おはようございます。
ピープルズセレクション
先日、直木賞作家で数々の時代小説を生み出した
作者 池波正太郎さんをご紹介いたしました。

池波正太郎さんといえば
鬼平犯科帳、
剣客商売、
仕事人藤枝梅安
が代表作と言われています。

そして、鬼平犯科帳の主人公 火付盗賊改方 長谷川平蔵の台詞が
池波正太郎さんの小説の世界観を表しています。

そのセリフというのが
”人間というものは、遊びながら働く。
善事を行いつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。
悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事を楽しむ。
これが人間だわさ”

というものです。

生きてゆくということは、いろいろな矛盾を抱えて、それをうまくバランスをとりながら生きている。
そういう人間くささが、登場人物の中に、丁寧に描かれているんです。

鬼平犯科帳がいわゆる勧善懲悪の捕物ばなしではなく、江戸の人々の生きざまを描いている
人間描写の物語なんです。
 
他の作品も設定は、いろいろありますが、人間描写という点で池波作品に一貫したテーマです。
池波作品は、同じ小説でも、読んだ時の年齢によって、感じ方が違う言われているのも、特徴の一つです、

その池波正太郎さんは、
大正12年 1923年に日本橋の浅草で生まれました。
日本橋の糸や布を扱う問屋の番頭という、江戸商人で生まれた正真正銘の江戸っ子です。
小学生の時に、将来は何になりたいか?と先生に聞かれ、ほかの子が、”学者”や”軍人”と答えるなか、
池波少年は、”株や”と答えたとのことです。
そして、実際に12歳で小学校を卒業すると、茅場町の現物取引所に勤めたのです。

下町の大人社会で生きてきた池波氏は、銀座に出かけて、洋画の鑑賞や芝居見物そして、美味しい食事を
楽しみながら、「男の粋」という感覚を身につけたのです。

そして、19歳には、自分の周りの人々生活を描いた作品を発表、その後戦争に巻き込まれるも
22歳で終戦をむかえます。
 
終戦後は東京都の衛生課の職員の仕事をしながら演劇の脚本を書いては、新聞社に脚本賞に応募を続け、
その縁で25歳新国劇の脚本を書くようになる。
そして、31歳を書き始めて、32歳で職員をやめて執筆に専念したということです、
 
37歳で錯乱で直木賞を受賞して、67歳で亡くなるまでに、数多くの小説、戯曲を執筆しました。
その池波氏の生涯を肌で感じることができるところがあるのです。
 
そこは、浅草の浅草寺(浅草寺)から、歩いて、10分ぐらいのところにある、
台東区中央図書館に併設されている”池波正太郎記念文庫”です。

 https://www.taitocity.net/tai-lib/ikenami/index.html

池波正太郎氏の業績や作品の世界を広く伝えるため、
平成13年9月26日に開設されました。
 
展示の目玉は、数々の作品が生まれた書斎を復元したコーナーです。
机・いす・本棚などが再現されていて愛用の万年筆やパイプなど、
当時の執筆時の様子が伝わってきます。
 
著作の展示は、1000冊あまりの全作品が
発刊当初のハードカバーで展示されています。
自筆の原稿も見ることができます。

さらに、池波は、小説だけではなく、絵の才能もあり
画家顔負けの作品も展示されてます。

また、池波氏の人となりを表す、 ひとつのエピソードが紹介されています。
池波氏は、毎年1000枚以上の年賀状をだしていたとのことですが、
自分で干支の挿絵を書いた年賀状を夏ごろまでに準備して、
一枚一枚手書きしていたということです。

僕も久しぶりに、鬼平犯科帳をもう一度読み返してみたいと思います。