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続きです。後半はいよいよ鍋の宴もたけなわに。
前編はこちら

佐藤「井端さんきょうほとんど何も食べてないんです」
井端「そうですねぇ、ちょっと契約が忙しくて」(一同笑)
佐藤「井端さん、きょうは契約更改交渉がありましたね。できょうはハンコは?」
井端「…当然押さないっす」(一同笑)

実は今回の宴、球団との契約更改が保留となった直後に行われていたのです。

佐藤「だいたい会見場去るときに言いましたよ、井端さん。不満だったんでしょうね。『きょうの鍋、面白くないですよ』って(一同爆)。捨てゼリフを残して会見場をあとにするという」
井端「そらそうでしょう」
佐藤「何と言っても4年連続ベストナイン、4年連続ゴールデングラブですから。そこは主張するべきね、場ですよね?。ずーっと出てるわけですもん、4年間574試合連続出場ですよ」
川又「へぇぇすごいねぇ。でも今年何回かピンチあったじゃん?」
井端「そうですねぇ。まぁシャミ三味線を弾く@ウィキペディア)みたいなモンですよ。ただ単にね『大丈夫です』ってふっと出てくるよりかは、『ダメです』ってこう大げさにして出てきた方がね」

こちらが問題の、今年、井端選手を襲った最大のピンチ。5月13日のジャイアンツ戦。バットを振ったその瞬間、左足に激痛が。顔をしかめ、その場にうずくまる井端選手。本当に痛そう。このアクシデントにより、それまで続けていた連続イニング出場の記録が途絶えてしまった。

井端「正直あれはね、痛かったですよ。あれは痛かったんすけど、次(翌日)の松葉杖は、やりすぎたなという(一同爆)。試合に出れるか出れないかはね、ちょっと不安だったですよね。ちょうど1日空いたから良かったです」
佐藤「そうですね、日曜日にケガしてるから、1日空いて火曜日の試合で、フツーにスタメンで出てきちゃったと」
井端「あれ、次の日だったら、たぶん出てないっすねぇスタメンでは。1日空いて治療して、できたんで。あの治療でね、だいぶ変化が出たんで」
佐藤「今年序盤でついにね、記録が途切れたかと思いましたよね」
井端「相手をだます前に味方からですか」
佐藤「(笑)。味方の何をだましてるんですか?」
井端「ましてね、あの足で走っちゃいましたから、盗塁ねぇ」
佐藤「盗塁したんですよね?5月15日の試合は」
井端「だから来年はもっと大げさにやって、相手に隙を与えて、それでなおかつ盗塁王を獲れるんじゃないかなと。だってあれ明らかに楽勝でセーフになれたっすから(笑)」


ここから話題は、井端選手の野球人生について。

佐藤「野村さんのチーム…少年野球チームにいたんですって?」
井端「…はい」
佐藤「港東ムースでしたっけ?話題になってた。そこにいたんですよね?」
井端「いましたねぇ」
佐藤「へぇぇ〜。サッチーのチームに」
井端「…3日間だけ」
川又「なにっ!?3日間…」
佐藤「サッチーのチームに3日間」
井端「3日間なのか、3回練習行っただけです」
佐藤「そうですか。何が嫌で辞めちゃったんですか?」
井端「これはねぇ(苦笑)、ピーでお願いしますけど、●△※◇▲○」(川又・佐藤笑)
井端「旦那さん、楽天の監督の野村さんには、そうっすねぇ、ホント感謝してますよ。野村さんのところ、パッと引いたあとに、『アイツ、高校はどうなんだろう?』っていうのをね、気にしていただいて」
佐藤「やっぱりその短時間接したことで、見極めてたんですよね。野村さんの眼力で…」
井端「そうですねぇ。あと僕ピッチャーやってたんすけど、『高校行ったらショートやれ』って言われたんで」
佐藤「えっ野村さんに」
井端「はい。だからね、あのひと言なかったらピッチャーずっとやってたと思うんで。だからホントすごい監督だなと」

