろう。つまり、そこで再びかんろだいを建てたいと願い出る人々に対し、「雛形としてなら許す」とのお言葉から建てられたのが板張り二段かんろだいだったのではないか。

教祖時代に石造り二段までで没収されてしまった事と、その後「板張り二段」とした事と、今回の二段を残し三段より上の段が倒れてしまった事情とを、かんろだいの理というものをよく思案して、各々がしっかりと悟る必要があるのだと思う。