September 27, 2013

中国雲南省への旅8/22-23 麗江

8月22日(木) 麗江 古城の中を散策 
沢山の洗濯をし、納西族の古民家の軒先にずらりと我が家の洗濯を干した。やや曇り空だけれど、この高地の乾燥した空気、午後になると差す強い日差しであっという間に乾くのではないか。子供たちは部屋にテレビがあるので久しぶりのテレビ鑑賞。

遅い朝食を探しに古城の中を散策。昔、10年前よく朝の街角で炭火の上に薄いお餅をのせてあぶり、そこに豆腐庸の辛みや、甘い蜜をさっとぬり、くるくるっと筒状にして食べるものを売っていた光景を思い出し、そういうものを探すがあまり見当たらない。
四方街の方に歩いてゆくと新設フードコートのようにこの辺の名物の食べ物やが軒を連ね、椅子とテーブルが沢山用意されている。2階は上手にディスコになっていて夜になるとあらゆる方角から大音量の音楽が溢れ出す。そのフードコートの前の石畳のところでは渋く納西族風に決めたおじいさんが手に大きな鷹を携えていた。イシャンは興味津々で近づくとそのおじいさんイシャンの頭の上に鷹を乗せ、写真を撮れという。写真を撮らせては10元ということは承知の上、我が家の撮影タイム、ひとしきりいろんなポーズをとって10元渡す。IMG_6113IMG_6117IMG_6122

小鳥の丸焼き、カエルの丸焼きなんかや細い竹に餅米を入れてふかした泰族風情竹筒飯、などなどいろんなおかずが並ぶ。ベジは辛いなあとおもいつつ、物色し、レンコンのミンチを厚く切ったレンコンの間に挟んで揚げたもの(これがとっても美味しかった!)、1杯20元もする高いフルーツジュース、などを買って我が家の朝食。
工事中のうるさい区画を避け、奥の方に席を取った。しばらく食べていると中年のおじさんがやや目つきの悪いような感じでうろうろし始めた。最初かばんを狙っているのかと警戒したが、どうやらかばんではないらしい。私たちがどんな食べ物を食べているのか目で丁寧に物色している。そして隣のテーブルに半分くらいしか食べていない食べ残しがおかれているものをじっと見つめながらしばらく行ったり来たり。やがてとうとうそのテーブルに座りいとも自然に誰かの食べ残しを食べ始めた。そして残りを紙でくるんで去っていった。身なりはそんなに浮浪者ではないがいとも自然に見ず知らずの人の食べ残しを食べる姿に唖然。私たちの食べ残しもああして綺麗に循環してゆくのかと思うと複雑な心境。一見中国は急激に豊かになったかに見える。道行く人の身なりもみんないいし、若者は特にお化粧も髪型もちゃんと整えている。昨夜のようにその辺のレストランで2人で食事をしていた若いカップル、何気ない夕ご飯に350元(約4000円か)も普通に払えてしまう。ジュースも20元もするのだ。でもこうして少し目を凝らしてみると見た目にはすぐわからないが同じ金額を1ヶ月分とも2ヶ月分とも持てない人たちもまだまだ沢山いるのだと感じた。
一日結局古城の中をぐるぐる歩く。昨夜聞いた玉龍雪山へいくタクシーだが、その後よくよくガイドブックを確かめてみるとその国立公園に入るための入園料が3種類合計180元、そしてゴンドラで標高の高いところまで行くのだとそのゴンドラ代がかかり、結局自分で車をチャーターしていっても合計800、900元はかかる計算になった。古城内のツアー会社が扱うツアーは320、380、420元とある。うーん、こちらの方が安いのでは?と気持ちを切り替えいくつか旅行社を尋ねて詳細を聞いてまわった。すると安いパッケージはお土産物やに沢山寄る、酸素ボンベや防寒コートのサービス無し。ちゃんといい観光したいなら580元の方がいい。といって皆同じようなラミネートしたパネルを見せてくる。結局どこを窓口にしても同じ会社のツアーに行き着くような感じがしてきたので一番対応が良かったところでカミーユは無料、イシャンは100元で、大人は580元でブッキングした。明日の朝7時半発、玉龍雪山にいく!
