2013年09月19日

平成23年9月24日、ドコモ本社に行く前に、大手町のNTT持ち株会社に先に寄っている。
ドコモで何を話すか相談したのだが、I部長の様子はあきらかに普段と違っていた。私は警察でも呼んでいるのかなと思ったが、呼ばれて困ることはないと思っていた。
夕方4時に赤坂のドコモ本社に行き、応接室で総務課長二人と面談する。一人はN課長、関西のドコモから後に因縁の関係になる加川部長と共に来たばかりの者。もう一人はU課長というすでに3、4年本社総務課長をしている者。
U課長については、I部長からくれぐれも大切にしてくれとドコモ本社に来た時から言われていた。つまり、持ち株会社のスパイだった。
私は先に書いたM役員の発言の真偽や国税庁の調査の事、そして暴力団系新聞記事が出鱈目であることを話して帰る。
すぐに持ち株会社I部長に連絡して、顛末を報告する。翌日も持ち株会社に行き、ドコモでのやり取りの詳細を話すのだが、この頃から何かおかしいと考えるようになる。
それからは、NTT内の事情を調べ始めるのだが、色々な事が分かってくる。
大震災による役員人事の凍結、山田ドコモ社長の追い落とし計画、さらにNTTコミュニケーションズ社長まで失脚させようと三浦持ち株会社社長らが計画していることが分かってきた。
詳しいことは後で書くことにするが、大変な状況に関わってしまったと思った。
I部長には、随分酷い話しだなとはっきり申し出たが、のらりくらりといい加減な話しばかりされてしまう。
しかし、ビックカメラから始まった一連の騒動をやめるつもりは無く、最悪の事態も覚悟する。
I部長には、また有りもしないことで逮捕されるじゃあやってられないななんて言っていたが、I部長から「鴻池さんは捕まってもいいと言ってたじゃないですか」と言われたのには腹が立って、「それはビックカメラの問題で警察OBがあれこれ言っているからじゃあないか」なんて言ったが、「その時は一つ貸しだな」と私は半ば覚悟していた。
それが現実になる。
12月4日、警察から電話があり自宅に居ないようだが出頭してくれと言われる。私は今日は日曜日で出掛けているじゃないか、逃げ隠れはしないよ、明日出頭するからと伝えた。
翌5日、出頭するとドコモ総務課長を恐喝したとして逮捕された。
何かしら捕まるような事があるかもと思ったが、これは予想外だった。もっとドコモと私の関係に関わる事かと考えていたので。
これで事件になるのかと思ったが(事実無罪になっている)、よく考えるとNTTのやり方は大したものだと思う。実に巧妙で他の関係者に類が及ばず、効果は十分にある。
これで私が静かにしていれば完璧だった。
事実NTT関係者から「これで鴻池もビビっておとなしくなる」と内部で言われていると後で聞くのだ。
私は12月26日に釈放されるが、28日に持ち株会社の仕事納めに出向き、最後まで争うと宣言する。
翌平成24年、確か1月の終わり頃に持ち株会社のI部長から電話があり、来社してくれと言われるが、私は用があるならそちらが来ればいいだろうと言うと、すぐにI部長は私の自宅に来た。
この時、マスコミ関係者が居たが、I部長が来た時に挨拶だけして入れ違いに帰った。
現金入りの封筒を差し出し、受け取ってくれと言う。これは何だと言うと「誤解しないでください、逮捕されたことのお見舞です」と言う。色々なやり取りがあり、後日持ち株会社に出向く約束をする。
因みに、この時の現金封筒は受け取った。封筒は保管してある。
この年、そして翌年つまり今年にかけては大変な年になる。
一つ、面白い話がある。
渋谷区内にチョコレートの製造、販売会社がある。ドラジェというチョコレート菓子で、けっこう有名な会社らしい。女性だけで運営されているという。
何かNTTと訳ありらしく、持ち株会社の一階応接室の一室は、クリスマスやバレンタインデーの1ヶ月位前になると、このチョコレート会社の営業所になる。
NTT関係者や取引業者は勿論のこと、総会屋、右翼、業界紙やナニやら怪しげな業界の者まで付き合いで買わされる始末だ。
一箱2500円から3000円以上するものを一社2、30箱以上から、付き合う。一人で2、30箱ではない。一人或いは一社が2、30箱以上買うところを数十社引き受けなければならない。一度付き合いと、そのチョコレート会社から毎年送られてくる。
私も、毎年その時期になると大忙しだった。ドコモから広告を貰っていた業者に頼んで回っていた。何しろ請求書と一緒にどんどん送られてくるんだから。
持ち株会社4階の役員応接室(相当部屋数があるが)全室が、このドラジェのチョコレートで作られた観葉植物で飾れていた。
フランスでは、このドラジェで結婚式やパーティーの時に、コサージュやブーケ、花飾りを作るらしい。
私がドコモに訴えられ逮捕された以後は、私にこの付き合いを言ってくることは無くなった。私から話しても、もうやめたんですと言うだけだった。
あまりに大量に付き合わされ払いきれなくて、まだ未払い分が残っているのに。
とにかくこのチョコレートを売ることにI部長は熱心だった。
あるNTTグループ会社役員から「えっ、鴻池さんも付き合っているの、私のところにも毎回だよ。一体どんな訳があるのかな。」などと言われたことがある。
私には、総務部代々の引き継ぎ事項だと言っていたが、真相は違うようだ。

