木燃人の巣穴

ここは季節の情報や私の趣味や考え方を発信するとともに、皆さんとの気楽な交流を計る場所にしたいと思います。

2012年04月

京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (6)

八坂神社前の「祇園交差点」から、四条通りを300mほど西に進み、左折するとこの道は「花見小路通」と言い、まっすぐ南下すると、お目当ての「建仁寺」に突き当たる。


「建仁寺」  (けんにんじ)
        臨済宗建仁寺派大本山  山号:東山(とうざん)
        京都市東山区大和大路四条下る小松町
        境内自由 堂内拝観¥500

「勅使門」

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建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院。山号を東山(とうざん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。

京都五山の第3位に列せられている。俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。寺号は「けんにんじ」と読むが、地元では「けんねんさん」の名で親しまれている。

日本に臨済宗を正式に伝えたのは栄西(ようさい、えいさい)がはじめとされている。栄西は永治元年(1141年)、備中国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り翌年得度(出家)。仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)の2回、南宋に渡航した。1度目の渡宋はわずか半年であったが、2度目の渡宋の際、臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に参禅した。建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、帰国する。当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であった。栄西ははじめ九州博多に聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍源頼家の援助を得て、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。伽藍は宋の百丈山に擬して造営された。

創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、鎌倉建長寺の開山)が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。

建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない

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「三門」

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かの有名な「風神雷神図屏風」(国宝のレプリカ)。

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「雲龍図」(レプリカ)

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「法堂」

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法堂の天井に描かれた「双龍図」

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舞子さんの撮影を境内で見かけたので、こっそり撮らせてもらったもの。ちょっと表情が硬いが・・・・。

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風神雷神の絵は、かなり昔から知っていたが、建仁寺にある事は長い間知らなかった。20年位前に参拝予定があったが仕事がって行けなかった。このため、予てからチャンスを狙っていた寺に漸く来れたのであった。

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京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (5)


下は四条通り八坂神社前の交差点(午前10時30分)。先日軽四の暴走運転で多数の死者が出たのはこの交差点の少し先であった。
八坂神社、円山公園、知恩院、青蓮院を見た後、駐車場に戻り、早めの昼食を取り、建仁寺方面に再出発をした。

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四条通りから左折して「花見小路通」を南下する。

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下は「祇園甲部歌舞蓮場」の入口、ちょっと中に入って見る。

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この後、「六波羅蜜寺」などを見たあと、東大路通を超えて右は清水寺、左に行けば高台寺に行く道に出ると、式を上げたばかりのカップルが八坂の塔をバックに記念撮影を・・・

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和服姿が似合う街で・・・・

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八坂の塔などを見た後、「二年坂」に入ると、今日も多くの人が・・・・

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この後、霊山観音へと向った。
京都東山北部散策はまだ始まったばかり、続々と出てくるよ!。

この街歩きは途中で尋ねた寺などは別途掲載するので、ここでは除いであるので、順序が前後することをお断りして置く。

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道端の花(1)

田畑に汗されている方々には、「あの憎っき草達を!}と叱られそうで大変恐縮ながら、今年も雑草を撮らせていただきますので、このページだけは、飛ばして戴いても構いませんので、どうぞよろしくお願いいたします。


「ツクシ」づくし

行きつけの床屋さんに行ったら、近くで「ツクシ」が良く出ていると教えられ、カメラを取りに帰り早速撮らせてもらった。場所は三重県菰野町菰野で「湯の山街道」から少し北に入った田の畔と小さな川の堤防にびっしりと生えているのだ。

花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-216.html

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これだけの過当競争(?)のためか、かなりスリムではあるが、何と沢山生えたのか驚きだ。床屋のマスターに聞くと毎年出るそうだ。これだけ密集していれば、私でもあっという間に一晩のおかず分は採れるが、袴を取るのが面倒と拒否されたので"旬"は写真のみとなった。

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「スギナ」も生えて・・・・

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                   以上撮影日 2012.04.07(土)

「ハナニラ」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-223.html

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「オオイヌノフグリ」
花図鑑:  http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-192.html

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「カキドオシ」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-196.html

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「スミレ」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-130.html

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「タネツケソウ」
花図鑑:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-428.html  

