小川もこ デリシャス・タイム

ミュージックバード  毎週土曜日 6:00 ~ 6:55 【公式HP】 http://tcc.jpn.com/mokodeli/ 

カテゴリ:Reporters > 土本康生

今日の放送でお伝えしたのは知的書評合戦ビブリオバトル。こちら大人から子供まで楽しめる、本にまつわるイベントです。5分間かけてお互いに本を紹介しあい、その紹介を聞いた参加者が自分が一番読みたい!と思った本に投票し、もっとも票を集めた本がチャンプ本になる!そんなイベントなのです。このビブリオバトル、2007年に京都大学で始まった日本発のイベントで、今では日本全国46都道府県で開催されるまでになりました。海外でも実施されております。

ビブリオバトルの面白いところって二つあると思うんです。一つ目は単純に良い本に出会えるチャンスが増えるということ。日本では年間8万冊もの本が出版されているんですが、なかなか良い本に出会うのは難しいです。そんな中、ビブリオバトルで紹介された本の中から読んでみる本を決めるのもありかもしれません。そして二つ目は、本の紹介を通して人となりを知ることができる。そんなコミュニケーションツールでもあったりします。ビブリオバトルのキャッチコピーは「人を通して本を知る、本を通して人を知る」。本の紹介を聞いていると、その人がどんな人なのかがぼんやり見えてくる、そんな面白さがあるのです。ちょっと話が逸れますが、僕は自分の本棚を見られるのがちょっと恥ずかしいのです。その理由は、自分の頭の中を覗かれているというか、あ、つっちぃってこんな人なんだって思われちゃうようなところがあるから。ある意味、裸を見られるよりも恥ずかしいかも。本の紹介を通じて、その人のキャラクターが見えてくるのは面白いなって思います。

さて、そんなビブリオバトル、職場の本好きを7人ほど集めて実際にやってみました。紹介された本は3冊。僕が紹介したのは清水義範さんの「尾張春風伝」。他の発表者が紹介してくれたのはアガサクリスティーの「オリエント急行殺人事件」、児童小説長靴下のピッピで有名なリンドグレーンの「ミオよ わたしのミオ」でした。僕が読みたいなって思った本は「ミオよ わたしのミオ」、大人になると児童小説を手に取ろうなんて思う機会はほとんどないじゃないですか、でも、「大人になって子供の頃に読んだ本を読むと、子供の頃に読んだ感想と違った感想を持つ自分がいることに気がつかされた」って紹介に心を奪われました。今、読んでる真っ最中です♪また、オリエント急行殺人事件も名作なんですけど、僕は読んだことのない一冊。紹介を聞いていると多くの人に読み継がれる名作はやはり名作なんだなと気がつかされまして、いつか手に取ってみたいなって思っております。

ところで、ビブリオバトルへの参加方法のご紹介。ビブリオバトルへの参加方法は二種類あります。本を紹介する側で参加するか、その紹介を聞く側で参加するか。紹介する側で参加するのは少しハードルが高いですが、聞く側で参加するのは簡単です。本の紹介を聞いて自分が一番読みたくなった本を選ぶだけ。聞く側での参加は本当に気楽です。何度かビブリオバトルに聞く側で参加して、いつか「この本を紹介したい!」って思える本に出会えた時に紹介側で参加するのもいいかもしれません。

そんなビブリオバトル、日本全国で開催されています。本日1月20日は宮城、兵庫、埼玉、長野、東京、滋賀で開催。明日、1月21日は神奈川、兵庫、滋賀、東京、三重で開催されています。週末だけじゃなく平日の夜に開催される場合もありますよ。開催情報につきましてはビブリオバトル公式サイトに掲載されている開催情報をご覧ください。

あと、Youtubeにビブリオバトルの様子が投稿されていますので、そちらをご覧になるのもありですね。

ブリュッセル街並今朝も聞いてくださってありがとうございます。土本です。
(写真はクリックすると大きくなります)

