木燃人の巣穴

ここは季節の情報や私の趣味や考え方を発信するとともに、皆さんとの気楽な交流を計る場所にしたいと思います。

2011年02月

2011.02.22(火)、昨日、今日と急に暖かくなり、空は雲ひとつない、正に快晴!。
未だ早いと知りつつも、暖かい日でしかも天気がよければ、じっとしてる訳には行かない。寸暇を惜しんで、お待ちかね、梅のご機嫌伺いにやってきた。その場所は、四日市市の南部、小高い丘に作られた「南部丘陵公園」である。

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丘の北側の斜面に紅白の普通の梅が100本前後植えられている。枝垂れはないようだ。

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花はやっと開いたばっかりという顔であった。

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我が家からそう遠くではないが、ここは始めての訪問であり、過去の花の様子はわからないが、花の付き方(花の数)が悪いように思うが如何なものだろうか?。普通はもっとびっしり間隔を詰めて花が付くように思うのである。

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誠に貧相な花ばかりであったが、梅はまだ始まったばかり故に、今年最初の”梅便り”はこれでご勘弁を戴きたいのである。

昨年は暖冬であったために、クリスマスローズが早く咲いたが、それに対して今年は寒さが厳しいので、開花も遅くなっているし、何よりも花も葉も茎の育ちが非常に乏しい(背が低い)ようである。我が家は殆どが鉢植えのために、従来からその傾向ではあるが、今年はそれが顕著であり、また、ご近所を尋ねても同様なので、我が家ばかりではないようだ。

もうひとつは、日頃は安物ばかり買ってる御仁が、驚くほど高価なのに何ら気にせず買ってきたのは、葉も花芽も全く伸びず”ちんちくりん”のままであるし、花芽が未だに出て来ないものもある。

そんな訳であるが、取りあえず今現在花が開いたものだけを紹介したい。
                            (撮影日 2011.02.20(日))
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取りあえずは以上であるが、残念なことに、ダブルは今年は花が開かないかもしれない。

もうひとつ気になってるのは、昨年は1月中旬から咲き始めた「アネモネ」である。最近になり、やっと一輪咲いたが、未だ春は遠いという感じである。




過去のブログを整理分類した、”ブログの索引”へはこちらからどうぞ。
     http://sky.geocities.jp/jbkkh296/blog-index/blog-index-1.html

2011.02.13(日)、曇天の上、吹雪が舞い、ー8.5℃と寒い頂上に、今日は4人のモデルが来て、撮影会が行われた。四日市の写真の会専属のモデルであるが、今日は特別に我々一般人にも無料で撮らせてくれるので、釣られて上ってきたのである。

最初は氷曝をバックに4人が纏まって、約30人ほどがカメラの砲列を敷き、パチリ、カシャリの連続である。見ると、多くのカメラマンがスピードライト(フラッシュ)を光らせているではないか!。曇っていても周りは雪だから、考えもしなかったが、それが、素人の浅はかさと知った。せめてもと、カメラに着いてるフラッシュを焚いたが結果はご覧の通り、少し離れると明瞭さに欠ける写真と相成ったしだい。

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今度はゲレンデに出ての撮影だ。

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カメラマンによっては、笑顔を撮るためと理解するが、モデルに話しかけたり、目線を要求したりしているが、私にはそんな資格はなかろうと遠慮して、こちらを見てくれるのをひたすら待って、やたらシャッター押したが、ぴったり合うのが今回は一枚もなかった。

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静止している被写体ですら、うまく撮れない者には、動くものの撮影は全く絵にならず、ただ、偶然を待つだけの、相変わらずの撮影であった。

モデルさんは仕事であろうが、寒い中御苦労さん、そして、関係の皆さん、撮影させて戴きありがとうと言いたい。

2010.02.13(日)、約1ヶ月ぶりの頂上散策であるが、曇天の上、風強く、氷まじりの吹雪がヤッケにカラカラと音を立てる。気温は氷点下8.5℃、指先の冷えを防ぐために、懐に手を入れてカイロを握り、膝近くまでの雪道を歩くが、なかなか進まない。