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道端もだんだん花が見られるようになり、楽しさがふくらむ。”雑草を!”などと言わず見てやって下さい。

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京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (4)


好天の2012.04.08(日)、八坂神社、円山公園、知恩院を経て、何故か何度も門前を素通りしていた「青蓮院」に今日こそはと境内に入った。


「青蓮院」  (しょうれんいん)   別名:「青蓮院門跡」
        天台宗  山号なし       
        京都市東山区栗田口三条坊町69-1
        参拝料金¥500

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この寺のシンボル的存在の巨大な「楠」だ!。
この木は何度も見ているが、この寺には何故か今回初めての訪問である。

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青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王(天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が門主(住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた。江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。日本三不動の1つ「青不動」のある寺としても知られる。

三千院、妙法院などとともに、青蓮院も比叡山上にあった房(小寺院)がその起源とされている。青蓮院は比叡山東塔の南谷にあった青蓮坊がその起源であり、門跡寺院となって山下に移ったのは平安時代末期の行玄大僧正の時である。久安6年(1150年)、鳥羽上皇の后・美福門院は青蓮院を祈願所とした。また、上皇の第7皇子覚快法親王が行玄の弟子として入寺し、以後、皇族や摂関家の子弟が門主を務める格式高い寺院となった。山下へ移転した当初は三条白川(現在地のやや北西)にあったが、河川の氾濫を避け、鎌倉時代に高台の現在地へ移った。ここにはもと十楽院という寺があり、青蓮院の南東にある花園天皇陵は「十楽院上陵」(じゅうらくいんのうえのみささぎ)と称されている



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ここらは東山区の北の端、三条通りを超えれば岡崎公園や平安神宮、右には南禅寺が控えるが今日の目標はここが最北端、これよりUターンして祇園に戻り、「建仁寺」に向った。

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京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (3)


桜真っ盛りの2012.04.08(日)、車を八坂神社隣の駐車場に置き、八坂神社を見たあと円山公園を通って「知恩院」にやってきた。一昨年12月に来て以来、3回目の訪問である。


「知恩院」  (ちおんいん)
        浄土宗  総本山 正式名:華頂山知恩教院大谷寺        
        京都市東山区林下町400
        境内自由  

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知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。詳しくは華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)と称する。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。

浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。

四条天皇から下賜された寺号は「華頂山知恩教院大谷寺」という長いものであるが、この名称は、寺の歴史を説明する時などを除いて通常は使われておらず、法人としての寺院名も「宗教法人知恩院」である。


                                 
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今日は「お釈迦さんの日」、堂内に入ると早速「甘茶」の接待を受けるが、内部は撮影禁止故に残念ながら写真は無しだ。

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「巨大なしゃもじ」

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この後「知恩院」を出て、「青蓮寺」に向ったがそれは後報としたい。


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京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (2)


寒さも和らぎ、空は快晴、2012.04.08(日)午前8時50分、浮き浮きして八坂神社から円山公園に入る。殆どの露店はシートが掛かり、”花見の場所取り"用のブル-シートが施設や通路以外のすべての所に隙間無くびっしりと敷き詰められ、昨夜から寝袋でまだお休みのご仁が多く見られる。ご大儀さんな事だ!。


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京都の桜の名所、桜は満開と言うのに人っ子一人も居ない、何とも不思議な光景ではある。

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「坂本竜馬と中岡慎太郎の像」

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ここまでは、午前9時頃の様子であったが、こより下は午後2時頃の状態である。

八坂神社に通ずる道は、身動き取れぬもどの混雑になってきた。

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ブルーシートの空きが無くなり、今や宴たけなわ!。

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ここで戴くビールの味は格別だろうと、よだれを拭きつつ次へ向った。

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京都東山北部 寺と神社と桜めぐり (1)


いよいよの季節が到来、予てから京都の桜を狙っていた所、2012.04.08(日)は天候は問題無し、本来なら混雑が予想されるので避けたい日曜日ながら、行く場所と方法で調節は可能であるし、本来の計画日の明日月曜日よりも天候が良いとして、決行を決めた。(唯、単に早く行きたかったっだけの事。)

朝6時に目覚ましを掛けて就寝するも5時に目覚めた、もう寝ては居られない、直ちに起きて仕度をして、午前6時30分に自宅を出発。途中給油などをして、丁度7時に鈴鹿ICを通過、途中大津SAでトイレ休憩して、8時20分に祇園に到着。市立円山駐車場があるのも知らず、直ぐ近くの民間駐車場に車を置いて出発。(結局高い駐車料を払うはめに!)