来年度から職場が変わることになりまして、その関係で急に休みが取れることになりました。平日にまとまった休みを取るなんて今までしたことなかったのですが、ここはチャンスとばかりに旅行に行くことを決め、あれこれと調べて決定した行き先はベルギー。そんなわけで今回は、ベルギー旅行記をお伝えいたしました。

そもそも急に旅行に行こうと決める時って、普通だったらフランスの首都パリだとか、イタリアの首都ローマとか、アメリカの大都市ニューヨークとかに行きそうなもんですが、なぜか僕が選んだのはベルギーの首都ブリュッセル。値段が安かったのもあるのですが、ベルギービール、ベルギーワッフル、ベルギーチョコ、そしてムール貝を始めとするベルギー料理。それに魅かれて行き先はベルギーになりました。 ベルギー、本当に良いところでしたよ!帰ってきたばっかりですが、また行きたいと思ってるほど。番組でもお伝えしましたが、食べて良し、観て良しの国なのです。

歴史があるベルギー、それこそ江戸時代と同時期に建てられたような建物がいくつも残っており、それらが世界遺産に登録されています。ベルギーの首都ブリュッセルにあるグランパレスという広場では、広場を囲むように建てられている建物が荘厳でゴージャスで、また夜に行くと光で綺麗に照らされた建物がとても幻想的でした。
グランパレス

実は今回、ベルギーの首都ブリュッセルだけでなく、電車に乗ってベルギー北部の都市「ブルージュ(急行電車で1時間程度)」や「アントワープ(同45分程度)」にも行ってきたのですが、こちらの建物も同じように古いけども荘厳で気品さえ感じます。中には世界遺産に認定されているものもありまして、アントワープのノートルダム大聖堂などが有名です。このノートルダム大聖堂、ピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、そう、フランダースの犬の最終回でネロがパトラッシュに寄り添われながら亡くなる場面、その舞台となったのがこのノートルダム大聖堂なのでした。子どもの頃に見た映像がなんとなく頭に蘇ってきます。最近の子供たちはフランダースの犬を知らないようですが、番組をお聴きのあなたはご存知かと思います。
ノートルダム大聖堂とルーベンス像ルーベンス「キリストの昇架」

ちなみにベルギーでは、英語が通じます。特に観光地的なところであれば、ほぼ通じると思っていて大丈夫だと思います。若い日本人の3人グループが、ワッフル屋さんで片言の英語でコミュニケーションしつつ、ちゃんと彼らの食べたかったものが出てきてました。ただし、公用語はフランス語とオランダ語なので、観光地で何かの説明を読もうとするとフランス語とオランダ語でしか書いこともあり、ちょっと戸惑ったりすることもありました。その点だけ残念ではありますが、なんとか旅行はできるものです。
ワッフル

今回の旅で一番印象に残ったのは、ベルギーの人たちの優しさでした。日本のガイドブックに載っていた魚屋さんが経営する立ち飲み屋さんで知り合ったベルギー人ご夫婦、狭いテーブルだったのですが「一緒に食べましょうよ」と誘っていただき、ついでにアレコレとお話しさせていただきました。最後には意気投合して、「ぜひ日本にも遊びに来てね」と連絡先を交換させてもらうほど。日本の立ち飲み屋も大人の社交場だったりしますが、ベルギーでも同じなんですね。こういうのが旅の醍醐味。SNSなどで連絡を取りやすくなっているので、この縁を大切にしていきたいものです。ちなみに、そんな気さくなご夫婦、奥様が元バレリーナだということで、確かに背もすらっと高くスリムで、お美しい方だったのにも驚かされました。
魚屋さん経営の立ち飲み屋

さて、ベルギー。日本からの行き方ですが、成田空港から全日空の直行便で飛ぶこと11時間半の長旅。他社便であれば、フランスのパリ経由やドイツのフランクフルト経由、トルコのイスタンブール経由など、一度の乗り換えでベルギーまで行けます。今回は冬の寒い時期に行ったので、次回は暖かい初春の時期に行ってみたいと思っています。

