「失礼ですが、天下に名高いアークの社長があなたのような若造、失敬」
 わざと言い間違えたに違いないのだが、坊主頭は言葉だけは慇懃に言い換えた。
「お若い方だとは迂闊にも知りませんでした」
 態度も物言いもいっそう丁重にはなったものの、男の瞳には拓人をこの場で射殺しかねないほどの物騒な光がある。
「私の親父が十年前にR航空の飛行機事故で亡くなりましてね、当時、高校生だった私が名義だけは社長職を受け継いだのです」
「なるほど、当時、あの事故は世間を賑わせましたからな。そうですか、あの痛ましい事故で先代が亡くなられたとは」
 坊主頭が立ちあがった。
「アークの社長が肩代わりを申し出て下さるのなら、間違いはないでしょう。今日のところはこれで失礼します」
 行くぞ、と、小男に声をかけて去っていく。小男はまだ愛奈の方をちらちらと未練がましい眼で見て、坊主頭にこづかれていた。
 パタンとドアが閉まると同時に、愛奈はこれまで張りつめていたものがプツンと音を立てて切れたようだった。身体がふらつき倒れそうになったところを拓人が支えてくれる。
「大丈夫か?」
「拓人さん」
 愛奈は大好きな従兄の腕に抱かれて、甘えるように頬を預けた。従兄の背広から漂っているのは爽やかな柑橘系のコロンの香り、いつも拓人が好んで身につけているのを知っている。 
「大好きよ。拓人さんはいつも私が困っていたら、助けにきてくれるんだもの。まるで白馬の王子さまみたい」
「俺が王子さま?」
 拓人は笑いを含んだ声で言う。
 うんと無邪気に頷く愛奈の髪をくしゃりと撫で、拓人はからかうように続けた。
「じゃあ、さしずめ愛奈は姫なのか? 姫は王子さまに助けられて、王子の花嫁になるんだぞ」
「あら、拓人さんは私のお兄さまだもの。兄と妹は結婚できないのよ」
「兄妹(きようだい)じゃない、俺たちは従兄妹(いとこ)だろ」
「そんなことはどうでも良いの。兄王子は妹姫に本当に運命の王子さまが現れるまでずっと見守ってくれるのでしょ」
「随分と都合の良い解釈だな」
 拓人は笑いながら愛奈を抱く腕に力をこめる。
「万が一、そんな男が現れても、俺はお前を渡してなんかやらないからな」
 その時、愛奈は大好きな従兄のその言葉がまさか冗談どころではなかったことをまだ知らずにいた。ある意味、サラ金会社の男たちに付いていった方が幸せだったということすらも。彼女の運命の鍵を新たに握ったのは気高く麗しい天使の仮面を付けた悪魔だった―。

 安浦愛奈、十七歳。公立N高校普通科の三年生で、別段、目立つような女の子ではない。ただ物心ついたときから、二重のはっきりとした黒い瞳が愛らしいと言われることは多かった。顔立ちは世間でいう可愛いの部類には入るだろう。かといって人眼を引く美人ではけしてない。
 愛奈の父安浦禎三(ていぞう)と拓人の父平城俊介は血の繋がった兄弟である。禎三は大学卒業後、見合いでアークコーポレーション傘下の中小企業であるY&A企画の社長令嬢と結婚、婿養子に入って安浦姓を名乗るようになった。Y&A企画は広告代理店で、禎三の代になってからも経営状態は安定していた。
 しかし、数年前に請け負ったテレビCMの仕事が見事に失敗してしまった。有名化粧品メーカーの春に売り出される新色口紅のコマーシャルに出演するはずの女優がドタキャンしてしまったのである。
 ギャラの問題で大揉めに揉めて降板、急遽代理を立てたものの、今度は化粧品メーカーの方が気に入らず、この話は暗礁に乗り上げた。結局、間に入ったY&A企画が大損をすることになってしまった。
 その頃から何もかもがうまくいかなくなった。父は懸命に赤字を埋めようとしたものの、やることなすことすべてが裏目に出た。やがて最初はほんの少しだった負債は見る間に膨れ上がり、返済の目処さえつかなくなった。禎三が首を吊って変わり果てた姿となって山中で発見されたのは、つい一週間ほど前のことだ。
 今日はその初七日だった。物言わぬ骸となった父と病院の霊安室で対面した後、葬儀を何とか済ませられたのもすべては拓人が側で支えてくれたからだ。高校生の愛奈はただ黙って座っていれば良かった。拓人がすべて采配をふるってくれたからこそ、初七日を無事に迎えられたのだ。
 愛奈は今日は高校を早退して、そのまま菩提寺に行って読経をあげて貰って自宅に帰ってきたのだ。拓人は一緒にいてやりたいが、仕事が忙しくて、どうしても抜けられないのだと事前にメールが届いていた。
 帰宅早々、お手伝いの美代子さんが慌てて出迎えたのである。
―お嬢さま、どういたしましょう。
 聞けば、あの二人組が押しかけてきて応接間に居座っているとのことだった。
 しかし、愛奈自身、いつかこんな日が来ることは覚悟していた。既に父が多額の負債を残していることも知っていたし、サラ金業者がこの日に自宅に来るとの連絡も入っていた。
 もちろん、葬儀の直後、言いにくそうな様子で父の秘書から負債の件を告げられたときは愕いたし、父を恨みもしたけれど、今更、あがいたところで何になるだろう。大好きだった母を突然の事故で失った小学一年生のときから、愛奈は諦めるということを知った。
 人生には時には幾ら懇願しても叶えられない望みがあるのだと。
 あの日、母は入学したばかりの愛奈が忘れていった筆箱を学校まで届けにきてくれた。母が事故にあったのはその帰り道だった。トラック運転手の居眠り運転で横断歩道を歩いて渡っていた母は撥ねられた。即死だった。
 救急車で搬送された病院で次第に冷たくなる母に取り縋って泣きながら、もし、この世に神さまがいるなら、どうかママを連れていかないでと懸命に祈ったのに、ママは死んだ。
―あたしが忘れものさえしなきゃ、ママは事故に遭うこともなかったんだ。
 その想いは今も愛奈の心から消えたことはない。
 お給料も払えないから、大勢いた使用人もどんどん辞めていって、今では長年勤めてくれた美代子さんが一人だけ。美代子さんは愛奈が生まれる頃から、ここで働いている。今はもう五十歳は過ぎているだろう。母が突如としていなくなってからは、美代子さんの存在は愛奈にとっては心強かった。
 いずれはこの屋敷も手放し、出ていかなければならないことは判っていた。父親の残した借金を娘の自分が払うのは仕方のないことだと理解はしていたけれど、まさか、この身体で払えと言われるのは想像だにしていなかった。

  女性・ヌード②ブログ
 女性・ヌード②ブログ