積雪は30~50cm、多くの登山者が通った道なのに、その殆どがスノーシュー(西洋ガンジキ)で歩いた後に、私は靴とアイゼンだけで乗るから、雪に深く沈むので大変に歩き難いのである。10歩足らず毎に、足を止めて一息いれなければならない状態である。外は寒いから歩いても汗ばむこともなく、いつもの倍以上の時間をかけて、頂上を目指した。

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歩く事30分以上、ようやく御在所岳頂上であるが、人影は全く無かった。(標高1212m)

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やっと人影を見つけてほっとする。この山に居るのは私だけではないのだと・・・・。

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装備は万全ながら、ゆっくりゆっくりと・・・・若くない人達による、雪山登山だ、しかも女性が半数なのは驚きだ!。今、はやりの「スノーハイキング」なのかも?。

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御嶽大権現も吹雪に霞む。

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モノクロ世界に唯一の紅「あせび」だ。

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雪の御在所岳、第三弾雪景色は以上である。次回はいよいよモデルさんの登場だ!。

2011.02.13(日)、生憎の曇り空、気温は零下8.5℃、風が強く体感温度は更に下がる。その上時折雪と細かい氷の粒が降りそそぐ、撮影に適した状態ではないが、今日の目的は「モデル撮影会」、これが始まるまでの間、暫く周囲を歩いてみる。

少し外れると、積雪は30cmは超えるので、スパッツ(脚絆)とアイゼン(靴の滑り止め)は必須だ。風の方にレンズを向けると、たちまちレンズに雪や氷が付着する。

何よりも手の指先が冷たい、10分も居ると、指先がしびれて感覚がなくなってくる。体は保温のために何とでもなるが、指先はカメラの操作上、保温はし難く、時折風の当たらない所に避難して、衣服の中に手を突っ込んでカイロで暖をとる。

ここにはトイレが2~3ヶ所あるが、凍結防止のために、水を流し続けているのである。感覚が無くなった指をこの水に晒すと、早く痛みが取れるし、温められる事が解ったのは収穫であった。
この水の温度は10℃前後と思われるから本来冷たいと感じるはずが、外気温はマイナス8.5であるから、この比較からすれば、随分暖かいと感じるのである。

暖をとるために、暖房の効いた所に入ると、レンズが曇る。表面の露は拭けば取れるが、中に着いたたら大変だから、迂闊に入ることも出来ず、風を避けるだけが、しばしの休憩である。

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「氷曝」であるが、雪が付いてるのは良しとしても、生憎の曇り空、メリハリの無い写真と相成ったしだい。

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今日は日曜日、子供を連れたスキヤーでゲレンデは賑わっている。

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スキーリフト乗り場には行列が少し出来ていた。

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御在所岳頂上から、急な斜面を滑って下りるのであるが、5m先は吹雪で何も見えない、飛び出すのは勇気が要るのだろうと・・・。

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御在所岳第二弾、”氷曝とスキーヤ”は以上である。

なお、御在所シリーズはこのあと2編の予定があり、洛中散策はその後再開したいと思っている。

2011.02.13(日)、今日は御在所岳(1212m)の頂上付近で、冬のイヴェントがあると言うので、寒さも左程厳しくはないようであるし、前の宿題もあって、出掛けることにした。

昨夜、1~2センチの雪が降ったが積もるほどでもないし、気温が高く(1℃くらいか?)凍結もなく、ノーマルタイアのままでも上る事が出来た。
流石は日曜日、いつものようにロープウエーのゴンドラは私一人の貸し切りとはならず、4~5分待ちで、定員いっぱいのゴンドラに乗った。

温泉街は白くなっていた。
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下は、三岳寺。
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風もあり、雪が舞う。
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頂上に着いて見ると、寒い!、射すような冷たい風があり、雪と氷の粒が頬を打つ。温度計を見ると、マイナス8.5℃、寒いはずである。積雪も30センチは超えているので、頭巾、手袋は勿論、スパッツ(脚絆)、アイゼンを付けて出発だ。

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氷曝も充分育っているが、詳しくは後報とする。

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広場は家族連れで大賑わい、滑って楽しんでるのは子供ばかりだはないようだ。

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今日は、三脚を持ったカメラマンがやけに目に着くが・・・???

