NTTを退職したS氏は、実に精力的に活動し頭脳明晰で、一を聞いて十を知るといった優秀な人物であった。こんな人がいるのかと私は一時期感動し、師事して色々勉強させてもらった。
彼とはNTT関係だけでなく、様々な事案で関わっていく。
最初、NTTを退職した彼に会いにいった際、私が何か私の名前が出たことで迷惑を掛けたなら申し訳ないないというと、彼はいや仕方ないことです、武士は黙って切腹するだけと言った。こういう言葉に弱い私は、素直に感動して聞いていたものである。
その後は、何かと彼と会うことが多くなる。
伊藤博文の娘婿が設立したという会社を、S氏が副社長を務める会社が買収し、S氏がその会社の会長に就任すると私は協力を惜しまなかった。
お陰で、六本木の有名料亭新井などに莫大に借金を作ってしまう始末。それも苦にならないくらい彼には輝くものがあった。
会長に就任した会社の社長に、たしか郵政省の官僚だったと思うが、東大の先輩なる人物を器用して青山に新たにオフィスを構えた。
S氏はこの会社を完全に所有すべく、香港で転換社債を発行するが、これが裏目に出てその後長らく苦労することになる。
NTTの社長になるという夢に破れたS氏は、一国一城の主になることにこだわっていた。このことは料亭新井などで会食している時などに、彼自身がはっきり話していたことである。
S氏が会長に就任した会社は、彼が副社長を務める会社だけでなく、ソフトバンクなど当時の新興企業数社が株を保有しており、東京総和銀行も関わっていた。香港での転換社債額は、たしか三十億円だったと思うが、株を保有する会社側から一気に売り浴びせられ買収計画は頓挫する。
この際にS氏は、手形を乱発したとして特別背任の容疑をかけられることになる。逮捕はされなかったが、何度か検察の任意取り調べを受けていた。
この際、私に優秀な弁護士はいないかと相談されて、私は法務省を退官し、税理士をしながら最上興産の役員をしていたY先生に相談した。Y先生は内幸町に事務所を構える法務省の後輩弁護士を紹介してくれ、S氏も気に入って弁護士選任をする。
この弁護士が優秀だったのか、S氏の特別背任容疑は立件されず、転換社債に失敗した会社も倒産することなく清算という形で整理される。
その後S氏は、様々な苦労をしながら、それでも今度は地方都市の市長を目指し、一度はわずか五百票差で敗れるが、次に当選し市長になる。昨年、県議に市長の座を奪われるが、すぐに市議に転じ、次の市長選での返り咲きを目指している。大した人である。
S氏が会社買収に失敗した後、私はS氏と共に東芝の常務K氏と、オークラホテル内の日本料理山里で、月一回朝食会をしていた。
K氏は、S氏同様NTT幹部であったが、S氏より先にスキャンダルで失脚しNTTを退職していた。東芝の部長にいわば天下りのようなかたちで入り、この頃は常務に出世していた。 山里での朝食会は朝七時半からで、私はこの朝食会の時に付き合いのある中小企業の社長を伴い、K、S氏に紹介するようになっていた。
このことが後にK,S氏と裁判で争う原因となるのだが、それはまた後に詳しく書くことにする。私は裁判沙汰の原因になった二人の裏切りについて、K氏はともかく、S氏には何らの恨みつらみも抱いていないが、あれほどの人がつまらないことで、私みたいな者を裏切り、私に裁判で負けるようなことになったことは残念でならない。まあ今はきっと一時の気の迷いだったんだろうと思っているが。
K,S氏の例で思うことがある。NTTはスキャンダルなどで、退職を余儀なくされた者を決してただ退職させない。必ず然るべき会社に、然るべき地位を保証して就職させる。まあ辞めさせる方も、似たような脛に傷ある者同士という事情があるが、公社時代の官僚としての名残りだろう。しかし、現在の民間企業としては問題はないのだろうか。
K氏については、こんな話しもある。
K氏を東芝が引き取る条件として、NTTドコモで東芝の携帯を採用することが密約されていた。事実、FORM携帯が発売された時、FORM携帯として最初に発売されたのは東芝製である。それまで、ドコモに東芝製の携帯はなかったのにである。しかも、丁度私とK,S氏の裁判中であった頃であったため、私が様々なかたちでK氏就職の裏話しの真相を、騒ぎ立てるといつの間にか東芝製携帯は、ドコモから消えていった。K氏も東芝常務だけでなく、カンパニー制度を引いた東芝の携帯部門の子会社の社長に就任していたのに東芝製品は発売されなくなった。 結局、当時ドコモが東芝製携帯を採用したのは一度きり、S氏も私との裁判に負けると東芝を辞めていった。
