今回は前回の続き、「山田本」を載せようと思う。
●山田伊八郎 「聞問記」 説話体15年本
このよふハほんもとなるハどろの海ミ、其中にてどふじふ斗や。元なる神は月日
様なり。なんと両人こふしていてハなんのしよせんのない事、なんと世界をこし
らい、にんげんお、又もやこの人間ハ手足も叶、ことばもべんじる。此ちよほふ
なるにんげんの、よふきゆさんを見てたのしめバ、たのしみよふの有ものと、
月様がおほしめされて日様へおだんじなされ、それより国とこを見定メつけ
くだされ、それゆへに国とこたちの命様、又国見定メの命様、せんじゆふ様とも
ゆふハ月様の事なり。これからハ、世界こしらいにんげんをこしらいるにハ、
道具ひながたみだすもよふ。
其どろ海なかをよくみすませバ、うおとみいとがまじりいて、このうをハにんげん
のかおでうろこなし。からだハ人間のはだやいで、それゆえに人ぎうとゆふ。また
ぎふげふともゆふ。このうをのかたの処にゑらがあり、此うをハ、よこいもよらす
あといももどらすに、ただむこい/\といくと斗り。此しとすじの心を見てしよち
をさしてもらいうけ、にんげんたね。此者に神名つけていざなぎの神、このたねに
しこむ道具ハ、よくみすませバ、いぬいの方にしやちがいた。此しやちハいきおい
のつよいところ見て、是ヲおとこの一の道具につこふ。それゆゑにへんなるのこ。
また身の内にてハ骨の道具につこふ。此者お引き寄せ、しよちおさして月日様両人
くてしまいあじわい、心ひきうけて、月様がぎ様のたいない入込ておんはたらき
くださる。
また、みなるハ、かおハにんげん、からだハにんげんのはだやい。このみハ
白くつなハこの一文字のしとすじの心を見定メつけて、しよちをさしてもら
いうけて、にんげんのなハしろ。此者に神名をつけて、いざなみの神。この
なハしろにしこむ道具ハ、よくみすませバ辰巳の方に大井なる亀が居り。
この亀ハかハつよく、横にこけぬ者なり。ふんバりもつよく、せなかに亀の
こふがあり。それゆえにおめこふとゆふ。これりいをもふて女の一の道具に
しこみ、また身内にてハかわつなぎの道具につこふ。此者をひきよせしよち
をさして月日両人くてしまい、あじハい、心ひきうけて、日様がみ様のたい
ない入込ておんはたらきくださるふ。
是にてぞ九億九万九千九百九十九疋のどふじふを、此者を、ひきよせてしよち
をさして、月日様両人くてしもふて、あじわい、心ひきうけてにんげんの
玉しふに、なされくださる。こののみくい出入にハ、よくみすませハ東の方
にうなぎとゆふ魚が居り、このうなぎ、まん中つかみ見れハ、しりかしらい
ぬけ、またなにをたべても、ひふかかりてもいかず、でるとてもおなじ事、
つふれふと出入せぬバならん。そのせへのつおい処利ヲ以テ、ひきよせて
しよちをさして、月日両人様くてしまい、あじわい、心ひきうけて、にんげん
の、のみくい出入つこふ。また、いきの道具にハよくみすませバ未申の方に、
かれへとゆふ魚が居り、此魚ハ、みいうすい魚なり。このまた風とゆふハ
まるいものや角なものでハどのよふにまねいても風がこん。この魚の身うすい。
この魚なるの身うすい物て、まねけバ風がでる。此者ひきよせてしよちをさ
して月日両人様がくてしまい、其あじわい心ひきうけて身内にてハいきの道具。
また世界でハ風の道具につこふ。
もふこれで人間もでけあがるが、いつまでもいきどふりでハならん。此しに
いきの縁切道具にハ、また、よくみすませバ丑寅の方にふぐとゆふ魚が居り、
このうをなるハたいしよくする魚。またたべてあたる魚なり。此者ひきよせて、
しよちおさして、月日両人様くてしもふ。あじわい、心ひきうけて是ヲにんげ
んのしにいきの縁切道具につこふ。それゆへに、世界のはさみともゆふ。
もふこれで人間もでけるから、このにんげんをでけたなら、じきもつのふてハ
そだつまい。それにてぞ、よくみすませバ西の方にくろぐつなが居り、この
じきもつをひきだすにハ、どのよふな大ヲき物でも、おふをとふこふも、のふて
其つなでひきだせバ、どんなおふきものでも、でるであろ。それで、じきもつ
ひきだしの道具つこふ。また百姓の、野へたねをまく。其しんの、めゑを引だす
で、しんごんともゆふ。またおふとふのべの命ともゆふ。また、商人のしろと
くろとハ此りでゆふ。此道具しゆふハいちばんさいしょふより道具つこふた。
