じゃのみちはやぶへび

♪お気楽ジャニーズファンのエンターテイメント日記♪


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演劇

[演劇]「コースト・オブ・ユートピア〜ユートピアの岸へ」

「コースト・オブ・ユートピア〜ユートピアの岸へ」(シアターコクーン)

第1部「船出」9/15
第2部「難破」9/16 
第3部「漂着」9/17の予定だったが欠席

作:トム・ストッパート 翻訳:広田敦郎 演出:蜷川幸雄
美術:中越司 照明:室伏生大 衣装:小峰リリー 音楽:朝比奈尚行 衣装;小峰リリー 振り付け:広崎うらん

出演:阿部寛、勝村政信、池内博之、別所哲也、長谷川博己、紺野まひる、京野ことみ、美波、高橋真唯、佐藤江梨子、水野美紀、栗山千明、とよた真帆、大森博史、松尾敏伸、大石継太、横田栄司、銀粉蝶、毬谷友子、瑳川哲朗、麻実れい 他

よくもまあ、こんなに馴染みにくい世界を描いた9時間もの大作をやろうと思ったなあと、まずはそこに敬意を表したい。

19世紀のロシアがメインだが、2部の場所はパリだったし、ロシアだけでなく19世のヨーロッパの歴史と文学についての予備知識がないとわかりにくいと思うが、それでも1部と2部を見ただけでも引きつけられるものがあり、そこが蜷川さんの演出のすごいところだと思った。もちろん、そこには体と声を通してその世界を伝える役者の存在があるわけで、これぞ演劇の醍醐味。

そして、私は肝心の第3部を見られなかったので、この物語、この舞台の到達点を判断できないのがとても残念だ。

このところの蜷川さんは、大きな変革を志して成し遂げられなかった人、また歴史が大きく変わる中で、その歴史に関わろうとする一人一人の人間がどう生きたかを描こうとする作品が多いように思う。この舞台もそういう1本だろう。

1部はおもしろい作りになっていた。1幕では、バクーニン家においていろいろなできことが起こるが、時間が飛んでいて、その飛んだ時間の間に起こった事については詳しい説明がなく、家族の会話の中で断片的に語られるだけだ。1幕の最後の方で、贔屓の長谷川くん演ずるスタンケーヴィチは病気で死んでしまうので、2幕に出ないのは寂しいと思ったら、2幕は、1幕と同じ時間の別の場所で起こった出来事を描いている。だから、1幕でわからなかった事件が具体的に目の前で演じられる。そこで「なるほど〜」と思う訳だ。だから、1幕で死んでしまったスタンケーヴィチもまた登場したので嬉しかった。

見た日の日記にも書いた通り、長谷川くん演ずるスタンケーヴィチはバクーニン家の娘たちに「まるでエフゲニー・オネーギンのよう」と憧れの眼差しで語られるのだが、まさにそのとおりで、すごい素敵だった。恋仲になる紺野まひると二人のシーンは二人とも舞い上がった感じがすごくよかったし、ピアノを弾くシーンは見ているだけでドキドキした。ピアノ側の席だったので、手が見えたのだが手が綺麗だったなあ。1部では美波ちゃんもとてもよかったなあ。2部には出ていなくて3部には出ていたはずなので、3部の美波ちゃんも見たかった。

私が見た1部、2部でがんばっていたのは池内くん。阿部ちゃんとかよりも台詞が多かったんじゃないかな。実は池内くん演じた文芸評論家のベリンスキーが1部、2部ではすごい重要な役だったのだ。観客が一番感情移入しやすいのは彼じゃないかなあ。

私はこの舞台を観るまで、ベリンスキーについてはよく知らなかったのだが、この後でたまたま読んだ光文社古典新訳文庫のゴーゴリの「鼻/外套/査察官」のあとがきに、何度も名前が出て来てびっくりした。1842年に出版されたゴーゴリの「死せる魂」について、知識人たちが「農奴制を告発したすぐれた実写主義小説である」と絶賛し、ベリンスキーやゲルtェンが高く評価したという。とうのゴーゴリはその扱いに「おそれをなして」ローマに逃げてしまったし、このあとがきによると、そもそもゴーゴリには体勢批判というつもりはなかったらしい。(余談だが、この新訳、落語調の口調が物語にあっていて、すごい笑える。)

2部は普通に時系列に物語が進む。2部は1848年の2月革命の頃の話だが、それに関わる話というより、2組の夫婦に起こる不倫関係をメインとする人間ドラマがメイン。そこでは、ゲリツェンの妻・ナタリーがすごく重要で難しい役所。今時の一般的な感覚ではナタリーの「愛」は理解しがたいので。ナタリー役の水野美紀の芝居からは、ナタリーの気持の本質的なところは理解できなかったなあ。

とにかく、最後まで観たかった。潤くんは1日で全部見たというから、感想をきいてみたいなあ。私もそういうコースにした方がよかったかもしれない。WOWOWあたりで放送してくれることを期待しよう。

[演劇]「見知らぬ乗客」

「見知らぬ乗客」(東京グローブ座)(7/21ソワレ、7/23ソワレ)

原作:パトリシア・ハイスミス 作:クレイグ・ワーナー 演出:ロバート・アラン・アッカーマン 衣装:ドナ・グラダーナ 
翻訳:広田敦郎 美術:今村力 照明:沢田祐二 音響:高橋巖 映像:荒川ヒロキ ヘアメイク:鎌田直樹、野村博史 

出演:二宮和也、内田滋、秋吉久美子、パク・ソヒ、宮光真理子、巌大介、岡田あがさ、岡田さやか、川辺邦弘、倉本朋幸、深貝大輔

観た日の日記に書いた通り、とにかく見られてよかった。そして見られなかった人のために、絶対にDVD化すべきである。

映画も見たし、原作も読んだが、ヒッチコックの映画は原作とはかなり違うので、今回の舞台との関係を考える必要はないだろう。原作の小説との比較で言うと、まずは、よくもこれだけ場所がどんどん変わっていく小説を舞台にしたなあと、最初に戯曲にしたクレイグ・ワーナーの手腕にすごく感心した。その上、今回の舞台にあたり、アッカーマン自らの手で役者のカラーや時代を考慮してアレンジしたそうだ。舞台の方が収斂されているし、おそらく戯曲を読むだけでも濃密になっていると想像できる。

それだけでなく、今回の舞台は、場面転換の多い物語をまったく緩ませずに見せるアッカーマンの演出と、役者の力によって、さらに濃密に、さらに深くブルーノとガイの想いが伝わって来る舞台になっていると思う。

今まで経験した事のないお稽古方法に最初は戸惑ったけど、人物を掘り下げ、初めて役作りをしたと言っていたニノちゃん。ニノちゃんがそういう経験ができたことがすごくよかったし、そういう演出家と作品で、チケット争奪戦を覚悟で、グローブ座でこの舞台をやってくれて本当によかったと思う。すべての関係者に大きな感謝を。

そしてニノちゃんはやっぱりすごかった。基本的にはいつもどおりのニノちゃんなのに、舞台にいるのはブルーノで、ブルーノのいろんな想いがのキリキリと切なかった。私はニノちゃんのこういう芝居が見たかった。ブルーノと四つに組んでるガイを演じている内田滋くんもがんばっていたからこそ濃密な舞台として見る事ができた。滋くんもありがとう。毎日あれだけ追いつめられたら、ぐったり疲れるはずだ。

ネタばれの感想を「続きを読む」に。小説、映画、舞台すべてのネタバレの内容も書いているのでかなり長いです。

・8/4に少し修正しました。 続きを読む

[演劇]「大人パルコ人 メガロックオペラR2C2〜サイボーグなのでバンド辞めます!〜」

「大人パルコ人 メガロックオペラR2C2〜サイボーグなのでバンド辞めます!〜」(パルコ劇場)(5/13)

作・演出:宮藤官九郎 美術:小泉博康 照明:吉川ひろ子 衣装:伊賀大介 振付け:八反田リコ 映像:上田大樹 音楽:富澤タク 
出演:阿部サダヲ、森山未來、三宅弘城、皆川猿時、近藤公園、平岩紙、宮藤官九郎、片桐はいり、松田龍平

この公演、「大人計画」ではなく「大人パルコ人」だった。

すごい楽しくて、カッコよかった!

物語の設定は2044年、東京・渋谷。政府はロックを禁止する一方、戦場で戦意を高揚させるサイボーグ「R2C2」を開発し、戦場に送ろうとしていた。30年前のロックスターとそのバンド、2044年現在におけるその子どもたちの世代が交錯し、ロックを、音楽を、そして愛を奏でる。とにかくおもしろくて、楽しくて、細かいところがよくできていて、そして少し切なかった。一歩間違えば陳腐にもなりかねない話なのに、陳腐にならないのはテレがあるからかなあ。

全体にクドカンらしい小ネタ満載で笑い疲れるくらい笑った。「蜉蝣峠」はあまり笑えないのに、今回はすごい笑ったのはなぜだろう。同じクドカン脚本なのに。

基本的にバンドもやっているメンツだから、もちろん歌も演奏も自分たちでやっていて、その音楽がすごく楽しい。考えてみれば、「上海バンスキング」の進化形なんだなあ。

森山未来くんの歌とダンス、そして芝居もうまいこと!当然、ものすごい身体能力なので、ダンス以外でもすごいアクションや動きを見せるので思わず「すごい」と言ってしまったくらい。松田龍平くんがサイボーグR2C2役で、サイボーグらしい変な動きがすごいハマっていた。

そしてこの作品は、まさに「ロック」とはなんぞや、というお話だ。ロックに疎い私でも思い出すのはやっぱり清志郎。パンフの挨拶でロックスターと言われて思い出すのは「日本人なら忌野清志郎さんですね。」とクドカンが書いているし、ロックスター役のサダヲちゃんは体系的にもイメージとして清志郎を彷彿させる。描かれる内容がまさに清志郎がやってきたことへのリスペクトを表現したようなものだから、このタイミングでのこの作品の上演はまるで追悼のようになってしまった。まさかそんなことになるとは夢にも思わなかっただろうに。

この作品では、音楽が人間にとって大切なものであることや、音楽が統制されてしまうことの怖さとかを感じるが、その事を声高には言わない。そして、それはまったくタイプは違うけど「きらめく星座」と共通するテーマだ。全然違う表現方法だからおもしろい。

とにかくおもしろかった!!

ネタバレの細かい事を「続きを読む」に。
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[演劇]「きらめく星座」

「きらめく星座」(銀河劇場)(5/17マチネ)

作:井上ひさし 演出:栗山民也 音楽:宇野誠一郎 振付:謝珠栄 美術:石井強司 照明:服部基 衣裳:中村洋一 

出演:愛華みれ、阿部 力、前田亜季、久保酎吉、八十田勇一、後藤浩明、相島一之、木場勝己、古川龍太、阿川雄輔

ホリプロのサイトには「不朽の名作」を描いてあるが、まさにその通り。涙がでるほど笑って、すごく楽しくて、ジーンと来て、そして見終わったあと、大切な重いものが残る。前にも書いたが、私が演劇を大好きになったきっかけとなった作品で、初演を観た時とほぼ同じ感動を、24年後にまた味わう事ができて幸せだ。

昭和15年からの太平洋戦争が始まるちょっと前の1年間、浅草にあるオデオン堂というあるレコード店を舞台にした物語。レコード店の家族や下宿人におこる様々な事を描いている。ほんとうにいろんな事があって、「非国民の家」になったり「美談の家に」なったり。冷静に考えるととても笑えないような状況も多いのだが、そういうシーンが逆にものすごく笑えるようになっていて、井上ひさしの面目躍如。また、レコード店の家族はとても音楽好きなので、何かと言うとすぐに歌い出すのがすごく楽しい。下宿人にピアノ弾きがいて、ピアノは生演奏だからなおさら楽しい。人間が生きることにとって音楽がどれほど大切かということも大きなテーマの一つかな。

伝わって来ること、感じる事はたくさんあるのだが、それがまったく理屈っぽくなく、押し付けがましくもない。とにかく楽しい。

ちょっと心配していたトントンは台詞はもうちょいだけど、動きがいいし、歌が意外とうまくてこの役にばっちり。病気から復活した愛華みれはさすがに宝塚のスター。今回、出演できてほんとうによかった。他の役者さんたちもみんな達者。安心して楽しめる。

どこがどうという詳細はあえて書きたくないくらい、とにかく多くの人に見て欲しい舞台。当日券もあるそうなので、是非是非どうぞ。

以下、作品そのものとは直接関係のない余談。

初演時のパンフがあるので、今回のパンフと比べてみたら、初演の演出は井上ひさし本人、美術、証明、振付け、音楽は初演のまま。両方のパンフに写真があるので比べてみると、みなさん24年分老けてるかなあ。初演のキャストはこちら。今回、トントンがやっている役は橋本功、相島さんの役は名古屋章だったので、今回の方が役の年齢に近いかな。

