話しを、林哲也と訣別した後に戻そう。
林哲也とトラブルになり、NTTから林哲也との関係を断つと約束された頃、私はA工業社長と話し合いを重ねていた。
A工業社長S氏は、終戦後一人で事業を起こして、その頃は東京都産廃組合の副理事長を務めていた。
それが数年前に林と知りあったことで、大変なことになる。
そもそも、A工業社長を林に引き合わせたのはNTT幹部社員なのである。A工業は、元々NTT出入り業者であった。NTTがまだ木製電信柱を使用していた頃、A工業は所有する山林の木材を電信柱用としてNTTに卸していた。電信柱がコンクリートポールに代わると、古くなったコンクリートポール製電信柱を、破砕して処理するなどの事業をしていた。事業はそれなり順調であったが、当時不景気ということもあり、新たな事業展開を模索していた。
そんな時、A工業に声をかけたのが、当時A工業を担当していたNTT資材調達課長である。この資材調達課長は、親の代からNTT(電電公社から)に勤めていて、代々木にビルを建てて最上階を二世帯住宅にして親子で住まいとし、それ以外のフロアをテナントとして貸していた。
地下一階から三階までを、オフィスとして使っていたのが林哲也の会社であった。
NTT資材調達課長が所有するビルにオフィスを構え、その資材調達課長がうちの(NTT)幹部に顔のきく男だと言えば、大概の中小企業業者は疑いもせず言いなりになってしまう。A工業もそんな風にして、紹介され林を信頼してしまう。
それが、後に七億円あまりの金を林に騙し取られる原因となる。私はこの資材調達課長に、重大な責任があると考えたが、A工業社長はその時点でまだNTT関連の事業をしており、あまり資材調達課長とトラブルになることを嫌がった。そのため、私はこの資材調達課長にはあまり接触することはなかった。
総じてNTT幹部は、このような目に見えぬNTTという巨大企業の権力を振りかざし、中小企業を泣かせることが往々にしてにしてある。
私はA工業の顧問に就任して、まず林がA工業から借りだし市中の金貸しや金融機関に流してしまった、A工業振り出しの手形回収に乗り出した。すでに二億円からの現金が林に貸出されており、別に貸出した手形額面の総額も不明で、多分貸出した現金と同額位あるのではないかということであった。
林を信頼しきっていたA工業が、林に頼まれ手形を貸出しす際、額面や支払い期日を白紙のまま貸出していたのである。不用意なと思われるだろうが、このようなことは大企業が絡むとよくあった。大手企業は大体支払い期日が長いため、中小企業は自社の手形を市中の金融機関に振り出すことが多ったのである。それが当たり前になっていたので、林のようなやり手にかかると、いわゆる手形のパクりにあうのである。現在では電子手形等になり、このようなことは少ないらしいが。
とにかく、私は手形回収に奔走していた。最終的になんとか事なきを得たが、それからが大変であった。
A工業に事業発注のお墨付きを与えたNTT幹部に、この事業の履行を迫らなくてはならない。
つまり、三浦人事部長と宮崎総務部長の二人である。
初めはNTTに出向き、I総務課長に再三このことの是非を説いた。林は悪いが、一緒になって仕事が出来るかのように振舞い、事実そんな言動をしていた二人の部長にも責任があることは明白だと。
当初、うちの部長らがそんなことする訳ないと話していたI課長も、次第に自信を持てなくなったのか、上と相談すると言ってきた。
I課長から、宮崎総務部長が会うので直接話し合って欲しいと申し出がある。私はA工業社長の同席を求め、了解される。
数日後、A工業社長、常務と共にNTT本社を訪れ、本社正面フロアの吹き抜けの一部二階造りにあたる部分にある応接室で、宮崎総務部長と面会した。
話しの内容はこうである。A工業が希望する(約束されていたのだが)光ケーブル事業に関して、光ケーブル施設後不要になる既存の銅線ケーブル回収事業について、光ケーブル事業の関東における幹事会社、藤倉電線との調整に時間がかかること理解して欲しい、約一年から二年待ってもらいたいとのこと。必ず参入させるからと。その間、A工業には茨城県のNTT各支店の一般産廃回収事業を発注するからとのこと、これをA工業は了解する。NTTの子会社である関東運輸を通して、この事業は始められる。後に神奈川県のNTT支店産廃回収も行うようになる。
関東運輸との関わりから、その後のNTTドコモの二度の本社移転による引っ越し業務にも参加することになる。
三浦人事部長とは、本社ではなく、外で会い話し合ったが、内容は宮崎総務部長の申し出を聞いてくれというような内容であった。
とにかく、一段落はついた。A工業の顧問になりNTTから仕事を取ることが出来たのだから。この事業は、約十年ほど続く。
しかし、約束した本来の銅線ケーブル回収事業は結局、実行されることはなかった。
このことが、後々何かと尾をひくことになるが。