土本秘蔵のnamco本おはようございます。土本です。今朝のデリシャスタイムでゲームメーカー「namco(ナムコ)」についてお伝えしました。なぜ今、ナムコなのか。それはちょうど一ヶ月ほど前、創業者の中村雅哉さんが亡くなられたのをきっかけに僕の周囲で、改めてナムコの作るゲームは面白かったと盛り上がったからです。


そのナムコ。過去にゲームの歴史を変えるようなゲームをいくつも作っています。


「ナムコ」の名前は知らなくても「パックマン」ってゲームは聞いたことがありませんか?もこさんが「パクパク」と言ってくれてましたが、丸いピザをひと切れかふた切れ食べたような形をした黄色いキャラクターを操作して、モンスターから逃げつつ画面上のドット(・)をパクパク食べていくゲーム。こちら日本だけじゃなく世界中で大ヒットし、アメリカのミッキー、日本のパックマンと並び称されるほど有名でした。それもあって、中村雅哉さんの死は日本以上に世界中で大きなニュースとなりました。海外のCNNBBCNYタイムズでも報道されていました。


ちなみに、パックマンがゲームセンターに並び始めたのが1980年。今から37年前の話です。今年で70歳になるうちの父親が喫茶店で遊んでいたのを覚えています。若い頃、特に男性は、よく遊んだなー!なんて懐かしく思い出してもらえるんじゃないでしょうか。40代後半の僕も、ちょうどのそのぐらいからゲームにハマりまして、ナムコの作ったゲームに一体いくらお金をつぎ込んだのかと、正直驚いています。


僕がハマったナムコゲームは、「マッピー」「ドルアーガの塔」「リブルラブル」「源平討魔伝」「ドラゴンバスター」「メトロクロス」「モトス」とあげればきりがありません。ある意味、僕の青春時代でした。ハマりにハマって、この当時のナムコのゲームは全てクリアするほど入れ込んでましたねぇ。


そんな僕がナムコのゲームを思い出しつつナムコのゲームの歴史を振り返って見て、思わず身震いをしてしまったのが番組でお伝えした二つの事実。今でこそゲームの常識となった二つの事実をナムコが作り出したのです。

SpecialFlagひとつ目は、あるアイテムを取ったらもう一回多くプレイできる「1up」って概念を生み出したこと。こちら、ゼビウスというシューティングゲームの中で「スペシャルフラッグ」を取ると残機が1機増えて、失敗してももう1回多くプレイできるようになりました。これが「1up」の始まり。今までは得点が1万点を超えると、もう一回みたいな仕組みはありましたが、アイテムをとって1upというのはゼビウスが初めてなのです。スーパーマリオで遊んだことがある人はご存知と思いますが、例の「1upきのこ」はゼビウスのスペシャルフラッグ無しには登場し得なかったのです。


そして、ふたつ目。このスペシャルフラッグ、実はゲーム史上最初の隠れキャラでもあります。特定の条件を満たした時に現れるキャラクター、今では一般的になりすぎて有り難みもないですが、その第一歩を踏み出したのが、このゼビウスというゲームでした。先ほど紹介したスペシャルフラッグは実は画面上には表示されていなくて、そこに弾を撃ち込むと表示される、そんな仕掛けに驚いたのを思い出します。


正直、最近のテレビゲームは、複雑すぎて難しすぎてついていけない!なんて思うことが多いですし、一度やり始めると途中でセーブ(保存)して続きは後日なんてゲームが多いので気軽に遊べないなと思うことが多いです。ですが、昔のゲームはシンプルでアイディア重視の面白いゲームが多かったように思います。実は今、任天堂のWiiDSだとバーチャルコンソール、プレイステーションだとゲームアーカイブスで昔のナムコゲームが数百円で何度も遊べるようになってます。お子さんのWiiDS、プレイステーションが家にある方は、懐かしのナムコゲーム、ぜひ遊んでみてください♪