今回のパンフの後ろに、井上ひさしと堀プロ顧問の堀威夫氏との対談がのっている。二人とも子どもの頃、戦争を経験している。堀氏は軍国少年だったので、戦争が終わってなかったら特攻にでもいって16歳で死んでいただろうと。それが戦後、進駐軍の影響で音楽をやるようになり、今に至っているからおもしろい。井上ひさしは、レコードも扱っている雑貨屋の息子だったが、戦争が進むにつれて店の米英音楽のレコードを町の有力者に割られてしまったのだそうだ。だから、この舞台でのレコード店の辛苦は実体験ということになる。

初演時と今回のパンフの大きな違いは、初演時のパンフには当時の時代背景の解説がまったくなかったことだ。今回は、親切な説明が数ページある。24年前なら、戦争中の事について説明しなくてもわかる人が多かったが、今はそれが必要ということかもしれない。

今回のパンフの出演者の紹介ページでは、それぞれがこの作品についての想いを語っている。たとえばトントンは祖父が中国人、祖母が日本人で、戦争中の満州で結婚したそうだ。そしてお母さんが生まれ、その後、トントンに続いているという思い。八十田さんは、おじいさんが戦争中に中国で商売をやっていて銃口をつきつけられたときに中国人に助けられたとか、相島さんの父親は軍隊で、上官に殴られて片耳が聞こえなくなっていたけど、その話は全然しなくて、楽しい話しかしなかったなんて話をしている。

井上ひさしや堀氏のようなリアルな戦争体験はあと10年もしたら語れる人は激減するだろうし、相島さんや八十田さんのように間接的な話も聞けなくなる。だからこそ今、楽しく見られるこういう舞台が必要だと思うし、多くの人にぜひ見てほしい。

[演劇]「パイパー」

「パイパー」(シアターコクーン)(1/14マチネ、2/25ソワレ)

作・演出:野田秀樹  美術:堀尾幸男  照明」小川幾雄  衣装:ひびのこずえ  選曲・効果:高都幸男  振付け:近藤良平  映像:奥秀太郎  ヘアメイク:宮森隆之

出演:松たか子、宮沢りえ、橋爪功、大倉孝二、北村有起哉、田中哲司、小松和重、佐藤江梨子、コンドルズ、野田秀樹、その他

野田作品は1回の観劇で自分が理解できると思えないので、今回も最初の方と最後の方の2回観劇。1回目が1列目の下手より、2回目は3列目のど真ん中。近すぎて全体はよく見えなかったが、2回とも役者の表情がよく見えたし、特に2回目はラスト近くの二人の女優の台詞の迫力に圧倒された。

一番印象的だったのが、とにかく二人のこのシーン。二人のやりとりは普通の会話にはなっていない。見えるものを言葉にして羅列するだけなのだが、それは戦場の様子を表す言葉たち。戦場というより無差別爆撃とか空襲の直後の風景。二人が状況を説明するフレーズを交代で語り続けると、その悲惨な状況が目に浮かんで来る。私が観た時はちょうどイスラエルによるガザ地区の爆撃のニュースが流れていた頃だったので、私の頭にはその映像が浮かんだ。それはまさに戯曲と役者の「言葉の力」。演劇の醍醐味。

他の役者もみんな魅力的だったし、コンドルズが演ずる「パイパー」たちがリアルに怖かったことも印象的。それも生の舞台ならではの感覚。

1回目は「パイパー」をめぐるメインの物語が少し「薄い」かなと感じた部分もあったのだが、2回目は役者の伝える力が強くなっていたせいか、「薄い」と感じることもなく、また、いつもどおり野田のいろいろな想いも強く感じた。野田が伝えたい事は一つじゃない。

以下、長くなるので「続きを読む」に。
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[演劇]「ムサシ」

●「ムサシ」(彩の国さいたま芸術劇場)(4/12ソワレ)

作:井上ひさし (吉川英治『宮本武蔵』より)、演出:蜷川幸雄、音楽:宮川彬良、美術:中越 司、照明:勝柴次朗、音響:井上正弘、衣裳:小峰リリー、かつら:奥松かつら、殺陣:國井正廣
出演:藤原竜也、小栗旬、鈴木杏、辻萬長、吉田鋼太郎、白石加代子、大石継太、他

井上ひさしらしいバカバカしい展開が随所にあって、蜷川さんの演出で、それをよりおもしろく見せていて、かなり笑えたし、基本的には楽しかった。そして井上ひさしの書く台詞はやはり美しい。「天保十二年のシェイクスピア」の時に感じた間延び感がなかったのは歌がなかったからかなあ。宮川彬良の音楽もポップでよかったかな。

でも、普段見ている「こまつ座」の作品は、★5つを満点としたら毎回5つといっても過言ではないのだが、それに比べると今回、★は3つくらいかなあ。戯曲がマイナス1、主演の二人がマイナス1。

まず書きやすい方で、キャストについて。こまつ座の舞台ではヘタな人がいなくて、いつも、井上ひさしが書いた言葉がそのまま胸にストンと入って来る。今回の主役の二人の台詞には力が入りすぎているのか、単純に聴き取りにくいし、井上ひさしの台詞と声が合ってないように感じた。

その点、若手では杏ちゃんだけはとてもよかった。杏ちゃんはとても大事な台詞を言うのだが、それが井上ひさしの強い想いとしてちゃんと伝わって来た。白石加代子は相変わらずすごかったし、萬長さん、鋼太郎さんも安心して見ていられるし、ベテラン勢は何よりも言葉が伝わる。ベテランの方々、能の動きがなにげに美しいのがさすが。

戯曲の方。今回、井上ひさしは宮本武蔵という人物と「戦わない」というメッセージを絡めて描きたかったことはよくわかる。でも「戦わない」というメッセージの伝え方にひねりがなくておもしろ味がなかった。「円生と志ん生」では「火焔太鼓」に出て来るばかばかしい品物と戦争で死んでしまった人々が残したものを同列に並べることで、戦争で死んでしまった人の思いや無念を強烈に伝えて来て、この飛躍にびっくりした。でも、今回は武蔵と小次郎の戦う生き方を否定するほど、説得力を感じなかった。

もう一つ、「ムサシ」というタイトルの割りには、武蔵と小次郎がそこに至るまでどれほど人を殺して来たかということが描かれていないので、二人以外の人物たちの想いが引き立たないのかなあ。私は吉川英治の小説を読んでいて、武蔵がどれほどたくさんの戦いで、しかもけっこう卑怯な手を使って勝って来たかを知っているので、武蔵と小次郎の二人のやりとりで語られる過去の事の言葉の端々でわかるが、そうでないと武蔵が背負っているものはわからないんじゃないかなあ。

ただ、パンフの蜷川さんの言葉を読んで、今回の舞台で井上ひさしが伝えたい事をどういう形にするかという点で、かなり苦労したことがよくわかった。そして、直接的でなく表現するのは難しいんだろうなあ。

もし、主役の二人がもっと上手だったり、演出が違っていたら、伝わり方も違うのかもしれないと、今、思った。

藤原くんや小栗くんみたさでこの舞台で初めて井上ひさし作品を見て、井上ひさしってこんなもんか、って思った方、「こまつ座」の舞台をぜひ。5月の「きらめく星座」は、私が20年以上前の学生時代に見て、演劇というものに魅せられるきっかけとなった1本。

この「ムサシ」、こまつ座で再演することはあるんだろうか?再演時に役者が変わる事はよくあるけど、演出はどうなるんだろうなあ。

内容に関わる感想を「続きを読む」に。 続きを読む

[演劇]「蜉蝣峠」

●「蜉蝣峠」(赤坂ACTシアター)(4/8ソワレ)
作:宮藤官九郎 演出:いのうえひでのり 美術:堀尾幸雄 照明:原田保 衣装:緒方規矩子  音楽:岡崎司  振付け:川崎悦子 

出演:古田新太、堤 真一、高岡早紀、勝地 涼、木村 了、梶原 善、粟根まこと、高田聖子、橋本じゅん、右近健一、逆木圭一郎、河野まさと、村木よし子、インディ高橋、山本カナコ、他

久々に劇団☆新感線らしい舞台を観た感じ。この「らしい」というのは、演出やギャグがすごいらしかった。その「らしい」ギャグが必ずしも私の好みではないので全面的にすごいおもしろかったというわけではないのだが、そのギャグもところどころツボにはまったりする。

作品として「めちゃくちゃよかった」という感じではないが、役者が達者なので見ていて楽しかった。堤真一は立ってるだけでかっこいいし、立ち回りなんてまさに惚れ惚れ。歌舞伎役者以外では一番かっこいい立ち回りをするんじゃないかなあ。古田新太もあの体型でよくもあれだけ動けるもんだ。高岡早紀は美人なだけでなく動きが綺麗なのがいいんだよなあ。メインの役は基本的に立ってるだけで色っぽい感じがあるのだが、もう一つの役の時は一瞬でキリリと見えるからすごい。勝地くんも相変わらず台詞も動きもよくてハマり役。なんでもできるなあ。木村くんもチャーミング。

客演の役者には新感線の役者にはない華がある。新感線の役者もみんな濃くて存在感はあるのだが。

ギャグとシリアスをいったりきたりする舞台の中で、急にシリアスになった時にすごい説得力があるのが聖子姐さん。さすがは看板女優だ。

古田新太は動きがいいのはもちろんなのだが、それだけでなく、彼が演ずる闇太郎はなんだかとても悲しくて切なかった。そこが今回の舞台で、いのうえひでのりとくんくが見せたかった古田新太なのかな。

[演劇]「淫乱斎英泉」

「淫乱斎英泉」(あうるすぽっと)(4/5マチネ)

作:矢代静一 演出:鈴木裕美 音楽:藤岡孝章 照明:中川隆一 美術:横田あつみ 衣装:中村洋一 
出演:浅野和之、田中美里、木下政治、高橋由美子、山路和弘、矢代朝子

裕美さんが演出の舞台を観て、泣かなかったのは久しぶり。でも鳥肌がたった瞬間があった。

幕末の激動の時代、浅野さん演ずる高野長英と山路さん演ずる浮世絵師・渓斎英泉の生きざまを描いた作品。その二人の間には英泉の腹違いの妹・お峰(田中美里)も大きく関わる。作品のタイトル「淫乱斎英泉」というのは英泉が春画を書くときの雅号。英泉は美人画も描いたが、それはとりすました美人ではなく、生々しく人間くさい女だ。風景画にも人間が生き生きと描かれているところが広重の風景画と大きく違う。

パンフレットはちょっと変わっていて、縦長の絵はがきのようなサイズのバラバラの紙が黒い封筒に入っている。そのパンフの紙の片面は英泉の美人画がそのまま描かれているので英泉がどういう絵を描いたかがわかる。

矢代静一の浮世絵師三部作「写楽孝」「北斎漫画」「淫乱斎英泉」のうちの1作がこれ。「写楽孝」は堤真一主演、鈴木勝秀の演出で見ていて、それは正直、登場人物の気持ちが変化する理由が掴めずおもしろくなかったのだが、それは演出のせいだったのかな。

今日の舞台は基本的にはそんなこともなく、長い台詞にのせて言葉として発せられる人物の想いと、その言葉とは裏腹の本心の両方がズキズキと伝わって来た。

中でも山路さんがすごかった。私は人の顔をわりと覚えている方なのに、山路さんは見るたびにあまりに印象が違い、他の舞台で見た事を思い出せない。「屋上庭園/動員挿話」と「宝塚BOYS」で見ているのにわからない。宝塚BOYSではダンディな姿を見せていた山路さん、英泉として登場した姿は、粋で色気があって、いかにも春画を描く浮世絵師に見えた。春画に限らず、パンフで見られる絵のように女たちを生々しくを描きそうなギラギラとした生臭さがあった。鳥肌がたったのは、この山路さんの芝居なのだが、それは「続きを読む」に。

浅野さんもいろんな役をやるのに、浅野さんってわかるのはなぜかなあ。相変わらず体の動きが軽くて、それが長英の人間の幅を表現するのに役立っている。

最新の「シアターガイド」では山路さんと浅野さんの対談が、あうるすぽっとのHPには裕美さんと浅野さんの対談があって、この作品について語っている。裕美さんと浅野さんの対談はこちら

今回は、それを読んでから舞台を見たので、それぞれの対談で語っていたことを「なるほど」と思いながら見た。そこで語られていた演出家や作者の意図を「なるほど」と思えたのは、役者が演出家の要求に応えたレベルの表現をしているからなんだろうなあ。正直、長英も英泉も単純に共感できるような人間ではないのに、その二人が舞台の上で、生きる事にもがいて闘っている様を切なく感じた。いい役者さんってすごいなあ。