下は普通は考えられない程人通りの少ない八坂神社前「祇園交差点」(午前8時30分)

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寺院等門がある所は、多くは9時を過ぎないと入れないが、殆どの神社には鳥居はあっても時間に関係なく入れるので、駐車場から歩いて2~3分、8時30分に「八坂神社」に入ったのである。こんなに早い時間に京都の寺社に入ったのは初めてと振り返ってみると、祇園周辺でも流石に日曜日のこの時間帯は人通りはまばらであった。


「八坂神社」  (やさかじんじゃ)
         京都市東山区祇園町

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平安京建都(794)以前より八坂神社のある東山一帯はひらけた場所で、渡来人であった八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところであった。「八坂の塔」で有名な法観寺も平安京以前の創建で、八坂造の氏寺ではなかったかともいわれている。


八坂神社一帯には広大な寺域を持ち、「定額寺」という高い格式を誇った観慶寺があり、別名を祇園寺といった。

その寺域内にあった「天神堂」が八坂神社の前身である。

観慶寺はどういう理由かわからないが衰退し、天神堂が多くの崇敬を集めるようになり発展し、祇園社(八坂神社)となった。


祇園社という呼称は観慶寺の別名祇園寺に因むものと思われる。ただ、鳥居に掲げられていた額には「感神院」と書かれており、この呼称も平安朝にまでさかのぼるものである。祇園社と感神院の呼称の使い分けについては、その理由は今のところ判然としない。

八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2年(656)と伝えている。この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、彼は八坂造の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と考えられている。

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清盛の父である平忠盛は清盛の生前、時の権力者である白河上皇の護衛を勤めていました。当時、白河上皇は寵愛する女性、祇園女御のところへ忠盛を共に通っていました。

ある晩、白河上皇は化け物の姿を目にして、忠盛に討ち取るよう命じます。ですが忠盛は、それが灯明をともす老僧であることを察しました。この忠盛の冷静沈着さに白河上皇は感心し、寵愛する祇園女御を忠盛に下賜したそうです。

この時点で祇園女御はすでに身ごもっており、後に男子誕生。清盛と名づけられたというものです。いわゆる平清盛の落胤説です(なお、清盛の母は祇園女御の妹という説もあります)。

八坂神社と忠盛・清盛親子に関するエピソードとしては「祇園闘乱事件」があります。ことの起こりは久安3年(1147年)6月15日、宿願の成就祈願に訪れた清盛の郎党が、祇園社の神人と小競り合いとなり、多くの負傷者が出ました。

この事件を知った祇園社の本寺である比叡山・延暦寺は、平忠盛・清盛を配流(いわゆる島流し)させるよう訴え、親子は窮地に立たされます。

しかし、清盛らの武力をあてにしていた鳥羽法皇の庇護により、今でいうところの罰金刑に落ち着くことになりました。このことは鳥羽法皇の平家に対する信任ぶりを周囲に誇示することになり、また鳥羽法皇にとっても、朝廷への発言権を強めていた延暦寺の要求を事実上拒否することに成功した事例となりました。

このことが、武士の持つ武力の有効性・重要性を世間に知らしめる転機となり、ひいては後の平家武家政権へのきっかけとなったとされています。

今佳境にはいりつつあるが、視聴率がいまいち上がらない、現在放映中の大河ドラマ「平清盛」の設定とは少し違うなぁ!。

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朝早いから、まだ”テキ屋”さん達も営業していない。

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この後の写真は、再度八坂神社に来て、午前10時過ぎに撮ったもので、早くもかなりの人通りになっている。

この桜を見るのが今日の大きな目的の一つと言っても過言ではない程の憧れの桜ではあるが、私と同様かなりお年を召した為か、今一つ勢いに欠けるように思えたが・・・・・?。


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この神社などで式を上げたようなカップルだが、夫々が別の人に電話して、何を報告してるのだろうか?。

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この後円山公園を通って「知恩院」に向ったが、それは後述とする。