木府(昔この辺りを治めていた木氏という土司の家だったか?おじいちゃん、おばあちゃん、母を招いて雲南観光した2002年あたりに中には入ったので今回は省略。)のあたりをうろうろし、雲行きが怪しく洗濯物が不安なので一度宿に帰ろうと細い路地を帰ってみると大きな地元民の市場があった。古城の端にあるその市場は入り口には乾燥させた薬草や花を売る店、この辺特産の各種キノコ類を売る店、たたいた銅の鍋を売る店、奥に生鮮物、野菜、最後に肉や魚の市場一番通りに近いところが日用雑貨のセクションだった。肉売り場ではちょうどお昼の休憩後だからかおばちゃんたちが生肉のあふれる売り場でラジカセから音楽かけてダンスの練習をしていた。何とも微笑ましい光景。魚のセクションではザリガニが見事な手さばきでどんどん小さな身にはがされてゆく。イシャンがせがむので5元で大きなザクロを買ったがこれがとっても美味しかった。夕方また行き、10元であと2個も買ってしまう。それを後々西双版納まで大事に持ち続けることになるのだが。IMG_6137IMG_6156
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夕方思い出して北門近くの納西古楽のチケット売り場に行ってみる。10年前学生たちと来たときに見て感激した記憶がある。以前両側にあった古楽は1軒だけに減っており、チケット売り場ではとうちゃんと10歳くらいの息子が茶わん飯をすするように夕ご飯を食べていた。この国では食事光景をえさを食べているような印象に映ることがしばしばある。味わって食べ物を頂いているというよりは毎日ほぼ同じものを箸で口に搔き込んで流し込む、満腹になったら食事は終わり、そんな感じを受ける。共産主義が強かった頃自宅に台所を持つことを許されなかったという話を思い出す。皆で同じ服を着て、同じように労働し、同じ食事をする。村の食事は共同炊事場でした。そんな話を聞いた記憶がある。その名残だろうか。 だからといってそんなに悲惨な感じな光景ばかりでもない。食堂の営業前、従業員や家族たちが食卓を囲んでいる姿、集合住宅が狭いのか表の路地にちゃぶ台出して家族で食事をしている様子。炊飯釜ごとどーんと置き、2,3のおかず。それを誰ともなくすごい量の白米をお椀に盛り、その上におかずをぶっかけてあとはお椀に顔突っ込むようにして食べる。満腹になった人から退席。いただきます、もごちそうさまもなくとにかく威嚇されるような印象。西洋、特にフランス文化圏では食事は社交の場、1階の食事に2時間も3時間もかけて話を楽しむ。こちらは正反対。社交の時間は食後の散歩のようだ。夕方になると皆腕を組んでどこへ行くともなく散歩をしながら身の上話に熱を入れる。文化の違いとはこういうものだ。
古楽は8時から。夕方市場に戻り、この辺の地元の味を試そうと色々買ってゲストハウスの庭で食べる。涼粉という粉っぽい寒天のようなもの、大きな筒状の綿の生地のようなものをはさみでちょきちょきした太麺、日本と全く同じような色、感触のこんにゃく。そして一番確かに美味しい、揚げジャガイモ。それぞれ器に入れてから上から醤油だ、粉だいろんな調味料をかけてあるのだが微妙に味が違って面白い。なんだかんだ、ゆっくりしていたら古楽の時間になってしまったので急いで古楽に向かう。昔の客で長蛇の列だったイメージで行くとびっくり。開始時間まで5分くらいだというのに客はわずか10名程しかいない。すっかり寂れたものだと思いつつもガラガラなので観覧しやすい。開始直前にトイレに行くと裏の楽屋が丸見え。男性部屋では厳かななんちゃって皇帝風の納西の衣装を着けたかわいらしいおじいちゃんたちが楽器を片手に煙草をふかしたり、お茶を飲んだりそれは何とも微笑ましい光景。女部屋では人数は少ないがそれなりに身なりを整える女性たち。