それから、音楽が映画「アンダーグラウンド」の曲にちょっと似ていて、猥雑な感じが英泉の絵のイメージや幕末の雰囲気にすごく合っていた。


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[演劇]「コール」

「コール」(東京グローブ座)(2/14マチネ 2/15マチネ)

映画「フォーン・ブース」脚本:ラリー・コーエン 日本語版脚本:橋本 博行・鈴木智尋(新宿ミサイル) 演出:大木 綾子(フジテレビ ドラマ制作センター)
出演:小山慶一郎、野波麻帆、井村空美、森一馬、宮崎吐夢、草刈正雄、他

グローブ座のHPに載っているこの作品の紹介は以下の通り。

「電話ボックスの中だけで展開する映画ができないか?
 そんな大胆な発想から生まれた映画「フォーン・ブース」。
 ニューヨークの街角の電話ボックスの中で脅され続ける男の恐怖を描いた本作は、
 シンプルなプロットの中に様々な要素を注ぎ込んだ濃密な脚本から生み出された、
 心理アクションともいうべきドラマチックで力強いストーリーが支持され、
 2003年公開以来、カルト的人気を誇る映画の一つです。

 全米を震撼させたラリー・コーヘンの原案を大胆に脚色し、舞台化した「コール」。
 ニューヨークの街角―ブロードウェイの賑いは
 「新宿・歌舞伎町の雑踏」に置き換えられ、
 本当の「リアルタイム=ノンストップ・サスペンス」として舞台に甦ります。」

これを読んで、人間を描くとかはおいておいても、少なくとも、リアルタイムの恐怖や緊張感は劇場全体で感じられるのではないかと予想していたのだが、それがまったく感じられなかった。原作となった映画は90分くらいだが、舞台は約120分になっている。映像を舞台でどう表現するかというところがうまくないので、全体が長くなり、スピード感も緊張感もなくなってしまったのだろう。

主人公はすごいチャラ男。小山くんのチャラ男ぶりがすごいハマっていて見事。口八丁手八丁で仕事をやり、気に入らない事があるとすぐに相手に「死んでくんないかな」とか「おまえこそ死ね」とか、すごいイヤな感じのヤツで、見ているだけで不快になるほどハマっている。声もしっかり出ているし、いかにもチャラ男っぽい喋り方でも台詞がしっかり聞こえる。動きもキレイ。だから、チャラ男をやってる前半は「小山くん、上手じゃん」と思って見ていた。

それが最後の方の長台詞はうまくないのだ。ただねえ、それは小山くんだけの問題ではなく、脚本が悪いというのも大きいのではないかと思う。「え?そこでその言葉?」とつっこみたくなるような台詞なので、そりゃ、自然には言えないよなあと思う。

演劇というのは、必ずしもリアルなセットや衣装が必要なわけではなく、観客の想像力にゆだねることもできるが、逆に、中途半端にリアルだと想像力をうまく働かせることができないことがよくわかった。詳細は「続きを読む」に。

ジャニーズが製作する舞台は、値段は変わらないのに、スタッフ、共演者のレベルに差がありすぎる。坂本くん出演のハイレベルなミュージカルが12000円で小山くんが前に出た「HSM」と1000円しか違わないとか、今回の小山くんの舞台と相葉くんや潤くんのグローブ座の舞台が同じ8500円とか、なんだかなあ。

テレビドラマも必ずしもいい作品をやれるとは限らないが、舞台の場合、経験が少ないだけに、いい演出家と一緒に仕事をできるかはその後のその子にとって大きいと思う。せっかく舞台をやらせるなら、もっとスタッフを選んだほうがいいんじゃないのかなあ。 続きを読む

[演劇]「ビロクシー・ブルース」

「ビロクシー・ブルース」(パルコ劇場 2/16)

作:ニール・サイモン 翻訳:目黒 条  日本語台本・演出:鐘下辰男
出演:佐藤隆太、忍成修吾、瀬川 亮、中村昌也(D-BOYS)、尾上寛之、南 周平、内田亜希子、西牟田恵、羽場裕一

このスタッフにこんなことを言うのは失礼なのだが、演劇らしい演劇を見られてほっとした。やっぱり演劇はこうでなくっちゃ。土日に観たグローブ座がかなり残念なデキだったのでね。

佐藤隆太くんあてに、「宿題くん」のスタッフからお花がきていた。隆太くん、この舞台の宣伝のために出演したんだもんね。あの回はすごくおもしろかったっけ。あと、V6の岡田くんからも。V6のメンバーは健ちゃんといい岡田くんといい、よく劇場に花が届いているが、嵐の子からはないんだよねえ。

さて、ニール・サイモンと言えば、去年、同じパルコ劇場で「サンシャイン・ボーイズ」を見ているのだが、予想通り、ウィットの効いた会話の積み重ねのウェルメイドなコメディでたのしい舞台だった。で、一般的にはやはりそういうイメージだと思うのだが、そんなニール・サイモンの戯曲を鐘下辰男が演出するというのが興味深くて、チケットをとってみた。

ニール・サイモンの自伝的作品で、軍隊の訓練所の話。「ビロクシー」というのは訓練所のある場所の地名。設定を、ニール・サイモンが軍隊に入った1945年ではなく1943年にしているところがミソだそうだ。1945年では、アメリカはもうほどんと勝っていたからかなり状況は違う。軍隊の訓練所の話なので、思い出したのはキューブリックの映画「フルメタル・ジャケット」。極限状態の軍事訓練で、人間性を失わせ、人を殺せる兵士を作る過程がすごいインパクトだった。そこで気づいたのは、鐘下辰夫といえば極限状態の緊張感を描く演出家なので、そこが今回の作品と共通するのかも、と。

実際、訓練所についた直後は「フルメタル・ジャケット」みたいな理不尽で非人間的な訓練や上官によるしごきのようなことが描かれる。まずい食事を残さず食べなければならないというシーンは、ほんとうにまずそうで、見ていて気持悪くなるほどだった。また、理不尽に命じられる腕立て伏せも、本当に目の前でやり続けるので、見ていて辛くなって来るし、その理不尽さに本当に腹も立つ。そして、緊張感の走る事件も起こる。

でも、この作品の眼目は、極限状態の緊張感自身ではなく、そこでの人間模様というところがニール・サイモンなのだろう。隆太くんはそのサイモンと思われる男の役なので主演となるが、基本的には群像劇。

キャストはみんな好演。忍成くんと尾上くんは初舞台だそうだがとてもよかった。二人とも役者としての経験はそれなりにあって、さらに鐘下辰男が膨大な資料を用意して背景を勉強させたり、人物を掘り下げたりしているから、日常的に言わないような台詞でもその役の人物として説得力を持って言えているのだろうなあ。忍成くんはよく演じているチャラ男系ではなく理性的で信念を持った男の役。すごいかっこよかった。また、尾上くんはアカペラで歌うシーンがあるのだが、それがすごく上手い。ミュージカル経験者かと思ったのだが、そもそも舞台が初めてというのでびっくりした。

パンフを読むと、どのキャストも鐘下辰男の濃い稽古がすごく勉強になったと言っている。そういう演出家が役者を育てるんだろうなあ。忍成くん、尾上くん、初舞台の演出が鐘下辰男でよかったね。

[演劇]「親の顔が見たい」(劇団昴)

「親の顔が見たい」(劇団昴)(NHKふれあいホール)(2/8)

作:畑澤聖悟 演出:黒岩亮

あるカトリック系の女子中学で生徒が教室で自殺して、その子がクラスメート5人の名前を書いた遺書を残す。遺書に名前があった、いじめの加害者と思われる5人の生徒の親が学校に集められて、先生を含め、そこでいろいろな話になる。生徒を登場させずにいじめの問題を舞台にした作品。学校の会議室でのリアルな2時間の芝居で、親の立場であっても先生の立場であっても、その部屋にいるだけで息がつまりそうな状況で、それを生の舞台で見ると、見ているだけで同じ空気の中に引き込まれ、息が詰まりそうになる。後味がすごく苦い作品に作ってあった。リアルだからこそ苦いんだろうな。

<この日の日記の一部をコピー 2009.3.2>

[演劇]「ブラジル」

「ブラジル」(ラッパ屋)(紀伊國屋ホール)(1/19ソワレ)

脚本・演出:鈴木総 
出演:福本伸一、おかやまはじめ、木村靖司、弘中麻紀、岩橋道子、三鴨絵里子、中野順一朗、武藤直樹、岩本淳、俵木藤汰、熊川隆一、大草理乙子

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悪くはないけど、前に観た「あしたのニュース」ほどではなかったなあ。役者さんはみんな達者だけどね。

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その日の日記の一部をコピー<2009.3.2>

[演劇]「夜光ホテル スイートルームバージョン」

「夜光ホテル〜スイートルームバージョン」(モダンスイマーズ)(NHKふれあいホール)(1/11マチネ)

ー NHKシアターコレクション2009 ー 

作・演出:蓬萊 竜太 美術:伊達一成 照明:森脇清治 音響:今西 工 
出演:萩原聖人、古山憲太郎、津村知与支、小椋毅、西條義将

NHKシアターコレクションは去年から始まった企画で、去年は五反田団、コンドルズ、文学座の「AWAKE AND SING! −目覚めて歌え!−」をNHKのふれあいホールで上演、収録し、教育テレビで放送している。

今年は、今日みてきたモダンスイマーズの「夜光ホテル」、イキウメ「イキウメ短編集」、劇団昴「親の顔が見たい」、ミクニヤナイハラプロジェクト「青ノ鳥」というラインアップ。

NHKのふれあいホールでは落語や音楽などの番組をよく収録していて、BSで見る事が多いが、行ったのは初めて。今日は井の頭線のハチ公側出口のすぐ前から出ているスタジオパーク直通バスに乗って行ってみた。このバスはたしかに直通なのだが、スタジオパークの入り口まで行ってしまうので、ふれあいホールの入り口から入るには若干遠回り。

ふれあいホールは、ステージの幅はわりと広いが、客席の列数は少なめ。天井が高くてライトがぶら下がっているので、テレビのスタジオっぽい。カメラは客席の一番後ろの方にあり、お客の邪魔にならずに収録できるようになっているようだ。客席内の通路にもマイクがおいてあって、客席の音もとっていた。

ステージの奥行きもけっこうあって、ステージの端と客席はかなり近いが、今日は、前の方数メートルは黒い布がはってあり使っていなかった。客席に近すぎて、そこまで使うとお客の頭が画面に入ってしまうからかな。

最近、注目している蓬莱竜太の作、演出の「夜光ホテル スイートルームバージョン」はリアルタイムの1時間半の作品。蓬莱竜太はやっぱりいいなあ。描かれる人物の一人一人に厚みがあって、演出も細かく丁寧。5人の人物が登場し、そこには対立もあるのだが、全員の気持にそれぞれ共感してしまう。

役者もみんな達者というのも大きい。客演で萩原聖人くんが出ているのだが、そのことをわかっていなかったので、最初に見た時に「かっこいい役者を抱えているんだなあ」と思ってしまった。よく見たら萩原くんだった。萩原くんもオリジナルキャスト。ホテルのボーイ役の西條義将とツッキー役の小椋毅は三宅健ちゃんの舞台「第32進海丸」にも出ていて、いい味出してたんだよねえ。

いつの放送かはわからないが、放送されたらぜひ見てほしい作品。去年のこのシリーズの放送は2〜3月。あまり間を置かずに放送されたので今年もそれくらいかも。

[演劇]「舞台は夢 イリュージョン・コミック」

「舞台は夢 イリュージョン・コミック」(新国立劇場中劇場 12/14マチネ)

作:ピエール・コルネイユ 翻訳:伊藤洋 演出:鵜山仁 美術:島次郎 照明:勝柴次朗 音響:上田好生 衣裳:太田雅公 ヘアメイク:佐藤裕子 アクション:渥美博 舞台監督:北条孝
出演:堤真一、秋山菜津子、高田聖子、田島令子、磯部 勉、金内喜久夫、段田安則、坂田 聡、川辺邦弘、松角洋平、窪田壮史、三原秀俊、眞中幸子

劇場に入ってビックリ。行けばわかることで、ネタバレというほどでもないから書いてしまうが、客席の前方にあたる位置に円形のステージがあり、通常は舞台の部分にもかなり多くの客席が作ってあった。新国立劇場は中劇場も小劇場も機構が可変なので、作品によって劇場の使い方が違うが、中劇場で、あの奥行きのある舞台側が客席になっているのは初めて見た。円形のステージの周囲も使っているので、舞台として使われるエリアがかなり広いのも新国立劇場ならでは。

そして17世紀のフランスの劇作家、コルネイユの名前は世界史の授業で習ったが作品は初めて見た。やはり古典作品はシェイクスピアもそうだが「台詞を聞かせる」ものみたいで、今の日常生活では言わないような台詞の連続。