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そう、それは四日市のある写真の会が主催する撮影会があって、そこの専属モデルが4名来ての、会員の撮影会であるが、今日は特別に一般にも無料で写させてくれるからなのだ。

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この4人であるが、詳細は別途掲載とする。

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長くなるので分割掲載とし、第一報は以上のアウトラインレポートとしたい。



京都”洛中古寺散策シリーズ"を連載中でありますが、新鮮な話題を優先させたいので、一時中断とさせて戴いたのです。後日再開致します。

2011.02.02(水)、雪の京都を撮るつもりが、只の冬の京都になってしまったが、久々の”てくてく歩き”にとりかかり、今日はその3回目のリポート、5ヶ所目の訪問先紹介である。
「府立病院前BS」にてバスを降り、清浄華院、梨木神社、廬山寺、御苑を経てここ革堂に到着したが、ここまでのおよそ歩いた距離はまだ約1.5Kmである。


洛中古寺シリーズ (3) 革堂(こうどう) 正しくは「行願寺(ぎょうがんじ)」
   
   在地 中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17
   宗派   天台宗  霊ゆう(鹿の下に七)山
   参拝料 境内自由
   西国観音第19番札所として親しまれ、町衆が集まった寺町通の町堂
   通称”革堂さん(こうどうさん)”と呼ばれているそうだ。

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ウイキペディアによれば・・・・・・

行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある天台宗の寺院。山号は霊ゆう山(「ゆう」の漢字は「鹿」の下に「匕」)。本尊は千手観音。通称、革堂(こうどう)。西国三十三箇所第十九番札所である。
 『百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。当初の寺地は現在の京都市上京区、京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。行円の生没年は未詳だが、比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。藤原道長の息の藤原顕信は寛弘9年(1012年)、行円のもとで剃髪出家している。寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区、京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。

本堂
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本堂から表参道を見る
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庫裏
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革堂にまつわる悲しい伝説がある・・・・

革堂の寺宝の一つに、毎年8月20日過ぎに公開される有名な「幽霊絵馬」がある。
 その昔、革堂に遊びに来ていた子守娘が浄土宗の御詠歌を子供に教えているのを見た法華信者が、娘を殺し土中に埋めた。娘の両親は革堂の千手観音に願をかけ、娘の死の真相を知る。両親は絵馬に若い女性の幽霊を描き奉納したという。これが「幽霊絵馬」である。

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加茂明神塔(鎌倉時代の作とか)
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今日の”京都てくてく”は、小さい寺ながら、一体いくつ回れるか、挑戦の旅でもあり、先を急がねば!。


”お知らせ”
過去に公開したブログ約500点を、整理分類して”ブログ索引”として公開しております。
その第一頁は下記ですが、この上段の表から各頁に行けます。
      http://sky.geocities.jp/jbkkh296/blog-index/blog-index-1.html

なお、”⑧ 旅行の記録” には、日帰りバスツアー、沿線ウオーキング゙、オフ会ハイキングを・・・
      http://sky.geocities.jp/jbkkh296/blog-index/blog-index-8.html
   
    ”⑨ その他” には、”カメラ写真”に、”木工作品”と”動物”を追加しました。
      http://sky.geocities.jp/jbkkh296/blog-index/blog-index-9.html

今回の”洛中散策”は古寺シリーズではあるが、その道中にある、著名な神社等を見過す訳には行かないので、立ち寄った順に、挟み込んで行きたい。 訪問日2011.02.02(水)


梨木神社 (なしのきじんじゃ)
   所在地  上京区寺町通広小路上ル染殿町680
   

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ウイキペディアによれば・・・

梨木神社(なしのきじんじゃ)は、京都府京都市上京区にある神社である。旧社格は別格官幣社。明治維新に大きく貢献した三條實萬(さねつむ)・三條實美(さねとみ)父子を祭神とする。境内の井戸の水は「染井の水」と呼ばれ、京都三名水の一つとされる。京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)のうち、現存するのはここだけである。 また境内には約500株の萩が植えられており、別名萩の宮とも呼ばれており、9月中旬~下旬には萩祭りがおこなわれる久邇宮朝彦親王の令旨により、三条家の邸宅跡に三條實萬を祀るための社殿を造営し、明治18年(1885年)、地名からとった梨木神社の社号と別格官幣社の列格を受けて創建した。その後大正4年(1915年)、大正天皇即位を記念して、子の實美を合祀した。

