木燃人の巣穴

ここは季節の情報や私の趣味や考え方を発信するとともに、皆さんとの気楽な交流を計る場所にしたいと思います。

2010年12月

2010.12.04(土)、 旅行2日目

今朝クライストチャーチに着いて、今は市内観光の途中、今度の訪問地は街の中心部、そのシンボル的な教会などを見学したのでレポートしようと思う。

「大聖堂」
高さ63mの尖塔を持つゴシック様式の教会で、市のシンボルとして、充分な輝きを放つ。1864年にイギリス人により設計された。途中財政難があり、40年かかって建てられたそうだ。展望台もあるが残念ながら上がる時間はなかった。
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教会の中に入って見る。大変おごそかな雰囲気にのまれ、皆が一瞬静かになる!。
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ヨーロッパから持ち込まれた木であるが、気候や環境が合うのか、短期間で巨大化している。
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中央の広場は街の人達の憩いの場となっている。
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ここでも、大道芸人が見物客を楽しませている。
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レトロ趣向のチンチン電車(トラム)であるが、今は観光用であって、全長2.5Kmの走行となっている。また、夜は車中で食事が出来るそうだ。
料金は2日間乗り放題でNZ$15(約¥975)と言うが、食事代は別かも?。
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この後は再びバスに乗り、市内にあるホテルに向うが、その内容は後日の報告としたい。

                              < 続 >


(付録) 
旅について思うこと(1)

私は小型のモーターを作る工場に就職し、その製造~メンテナンスに長く携わってきた。
昭和30年代の工場の係員の仕事は、職人に仕事をしてもらうために、製造の準備から、アフターサービスまでやらねばならなかった。従ってクレームなどが起きると、しばしばお客さんの所へ出張させらたものだ。

一人で持てないような道具や部品を伴う場合、または謝るために上司が一緒の場合等以外は殆ど私一人で国内各地に出張した。

東京への出張と同期会の佐渡への行楽が重なり、私は仕事を終えて東京から直江津に直行し、スパナやハンマーなど重い工具を持ったまま、途中から行楽に合流したこともあった。また、松本に出張中に母が危篤に陥り、仕事を終えて帰ったが間に合わなかった事もあった。

宮崎の山奥に4時間歩いて現地へ行き、仕事ではこっぴどく叱られたが、その夜白く濁った美味い酒をたっぷりごちそうになり、すっかりお友達にして戴いた事もあったし、飯坂温泉の近くでは、仕事中に怪我をして入院中は町長や美人の職員のお世話になったこともあった。

当時、まだビジネスホテルなど殆ど無い時代、終電に間に合わず、泊まる旅館を捜すが、「お一人様・おことわり」が平然と通っていた、結局泊まる所がなく、深夜まで駅裏の飲み屋(バー)でハイボールなどで過ごし、後は駅のベンチで始発を迎えたことなどもあった。
みんな懐かしい旅の思い出である。

しかし、お陰を持って、46都道府県すべてに、その地に足を付ける事が出来、私の自慢の一つになっている。また、この時から私には一人旅が当たり前であり、人に頼らず全ては自己完結でなければならないとまで、身に付いてしまったようだ。

時はめぐり、今はお一人様が不当な扱いをされる事はあまり無く、おおむね何処にでも泊まれるし、お一人様専用のツアーまであるのだが、これは「お一人様」が増加したことと、自立する女性の増加、対する男の草食化(価値感の遊離)、妥協を嫌った自己主張の増加、などなどいくらもその要因はあると思う。

そんな中、”女の一人旅”は絵になると言うが、それが何故か、男の場合は未だ諸手を挙げての認知はされてないようである、しかし、私は考えを変える積りはなく、命ある限りどんどん前に進むのみである。

                                      < 続 >

2010.12.04(土) 旅行2日目

夢にまで見たニュージーランドの旅は未だ始まったばかり、クライストチャーチという街に着いて、最初に美しい庭園を見た事は前回紹介した。

ニュージーランドは大きく分けると北島と南島からなり、首都のウエリントンは北島の南の端にあるが、クライストチャーチは南島の略中央近くの東の海に面したところにある、人口37万人で南島最大の街である。

今回は、そのクライストチャーチのごく普通の家庭を訪問し、昼食を戴きご自慢の庭を拝見したのでそのレポートである。

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ハナフィンさんのお宅の玄関先である。よく手入れされた庭が広がる。
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ご夫妻の手入れによる、バラを主とした庭園であるが、ジャガイモなど野菜も少し作っておられる。
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御馳走になった料理
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色々な種類のバラを植えられているが、代表的なものを掲載する。
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これは見た事の無いきれいな花だ。
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先日、日本でも当地で地震があったことは報じられていたが、その時倒れて名誉の負傷を負われたらしいが、破損が大事な所でなくてよかったねー!?。
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「ムラサキツユクサ」には違いないが、日本のものよりも花も葉も一回り大きく、花の色も紫に近い色をしているのは風土の違いだろうか?。
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フウロソウと思われるが葉も花が大きい。
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これは「ナタネ」に近いようだ。
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*メモ