今回は、そういう台詞をこなせる役者ばかりだったので、何もないステージなど古典を活かす演出とともに、コルネイユの演劇の世界を堪能。360度ステージだから、役者はいろんな方向を向いてしゃべるが、どの役者さんも背中を向けていてもしっかりと台詞が聞こえる。体全体が楽器のように響いているのだろうなあ。段田安則が語る非日常な台詞にクスクス笑ったり、堤真一が言う歯の浮くような恋の台詞にうっとりしたり。これぞ演劇。見られてよかった。

これからご覧になる方は、作品の内容は知らずに観た方が楽しめると思う。

ってことで、ネタバレなしに本質的な感想を書けないので詳しくは「続きを読む」に。

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[演劇]「愛と青春の宝塚」

「愛と青春の宝塚」(新宿コマ劇場)(12/7ソワレ)

原作・脚本・原詞:大石 静 演出:鈴木裕美 作曲:三木たかし 音楽監督:清水恵介 作詞:高橋知伽江 振付:前田清実 美術:島川とおる 照明:原田 保 衣裳:有村 淳

出演:紫吹 淳、彩輝なお、星奈優里、紫城るい、石井一孝、本間憲一、佐藤アツヒロ、他

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宝塚のスターさんのすごさを堪能した。紫吹淳の男役がすごいかっこよかった!!それ以外にも、なにせ戦争中の宝塚の話だから、いろいろ感じるところはあったが、それは別途。

今日、初めて知ったのが、コマ劇場のステージのしくみ。コマ劇場のステージには、嵐の国立競技場や去年のNEWSのコンサートのセンターステージで使っていた、デコレーションケーキみたいな回るセリが常設されている。その、コマみたいに回るセリがあるから「コマ劇場」って言うんですって。ジャニーズのステージはコマ劇場の舞台を真似ていたのねえ。知らなかったなあ。コマ劇場がなくなる前に、このステージを見られてよかった。

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結局、レビューは書けず、当日の日記の一部をコピー。<2009.3.2>

[演劇」「太鼓たたいて笛ふいて」

「太鼓たたいて笛ふいて」(こまつ座)(紀伊國屋サザンシアター)(12/5ソワレ)

作:井上ひさし 演出:栗山民也
出演:大竹しのぶ、木場勝己、梅沢昌代、山崎一、阿南健治、神野三鈴

「太鼓たたいて笛ふいて」はやっぱりすごくよかった。こまつ座はほんとにハズれないなあ。林芙美子の作品を読んだ事がないし、「放浪記」を書いた人で、森光子が林芙美子の役をずっとやってるってことくらいしか知らなかったので、今回はどうしようかと思ったのだが、やっぱり行ってよかった。

<その日の日記の一部をコピー 2009.3.2>

[演劇]「The Diver」

「The Diver」(シアタートラム)(10/11マチネ)

作・演出:野田秀樹、共同脚本:コリン・ティーバン、囃子:田中傳左衛門、笛:福原友裕
出演:野田秀樹、キャサリン・ハンター、グリン・プリチャード、ハリー・ゴストロウ

全編英語上演だが、日本語字幕がついているので、何を言っているかはわかる。そして、今回は、野田の作品にしては、その本質がわかりやすい方だったと思う。

私が行けなかった時にハリーがに行って、「わからなかった」と言っていたのは、「こうじゃないか」と思ったところはあっても、敢えてをそれは言わず、問題提起に留めたということだったらしい。そのおかげで、ハリーの疑問点を意識してみる事ができたので、私の理解が深まったんじゃないかな。

ベースになっているのは、能の「海人(あま)」と「源氏物語」と、数年前に実際に起こったある事件。そのある事件とは、ある女性が、不倫相手の二人の子どもだけがいる家に放火して、子どもたちを殺してしまったという事件。キャサリン・ハンターがその殺人事件の犯人で、野田秀樹は彼女の調査に当たる精神科医。

彼女は、自分を、「海人」の物語の中の藤原房前の母であると言ったり、「源氏物語」の中の夕顔だと言ったり、源氏だと言ったり、葵の上と言ったり、そして六条だと言ったり、自分が何者であるかがどんどん変わる。その都度、その物語のそのシーンが舞台上で再現される。そして何者であるかが変わる度に、事件の本質が浮き彫りになっていく。

まずはハリーの疑問、感想を箇条書きに。

・海の中を泳ぐシーンでは、野田秀樹もキャサリン・ハンターも身体能力がすごく高いので、本当に泳いでるように見えて、水なんてまったくないのに、息苦しくなってしまった。
・実際の事件で殺された子どもは2人なのに、彼女は「4人死なせた」と言うのはどういう意味か?
・小道具として扇が使われているのが効果的。途中でピザの出前が届いて、そのピザが扇でできているのがおもしろかった。まさしく扇型。
・能みたいに動くシーンでは、表紙に能面が描いてある本を顔にあてて、能みたいにやっていたのがおもしろかった。

という感じ。

ハリーの言う通り、キャサリン・ハンターの身体能力が半端じゃなくて、まるでコンテンポラリーのダンサーのよう。片足で立ち、もう一方の足を後ろに高く上げて、体を斜めにして泳ぐように動くと、本当に泳いでいるように見える。野田秀樹は、頬を膨らませて、水中で苦しくなっているような顔をずっとしているので、それを見ているだけで息苦しくなってしまう。

この水中のシーンは能の「海人」の再現。能は残念ながら見た事がないので「海人」がどういう話か知らなかったのだが、帰ってから調べたら、舞台で見た通りの物語だった。「海人」では、ものすごく大雑把に書くと、海女である母親が、自分の命と引き換えに息子の出世を父親に約束させ、父親はその約束を守って、海女の息子を跡継ぎにする。

そして「源氏物語」と現代の事件の関係は、簡単に言うと源氏の正妻である葵の上が現代の事件では妻にあたり、六条は子どもを殺してしまった女性にあてはまる。つまり、この舞台の主題は、この三角関係にある。

三角関係も、口喧嘩などですんでいる分にはいいかもしれないが、問題は、子どもが殺されている事だ。

あの事件、私でさえ、そういうひどい事件があったことをかすかに覚えている。そのニュースだけ聞くと、子どもを殺してしまった女性に対して、なんてひどいんだ、と思うのが普通だろう。

でも、そこをさらに掘り下げたのが野田秀樹。愛人をそこまでおいつめたものは何なのかと。

源氏物語では、六条御息所は、賀茂祭のときに葵の上の牛車と鉢合わせしたときに恥をかかされたことを恨んで、生き霊となって妊娠中の葵の上にとりついて、葵の上は夕霧を出産してすぐに死んでしまう。このシーンも二人の女の真っ正面からの衝突として舞台で再現される。緊張感の高まるシーンだ。

源氏物語の六条御息所が妊娠したことがあるのかどうかはわからないが、この舞台では、すでに一度中絶していて、そして再び妊娠したが、男はそれを喜ばない。一方、男は妻の妊娠は喜んでいる。そして、妻には子どもが生まれる。愛人の方は、自分の手で胎児を引きずり出す。それは真っ赤な布だ。ただの布なのに生々しくて見ていられない。

そして、愛人の女性はついに、夫婦の留守の間に、子どもたちだけのときに家に火をつける。うまく火がつけられず、自分も火傷を負う。

女は言う。「子どもを4人死なせた」と。ハリーの疑問、4人とは、妻が生んだ二人の子どもと、自分が堕胎した二人の子どもだろう。

で、この舞台を見て一番思うのは、一番悪いのは彼女を愛人にして妻と愛人の間でよろしくやっていた男じゃないかってことだ。そして、この男は、結局「源氏物語」の光源氏と同じじゃないかってこと、さらに「源氏物語」の光源氏は「良い」男ということになっているわけで、それそのものが、こういう痛ましい事件が起こる根本にあるんじゃないか、というのが野田秀樹の問題意識なのではないかな。

パンフには、「美しい」=「良い」男として、光源氏を甘やかして来たのはまた女である、とも書いている。たしかに、美しい男には私も弱い。

「海人」は、母親が子ども思う気持の強さを表し、また、事件の男とは真逆で、自分の子どもに対して責任を果たした父親の物語でもある。海のシーンは最初と最後にあって、それはそのまま羊水の中、胎内でもある。

核心だけざっくり書いてしまったが、この舞台は、源氏物語の再現と精神科医と愛人女性のやりとりを自在にいったり来たりして、役者たちもその都度、いろんな役を演ずる。源氏物語の光源氏と現代の夫は同じ役者が演ずることで、物語が二重に表現される。時空を超えたり、突然、能になったり、ハリーが言っていた扇子のピザをはじめ、道具をいろいろ見立てて使ったり、最初に書いた海の中の再現とか、相変わらず、演劇ならではの表現方法が駆使されていて、そういうところもすごくおもしろい。

テーマに関してさらに考えてみると、「源氏物語」は「名作」とされ、光源氏は「良い」男ということが「常識」のように思われているが、この舞台で描かれたみたいに、「良い」とされていることが、実は悲劇の根本にあるなんてことが、他にもあるんじゃないかという疑問も持てる。

複数のモチーフを有機的に繋げ、緻密に立体的に構成され、そして演劇らしい表現に溢れたすごく密度の濃い舞台だった。ああ、おもしろかった!

[演劇]「から騒ぎ」

「から騒ぎ」(彩の国さいたま芸術劇場)(10/17マチネ)

作:ウィリアム・シェイクスピア 翻訳:松岡和子 演出:蜷川幸雄 美術:中越司 照明:大島祐夫 衣装:宮本宣子 
出演:小出恵介、高橋一生、長谷川博己、月川悠貴、吉田鋼太郎、瑳川哲朗、妹尾正文、清家栄一 ほか

「から騒ぎ」といえば、ケネス・ブラナー監督・主演のこの映画が大好きで、LDとサントラも持っているくらい。音楽がめちゃくちゃカッコいい。特に、冒頭の領主が凱旋するシーンは秀逸。あれは舞台では無理で映画ならではのカッコよさ。

から騒ぎ
から騒ぎ


その大好きな「から騒ぎ」のヒロイン、ベアトリスを高橋一生くんが演じ、最近、お気に入りの長谷川博己くんも出るし、吉田鋼太郎さんは映画ではデンゼル・ワシントンがやった領主と思われたので、これは絶対見なければ、と勇んでチケットをとろうとしたのに、抽選で外れ、それっきり忘れていた。ゲネプロのニュースを見て思い出し、チケット掲示板で探してなんとか観に行った。

全体の感想は「まあまあ」ってところかなあ。星が伸びない理由は、映画ほどお客が笑ってなかった事と、恋に舞い上がってる感があまり感じられなかった事。

同じシェイクスピアの喜劇でも「お気に召すまま」や「十二夜」は、男装した女の子が主役で、それをオールメールでやるとなおさらおもしろいので、そのシッチュエーションだけでかなり笑える。でも、「から騒ぎ」はシッチュエーションより言葉で笑わせるみたいなところが多いので、耳で聞くだけではすぐに笑いにならないのかもしれない。むしろ、映画の字幕の方が文字数の制限はあっても、言葉遊びのおもしろさは伝わりやすいのかな。

主演のベネディクトの小出くん、初舞台だし、発声のテクニックは未熟だし、声量もないが、シェイクスピアの台詞をちゃんと自分の言葉としてしゃべっていて感心した。台詞を音として覚えて口先だけでしゃべっている感じではなくて、一生くんとの丁々発止も生き生きしていた。体も動くし、これからが楽しみ。

一生くんは、ほんとに女の人みたいに綺麗でかわいかった。もちろん、台詞も仕草もばっちりだったが、もっと強気な感じでもよかったかな。映画のエマ・トンプソンのイメージが強くてね。残念なのは、衣装がウエスト切り替えのドレスなので、体のラインがどうしても女性に見えないこと。ハイウエストのドレスにすればそういうことが気にならないのになあ。

クローディアスの長谷川博己くん。最近の私のお気に入り。背が高くて細身という外見だけでなく、声がよくて台詞に説得力がある。WOWOWで見た「カリギュラ」もよかったから生で見たかった。初めてのシェイクスピアで初めての恋に舞い上がる男の役で楽しみにしていたのだが、舞い上がってる感はイマイチだったかな。一目で恋に落ちた瞬間は全身から伝わって来たのだが、二人でいるときのうっとり感があんまりなかった。でも、やっぱり好みなので、通路を通ったときにすぐ近くで見た時はドキドキしてしまった。私がドキドキしてどうする。

相手役の月川さん、綺麗だけど、常に温度が低めの感じなので、そのせいもあって、舞い上がってるカップルにあまり見えないのかもしれない。ヒアローはもっと初々しく可憐なほうがいいなあ。一生くんの方が初々しかった。