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只今工事中につき、これより中には入れてもらえず。
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京都御苑

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明治天皇とともに、公家らが明治2年(1869年)東京へ移った後、公家屋敷などが広がって公家町を形成していた京都御所周辺は大量の空き家の町となり荒廃した。この状況を嘆いた天皇は、明治10年(1877年)御所の保存を命じた。これを受け、京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷を撤去して整備したのが京都御苑の始まりである。昭和24年(1949年)には国民公園として広く開放された。現在は京都御所、仙洞御所、京都大宮御所の築地内は宮内庁が、2005年4月に開館した京都迎賓館は外務省が、それ以外は環境省が管理している。今出川通(北側)、烏丸通(西側)、丸太町通(南側)、寺町通(東側)に囲まれた範囲で63ヘクタールの広さである。多くの木々が生い茂る公園内には、京都御所、仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所、皇宮警察本部京都護衛署などの宮内庁・皇宮警察関連の施設をはじめ、公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所のほか、グラウンドやテニスコートもあり、市民の憩いの場になっている。

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下御霊神社
 (しもごりょうじんじゃ)

    所在地  中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町

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ここでも明日は節分祭があるようだ。

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下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、京都市中京区にある神社である。旧社格は府社。社名は上御霊神社に呼応するものである。桓武天皇の時代、各地で疫病が流行した。これは御霊の祟りであるとして、貞観5年(863年)5月20日、平安京の神泉苑で御霊会が催された。この御霊会が当社および上御霊神社の創祀であるとしている。古来より京都御所の産土神として崇敬された。享保年間に霊元天皇の霊を配祀した。元は出雲路の上御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったと伝えられる。後に新町出水に移され、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座した。なお、式内社研究家の志賀剛は延喜式神名帳に記載される出雲井於神社(式内大社)を当社に比定しているDSC_3630t

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参拝者の少ない今の時期は、工事をしたり、明日が節分祭でその準備が行われ、参拝者は私のみ、この私を見かけた人は、今時、どこの物好きが来たのかと思ったに違いない。




お知らせ

過去に投稿したブログを整理分類して、ホームページで公開しています。
特に今回、331種類の花について、花の名前からそれを載せたブログのページにジャンプ出来るようにしてますので、ご覧下さい。
    http://sky.geocities.jp/jbkkh296/blog-index/blog-index-7.html

洛中とはどの範囲なのか、正確なことは知らないが、過去のブログを整理する中で、明確な区分けが必要となり、地図に区分け線を入れた。その結果洛中としたのは、上京区、中京区、下京区それに南区とした。よって東は鴨川まで、北は相国寺、北野天満宮までで金閣寺や妙心寺は入れないとした。

この範疇に幾つの寺社があるかわからないが、一度は尋ねて見たい寺院を35寺とし、内過去に訪れたのは8寺で、8割近くが未だ行ってないのである。交通の便が少し落ちる洛北に次いで実績が低いことが解ったので、今回集中砲火(?)の対象としたのである。ここは、近いし交通の便はよく、隣近所、近くに集まってるから、歩いて回るには最高の所である。
では、一昨日に続き2番目を紹介しよう・・・・・   訪問日2011.02.02(水)


洛中古寺シリーズ(2) 廬山寺 (ろざんじ)
   