私の海外旅行歴は30年くらい前からではあるが、お決まりの東南アジア中心であって、それにフランス、ドイツ、ルクセンブルグ、アメリカ西海岸、ラスベガスでしかないが、生きている間に是非一度は赤道を越えて南半球を旅して見たいと思っていた。

それには、先ずはオーストラリアと決めて、クラブツーリズムによる、11月17日成田出発の「おひとり様オーストラリア7日間」に応募していたのであるが、参加者が少ないとのことで中止となった。

そのために、オーストラリアの次にと考えていたニュージーランドが都合良く同時期に提案されていたのだ。それも、空の便は関空からであり、且つ、名古屋から運んでくれるので、それも大きなメリットであった。(成田だと往復で別途3万円要)

ニュージーランドは世界中で最も行きたいと思ってた所、故に、ここは本来なら私の最後の旅先と考えられなくもないから、行くなら長期滞在型の、ゆっくり旅行を夢見ていたので、今回の旅行の行程表では少し忙しく、他に見たい所があるなど、少し趣が異なるから、迷いがあった。

しかし、もう既に出掛ける気持になってるものを、今更止める事は不可能である、つい、勢いで申し込んでしまったが、まさかこれが後になって、後悔することになるとは、思ってもいなかった事なのである。(理由は後編に記載)

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ヤマボウシも花が大きい!?。
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旅行の企画として、このような「一般家庭訪問」を組み入れられたのは、初めての経験であったが、外国であるが故に、新鮮な感覚で受入られたし、生のニュージーランドが見られて、よい体験となった。特別な施設や豪邸ではなく、生活感が漂う、ごく普通の家庭であったからこそ、市民の生活そのままを見た気がする。

このあと、クライストチャーチのシンボルがある中心街に向うがそれは次回に紹介したいと思う。

                          < 続く >


はじめに

健康に自信が無い訳ではないが、年をとってからは周りから、海外旅行は慎重にとの声が高いし、またある事情があって、海外だけは暫く休んでいたが、どうにか出られる状況になってきたので、この春に解禁し、思いきって「ラスベガス」に、そして今回は長年の念願であった「ニュージーランド」行きを敢行したのである。

旅行は2010.12.03(金)から同10(金)までの5泊8日間をかけての、ニュージーランドの北島、南島の主要観光地、都市を尋ね、自分もびっくりの4千枚余り(合計約24Gb)の写真を撮ってきたので、私の旅の記録として、その順序に従い、いくつかに分割して、”写真で綴る旅日記”としたいと書きはじめたのである。


ニュージランドの旅日記

2010.12.03(金)

我が家を7時15分に出発、所がコンビニにて買い物中に予定の電車に僅かな所で乗り遅れてしまった。次に来た近鉄電車急行にて名古屋に向ったが、予定通り着けば集合時間の8分前に着くからと安心していたら、名古屋駅直前の「黄金駅」踏切にてトラックが脱輪して電車は「蟹江駅」で停止してしまった。

旅の添乗員に電話の後、蟹江駅で降りてタクシーで駆けつけることを考えていたら、電車が動き出し、名古屋駅出発予定時刻の10分前に名古屋駅に到着、間一髪間に合ったのであった。やっぱり余裕をもった計画の重要性を再認識するこのような事態が実はあったのだ。待たせた皆さんや運行関係者に迷惑を掛けたので、深くお詫びをする次第である。

添乗員を含め総員12名が揃い、ニュージーランド航空がチャーターしたバスは、名古屋駅西口を私のために5分遅れの9時5分に出発し、名阪道を走り、伊賀SAでトイレ休憩をし、11時35分柏原ICを出て、関空に12時20分に到着した。

日航とニュージーランド航空の共同運航の98便は13時55分搭乗開始、略満席にして、14時55分一直線でニュージランドのハブ空港(北島)「オークランド」に向けて離陸した。一応日本語のアナウンス、日本人乗組員が居て、言葉の不自由は全く感じないし、エコノミークラスながら、おおむね快適な旅のスタートである。


2010.12.04(土)

機内食が2回出るなどあって、正味眠る時間は少なかったが、午前5時55分にオークランド国際空港に着地した。(時刻は現地時間(時差は+4時間)で記載、以下同じ)

関空からの所要時間は11時間30分となっているが、実質の正味滞空時間は11時間ジャストであったから、搭乗開始からなど前後の時間を加えると、約30分の遅れで到着した。