元々ビックカメラとのトラブルから始まったことは事実だ。
それが何故こんな複雑な展開になるのか、解りづらいと思うので、ここで少し話を整理したい。
平成5年頃から、NTT関係者らとの縁が出来てから、NTTと直接付き合いはなく、あくまでNTT役員や幹部との個人的な付き合いであった。
この頃は、役員や幹部の個人的な問題やトラブル処理が多った。
あることをきっかけに、当時新宿初台にあったNTT本社(現NTT東日本)に出入りするようになる。
A工業が、NTT幹部や関係者らに騙され7億円からの損害を出してまい、色々あったがこれをそれなりに解決する。
この詐欺事件ともいえる問題に、当時の三浦人事部長と宮崎総務部長が関わっていた。
私は両者から、A社救済の約束を取り付け、A社と両者が直接話し合いの場をつくる。
光ケーブル事業参加が本来の約束であったが、すぐには難しい、1、2年時間をもらいたい。その間別の仕事で穴埋めするということになった。
それがNTT子会社である関東運輸での、NTT各支店の産廃ゴミ収集事業であり、これは7、8年続いた。光ケーブル事業参加は実行されなかった。
他に日通の下でドコモの二度の本社移転に関する仕事をもらったりした。
A工業再建を前提にその後も話は続いていく。
故佐田啓助氏というNTTの実力者から、私は可愛がってもらい、色々なことも指導してもらった。
ただ、私がA工業と別にしていたのはNTTから仕事をもらいたい業者を紹介して、手数料を貰うようなことが主だった。
そんな時にNTTから訳ありで東芝に移っていたK(当時東芝常務)と同じくNTTを出て名古屋の会社の副社長になり、名門商社の会長になっていたSとトラブルになり、A工業と私が提訴することになった。
実は、三浦、宮崎両氏も訴えるつもりだったが、佐田氏から「うちの現職の者はやめてもらえないか」と言われ、佐田氏に恩義のある私は二人を訴えから外すことになる。この裁判では勝訴する。 佐田氏からドコモやコミュニケーションズの人脈を作ってもらい、私も取引する広告代理店を準備する。
そこから、経営コンサルタント業を始めることになる。
故佐田氏に言われた「鴻池さん、まっとうなビジネスをしなさいよ」と言われたのは忘れられない。それを上手く出来なかったことも申し訳無いことだ。
佐田氏からは、将来の有望なNTTがらみの会社や事業もレクチャーされていたが、今考えると相当正確だったことが分かる。
NTT都市開発が上場することになり、私は強い興味をもっていた。
ところが、その話を曼陀羅事件で逮捕される原因になる岸という馬鹿な詐欺師に、してしまったことで上手くいかなくなる。
翌年リーマンショックが起きるが、あの時小さな仕事からでもと思うと、あのミスは大きくついたなと思う。
広告関連のコンサルタントを続けていたが、前に述べた通り広告代理店の営業スタイルは私には、馴染めなくなっていた。
そんな中ビックカメラとのトラブルが起きる。私を知らない人は、何でそんなことで安定した利益のあるNTTまでトラブルにするのか不思議に思われるが、これが性格だから仕方が無い。
なんとしても、ビックカメラに代償を払わせたい、これは今も変わらない。
許せないのは、持ち株会社の三浦会長逹らだ。
必ず真実を明らかにする。この言葉は、裁判所で言っている。そして必ず報復はする。
こんな関係をしていたNTTにとって、私はドコモの社長攻撃に格好の材料の一つだったんだろうな。
それが理由だと思う。
もう一つ、それはI部長がおかしな考えをこの時期持ったことだろうな。

↑このページのトップヘ