所在地 上京区寺町通広小路上ル北之辺町397
   宗派   円浄宗本山
   拝観料  ¥400
   紫式部の邸宅跡に境内を持ち、節分の鬼の法楽も有名

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ウイキペディアによれば・・・・

廬山寺(ろざんじ)は京都市上京区にある天台系の単立仏教寺院。圓浄宗の本山。本尊は阿弥陀如来。寺号は詳しくは廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)と称する。紫式部の邸宅跡として知られる。比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師、慈恵大師)により天慶元年(938年)に京都の北山に創建。寛元元年(1243年)に法然の弟子である覚瑜が船岡山の南麓に再興、中国の廬山にならい廬山天台講寺と号した。元亀3年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちは正親町天皇の女房奉書により免れたが、豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間に現在地に移った。度々の火事のため、現在の堂宇は寛政6年の再建になるものである。1965年(昭和40年)に考古・歴史学者角田文衞により紫式部邸跡とされた。御黒戸四箇院のうち現存する唯一の摂家門跡である。

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明日は2月3日、節分祭がここでも盛大に行われるので、今日は皆さんが集まり、祭の準備にお忙しそう。来るのが、明日であると祭を見ることが出来たであろうが、写真がちゃんと撮れる保証はない、今日で良かったのか、明日の方かよかったか?・・・・。

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今日は明日の節分祭の準備のため休日、故に、紫式部の庭に入ることは許されなかったのである。・・・残念!。

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 京都の節分会の代表行事の一つである当山儺式鬼法楽は通称「鬼おどり」と云われ、開祖元三大師良源が村上天皇の御代に300日の護摩供を修せられた時に出現した悪鬼を護摩の法力と大師が持っている独鈷、三鈷の法器でもって降伏させられたという故事によるものである。この三鬼は人間の善根を毒する三種の煩悩、即ち貧欲・瞋恚・愚痴の三毒を表現しているもので、この三毒を新しい年の運勢の変りめと云われる節分の日に追い払い、又、福寿増長を祈念し、一切の悪疫災難をはらうことによって開運をはかり新しい節を迎えるという法会行事である。
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この豆をひと粒食べると3年長生き出来ると言うし、この鬼おどりを見たかったが、当日はここに3千人も集まると言うから、混雑も予想されるので、敬遠したのであったが、少し惜しいとの気持ちを押さえつつ、次の地へと向った。



”お知らせ”
鋭意製作中の「ブログの索引」が略出来上がったのでお知らせします。特にこの度は、懸案であった”花全般”を公開しました。従来は主要な花のみでしたが、今回、その他の花を載せることで、全ての花、全331種類を掲載しております。
   http://sky.geocities.jp/jbkkh296/blog-index/blog-index-7.html
なお、各花の右の蘭をクリックして戴きますと、その花を掲載しているページに飛びますので、その中で見たい花を探して下さい。
また、植物園などの外国の名も聞いたことのないような花や、名前の不明のものは載せていません。

なお、古いブログにコメントを戴いた場合ですが・・・
① ”認証制”としてますので、公開は少し遅くなります。(原則翌日)
② 必ず返事は差し上げてます。
③ 返事の場所は書いて戴いた、そのブログになります。

                                         以上

今は花の無い時期、ニュージーランドシリーズ、東海ウオーキングリポートもも終わりを迎え、ぼつぼつこのブログもネタが切れてきた。何処か無いか考えたところ、先日書いたように、京都には寺社が無数にあるが、今までに見たのは、そのほんの一部、しかも有名な大きな所ばかりであった。

それに対し京都には、小さいし忘れられたように静かに佇んでいるが、深い歴史や由緒がある、言わば「古寺」が多数あること、特にそれが、洛中と洛北に多いことに着目したのである。

もうひとつの目論見は、「雪の京都」を撮ることである。このために、少し前から京都の天気予報と私の都合の睨みあいをしていたが、雪が多すぎてもいけないし、少ないと直ぐに解けるので、雪を狙って出掛けることの難しさを知ったのである。

よって今回は、雪を諦め、歩いて回るに際し、効率を上げるためには、寺が密集している、洛中が好適と判断して、鴨川の西側に沿う、河原町通り(県道32号)の東西にある、古寺15と、神社1を選び出したのである。

比較的小さいお寺、敷地も建物も多くはないので、時間はかからないと思うが、幾つ見て回るかは、結果でしかない、じっくり見るを主眼にと考えたのである。  

今日は2011.02.02(水)、先日までの寒さも和らぎ、雲は少しあるが雨は心配なし、朝5時20分目覚ましによりきっちり起き、6時28分発の近鉄電車で、四日市まで出て、そこからは、いつもの通り、新名神道を走る「高速バス」に乗り、「五条京阪BS(バス停の略、以下同)」で下車した。