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京都や奈良の寺ばかりを撮っているが、我が町のも寺はいくつもあるし、桜の時期に一度はと予てから思いしが、中々チャンスが無かったが、今年こそはと早くから気にしていたが、ようやく2012.04.12(木)撮る事が出来た。では先ずは寺の紹介から・・・



「如来寺」  (にょらいじ)
        浄土宗西山禅林寺派  白石山
        三重県三重郡菰野町菰野
        境内無料

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菰野藩郡奉行の寺西小左衛門政光は3代目藩主土方雄豊の娘おしゅんを預かって養育していました。おしゅんは生まれつき病弱であり幼少のうちに病死してしまいました。延宝3(1675)年政光は藩主雄豊の命でおしゅんを弔うために、この寺を創建しました。
 元禄2(1689)年に建立した本堂は火災で焼失し、宝暦5(1755)年に再建されました。山門は安政7(1860)年に建立されました。


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   以上は2012.04.09の撮影、以下は2012.04.13の撮影


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桜がきれいと言われているが、ちょっと今年は八重桜とつつじは万全ではなさそうである。


我が家の狭い庭にも春がやってきて、花達がお目覚めだ!。
暖かくなるに従い、どんどん咲き始めるので、公開が若干時期を外れるが、折角着飾って私を迎えてくれた花達のために、遅ればせの投稿をお許し賜りたい。


「シュンラン」  (春蘭)  ラン科シュンラン属

本ブログ初登場ではないが、花図鑑にないのは、登録漏れのようなので新入者扱いとする。

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日本各地によく見られる野生蘭の一種である。山草東洋ランとして観賞用に栽培されることも多い。

葉は地表から出る根出葉で、細長く、薄いが固く、根元から立ち上がり、曲線を描いて下に向かう。細かい鋸歯があってざらつく。茎は球形に縮まった小型の偽球茎になり、匍匐茎はなくて新しい偽球茎は古い偽球茎の根元から出て株立ちになる。根は太くて長い。

花は春の早くに咲く。前年の偽球茎の根元から出て、葉の陰に茎をのばし、その先端に一つだけ咲く(まれに二つ咲く)。花茎は薄膜状の鱗片にゆるく包まれる。花は横を向いて咲き、外三弁と副弁二枚は楕円形、黄緑か緑でつやがある。外三弁は広がって三角計の頂点を作り、副弁はずい柱を囲うように互いに寄り合う。唇弁は基部はずい柱の下に受ける溝のようで、縦にひだがあり、その先は前に面を向けて広がり、先端は後ろに巻き込む。普通種の色は白ないしうす緑で、あちこちに赤い斑紋が入る。

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古くから観賞用として愛されてきた花であるが、我が家で植えてから数年、やっと咲いた貴重な写真なのだ。

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「ネコヤナギ」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-140.html

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「オキザリス」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-112.html

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「セキチク」
「セキチク」として買った株から、少し様子の違う花がお出ましだ。よって、?とし、暫く様子をみることにした。

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「オーニソガラム」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-532.html

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「クリスマスローズ」

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「タンチョウソウ」
花図鑑:  http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-134.html

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「ボケ」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-150.html

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「ユキヤナギ」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-164.html

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「ショウジョウバカマ」
花図鑑: http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-258.html
ちょっと今年は花の色が薄いが、うらぶれたのでは無い事を書き添える。

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撮影日からかなり遅くなったが、春はまだまだ、花もまだまだ、続々と出て来ますので、よろしくお願いします。

また、この後「京都東山北部の寺と神社桜シリーズ」が15編続きます。寺ばかりで無い方がよかろうと思い、花などの記事を挟みながら、まだ当分毎日発行が続きます。


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奈良の古寺めぐり (8)

好天の2012.04.02(月)、満を持しての「奈良古寺めぐり」も8寺を見て、そののしんがりを務めるのは、奈良市の北西にあり、「萩」で名を知られる「秋篠寺」である。


「秋篠寺」   (あきしのでら)
         単立
         奈良市秋篠町
         拝観料¥500  駐車場無料

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秋篠寺(あきしのでら)は勅願寺の一つ。本尊は薬師如来。開基(創立者)は奈良時代の法相宗(南都六宗の1つ)の僧・善珠とされている。山号はなし。宗派はもと法相宗と真言宗を兼学し、浄土宗に属した時期もあるが、現在は単立である。伎芸天像と国宝の本堂で知られる。奈良市街地の北西、西大寺の北方に位置する。(伎芸天についての説明を本文外に追記)

