花森安治
とと姉ちゃん、終わってしまいましたね。とと姉ちゃんロスの僕

そんなとと姉ちゃん、最後まで見ましたが事実上の最終回は金曜日の155回目のように感じました。あの常子と花山のやり取りを見ていて、そんなことを思ってしまいました。ひょっとしたらNHKはとと姉ちゃんよりも花山伊佐次を描きたかったんではないか?と思うほどです。

その花山伊佐次のモデルとなった花森安治さんについて番組で紹介したのは910日のことでした。雑誌、出版、マスコミ業界では知らない人はいないと言われるほどの巨匠で、彼が戦後の日本に与えた影響の大きさは計り知れない、それほどの人でした。


ドラマ「とと姉ちゃん」をご覧の方は彼が何をしたか既にご存知だと思いますが、改めてご紹介。花森安治さんは雑誌「暮しの手帖」の初代編集長としてドラマで描かれていたように亡くなられるその日まで仕事をし続けた方で、最後まで自分で取材をし、写真も撮り、原稿を書いて、レイアウトして挿絵も書いてと全てをこなす、マルチな才能を持った稀有の編集者でした。彼をしてレオナルド・ダ・ヴィンチだというほどもいたほど。彼が作った雑誌「暮しの手帖」には広告が一切入っておらず(現在でもそうです)、その理由は広告主に遠慮することなく自由な表現活動をしたいということと、雑誌の全てのページを自分の美的感覚に合うように作りたいというこだわりがあるから。なるほど、広告を入れると美しくない写真や挿絵を使わなければならいこともありますものね。そんな完璧主義とも言える雑誌の編集者なのでした。


さて、もう少し詳しく花森安治さんを紹介させてください。花森安治さん、1911年(明治44年)に神戸に生まれました。旧制松江高等学校に進学後、東京帝国大学に進学。学生時代から学内向けの雑誌や新聞作りで才能を発揮し、このころから編集者として生きていくことを決めたとのこと。

大学卒業後は民間企業の宣伝部に勤めていましたが、太平洋戦争の開始とともに入隊、そして体調を崩したことにより除隊。その後は、大政翼賛会の宣伝部に勤め、戦争を推し進める、戦争を肯定する宣伝活動を仕事にしていました。仕事とはいえ、戦争を肯定し、国民を扇動した事実に対し、のちに自らを戦争犯罪人だと思っていたと口にしたことがあったほどで、それが雑誌「暮しの手帖」を作るきっかけの一つとも言えるでしょう。「日々の暮らしを大切にすることが戦争を防ぐ大きな力になる。」だからこそ日々の暮らしを良くするために雑誌「暮しの手帖」を作ったのでした。


ドラマ「とと姉ちゃん」や実際に発行されていた雑誌「暮しの手帖」のクライマックスは商品テストだったと思います。あの商品テスト、ドラマで描かれていた以上に徹底して行われていました。そこが花森安治さんのこだわりポイントです。商品テストに関するエピソードはいくつも残っているのですが、その中で印象に残っているのは圧力鍋のエピソード。圧力鍋でイワシを煮るテストをしていた時、魚が足りなくなったのですが、それでテストはやり直し。同じ条件でテストをするために、形も大きさも鮮度も揃ってないとダメ!と花森さんは一喝。それから、過激なテストもしていました。今ではあまり見かけなくなった石油ストーブの商品テストでは「燃えているストーブが倒れたらどうなるか試してみろ!」と火のついたストーブを倒しまくったとか。常識外のテストですよね。この石油ストーブのテストは東京消防庁とのバトルにもつながります。「ストーブの火を消すには、まず毛布をかけてから水をかけろ」と指導する東京消防庁に対し、「ストーブの火は水で消える」と主張する暮しの手帖。東京消防庁は、油の火事に対して水をかけるのは厳禁(天ぷら火災などはそうです)という思いで毛布をかけてから水を主張していたのですが、実験の結果から暮しの手帖は水だけで消えると主張したのでした。こちら世間を巻き込んで公開実験が開催されました。公開実験の結果は、暮しの手帖の正しさが証明され、東京消防庁は主張を取りさげてストーブを使う時には近くに消火用の水を置きましょうとアドバイスし始めたのでした。