何と意外な事実、日本一のショート・井端が生まれた原点に、あの野村監督のひと言が。やはりこの人、ただ者ではない。

井端「正直言って、ドラゴンズからは『獲るぞ』っていうのはあったんすけど、ジャイアンツ、野村さん率いるヤクルト…これなかったっす」
佐藤「ショート・井端の生みの親であった、野村監督率いるヤクルト・スワローズも、ドラフトのときには井端さんに興味示さず?」
井端「なしですね。特にね、野村さんの(オファーが)なかったっていうのはね、多少励みにはなったっていうかね、何とかこう成功して、『あぁ失敗した』と思わせたいっつうのはね、思ってましたね」


そして98年、井端選手はドラゴンズへ入団。ドラフト5位。全国的には無名で体も小さい。当時、そんな井端選手が球界を代表するスターになると予想した人は決して多くはなかった。そこには、知られざる努力の道のりがあった。

川又「どんなイメージだった?プロ野球というのは」
井端「正直ですか?。僕は通用するとは思ってなかったですし、入っただけで満足だったですよ、もう。レギュラーになろうなんてこれっぽっちも思ってなかったですし、まぁ1軍にちょこっと行けたらいいなっていう(苦笑)」
川又「自分はあまり通用しないと思った?」
井端「もう入ってきたときに、森章剛っていうのがいたんですよ、ショーゴー。高校から出てきてすぐに、室内でバッティング練習見たんですけど、『高校生でこれかよ!?』と思ったっすから(苦笑)。僕なんか内野の頭越さんかったっすから。だから、『こりゃあちょっと2、3年後、考えないかんな』と」
川又「結局入った年は、上には?」
井端「ちょこっとだけですよ。最後の9月に上がったぐらいですから(98年 18試合出場)」
佐藤「99年には1度も1軍に上がってないんですよね?」
井端「クビ考えましたよね。次の年、契約してもらったときに、『まぁ来年で終わりだな』と。このままだったら。だから『1年だから、もう野球やることないから、潰れるまでやろう』と思ったっすから。で休まなかったですよね。月曜日休みっつっても、球場行って練習してましたし」
佐藤「あの2000年のキャンプって、丸刈りにしてましたよね?。私はまぁある意味非常に親しみを感じて(※佐藤アナはスキンヘッドです)、話しかけたの覚えてますよ」
井端「はい。だから決意の表れですよね」
佐藤「『今年やって、絶対レギュラーになる』って言いましたよね、そんとき。2000年の春のキャンプ。それ覚えてます」

それでも、なかなかレギュラーになれなかった井端選手が、プロの世界で生きる道を見つけます。

佐藤「プロとして生き残るためには何が必要だと?」
井端「そんときドラゴンズはね、けっこう重量打線って言われて、どちらかというと小技できる選手がいなかったんで、そこにね、小技をしてもちょっと物足りないかなと思ったんで、さらにセコさを…小技プラス嫌らしさをと思って、何がっていったらやっぱ、ファウル打つのが1番いい」
川又「確かになぁ」

どんな難しいボールでも、しぶとくファウルで食らいつき、最後に相手を根負けさせる。今ではすっかり井端選手の代名詞となった神技・ファウル打ち。その知られざる誕生秘話。

井端「2年目ですかね、1軍1回も上がれなかったときに、何かこう、誰にもできないものをと思って、取り組んだのがファウル打ちっすか」
佐藤「ファウル打つこと」
井端「あのときは、フリーバッティングもファウル打つ練習したりとか」
佐藤「フリーバッティングでファウルを打つ練習」
井端「ちょうどあのとき2軍監督、仁村徹さんが、『ファウルならナンボでも打てるだろう、打とうと思えば』。あれがあったからね、ドラゴンズにいない選手になれたと思いますね」