林哲也とトラブルになり、NTTから林哲也との関係を断つと約束された頃、私はA工業社長と話し合いを重ねていた。
A工業社長S氏は、終戦後一人で事業を起こして、その頃は東京都産廃組合の副理事長を務めていた。
それが数年前に林と知りあったことで、大変なことになる。
そもそも、A工業社長を林に引き合わせたのはNTT幹部社員なのである。A工業は、元々NTT出入り業者であった。NTTがまだ木製電信柱を使用していた頃、A工業は所有する山林の木材を電信柱用としてNTTに卸していた。電信柱がコンクリートポールに代わると、古くなったコンクリートポール製電信柱を、破砕して処理するなどの事業をしていた。事業はそれなり順調であったが、当時不景気ということもあり、新たな事業展開を模索していた。
そんな時、A工業に声をかけたのが、当時A工業を担当していたNTT資材調達課長である。この資材調達課長は、親の代からNTT(電電公社から)に勤めていて、代々木にビルを建てて最上階を二世帯住宅にして親子で住まいとし、それ以外のフロアをテナントとして貸していた。
地下一階から三階までを、オフィスとして使っていたのが林哲也の会社であった。
NTT資材調達課長が所有するビルにオフィスを構え、その資材調達課長がうちの(NTT)幹部に顔のきく男だと言えば、大概の中小企業業者は疑いもせず言いなりになってしまう。A工業もそんな風にして、紹介され林を信頼してしまう。
それが、後に七億円あまりの金を林に騙し取られる原因となる。私はこの資材調達課長に、重大な責任があると考えたが、A工業社長はその時点でまだNTT関連の事業をしており、あまり資材調達課長とトラブルになることを嫌がった。そのため、私はこの資材調達課長にはあまり接触することはなかった。
総じてNTT幹部は、このような目に見えぬNTTという巨大企業の権力を振りかざし、中小企業を泣かせることが往々にしてにしてある。
私はA工業の顧問に就任して、まず林がA工業から借りだし市中の金貸しや金融機関に流してしまった、A工業振り出しの手形回収に乗り出した。すでに二億円からの現金が林に貸出されており、別に貸出した手形額面の総額も不明で、多分貸出した現金と同額位あるのではないかということであった。
林を信頼しきっていたA工業が、林に頼まれ手形を貸出しす際、額面や支払い期日を白紙のまま貸出していたのである。不用意なと思われるだろうが、このようなことは大企業が絡むとよくあった。大手企業は大体支払い期日が長いため、中小企業は自社の手形を市中の金融機関に振り出すことが多ったのである。それが当たり前になっていたので、林のようなやり手にかかると、いわゆる手形のパクりにあうのである。現在では電子手形等になり、このようなことは少ないらしいが。
とにかく、私は手形回収に奔走していた。最終的になんとか事なきを得たが、それからが大変であった。
A工業に事業発注のお墨付きを与えたNTT幹部に、この事業の履行を迫らなくてはならない。
つまり、三浦人事部長と宮崎総務部長の二人である。
初めはNTTに出向き、I総務課長に再三このことの是非を説いた。林は悪いが、一緒になって仕事が出来るかのように振舞い、事実そんな言動をしていた二人の部長にも責任があることは明白だと。
当初、うちの部長らがそんなことする訳ないと話していたI課長も、次第に自信を持てなくなったのか、上と相談すると言ってきた。
I課長から、宮崎総務部長が会うので直接話し合って欲しいと申し出がある。私はA工業社長の同席を求め、了解される。
数日後、A工業社長、常務と共にNTT本社を訪れ、本社正面フロアの吹き抜けの一部二階造りにあたる部分にある応接室で、宮崎総務部長と面会した。
話しの内容はこうである。A工業が希望する(約束されていたのだが)光ケーブル事業に関して、光ケーブル施設後不要になる既存の銅線ケーブル回収事業について、光ケーブル事業の関東における幹事会社、藤倉電線との調整に時間がかかること理解して欲しい、約一年から二年待ってもらいたいとのこと。必ず参入させるからと。その間、A工業には茨城県のNTT各支店の一般産廃回収事業を発注するからとのこと、これをA工業は了解する。NTTの子会社である関東運輸を通して、この事業は始められる。後に神奈川県のNTT支店産廃回収も行うようになる。
関東運輸との関わりから、その後のNTTドコモの二度の本社移転による引っ越し業務にも参加することになる。
三浦人事部長とは、本社ではなく、外で会い話し合ったが、内容は宮崎総務部長の申し出を聞いてくれというような内容であった。
とにかく、一段落はついた。A工業の顧問になりNTTから仕事を取ることが出来たのだから。この事業は、約十年ほど続く。
しかし、約束した本来の銅線ケーブル回収事業は結局、実行されることはなかった。
このことが、後々何かと尾をひくことになるが。
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