「お気に召すまま」の初演の小栗くんと成宮くんの方が、台詞は未熟だったが、舞い上がってる感がすごく出ていて楽しかったなあ。

吉田鋼太郎さん、瑳川哲朗さんは声のレベルが違う。若い役者たちもあれくらいの声が出るともっと台詞そのもので笑えるのかなあ。

映画では売れる前のキアヌ・リーブスが演じたドン・ジョンは大川浩樹さん。「タイタス・アンドロニカス」でも思いっきり悪役だったっけ。見た目が悪役っぽくてハマりすぎなくらい。いい人の役も見てみたい。

警察の小役人は、言葉が最初から間違っているので、笑いどころのはずなのだが、そういうところも笑いが少ない。だんだん、お客もそれがわかってきて笑いが増えてはきたが、そこらへん、「メタル・マクベス」のクドカンの脚本といのうえひでのりの演出はよくできていて、その手の人物ですごく笑いをとっていたっけ。

彩の国のシェイクスピアのシリーズ、今までみた中では悲劇は間違いなくハイレベルだったが、喜劇は満点というわけにはなかなかいかないなあ。次の「冬物語」はロマンス劇と分類される作品だし、役者さんもみんな実力者ぞろいだし、期待できそう。こんどこそ、チケットゲット済み。また長谷川博己くんを見られるのも楽しみ。


[演劇]「宝塚BOYS」

●「宝塚BOYS」(シアタークリエ)(8/20ソワレ)

原案:辻 則彦、 脚本:中島淳彦、演出:鈴木裕美
照明:中川隆一、 美術:二村周作、音楽:沢田 完 、 音響:井上正弘、衣装:三大寺志保美 、ヘアメイク:宮内宏明 、振付:田清実 、 歌唱指導:山口正義

出演:葛山信吾、吉野圭吾、柳家花緑、山内圭哉、猪野 学、瀬川 亮、森本亮治、初風 諄、山路和弘

公式HPはこちら

去年の初演がとても好評だったことを受けて、7人の宝塚BOYSのうち3人だけキャストが変わっての再演。チケットをとっていなかったのだが、同じ裕美さん演出の「第17捕虜収容所」がとてもよかったので、やはりこれも見るべきと思ってチケットを探して観劇。本当に見てよかった。

公式HPの「スペシャル」のところに、原案の辻氏による「宝塚男子部」についての解説が書かれている。同じものがパンフにも載っているので帰りの電車で読みながら恥ずかしながら泣いてしまった。

裕美さんがパンフで言っているとおり、最初にこの作品のチラシを見た時は本当に冗談みたいなコメディなのかと思ったのだが、実話を元にした物語。戦後すぐの時期、宝塚には男子部が実在した。そこで舞台に立つ事を夢見てがんばっていた青年たちの物語。

今現在、宝塚には男性はいないのだから、彼らの夢は実現しなかったわけだ。私だって、あの宝塚に男性がいるというのは想像できない。女性だけだからこその夢の世界。当時だって「清く、正しく、美しく」をモットーとしている宝塚に男子なんてとんでもないと思う人が多かったことは容易に想像できるし、結局、そういう声が強かったことで宝塚BOYSたちが大舞台に立つことなく解散した。

立ち上げから解散するまでの9年間、大きな夢と不安を胸にレッスンにあけくれたボーイズたち。群像劇が得意な裕美さんらしく、一人一人のキャラが立ち、一人一人が魅力的。相変わらず笑いも多くて、みていて本当に楽しい。

花緑はピアノも弾くし、バレエも踊れる。ピアノは自分の会でも弾くし、ダンスも踊るが、こういういかにもバレエというのはあまり披露した事はないのではないかなあ。子どもの頃にやっていたことがすごい活かされていて、この役は花緑以外考えられないかも。ピアノもダンスもうまいが、花緑は顔がおもしろすぎて、見ていて笑ってしまう。兄の小林十市くんと一緒にバレエをやっていた時に、兄の十市くんはバレエ、弟の花緑は落語に進ませるとお母さんが決めたそうだが、それは正しかったな。十市くんは健ちゃんの「第17捕虜収容所」にも出ていたので、兄弟で裕美さんの舞台に出ていることになる。

一人だけプロのダンサーとして宝塚側が依頼して来てもらった星野という役が吉野くん。吉野くんを見たのは久しぶり。音楽座の「星の王子様」をベースにした作品の初演のときに蛇の役で踊っていたのが印象的。私の中では踊る人というイメージだったのだが、その後、レミゼとかも出ていて踊るだけではなく芝居もするし、今回はダンスもあるが基本はストレートプレイ。あ、声を聞いたのは初めてかも。まさに吉野くんならではの役で、吉野くんファンというのがお客さんに一定数いるのか、吉野くんが踊ると拍手がおこっていた。

葛山くんは舞台を観るのは初めて。私の中ではなんといっても「仮面ライダークウガ」の一条薫刑事だ。やっぱり生で見ても二枚目だった!!声がすごく出ていて歌もうまかったのにはびっくり。「クウガ」の時から「すまんな、五代」(五代はオダギリジョーでした)とか「今時の25歳の男性がいうか、そんな台詞!」という感じで言ってる台詞が武士みたいにお腹から声が出ていたっけ。

猪野さんも初演からの出演。すごいいい味出してたなあ。気が強いんだから弱いんだかわからない江戸っ子って感じ。踊れない設定なのだが、最後の方ではちゃんと踊っていた。舞台の人って立つ基本ができているからダンスもできちゃうのかしら。

ボーイズ以外は、紅一点・寮のおばちゃん役の初風諄さんと男子部の面倒を見る会社側の人間池田役の山路和弘さんの二人。おばちゃん役の初風さん。こうやって名前を見ると一目で元タカラジェンヌとわかるが、知らずに見ていたので普通のおばちゃんに見えていた。でもさすがはやっぱり元タカラジェンヌだった!!24年間休業していて最近、また舞台に復帰されたのだそうだ。山路さんは「屋上庭園・動員挿話」で見ているはずなのだが、今回はダンディな役だったので同じ役者さんとはわからなかった。この池田という人も実はいろいろな想いを持っていてなかなか切ない。

この舞台、夢の実現にむかってがんばる若者たちの物語というだけでなく、時代が時代なので戦争の影響も大きく受けている。特攻隊だったのに生き残ったことで廃人のようになってしまった家族を持つもの、満州から命からがら引き上げて来た者、母親は空襲で死に戦地にいった父親の安否はわからないという者、兵隊にいっていないことで自分を責めている者などなど。

戦争の時代を生きたからこそ、その中で歌や音楽に救われた気持ちが強いし、戦争が終わった時代だからこそ新しい時代の象徴として宝塚男子部への夢を持ち、そして死んでいった戦友たちの分も懸命に生きようとする。その懸命さが切ない。

死んでいった戦友たちの分もがんばる、大舞台にたどり着けない人の分もがんばる、実際に自分たちが大舞台に立てるかどうかもわからない大きな不安の中、彼らはそう言い聞かせてがんばった。

葛山くんの台詞に「歌や音楽じゃ腹はふくれないけど、辛い時にどれほど助けられたか」みたいなのがあって、それはあらゆるエンターテイメントについて言える事で、あらゆるエンターテイメントが好きな私は、この部隊みたいにエンターテイメントに携わる人たちが真摯にそれにむきあう話にめっぽう弱い。

エンディングではお客さんが本当に大きな拍手をおくっていた。それは出演者やスタッフという今回の舞台の人たちだけでなく、実際の宝塚男子部のみなさんへという気持ちも込めての拍手だったろうと思う。

ネタバレの感想を「続きを読む」に。

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[演劇]「ピース − 短編集のような・・・・・」

●グリング第16回公演「ピース - 短編集のような・・・・・」(ザ・スズナリ)(8/1ソワレ)

作・演出:青木豪
出演:中野英樹、黒川薫、萩原利映、杉山文雄、佐藤真弓(猫のホテル)、鬼頭典子(文学座)、星野園美、遠藤隆太、二階堂智、林和義

やっぱり青木豪は間違いない。普通の人の生活に起こったちょっと普通じゃないできごとをさりげなく描き、辛い事もあるけれど、見終わったあとあったかい気持ちになる。他に泣いている人がいたかどうかわからないが、私はラストにダダ泣きしてしまった。

今回は6つのエピソードがあり、4番目と5番目は、元々は他の公演のために書かれた短編。それを含め、全体には一つの芯が通っているので、「短編集」ではなく「短編集のような・・・・」になっているということか。知らずに観た方が「なるほど」と思うかもしれないのでこれ以上は「続きを読む」に。

カーテンコールの時に、明日以降のチケットがまだ余っていると言っていたので、時間と興味のある方はぜひ。当日券4300円です。安い。

そうそう、ロビーで半海さんと瀬戸カトリーヌを見かけたし、小山萌子ちゃんも来ていた。青木豪の舞台って、けっこういろんな人が見に来るような気がするなあ。 続きを読む

[演劇]「まほろば」

「まほろば」(新国立劇場 小劇場)(7/20マチネ)

作:蓬莱竜太、演出:栗山民也、美術:松井るみ、照明:服部 基、音響:秦 大介、衣裳:宇野善子、ヘアメイク:佐藤裕子

出演:秋山菜津子、中村たつ、魏 涼子、前田亜季、黒沢ともよ、三田和代

すごく笑えて、共感して、そしてちょっと泣けて、とても素敵な1時間45分だった。

「同じ時代を生きる、新しい世代の劇作家と異世代の演出家によるコラボレーション企画『シリーズ・同時代』」3作の最後となるのがこの作品。作者の蓬莱竜太は32歳。演出の栗山民也は、新国立劇場の前の芸術監督もやっていたベテラン。でも、作家が若いとか、演出家がベテランとか、あんまり関係ないかもしれない。蓬莱竜太の戯曲は栗山民也をして「まるでベテラン劇作家のようで、しっかりとした土台の上に構築された1幕物には、くすぐられるようなおかしみが随所にちりばめられ、とにかく登場人物の位置と構成の確かさにビックリした」と言わしめている。

何も知らずにこの舞台を見たら、この劇作家が32歳の男性とは予想しないだろうと私も思う。

長崎の田舎のある旧家の本家、その村の祭の日の1日、4世代にわたる女性たちの物語。6人の女性たちのそれぞれがしっかり生きていて、単にキャラが立っているといだけでなく、その世代、年齢、立場なども一人一人に投影されている。32歳という若さで、よくもそれぞれの世代の想いを共感できるものとして描いていると感心した。その上、この物語の重要なモチーフは「産む性としての女」。男性である蓬莱竜太が、それをここまで正面から扱っているというのもおもしろい。

友達がたまたまアフタートークのある回を見て、そのアフタートークに参加したのだが、そのときにわかったのは、蓬莱竜太は離婚歴があり、小5の子どもがいるのだそうだ。つまり、22歳で父親になり、その後離婚している。22歳で父親になったというのは、この舞台にも出て来る「できちゃった婚」だった可能性も高い。この物語に出て来る女性たちに関わる男の1人だったかもしれないわけだ。できちゃった婚かどうかはわからないが、少なくとも父親だということは、この物語を書く上ではきっとプラスになっていることだろう。

この作品、一人一人を見る目線が絶妙だと思うのだ。「第32海進丸」で蓬莱竜太に戯曲を頼んだ鈴木裕美さんが、パンフに寄せた談話の中で「人に優しすぎず、厳しすぎないところがすごく好き」と言っているのだが、それは私も蓬莱作品にすごく感じるところ。ちょっと厳しい事を言いつつ、その人物を見る眼差しには愛情がある。

場所が長崎というところも重要だ。今の世代は子どもが産まれてくる事に対して大きな心配はしない。でも、大ばあちゃんのときは、子どもが無事に産まれて育つのかは大きな心配毎だったのだ。そう、原爆の影響だ。台詞としては「原爆」という言葉は出てこないが、長崎というところから観客にはわかる。そして大ばあちゃんの孫の世代でも、その心配はゼロではない。

この話題はほんの数行だが、これが入っているだけで、妊娠を巡るこの一家の物語は、この一家だけではないスケール感を持つ。

基本的にはベテラン作家のような人間観察や人物構成、作劇なのだが、ちょっとだけイマドキっぽいところもあって、この家の大ばあちゃん(中村たつ)が、緊張した場面のときに、DSでスーパーマリオをやっているのがおかしかった。シーンとしているところで、マリオの音楽だけが響く。すごい絶妙におかしい。

そういう素敵な戯曲を、女優さん全員がもりたてる。ほんとにみんな素敵だった。秋山菜津子も三田和代も、ほんとにどんな役でもその役として生きてるなあ。見た日の日記に書いたが、数年ぶりに中村たつを見られたのも嬉しかった。大ばあちゃん、すべてを達観していて、何気ないどうでもいい一言が妙に胸にしみて涙が出てしまった。ハバネロ(お菓子)を食べたときの表情もすごく楽しかった。