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 「東塔・西塔」などを備えた伽藍規模と「脱活乾漆像」の尊像が多く安置されていたと
ころからも官寺並みの大寺院秋篠寺でしたが、平安時代に兵火による悲惨な災難を被
り、伽藍の大半を失い、創建当時の大寺の面影は今は偲ぶことができない。
 「脱活乾漆造」の脱活とは像が「張子の虎」のように空洞と言う意味です。尊像の素材
が漆だけにひび割れでもすれば恐れ多いことなのでそのため高純度の漆を使用しなけ
ればなりません。当時、漆は金と同価格という大変贅沢な素材でその漆を使用する
脱活乾漆像」の制作が行われたことは大寺の証といえましょう(寺のホームページより)

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「本堂(国宝)」(鎌倉時代の創建と言えるが、様式は奈良時代を復原したとのこと)

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「ハクモクレン」が美しい。
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-394.html

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「サクラ」も咲き始めた。

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四月になったとは言うものの、朝夕は未だ寒く、花はまだお休み中のため、色どりが寂しい「奈良の古寺シリーズ」全8編はこれにて完結とする。 
            
                            < 完 > 


追記   「伎芸天」とは・・・・(ウイキペディアより拝借)


技芸天(ぎげいてん、伎芸天とも)は仏教守護の天部のひとつ。

『摩醯首羅天法要』『摩醯首羅大自在天王神通化生伎芸天女念誦法』に説かれ、摩醯首羅天(大自在天=シヴァ神)が天界で器楽に興じている時、その髪の生え際から誕生した天女とされる。容姿端麗で器楽の技芸が群を抜いていたため、技芸修達、福徳円満の守護善神とされる。

ヒンドゥー教などに相当する尊格を特定することができず、梵名も不詳。父尊の額から生まれるという出自に注目しギリシャ神話のアテナとの関連を指摘する説もある。 日本では単独での信仰がそれほど広まらなかったこともあり、現存する古像の作例は秋篠寺の一体のみとされる。現存の像は、頭部のみが奈良時代の造立当時のもので首以下は鎌倉時代の後補によるものである。造立当時の造様は不明で、現在の姿は経軌と大きく異なっており、技芸天像とすることに疑問を呈する意見もある。



お知らせ   
 「奈良の古寺シリーズ」は本編にて終了しましたが、"撮り溜め"があるので当分の間連日発行とします。                                               


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奈良の古寺めぐり (7)

今日は好天にも恵まれ、奈良市の中心部に近い所にあるが、余り名前の知られていないお寺を回って、ここが8寺目になる。(訪問日:2012.04.02(月))



「海龍王寺」  (かいりゅうおうじ)
          真言律宗  
          奈良市法華寺町
          拝観料¥500  駐車場無料    

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外塀は作りが古く、年代を経てかなり傷んでいるが、これが一層”古寺”としての雰囲気を高めている。

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飛鳥時代に毘沙門天を本尊として建てられた寺院を、天平3年(731)に光明皇后により海龍王寺としてあらためて創建された。嵐の中唐より無事に帰国を果たした玄昉が初代住持となったことから遣唐使の航海安全祈願を営むと同時に平城京内道場の役割を果たすことにもなり、玄昉が唐より持ち帰った経典の書写(写経)も盛んに行われた。
平安時代となり、都が平安京に移ると平城京は衰退し、海龍王寺も同様に衰退したが、鎌倉時代になると真言律宗を開いた興正菩薩叡尊により伽藍の大修理を受けると戒律の道場や勉学所として栄え、鎌倉幕府からは関東御祈願34箇寺に選ばれた。しかし、室町時代になり応仁の乱が起こると奈良も影響を受け、海龍王寺一帯も戦場となってしまい打ち壊しや略奪の被害を被ったことから再び衰退の一途をたどる。江戸時代になり徳川幕府から知行百石を受けることとなり、本堂や仏画の修理が行われると同時に「御役所代行所」としての役割を果たすが、明治時代の廃仏毀釈の際に東金堂や什器を失うという大きな打撃を受ける。
昭和28年に松本重信が特任住職として海龍王寺に入寺。かっては、貞治4年(1365)第13代信尊和尚、康暦元年(1379)第15代興泉和尚、長禄元年(1457)第28代元澄和尚、天文7年(1538)光淳和尚、明和3年(1766)高瑜和尚 と、海龍王寺から五名の西大寺を長老を輩出しており、真言律宗の中でも筆頭格の寺院であった輝きを取り戻すべく自身の手で復興を始め、昭和40~42年には「西金堂」「経蔵」の解体修理をはじめ「国宝・五重小塔の返還、西金堂への安置」、本堂の修理及び伽藍の復興に心血を注いだゆえに、現在の海龍王寺の姿がある。
隅寺という呼び名の由来については、江戸時代に書かれた大和名勝誌にも「平城宮の東北隅ゆえに隅寺と号するのであり、世に法華寺の隅寺と号するのは誤りなり」と記されている。