五条大橋を渡り、河原町通りに出て、「五条河原町BS」に、ここまで数分程度で、北に走る路線バス205に乗る。ここは大きい通り、バスは10分以下の間隔で運行していて、大変便利だ。

バスはちょくちょくよく止まるが、それでも10分程度で「府立病院前BS」に着き、¥220支払って降りる。
ここは、京都御苑、京都迎賓館の東、直ぐ近くである。そして本日の”京都てくてく歩き”がスタートした、時は9時15分であった。



洛中古寺シリーズ (1) 清浄華院 (せいじょうけいん)
   
   所在地 上京区寺町通広小路上ル北之辺町395
   宗派   浄土宗
   拝観   境内自由
   皇室とのゆかりも深い浄土宗四ヵ本山の一つ
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院のホームページによると・・・

清浄華院というのは「浄土に咲く蓮の華のように清らかな修行ができる場所」という願いを込めて名づけられました。

その歴史は古く、平安時代までさかのぼることができます。貞観2年(860)、時の天皇である清和天皇の勅願により、天台宗の慈覚大師円仁が京都御所内に禁裏内道場として建立したのが始まりです(現在は御所の東側に移転しています)。造営には約3年を要し、落成したのは貞観5年春でした。創建以来、天台・真言・仏心・戒律の四宗兼学の道場として重要な役割を果たしていました。

やがて平安時代も終わろうとする承安5年(1175)、浄土宗の開祖である法然上人が長年にわたるご研鑚の地、比叡山を去って東山吉水の地に草庵を結ばれ、念仏を称えることこそ唯一の救いの道であると説かれます。

当時の仏教界に新風を吹き込んだ法然上人の教えが、道俗を問わず潮のように広まっていくなかで、上人の教えに触れようとしたのは、時の天皇も同様であり、後白河法皇をはじめ高倉天皇・後鳥羽上皇の3天皇は、法然上人を戒師としてご受戒されました。この時、法然上人は当院を宿舎代わりに使われており、こうした因縁から後白河天皇より当院を賜り、清浄華院は浄土宗に改まったのです。これより後、当院は念仏道場としての道を歩むことになり、上人は多大なる尽力をつくされました。

また当院の皇室との因縁の深さを反映して、大殿右脇霊牌檀には、清和天皇・村上天皇の尊牌をはじめ、敬法門院、開明門院の他、皇子、皇女等二十九方の御牌を奉安しています。墓地には、御陽成・後水尾・孝明天皇等の皇子・皇女の御陵墓、妙香華院、実相心宮等の各宮家の墓、さらには、政商・立入宗継、国学者・玉松操、茶人・町田秋波、公卿・山科言継、尊王家・姉小路公知等の墓があります。

浄土宗となったのは開祖法然の教えにふれた後白河天皇、高倉天皇、後鳥羽天皇が戒めを受けた縁により法然にこの寺が与えられたからです。そのため法然を御内道場中興の祖とし念仏の開祖としています。


御影堂
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歴史は古いが由緒がある寺、建物は未だ木の香りが漂うが如く新しくきれいであったのが、印象的であった。

       

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(1) 寺 院、 神 社 (4) 主  要  な  花(7)そ の 他 の 花
(2)植物園,公園,庭園(5)紅葉,山野草等の植物(8)旅 の 記 録
(3)博物館,城,名勝地(6)展示会、イヴェント、祭等(9)そ  の  他

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東海市を歩く”名鉄沿線ウオーキング(約9Km歩行)”に参加したが、時間が余ったので、徳川園の冬ボタンが見ごろとの情報があったので、立ち寄ったのであるが、ここは2年ぶり、3度目の訪問である。今日(2011.01.22(土))は少し寒く、訪れるひとはほんの数組でひっそりとしていた。    (入園料¥300)