いざ古楽が始まって、私は遠い記憶にまだアカ語をそんなに知らない頃、アカ語にそっくりな印象を受けて感激をしたことを思い出していた。
最高齢87歳だったか、結構年齢の行ったおじいちゃんが始まりの音を唱えると皆が幼稚園のお遊戯発表会のように自分の楽器をならしはじめる。愛嬌でしばらくは楽しいのだがだんだん同じ音の繰り返しのような感じになり飽きてきた。なるほど、こうして廃れていくのか。。。カミーユはこの微笑ましい雰囲気がいいのか、はじめの音を唱えるおじいちゃんの真似して大声揚げて会場大爆笑。長い1時間半の講演が終わった。楽器はサントゥールやペルシャにしか伝わらない楽器なんかがあって面白いのだがいまいちエンターテイメントにかける。以前私が見たのは対面にあったほうで、もう少し、儀礼の再現なんかが混じっていて楽しかったことを覚えている。ほとんどの観客、といってもわずかだが、は外国人。外にあれだけ人ごみを作る中国人観光客には受けが悪いようだ。どうも世界遺産で何を守っているのか?首を傾げたくなる。
夜11時になっても満員電車みたいに人が沢山!こんなに麗江が10年の間に観光によって刷れるとは!びっくりした。ラオスのルアンプラバンといい、この麗江といい、世界遺産に登録されることがどういうことなのか少し考えさせられてしまった。観光が生活を潤わせること、地元の人が自信を持って暮らせることは素晴らしいと思うけれどそれに伴って流入してくる地元ではない人たち、利益のためにその地に群がる人たち、その結果物価はつり上がり植民地みたいにそこだけ高級な観光地になってゆく。乗り遅れた地元民ではなく賢い部外者が設ける仕組み、そしてそもそもよかったその場所の味、風情、は誰の規制もなくどんどん変わってゆく。そんな印象を受けた。

8月23日(金) 麗江 玉龍雪山へのツアーに参加 
朝7時半に南門へ。というので6時には起きて(ここ雲南では中国の標準時間を取っているが、緯度的にはかなりタイとかに近いので朝の8時くらいにならないと朝な感じがしない。6時はまだ薄暗い。)標高4600mまで行くので子供たちが凍えないようフリースやらゴアテックスやら防寒着かなり用意し、観光バスでおとといの電車のように食べるものがなかったら大変なので今回はフルーツ、お菓子、チップス沢山買い込んだ。緩やかではあるがベジタリアンを一応貫いているのでここ中国の田舎では結構食事に困ることがある。町の食堂をみつければ並んでる野菜を指差して適当に調理してもらえばいいのだがパッケージツアーの食事は肉類が多く、しかも辛いというダブルパンチで私も子供たちも食べられないことが多いのだ。
今回のツアーは中国人向けのツアー。なまじっか中国語が片言できるのが幸か不幸かこういうツアーへの参加を可能にする。でも持ち物について、当日の日程について、待ち合わせの場所についてすべて中国語なので私の理解が正しくないと大変なことだ。この類のツアー申し込んで、出発の前夜11時頃に中国の携帯があれば携帯に、私たちのようになければホテルに翌日何時にどこで、どういうバスに拾ってもらえるかコンファームの電話がかかってくる。結構ちゃんとオーガナイズされている。その電話によれば7時半に南門のところにたつ大きなホテルの前にいればいいとのことであった。宿から南門に向かうところに地味な小学校がある。その門の前にタバコをくわえて、あらゆる「朝食」を売るおじさんがいた。炭火であぶった餅に色々ぬって丸めてくれるもの、千切りのジャガイモをお好み焼きで包んだようなもの、ゆで卵、ゆでたトウモロコシ、などなど。いくつか買って南門へ。玉龍雪山と書かれた緑色の大型観光バスが通る。もしやと思い手元のメモを見ると電話で教わったバスのナンバーと同じだ。急いで対岸に渡り、手を上げてバスを止める。ラッキー!このツアーで私たちが最初なので一番前の席を確保!ガイドはひょろっとして眼鏡をかけたいかにも大学生のバイトのような青年。私が中国語は片言しかわからないことを一生懸命アピールしておいた。とにかく無事ツアーに参加できそうだ。他の観光客はやはり皆中国人。これから丸1日、中国ツアーに参加。いろんなポイントで手際よくお客を拾い、郊外の玉龍雪山に向かう。このひょろっとしたガイド、よく喋る。ノルマでマニュアル通り喋るのだろうが、時間厳守、バスの中では清潔に、気分が悪くなったらああしろこうしろなどなどとにかくよく繰り返しボーイスカウトのキャプテンのようなそぶりで喋り、客を手なづけようとする。