商品テストには花森安治さんの新し物好きの性格、ものを大切にする考え方が大きく影響しています。花森安治さん、新しいもの、便利なもの、面白いものに目がなく、良いものを見つけると周囲にも買え買え!とオススメしていました。一方、気に入ったものは大切に長く長く使う、そういう一面もありました。そういう新しくて良いものを長く使うという哲学が商品テストを支えていたのかもしれません。良いものを長く使う、よりよい暮らしの基本なのかもしれませんね。

花森安治さん、ドラマで描かれていたように厳しい人だったと言われていますが、優しい一面もあったようで、クリスマスの夜、家族持ちには早く帰れと言い、独りものには一緒に銀座で夕食でも食べようとご馳走してあげたエピソードも残っています。男性社員からは「おやじさん」「親方」「ボス」って呼ばれ慕われていたようです。ちなみに、花森さんご自身は「親方」って呼ばれるのが好きだったようですよ。

それから、銀座のゴジラと呼ばれていたほどの強面だった花森安治さんですが、ファッションには本当にこだわりがあり、女性のファッション、服の着こなしについて書いた「服飾の読本」を創刊号から書いていました。こちら、暮しの手帖の創刊号から引用させてもらいます。

日本人に一番いいスカートの長さ:膝小僧よりは長く、いっそ、くるぶしまで届かせるか、でなければ膝からそれほどくだらない長さがいい。畳の上に座って、スカートの裾が緩やかに畳の上に垂れて、膝を覆い隠してくれる程が一番良いと思う。ことに今の日本の暮らしから考え合わせて、ここ数十年は、少なくとも畳を離れることはできないのだから、やはり畳の上に座った時の美しさということも、忘れられないのである。

美意識の高さは自らのファッションにもありました。女装をしていたなんてエピソードも伝説のように残っていますが、ファッションにこだわりがあったのは事実。出がけに靴下の色が服に合わないと言って人を待たせて靴下を履き替えたという話もありました。

そんな美意識の高い花森安治さん、いろいろ調べてみますと意外な一面もありました。実は、散髪やお風呂が嫌いだったというエピソードも残っています。お洒落にこだわるのになぜ?と思ってしまいますが、散髪嫌いなこともあって結果、長髪になってしまったのかもしれません。また、長髪だとパーマもかけてお洒落にできますしね。


そして最後に僕が花森安治さんのことを調べていて一番印象に残ったのは、やはりジャーナリストとしての花森安治さん。ドラマの中でも描かれていましたが、彼はジャーナリストとしての矜持を大切にしていました。「ペンは剣よりも強し」、この言葉を大切にし、世の中に武力を鍛える人がいる以上にペンの力を持つ者はその力を鍛えなければならないとした旨の言葉を残しています。「ペンの力は今はダメになってしまった。だから選挙に訴えた」なんていうジャーナリストもいますが、今のジャーナリストは武力を鍛えている人以上にペンの力を鍛えているのでしょうか。今の世の中、花森安治さんが生きてらしたらどう立ち向かっていったであろうか、それが気になって仕方がありません。雑誌とは異なりますが放送業界という何かを伝えるという仕事に関わらせてもらっている者として、この花森安治さんの思いや考え方が心に響きました。


参考文献

「花森安治の仕事」, 酒井寛, 暮しの手帖社, 平成239
「花森安治の編集室」, 唐沢平吉, 文春文庫, 平成284
「暮しの手帖別冊 『暮しの手帖』初代編集長花森安治」,  株式会社暮しの手帖社, 平成28年7月
「花森安治伝」, 津野海太郎, 新潮社, 平成283