前記事よりの続きです。
90ブロック離れたところで
日本との連絡に追われていましたが、
煙は前日にも増して届いていました。
状況を把握しようとテレビはずっとCNN。
連絡を取ろうにも回線がパンクしているのか
なかなか通じないし、地下鉄も動いていない。
3日ほどエンパイアステイトビルも立ち入り禁止で
オフィスには行けませんでした。
最後に見たWorld Trade Centerはまだかろうじて
姿をとどめていたけれど、そのすぐあと崩れ落ちてしまって
平和ボケの私でもさすがに事の大きさを感じました。
だんだんとニュースで犠牲者の数や顔写真が出るようになり、
各地で夜になるとキャンドルがたくさん点灯され、
安否を知るためのメッセージボードが各地に作られ、
消防署の前を通るとキャンドルと写真でいっぱい。
私も二日ぶりに自分の家に帰り、そこはマンハッタンではなく
イーストリバーを渡ったクイーンズの先なのですが、
そこの消防署も同じでした。
各地から総動員されたのでしょう。
グランドセントラルの駅にはメモリアルが作られ、
被害者の写真、思い出のものなどが何ヶ月も置かれ、
何度も何度もそこを通るたびに通りながら黙祷しました。
若い日本人女性の方、家族を遺して亡くなられた
働き盛りの男性の方々。
いつもと同じ朝を迎えて、いつもと同じデスクについて
いつもと同じように帰宅時間を迎えるはずだったのに。
最期の朝になってしまうなんて。