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国宝五重小塔(奈良時代の作とか)

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上の五重小塔を収める「西金堂」

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お隣の法華寺の子院とも見られる、正に"古寺”らしい雰囲気をもち、ひっそりと佇み、幾多の栄枯衰勢を経てはいるが、古き奈良のよき時代を思わせる寺であった。

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春めいて来て我が家の庭も少しずつ花が咲き始めた。今日は好天ではあるが、昨日の爆弾低気圧の名残がまだあるのか、風が強く撮影には不向きな日、我が家でなら風を凌ぐ道も何とか作れるので、外出を止め庭に没頭した。  撮影日 2012.04.05(木)



「イチリンソウ」
何故か昨年は花の数が数個と極端に少なかったが、今年は純白で誠に可愛い花が沢山付いた。植え替え等特別なことは何もやってないので、冬の寒さがこの花には良い結果をもたらしたのかも知れない。

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花も葉も殆ど同じで「ニリンソウ」というのもあるが、それは下の写真の葉の付け根に少し小ぶりの蕾が一輪だけ出来て咲くが、これは「イチリンソウ」だから出て来ない。

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下は上と同じ物を午後3時に撮影したものであるが、早くもお眠り状態だ!。

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「ツバキ」
亡き母が私に唯一残してくれたもの。田舎から移植したが、毎年沢山の花を付ける。一昨年木が茂って他の植物への日陰を作るので、高さも幅も大幅に縮めたが、今年はびっしりと花が付いた。

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「ノースポール」

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「クリスマスローズ」

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「ユキヤナギ」
赤は葉が先に出たがまだ蕾は出来ていない。

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「ミニフヨウ」と言う名前として、ご近所から戴いたものであるが、まだ"身元確認"が取れていないが、兎に角長い間、次々と花を付けるので、随分長い間楽しませてくれる、有難い花だ。

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「サクラソウ」

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まだまだあるが、別の日に掲載したいと思っている。
(撮影日からかなり日数が経ち、早春の花状態でありますが、ご勘弁のほどを!。)                      




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奈良の古寺めぐり (6)

好天の2012.04.02(月)、奈良の古寺めぐりをしているが、その7番目の寺にやってきた、ここは一昨年に来ているが、たまたま行事があり本堂に入れなかったし、特に庭園を見たかったので再度訪れたのである。
一昨年の記録:http://mokunenblog.jugem.jp/?day=20100508


「法華寺門跡」  (ほっけじもんせき)
        光明宗  法華滅罪寺
        奈良市法華寺町
        拝観料¥500、特別公開時¥1000  駐車無料 
        (今日は国宝十一面観音、名勝庭園、 華楽園 の特別公開であった) 

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佐保佐紀路の『法華寺』は、聖武天皇御願の日本総国分寺の「東大寺」に対して、光明皇后御願の日本総国文尼寺として、745年に創建された尼寺だ。この土地は権力者「藤原不比等」の邸宅で、娘の光明子(後の光明皇后)がこれを引き継いだため、光明皇后ゆかりの逸話が数多く残されている。