昔、西双版納出身でアメリカで博士課程まですすめた優秀なアユという友人がいた。昆明でしばらく色々世話をしてもらったことがあり、なにげなく共産党について聞いたことがある。すると共産党員というのは優秀な人の証拠なんだという話をしてくれた。小学校などで優秀な子がクラス委員に選ばれる。中国ではクラス委員のような優秀で人の尊敬を集める子だけが共産党のバッジをもらえるんだ。そしてキャリアを積んでも共産党員でなかったら絶対ある一定以上には行けない。教授たちの中でも同じ。とのこと。でもその友人のアユでさえ共産党=政党、という意識ではなく共産党=出来る人の属するところ、と認識されていたことがとっても印象深かった。このガイドの話口調、そういう意味でのクラス委員みたいだな。と思った。12年ぶりの中国で鈍った私の中国語リスニング力をリハビリするのにはちょうどいい。で町のはずれで防寒着を借りる人は自己責任で管理してくださいねとくどい程説明があったあと防寒着と酸素ボンベを受け取ってバスに戻る。国立公園の入り口は自家用車やマイクロバスが長蛇の列。早朝なのに既に沢山の人が高知の一番の観光地に向かっている。私たちは観光ツアーパッケージにすべて含まれているのでこのガイドが世話をしてくれたからスムーズに入れた。あとから思えば自分でタクシーチャーターしてたらいちいちこういうとこでてこずっただろう。今回はツアーに便乗して正解。
まず、12年前にも既にあった巨大な駐車場、トイレ、食事のできるカフェテリア、野外舞台を備えた場所にバスが着き、トイレ休憩。そのままバスにのり白水河に。朝一番に山のピークを見るのだと勘違いしていたのであれ?と思ったがとにかくバスを降ろされ、1班、2班、3班に番号分けされてゆく。私たちは3班と言われた。3班は10時50分まで自由なので1時間程自由に散策して下さいとのこと。ツアーの中に含まれるパッケージの違いで云杉坪g高原二位九チームと行かないチームにわけられたらしい。ややぽかんとしたまま綺麗なコバルト色の湖と石灰質で綺麗な白水河を見て回る。急に雲行きが怪しくなり、雨が降り出した。道の脇の飯やの軒先でゆでたトウモロコシを食べ、人のごった返すバス乗り場に向かう。これぞ中国!というかんじの列なき列に人が窒息しそうなくらい押し掛けている。言われた班名をいうとあそこの列に並べという。えー!きたバスと違う!とおもうがとにかく子供たちがつぶれないよう、しかもぬれないよう必死で列を押しながらバスに乗る。どんなバスでも言いそうな。いわゆるロープウェー乗り場までのシャトルバス。でもバスの中では皆席を譲ってくれ、なんとかロープウェー乗り場まで迎えた。っひょろっとした私たちのガイドが立っていて今度は3時半にここに待ち合わせなのでロープウェーに並べという。もう従うしかない。
私お記憶ではここにはきた記憶がない。2001年頃だったか都留文化大の学生たちとツアーを組んできたときに玉龍雪山には行ったと思い込んでいた。かなりショックなことにどうやらいっていなかったらしい。どうやら私が行ったと思っていたのはこの国立公園の中の云杉坪だけだったらしい。私の記憶の中の玉龍雪山は杉林の中湿地のようなところに歩道が作られ、歩いてゆくといくつかチベット族の人たちの小屋があり、彝族やチベット族の派手な民族衣装を揃えて、着て記念写真を撮らせてくれる。肝心な玉龍雪山は杉林の奥、あの辺に本当は見えるんだけどね。と言われて結局見えずじまい。それだけだった記憶がある。