関空からオークランドに乗って来たのと同型機
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オークランド空港内、南島に行くために、国内線に乗り換え。
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ニュージーランドは日本と同じく南北に細長くいくつかの島でなりたち、面積は日本の70%位の所に、420万人住んでおり、先住民は15%、ヨーロパ系が68%、あとはアジア、太平洋系であるから、多民族国家である。

オーストラリア人はゴルフのキャディを見た程度の見識しかないが、来て見て驚いたのは、少し年を重ねると、男も女も縦も横も共に大変に立派になるのである、特に”ヒップ”の巨大さ、圧倒的存在感にはある種の安心感と若干の怖さを感じるほどである。

日本は北緯30~45度に対し、ここは南緯34~47度であるから、若干極に近い、このせいか、月の平均気温は真夏(2月)で15~20℃、真冬(7月)で3~10℃と気温差が少なく、実質的には四季がないという。ただ、一日の中に四季があると言われるように、寒暖差が激しいようだ。

雨は平均的には、日本よりは少ないそうであるが、観光予定地の「フイヨルド」は東京よりも多いというから、雨具は当然持参したが、何よりも写真が撮れるか否かが最も心配される。

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国内線に乗り継いで南島の「クライストチャーチ」に向う(オークランド離陸午前7時55分、クライストチャーチ着地9時4分、フライト時間は正味69分であった。
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クライストチャーチの空港内
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かっこいい管制塔
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現地日本人、女性ガイドさんと、気のいい運転手さんに迎えられ緑豊かな道を通り、市内観光に出かける。
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ウイキペディアによれば・・・・
クライストチャーチ(: Christchurchマオリ語: Ōtautahi)は、ニュージーランド南島中部、カンタベリー平野東海岸側に位置する都市である。人口は、382,200人(2008年)。ニュージーランド内で2番目、南島では最大の人口を有する。

クライストチャーチという名は、1848年に設立された移民団組織カンタベリー協会を率いたアイルランド出身の政治家ジョン・ロバート・ゴドリーの出身校であるイギリスオックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジに由来する。1848年3月27日に開かれたカンタベリー協会初会合にて承認され市名として採用された。

市名が示すとおり、市の中心部には19世紀に建てられたネオゴシック建築キリスト教聖公会イングランド国教会)の聖堂「クライストチャーチ大聖堂」が存在する。

緑溢れる街並みは“イングランド以外で最もイングランドらしい街”と称される。市内には740を超える公園が設置され緑豊かな街並から「ガーデンシティ(庭の街)」と呼ばれる。


オークランドの気候は今初夏であるが、気温は20℃前後とかなり涼しい、天候は曇りながら晴れ間も見えて、雨の心配はなく、快適な空気と新緑を腹いっぱいに吸いこんで、第一の訪問地クライストチャーチの「エイボン川」河畔に佇む「モナ・ベイル邸」や一般家庭の庭、その他庭園を散策した。

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下はかなり変わった色・形の花であるが、残念ながら姓名不詳である。トイレ休憩で立ち寄った店で「ニュージーランドの植物」という日本語の本(約¥2000)を買って調べたが掲載されていないので、嫌われ者の外来種かもしれない。
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このような美しい緑の庭を見ると、心が休まる思いがする。
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つぶらな瞳・・・・・
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庭園にはバラを主に色々な花が咲いているが、余りにも数が多いので、ここでは代表的なものに留めておき、後日機会があれば、詳細を紹介したいと考えている。
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このあと、バスに乗り次の訪問地に向ったのであるが、それは次回にしたいと思う。

                          < 続く >

No13  長谷寺(2/2)

少し時期を逸した感があるが、今年の紅葉はこれが最後だ!。

牡丹で名前を知られる「長谷寺」であるが、カレンダーなどプロの写真の被写体としてもよく見かける所である。ここは家から比較的近いこともあって、過去何回も訪れているが、紅葉の時期に来たのは初めての事で、大変美しいのには、改めて感動したものである。

先日その約半分を紹介したので、今日はその後半、最もきれいな所をお見せしたいのだ。

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「本坊」へ入る門
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以上、2010年の紅葉は、10/27の御在所岳を皮切りに、11/10に比叡山など湖西3ヶ所を、11/15に赤目四十八滝を、11/18に京都の高山寺など5ヶ所を、11/20に香嵐渓を、そして最後が、11/24に談山神社など3ヶ所を見て来た。

合計6の地域で、14ヶ所であったが、何処が一番かはそれぞれ甲乙点け難いほどに、全てが美しかった、歩いて、おしゃべりをして、コンビニのおにぎりを食べて、写真を撮って、ブログに載せて、コメントを戴いてなどと、お陰をもってたっぷり楽しむ事が出来た。これは関係する皆さんのご協力があったからこその事と、心からお礼を申すしだいである。それにもうひとつ、自身の健康にも感謝である。

