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大阪桐蔭高を一度中退して、鹿児島商工高(現樟南高)に入り直したというところからして、すでに後の波乱の野球人生を予感させますね(^^;。大学も亜細亜大に進むも1年で中退。江藤慎一が監督を務めていた、天城ベースボールクラブで江藤に指導を受けていました。
その後天城BBCはヤオハンのバックアップを受けてお抱えのチームになり、94年の都市対抗にも出場して活躍。
ここらへんのことは、ものすごく詳細かつ楽しくレポートされているサイトを見つけたので、ぜひご覧ください。
村井のつたないレポート集〜ヤオハン編〜
読ませていただくと、大西が当時ものすごい輝きを放っていたことが分かります。スーパープレーヤーだったんですね。
…僕が大西崇之という選手をしっかり認識したのは、1996年8月11日、東京ドームでのジャイアンツ戦。そう、野口茂樹がノーヒットノーランをやった試合です。終盤に守備固めに入った大西は、好守連発でノーヒッターを強烈に後押ししてくれていました。
98年ごろには、某パソ通のとあるドラファンの集まるところで、2番・大西説をぶっておりました。守備・走塁申し分なし。あとはもう少し打てればなぁ〜と、そのときは思ってました(^^)。盗塁を決めるごとに、チーターのシールをヘルメットに貼っていたのもこの頃でしたね。李鍾範は忍者シールでしたっけ(笑)。
ドラ在籍の終わりには専ら代打での起用が多かった大西。渋く出塁したり、サヨナラ打を打ったりと、それでも輝きは失ってませんでした。そして今季は活躍の場をジャイアンツに求めて移籍。どちら様かのブログで「目の輝きが同じ原監督の元に行けて良かった」というようなコメントをさせていただきましたが、残念ながら1年限りで引退ということになってしまいましたね。
あの一見無鉄砲なプレーと、その目の輝きをファンが忘れることはないでしょう。これからどういう道に進むのかは分かりませんが、できれば選手時代とはまた違う形でファンを楽しませてくれるような、そんな姿を見せてくれたらいいのになぁと思います。
11年間お疲れさんでした。
でもなんにつけても熱く、そしてファンを第一に考えてくれた大西選手でしたね。そんな大西さんが巨人とはいえユニフォームを脱ぐのは寂しい限りですが、彼の熱い野球観があれば、必ずやいい指導者にもなれる気がしますし、どこであれ野球に携わっていてもらいたいです。そしていつの日にかドラゴンズのユニフォームをきて、またファンと一緒に戦ってほしいですね!
11年・・・巨人の1年はやっぱり武者修行なんですね(笑)