今回のツアーでついたロープウェー乗り場自体、私の記憶に全くない。ツアーの案内にあった氷川公園の写真も、こんなところは見たことないぞ!と思っていたが、なるほど、あの学生ツアーでオーガナイズされたときには省かれていたのだ。12年間も自分は行ったと思い込んでいたとはちょっと衝撃。とにかく、ロープウェー乗り場に到着。ツアー客は皆こぞって与えられた防寒着を着るので自動的にグループ分けが出来てしまう。乗り場の横に標高4300mの記念碑があり、子供たちを連れてここまで来れたこと、ツアーに参加して良かったじゃない!と、とりあえず記念撮影をする。ロープウェーにだいたい3、4時間、長い時間並ばなければいけないんだ、と古城で色々聞いたのとは全然違い、スムーズに20分程で8人乗りのゴンドラに乗る。かなりハイテクな素敵なゴンドラで思わぬ早さでぐんぐん高度を上げる。下界では雨が降り始めていたがどんどん雲がきれ、灰色の氷河も見えてきた。なるほど、この氷川公園、写真通りかなり標高の高いところまで行ける仕組みらしい。ゴンドラを降りると岩場と氷河の広がるところに木製のしっかりした登り階段が更にどんどん上まで登れるように設置してある。いまいち説明を聞いていてもよくわからなかったが元気な人、つまり高山病で参っている人は無理せずここで休むかゴンドラで降りていなさい。元気な人はどうぞもう少し上まで登ってごらんなさい。ということのようだ。防寒着をしっかり持ってきて良かった。イシャンもカミーユもありったけのフリースなど着込ませ、カミーユはうとうと寝てしまったので抱っこして登りはじめる。登り階段をしばらく行くと、先ほどからロープウェーの中からかすかにしていた頭痛が確かに頭痛だと実感できる程になり、あーやっぱり高山病だ。と確信。配られた酸素ボンベをあけて思い切り酸素を吸うと少し緩和される。イシャンはまだピンピンしている。イシャンにもう少しゆっくり、待ってと声をかけながら上を上を見ながら足をひたすら動かすが高山病、しかも荷物とこっくり寝てしまったカミーユが重いことも重なりどんどん足取りはゆっくりになってゆく。ヨガの呼吸を思い出し、こういうときこそ呼吸だ!と言い聞かせながら歩調と呼吸を一生懸命に合わせながらペースはかなりゆっくりだが1歩1歩登る。それにしても中国人、みんなタフだ。笑いながら軽い足取りでどんどん追い抜かれてゆく。途中何度か踊り場のような広いところで長い休憩を取り、まだまだ続く登り道をながめながら、無理かもしれないと思いつつ、この元気なイシャンを何とか一番高いところまで連れて行きたいと意志を奮い立たせて登る。これが思っていた以上に長いし結構な高度を登るのだ!カミーユを抱っこするおぶい紐がお腹に食い込むせいか呼吸も上手にできず、3歩ごとに頭ががんがんするのでかなりゆっくりだが私も頑張った。次にいつ来れるかわからない貴重な機会だ。最後の最後、イシャンには先に行ってていいよといい、完全に自分の出来る最大のペースで登りきる。4608mの記念碑についた!その記念碑の前には記念のメダルを掘ってくれるところがあり、イシャンには金メダルを100元もしたが買った。6歳でこの登りをピンピン登りきったことはしっかり覚えていて欲しいと思った! 記念碑のところは人でごった返し、思い思いのポーズで写真を撮る人ばかり。中国のipadやiphoneの人たちは友達たちに速報できるのだろう、我先にとはしゃいでいる。私は腰を下ろし、景色をしばらく見て、時計を見ると3時。待ち合わせの時間まで30分しかない。写真を何枚か撮ったらまたこれを下らなければならない。