蓬莱竜太、これからも要チェックだ。

[演劇]「第17捕虜収容所」

●「第17捕虜収容所」(東京グローブ座)(5/29ソワレ、6/2ソワレ)
作:Donald Bevan & Edmund Trzcinski 訳:鴇澤麻由子 台本:飯島早苗 演出:鈴木裕美 美術:川口夏江 照明:中川隆一 
出演:三宅健、田中幸太朗、おかやまはじめ、松村武、小林十市、堀文明、小村裕次郎、粟野史浩、池上リョヲマ、瀧川英次、斎藤洋介、袴田吉彦

このタイトルを聞いたときに最初に思い出したのはビリー・ワイルダーの映画だが、映画をみた記憶がなかったのでサスペンスとしてものすごドキドキし、舞台上でくりひろげられる事を追体験できる、舞台でなければ味わえない緊張感や緊迫感のあふれる舞台。ウィットやユーモアもいっぱいで、セリフ自身にも笑えるが、それだけでなく収容所のメンバーの連帯感の表現は舞台ならでは。この収容所の連帯感、仲の良さを強く感じるからこそ、その中にスパイがいることが辛い。

登場人物のキャラが立っていて、役者も適材適所、みんな達者だったし、群像劇としてすごくよくできていて、すべての人物が愛しく思えた。それは映画を観た後、なおさら思った。

舞台は収容所のあるバラックの中だけで展開するが、映画の方は、収容所自身が空間的に広いし、出て来る人数もかなり多い。人物の設定も少し違う。そして物語の肝となる部分は、舞台の方が緻密で緊張感がある。また、舞台ですごくいいと思った部分が映画では違っていたのも意外だったが、ネタバレになるのでそこは「続きを読む」に。

健ちゃんは、舞台を観るたびにより舞台役者としての力をつけているように思う。セフトンという役のセリフを自分の言葉としてしゃべっているし、客席に背中を向けてしゃべってもはっきりセリフが聞こえる。それは全身を楽器のようにして声を出せているという証拠。そして端に一人で座っていてもセフトンだった。

役者はみんなよかったのだが、最初に見た日にも書いた小林十市くんには注目してしまった。セリフをしゃべるようになってまだ数年だが、ダンサーとして全身表現をしてきたわけだし、身体コントロールができるせいか、喋る芝居もばっちり。ハリーにいったら、しゃべる血も流れていると。そういわれればそうだが、やはり努力したのだろうな。

ドイツ人の守衛シュルツ役の田中幸太郎くんはとても愛らしくて、映画とは全然違う。映画はおっさんだ。シュルツも魅力的だからこそ、スパイがいて、それがもたらす映画のその後が辛い。

映画よりも舞台の方が一人1人が魅力的。細かいところでグッとところがあったり、結末で考えさせられたり、裕美さんらしい舞台になっていたと思う。とにかく、すごくいい舞台だった。

そうそう、劇中でみんなで歌い、エンディングにも流れる音楽が印象的で、聞いた事ある曲なのだが、調べてみたら「ジョニーが凱旋するとき」というアメリカ軍歌だそうだ。南北戦争時代から歌われている歌で、ビリー・ワイルダーの映画でもテーマ曲のように使われていたし、他にも多くの映画で使われているそうだ。だから聞いたことがあるんだね。リンク先にMIDIもあるので聞いてみるといいかも。映画でも舞台でもリンク先のMIDIよい速いテンポで歌われている。

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[演劇]「瞼の母」

「瞼の母」(世田谷パブリックシアター)(5/25ソワレ、5/26ソワレ)

作:長谷川伸 演出:渡辺えり 美術:金井勇一郎 照明:小川幾雄 音響:井上正弘 衣装:前田文子 プロデューサー:北村明子
出演:草なぎ剛、大竹しのぶ、三田和代、高橋一生、西尾まり、篠井英介、梅沢昌代、高橋長英、高橋克実、神野美鈴、市川ぼたん、他

一番思ったのは、なぜ、シスカンパニーは草なぎ剛でこの作品をやろうと思ったのだろうかということ。ただでさえ時代劇という非日常の世界はハードルが高い上に、主人公・番場の忠太郎は渡世人。つまりヤクザ。親子の情という話は普遍的とは言え、国定忠次も清水次郎長の話もよくわからない今時のお客相手では、物語の世界に感情移入させるのも難しい。

まったく身近ではない世界とはいえ、高橋一生くん、三田和代らが演ずる忠太郎の弟分とその家族のシーンは高橋くんと三田和代さんがすごくうまいので、その世界に入りこめる。ところがそこに剛が登場すると剛のセリフだけ浮いていてまるでコント。抑揚もなくリズムで音を発しているだけ。それは全体を通してそのまま。神野美鈴演ずる年老いた夜鷹もすごくよかったし、大竹しのぶはいつもどおりだし、篠井さん、高橋長英、克実さん、梅沢さんなどなど達者な脇の人々はちゃんとその世界を描いているのに、とにかく剛のセリフが全然ダメ。周囲の役者さんと剛のセリフの差がすごく大きかった。

近くで見ても遠くで見ても剛の表情はいい。でも舞台は表情だけでは伝わらない。というか、正直、剛のセリフのまずさがこの舞台をぶちこわしていた。また、その表情のよさは、全身から発しているというよりも、このシーンはこういう感情だからこういう表情という感じで顔を作っているというか、1カットずつ切れているように見えた。内面を掘り下げて全身で演ずるというよりも、時間に追われる映像の仕事を続ける中で小手先のテクニックで演じる癖がついてしまったのかなあ。

今回のような作品は、シェイクスピアと一緒で、日頃しゃべる言葉とは違うからこそ、そこに気持ちをのせて客に伝えるには理解と技術が必要だ。舞台や時代劇に不慣れな剛がこの舞台をやるなら、普通の舞台役者が1ヶ月稽古するところをその倍以上は稽古する必要があったのではないだろうか。それでも伝わるものになったかどうかはわからないが。

この作品は、おそらく、新国劇や沢竜二座長や早乙女太一くんの劇団などでやったり、または時代劇に慣れたもっとうまい役者が忠太郎をやれば、その世界に入り込めたのではないかと思う。実際、歌舞伎だってバレエだって、ストーリーはたわいもないのに、そのセリフに泣けたり、物語の世界に入り込める。それは役者やダンサーがどれだけ伝える力があるか、そういう表現をしているかどうかということだろう。

それにしても、三田和代さん、神野美鈴さんがたったあれだけしか出ないなんて、なんてもったいない。高橋一生くんも1幕だけなんて。脇の人たちがほんとに上手い人ばかりだったので、主役のセリフのまずさが際立っていたし、そのせいで作品のよさが伝わらないというのは残念なことだ。

根本的には、稽古時間を十分にとれない剛でこの芝居をやるという企画が問題だったと思う。もしくは、この作品をどうしてもやりたいのなら、充分な稽古期間を保証すべきだろう。


[演劇]「プーシリーズEpisode1 アマツカゼ〜天つ風〜」

●「プーシリーズEpisode1 アマツカゼ〜天つ風〜」(青山劇場)(3/22ソワレ)

作・演出:きだつよし
出演:大野智 、芦名星、松本まりか、佐藤アツヒロ、西ノ園達大、武田義晴、きだつよし、他

実は初日に観ていた。一番の感想は、「大野くんは、きだつよしと離れてほしい」につきる。

あいかわらず陳腐な物語なのは予想の範囲内だが、ひどかったのは、役者としてのきだつよし。製作発表で大野くんが「きださんが『一番おいしい』」と言っていたのは、出番は少ないがおいしいという意味かと思ったら、前半はまるできだつよしが主役かという感じ。それなのに、台詞が一番下手。今回、きだ以外の役者さんはみんなよかったので、きだの下手さが際立っていた。あんなに下手な人は久々に見た。いくら大野くんに誘われたからといっても、よくも舞台に上がったものだ。

そして相変わらずの嵐ネタ、大野くんの内輪ネタのギャグにも私はまったく笑えない。

きだ以外の役者さんは、ほんとにみんなよかった。特に松本まりかちゃんは、陳腐な物語の陳腐な台詞なのに、感情移入して泣きそうになるほどよかった。舞台における役者の力は大きい。西ノ園さん、武田さんも達者。この3人は、青山劇場の真ん中くらいだった私の席まで生の声が聞こえた。

アツヒロくんもさすがの貫禄とオーラ。普段は猫背なのに、しっかりと立っていて、とても武将らしかった。殺陣もめちゃくちゃかっこよかった。切れもいいし、動きが美しい。初舞台の芦名星ちゃんもなかなかよくて、立ち姿や動きが美しいし、とても色っぽかった。この二人のシーンは色っぽくて切なくてとても素敵だった。

大野くんについては、たぶん、多くの人は立ち回りがカッコいいと思うだろうが、私にはやはりカッコよく見えない。アツヒロくんの方が何倍もかっこ良かった。今回、アツヒロくんの方が設定上強いわけだが、大野くんも相当強い設定なのに、大野くんは刀を持っての立ち回りはイマイチだ。大野君は、腰が落ちなくて、刀で切ろうとすると前屈みになってしまうので動きも不自然になるし、かっこよくない。しかし、刀を持たずに相手の刀を避けるだけだとすごくかっこいい。「センゴクプー」がよかったのはひたすらよけていたからだったんだなあ。

戯曲や演出だけでなく、役者として舞台に立ったきだに対して苛立ちと腹立たしさでいっぱいになってしまったこの舞台、せめてもの救いは、大野くんが立ち回り以外はここ3作では一番よかったこと。声が今までよりもしっかり出ていたし、少ないとはいえ台詞も伝わったし、表情や全身からも後ろの席まで伝わるものがあった。歩き方もそれほど変ではなかった。演出家自身の下手さを思うと、演出家による指導ではないように思うので、アツヒロくんと共演したのがいい刺激になったかなあ。

とにかく、大野くんはもうきだとは離れて、大野君の身体能力と全身の表現力を活かした舞台をやってほしいものだ。

[演劇]「さらば、わが愛 覇王別姫」

●「さらば わが愛 覇王別姫」(シアターコクーン)(3/12ソワレ)

作:李碧華(リー・ピクワー) 脚本:岸田理生 演出:蜷川幸雄 音楽:宮川彬良 美術:中越司 照明:勝柴次朗 振付け:広崎うらん 京劇指導:張春祥
出演:東山紀之、木村佳乃、遠藤憲一、沢竜二、西岡馬、他

休憩なしの2時間。蜷川作品にしては短い。元の映画が3時間近くあったから、この2時間という上演時間を聞いて、どうやってまとめたのかとても興味を持って見た。映画を観て感じたのはとにかく濃い情念だったのだが、今回の舞台からは、それがまったく伝わってこなかった。

一番ダメなのは演出というか、音楽劇であることではないかと思う。「天保十二年のシェイクスピア」を観たときに、同じ井上ひさしでも、宇野誠一郎の音楽で鵜山仁や栗山民也が演出した舞台とはまったく違う違和感があった。こまつ座とかの舞台では歌がすごくはまっているのに、蜷川演出では歌の部分がすごく冗長に感じたのだ。

それがあったから今回は高いチケット代を払う事をためらい、コクーンシートにしたのだが、悪い予感は当たってしまった。

京劇を劇中で再現しなければならないので、その部分が主に歌になっているし、それ以外にも大事なところは歌。ヒガシは歌は下手ではないが、歌からは気持ちは伝わってこないし、遠藤憲一は正直下手。あれは本人も辛いだろう。木村佳乃も全然だめ。遠藤憲一は、最後の方、文革の中での長セリフはよかったのに、歌があるおかげで、全体としては彼のよさがまったく出ていない。あんなに薄い遠藤憲一は初めて見た。歌で伝えるのは、セリフで伝えるのとはまったく別ものだ。

もう一つ、致命的だったのはヒガシがまったく女形に見えない事。かなり努力はしたのだろうが、やはり女形を演ずるというのはそう簡単なことではないのだ。私としては、女形に見えなくても、蝶衣が小樓を思う切ない気持ちがヒシヒシと伝わってくればそれはそれも「あり」だと思ったが、それもまったく伝わらなかった。

一方、オープニングはすごくよかったのだ。映画の最初30分以上ある子ども時代を、ほとんど集団の動きだけで見せる。蝶衣が京劇の養成所みたいなところに無理矢理入れられ、そこで優しくしてくれた小樓を「にいさん」と呼んで慕うようになる過程や養成所の修行の厳しさが短い時間で伝わって来た。大人になった小樓は映画でも俗物だし、いったいどうして二人ともこの男が好きなのかと思ってしまうのだが、蝶衣にとっては子どもの頃、彼を守ってくれた小樓は絶対なのだ。それが子役たちの動きだけで伝わってきたのだ。