それゆゑ、今に人をよぶとても、膳だてもせずにハよびつかいわせず。
これよりかんろふだいの処しんとして、勤メばしふ頭として、なむで一人、
なむ一人。なむ/\と三日みよふさに九億九万九千九百九十九人の人数を
御やどし込なしくだされ、このやどし込の時、東西南北のはじめかけ。ぎ様
がおこしになりて、かをおみて、きたか、是が北の方角わかりかけ。夫レに
て、今ニ、かをお不見にきたかとゆふ事ゆわず。ぎ様もみ様も、両人のかを
むかれた方、是が西。このもとわ、人げんからだのしんハ、いちにがん。
この両人様のかをお、むかれた方、にいしん。是が西とゆふ。是が東西南北
のはじまり。このじばにてそ、三年三月とどまりていて、夫よりみがおもゑ
ゆへ、今、此奈良、初瀬とゆふ。七里四方のあいだゑ七日かかりて、うみ
おろし、それゆゑに、かみがたとゆふ。また、のこる大和ハ四日にて、うみ
をろし。このひかず、十一日がおびやけとゆふ。亦いが、かわち、やましろ、
この三ヶ国ゑ十九日にてうみをろし、この日数、三十日がはんゆみ、はんま
くら、残る国々四十五日にてうみおろし。この日かず、七十五日ハ、おびや
ちうとゆふ。このさいしふ、うみをろしたるじバは、みや/\。にんげんは、
五ぶからむまれ、五ぶ/\とせへじんをして、三寸になりて、はてました。
いざなぎ様ハ、それにてぞ、おすぎまします。あとなるは、いざなみ様なり、
その複に、一度おしへた此しゆふごふで、もとのにんじゆふ、やどり込、また
このにんしゆふも、五ぶからむまれ、五ぶ/\とせへじんをして、三寸五分で、
はてました。またもやおなじたいない、もとのにんじゆふ、三度やどりた。
このものも、五ぶからむまれ、だん/\と、四寸なりて、はてました。その時
に、いざなみ様も、よろこんでにいこり、よろこんでもふこれからは、五尺にん
に、なるとおぼしめされ、いざなみ様もおかくれなされ、このにんじゆふの
ねんげんハ、三度ながらも、九十九年や。二度めへのうみおろし、じハばはか
しふなり。三度めへにハ、道の辻の、じぞふや。こんひら様、またこふしん様や。
三度ながら、うみおろしばしふはみな参りしふ。そこで、いちみや、二はか、
三度三はら、これ、まいりしふ。
これよりハ、鳥けだものや、ちくるいに、八千八たびむまれかわりて、夫ゆへ
に人なるハ、なになりとも、まねをでけます。このあいだ、たちたるならば
月日様ごしゆふごふ。さるなるを一人のこり、これなるハ、国さつち様なり。
このさるのはらに人げんを、男五人と女五人と、いつみよとヅゝやどり、これ
も五ぶからむまれでて八寸になり、この八寸の時、水土たかびくわかりかけ。
一尺八寸なりた時、天地海山日月わかりかけたり。一尺八寸までハ、ひとはら
に十人ヅゝむまれてるなり。これより三尺まで、ひとはらに男一人女一人二人
ヅゝむまれ、このにんも三尺にて、ものもゆいかけ、ちへもでけ。それゆへに、
今にんげんも三才にならんことにてハ、ものもわからずちへもでけぬ。
これより、ひと腹に一人ヅゝと、今にさたまり。此人じゆふハ、奈良初瀬七里
四方の間にむまれた。このにんげんハせへじんにおふじ、ぢきもつくいまわり、
大和の国内ひろまり、地の上り、のこる大和にむまれたにんじゆふハ、また
せへじんにおふじ、じきもつくいまわり、みな国々へゆき、地の上あがり。
外の国々にむまれたにんげんハ、またせへじんにおふじ、じきもつくいまわ
り、地上あかり。此にんハ、みな唐てんじくの人となり。このもとなる神の
しよふこふハ、おびや三しきの、ゆるしだす。このにんげんのほんもとなる
ハ、おびやから世がはじまり。
此もとなるおびやで、もとなる神のしよこふをあらわす。
(敷島大教会資料集成部『山田伊八郎文書』より)
少し長くなったが以上が「山田本」の内容である。
読めば、「手元本」よりも、コッチの方が詳しく書かれ、なお書かれる順序なども「元の理」に近いと思われる。
ただ、「元の理」に近いから、これこそ教祖の話の純原本である、というような事はいえない。
実際に山田伊八郎は、この時すでに元初りの話にはすっかり慣れきってしまい理を軽んじたという。
この事で後、明治17年頃になって神様から一年間「無言の仕込み」を受けるのだ。
そしてまた、なぜ15年本が山田本しか無いとされるのかは、不明である。