NTTと林哲也については、様々なエピソードがある。
そこまでやるかという話しもあった。
NTTが出入り業者と研修と称して、海外旅行をすることがあった。この研修旅行でタイ旅行をしたさい、林はNTTのタイ旅行と同じスケジュールを組み、同じ飛行機、同じホテルを自費予約し社員を伴い勝手に参加した。勿論、研修旅行のメンバーではない。
この旅行でNTT側の引率者は、たしか某部長であったと思う。
その下に、後にNTT長崎支店長になり、東日本の役員になる男が部長の部下として参加していた。彼はこの後、林に何かと便宜を図ったりする。
NTT東北時代、当時東北支社はダイヤルQ2のモニターをしていた。ダイヤルQ2で不適切なものがあれば、速やかに削除するためである。
その監視モニターをする東北支社の役員であるのに、彼は林が始めたエロダイヤルQ2のメンバーになりあろうことか、長崎支店長になると支店の社員を勧誘しメンバーにしていた。
林と仲違いしてから、私はNTT本社にこの事実を申し出、自ら長崎まで出向きこの支店長と話し合いしたことがある。彼は本社のI課長に泣きつき(本当にに泣いてI課長に電話してきた)私に取りなしてほしいと頼み込んだ。I課長は私に来社して欲しいと言い、私が行くとすぐその場から支店長に電話を入れ、私に電話をかわった。
「鴻池さん、私はそんなことしていません」と泣きながら言いながら、そのくせ「子供が四人いて大変なんです、助け下さい」なんて矛盾したことをいう。本当に何もしてないなら、突っぱねればいいだけなのに。
私は林の不正をNTTに申し出でたいだけだったので、それ以上ことを荒立てることはしなかったが、その後I課長から彼が傍系の子会社に飛ばされたと言われた。キャリアなので、いずれ本流に復帰するだろうが失点にはなってしまったでしょうねとも言われた。
この他にも、品川のNTT東京支社(当時)ビルの蛍光灯を、一度だけパナソニックから東芝に替えるということがあった。何も問題はないようだが、NTTは基本的にグループ内で所有する建物の蛍光灯などをパナソニック製品で統一していた。それを一回限りとはいえ総取り替えすれば、それなりの金額になる。林に頼まれ林が指定した業者にそれををさせたのだから、林はいくら手数料を貰ったのか、長崎支店長をしていたNTT幹部はいくらのリベートを貰ったのか。
まあ彼には、こんな話しが枚挙にいとまがない。
タイ研修旅行でも到着した初日の夕食後、林から百万円入りの封筒を受け取り、ここから林との癒着が始まる。もっともこの時、林から金を受け取ってよいのか困惑し、同行した部長に注意されたらしいが、そこは林の手練手管にすっかり乗せられたようだ。大体私の経験から一度金品を受け取ると、次回は率先して受け取るようになる。
この研修旅行の帰国日の朝、林は部屋を出たNTT幹部らの部屋に入り、ゴミ箱の中身を各部屋ごとにビニール袋に入れて持ち帰った。
つまり、タイ旅行では必ず皆現地の女を買う、その証拠を持ち帰ったのである。お分かりだろうか。
ここまでやるとやりすぎな気がするが、それが林の凄さともいえたかも知れない。
林の会社が倒産する際、社内の荷物の置き場に困った林は、経理部長に一時保管を頼んだ。この頃経理部長は、林に愛想を尽かしていて後述するつもりのA工業社長(林に莫大な金を騙し取られた業者社長)と密接な連絡を密かに取り合っていた。
私も林に騙されたA工業社長側についていたため、このことを知りすぐに経理部長に荷物を私の知り合いのもとに運ぶよう依頼した。
その中には、林と三浦会長、宮崎NTTデータ監査役(昨年退職した際の最終肩書)がゴルフ場で三人並んで写る記念写真などがある。
こうして私は、林の会社の倒産を待つことになる。
その間、度々初台のNTT本社に足運ぶことになるが、私もNTTでビジネスにならないかと欲が出てきた。
丁度この頃、私はコロンビア人の妻と別居していたが、NTT本社のある初台近く、水道道路沿いの商店街にある往年の有名モデルでハーフタレント宅に半ば住み着いていた。
彼女とは友人を介して知り合い、その頃妻とは別に愛人がいたが、ケンカの最中で私は住まいの部屋を出て友人宅に居候していた。
彼女を紹介され、何度か食事や飲みに行っているうちに、彼女からうちに来ればいいじゃないなんていわれ、何となく彼女の家に住んでいるようになった。
彼女の家からNTT本社までは、車で10分ほどで便利がよかった。ただ車の運転をしない私は、タクシーでNTT本社に行けばよかったが、そこは彼女も女、車ないの、うちの一階は駐車場なのよね、なんて言われると私も男、すぐに顧問をしている会社に頼み、ジャガーを買って貰った。
そんな風にして、NTT通うようになる。
同時に私は、どうすればNTT相手に合法的なビジネスが出来るか考えていた。元ヤクザである私が、林のような者も介さず直接NTTのような会社と仕事をするのは、至難の技と思わた。
まず私は、これまで知り合ったNTT人脈を幾つかに、分けることにした。
第一に、林絡みでそれまで知り合ったNTT幹部とはNTT社内では会わない。勿論NTT関係者には付き合いがあることを極力伏せること。
第二に、三浦人事部長、宮崎総務部長にはなんとしても林がA工業から金を騙し取った責任を取らせること。
第三に、I課長(後に部長)とは他の誰とも関わりなく付き合い、これまでのNTT関係者と一線を科し、一緒にしないこと。
と決めた。
A工業社長と再三話し合いを重ね、三浦、宮崎両部長にA工業が林に騙された経緯に責任があることを申し出た。
A工業社長と同社常務は、複数のNTT幹部と面識があり、事実光ケーブル事業の打ち合わせをしており、お墨付きを受けていたと思わせる言動をNTT幹部がしていたこと。林の会社のお弁当自販機販売の代理店契約をA工業はしていたが、これは林が光ケーブル事業に参入することが遅れていることに対する言い訳で、某部長からNTTがA工業経由でお弁当自販機を購入するという発注書がだされていたが、実行されていない事実からその責任をとるよう迫った。
この件で、I課長を必ず通して話したが、時間が掛かってもI課長が少し妥協して欲しいということは出来るだけきくことにしていた。
とにかく、時間を掛けることが重要だと思った。
後はチャンスが来るのを待つだけだった。
思ったより早くチャンスが訪れる。
以前より付き合いのあったS千代田支店長が、失脚して退職するという話しが伝わってきた。
S氏はNTT内部ではプリンスといわれ、真藤元会長に可愛いがられ二階級特進で出世していく男と言われていた。それが社内の怪文書合戦に敗れ退職するという。しかも、怪文書の中には私の名前まで出てきて、元暴力団の私との関係も取り沙汰されたという。
この怪文書合戦に私は何も関わっていないし、そんなことがあったことも知らなかった。私は勝手に名前を使われ腹が立ったが、同時にチャンスが訪れたと思った。
S氏のNTT退職後、私はS氏に会いに行く。
S氏は名古屋に本社がある某中堅会社の副社長に就任して、東京銀座のその会社の東京支社5階にオフィスを構えていた。
S氏とはその後色々あるが、NTT内に豊富な人脈を持ち、退職後もNTTに隠然たる力を有していた彼との付き合いが、私をNTT関係事業に導いてくれることになる。
ただ、この頃はまだそんな事は考えていなかったが、本能的にS氏との関係構築が絶対に必要と考えて、その方法を思案していた。