通訳とアートの炭酸水.

フランス語通訳・翻訳家.日仏の文化交流に力を注ぎます.美術が生活の中心軸.

ジュエリー作家の仲道さん。
今年最後のコラムです。私のレビューも今年最後。
以下、アパートメントのFBページにも掲載していただいた文です。

澁澤龍彦を読んでいたのでタイムリーだった。
生と死との境目について。
動物も植物も、時間軸上の「生」という期間があって、その先に「死」の瞬間がある。その瞬間とはどこか?という話。

死の瞬間そのものについてではないけれども、植物に関して言えば、花の美しさがピークを迎えるのは死の直前なのではないかと思う。生と死のせめぎ合いによって、散る間際の美しさはむせかえるほどに高められていく。今この瞬間にも失われそうな儚さを持って。
澁澤龍彦は著書「エロス的人間」の中で、人々の心に潜む「死」への希求・・・正確には「失われた連続性」、つまり個と個を隔てるものを取り払った状態への希求について言及している。
少々乱暴に要約すると、人間は(他者と)断絶された存在であり、連続性を欲している。そして死は、人間を無限の連続性へと解放してくれるものであるということだ。
一方、人間が生きながらしてその連続性を手に入れられる瞬間があるという。それが性的活動や拷問に近い苦しみに身を投じている時である。 つまり、人間が持つ性的活動や苦しみへの欲求は、その根底に連続性や死への希求がある、と澁澤は語っている。

人が枯れゆくものや儚いものを美しいと感じる心の根底にも、死への希求が潜んでいるのかもしれない。 フランスの画家Henri Fantin-Latourの《Bouquet de Roses》(1885)や、20世紀京都画壇で活躍した福田平八郎の「牡丹」(1924)は、まさに枯れゆく寸前の花々だ。これらが妖しく艶めいて見えるのは、どこまでも死に近い状態にあるからではないだろうか。 死の気配を纏うものにのみ許された、恍惚とさせられる美しさだ。


コラムは来年1月まで続きます。読者の皆様、今年は大変お世話になりました。来年もどうぞどうぞ、よろしくお願いいたします✳︎*✳︎*✳︎*✳︎*✳︎*✳︎***

(文中に登場した絵に関しては、アパートメント22期で書かせていただいた私のコラム「フランスと花〜fleur」の回をご参照ください。)

仲道萌恵さんの記事はこちら。 

実家.母がドイツで描いてきた作品の整理.
マティスやニコラドスタールへのオマージュ.

どれをもらって帰ろうかしら.
壁際にたくさんの絵が立ち並ぶ様は、ときめきを禁じ得ない. 

 
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アーチェリー部の同期が持ってきてくれた、枯山水のボードゲーム.

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座禅を組んで徳を積んで、その徳ポイントで石をゲットしたり、苔を増やしたり波をつなげたりと、なかなか奥が深いのでした…ハマりそう.

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