彼とはNTT関係だけでなく、様々な事案で関わっていく。
最初、NTTを退職した彼に会いにいった際、私が何か私の名前が出たことで迷惑を掛けたなら申し訳ないないというと、彼はいや仕方ないことです、武士は黙って切腹するだけと言った。こういう言葉に弱い私は、素直に感動して聞いていたものである。
その後は、何かと彼と会うことが多くなる。
伊藤博文の娘婿が設立したという会社を、S氏が副社長を務める会社が買収し、S氏がその会社の会長に就任すると私は協力を惜しまなかった。
お陰で、六本木の有名料亭新井などに莫大に借金を作ってしまう始末。それも苦にならないくらい彼には輝くものがあった。
会長に就任した会社の社長に、たしか郵政省の官僚だったと思うが、東大の先輩なる人物を器用して青山に新たにオフィスを構えた。
S氏はこの会社を完全に所有すべく、香港で転換社債を発行するが、これが裏目に出てその後長らく苦労することになる。
NTTの社長になるという夢に破れたS氏は、一国一城の主になることにこだわっていた。このことは料亭新井などで会食している時などに、彼自身がはっきり話していたことである。
S氏が会長に就任した会社は、彼が副社長を務める会社だけでなく、ソフトバンクなど当時の新興企業数社が株を保有しており、東京総和銀行も関わっていた。香港での転換社債額は、たしか三十億円だったと思うが、株を保有する会社側から一気に売り浴びせられ買収計画は頓挫する。
この際にS氏は、手形を乱発したとして特別背任の容疑をかけられることになる。逮捕はされなかったが、何度か検察の任意取り調べを受けていた。
この際、私に優秀な弁護士はいないかと相談されて、私は法務省を退官し、税理士をしながら最上興産の役員をしていたY先生に相談した。Y先生は内幸町に事務所を構える法務省の後輩弁護士を紹介してくれ、S氏も気に入って弁護士選任をする。
この弁護士が優秀だったのか、S氏の特別背任容疑は立件されず、転換社債に失敗した会社も倒産することなく清算という形で整理される。
その後S氏は、様々な苦労をしながら、それでも今度は地方都市の市長を目指し、一度はわずか五百票差で敗れるが、次に当選し市長になる。昨年、県議に市長の座を奪われるが、すぐに市議に転じ、次の市長選での返り咲きを目指している。大した人である。
S氏が会社買収に失敗した後、私はS氏と共に東芝の常務K氏と、オークラホテル内の日本料理山里で、月一回朝食会をしていた。
K氏は、S氏同様NTT幹部であったが、S氏より先にスキャンダルで失脚しNTTを退職していた。東芝の部長にいわば天下りのようなかたちで入り、この頃は常務に出世していた。 山里での朝食会は朝七時半からで、私はこの朝食会の時に付き合いのある中小企業の社長を伴い、K、S氏に紹介するようになっていた。
このことが後にK,S氏と裁判で争う原因となるのだが、それはまた後に詳しく書くことにする。私は裁判沙汰の原因になった二人の裏切りについて、K氏はともかく、S氏には何らの恨みつらみも抱いていないが、あれほどの人がつまらないことで、私みたいな者を裏切り、私に裁判で負けるようなことになったことは残念でならない。まあ今はきっと一時の気の迷いだったんだろうと思っているが。
K,S氏の例で思うことがある。NTTはスキャンダルなどで、退職を余儀なくされた者を決してただ退職させない。必ず然るべき会社に、然るべき地位を保証して就職させる。まあ辞めさせる方も、似たような脛に傷ある者同士という事情があるが、公社時代の官僚としての名残りだろう。しかし、現在の民間企業としては問題はないのだろうか。
K氏については、こんな話しもある。
K氏を東芝が引き取る条件として、NTTドコモで東芝の携帯を採用することが密約されていた。事実、FORM携帯が発売された時、FORM携帯として最初に発売されたのは東芝製である。それまで、ドコモに東芝製の携帯はなかったのにである。しかも、丁度私とK,S氏の裁判中であった頃であったため、私が様々なかたちでK氏就職の裏話しの真相を、騒ぎ立てるといつの間にか東芝製携帯は、ドコモから消えていった。K氏も東芝常務だけでなく、カンパニー制度を引いた東芝の携帯部門の子会社の社長に就任していたのに東芝製品は発売されなくなった。 結局、当時ドコモが東芝製携帯を採用したのは一度きり、S氏も私との裁判に負けると東芝を辞めていった。
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