佐藤「甲子園球場で、放送席の横にいるとね、良く言いますよ、阪神ファンが。井端さんがファウル打つとみんなね、『これやこれや、コイツこれやんねん、コイツこれすんねん嫌やわぁ』って言ってるんですよね。面白くてしょうがないの」
井端「甲子園では、当時やり始めたころはね、ヤジはひどかったですよ。『お前いい加減にせぇ!』と(佐藤笑)。だけど、最近だとねぇ、『うん分かった、お前うまいの分かったから、もうこんぐらいにしといてくれぇ』とか」
佐藤「(笑)そうそう」
井端「あんまりヤジは飛ばなくなったですよね、甲子園では。それはありがたいっていうか、やっと阪神ファンはね、多少認めてくれたっていう」
佐藤「あぁいいなぁ」


そして、井端選手のもうひとつの代名詞といえば、今や日本球界ナンバーワンショートと呼ばれる華麗な守備。どれだけチームを救ってくれたことか。

また何といっても、セカンド・荒木とのコンビで見せる、このスーパープレー(10月19日クライマックスシリーズでのコンビプレー)。まさに神技!。今年はクライマックスシリーズという大舞台でこのプレーをいとも簡単にやってのけ、ジャイアンツナインと大観衆をうならせました。

佐藤「あの東京ドームのときは、いけるっていう感じありました?。その打球が飛んだとき」
井端「そうすねぇ。逆に、あのときに荒木がピッチャー(バッター)だからってファーストに投げたら、怒ってましたけどね。やっぱああいう試合ですから、うちが乗るようなプレー、相手がダメージ食うような。あれは敢えてやっても良かったかなと思ったんで。ファーストへ投げてアウトになった瞬間に、3塁側は歓声だったんすけど、どちらかというと1塁側からはどよめきみたいな『おぉ〜』っていう感じだったんで、あれはたまらなくうれしいすよね。敵ながら喜んでくれたんで、ジャイアンツのファンにも、いいプレーして拍手もらえたっていうのはね、うれしいなぁと思いますしね」
佐藤「どよめきがしばらく収まらないんですよ、球場の。要は『いいもの見た〜』っていうどよめき」
川又「なかなか見れないもんね」
佐藤「そう、『きょうのチケット安い』と思えるプレーですよね」
井端「来年FAっすから、東京ドームであのプレー見せようかなと」
佐藤「ちょっと!」
川又「また爆弾発言」

川又「40(歳)近くなったときも、ショートっていうポジションにはこだわる?」
井端「う〜ん…こだわ…まぁこだわりますよ。生涯一捕手じゃないですけど、生涯一ショートで終わりたいなっていうのは、誰でも思ってるんじゃないですかねぇ」
川又「それもカッコイイね何かねぇ」
井端「言ってみただけですけど(ふたり笑)。まぁねぇ、最終的には自分が一番可愛いっすから(笑)。こっそりセカンドやってるかもしんないですし」
佐藤「ファーストやってもいいから長く(現役で)いようと」
井端「最終的にはもうしがみついてでも(笑)」


佐藤「年末スペシャルですから、ぜひ聞いときたいんですよ。2007年 井端のベストプレー
井端「うれしかったのは、やっぱりあの開幕してすぐか何かに、横浜戦だったんすけど…」

井端選手が選んだ、今年(2007年)のベストプレー。それは4月6日のベイスターズ戦。1点リードの6回、それまで力投を続けていたベイスターズのエース・三浦に、とどめのスリーランホームランを放ったこの場面。井端選手がこのプレーを選ぶのには、ある特別な思いがあった。

井端「ワンナウト1、3塁で立浪さんが代打に送られたんですよね。で3対2ぐらいで1点差で、まぁ何とか終盤に点取りたいというところで、立浪さんが三振したんすよね。僕もね、1点取ってなお2塁とか、1、2塁とか、想定してたんすけど、そこを(立浪が)三振してね、帰ってくるときに『頼む』と。僕ネクストだったんで。『頼む』って、相当悔しそうだったんで、『分かりました』って言って行ったんですけどね。そこでホームラン打って、あれ一番うれしかったですよね、うれしいのは」
川又「なかなか言えないよね」
井端「僕だったら言えないすよね、三振したことの悔しさで。それが先で、もうあとのバッターに『頼むぞ』っていう言葉なく、その打席の反省ばっかしてベンチに帰るんすけど、帰ってくるときにもう僕に向かってますから。そのときにわざわざ(ネクストサークルに)寄って、『頼むぞ』って言ってくれたんで。あのときに思ったんすね、『チームで戦ってんだな』と。自分がダメなら次のバッターって」