                          完    


追記
次のブログからは、長編になるが、いよいよ”ニュージランド・シリーズ”が始まるよ!。

No 12  長谷寺(1/2)   奈良県桜井市

今年の紅葉は長谷寺で締めようと、一年半ぶりでやってきた。ここはご存知の通り、牡丹が有名であるが、紅葉も大変美しくしばしばカメラマンの標的になるお寺である。(駐車料¥500)

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(拝観料 ¥500)
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「仁王門」

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ウイキペディアによれば・・・・
長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は道明上人とされる。西国三十三箇所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また「枕草子」、「源氏物語」、「更級日記」など多くの古典文学にも登場する。中でも「源氏物語」にある玉鬘(たまかずら)の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。

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仁王門を入ると「登廊」がり、その両脇に牡丹が植えられているが、今回写真は省略する。
冬咲きの牡丹が早くも咲き始めている。
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「五重塔」
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余りにも紅葉が美しいので、一度に載せるには紅葉に申し訳ないないので、後半は次回に譲りたい。


                   続く

12月3日から10日まで海外旅行に行っていたので、暫くの間休んでいましたが、本日(12/10)の早朝帰ってきましたので、再開させて戴きます。なお、旅行記については追って掲載しますが、SDメモリを入れた荷物は明日到着しますし、写真の整理が付くまでの間、若干時間を要するので、作り置きのもので代行させますので、御了解を賜りたいと思います。


No 11  談山神社  奈良県桜井市

今年の紅葉は奈良で閉めようと、最初に「長岳寺」を、そして次にここ「談山(たんざん)神社」にやって来た。
ここは奈良では最高レベルという紅葉の名所として自他共に(?)認めるところである。ここには過去数回来ているが、この美しさはほんに格別だ!。

今日は2010.11.24(水)、平日ながら多くの人が訪れており、観光バスもどんどん上がって来る、予約のしてない車の駐車場は満タン、30分位の空き待ちを余儀なくされた。

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(拝観料 ¥500)
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ウイキペディアによれば・・・・・
談山神社(たんざんじんじゃ)は、
奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は、藤原鎌足(談山大明神・談山権現)。紅葉の名所である。神仏分離以前は、寺院であり、多武峯寺或いは多武峯妙楽寺という名称であった。

鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である藤原鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。(以下略)

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「楼門」
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「拝殿」
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もとは寺院であったので、神社らしからぬ神社である。
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ここはカメラのベストポジション、多くのカメラマン・ウーマンが砲列を敷く場所である。
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「十三重塔」
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「神廟拝所」
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下の「神廟拝所」の前の広場を「けまりの庭」と言って、4月29日の「けまり祭」には「けまり」が行われるそうだ。
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今年最後の紅葉は未だ終わらない、この後しんがりを務める「長谷寺」に向ったが、それは次回のお楽しみとしたい。

                         続く

旅行のため暫くの間留守にしますので、折角戴いたコメントへのご返事も遅くなります、どうかご理解を戴きますようお願いいたします。

なお、復帰は12月11日ないしは12日と考えています。

また、もしかするとゴキブリが現れて、不快な思いをさせるかも知れませんが、どうかお許しを戴き、また、一切のクリックなどされずに、完全に無視をして戴きますよう切にお願いしておきます。

No 10  長岳寺  奈良県天理市

今年の紅葉は御在所岳を皮切りに、各地を紹介してきたが、そのしんがりを奈良と決めた。
では、その第一弾は「長岳寺」である。(撮影日2010.11.24(水))

ここはどちらかと言うと、つつじの方が知られていると思うが、紅葉でも紅葉情報が報じられているので、それなりに認知されているのであろうと思われる。

下の大門を入ると参道の両サイドが背丈ほどのつつじが植えられており、シーズンには迫力があるが、今は写真も撮ってもらえないのである。

「大門」
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ウイキペディアによれば・・・
長岳寺(ちょうがくじ)は
奈良県天理市柳本町にある高野山真言宗の寺院。山号は釜の口山(かまのくちさん)、本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は空海(弘法大師)とされる。関西花の寺二十五霊場第19番札所。日本最古の歴史の道といわれる山の辺の道のほぼ中間点に位置している。釜口大師の名で親しまれている。

天長元年(824年)に淳和天皇の勅願により空海(弘法大師)が大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したという。盛時には48もの塔頭が建ち並んでいた。


「楼門」
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「本堂」
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「放生池」
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「拝殿」
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このあと、奈良の紅葉はこれ!と昔から決まってる「談山神社」に向ったのであるが、それは次回に掲載したいと思う。

                                  続く

追記
12月3日より、旅行のために不在となりますので、このブログを休ませて戴きます、また折角コメント戴いても、お返事が遅くなりますので、ご理解のほど、よろしくお願いいたします。なお、次回投稿予定は、12月11日以降と考えています。

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