花森安治
とと姉ちゃん、終わってしまいましたね。とと姉ちゃんロスの僕

そんなとと姉ちゃん、最後まで見ましたが事実上の最終回は金曜日の155回目のように感じました。あの常子と花山のやり取りを見ていて、そんなことを思ってしまいました。ひょっとしたらNHKはとと姉ちゃんよりも花山伊佐次を描きたかったんではないか?と思うほどです。

その花山伊佐次のモデルとなった花森安治さんについて番組で紹介したのは910日のことでした。雑誌、出版、マスコミ業界では知らない人はいないと言われるほどの巨匠で、彼が戦後の日本に与えた影響の大きさは計り知れない、それほどの人でした。


ドラマ「とと姉ちゃん」をご覧の方は彼が何をしたか既にご存知だと思いますが、改めてご紹介。花森安治さんは雑誌「暮しの手帖」の初代編集長としてドラマで描かれていたように亡くなられるその日まで仕事をし続けた方で、最後まで自分で取材をし、写真も撮り、原稿を書いて、レイアウトして挿絵も書いてと全てをこなす、マルチな才能を持った稀有の編集者でした。彼をしてレオナルド・ダ・ヴィンチだというほどもいたほど。彼が作った雑誌「暮しの手帖」には広告が一切入っておらず(現在でもそうです)、その理由は広告主に遠慮することなく自由な表現活動をしたいということと、雑誌の全てのページを自分の美的感覚に合うように作りたいというこだわりがあるから。なるほど、広告を入れると美しくない写真や挿絵を使わなければならいこともありますものね。そんな完璧主義とも言える雑誌の編集者なのでした。


さて、もう少し詳しく花森安治さんを紹介させてください。花森安治さん、1911年(明治44年)に神戸に生まれました。旧制松江高等学校に進学後、東京帝国大学に進学。学生時代から学内向けの雑誌や新聞作りで才能を発揮し、このころから編集者として生きていくことを決めたとのこと。

大学卒業後は民間企業の宣伝部に勤めていましたが、太平洋戦争の開始とともに入隊、そして体調を崩したことにより除隊。その後は、大政翼賛会の宣伝部に勤め、戦争を推し進める、戦争を肯定する宣伝活動を仕事にしていました。仕事とはいえ、戦争を肯定し、国民を扇動した事実に対し、のちに自らを戦争犯罪人だと思っていたと口にしたことがあったほどで、それが雑誌「暮しの手帖」を作るきっかけの一つとも言えるでしょう。「日々の暮らしを大切にすることが戦争を防ぐ大きな力になる。」だからこそ日々の暮らしを良くするために雑誌「暮しの手帖」を作ったのでした。


ドラマ「とと姉ちゃん」や実際に発行されていた雑誌「暮しの手帖」のクライマックスは商品テストだったと思います。あの商品テスト、ドラマで描かれていた以上に徹底して行われていました。そこが花森安治さんのこだわりポイントです。商品テストに関するエピソードはいくつも残っているのですが、その中で印象に残っているのは圧力鍋のエピソード。圧力鍋でイワシを煮るテストをしていた時、魚が足りなくなったのですが、それでテストはやり直し。同じ条件でテストをするために、形も大きさも鮮度も揃ってないとダメ!と花森さんは一喝。それから、過激なテストもしていました。今ではあまり見かけなくなった石油ストーブの商品テストでは「燃えているストーブが倒れたらどうなるか試してみろ!」と火のついたストーブを倒しまくったとか。常識外のテストですよね。この石油ストーブのテストは東京消防庁とのバトルにもつながります。「ストーブの火を消すには、まず毛布をかけてから水をかけろ」と指導する東京消防庁に対し、「ストーブの火は水で消える」と主張する暮しの手帖。東京消防庁は、油の火事に対して水をかけるのは厳禁(天ぷら火災などはそうです)という思いで毛布をかけてから水を主張していたのですが、実験の結果から暮しの手帖は水だけで消えると主張したのでした。こちら世間を巻き込んで公開実験が開催されました。公開実験の結果は、暮しの手帖の正しさが証明され、東京消防庁は主張を取りさげてストーブを使う時には近くに消火用の水を置きましょうとアドバイスし始めたのでした。