映画を後からみなおしたわけだが、全体的には、2時間50分もある映画を2時間におさめるまとめ方としてはうまく収斂していると思った。映画の方は、小樓が妻に言われて京劇をやめてしまう期間があったりするのだが、そこらへんはカットされていて、激動の中国の中でのひたすら3人の愛憎と京劇との関わりがメインになっている。そして、京劇そのものという点で、西岡徳馬演ずる京劇のパトロン袁世卿は、映画よりも重要度が増していて、いろんなシーンで彼が語る京劇についての言葉がとても胸に響いた。西岡徳馬は歌わないでセリフのみなのでなおさら説得力があったのかもしれない。

音楽劇でも、蝶衣の役がもっと女形に見えれば蝶衣の切ない気持ちが伝わって来て違った印象になったのかなあ。でも、蝶衣は普通の男優には難しいように思う。女形の道は厳しい。菊之助あたりがやればよかったかもしれないが、歌がどうだかわからないから何とも言えない。蝶衣の役は女形に見えて歌もうまいことが必要となると、いったい誰ができるんだろう。

[演劇]「歌わせたい男たち」

「歌わせたい男たち」(紀伊国屋ホール)(3/6マチネ)

初演時は客席数が170人もないベニサンピットの後ろの方で観たのだが、今回は紀伊国屋ホールの最前列。劇場は広いところになったのに、今回の方がめちゃくちゃ近い。近すぎて、舞台全体を一度には見えないが、役者さんたちの汗や鼻水までよく見えた。

作品の印象や感想は初演時とほとんど同じ。(初演の感想はこちら。)観た翌日の日記に書いた通り、1時間50分をオンタイムで共有することで、この問題の渦中にある人々の思いを観客が自分のことのように体験し、「君が代」の強制ということが、どれほど多くの人々の心を傷つけるか、人間としての尊厳に関わることなのかを考えられさせる作品だ。そういう内容だが、とにかく笑えるし、シャンソンが効果的に使われ、戸田恵子さんの歌がすばらしいし、「君が代」問題に興味がない人が観ても十分楽しめると思う。そういう人にこそ、この舞台を観て、今,起こっていることを知ってほしい。

印象的なセリフもたくさんあって、2年以上前に1回観ただけなのに、かなり細かく覚えていた。その中でも、この作品の肝だと思うのが、不起立を貫く拝島先生が言う「たとえ、基本的人権を尊重する内容の歌でも、それが強制されるなら僕は決して歌わない」というようなセリフ。まさしくその通り。たとえ私が大好きな嵐の「Love so sweet」でも、歌わないと処分されるという形で強制されるなんてことがあったら、やっぱり私も歌いたくはない。

この2年の間に、この舞台で描かれる都立高校の卒業式や入学式の「君が代」問題の状況はまったく改善されないし、相変わらず処分された先生方の裁判が行われている。そして、都立高校における「教育改革」はさらに進み、職員会議での「採決」や教員の挙手による発言は「好ましくないもの」となった。最初に何かで読んだときは目を疑った。なんだそれ??つまり、職員会議とは、教育委員会の方針を、校長が「上位下達」で伝えるためだけのものとなり、学校のさまざまなことについて教員達が「話し合う」場はなくなってしまったのだ。だって、「好ましくない」ものだから。最も「話し合い」が必要と思われる教育の場において、教員の話し合いが禁じられているなんて!!

私は、人間にとって大切なことの一つは、他人の意見に耳を傾けることだと思うし、学校の学級会やHRでの話し合いは大切な経験だと思う。この間も、NHKで、携帯電話をめぐって、生徒会や教師がみんなで話し合うという番組をやっていたが、東京都の都立高校では、先生の話し合いが禁じられている。やっぱり「なんだそれ?」だ。

観た日にはたまたま、作詞家で放送作家の秋元康がゲストに迎えてのアフタートークがあり、秋元康は意外にも演劇が好きでよく観るという話をしていた。初演もみているそうだ。この作品で秋元氏というのはピンとこなかったのだが、内容よりも、言葉を扱う同業者として、作品を作ることに関しての話題がメインだった。例えば、最近話題の黒人演歌歌手ジュロの歌は秋元氏の作詞だが、今回こだわったのは、女言葉の歌詞にすることと御当地ソングになるよう地名を入れるということで、出雲崎を入れたそうだ。

永井愛への観客からの質問で「最初にプロットをちゃんと作るのか?」と聞かれ、永井愛は「劇作家教会の教科書的にはそうしないといけないけど、自分は、最後までプロットがちゃんと書けたことがない」と言っていた。これにはちょっとびっくりだ。どの作品もとても緻密にできているからプロットが最初に組み立てられているのかと思っていた。「自分でもどうなるんだろうと思いながらラストにたどり着くとか、ラストは決まっていて無理矢理途中を乗り越えて行く」という話をしていた。それを聞いた秋元康が、「だから永井さんの作品は、この先どうなるんだろうというワクワクする感じがするんじゃないですか?」と言っていたが、私も同感。何回もどんでん返しみたいなのがあって、ワクワクするのはそういうことか。

最後に、永井愛が言っていたのは「おかしいと思ったことはまず笑いにする。笑うというのは冷静でないとできないし、知性も必要だから。」この場合「おかしい」は、単純に「笑える」という意味ではなく「変だ」という意味で、だからこそ笑えることになる。この作品に出て来る「内心の自由」を生徒に説明することを禁ずるなんてまさしく「おかしい」し、前述の「話し合いの禁止」も「おかしい」。挙手の禁止も重苦しい話ではなるが、ほんとにおかしいから、コメディがすぐに作れそうな気がする。

3/21のアフタートークのゲストは野田秀樹。これものすごく貴重だよなあ。行けないのが残念。

ラストシーンで涙が止まらなかったのだが、それについては「続きを読む」に。

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[演劇]「人間合格」

「人間合格」(こまつ座)(紀伊國屋サザンシアター)(2/24マチネ)

作:井上ひさし 演出:鵜山仁 音楽:宇野誠一郎 美術:石井強司 照明:服部基 音響:深川定次 振付け:謝珠栄 衣装:中村洋一
出演:岡本健一、山西惇、甲本雅裕、辻萬長、田根楽子、馬渕英俚可

新潮文庫の太宰治の作品は、書かれた順にはなっていない。1番は最初に出版された「晩年」だが、2は戦後に書かれた「斜陽」、「ヴィヨンの妻」と続き、4は戦中の作品「津軽」になり、5番目が「人間失格」。本当は系統的に理解するためには書いた順に読みたいとも思ったのだが、書いた順番を調べて並べ替えるのも面倒だったので、文庫の順に読んでいって、ちょうど半分の9番目「二十世紀旗手」のところで、今回の観劇となった。もし書いた順に読んでいたら「斜陽」や「人間失格」を読まずにこの舞台を観ることになってしまったので、文庫の順に読んだのは正解だった。

文庫を半分くらい読んで、私が感じたのは、太宰治という人は、人間としてなんと真摯で真面目な人なのだろうということ。人間とはこうあるべきという理想がとても高く、その理想に対してその通りになれない自分に対して苛立ち、自分のダメさに悩む。真摯だからこそ、理想と現実の間で悩み、芸術と生活の間で悩み、もがき苦しんでいる。なんて素敵な人なのだろう。そのもがいている様を文学として表現した。そうせずにはいられなかった。そんな印象。そしてテレ屋で、田舎者のくせに粋でありたいと思い、文章がべらぼうにうまくて、その文章に粋と色気がある。

もう一つ。津島修二は、津軽の大地主の六男。しかも不作で苦しむ百姓への金貸しで大きくなった地主だ。そんな生家と貧しい百姓達をみてきた修治は、当時流行った左翼思想に共感する。そんな中で、実家が地主であることを恥る気持ちと、実家の援助がなければ自分は生活できないという現実の間で葛藤する修治。太宰治といえば、「斜陽」や「人間失格」が有名だし、心中未遂や薬中毒などのイメージが先行して、若い頃の左翼運動への関係はあまり言われないが、本を読んでいて、実は、社会はどうあるべきなのか、正義とは何なのかなど、太宰の根本にはその頃の思想はずっと流れていたように感じた。

今回の「人間合格」は、私が本を読んで感じた太宰治の印象がそのまま伝わってくる舞台だった。井上ひさしと私は、太宰の中に感じたポイントが似ているらしい。

開演前、舞台の正面には太宰治の生原稿のいくつかが大写しにされている。一番真ん中で目立っているのが「人間失格」の原稿。タイトルと太宰治の名前、そして書き出し「私は、その男の写真を三葉、見た事がある。」

生原稿が映された幕があがると、こんどは大きな写真が6枚、飾られている。いずれも太宰治が映っている。本当の太宰治自身の写真とこの舞台の役者が本当にある写真のシーンを演じている写真の両方ある。そして役者たちが一人ずつ出て来て言う。

「私はその男の写真を六葉、見た事がある」

うーん、うまいっ。開演前に出ていた生原稿に気づかなくても「人間失格」を読んでいれば、あの印象的な書き出しをふまえたセリフであることはすぐにわかる。そして、6人の役者が6枚の写真の1枚ずつについて、その時の太宰の表情からくる印象を語る。それも「人間失格」をふまえた言い回しで。語られる表情はその頃の太宰の精神を象徴する感情だ。そして舞台は、基本的にそれらの写真が撮られた時を描いていく。

心中未遂や自殺未遂など有名な事件そのものはまったく描かれないし、女性をめぐる有名なエピソードや結婚後の家族の事もほとんど出てこない。太宰治、本名津島修二を描くにあたり、井上ひさしが選んだ格は、大学に入学したときに同じ下宿にいて、修二を共産主義運動に誘った二人の友人との絆。その友人の1人佐藤は弾圧が厳しくなると地下に潜り、もう一人の山田は役者となって戦争協力映画にも出演してスターとなる。おそらく、実在の人そのものではなく、太宰が関わった何人かの人たちを象徴するような人物なのだろう。佐藤は、逃げながらも太宰の作品をバイブルのように持ち、それに励まされる。地下に潜りながらも、信念と人間らしい生活の間で葛藤する。山田は、表面的には戦争映画に協力しているように見えたが、彼なりに、戦争の悲劇を主張しているつもりだったのが裏目に出たのだった。そして戦後は戦争協力者だった役者として扱われてしまう。

そしてもう一人、大地主であった実家の番頭を加える事で出自に関する苦悩と葛藤を描く。さらに、その番頭は、舞台の中では「世間」もしくは「日本人の代表」のような役割も持っている。地下活動をする男を山西惇、役者を甲本雅裕、番頭を辻萬長。女性二人はそれぞれ7役くらいずつ、シーン毎に違う役を演ずる。馬渕英俚可もよかったなあ。すっかり舞台の女優さんだ。役者はみんなよかったなあ。岡本くん、タバコの吸い方までなんだか太宰らしい感じで、ハンサムだった太宰治にぴったりだった。

井上ひさしのセリフは、本当に選びぬかれた言葉で、一つ一つのセリフがよくできている。役者もみんな達者だから、いいセリフがみんな生きて伝わってくる。洒落や言葉遊びがほんとにおかしい。地下に潜った男の潜伏先にはみんな「あか」がついているとか、板前に化けているときに作る料理は「赤貝」「赤カブ」「まぐろの赤み」と、みんな赤い食べ物とか、そういう遊びも妙に笑える。音楽の使い方も秀逸で、場と場の間に流れる曲には「インターナショナル」がアレンジされているし、長屋の隣りのおばさんたちは「インターナショナル」を三味線にあわせてジンタで歌うのがおもしろい。

実家の番頭は、戦争が進んで行くに連れて軍国主義的になっていくが、戦争が終わったとたん「人間みな平等、民主主義万歳」と叫ぶ。「長いものにまかれる」典型的な日本人だ。彼も人間としてはとてもいい人で、泣かせるシーンもある。でも、戦前は、地下に潜りながら民主主義や戦争反対を主張していた佐藤を非国民と言っていた番頭が、戦後になったとたんに、戦前は自分が批判していたことを平気で万歳と言うことが、修治にはガマンできない。太宰が、番頭に対して「人間みな平等、万人平等と言えるのは、たとえば、佐藤、こいつみたいに、心の底からそう信じて、そのために命をはって、がんばってきたやつだけじゃないか」と叫ぶシーンがある。

井上ひさしは、この舞台で太宰治がどういう人だったかを伝えたいだけでなく、主要人物4人それぞれの生き様を描く事で、あの戦争の時代の中での日本人一人一人の責任も問うているように思えた。

最後、暗転して再び映し出される原稿の映像は、「人間失格」の「失」の上に「合」という文字が貼られ「人間合格」になっていた。うんうん、そうだよな。太宰治は人間としてとっても魅力的。まさに「人間合格」。