井端選手といえば決して忘れてはいけないのが、11月の北京オリンピック・アジア最終予選。井端選手も星野ジャパンのメンバーとして日の丸を背負いました。

井端「フィリピン戦すかね。キャッチャーからの送球に、サブローがファーストで牽制アウトになったんですよ。あのときに、それまで点数入ってたんですけど、途端に点入んなくなって、あのプレーだったんで、けっこうベンチの中に嫌な空気が流れたんですよ。ましてあのボスですから(苦笑)。シーンとしてる中、サブロー帰ってきたときに、僕監督の5メーター以内に入ってたんですよ。チラッと見たんですよ。そうしたら、顔色が真っ赤なんですよ。『久々にこれ怒ってんな〜』と思って、今までのドラゴンズ(の星野監督)だったら『サブロー間違いなく怒られるな』と。川又さん経験あると思うんですけど。そしたらサブローも何気にね、申し訳なさそうに帰ってくるならいいんすけど、何かスーッと帰ってきたんですよ。『ウーワこれ殺される!!』と思って(川又笑)。そうしたら、サブローがスーッと入って、裏行って、で僕の隣にスッと来たんですよ。『ボク殺されますかねぇ?』って。そしたら『いや〜ドラゴンズだったら殺されるぞ』と。『昔だったら間違いなく殺されとるぞ』と。けっこう僕ら以外の方が、監督にね、ビビってたっていうか」
川又「かなり意識してるよなぁ」


そして、来年の抱負をビシーッと書いてくれました。

佐藤「2008年、井端弘和の目標、どうぞ!」
井端「福留の穴を少し埋める
佐藤「少しというのは?」
井端「多少僕もホームラン増やして、率も上げて、打点も挙げる。それでいいんじゃないかなと思いますけど。で、ほかの選手も、そんぐらいの気持ちで上げていけば、あんな素晴らしい選手出しちゃったわけですから」
佐藤「みんなが、今持っている力を少しずつアップさせていって、で全体的なチームの力を上げて、福留選手の穴を埋めようと。今の色紙がほしいという方はぜひですね、スポーツスタジアムまでハガキでご応募ください。この色紙と何をセットにして、何かプレゼントを…」
井端「そうですねぇ、えーと…(とおもむろに熊力を。一同爆)」
佐藤「井端選手直筆のサイン色紙、そして井端選手ご愛飲の熊の力!」
井端「これもサインしときます(笑)」


モコ感想:いや〜面白すぎますわ!。自宅だから余計に気が大きくなってしまったのでしょうか(苦笑)、ちょっとしゃべり過ぎな気もしましたね(^^;。

『熊力』(笑)や『ヘルストロン』、畳の寝床といった健康グッズに囲まれていましたねぇ。やはりあの鉄の体は、全くの無頓着では造り上げられないということなんですね。

ところでプロでは通用しないと思っていたというのは少し驚きましたね。井端がルーキーのとき、7月ごろだったでしょうか、井端見たさにナゴヤ球場のウェスタンのゲーム(ブルーウェーブ戦)を観に行ったことがありました。レコードブックを開いてみたら98年7月12日のゲームだったようです。井端は2番に入り3打数2安打(二塁打1)。そのとき僕はある種の確信を覚えたのですが、井端本人はそのとき、まだプロでやっていける手応えをつかむには至ってなかったんですね。ちなみにこのゲーム、8番セカンドで荒木雅博が出ていて、このときすでにウェスタンではアライバが形成されていたんですねぇ(^^)。森野将彦も6番サードと、今にして思えば豪華ラインナップだったんですね。

今季も熊の力でバッチリ活躍してほしいですね!(笑)。
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