下りになって多少楽にはなったから引きつった表情も緩んで吐いたと思うがまだまだ頭はガンガン、吐き気さえもよおしていた。とにかくロープウェー乗り場まで着き、トイレに行くと上から下から結構でた。おぶい紐で締め付けていたことで消化不良もあったらしい。なにぶん気分も優れてきて無事ロープウェーに乗り下山。待ち合わせの時間を少し過ぎていたが私たちのガイドの顔がありほっとした。ここでクルミの形した人形や気みたいなお菓子を私は全然食べる気がしなかったが買っておく。後々これが高山病脱出の鍵となる。バスも自分たちのバスではなくまたシャトルバス形式でとにかく着たバスに押し掛けて乗り込む。この頭痛と吐き気のまま人ごみはきつかったが若いカップルが気を聞かせて席を譲ってくれ、窓を開けて外の空気を吸うことが出来たので幾分ましだ。このシャトルバスがついたのは朝トイレキュ系に寄った巨大な観光客向けのコンプレックス。私たちの昼食は職権みたいなものを見せると大学の学食みたいな窓口でご飯がもらえる仕組み。これが何とも餌のようなのだ。銀色の四角いプレートに雑にご飯、ゆで卵、キャベツ炒め、こんにゃくの辛いため、肉炒めのようなものがボンボン!とのせられはい持ってけ!という感じ。とにかく確保し、席も確保して食事だ。そう、私が12年前の中国の印象で覚えている中国はこんな感じ。食器やテーブルはどことなくべたべたし、床には沢山の食べかすが落ちている。「清潔」という文字が頭をよぎるとどこも触りたくなくなる、そんな感じ。今回の旅で昆明も麗江もとっても綺麗になり、子供たちの手前かなり構えていた公衆トイレもさすがにすごくきれいになっていた。トイレにはドアとそれぞれに紙が必ず添えられていて場所に寄ってはドアに鍵もかけられる!ワオ!ついに中国トイレ革命まで起きたじゃん!と一人感激していた。しかも麗江なんかは公衆トイレ無料だった。 
が、ここはまだ以前の中国の名残を感じる。食事は食べたいと思える内容ではないのでほとんど食べず、トイレにいってみるとここがすごかった。これだけの人がなだれ込む場所なので下水が追いつかないのだろう。どのトイレも完全につまり人の足したものがと便器に山積みになっている。でもようを足しに並んだ手前その上にするしかないのでどんどん山が大きくなって悪臭のカオスが広がる、そんなトイレだった。
とにかくそうしてこのツアーの山場玉龍雪山の体験はクライマックスをおえたのだ。あとは乗ってきたバスに戻り、この国立公園の中を走り、途中休憩&写真撮影をして束河という小さな集落に寄る。バスの中で騙されたつもりでさっきのくるみの人形焼きみたいなお菓子を食べてみた。するとみるみる頭痛が緩和され高山病の症状がぐっと良くなった。なるほど、糖分が大事なのだ。思えば登山道で、私には見ることもきつかったがスニッカーズみたいなチョコレートをボリボリ食べている人たちを沢山見た。糖分が効くのか。学んだ。
束河は麗江古城の以前の風情を残す町並みとして最近では麗江観光のなかでもバックパッカーや若者が好んで行く場所になった。12年前のツアーで私も民家の町並みを見に行く、と行っていった覚えがある。そこでは20分しか時間がもらえなかった。なかにはここで降りて夕食を食べて自分で古城に戻るという人たちもいた。我が家もぐっとそのアイデアに惹かれたがなんせまだ頭痛もするしこの沢山の着替えや食料の荷物を持ってうろうろする元気が私にはない。でもせっかくの束河、見ておきたいので奮発して駐車場横に並ぶ馬車に乗ることにした。とても歩く元気がなかったので。馬車で束河をぐるっと1周して20分後にここに戻ってきて欲しいというと100元という。イシャンもカミーユもはじめて乗る馬車にはしゃぐし私も知ればベストだと思えたので馬車に乗っての散策。それがまた私には密かな試練であった。古城と同じように石畳のしかれた道を馬車で行くと小刻みに上下にかなり揺れるのだ。その揺れの旅におさまりかけた頭痛がまたガンガン頭によみがえる。20分の辛抱だ。束河は評判通り、まだ綺麗な小川が沢山流れ気の効いたカフェやおしゃれで落ち着いた土産物屋が並ぶ、こじんまりとしたいいサイズの観光地だった。