[演劇]「IZO」

●「IZO」(青山劇場)(1/21ソワレ)
作:青木豪 演出:いのうえひでのり 美術:堀尾幸男 照明:原田保 衣装:小峰リリー 音楽:岡崎司 企画制作:劇団☆新感線 ヴィレッヂ
出演:森田剛、戸田恵梨香、木場勝己、西岡徳馬、田辺誠一、池田鉄洋、山内圭哉、千葉哲也、粟根まこと、逆木圭一郎、右近健一、河野まさと、吉田メタル,他

「IZO」というタイトルを見て思い出したのは、「人斬り伊蔵以蔵」。その名前を知ったのは、黒鉄ヒロシの「新選組」という漫画。この漫画は、絵をそのまま映画にしたというユニークな映画になっていて、オリジナルの漫画に出て来た幕末の数多くの人物の中で、覚えていた数少ない人物「人斬り伊蔵以蔵」。そりゃそうだ。「人斬り」なんて、実在したとは思えないような呼び名だもの。

今回、剛くんが演ずるのはまさにその「人斬り伊蔵以蔵」。

なにせ「人斬り」なので、殺陣が多いが、今回の剛くんの殺陣はカッコいいとか美しいというものではない。なぜなら、「野良犬」と言われ、生きるためには手段を選ばず相手を殺す「人斬り伊蔵以蔵」だから。刀で斬るだけでなく、殴ったり蹴ったりが間に入る。そして、「人斬り」だから、伊蔵以蔵はとても哀しい存在だ。

剛くんの声がすっかり枯れてしまっているので、最初はどうなることかと思ったし、他の役者さんは達者な人が多いので、正直、途中はちょっと辛いと思ったところもあったのだが、最後の方は伊蔵の哀しさ、切なさが剛くんのセリフと全身から伝わって来た。それにしても剛くん、きれいな着物よりも、ぼさぼさの頭とボロボロの着物が似合う事。

田辺誠一は、セリフがやや一本調子だったのだが、最終的にはそれも別の意味で説得力があったような気がする。木場さんは、普通に静かにしゃべるだけでもすごい説得力。さすが!出番が少ないのがもったいない。西岡徳馬は安心して見ていられる。池田鉄洋の龍馬、粟根まことの勝海舟はぴったり。山内圭哉は前髪のあるカツラだったので、最初は誰かと思ってしまった。普段はスキンヘッドだから。前髪があると、はっきりした目鼻立ちがかわいく見えるんだなあ。声も二枚目で、これも役にあっていたし、客演の役者はみんな達者だった。

青木豪さんは、いつも女性の描き方が素敵なのだが、今回も、地に足がついているのは伊蔵以蔵の幼なじみのミツ。そんなミツを戸田恵梨香ちゃんが好演。土佐弁のセリフを普通にしゃべっているのだが、その普通のセリフに、ほんとに地に足がついている感じが出ていた。

役者はみんなよかったが、とにかく長過ぎ。特に前半、説明的なシーンが多い。幕末の勉強をしているみたいだった。その上、舞台上ですべてを説明しきれないので、さらに映像と文字による説明が間に入るし、場面転換のときも映像が入り、集中して入り込めない。エピソードを絞って、史実の説明はいっそのこともっと映像や文字に集中して使うとかして、せいぜい2時間半くらいにしてくれたらよかったのにと思う。

物語は、基本的に史実に沿っているので、流れは変えようがないわけだが、「人斬り」と言われる伊蔵以蔵が、なぜ、そうだったのかというところに対する目線が青木豪さんらしい。最終的には人間はどう生きるべきかという問題なのだが、それが陳腐でも説教臭くもなく、当たり前の事に納得してしまう。だから「人斬り」の人生を描いているのに、舞台を見終わった後の後味は悪くない。それだけに、説明的なシーンが長過ぎる事が惜しい。

史実を扱っているせいか、脚本が外部の人だからか、鬼が出てくるちょっとファンタジックな新感線の時代劇とは違い、衣装がちゃんとした着物だし、履物も草履や下駄だった。前に染五郎が出た舞台のときは、染五郎一人だけ着流しに雪駄で、新感線の役者は和風の衣装とスニーカーだった。そして音楽もいつものハードロック風ではない。新感線っぽいギャグも少なめ。だから、いつもの新感線の舞台とはおもむきが違った。正直なところ、私としては、昨日も書いた通り、今回の脚本は、鈴木裕美さんの演出の方が合っていたように思う。

ネタバレ的な事については「続きを読む」に。

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[演劇]「恐れを知らぬ川上音二郎一座」

恐れを知らぬ川上音二郎一座(シアタークリエ)(12月11日ソワレ)

作・演出:三谷幸喜 美術:堀尾幸男 照明:服部基 衣装:黒須はな子 音楽:荻野清子 邦楽:杵屋五七郎、鳥羽屋長秀
出演:ユースケ・サンタマリア、常磐貴子、戸田恵子、堺雅人、堺正章、浅野和之、今井朋彦、堀内敬子、阿南健治、小林隆、瀬戸カトリーヌ、新納慎也、小原雅人、ベーカー・ウィリアム・ヒュー

昨日の深夜にアップした緊急連絡に書いた、今日のシアタークリエのチケット、おかげさまでなんとか引き取り手がみつかり、無駄にならずにすんだ。なんつっても、12000円だから、これは大きい。前のほうの真中で空席ってのも、役者さんも気になるだろうと思ったので、うまってよかった。

そう、この舞台のチケット代は12000円。てっきり、音楽劇かと思っていたら、ストレートプレイだった。とにかく、シアタークリエの柿落としで三谷の新作ということだけでチケットをとったので、誰が出ているのかとか、いくらなのかさえ気にしていなかった。でも、キャパ600人程度の劇場でやるストレートプレイが、どうしてこんなに高いんだろう。たしかに、役者はそれなりの人ばかりだが。

12000円もする舞台は、涙が出るほど笑ったし、間違いなくおもしろかったが、同じ12000円なら、昨日の方が価値がある気がする。昨日は12000円はお得って思ったもんな。

今日の舞台は、演劇を見ているというより、超高級コントを見ているような気がした。だって12000円だし、脇の役者のレベルがめちゃくちゃ高いし。

一番印象的だったのは、堺正章のエンターティナーっぷり。基本的に舞台の人ではないから、1ヶ月の公演をへて声は少し枯れていたが、全身の動きがきれいだし、おかしい。今回の舞台、三谷自身がこの堺正章を見たかったのかもしれない。

脇はみんなほんとに達者で、今井さんや浅野さんをこれくらいしか使わないのはもったいないと思ったくらい。戸田恵子、瀬戸カトリーヌ、堀内敬子の3人は、あいかわらず存在感といい芝居のうまさといい、文句なし。

そういう達者な脇役に囲まれて、肝心の主役がなあ。ユースケはまだいいんだ。なぜなら、音二郎は、そのままユースケ自身のイメージで描かれているから。いいかげんで、いきあたりばったりで、言葉に誠意がないというか、まあ、そういう感じ。問題は常盤貴子。予想通りだが、セリフが所々ちゃんと言えていないし、元芸者らしい美しい動きにも見えなかった。「舞台に彼女が出ると、誰もが彼女だけをみてしまう」マダム貞奴にはとても見えなかった。

松たか子あたりがこの役をやっていれば、最後の大事なところがしまって、超高級コントではなくなったかもしれない。

そうそう、浅野さんは今回は女形の役なのだが、それが見事に女形に見えるし、相変わらず動きがいい。阿南さん、今井さんもめちゃくちゃ動くし、身軽だし、舞台の人はすごいなあ。その浅野さんにちょっと泣かされた。さすだが。

浅野さんは意外な役柄だが、それ以外は、実はみんな「いかにも」というキャラで、宛書の三谷の場合、しょうがないのかもしれないが、あんまり「いかにも」ってのもどうなのかなあ。堺雅人は山南さんだし、今井さんのインテリっぽい感じも「らしい」し、戸田恵子も「らしい」キャラ。

ユースケは、カーテンコールでウィンクしたり、投げキスをしたり、「ぷっすま」で見るユースケのまんまだった。そのまま、音二郎でもあった。

たしかに、涙が出るほど笑ったし、間違いなく楽しかったが、12000円を払ってもう1回見たいかといわれると、それほどでもないかなあ。

[演劇]「Get Back!」

「Get Back!」(グリング第15回公演)(ザ・スズナリ)(12/7)

作、演出:青木豪 美術:田中敏恵 照明:清水利恭
出演:片桐はいり、萩原利映、中野英樹、杉山文雄、高橋理恵子、村木仁、黒川薫、遠藤留奈

子供の喘息をなおすため、田舎に引っ越した夫婦が営む民泊には、毎年、夫(杉山文雄)の従姉妹で漫画の原作を書いているりん(片桐はいり)が泊まりに来る。今年に限って、りんがずっと原作を書いている漫画の絵の方を描いている晴子(萩原利映)とアシスタント(中野英樹)も一緒だった。りんと晴子は20年もコンビで漫画を作っているが、りんは、最近では小説も書き、かなりの売れっ子で忙しい。最近、二人の仲はうまくいっておらず、アシスタントが間に入ってとりもつ日々。

妻(高橋理恵子)の兄(村木仁)はずっと田舎に住み、独身でガンマニア。近所のオーガニックレストランでバイトをしている女の子・紅葉(遠藤留奈)が、宿泊先を探している東京の医大生(黒川薫)を案内してくる。

りんと晴子の関係を軸に、民泊で出会った初対面の人々がお互いに関わりあい、その結果、クライマックスとなる事件が起こる。その事件を含む2泊3日を通して、共同体であったりんと晴子の関係が変わる。それは単なる崩壊ではなく、暖かい気持ちになれるところが青木豪の作品らしい。

一人一人のキャラが立っていて、伏線がたくさんはりめぐらされている緻密な構成。そして、セリフも演出も細かいところが妙におもしろい。役者がみんな達者だから、その細かい演出も引き立って、すごく笑える。

中心はりんと晴子だが、「事件」は、その二人の対立から起るのではない。二人のアシスタントも実はガンマニアで、兄とその話でもりあがる。一方、紅葉とアシスタントはUFOの話でもりあがる。最初から、兄は紅葉とどこかで会ったことがあるというが、どこで会ったのかは思い出せない。でも、紅葉のライターを見て思い出す。実は、紅葉は以前、ホテトル嬢をやっていて、兄は呼んだことがあったのだ。

それを思い出したとたん、兄の態度が変わる。その場の会話で、紅葉が兄に対して失礼なことを言ったとか、そういうわけでもないのに。ただ、彼女が元ホテトル嬢だったというだけの理由で。

兄は、りんと晴子の関係悪化で落ち込むアシスタントを元気付けるのに胸を見せろと言い出す。最初はあいまいにあしらっていた紅葉だったが、兄がしつこく言いつづけると、紅葉はナンバーワンだったという風俗嬢時代の話を始める。「私を傷つけようと思って、こんな話を始めたんだろうけど、私は誠意を持ってあの仕事をしていたから、あいにくだけど、傷つかない」と言い放つ。そして、「あんた、お客に来たことあるよね」というと、こんどは兄が返事をできない。

兄を演ずる村木仁がうまいので、紅葉に迫るのを見ていると、すごく嫌な気持ちになる。私と同じように、アシスタントも兄の態度を苦々しく思っている。兄が紅葉の洋服をめくろうとしたのを見たアシスタントは突然切れる。キレたアシスタントは、兄が持ってきたモデルガンを兄につきつけて紅葉から引き離す。モデルガンとはいえ、改造してあるので、そのまま引き金を引いたら大怪我をする。それを知っていてつきつけているので、あたかも強盗にあっているかのような状況になる。

実は、この舞台、このシーンが冒頭にあるのだ。いきなりそんな緊迫したシーンで始まるからびっくりする。そして暗転後、りんたちが民泊にやってくるところから始まる。

そういう演出上のおもしろさもあるのだが、それよりも、私が感心するのは、紅葉と兄の描き方。「獏のゆりかご」のときも、青木豪は、男の勝手な、いわば「通俗的な」思い込みと、一人の人間としての女性の気持ちとのギャップを描いていて、そこがすごくよかったのだが、このシーンにもそれと通じる目線がある。

私は青木さんのそういう目線が好きだ。緻密で小技の聞いた脚本や演出とともに、青木さんの魅力だなあ。IZOが楽しみだなあ。

当面の録画予定 & Recommend
・1/31(日) 23:00 TBS
 情熱大陸(斗真)

・2/12(金) 22:00 NHK教育
 劇場中継「鵺」

・2/19(金) 22:30 NHK教育
 パリ・オペラ座「バレエ・リュス・プログラム」

・2/26(金) 24:45 BS2
 舞台「JAM」(グリング)



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