平城京の中心部から程近い位置にあり、奈良時代には壮大な伽藍を持つ大寺院で・・・、平安京への遷都以降は衰退し・・・、1180年の平重衡の戦火によって被害を受けたが、鎌倉時代に入り、重源や叡尊によって復興された。
その後、明応8年(1499年)と永正3年(1506年)の兵火や慶長元年(1596年)の地震で東塔以外の建物を失い、現在の本堂、鐘楼、南門は慶長6年(1601年)頃、豊臣秀頼と母の淀殿が片桐且元を奉行として復興したものである。なお、兵火や地震の被害をまぬがれていた東塔は宝永4年(1707年)の地震で倒壊した。

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いつもの事ながら、内部は撮影禁止のため残念ながら写真はありません。


下の花は「サンシュユ」。
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-353.html

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花は「レンギョウ」
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-267.html

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「吉野ツツジ」との表記があった。

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「ワビスケ(侘助)」  本ブログ初登場!
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-557.html

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「ツバキ」の一種であるが、決して園芸品種ではなく、れっきとした昔からの品種である。


偶然ではあるが、特別公開の日に当たり、念願の本堂等内部を見ることが出来たのは嬉しかった。こんな良い事が次にもと思いつつ、法華寺を後にした。

                                         << 続く >>

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奈良の古寺めぐり (5)

2012.04.02(月)、好天に恵まれ久々の奈良の古寺を回っているが、先ず「帯解寺」を見て、「大安寺」で一年間のお守りを感謝し、更に向こう一年の"がん封じ"を祈った。そしてその後「福智院」「金躰寺」「法徳寺」と見て、本日6つ目のお寺にやってきた。


「称名寺」  (しょうみょうじ)
        西山浄土宗  日輪山        
        奈良市菖蒲池町
        拝観無料  駐車無料

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称名寺は、南都興福寺の学僧であった専英、琳英の兄弟が、法相学を修めた後弥陀本願の法に触れ念佛の教えを乞うた京都西山三鈷寺の澄忍上人と力をあわせて建立した常行念佛の道場を創始としその創建は、文永二年(1265・鎌倉時代)と伝えられる。
当初は興福寺の北に位置していた為、興北寺とも呼ばれていたが、室町時代に現在の地に移転された。
開創以来興福寺の別院とし、四宗(浄土宗、法相宗、天台宗、律宗)兼学の寺として、毎年八講が執行されていたが、明治七年(1874)の廃宗の令により興福寺を離れ現在に至っている。
なお、寺伝によれば、室町時代には東西400メートル、南北300メートルの寺域を有してたが宝永元年(1704)四月、南都の大火で類焼し元文年間(1736-1740)に再建されたが、再び宝暦十二年(1762)の火災で諸堂全てを焼失し、当山第二十四代鸞空上人が明和元年(1764)以後四十年の歳月をかけて、享和二年(1802)に現在の本堂及び茶席(独盧奄)のみが再興された。
したがって現在では、本来も本尊の阿弥陀如来(光烟光佛と称す秘佛)と共に、東堂・西堂に在った釈迦如来及び弥陀如来の三尊を以って当寺の本尊としてお祀りしている。


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お寺に来て、仏様に逢わずして帰るのは、残念なことではあるが、固く締めた扉をわざわざ開けて戴くのもかなり厚かましい事と思い、外から家内安全を祈るのみであった。


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最も簡単に経費もゼロにて、滅多にしか見られない珍しい花が見られるのは、ご近所なのである。これを知ってから再々訪れてはいるのである。庭には殆ど入らせて戴かずに、道路からの撮影なのであるが、毎回声を掛けると、返って迷惑かと思ったりしながら・・・・・・


「ワサビ」との表記があったが、「ハナワサビ」との違いはわからない。
「ハナワサビ」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-484.html

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「タンチョウソウ」
我が家のとは少し違うが、色違いか?。
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-134.html

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「チンチョウゲ」

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「ムスカリ」

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「ヒヤシンス」

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「ヒマラヤユキノシタ」
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-389.html

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「寒緋桜」
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-397.html

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「シキビ」
「花図鑑」:http://hanabana33.blog40.fc2.com/blog-entry-266.html

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姓名不詳

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今咲くこんな花は、「吉野ツツジ」などがあるが、これとは葉が異なり、花も葉も石楠花に似るが・・・。

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やっぱりご近所が一番!。今回も団地内を一時間余り歩いてこれだけの花に逢えたのだ。
ここで、もう一度ご近所の皆さまに「ありがとう」と申しあげるしだい。

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