確かにタオ君が行っていたように古城ではなくここに滞在した方が麗江は快適だということを充分納得させる光景。イシャンは今日はここにとまりたい!とせがんだ。ごめん、今のままはかなりスタミナ切れ。ホテルまで帰るので精一杯なんだ。と説得しているうちに散策も終わり。束河、素敵だったが既に民家の町並みという印象は消え、違ったスタイルの観光地、と読んだ方が良さそうな印象も得た。ここも時間の問題でどんどん古城のようになるのだろう。規制なくディスコが入れば静けさはもうなくなる。
最後のツアーの目的地黒龍潭。麗江古城の少し外れにある玉龍雪山からの清水が溜まる池と庭園で観光地だったが今は水が枯れ廃れている。ガイドはここが終着地なのでこの公園見るも良し、水にその辺で昼食がおいしく中ツタだけに美味しい夕食を食べるも良し、路線バスもあるのでここで解散にします。という。我が家ももう観光はいっぱい一杯なのでちょうど良かった。路線バス乗り場に行き、2路だったか?南門へいくバスに乗る。南門の見慣れた風景に着き、もうこのままホテルに戻るよりもおいしいご飯を食べていこうと反対側の道に広がる市場に入ってゆく。ちょうど市場の入り口に念願の火鍋を庶民スタイルで食べさせる食堂があったのでここに荷物も置き落ち着くことにした!烏骨鶏がこの辺の名物のようで烏骨鶏のスープの辛くない火鍋、具材はリストから適当に選び、わからないものはキッチンにいって指差した。素朴なおかみさんはにっこりと対応してくれて本当にほっとした。トマト、湯葉、豆腐、青菜、大根、白菜、キュウリを具材に。それはそれは美味しいスープだった。あと少しで宿に着くと思うと気持ちも緩み、まだやや頭痛は残るがビールものめるような気がしたので冷たいビールをいただく。ちゃんと冷蔵庫に入っていた冷たいビールで幸い中国のビールは水のようにあまり強くないのでちょうどよかった。イシャンも念願の火鍋が食べられたし、私のお腹も美味しい温かいスープと白米でちゃんh満たされ元気になった。カミーユも食べた分ちゃんと便も出して、食事の場だが他の客もいないのでいいやここで!とパンパースを替え、すっきり。すると目の前にカミーユより少し大きめの男の子がおじいちゃんに手を引かれて歩いてきたかと思うと私たちの座る歩道のへりにその男の子をしゃがませた。でた!お尻がぱっくり割れた中国子供パンツ!このスタイルはうんちだ!するとすかざず大柄だがちゃんとハイヒールを履いてミニスカートを吐いたおばちゃんが新聞紙を持ってきてその子のお尻の下に敷く。とにかく我々の夕食の目の前でうんちする光景が味待った。今回の旅ではまだはじめてであう光景だったのでイシャンもカミーユもはしゃいでしまった。私も貴重な一枚を写真に収めた。気を取り直し、折角なので市場の中を散策する。そこまで回復したのだ!
市場は夕方日が暮れてもにぎわいを見せる主に日用品を扱う市場だった。布団、肌着、おばちゃん着などを沢山しかも安く売っている。奥に進みちょっと陰に隠れたところになんとラクダがいた!キャベツを一杯食べ散らかし背中にはすり切れたビロードのような飾りのついた鞍をつけ、ここはインドか?ラジャスタンか?と思わせる不思議な光景。よく見るとその横の仮設テントでは西双版納風情写真?かなんか、クジャクも紐で繋いで南国の風景で写真撮影して現像してあげるお店のようだ。軒先の廃れた古いテレビでは闘鶏や闘牛の様子を映し出しておじさんたちが人だかりを作っている。なんだか不思議な光景を見たような気持ちでホテルに帰る。なんだか今日一日で本当に沢山のことをやった1日な気がするもんだ!


mkqso at 19:51│Comments(0)TrackBack(0)

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