商品テストには花森安治さんの新し物好きの性格、ものを大切にする考え方が大きく影響しています。花森安治さん、新しいもの、便利なもの、面白いものに目がなく、良いものを見つけると周囲にも買え買え!とオススメしていました。一方、気に入ったものは大切に長く長く使う、そういう一面もありました。そういう新しくて良いものを長く使うという哲学が商品テストを支えていたのかもしれません。良いものを長く使う、よりよい暮らしの基本なのかもしれませんね。

花森安治さん、ドラマで描かれていたように厳しい人だったと言われていますが、優しい一面もあったようで、クリスマスの夜、家族持ちには早く帰れと言い、独りものには一緒に銀座で夕食でも食べようとご馳走してあげたエピソードも残っています。男性社員からは「おやじさん」「親方」「ボス」って呼ばれ慕われていたようです。ちなみに、花森さんご自身は「親方」って呼ばれるのが好きだったようですよ。

それから、銀座のゴジラと呼ばれていたほどの強面だった花森安治さんですが、ファッションには本当にこだわりがあり、女性のファッション、服の着こなしについて書いた「服飾の読本」を創刊号から書いていました。こちら、暮しの手帖の創刊号から引用させてもらいます。

日本人に一番いいスカートの長さ:膝小僧よりは長く、いっそ、くるぶしまで届かせるか、でなければ膝からそれほどくだらない長さがいい。畳の上に座って、スカートの裾が緩やかに畳の上に垂れて、膝を覆い隠してくれる程が一番良いと思う。ことに今の日本の暮らしから考え合わせて、ここ数十年は、少なくとも畳を離れることはできないのだから、やはり畳の上に座った時の美しさということも、忘れられないのである。

美意識の高さは自らのファッションにもありました。女装をしていたなんてエピソードも伝説のように残っていますが、ファッションにこだわりがあったのは事実。出がけに靴下の色が服に合わないと言って人を待たせて靴下を履き替えたという話もありました。

そんな美意識の高い花森安治さん、いろいろ調べてみますと意外な一面もありました。実は、散髪やお風呂が嫌いだったというエピソードも残っています。お洒落にこだわるのになぜ?と思ってしまいますが、散髪嫌いなこともあって結果、長髪になってしまったのかもしれません。また、長髪だとパーマもかけてお洒落にできますしね。


そして最後に僕が花森安治さんのことを調べていて一番印象に残ったのは、やはりジャーナリストとしての花森安治さん。ドラマの中でも描かれていましたが、彼はジャーナリストとしての矜持を大切にしていました。「ペンは剣よりも強し」、この言葉を大切にし、世の中に武力を鍛える人がいる以上にペンの力を持つ者はその力を鍛えなければならないとした旨の言葉を残しています。「ペンの力は今はダメになってしまった。だから選挙に訴えた」なんていうジャーナリストもいますが、今のジャーナリストは武力を鍛えている人以上にペンの力を鍛えているのでしょうか。今の世の中、花森安治さんが生きてらしたらどう立ち向かっていったであろうか、それが気になって仕方がありません。雑誌とは異なりますが放送業界という何かを伝えるという仕事に関わらせてもらっている者として、この花森安治さんの思いや考え方が心に響きました。


参考文献

「花森安治の仕事」, 酒井寛, 暮しの手帖社, 平成239
「花森安治の編集室」, 唐沢平吉, 文春文庫, 平成284
「暮しの手帖別冊 『暮しの手帖』初代編集長花森安治」,  株式会社暮しの手帖社, 平成28年7月
「花森安治伝」, 津野海太郎, 新潮社, 平成283

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