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春咲かせる株は多いが、冬が咲く当番のボタンの株は少なく、春咲きの間に、まばらの植えられている。
寒さには弱いので、”こも”かぶりをしているが、これがあるからいいが、無ければ私は多分遠路はるばる見には来ないだろうと考える。

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春のボタンと違って、無理やり冬に咲かされているせいか、絢爛豪華、本当のボタンの”凄さ”は見られないご、今年もきれいに咲いていた。冬の花の無い時期には貴重な存在、ありがたく見させてもらった。


本日の総歩行数は、18944であった、これだけ歩けば今夜もよく眠れる!。ありがちゃ、ありがたや!。


追記

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2011.01.22(土)、名鉄沿線ウオーキングのメインイヴェントとなる、東海市等が主催する「2011東海
フラワーショウに立ち寄った。

ウオーキング、及びフラワーショウのアウトラインについては、前回までに紹介したので、そのしんがりは最高に着飾った「蘭」の娘たちをじっくりと見て戴きたい。

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折角見に来たのに、コメントが足りないとお叱りを受けそうであるが、このきれいな花に下手なコメントは向かない、花が迷惑すると言いそうなので、省略させて戴いた。

以上にて沿線ウオーキング”東海市シリーズ”のアウトラインのレポートとしたい。

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2011.01.22(土)、名鉄沿線ウオーキングのメインイヴェントとされている、東海市等が主催の「2011東海
フラワーショウに立ち寄った。
開催場所は市民体育館で、蘭が主体であるが、一部には一般の花も展示されている、隅の方には生け花もあり、明23日(日)までの2日間開催される。(入場無料)

折角の展示なので(?)、出来るだけ多くを紹介したいので、今回は全体像を、次回は「蘭」に絞って詳細に掲載することとする。

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生け花には興味がないので、単なる羅列に過ぎないが、これが斬新な生け花なのであろうか?。確かに見た目は新鮮で美しいが・・・・・・?。

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花の無い時期など、応用を考えると面白いかも?。

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子供達の作品が会場を盛り上げる。


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花は自然界のもの。その上、何もしなくても大変美しいもの。何もしない普通の花が見られる事に、私は最高の喜びを感じる。道端にひっそりと咲く名も知らぬ花ながら、踏みつけて歩くことは忍びないと思うのは、時代にそぐわないのだろうか。

何もかもが多様性の時代、人間と同じ生物でありながら、切ったり張ったりして、無理やり変わった形にして、自己満足するのは、自然界に対する、冒涜のような気が私にはするが、これは私の考えが普通ではないのかもかも知れない。




追記

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(3)博物館,城,名勝地(6)展示会、イヴェント、祭等(9)そ  の  他

2011.01.22(土)、沿線ウオーキングにて東海市内を約9Km歩いたが、その時訪れた寺などを、別個に紹介しているが、今日は前回の「弥勒寺」についで二回目の掲載である。

「雨尾山 観福寺」  天台宗  本尊:十一面観音菩薩

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観福寺は寺伝によれば大宝2年(702年)行基の建立といわれています。その沿革も宝徳2年(1450年)に前身の本堂を建立したことが、寺蔵の棟札によって知られているだけで、そのほかの詳しいことは不明です。現在の本堂は、寛文5年(1665年)に尾張2代目藩主徳川光友の前後3年にわたる造営によって竣工したもので、本尊は十一面観音菩薩:県指定(じゅういちめんかんのんぼさつ)です。
 本尊を奉安する宮殿(くうでん)は入母屋造、妻入、こけらぶきの一間宮殿で、須弥壇下に井桁に組まれた土居盤上にすえられています。足元は須弥壇内にかくれており、棟積みも内陣天井のため失われています。宮殿の建築年代は背面板書の墨書により宝治2年(1248年)と知られていますが、当初は阿弥陀如来をまつる宮殿として造立されたようです。


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本堂

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本堂は県指定の、中の宮殿は国の重要文化財だそうだ。

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甚だしく簡単ながら、お寺の紹介は以上である。
この後は、東海フラワーショーを掲載したいと思っている。

                               以上
追記
内容、時系列で分類整理した過去の全ブログへのジャンプが可能です。

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